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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第二章 イテツクココロ
27/239

僕は夢を見る④


◆◇◆



 ただ白弾が直進するだけでは、技が少なすぎる。

 では、他に新しい技術を習得する努力でもすると言うのか?

 いいや、そんな事が出来る可能性など全く無いに等しい。

 何故なら己には師と呼べる人が居ない。教えてくれる人が、居ないのだ。

 自分の魔法が、白魔法(アルバ・マギア)が一体どのようなものなのか、自身ですら良く分かっていないのに、新しい技術を身に着ける事が出来る訳もなかった。仮に出来たとしても、それまでに一体どれ程の時間を要する事か。


 出来るのは精々、応用や改良。


 その結果として生まれたのが、曲がる弾だった。

 ただし、対象目掛けて弾を追跡させるのではなく、自分自身がその意思で誘導するのだ。

 本当なら一度設定した軌道を通って誘導できれば一番良いのだが、まだまだ理解の浅い己にそんな技量はなく、意識を集中させなければ弾を統制出来ない。

 ただ、そうは言ってもこれだけでも自分の魔法の幅が大きく広がったと言える筈だ。

 この技を用いた事で、四M(メトレ)以上もの大きさを誇った巨大な熊を仕留める事に成功したのだから。

 しかし苦労して斃し、苦労して剥ぎ取れた素材は、胸部にあった頭大の妖石(サクスム)一つのみ。


「割にあってるのかそうじゃないのか......ぼったくられたりしたら溜まったもんじゃないな」


 血を除く事で明らかになった茶色い輝きを持つそれは、少し前に入手した大蛇のそれとは実に二倍ほども大きさに差があった。

 出来る事ならこの素材の他にも剥ぎ取る事が出来れば良かったのだが、白弾で派手に吹き飛ばした事もあって有用そうなものは碌に無かった。

 もっとも、運良く残って居たとしても剥ぎ取り技術の無い自分には大したものは取れなかっただろう。

 そう考えると、やはり知識や技能の獲得を怠ってしまうと後々不利益を被ってしまう事を痛感する。

 これらの技術も何処かで身に着けなければと思うのだけれど、それと並行して剥ぎ取り素材保全の為に白弾の威力調節などをより向上させる必要もあり、やる事の面倒臭さに顔を顰めずには居られない。

 特に、旅の中で練習は重ねつつも今回初めて実戦投入した曲がる弾については欠点がある。

 例えば、発射までにより多くの時間と集中が必要な事、だ。


「――おい、小僧」


 これだけでも非常に大きな欠点であり、お陰で戦術の幅が狭まってしまう。

 とは言え、結局これもすぐにどうにかなる問題では無くて、白弾が扱える様になった時と同じく慣れが必要なのだろう。


「聞いてるのか? おい」


 では金を手に入れる為に必要な妖魎(モンストラ)の素材、その剥ぎ取り技術はどうしたらよいのか。

 こればかりは慣れ云々の話では無く、知らなければ知らないまま高額な素材を無駄にしてしまうかも知れないのだ。


 知らなかったでは、勿体無いものが多過ぎる――。




「合わせてこの値段だっ、要らねえのか!?」


「ふぉう!?」




 唐突にすぐ近くで聞こえた怒鳴り声に、びくりと肩を跳ねさせる。

 慌てて声のした方に目を向ければ、そこには鑑定・買取を行っている男性の苛ついた顔があった。


「な、何ですか……?」


「いやなんですかじゃねえよ。鑑定の結果が出た、ウチは一万六千でこの二つの妖石(サクスム)を買い取りたいが、異論はないかと訊いてんだ」


「あ……ああ、それでいいです。失礼しました」


 現実に思考を引き戻されたのも束の間、答えながら思考は再び横道に逸れる。

 何せ一万六千T(タレト)だ。昨日買い取られた牙猪の素材が数千だったことを考えると、実に四倍もの値段に跳ね上がっている。

 その事実に驚き、一方で嬉しくもあった。

 だからだろう、人の話に上の空で返事してしまい、再度怒鳴られる事となってしまった。


「――全く、疲れたんだが知らんがしっかりしろよ。そんなんじゃ金をすられても気付けねぇぞ」


「はい、ご指摘痛み入ります……」


 ここはボニシアカ市内、ゲヌキウス商店の一階部分にある、買取専用のカウンター。つい昨日訪ねて際には牙猪(アペルンテス)の素材を売り払った所であり、正面に居る男性はその時にも買取を担当してくれた人物だった。

