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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第二章 イテツクココロ
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第三話 モンスターエフェクト①

 狩猟者組合(ギルダ・ウェナトルム)


 元々バラバラであった狩猟者(ウェナトル)同士が、一つの都市や農村内で相互に情報交換や扶助を行った事に端を発し、その寄り合い所帯が前身である。


 尚、その際に権力者が当てにならないからと各地の地主などと言った有力者が援助を行った事も形成の一助となっている。


 やがて、より円滑に活動を行う為に段々と各地で組織化され、発達して組合(ギルダ)の一つとなったのだ。


 現在では各都市、各地のそれらが緩やかに連携・連絡を取り合って足並みを揃えている為、これら全てを指して狩猟者組合(ギルダ・ウェナトルム)と呼ばれている。


 その役割は至極単純で、頻繁に発生する妖魎(モンストラ)の駆除依頼を仲介する事。


 依頼主が依頼と共に報酬金を組合へ提示し、それを組合が審査した上で狩猟者(ウェナトル)に依頼として張り出す。


 依頼を受注した狩猟者(ウェナトル)は契約金を支払い、達成出来れば契約金が返還され、報酬金も手に出来る。


 逆に失敗すれば契約金を失い、報酬も無し。


 因みに、組合は依頼主の提示した報酬金から一、二割を手数料として徴収し、これが主な収入源となっているらしい。


 そして、この組織が生じた事によって、今までは成らず者が気儘に行っていた狩猟がより効率よく、円滑に行えるようになり、以前に比べたら安定性だけでなく社会的信用度も増した。


 もっとも、己の命と体を資本としているために危険なのは相変わらずで、おもに食い詰めた者などが多く、相変わらずガラが悪い。


「けど、妖魎(モンストラ)を狩るってのは素人に出来るもんじゃねえから、狩猟者組合(ギルダ・ウェナトルム)ってのは街の政治にも結構影響力を持ってんだ。ついでに言えば武器も持ってるから、非常時には傭兵としても雇える」


「……まぁ、確かにその二つに余り違いは無い気もする」


 ボニシアカ市内へと戻り、市街地を歩きながらアロイシウスの言葉に合槌を打つ。


 彼から聞かされる話の一つ一つが農民であった俺の耳には新鮮に聞こえ、思わず聞き入ってしまう程に。


「どうだ? これだけの話を聞いて狩猟者(ウェナトル)になってみたいって思わないか?」


「確かに魅力的ではあるけどなぁ……」


「クィントゥス、俺らと一緒にここで金稼ごうぜ! その袋があれば一度にそれなりの素材が運べるし、持ちきれないから頻繁に素材破棄するって事も無くなる」


 俺が名乗った偽名で呼びかけながら、彼は尚もこちらを勧誘してくる。


 しかし、流石にここで首を縦に振ることは出来ない。


 下手な組織に加入した結果、変な(しがらみ)に囚われるような事は御免なのだ。確かに彼の持つ情報は非常に有用で価値があるものであった。だがそれでも、懸念と共に天秤にかけてみれば到底了承できるものでは無かった。


「それなら俺が狩猟者(ウェナトル)になる必要もないだろ。何かあった時にはお前らと組めば良いだけだし、いつも一緒に行動する必要もない筈だ」


「いやそりゃまぁそうだけど……報酬金とか、手に出来ないぜ? 確かに、俺が受け取ってから分け前を渡せば良いだけだがよ、こーゆーのは組合(ギルダ)に入っとかないとそっちから睨まれちまうんだ」


 曰く、狩猟者組合(ギルダ・ウェナトルム)へ登録せずに妖魎(モンストラ)を多く狩猟してしまう事は余りよい事と見做されず、場合によっては権限・仕事を侵害しているとして私的な罰を言い渡される事もあるのだとか。


