The Beginning ②
高層ビルが立ち並び、沢山の車が、沢山の人が、夕方の街を忙しなく行き交っている。
車道の両脇にある街路樹では蝉が喧しいほどの大音量で泣き続け、もうじき日が暮れるとは言え、その暑苦しさをより一層強く感じさせた。
「今何℃……って三十四℃!? 暑い訳だ」
「これでまだ夏休み前だって言うのが驚きだよね。早く建物内に入らないと暑さで倒れるかも……」
市街に建てられた温度計を歩き見て納得している俺の横で、一人の少女が少しばかり萎びたような声を出す。
その声の主の身長は一六〇cm程、艶のある長い髪を後頭部でまとめている。
少女の名は、高田麗奈。
因みに、彼女は昼休みに会った際にはまだある程度元気であったものの、五限、六限と授業を経る毎に他のクラスメイトと同様に萎びて行った。
声だけでなく足取りにも元気はなく、けれどもただそれだけなのに彼女の姿は絵になって、居心地の悪さを覚えた俺は目を逸らす。
「……麗奈、今日は何で急に俺を買い物に誘ったん?」
「何でって……気分が向いただけで特には何も。何か期待した?」
「いや何も? お前に何を期待しろってのさ?」
一々彼女の言動にドギマキしていたらこっちの気が持たないのは、小さい頃から見て来たので知っている。
だから、何言われても大体流せる。
寧ろ小さい頃の方が散々な事を言われ続けて来ただけあって、今の方が楽なくらいであるのだ。
「冴えない顔した女が何か言ったところでどうにもならないんだよ」
「んー、生まれつき冴えない顔の慶司には言われたくないかな?」
「うるせぇほっとけ。俺だってなりたくてなった訳じゃねーんだ」
面白がる麗奈の切り返しで図星を指され、思わずぶっきら棒な口調になってしまう。
すると、そこを更に彼女が面白がって追撃してくる。
「あれ、ひょっとして傷付いちゃった?」
「うるせぇっての。分かってんなら何も言うな」
小さい頃から知っているとこちらの心情も察しやすいようで、その追撃も的確だ。
こっちを見てニヤニヤする彼女を前にして形勢不利を悟るが、何も言わないのは殊更敗けたような気がするので、不貞腐れながら二言だけ言い返していた。
もっとも、その言い返した言葉だって敗北宣言と同義ではあったが。
「慶司、泣きたいなら泣いて良いんだよ? 私の胸で」
「嫌だよ、暑いし。ったく……お、もう着くじゃん」
そう言って目を向けた先には、目的地である大型ショッピングモールの入り口が陽炎に揺られて映っていた。
既に日光はビルの影に隠れているお陰で、アスファルトからの照り返しが無いだけ良いが、それでもやはり暑いものは暑い。
出来ればちょっと速足にして一刻も早く建物内に入って涼みたい旨を伝えようと麗奈へ目を向ける、が。
「あれ、居ない……?」
「慶司~~! 先入ってるよ!?」
「え、速ッ!! いつの間に!?」
もはや俺以上に暑さが我慢出来なかったのだろう。一足先に彼女は建物内へと入って行くのだった。
……昔からそうだったけど、やはり彼女は行動力が凄いと感心せざるを得ない。
相変わらずの麗奈の性格に、気付けば呆れた様な笑いが零れていた。
◆◇◆
「やっぱりここ涼しーね、寒いくらいだよ。はい、慶司の分」
「おう、サンクス。幾らした?」
ジリジリと照り付ける太陽から漸く解放され、冷房の効いたショッピングモール内に入ると、入り口近くに立っていた麗奈から炭酸飲料を一本手渡された。
特に頼んでいた訳では無いが、喉は渇いていたので有難く頂戴するとバッグから財布を取り出した。
しかし、彼女はそれを制止すると、笑いながら言う。
「良いよ別に。私からここに行こうって誘ったんだし。その代わり、ちょっと買い物に付き合って貰うよ?」
「たかだか炭酸飲料一本で俺の放課後は買収されるのか……」
自販機のコーラ一本。二百円もしないのに、それが放課後と同等価値というのは……何か悲しい。
「何、不満なの? そんなに私と一緒なのが嫌?」
「いや、違うけど。まぁ、どのみち家でも暇だったし、これくらい付き合うさ」
頬を膨らませる麗奈に睨まれ、尚且つ詰め寄られ、慌てて弁明する。