 そんな彼から今は有難い説教を頂き、何度も頭を下げる羽目になっていた。


「……それにしても、こっちは随分でけぇ妖石(サクスム)じゃねえか。何から剥ぎ取ったってんだ?」


「熊です。それもかなり大きかったですよ。立ち上がればここの一階部分よりも背が高い」


「そりゃ剛爪熊(ワリドゥルスス)だな。だったらこのデカさにも納得は行くけどよ、本当にお前が狩ったのか? 下級妖魎(インフェルス)でも最上位に分類されてるってのに、それをお前一人で狩るなんてにわかにゃ信じられねえぜ」


 照明の明かりに両手で持ち上げた妖石(サクスム)を照らしながらそう言う彼は、疑っているとかそう言う訳では無く、単に気になった様子で訊ねて来る。


「いや、それは……まぁ、死体が転がっていたのでこれ幸いと。それなんで、この石以外は何も剥ぎ取れませんでしたけど」


 質問に思わず正直に答えようとして、寸でのところで思い留まると、他の素材が無い事を利用して誤魔化す。

 すると元々そこまで詮索する気が無かったのか、「ふうん」と一度頷くと彼は話題を変えてきた。


「お前、狩猟者(ウェナトル)になる気はねえ? 多分、そっちの方が色々良いと思うぞ。金が欲しいんだろ?」


「……まぁ、考えては居るんですけどね」


 昨日、髪の染料を買いに行った際、偶々見かけたので観察してみれば、明らかに真っ当でない集団であった。

 ミヌキウスなどが余りにも身形と行儀が良かった為、彼らの職業にはならず者が多いという話を聞き流してしまっていたが、どうやら一般的には彼の方が例外な様だ。

 そんな苦々しい顔を見て察したのか、彼は軽く笑うと「合わねえならしょうがねえな」と言っていた。


「実際、ああゆうとこは碌な奴が居ねえんだ。傭兵と並んで、大抵はゴロツキなんかの行き着く先だからな。ただ、組織としては信頼出来るぞ。言ってしまえば連中も商売人だからよ」