 言ってしまえば余計面倒臭い事態になりかねないという事であり、脅しているとも取れる彼の言葉に長めの溜息を吐いてしまう。


「登録には、どんな手間が発生する? あと、束縛されるような事は?」


「登録は簡単、ただ名前を書けばいい。加工されてそれが割符になり、身分証としてお前に支給される。登録後の義務としては、実力者以外は基本的に何も無い。ただ、何年も活動していないと登録が抹消されるけどな」


 こちらの反応を見て手応えを感じたのか、アロイシウスは目を覗き込みながら更に畳みかけて来る。


「流石に最初は下級狩猟者(インフェルス)から始まるけど、牙猪(アペルンテス)を倒すお前の実力ならすぐに中級狩猟者(メディウス)へ上がるのは間違いないぜ」


「……分かった。一先ず、この素材を売り払ってから向かう。それで良いだろ?」


「構わないぜ、なぁ?」


 渋々ながら承諾させられた俺を見て笑う彼は、その背後に居た仲間の二人に同意を求め、尚も後を付いて来る。


 どこまでついて来るのだろうと思いつつ、この都市に来てから通い詰めているゲヌキウス商店を訪ねていた。


 するとそこでようやく彼らは待つ気配を見せ、アロイシウス達は店の入り口で待機してくれた。


 正直監視されているような気がして息苦しいし、気まずかったので、ちょっぴり安心した。彼らの視線から解放されて、強張っていた肩の力が抜けた気がするのだが、当然そんな態度は微塵も見せずに窓口を訪ねる。


「どうも、こんにちはー」


「いらっしゃいませ」


 右手に持っていた槍を立て掛けながら窓口で呼びかけてみればすぐに反応があり、しかし顔馴染みの買取商人とは別の男性が姿を現す。


 何度か買取の際に見た事のある人物だったが、どうやら今日は担当者が違うらしい。


「買取、お願いします」


「分かりました」


 そんな彼へ袋から取り出して提示したのは牙猪(アペルンテス)の鋭牙を含めた頭部、毛皮、肉、妖石(サクスム)。尚、血抜きの為されたその肉は幾つかを自分用に確保済みである。