さっきまでの疲れていた顔は何処へやら、溌溂とした表情を見せる彼女が眩しく感じて、反射的に少し距離を取ってしまう自分が居た。
けれど、その分だけ麗奈が距離を詰めて来て、ジッと見つめて来る。
思わず体が硬直してしまうが、伸ばされた彼女の手が俺の前髪に届き、こう告げられた。
「何、何か用でも……って慶司、ゴミ付いてるよ?」
「あ、ああサンキュ」
綺麗な顔についつい魅入ってしまった何て言える筈も無く、慌てて礼を述べる。
興佑やアレンには「見慣れた」と言ったのに、それとは逆になってしまった事を内心で反省していると、彼女の方から話題を振って来た。
「実は二、三個ストラップが欲しくってさ。慶司の意見も欲しいかなーって」
「俺の意見? だったら、そこは普通に女子と行った方が良かったんじゃね?」
正直、女子の言う「かわいい」がイマイチ分からないから。あと「ウケる」。
今さっきもこの店内で『冷房効き過ぎウケる』とか言ってる奴を見かけたけど、何が面白いのか全然分からなかった。何で男と女ってここまで感性が違うのだろうか。
それは置いておくにしても、結構な広さを誇るショッピングモール内では彼方此方に学校帰りの女子高生のグループが見られるし、その顔は一様に明るい。
「...........」
麗奈自身の女友達と一緒に行った方が盛り上がるし、それこそ意味のある助言とかくれると思わずには居られない。
何度もそう考えたし、実際にその様に彼女へ言ったのだが、麗奈は楽しそうに笑う。
「良いじゃん。男子の意見も欲しいんだよ」
「……男みてーなヤツが何言ってんだか」
「何か言った?」
「いいえ何も」
つい口走ってしまった事に対して殺気を放たれ、俺は堪らず両手を上げると降参である事を示す。怒らせると怖いのだ、麗奈は。
何とか許してくれないものかと、冷や汗をダラダラ流しながら願っていると彼女もそれ以上厳しく尋問せずに息を吐きだした。
「あ、そう。じゃあストラップの代金、慶司が全額払ってくれたら許してあげる」
「はぁー? 全部で幾ら?」
「んー、合計で千二百円くらいかな?」
「……嘘? お前何個買う気だよ」
月小遣いが三千円である事もあり、この出費は非常に痛い。まぁ、口を滑らせたのが悪いのだけれど。
とどのつまり自業自得なのでここで渋る気は無い……でも千二百円。大打撃である。
泣きたい気持ちを堪えつつ財布の中身を確認すると、取り敢えず十分な金額が入っていた事に少しばかりガッカリする。もしこれで財布の中が大して無かったら、金が無い事を理由に出費を抑えられたかもしれないのに……。
「……で、そのストラップは何処で売ってんの?」
「三階に入ってる店。ほら、付いて来て」
「お、おう」
事前にサーチしていたのだろうか、案内板を見る事も無く歩き始める麗奈に驚きながらも、彼女の後を付いて行く。
店内は床も壁も天井も、綺麗な印象を受ける白を基調としており、並んでいる店もどれもがオシャレ感の漂う店ばかり。
ショッピングモールの構造自体も中心部が吹き抜けになっていて、角度によっては下から上の様子が見えるなど、洒落た造りになっている。
「混んでるなー」
「だね」
それにしても今日は人が多い。学校帰りにこの中にあるゲームセンターで友達と遊んだりもしたが、そこまで人が多い印象を受けなかった。
金曜日という事もあるのだろう、学生などもそれなりに多く、人混みを避けている間に麗奈を見失い掛けていた。
まずい、この調子だとすぐに逸れてしまいそうだ。
「慶司、こっちだよ」
「あ、わり」
そんな不安を抱えながら彼女の背を追っていたが、麗奈はこっちが迷い掛けているのを察して、逐一後ろを確認してくれている。
離されては合流してを二度ほど繰り返した所で、呆れた様子で溜息を吐かれた。
「私の後ろを付いてく事も出来ないの?」
「いや普通に混んでるし……けどホント面目ない。何て言うか、最近お前がやけに目立つしさ? ほら、今日はアレンとかも居ないし」
「はぁ? 良いじゃん別に。今まで散々一緒に遊んできた訳だし、今更だと思うけど」