 どうにもならなくなったら頼って見るのも良いかも知れないぞと助言をくれた彼に礼を述べ、俺は店を後にする。

 さてこの後どうしたものかと、必要なものについて一考してみれば、腰に差してある短刀へと目が向いた。

 あの蛇を屠った際に、長柄でも良いから武器が必要だと痛感したのを思い出したのだ。

 だとすれば、まずすべきことは決まった。


 視線を向けるのは、大通りに面した一軒の建物。


 その建物で売られているのは食物などの生活必需品では無く、言ってしまえば鍛冶屋。つまり見方によっては武器屋とも言える。

 ただし、グラヌム村にもあった様な小物類では無く、槍の穂先からナイフのような調理器具まで、多岐に渡る物が陳列されていた。


「……いらっしゃい、何が欲しい?」


 盗難や怪我防止の為だろう。壁や棚に並べられた商品は全て店主らしい男性の立つカウンター、その後ろにあって簡単には手に取れない。

 腕を組み、無表情に声を掛けてきたその男性に、五万T(タレト)を見せながら要件を告げる。


「この金で買える槍が欲しいんですけど、あります?」


「ああ、分かった。……お前くらいの背丈なら、このくらいの短槍が丁度良いだろう」


 その言葉と共に、彼は立て掛けられた槍の内から一本を取り出してカウンターの上に置く。

 危険防止の為か布鞘の被せられたそれの長さは、百八十CM(ケンチ)ほど。穂先は十CM(ケンチ)ほどだろうか。


「これで四万T(タレト)。これ以上の値段だと五万を超えてしまう。大量に生産した安物だが、その割には叩くにも突くにも使えるぞ。買うか?」


「はい、それでお願いします」


 確認に対して頷いて見せれば、それを確認した彼は代金を受け取り、代わりに槍を差し出してくる。


「扱い方は、分かるか?」


「まあ、一応。見様見真似ですけど」


「そうか。基本的には突けば大丈夫だ。それが振り回せる様になったら打撃にも使ってみると良い。以前この店に来た者が教えてくれた」


 口調自体は素っ気ないものの、それでも気を遣ってくれているのか、基本的な助言をくれる店主。

 そんな彼から槍を扱う上での保存等様々な注意点などを聞いた後、俺は店を出るのだった。

 既に所持金は一万Tと少し。必要な投資ではあるが、その分だけ防具を買うのが遠退いてしまった。

 もっとも、半端な性能の防具では動きづらくなるだけで意味が無いかも知れないし、今はこの武器があるだけでも良しとすべきだろう。





◆◇◆





「――っ!!」


 喧しい羽音を伴う黒い弾丸の突撃を、間一髪で躱す。

 その余りにも速い一撃はこちらに反撃させる間を与えず、振り返った頃には既に槍の射程範囲外であった。

 “大黒蜂(ウェスニグラ)”――巷では「黒い矢玉」の異名を取る、体長五十CM(ケンチ)にもなる巨大な黒い蜂。

 以前グラヌム村を出た際にも遭遇したそれは尻の針に強烈な毒を持ち、獲物を捕食するか、繁殖期なら卵を産み付ける。

 特筆すべきは羽を持つ故の高速飛行であり、これによって獲物を攪乱して仕留める戦法を使う。

 空を自由に飛べない身としては非常に厄介な事この上ないのだが、毒針こそ唯一の攻撃手段であり最大の威力を誇るので、その動きは読み易いといえる。

 時たま攪乱と威嚇の為に脚を使ってくるのだが、その威力は大した事も無いし、脚には毒も何も伴っていないから気にする必要もなかった。

 しかし、だからと言って己が手に持つ得物――槍を命中させることが出来るかと言えば、それはまた別の話。


「このっ……!」


 突っ込んで来る蜂に合わせて槍を振り回し、叩き落とそうとするのだが、それはするりと躱されて一向に当たる気配が無かった。

 仕方なく振り切った槍の勢いをそのままに体を任せ、空かさず先程まで立っていた場所から離脱する。

――直後。

 そこを大黒蜂(ウェスニグラ)が豪速で通過していくのだった。

 交戦が始まってからと言うもの、ひたすらこんな事の繰り返しでどれくらいの時間が経っただろう。

 恐らく五分と経っていないけれど、常に集中を要すこの状況は体力と精神を著しく摩耗させ、呼吸は乱れに乱れていた。

 再び油断なく周囲に目を走らせると木々の間を器用に飛び回る黒い影を探し当て、手に持つ槍の穂先を標的へしっかり突きつける。

 既にもう肉体的にも、精神的にも余裕はなく、ここで決めなくてはいよいよ魔法に頼らざるを得なくなってしまう。


「……」


 狙うは、叩き落とすのではなく、正面から突き刺す。

 無論、一歩間違えればこちらが毒針を喰らいかねないものだが、振り回しても当たらない以上こうする他無かった。

 羽音と共に正面から真っ直ぐ、この身体目掛けて急接近するそれから絶対に視線を逸らさず。

 恐怖で先に攻撃してしまいそうになるのを堪え、耐え、絶対に見切れない距離での刺突を狙う。

 ただし、向こうが絶対に見切れない距離と言うものは、万が一こちらが仕損じた場合、死ぬのは己という事になる。

 だがそれでも待ち、良く見て、引き付ける。


「ぉおっ――!」


 腹から飛び出した気勢と共に、見極めた絶好の機会に大黒蜂(ウェスニグラ)の腹目掛けて突く。

 一拍遅れて確かな手応えと、殻を突き破る様な音が耳朶に触れ、視界の中央には腹を突き刺された蜂の姿が映る。

 互いに攻撃の勢いがあったのか、蜂の腹には深々と槍が中程まで突き刺さっている。しかし人間であれば致命傷とも思える状況ながら、蜂は脱出しようと六本の脚を必死に動かしていた。

 だが、先程まで飛び回っていた妖魎(モンストラ)をここで漸く捕まえたのだ。

 折角の好機を自ら逃がす道理など、ある訳が無かった。


「こんのぉッ!」


 槍を握る手により一層力を込め、突き刺さったままのそいつを思い切り木の幹に叩き付ける。

 何度も何度も、叩き付ける。

 その度に悲鳴のような、口の鋏が軋む音がしていたが、だからと言って一切緩める事はせずにそれを続けた。




『――ッ!?』




 不意に、何かが完全に砕けるような音が聞こえた。同時にそれまで何度叩き付けても中々絶命しなかった大黒蜂の動きが、一気に止まる。

 それはもう、完全に。脚の一本すらピクリともせずに動きを止めたのだ。


「終わっ、た……」


 己が胸を六本の脚で抱き抱える様に脱力した死体を目にし、蜂が完全に死んだ事を確信する。

 それを足で踏みつけ押さえ、ずるりと槍を引き抜いた俺は、大きく息を吐き出しながらその場に座り込んでいた。

 長かった、疲れた。魔法を使うより断然効率が悪い。

 これはそもそも槍の扱いの習熟が容易でないからなのだろうが、それにしても難しい。

 この武器を入手してからもう既に三日が過ぎた。最初の頃に比べたら扱えていると言えるのだろうが、満足の行く扱いが出来るまで、どれほど時間が掛かるのかは見当もつかなかった。