 取り出しながら自分に比べて遥かに手際よく、綺麗に剥ぎ取られたそれら素材に、感心せずには居られない。


「前々から貴方を見かけては思ってましたけど、その袋珍しいですよね。自分の記憶ではそこそこ良い値段になると思います」


「これですか? よく言われますけど、貰い物なんで分からないんです。でも便利なんで、ぼんやり貴重だろうなとは」


 そんな遣り取りをしながら、彼による素材の査定が続いていく。


 時折感心したように明かりへ翳し、撫でて見たりするそれは十分と少しの時間であり、やがてそれらが終わったところで計算を始めていた。


 ささっと木の切れ端に書かれていく数字らしきものを眺めながら、その筆記速度に少し羨ましさを覚えずには居られない。


「……出ました。合計で一万T(タレト)ですね。それで問題が無ければ買取代をお支払いします」


「良いですよ、お願いします」


 差し出した俺の右手へ大銀貨(アルゲンテウス)が一枚、つまり一万T(タレト)が硬質な音と共に乗せられ、しっかりと握る。


 それをしっかりと懐へ仕舞い、礼を述べて店を後にすれば、そこには退屈そうな顔をして人の流れを見ているアロイシウス達の姿があった。


「買取、終わったぞ」


「ん、ああ。幾らになった? そこそこ良い値段になったと思うけどよ」


「一万T(タレト)だった。剥ぎ取れる素材が多いと本当に実入りが良いな。ここ三日くらいで最高の収入だぜ」


 これで数日の宿代だけじゃなく、飯代を支払っても御釣りが来る程度の金が一度に入手出来たのだ。


 ホクホク顔で彼にそう告げた……が。


「……たった一万? おいクィントゥス、そりゃおかしいぞ」


「え?」


 堅い表情と声音でそう告げられ、体が強張る。


 一体何がおかしいのか。ひょっとして何か失敗でもしたと言うのか。


 何を考えても思い当たる節など無く困惑していると、彼は右の人差し指で俺の鼻を指差しながら口を開いた。




牙猪(アペルンテス)の素材だってのに幾らなんでも安すぎる(・・・・)。お前、ぼられ(・・・)てるぞ」



 その言葉の意味がすぐには理解できず、硬直してしまっている俺に「待ってろ」と告げた彼は、仲間の二人も連れて店の中へと消えていく――。





◆◇◆





「いんやー、たんまり貰ったねえ」


「がっぽがぽだ。今夜は景気良く使うか?」


「それもありだな。だがまずはクィントゥスを組合(ギルダ)に連れてくぞ。話はそれからだ」


 占めて、十万T(タレト)


 それがアロイシウス達の得た金額。


「クィントゥス、お前は自分がただの旅人だって言ってたな。つまり素材の価値を知らないから、カモだと思われたんだろうよ」


「じゃあ、今までも……?」


「かもな。けど、今日だけ担当者が違ったんだろ? それじゃ確証がねえ。仮に騙されていたとして、これまで損して来た分は授業料だと思うんだな」


 金額の内訳で四万Tが売却した牙猪(アペルンテス)の素材に着く筈だった適正額で、つまり先に受け取った一万Tと併せて本来の買取額は三万Tだったようだ。


 残りの七万Tはどうやらアロイシウス達が口止め料として徴収したらしく、三人の顔持ちは明るい。


 素材代の三万Tと更に口止め料の分け前は一万Tほど貰ったが、それでも三人の手元には六万Tほど残ったので何かを考えているらしい。


 一体何をしようと言うのかと思いつつ、何処か浮ついた雰囲気のある三人の先導に続いていると――。


「着いたぞ、ここが狩猟者組合(ギルダ・ウェナトルム)のボニシアカ支所だ」


 そこには大通りの十字交差角に面した四階建ての建物が建っており、それは他と比べて一回り大きい。


 大きさ以外は他の建物とそう変わらず、全体的に茶色などの石やレンガなどで造られた地味な色合いで、目立つ部分としては外壁に損傷が多い事だろうか。


 ついでに言えばその建物の周りで屯している連中がどう見ても堅気(かたぎ)では無いし、下手に目でも合わそうものなら文句を付けられる事請け合いに思える。


「うわぁ……」


 つい数日前にも訪れて、如何にもな荒々しさを前にして遠巻きに眺めて帰った時と、変わらない姿がそこに在った。


 すると、そんな反応を見て苦笑する気配を見せたアロイシウスが軽く咎めるように言う。


「おいおい、そんな顔するんじゃねえよ。それじゃ余計に絡まれちまうぞ。何でもない風を装え」


「何でもない風って……そもそもどうすりゃ良いんだよ?」


「俺の後に続いて胸張って歩け。それと何があっても俺の背中を見ろ。行くぞ」


「えっ……いや待ってくれよ!」


 それだけで、返事を待たずに進んでいく彼の背中を追い駆けながら呼びかけるが、しかし彼は振り向かず、代わりに周囲に居た狩猟者(ウェナトル)らしい数人の男達に睨まれる。