怪訝そうな顔をする彼女の言葉を聞きながら周りを見れば、やはり麗奈の容姿は目を引くのかチラホラこちらに集まる視線。
最初に麗奈へ向いた視線は次に俺へ向かい、何事かを言う声も聞こえる。
正直、余り気分の良いものじゃないのは事実だ。
だから少し、距離を置いて歩いたほうが良いんじゃないかと告げるのだが。
「気にする事じゃないって。人の容姿とか見て文句言う人なんて、その人自身大して綺麗でもないしね!」
「お、おい……」
周りに聞こえる大きな声でそう告げる彼女は、慌てふためく俺を見てにっこり笑う。
恥ずかしい事に、その笑顔を向けられた俺はほんのり顔が熱くなった気がして、意味もなく額を撫でていた。
「それに、慶司が馬鹿にされるのは何か嫌だし」
「……え?」
ぼそりと言われた言葉に、聞き間違いかと思って俺は思わず訊き返していた、が。
「だって私の幼馴染だよ? 親友で幼馴染を馬鹿にされて怒らない人なんていないじゃん」
「ですよね。言うと思った」
ドヤ顔をして言い放つ彼女の言葉に、少しガックリしてしまう自分と、一方で嬉しく感じる自分が居て、この綯交ぜになった感情が何とも言えない表情を作らせる。
すると、そんな微妙な表情と心情を知ってか知らずか、楽しそうな顔をして麗奈が覗き込んできた。
「ひょっとして慶司、期待した?可愛い私からの告白とか考えちゃった!?」
「……鏡見てから言え」
「ぁ?」
「ごめんなさいもう二度と言いません」
気付けば、自然とその場で平身低頭。周囲からは奇異の視線を向けられるが、そんな些末な事はどうでも良い。
怖い! 麗奈さんガチで怖い!
迂闊な自分の言動に後悔しつつ、とにかくこの場をやり過ごす事だけを考える。
「............」
だが実を言うと、麗奈が言った通り少しばかりドキリとしたのだが、意図も分かっていたので毒づいてしまったのだ。
と言うか、冗談に冗談で返しただけなのに、何でここまで怒られなければならないのだろうか。甚だ理不尽である。
そんな釈然としない思いを抱えながら二人でエレベーターに乗り込むと、三階のボタンを押す。因みに、エレベーターの乗客は他にゼロ。
「……口応えの罰として帰りにアイス奢ってね」
「なぁ、それってガリガリする奴じゃ駄目?」
「駄目。もっと高い奴」
財布への追加死刑宣告を受け、首から力が抜けて項垂れる。
ストラップだけでも十分過ぎる出費なのに、それに加えてのアイスは痛すぎる。財布の現金は現在六千円ほどとは言え、痛くない訳ないのだから。
うなだれて血涙を流しそうな気分になっていると、そこで丁度三階へ到着したエレベーターの扉が開いた。
「ほら行くよ、慶司」
「俺の、俺の金が……」
「親から貰ってる小遣いのくせに惜しんでるんじゃないよ」
失意のうちにある俺は、気付けば麗奈にその手を握られ、引っ張られるようにして一つの店へと連れて行かれるのだった。
◆◇◆
「あの……お客様、一体此方で何を為さっているのでしょうか?」
「………」
今日が金曜日という事もあってそれなりに客で賑わうショッピングモールの一角、その通路では一人の男性従業員が恐る恐ると言った様子で一人の人物に話しかけていた。
それもその筈、店員が話し掛けた人物は真っ黒なローブらしき物を被り、それで全身を覆っている……要するに不審者の恰好をしていたのだから。
「............」
彼が纏う暗褐色の恰好は、白を基調として綺麗な印象を与えるモールの内装とは対照的で、対比の効果もあって非常に目立つ。
その上、従業員が何度呼びかけても反応せず無言のまま、ただひたすらに通路の真ん中で立っているのみ。ローブと仮面のせいで顔が窺えないのもあって、その気味の悪さは突抜けて際立っていた。
「お、お客様?」
「…………」
「弱ったなぁ、もしかして外人さん? いつの間にここに立ってたのか知らないけど、他のお客さんの邪魔になっちゃうし……エクスキューズミー?」
「…………」
困り果てた様子の男性従業員は取り敢えず片言の英語で呼びかけてみるものの、一切の反応は無い。