 まず間違いなく、この武器を使った今の実力では三日前に森で遭遇した巨熊に瞬殺されるし、戦闘手段として使えるまでには厳しい道のりになりそうである。


「槍ってこんなにむずいのか」


 それでも、人前で戦う際に白魔法(アルバ・マギア)を使わずに戦えるようになる利点を考えると、やらない訳には行かないのだ。疲労と熱を吐き出すように大きく息を吐き出しながら、木々の隙間から覗く青空を眺め、ゆっくりと立ち上がる。

 次いで剥ぎ取りの為に短剣を取り出すと、ボロ布のように変わり果てた姿の大黒蜂に突き立てる、が。


「……」


 折角気味の悪さを堪えて体を掻っ捌いたのに、そこに在る筈の妖石(サクスム)は粉々に砕けてしまっていた。

 その他の素材も同様で、恐らく木の幹に何度も叩き付けた際に、その全身を破壊してしまったのだろう。

 先程の止めの刺し方は、素材を剥ぎ取る事を考えたら明らかに乱雑で不適切だったのだ。

 もっと他にやり方はあっただろうにと後悔しても後の祭り。ダメにしてしまった素材は最早どうしようもなく、短剣に付着した体液を払うと天を仰がずには居られなかった。


「やっちまったー」


 折角狩猟したというのに、時間と手間が全て泡となってしまったのだ。自分で自分に呆れを覚えてしまう。

 頭を抱え、このまま帰ろうかとも考えたが、ここで帰っては本日の収獲が無いまま。つまり儲けがないまま。

 槍の練習がてらここ三日は都市ボニシアカ近郊の比較的浅い森に通い詰めていたが、それでも少ないなりに稼いでは居たのだ。

 なのにここで手ぶらで帰っては、槍の腕前が上達したどころか鈍ったとも思えて、気持ち的に看過できるものでは無かった。

 せめて小物でも良いから、一体分の妖石(サクスム)は手にしたいところ。

 しかし幾ら森の中とは言え浅い場所であるし、妖魎(モンストラ)などと遭遇できる確率は実際割と低い。森のより深くに入ればその確率は上がるのだが、碌に実力も無い今では槍だけだと返り討ちとなる可能性が高かった。


「……あーあ」


 徒労感が加わったせいでより気怠く、疲労を感じる体はそれ以上の運動をしたがらず、蜂の死体から少し離れた所で再度座り込む。

 もっとも、消耗した体で森の中の移動を続けるのも好ましくないので、これはこれで悪い判断という者は居ないだろう。一戦でもしたら、少しは休息を取らなくては疲労も取れないのだ。

 渇いた喉に水を流し込み、自分の体に立て掛けている槍に一瞥をくれて考えるのは、先程の戦闘に於ける反省点その他諸々。

 特に欠点として挙げられるのは、まだまだ短槍を使いこなせていないという事だった。

 初日に比べたら減ったものの、未だに誤って自分の体や周囲の物にぶつけてしまう事があり、これによって結構な隙を晒してしまっていた。

 加えて槍を扱う上で最低限の筋肉も付いていなかったのか、慣れない動きで全身のあちこちが筋肉痛による悲鳴を上げている。

 これもまた、初日に比べたら楽になっているのだが、それでも辛い事に変わりはなかった。

 駄目だ、疲れた。もうこのまま、今日は帰ってしまおうか――。

 暖かな木漏れ日を感じながらそちらの方へ考えが傾きつつあった、丁度その時。




「わ――ぁぁああああっ!?」


「何だ?」




 不意に木々の向こうから聞こえてきた悲鳴の方角へ、弾かれた様に顔を向ける。

 耳を澄ませば何かが叩き付けられるような音と、噛み殺した悲鳴、そして複数の駆け音が鼓膜を揺らし、それは段々と近付いて来ていた。

 聞こえて来る悲鳴の数から考えて、恐らく人間は三人。その後ろから猛然と何かが迫っている様だ。

 どう考えても面倒事の予感しかしない身としては、一刻も早くここから離脱すべく槍を手に立ち上がるが。


「あっ、おい、そこのお前、助けてくれっ!」


 木々の隙間から運悪く彼らの一人に見つけられ、呼び止められる。

 もっとも、そんなものにこちらが構ってやる義理などないので、無視して走り去って――。


「無視すんなおい! ただで助けろとは言わねえよ! 五千T(タレト)でどうだ!?」


「っ」


 焦った様に提案されたその言葉に、思わず足が止まる。何せ、それがとても魅力的に思えたから。

すると、向こうも好機と思ったのか更に畳みかけて来ていた。


「ついでに、この猪の素材も倒したらお前に譲ってやるっ! これでどうだ!?」


「そりゃ当然の権利……」


「じゃあ頼んだぜ!」


 そんな言葉を放ちながら男と擦れ違い、彼はそのまま更に先へと駆け抜けて行く。

 そこへ後続の二人も続き、呼び止められてポツンと棒立ちになったまま、俺は猛進してくる音の方へ首を巡らせていた。


「え……」


 ――ひょっとして、押し付けられた?