 視界の端に映るそれら全員、体の各所に傷が認められ、その威容たるや子供であれば泣き出してしまうのではなかろうか。


「キョロキョロすんなよ。面倒な事になる」


「まぁ、睨み合う程度で済む事が多いけどな、でも注意するに越したことは無いぜ」


 後ろに居るアロイシウスの仲間二人も低く抑えた声で忠告してくれ、それもあって意識して正面だけを見続け建物へと入っていく。


 開け放たれた複数の入り口の一つを潜ってみれば、そこは採光がしっかりしているのか程良く明るい。

オマケにテーブルと椅子も数があって、ちょっと鼻につく異臭を無視すれば室内は割と整っていた。


 階段とカウンターのある建物奥では、二つの窓口の間に板が立てられており、そこには幾らかの紙が貼られている。


 その紙には何事か書かれてあるようで、それを複数の男たちが各々見ていた。


 しかし文字が読めないので何が書いてあるか分からないし、仮に読めたとしても今の距離では流石に見えない。


 なので今度は視線だけを左右の壁へ向ければ、そこでは誇示するように妖魎(モンストラ)の素材らしいものが飾られていた。


 壁板には手柄を尚更誇る事が目的なのか殴り書きのような力強い文字が幾つも添えらえているものの、やはり読めない。


 そうであっても素材をゆっくり眺めて居たい気分になりかけるが、この建物内にも多くの狩猟者の姿がある。周囲に視線を走らせるのも程々に、先を行くアロイシウスの背中を見据えていた。


 気付けば建物奥のカウンターまではあと少しの距離で、板に張られた紙の文字も見えるくらいの距離となっていた。


 ただし、当然ながら見えたところで読めないのだが。


 こう言う時に字が読めると便利なのにと、ミヌキウスから譲られた地図の事を思い出すが、勉強しようにも何から手をつけて良いのか分からない。


 故に、どうしようもない。


 思考にして一秒にも満たない間に結論を下し、文字の事は忘れようとしている、と。


「おい、これは何て書いてある?」


「“翼蜥(アキディアラ)一頭の狩猟、報酬金は八千T(タレト)。契約金は二千T”」


「……チッ、じゃあこっちは?」


「“矮猿(ゴベリヌス)三頭の狩猟、報酬金は三千T。契約金は五百T”」


 刺々しい態度を見せる一人の男が指さした紙を、一人の灰髪をした少年が音読していく。

どうやら文字が読めない人の為に代読してくれる者が居るらしい。


 恐らく張り出されているそれらの紙が全て、狩猟者(ウェナトル)へ向けられた依頼なのだろう。


 しかしその少年の身形は余り良いと言えず、事実その近くを通り過ぎる際には、強い匂いが鼻腔を刺激していた。


 後でアロイシウスから聞いた話では、このような仕事をしている子供はその多くがスラムに住む孤児などであるそうだ。


 俺自身、旅をしている最中は体を洗う機会など碌に無く、酷い匂いには慣れたものだと思っていたのだが、実際はそうでなかったらしい。


 上には上が居るものだと思いつつ先導する背中についていくと、カウンターに行き着いたその足が止まる。


「いらっしゃい、何の用だい?」


 彼の背中に隠れて見えないが、その向こうからは余り愛想が良いとは言えない職員男性の声が聞こえて来る。


 すると、彼はカウンターへ上体の体重を乗せながら慣れた様子で何かを取り出す。


大毒蜥蜴(ラケルプラ)の狩猟を受注していたアロイシウスだ。報酬達成の清算をしたい、コイツが討伐証明部位だ」


「ああ、アンタか。ちょっと待ってろよ……」


 差し出されたそれ――何かの爪らしいものを受け取った受付の男は一度引っ込むと、暫くして戻って来た。


「依頼の達成が確認された、コイツがその報酬と契約金だ。間違いは無いな?」


 盆の上に乗せられた硬貨を確認し、アロイシウスは一つ頷くと取り出した皮袋の中に仕舞っていく。


 果たしてそれが幾らなのかは、数えている時間も無かったので分からないが、二人の様子から見るにそこまで高額では無さそうだった。


 それから挨拶もそこそこに窓口を後にした彼は二階へ続く階段を上り、俺もまたそれに続く。


「今度は何をするんだ?」


「何って、そりゃお前を狩猟者(ウェナトル)として登録するんだよ。ついでに俺らが剥ぎ取った素材もここで売却する。お前の場合はほら、まだ未登録だったから売るに売れなかったんだわ」


 階段の壁にも飾られている牙だったり頭蓋骨だったりを見ながらアロイシウスの背中へ訊いてみれば、彼は振り返って一度足を止める。


「因みに、依頼の報酬金がちょっと安い理由があってな、俺達は剥ぎ取った素材を、ここで売却する事でより金を手にする事が出来るって訳よ。しかも、売却の際にぼったくる様な真似はしねえしな」