周囲も段々この人物が気になって来たのか、スマホを片手に写真を撮り始める客が出始め、次第に無数のフラッシュが焚かれる様になっていた。
ここに至っていよいよ面倒事になるのではないか、騒ぎになってしまうのではないかと考えたその店員は、遂に謎の人物を無理矢理にでも動かす事に決めた。
「お客様、ここでは他のお客様のご迷惑になりますので、どうかこちらへどうぞ」
「…………」
普通に考えて通じている訳が無いが、それでも一応言ったと言う事実を作ると、そこで不審な人物へと手を伸ばす。
「済みませんが、こちらへ……」
「…………」
こうなれば仕方ないと、店員の男性がローブの袖を掴んで強引に引っ張ろうとしたその瞬間。
――蛍光灯の光に照らされて僅かに一瞬だけ、鈍色の光が煌めいた。
「……は?」
突然の眩しい光に思わず彼が目を閉じ、そして再び目を開けた時、彼は絶句する。
何故ならば、そこには血を噴きだす彼自身の腕と、綺麗に切断された彼の肘から下が床に転がっている光景が広がっていたのだから。
切断部からは止めどなく血が溢れ出し、白い綺麗なタイルを真っ赤に染めて行く。
「…………」
自分には一生起こり得ないと思っていたその非現実的な光景に固まり、ただ茫然と呆気にとられた様に突っ立っていた男性従業員だが。
「う……うわぁぁぁぁぁぁあっ!!? 痛いっ! 腕が! 俺の腕が!!?」
思い出したように激痛で悶え始めた彼は、恐怖の余り腰を抜かしていた。
彼には何が起こっているのか、何も分からない。そしてそれは、一部始終を見ていた他の客もそうであった。
皆誰もが一様に、当たり前に、今日この後の事を考え、明日の事を考え、数年後の事を考え、やがてそれは実現するものだと考えていた。
もしかすれば明日なんて来ないかもしれない……。そう考えていた者は、少なくとも彼らの中には皆無だった事だろう。
「俺の、腕……が!! 助けてくれぇ!」
「…………」
痛みと恐怖の余り引き攣った顔になりながら、腕を斬り飛ばされた男性従業員が不審人物――いや、もはや危険人物を見て叫び声を上げる。
その危険人物の右手には剣らしきものが握られ、それは蛍光灯の光に照らされてその綺麗な刀身を惜しみなく周囲に晒していた。
だが、錯乱でもしたらしい従業員はそんな事に注意を払う余裕も無いのか、その場で頭を振り乱して叫ぶのみ。
「だっ、誰か――ぁ?」
そのまま発狂しそうな勢いであった彼だが、全てを言い終える前に……首を、飛ばされた。
「............」
一拍置いて地味な音と共にそれは床に転がり、残った体は前のめりに崩れ落ちると切断部より大量の血を流しながら二度、三度と痙攣している。
切断面から吐き出される大量のそれは、先程までの比ではなく。赤いインクを床に零してしまったかのように、見る見るうちに赤い水溜まりは大きくなって行った。
『…………』
驚くほど呆気なく、瞬く間に抜け殻と化した、元人間――今は、ただの死体。
その余りに衝撃的な出来事に、その場に居た誰もが信じられない気持ちで絶句し、硬直していた。
……そして、目の前の現実がはっきりと視認されたその瞬間。
「いやぁぁぁぁぁぁあっ!!!」
「逃げろぉぉぉぉぉおっ!!」
「うわぁぁぁぁぁぁあっ!!?」
「誰かっ、誰かーーーっ!!」
目の前で起こされた惨劇に、それに伴って湧いてくる恐怖に、その場の誰もが血相を変えて逃げ惑うのだった。
◆◇◆
今日が金曜日だと言うのが大きいのだろうか。遊ぶ気満々らしい学校帰りの高校生が割と多くみられるショッピングモールの三階に、俺と麗奈は居た。
建物内に並ぶ店はそれぞれがちょっとした商店くらいの大きさで、今居る小物店も多分に漏れずその通りである。
店内は木目調の床と壁紙に、棚が立てられ立て掛けられ、小物が飾られて居たり、ストラップなどがフックにぶら下げられ大量に並んでいた。
「これとか、どう?」
「んー......」
ここで具体的に何をしに来ているのかと言うと、麗奈の欲しがっているストラップを買いに来たのだ。
しかも俺の金で、である。
おまけにこの後は更にアイスを奢る約束をさせられ……もう踏んだり蹴ったり散々な一日と言っても過言ではない。