 もう既に、目視出来る距離にまで迫った猛進する影の正体は、牙猪(アペルンテス)

 その体長はおよそ百五十CM(ケンチ)。体高も一Mは越え、牙を持つ弾丸とも言えそうな迫力と破壊力を兼ね備えている。


「何だよ、こんな所でっ!」


 以前狩った事はあったが、凄まじい突進力に驚かされて、それなりに苦戦した相手である。

 その時は魔法を使って殺せたものの、今は背後に逃走中の人が居る。魔法を使っているところを、目撃される訳には行かなかった。

 それこそ、“白儿(エトルスキ)”だと自発的に主張してしまう事になりかねないから。

 だから槍という別な戦闘手段を持っている訳で、丁度この時に使わずしてどうしようと言うのか。

 練習を始めてから三日しか経っておらず、この猪を相手にするには些か不安が残って仕方ないけれど、それでもやらないという選択肢はなかった。

 猪の方へと穂先を向け、右手を前にして槍の柄をより一層強く掴む。

 腰を落とし、右足を前にしていつでも反応出来る体勢を作り、急迫してくる牙猪(アペルンテス)から目を放さない。

 こうして、万全な状態で迎え討つ――――なんて事が、出来る訳無かった。


「うおっっっとぉ!?」


 一旦は構えたものの、突進の勢いに負けて腰が引け、無様に横っ飛び回避する羽目になっていたのだから。


「こんなん無理だろっ……!」


 慌てて立ち上がりながら槍に一瞥をやり、思わず悪態を吐く。短剣や剣よりマシであるとは言え、それでも怖い。怖すぎる。

 果たしてあれ程の勢いで突っ込んで来る猪に、この槍の刃が通ると言うのだろうか? 分からないけど、通じる保証もない武器を手に戦うなんて、正気の沙汰では無い筈だ。


 やはり、魔法を使わなくてはこちらが殺されてしまう――。


 標的を完全に俺へと変えたのか、猪は器用に木々の間を走り抜けながら方向を転換し、再びその鋭牙で得物を突き刺さんと駆けて来る。

 それを見て、なけなしの闘志を振り絞って再度構えて見るのだが。


「無理っ、無理ッ!!」


 すぐに曲がれ右をして、衝突する寸前で飛び込み回避する。

 直後に砂埃を上げて駆け抜けて行く猪の尻を見て隙と判断し、反射的に左掌に魔力を流し込んでいた。

瞬時に白弾を形成し、無防備な尻を目掛けて魔法の一発でも撃ち込んでやろうかとしたのだ、が。


「うぉ、すげえ! 牙猪(アペルンテス)相手に上手く避けてやがる!」


「……っ!」


 不意に聞こえて来た男の声に、俺は慌てて発射直前の白弾を握り潰していた。

 危ない、見られるところだった、気付かれるところだった。

 迂闊だと、一瞬の隙に釣られた己の行動を顧みつつ声のする方に目を遣れば、そこには先程牙猪(アペルンテス)を押し付けてくれた三人組の姿があった。どうやら様子を見に戻って来たらしい。