 もしそんな事がバレたら素材の売り手が消えてしまうし、信用も失ってしまうからと笑う彼を見て、ひとり納得している自分が居た。


 だからさっきの店、ゲヌキウス商店は素材を買い叩いていた事実を、大枚を支払って隠そうとしたのかと。


 嫌に高い口止め料だとは思っていたが、アレにはそれだけの重大な理由があったのだろう。


 もしかすれば、これから先もこのネタであの店を強請(ゆす)るかもしれない訳で。


「お前ら、割とえげつないな……」


「はてはて、何の事やら?」


 幾分か引き攣った顔をせずには居られないこちらの言葉に、三人はまるで惚けるような顔をしていた。





◆◇◆





 狩猟者(ウェナトル)


 古くは冒険者(インガダトリクス)探索者(エクスプロラトル)と呼ばれた者達が、現在では狩猟者組合(ギルダ・ウェナトルム)という組織の構成員の一つとなっている。


 しかしながら荒れくれ者が多く、それらを統制する上で組合(ギルダ)はある一つの制度を設けた。


 それは彼らの実力をある程度反映させた、階級制。


 下から下級狩猟者(インフェルス)中級狩猟者(メディウス)上級狩猟者(スペルス)、そして特級狩猟者(スペルラティウス)


 この階級に(のっと)って狩猟者(ウェナトル)には仕事が提示され、実力のある者は昇級していく。


 因みに、登録料は千T(タレト)である。


 当然ながら最初は下っ端も下っ端、下級狩猟者(インフェルス)から始まり、現に俺も粗末な一枚の木札を渡されていた。


 名前を書く場所は主に三つ。


 まず一面に大きく登録名を記入し、その後裏面の左右にもそれぞれ小さく記入する。


 これは当然ながら自筆であり、文字が書けなくとも受付の人が書いてくれた手本を見ながら記入する羽目になっていた。


 自分でも分かる程かなり不格好な文字の羅列になってしまったが、それでもどうにか判読できるらしいのは幸いと言えるだろうか。


 やはり文字の読み書きが出来るようにはなっておきたいと思いつつ、アロイシウス達の素材買取を眺める。


 ここはゲヌキウス商店とは異なり、鑑定者が複数いるようで、皆一様に黙々と剥ぎ取られた素材などを見分していく。


 やはり人手が多ければ物事はスムーズに進む様で、それは流れる様に終わり、その内の一人がカウンター越しに買い取り代金を口にした。


「全部で三千T(タレト)ですね。毎度あり」


「はいよ。ありがとさん」


 素材売却によって得た金を受け取ると、来た時と同様にして建物を後にして尚も三人へ続いていく。


 再び人の多い雑踏に繰り出したが、彼ら三人の足取りに迷いはない。


 はて次は何処へ向かうと言うのかと、彼の背中へ訊いてみようと思った丁度そこで、向こうから口を開いてくれた。


「クィントゥス、折角金も入った事だしどうだ?」


「どうだ、って?」


 ニヤニヤと楽しそうな顔をする彼らには申し訳ないが、何を言っているのか皆目見当が付けられない。


 するとアロイシウスは大仰に溜息を吐き、人差し指を向けて告げて居た。


「察し悪いなぁ。これだけ金が入ったんだ、この辺を少しぶらついたら娼館に行かないかってんだ」


「娼館!?」


 思いもしなかった彼の言葉に、目を剥いていた。


 ついつい大きな声で訊き返してしまう程にびっくりしている俺を見て、彼は他の二人共々面白そうに笑い、更に言葉を続けた。


「その様子じゃ行った事なさそうだな。けど、お前だって興味の無い歳じゃねえだろうに」


「いやまぁそりゃ……俺だって十三だし」


 ただただ、行く機会と金が無かっただけなのだから。


 特に、自分の身の上を考えればそんな事にかまけている余裕は無いし、わざわざ無防備になりに行くような危険を冒す真似をする訳が無かった。


「行こうぜ、な?」


「いや、悪いけど俺は行かない。大切な旅費をここで使う事は出来ないからよ。折角誘ってくれたけど、三人で楽しんでくれ」


「おいおい、ノリが悪いぜ。女知っといて損はねえだろうに」


 その後も再三誘ってくれる彼らを丁重に断り、俺は彼らと一旦別れる。


「しょうがねえな。明日、朝の八時くらいに組合(ギルダ)の前に集合だ、遅れんなよクィントゥス?」


「そりゃお前らの方だろ……」


 特に気分を害した様子もなく、気の好い笑みを浮かべている彼らにそれだけ言い返すと、人混みの中へと溶けていくそれらの背中を見送っていた。


 人々の影に紛れ、完全に彼らの姿が見えなくなったのを確認してから、俺は大きく息を吐く。


「娼館……娼館かぁ……」


 アロイシウス達にも言ったが、正直興味はある。無い訳が無い。滅茶苦茶行ってみたい。


 前世や村で暮らして居た頃には伝聞しかなかった幻の楽園が、この街にはあるのだから。


「……」


 ハッとしてみれば、レメディアにこの現場を見られたら何て言われたのだろうか、そしてクィントゥスにこれを自慢出来たらどうだっただろうと、自然な流れで考えてしまっている自分が居た。