それもこれも今目の前に居る少女が原因なのだが、彼女はそれを知ってか知らずか、嬉々として俺へ話しかけて来る。
「ねぇ、慶司としてはどっちが良い?」
「……こっちかな? 断然猫派だし。周りはどう思うか知らねーけど。百鬼くんの影響のせいか、最近は猫の可愛さに気付かされてさ」
「いや、そこて百鬼くんの話は別に良いんだって。今は慶司に訊いてるんだから」
犬か猫、そのデフォルメされたイラストのストラップの内、犬の方を戻す麗奈は、そう言うと本当に嬉しそうな笑顔を俺に向けて来る。
だがそれを見た俺は.彼女の楽しそうな表情に視線を釘付けにされていた。
「…………」
「慶司?」
「あ、ああ悪い。気にすんな」
しっかりしろというように、自分に言い聞かせるように、両手で頬を軽く叩く。
それを見て、再び不思議そうに首を傾げる彼女へ何でもないと首を振ると、麗奈もそれ以上の興味を失ったらしい。彼女は踵を返すと、ストラップがぶら下げられて並べられた壁を指す。
「あ、じゃあこの辺のストラップならどれが一番好き?」
「はぁ? 随分種類が多いなコレ……」
二十種類くらいある。幾らなんでも多過ぎだろう。
ずらっと並べられたストラップを見て驚く俺は、少しばかり考えを纏めようと口を閉じたところで……不意に聞き覚えのある幾らかの声を耳にする。
「あれ、慶司と高田さん? 買い物ってここかよ!?」
「そう言えばケイジが何処で買い物するか、聞いてなかったね……」
「興佑! アレン!?」
どうやら同じ店に居合わせたらしい親友二人と遭遇し、思わず麗奈と顔を見合わせる。
ばつの悪そうな、申し訳なさそうな顔をする興佑とアレンだが、俺と麗奈は別に気にする必要が無いと告げようとした、が。
「そう言えば、ついさっき五百蔵も見かけたんだわ。面倒事になるかもだから、一応伝えとくぜ」
「ああ、あの馬鹿が? 部活はどうしたんだか。取り敢えず情報あんがと……ん?」
忠告をくれる興佑に礼を述べた、丁度その時。
俺の目が、人混みの中に件の人物を発見した。
そう、あの五百蔵 朋紀が小さいながらも確かに確認できたのだ。
まさかの状況に、噂をすれば何とやらだと思わず渇いた笑いが漏れてしまう。
何故なら年がら年中彼女を求めて彼は現在、リア充への恨みが天元突破中なのだ。
具体的に何があったのかは知らないが、リア充カップルは問答無用で別れさせると言って憚らない程である。もっとも、実行に移している気配は無いしあくまで冗談の範疇であるように思っていたのだが……。
「あの、朋紀先輩? 本当に見たんスか?」
「この目でしっかり見た! 高田さんと長崎が二人で歩いてるのをな! あんなのは……あんなものは絶対に許されん!! 許せん!!」
衆人環視の中、後輩を巻き込んで怪気炎を上げるヤバい奴・五百蔵 朋紀。
普段彼女が出来ない事を嘆いているが、こんな馬鹿な事をしていればいつまで経っても出来ないのは当然かもしれない。
「……ワ、ワーニング。滅茶苦茶危ないね、今のイオロイは」
「そんなモン見りゃ分かる。目が逝っちゃってるし」
本気で目が血走って居り、それに率いられたサッカー部の後輩も彼につられて若干怪しい雰囲気が漂っている。
俺を含めた四人は慌てて商品陳列棚の影に隠れるが、参った事に五百蔵がここから動き出す気配がない。
彼の後輩は俺を探しているのか四方に散ったものの、彼だけが動き出さないのだ。
早く立ち去ってくれないかなと念じ続けて、一体どれ程経っただろう。
「――お客様。少々お時間宜しいでしょうか?」
『え?』
唐突に、小物店の店員が背後からこちらに声を掛けて来た。
どうやらジッと商品棚に姿を隠し、身を屈めている事が如何にも怪しく感じられたのか、その女性店員は明らかにこちらを疑っている様な目で見ていた。
確かに客観的目線で見ると、商品を並べる棚の影に隠れ、何事かを小声で話している四人組など怪しくない訳が無いのだ。
だから、普通の危機管理能力がある店員なら放置などする道理は無い訳で。
――満場一致で、長崎慶司の脳内議会は自分自身を不審者認定します!