「……人に押し付けたらとっとと逃げろってんだ。面倒な……と?」


 (すが)めた目はそのままに小さく舌打ちの一つでもしてやるが、ふと左掌の様子がおかしい事に気が付く。

 微かに、微かにだが、手に力が満ちる様に感じられるのだ。そうしている間にも流し込んだ魔力が段々と手から腕までも伝わり、力が漲る。

 何とも言えない、経験した事がない感覚である為、言いしれない感覚にヒヤリと背筋が冷えたものの、それだけだ。

 今は、そんな事に思考を割ける程の余裕はない。気を抜けば先に待って居るのは、死である。

 すぐに警戒を取り戻すと森の木々の中へ消えた猪の姿を目で追うのだが、その速さと木の影が邪魔をして視認を難しくする。

 故に、迎撃が非常に困難。いつ、どこから突っ込んで来るのかが判り難いのだから当然だが、一方ではよく木々に激突しないものだと思わず感心してしまっていた。

 ただし、感心した所で自然の摂理が見逃してくれる訳もなく。

 次の瞬間には、三度目の無様な緊急回避を行っていた。


「おい、大丈夫か!?」


「誰のせいだと……!」


 それなりに離れた距離から三人組の一人が声を掛けてくれるが、こうなった元凶にそれを言われても寧ろ苛立ちが増すばかりである。

 刺々しい声で返事をしながら猪の姿を見つけ、しかし今度は槍を構える事はせず、近くにあった太木を背にしていた。

 一方、牙猪(アペルンテス)は今度こそ仕留めんとばかりに怒涛の勢いで駆け出し、途中にある細木を委細構わず薙ぎ倒しながら突進して来る。

 その迫力は凄まじく、自然と後退ってしまうくらいには本能的な恐怖を覚える。しかし意図的に木を背にしているので、もう下がる場所などありはしなかった。


「……」


 心臓が視界を揺らすほど強く鼓動する中で、ごくりと唾を嚥下する。

 激突までの距離は、あと数十M。あの速さなら、すぐにでもここに到達するだろう。

 腰を落とし、いつでも動ける準備を整える。

 あとは、時機を逸さなければ完璧。

 土を巻き上げる豪脚の音が鼓膜を揺らし、茶色の毛並みを持ったそれが、あと少しでこの胸を貫かんとしたまさにその時――。


 右へと体を倒し、地面を蹴った。


 それとほぼ同時に、ドスンと腹の底にまで響くような重い音が辺りに響き渡り、一拍置いて獣の悲鳴が上がる。

 掠った感触の残る左上腕にヒヤリとさせられつつ、先程まで立っていた場所に目を向ければ、そこには木の幹に激突してもがく猪の姿があった。

 狙い通り太い木の幹に激突して牙が抜けなくなったようだが、相当な勢いだったというのに碌に怪我を負った様子が無い。あれ程の勢いであったのだ、人間が同じことをすれば間違いなく頭蓋は砕け首の骨は折れていただろうに、その頑丈さに舌を巻かずには居られなかった。