 しかしあの顔も、あの顔も、誰も、あの日常すらも、もはや戻って来ることは絶対にあり得ない。


 これはもう届かない、叶うか分からない願望でしかない。


 それを抱く間があるのならば、今は生きる術を少しでも身に着ける必要がある筈だ。


 例えば、文字の読み書きであったり――。


 人の流れに従うまま歩き、穂先が簡易な鞘に収まった槍を右手に持ち考えを巡らせてみる。


 今日はそこそこの金が手に入ったのだ、そうであるならば武器の練習は一先ず置いて、別のものに手を出してみるのも良いかも知れない。


 気付けば、俺は先程書かされた自分の偽名の綴りを手中で書いていた。


 ――“クィントゥス”。


 アイツの名前って大体こんな風に綴るんだったかと、少し薄くなった綴りの記憶を辿りながら何度も書いて見て居たのだ。


 文字の書けない己が記憶だけを頼りに書いている以上、恐らく実際書いてみると誰も読めないものになっているだろうが、そんな事はもう関係なかった。


 じゃあアイツの名前は、コイツの名前は、俺の本当の名前はこの世界の文字だとどう書くのだろう――。


 考えてしまったら、もう止まらなかった。


 けれど、文字の読み書きを誰から教わると言うのか。


 どうしようもなくて頭を抱えそうになった丁度そこで、何の気なしに辺りへ目を向けてみる。


 するとそこに在ったのは、他よりも一回り大きい――狩猟者組合(ギルダ・ウェナトルム)の建物があった。


 どうやら徒然なるままに道を歩き回った結果、ぐるりと戻って来てしまったらしい。


 正直一人で入りたくない、入りづらい建物の中でも上位にあるそれを目にして思わず顔を顰めてしまうし、阿呆さ加減に自嘲が漏れてしまう。


 粗っぽさしかない、教養など全く無縁と言って良い荒れくれ者どもの集いの場。


 こんな場所で一体どうやって文字の読み書きを覚えろと言うのかと、すぐさま踵を返そうとした……が。


「――なぁ、お前って狩猟者(ウェナトル)なの?」


 ふと、踵を返し掛けたところで、一つの声に呼び留められていた。


 出来る事なら一刻も早くこの場から立ち去りたい身としては鬱陶しく思えて、少し睨む様な目になりながらも元の向きへと体を直す。


「俺の事?」


「そう。ついさっき他の三人と一緒に組合(ギルダ)の受付に居たよな?」


 正面に立つ声の主に目を向けてみれば、そこには他よりも遥かに貧相で薄汚れた格好をした、同い歳くらいの灰髪の少年の姿があった。


 それが何となく見覚えがあると記憶を探ってみれば、彼は組合(ギルダ)の建物内で依頼書の代読をしていた少年だった。


「確かにアイツらと居た。それで、何の用?」


「依頼を受けて欲しい。アンタ一人でも良いから」


「……内容による」


 思いもよらない言葉に眉を顰め、それと同時に探るような目をそちらへ向ければ、「ちょっと来てくれ」と手招きをされる。


 その先は狩猟者組合の建物内、それも二つの受付窓口に挟まれている、依頼書の張られた板の前であった。


「これを、受注して欲しい」


「これ……?」