少し迂闊だったなと反省している間にも、その女性店員は最早警戒の色を隠そうともせず話を続けて来る。
「そこで何を為さっているのですか? 念のため、こちらまで来て頂いても構わないでしょうか?」
「いえ……その……」
いまこの場を動くのは勘弁願いたいと言うか何と言うか。今動いたらあの目が逝ってる五百蔵に見つかってしまうのだ。
悪い事は重なるものだなと、慌てていると、それが余計に怪しさをに拍車を掛けてしまったのだろう。
女性店員の視線が一層険しくなって行く。
「もしや、万引きでは無いでしょうね? 特にそこの貴女、その手に握ったストラップをどうするつもりですか?」
「ち、違いますっ!! これは慶司に買って貰おうと思ってたんです!!」
「そうですよ! 俺らはただ、見知った顔が居たから隠れただけで……あ」
『あ』
ハッとした時にはもう既に遅し、そこには店員に反論する麗奈と俺を凝視した、五百蔵の姿があったのだから。
◆◇◆
「――まさか、お前らの方から見つかりに来るとはな」
「見つかりたかった訳じゃねえんだけどな」
「目の前の店でいきなり立ち上がってデカい声上げた奴が何言ってんだか」
「っ」
ずず、と紙コップに入ったジュースをストローで飲む五百蔵に自滅を指摘され、言葉に詰まる。
それを見て勝ち誇った様に鼻を鳴らす彼は、フライドポテトを一度に三つほど、口に含んで咀嚼していた。
「ごめんね、タカダさん。ボクらはも一緒になって隠れるんじゃなくて、イオロイを別の場所に誘導すべきだったよ」
「ううん、気にしないで。あれは私と慶司が声を出しちゃったからだし」
青い目を細め、その彫りが深く整った顔立ちに申し訳なさそうな笑みを湛える少年の言葉に、麗奈はヒラヒラと手を振る。
今、俺たちがいるのはショッピングモール内にある落ち着いた雰囲気のフードコート、その座席である。
そこには俺と麗奈の他に興佑、アレン、五百蔵が一緒に座り、その近くに五百蔵の後輩たち四人がモリモリとハンバーガーとポテトを食いまくっていたのだ。
「「「「長崎先輩、ありがとうございます!!」」」」
「おう……泣いて感謝しろ」
実際、こっちが泣きたい。どうして君たちの分まで奢らないといけないのか。
それというのも、ファストフード店なのに彼ら四人分だけで二千五百円近く飛んだのだ。
「悪いな長崎、俺の分だけじゃなくて後輩の分まで奢ってくれて助かるぜ」
「奢らせたの間違いだろ。って言うかお前、サッカー部はどうした? 練習は?」
「元々休みの予定だったんだよ。それにしても高麗たち容赦ないなぁ。全員が割と高めの商品を注文してやがる」
仲良く談笑しながら食べている自身の後輩を見て、彼がそんな事を呟く。
……でも、そこまで思うならそこの後輩君たちへ「程々にしとけ」って言って欲しかった。五百蔵自身でさえ俺の財布に配慮したのか、安くて小さい奴選んでいたのに。
……そんな事を思っていたら、不意に五百蔵がポロリとある呟きを零した。
「まぁ、俺がついさっき『長崎に容赦なく集れ』って言ったんだけどな」
「おいテメェ、ちょっと話がある」
“リア充税”だと訳の分からない事を宣う彼の肩に手を乗せ、俺は怒気を極力抑えた声で言う。
だが、俺の正面に座る興佑が執り成すように、しかし何処か面白がるように会話へ割って入って来た。
「落ち着けよ、慶司。元はと言えばお前が高田さんと出掛けて、五百蔵に見つかったのが悪いんだしな」
「いやどうして俺が悪い事したみたいになってんだ。おかしいだろ色々」
そもそも俺は誘われただけ。しかも強引に。