 もっとも、そうやって驚くのもそこそこに、この好機を逃さず槍を突き立てる。


「ここで決める!」


 一突き、二突き、三突き。

 単槍から渾身の突きを放つのだが、猪は毛皮どころか中の肉まで硬いのか、中々深くまで刺さらない。

 そうこうしている間にも牙猪(アペルンテス)は嵌ってしまった牙を引き抜こうと暴れており、悠長にしている時間など無かった。


 まずい、早く、仕留めなければ、殺さなければ。


 さもなくば、あの突進が復活してしまう。そうなれば再び動きを止めなくてはいけないが、先程は非常にギリギリであり賭けであったのだ。

 早々何度も上手く行く訳が無く、下手をすれば自分が死んでいたかもしれないくらいに。


「クソっ……!」


 思い切り踏み込み、全体重をかけて槍を突き刺す。

 けど、まだ足りない。あと少し。もっと刺されば、仕留められる。

 心臓部があるであろう胸を何度も刺し、何度も肋骨に阻まれながら、それでも刺し続けた。


「刺されっ、刺されっ、刺されよッ……!」


 またも、固い肋骨に阻まれる。

 だが、もう引き抜きはしない。再び刺し直す時間的余裕なんて無いのだ。これがもう、最後の一刺しである。


「あああああああっ!!」


 未だに力が湧き出、有り余る左手に渾身の力を込めて、今度こそはと柄をぐりぐりと捻じ込み――そして。




『――――ッ!!?』




 ぶすりと、槍が深々と刺さっていた。

 その一撃が致命傷と成ったのか、今までの中で最も悲痛な悲鳴を上げた牙猪(アペルンテス)は、一度体を大きく痙攣させると一気に力を失っていく。

 槍が突き刺さった部位からはどくどくと鮮血が溢れ出し、辺りに生臭い匂いが立ち込め始めた。

 脱力した猪の体は木の幹に牙を突っ込んだ姿勢のまま、へたり込む様にして斃れていたのだった。


「……ふ、あ」


 先程まで聞こえていた荒い鼻息と悲鳴、足掻きがぱったりと止んだことを確認しつつ、死体に突き刺さったままの槍を手放して尻餅をついた。

 終わってみれば体が酷く重くて、立っているのも辛いくらいだ。特に、左腕は酷く重い。手も物が掴めるか怪しいくらいに握力が無い。

 変な病気でなければ良いなと思いつつ、腹の底に溜め込んでいた息を一際大きく吐き出す。

 安心した事で忘れていた疲労や緊張を思い出せたのか、そのせいで一気に体が重く感じられるのだろう。


「はぁーーーー」


 もはや座り込んでいる体力もなく荒い呼吸のまま仰向けに倒れ込むと、四肢を投げ出して大きく伸びをする。

 そんな俺の耳に聞こえて来たのは、複数の足音だった。

 音源に大体の予想を付けつつ首を巡らせてみれば、やはり先程面倒事を押し付けて来た三人の若い男の姿があった。


「いやぁ、済まねえ。怪我してねえか?」


「それにしてもあの牙猪(アペルンテス)を槍一本で屠るたぁね……。どんな腕力してんだっての」


「見た感じ俺らより年下、なのにこの強さってなぁ」


 先頭を歩く茶髪の男が頭を掻きながらこちらを気遣ってくれている中、後に続く二人は息絶えた獣の死体を見遣りながら感心したような言葉を呟いていた。

 その様子からして敵意はなさそうだ。しかし、それでも見ず知らずの人間を警戒しない訳には行かず、上体を起こしながら問い掛けていた。


「何の用だ? そっちが先に言った通り、コイツの素材は俺のモンだぞ」


「分かってる。勿論五千T(タレト)も支払うさ。それよりもただ単に怪我しているかどうかが気になってな。俺らが押し付けちまったモンだし」


 固い声音で、きつい口調になってしまったこちらに、その男は申し訳なさそうな顔をしながら肩を竦め、チラリと死体の方に目を向ける。


「ところでお前、見ない顔だが狩猟者(ウェナトル)なのかね? 赤い髪をしたちっこい槍遣いなんて、ボニシアカの組合(ギルダ)じゃ見た事ねぇんだけど……」


「俺は狩猟者(ウェナトル)じゃない。旅のために路銀を稼いでるだけだ」


「ってことは無所属でその実力かよ!? じゃあ(はぐ)れ傭兵……って訳でもない?」


 問いかけの途中で首を横に振って見せれば、尚のこと驚いた表情を見せながらも、取り敢えず最後まで言葉を発し終えていた。

 するとそれで向こう側の話題が一旦尽きたらしい。沈黙が訪れ、辺りには何とも言えない微妙な空気が漂い始める。

 それに耐え兼ね、立ち上がると死体に刺さった槍を引き抜きに掛かる。


「……っ」


 だが、抜けない。足を乗せて思いっきり引っ張って見ても、かなり深くにまで刺さってしまったのか一向に引き抜ける気配が無いのだ。それに加え、先程の闘いでかなり体力も消耗してしまっている。