 一番低い場所に張られている依頼書を指差され、少し腰を落として見る。


 もっとも文字がサッパリ読めず、困った様に彼の顔を窺えば、合点が行った様に依頼書の音読をしてくれた。


「“【大角鹿(アクリス)の角】一本の納品、報酬百T(タレト)、契約金五十T”。受けられる?」


「いや、報酬百Tは……幾らなんでも安すぎね? 俺あんまり貨幣価値に詳しくないけど、これじゃ割に合わねえぞ」


「知ってる。依頼出すとき組合(ギルダ)の人にも言われたけど、俺達にはそんな金無いから……」


 サルティヌスと名乗った彼はどうやら貧民街の住民らしく、病に侵された仲間を救うべく万病に効くとされる【大角鹿(アクリス)の角】を欲しているらしい。


 医者に治して貰えれば万々歳だが貧民にそんな余裕はなく、もはや藁にも縋る気持ちでここへ依頼を出したのだとか。


 しかしこちらが指摘した通り報酬金のせいで受注者は現れず、既にこのまま三週間が過ぎようとしているようだ。


「お願いだっ、俺に出来る事なら何でもするから、この依頼を受けてくれないか!?」


 このままではあいつらが死んでしまうと、彼は今にも掴み掛らんばかりの勢いで懇願してくる。


 その剣幕は、必死さは凄まじく、思わず後退ってしまっていたが、同時に懐かしさを覚える自分が居た。


 ――誰かに死んでほしくない、生きて欲しい。


 そんな気持ちを持って必死に生きていたのは、いつ頃までだっただろうか。


 前世で親友共々殺され、母親が死んでから暫くはまだ持っていたと思うその感情も、さらに多くの人が死んでいくのを目にして、とっくにすり減ってしまった。


 だから、寂しいとか感情を露わにする事が無くなってしまった。あの村に住んでいた頃は、レメディア以外は皆、揃いも揃って諦めていた。


 その感情をまだ、この子は持っている。


「……羨ましい」


「え?」


 ぽそりとこぼれ出た呟きに、サルティヌスが聞き返す。


 それを何でもないと首を振って誤魔化して、一つ確認をする。


「何でもするとか言ってたな」


「い、言ったけど……無理なものは無理って言うぞ?」


「じゃあ、俺に文字の読み書きを教えてくれ。それくらい、良いだろ?」


 見よう見真似で、他の狩猟者(ウェナトル)がやっている様に依頼書を板から勢いよく剥ぎ取ると、彼へ笑いかけてみる。


 すると、最初は呆気にとられた表情をしていたサルティヌスも段々とその顔に喜色を浮かべ始め、最後には満面の笑みを作っていた。


 そこに見えるのは安堵。


 本当に良かったと、目尻に涙まで浮かべている彼を見て、こちらもまた声を上げて笑っていた。


 仮に依頼を達成したとして、もしかするとこれは一時凌ぎでしか無いかも知れない、無駄かもしれない、彼らの絶望を先送りにしただけかもしれない。


 けど、それでも良い。


 自己満足でしかないけど、少しでも長くこんな風な笑顔が守れればそれで――。





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