そう思ったのだが、そこで興佑が更に訳の分からない事をほざく。
「リア充には罰を。これって正義だよな、五百蔵?」
「正義だな。因って慶司、お前は有罪。罰としてこいつらに飯を奢ってんだよ。本当なら俺と桜井とアレンにも奢って欲しいくらいだ」
「ごめん最初から何言ってるか全然分かんない」
意味不明なアイコンタクトを交わし、意味不明な裁判を展開する馬鹿二人。見ていて飽きないが、標的が俺一人なので疲れると言ったらありはしない。
いい加減面倒臭いので、今のところ意味不明な二人のノリに乗って居ないアレンへ水を向けてみる。
「アレンたちはこの後どうする? 結構散財したし、俺と麗奈はそろそろ帰るけど?」
「うーん、特に決めてないんだよね。暇だからキョウスケと一緒にここまで来た訳だし。そんな訳だから、ボクは暫くケイジ弄りを観賞させて貰うよ」
「最低か」
人の不幸を面白がらないで欲しい。
後でこの男をシメてやろうと心に誓っていると、その思考に割って入る五百蔵の、食って掛かるような質問。
「ってか、本当にお前と高田さんは付き合ってないんだな? 突き合ってないんだな!?」
「うるっせえよ馬鹿。終いには張り倒すぞ。何度も言わすな」
小学校から一緒に居る事が多かったのは確かだし、その頃から度々周囲に弄られて来たからもう慣れたが、正直そろそろ止めて欲しい。
最近では見慣れた筈の俺ですら、彼女を見て時折、あくまで時折見惚れてしまうのだから。一瞬見惚れてしまう程度で済むから良いものの、そんな彼女と付き合う云々言われるのはちょっと嫌だ。
俺は俺、麗奈は麗奈で、只の仲が良い幼馴染。それ以上でもそれ以下でも無く、互いにその居心地の良い関係を望んでいる。
何より年がら年中冴えない顔を晒している人間と、端整な顔立ちの麗奈では釣り合いも取れない。
仮に彼女を好きになったとして、結局はそれらの部分が邪魔をして告白すらできないだろうなと、そう考えると僅かばかり苦笑が浮かんでしまう。
自分自身が情けないと、自嘲していたそんな時だった。
――幾つもの、悲鳴が聞こえたのは。
「いやぁぁぁぁぁぁあっ!!!」
「逃げろぉぉぉぉぉおっ!!」
「うわぁぁぁぁぁぁあっ!!?」
「誰かっ、誰かーーーっ!!」
フードコートの喧騒を突き破り、階下から必死さを滲ませたそれら絶叫が響いて来たのだ。
その余りの声の大きさに、必死さに、このフードコートだけでなく建物内の他の場所も呆気にとられた様に静寂に包まれていた。
誰もが周りと不安そうに目を合わせ、小声で何かを話し合う。だが、その間にも階下からの喧騒は、悲鳴は増すばかりで一向に収まる気配が無い。
それが尚更人々の不安を煽り、やがて囁き声で遣り取りされていた声は次第に大きくなって行き、これまでとはまた別種の騒がしさがこの建物内を支配していたのだった。
「何だよ、この声?」
「さぁ? 何かのドッキリ企画じゃないかな?」
「それにしちゃガチっぽい悲鳴がしたぜ?」
「慶司、どう思う?」
「いや知らん。見に行ってみるのが一番手っ取り早いけど……何か怖いな」
幾らなんでも悲鳴が上がっている時間が長すぎる。
そう考えながら麗奈へと答えていた丁度そこへ、フードコートの程近くにあったエスカレーターを駆け上がる、一人の中年男性の姿があった。
明らかなマナー違反ではあるが文字通り血相を変えた、息せき切った様子に、周囲に居た誰もが彼へと注目する。
そんな数多くの注目を集めていた彼は、こう言った。
「さっ、殺人だッ!! 人殺しが……剣を持った人殺しが、襲ってくるぞ!!」
「「「……?」」」