 体に、取り分け左手に力が入らない以上、かなり深く刺さった槍を引き抜くのは至難であった。


「……んっ、このっ、こっ……!」


 思わず歯の隙間から声を漏らしながら尚も引っ張り続けるが、ピクリとも動く気配の無い槍を前に、一旦手を放す。

 それからじっと、震える左手を見つめた。

 やはりおかしい。ここまで左手に、左腕に力が入らないのは異常だ。

 心当たりとしてはあの時。他人に見られてはいけないと、形成途中だった白弾を慌てて握り潰した事だ。

 それ以外に考えられないものの、だからといって今この場ではいくら考えても答えは出てこない。一度宿に帰ってから考えて見るのが良いだろう。

 思考を巡らせながら何度か左手を揉み解し、再度試みようと槍を掴む。だがそこで、動きを止めてしまっていた。

 何故なら己に向けられた、何者かの視線を感じたのだ。一体何者が――そう思った時、先程まで会話をした三人の男が頭を過る。

 同時に彼らが、この見っとも無い一部始終を見て居る筈である、とも。


「……」


「……」


 双方、誰もが無言のまま身動ぎもせず、暫くこの場を静寂が支配する。

 それから時間を置いて(ようや)く、俺は硬直から立ち直る。ちょっと、いや相当恥ずかしい所を見せてしまったかもしれないと、ぎこちない動作で三人の方顔を向けたのだ。

 当然、そこに居るのは呆気にとられたような顔をしている三人の男の姿があった訳で。


「なぁ、良ければ槍を引き抜くの、手伝うぞ?」


「……頼む」


 困った様に笑っている一人の申し出に決まり悪い物を覚えて、目を逸らしていたのだった。





◆◇◆





 俺に代わって槍を引き抜いてくれた人物の名は、アロイシウス。

 革製の鎧を纏った十七歳の下級狩猟者(インフェルス)であり、茶色い髪と眼を持つこの青年は、人好きのする笑みを浮かべながら大きく頭を下げていた。


「俺らは丁度、依頼を完遂して帰るところだったんが、運悪くソイツと遭遇しちまって……改めて、迷惑を掛けちまって本当にすまん」


「別に気にしてない……訳じゃ無いけど、そう思うならコイツの剥ぎ取り方を教えてくれね?」


 彼に向かって言いながら、斃れている牙猪(アペルンテス)の死体にチラリと視線をやれば、それには槍によって穿たれた無数の穴が目に付く。

 その中でも一際大きい穴からは未だに血が流れており、凶器であるこの槍にもべっとりと朱色の液体が付着していた。


「剥ぎ取り? ……ああ、お前狩猟者(ウェナトル)じゃねえから知らねえのか。良いぜ、迷惑料として払ってやるよ」


 そう言って一度、確かに頷いたアロイシウスは、自身の後ろに居た二人へと呼びかけ、剥ぎ取り用の小物を準備させる。


「一応言っておくが、しがない下級狩猟者(インフェルス)の俺達はそんなに牙猪(コイツ)を狩った事がねえし、剥ぎ取った事も数えるくらいしか無い。多少不格好になっても文句言うなよ?」


「構わないさ。こっちはやって貰う側だし」


 そんな遣り取りを交わしている間にも剥ぎ取りの準備は進んで行き、木の幹に嵌ったままの牙を引き抜いた後に、アロイシウスが短剣で死体の腹を捌いていく。

 伴って凄まじい量の血がじんわりと溢れ出し、止めどなく垂れだして、地面とそこに生えた草木を赤く染める。

 心臓と思わしき場所を突いた時にも多量の血が出て、それでも更に血が出て来る事に驚きはしたものの、だからとてそれ以上の感情は起こらない。


「……」


 自分自身、濃厚な血生臭さに少しは顔を顰めるのではないかと思ったのだが、もはや嗅ぎ慣れてしまったらしい。血の匂いを臭いとは思いつつ、それ以外に思う事は何も無かった。


「コイツの素材として有用なのは毛皮、骨、頭部丸ごと、もしくは牙、あとは食用に肉と一部内臓だ。……おっと、妖石(サクスム)だ。そこそこの大きさじゃねえか」


 言いながら彼が投げて寄越してくれたそれは、握り拳より少し大きいくらいの物だ。

 彼から渡されれば、割とずっしりしていて危うく取り落とし掛けたものの、どうにか堪えて腰に下げた魔拡袋へとしまう。

 その間にもアロイシウスによる解体は進み、様々な部位に切り分けられた素材が眼前に並べられていった。


「まぁ、ざっとこんなもんだな。幾らかは損傷が激しいんで捨てる以外方法はねえけど、それでも結構な量だぜ? 何なら、俺らも一緒に運んでやる」


「いや、流石にそれは悪い」


「気にすんな! どの道俺らは街に帰るところだったし、(つい)でだ。何より、最近はこの森で物騒な噂も聞くしな。多い人数で同道した方が安全だろ」


 そう言うと、こちらの返事も待たずに三人が三人とも剥ぎ取った素材を抱え始める。

 三人とも、血が装備に付着するのも構わない、と言ったが、こちらからすれば衛生的にも気持ち的にも放っては置けなかった。


「……ああ、ちょっと待ってくれ」


 そんな彼らへ、自分が持つ大容量の魔拡袋の話をする。すると彼らは一様に興味津々と言った様子で食い付いて来て、都市へ戻る道中で根掘り葉掘り訊いてきた。

 何処で入手した、どんな作りになっている……云々の事を言われたのだが、これはミヌキウスからの貰い物だ。

 おまけに農民である自分に魔道具への理解がある訳でも無いので、その殆どが分からないとしか答えられなかったのだが。

 しかし、そんな回答しか出来なかったというのに、アロイシウスは何かを決めたかのように一度頷き、そして一つの提案をした。




「なぁ、俺と一緒に狩猟者(ウェナトル)やらねえか?」


「俺と、か?」


「あたぼーよ、他に誰がいる?」




 笑顔を浮かべ、自然に言い放たれたそれ。

 話の裏に何があるのか知れたものでは無かったけれど、正直この提案は有難いとも思う。

 何せ今の自分には知識がないのだ。金を稼ぐためにも、知り合いを伝手にして狩猟者(ウェナトル)となる事には利点はある。

 その上、まだまだ警戒が必要だとは言え、話して頼れる相手が出来ると言うのは喜ばしい。


「幾つか聞きたい事がある」


 数秒の沈黙の後、俺は幾つかの質問を彼に向けていたのだった――。





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