必死にそう叫ぶ男性。しかしその言葉の意味を理解できない、或いは真に受けず、誰もがただ無言で互いの顔を見合わせて、人によっては馬鹿にした様な笑みを浮かべていた。
その様子に苛立ったのか、彼はより一層声を荒げてもう一度叫んだ。
「良いから逃げろっ!! 殺されるぞ!!?」
それだけ言うと、彼はこちらへは二度と視線を向ける事無くフードコート内を駆け抜け、姿を消すのだった。
だが、それでもなお人は動かない。幾人かは不安そうな顔をすれども、大多数は結局何の行動も起こさないのだ。
そしてそれは、俺達も同じだった。
「……取り敢えず、コレ食い終わった全員で下の様子でも見に行ってみるか?」
「そうだね、賛成」
残り少なくなってきたハンバーガーを一気に口へ押し込みながらそう言うと、アレン達もまた頷く。
はてさて、階下の喧騒は一体何事なのかと幾らかの予想を浮かべていたその時。
「……ゔぁ?」
フードコートの隅、取り分けエスカレーターの程近くにある席から、言葉になって居ない声が聞こえてきた。
そのおおよそ人が出すような声とは思えないそれに、誰もが視線を向けると。
「…………」
「ぁ……?」
そこには胸から剣を生やした一人の女性と、それを無造作に突き立てた姿で佇む、黒尽くめの人物が立っていたのだった。
『…………』
しかし、それを見ても誰一人として声を上げる事は無い。
その余りに非現実的な風景に、誰もが理解など追い付かなかったのだ。
俺達を含め、誰もが驚愕し、絶句し、硬直した空気の中で、ただ階下からの悲鳴のみが響き渡っている。
……そんな中で、不意に切羽詰まった放送が流れる。
『皆様に緊急のお知らせが御座います!! ただ今、このショッピングモール内にて重大事件が発生致しました!! 皆さま、係員の指示に従って静かに、速やかに避難へ移って下さいっ!! 尚、不審人物は剣を持ち、今もモール内を歩き回って居ます!! もし遭遇したら直ちに逃げて下さいっ!! 繰り返します、ただ今――』
「不審人物?」
「……殺人、犯?」
誰かが、目の前の光景を前にして小さくそう呟いた。
もう既に事切れた女性の体から剣を引き抜き、無言で佇む黒尽くめで剣を持った謎の人物。
無言のままそこで動きが完全に止まったのかと思えば、そうでは無く。
「…………」
「えっ……?」
そして次の瞬間にはその場から彼の姿は掻き消えて、今度はここから離れた席にいた一人の女子高生の首を、斬り飛ばしていた。
直後に吹きあがる鮮血、宙を舞う首、糸が切れた様に倒れ込む体。
ゴトンという地味な音を立てて転がった一人の少女の生首は、その開き切った目は、自分の身に何が起きたのかすらも理解出来ていないようだった。
「「「…………」」」
どうやったのか。それは見ていた俺達ですら分からなかった。
ただ、急に謎の人物の姿が消えたと思ったら、次の瞬間には少し離れた場所に居た筈の少女が殺された。
今も尚、痙攣する首無し死体を無感動な目で見下ろす、謎の人物。
それはまるで瞬間移動でもしたかのような、不思議な出来事だった。ただハッキリ言えることは、この者が不審人物……いや、殺人犯であるという事。
そして再び彼が動いた時、誰かが距離の遠近も問わず殺されて居るかもしれないという事のみである。
一向に動き出さなかった人々もこうして事実の認識が出来れば、後は早かった。
「逃げろぉぉぉぉぉおっ!!」
「殺されるぞーーーっ!!」
「きゃぁぁぁぁぁあっ!!!」
「退けよっ!!」
「うるせぇ、お前が退けっ!!」
凄まじい悲鳴と共にその場に居た誰もが、一目散に逃げだしていたのだった――。