僕は夢を見る③
◆◇◆
薄暗い視界の中で、外からは多くの人や物が行き交う音が聞こえる。
そこには話し声なども混じり、そこから察するに近くで相当多くの人々が集っているであることは、想像に難くなかった。
「……」
ぼうっと見覚えのない天井を眺めつつ大きく息を吐き出せば、その次には大きな伸びをして上体を起こす。
長い事暮らして来た、村の家とは全く作りの違う室内だ――と思ったのも当然、今はボニシアカと言う大都市にある一軒の宿に泊まっていたのだから。
「騒がしいな」
宿の外から聞こえて来る音などから察するに、恐らく日の出はとっくに過ぎているのだろう。
しっかりとした作りの掛布、そして布団代わりの藁が心地良かった事、やはり疲労が溜まっていたのとで完全に熟睡してしまった様だ。
やはり今までの様に、森の中などで寝ていた時とは安心感が全く違う。都市に入って宿を取ったのは正解だったかと思いつつ立ち上がると、俺は身支度を整えて部屋を出た。
ただし、今日は頭髪を隠す外套を着ず、フードを被らずに、だ。
「おう、クィントゥスか。随分遅い御目覚めだな」
「久しぶりにこういう場所で寝られたんですよ。お陰でお目々パッチリです」
階段を下り一階へ降りれば、そこには客相手に料理を振る舞い、かつ談笑している宿の主人の姿がある。だが彼も、他の客もフードを外したこの姿を見たからと言って何の反応も示さない。
それもその筈、今の俺は紅髪紅眼の少年となっているのだから。
無論、自然とそうなった訳ではない。
種を明かせば、髪の色を紅に染め上げているのだ。
昨日、買取所のオヤジから聞き出した情報で髪の染料を買い、体の汚れを落とすついでに髪を染めたと言う訳だ。
そのお陰でもうフードを被り続けて頭が蒸れるような事も無いし、一々頭髪が人目に付かないように気にする必要もない。
「やっとお天道様に髪の毛を晒せるってね」
唯一心配なのは染め忘れた部位が無いかなのだが、体を拭くための水桶で見た限りその心配もなさそうである。
傍から見れば、肌の白い紅髪紅眼なただの子供にしか見えない事だろうし、気楽な事この上なかった。
これからは堂々と街を歩ける。おまけに夏が近づいて気温が上がっているので、フードを被ったままでは非常に困った事になるのは間違いなかっただろう。
久しぶりに頭を晒したまま人目に触れて宿屋で朝食を摂った後、軽い足取りで都市の城門へと向かう。
昨日のように狩った獣の素材などを買い取ってもらって、その金を路銀の足しにする為である。
なので、この近隣にある森の中へ入って妖魎の妖石などを得ては金に換えるのだ。別に旅をしながらでも良いのだが、それだとこの前の関所のように大金を吹っかけられないとも限らないし、必ず素材を買い取ってくれるような都市があるとは限らない。
それこそ、小さな村しか無くて商人が居ない様な事だってあり得るのだから。
実際、グラヌム村でも多少貨幣が浸透してはいても基本的に物々交換だし、貨幣の出る幕はそう多くなかった。
当然商人は殆ど来ないし、精々貨幣地代として領主に納めるくらいしか使い道も無ければ、当然村にある貨幣の数だって少なくなる訳である。
故に、ここで出来る限り金を溜めた上で旅に出る必要があるのだ。
「小僧、一人で都市を出るのか?」
「ええ、ちょっと妖魎を狩りに」
「お前がか? 冗談も程々にしろよ。まぁいい、戻って来るなら陽が沈む前にここへ来い。それ以降は城門を閉じるからな」
侮っているのか心配しているのか分からない事を言ってくれる、衛兵の一人に手を振り返して応じながら都市を出て――少し離れた森の中へと、足を踏み入れる。
人の手によって作られた規則的な道などは何処にも無く、あるのは獣道のようなものばかり。
常に方角を把握しておくなどしなければ帰る場所が分からなくなりそうだが、文字が読めないのに地図片手にここまでやって来た身からすればどうという事も無かった。
けれど、当然の事ながら森に足を踏み入れた瞬間から猛獣が襲ってくるような訳もなく、収入になるくらいの獲物を狩る為にも森の更に奥深くへと入っていく。
それに伴って背の高い木々はより生い茂って行き、昼間だというのに森の中は薄暗い。油断は禁物と言って差し支えない程、重苦しい空気を感じつつ、短剣の柄に手を掛けつつ周囲を探索するのだ。
「............」
あれだけ森の中を彷徨っても、未だに怖くないと言えば嘘になる。何せ、一戦一戦が綱渡りなのだから。
油断すれば喉を掻き切られたり、腹を食い千切られたりしていたかもしれない場面は数知れない。
故に妖魎を狩る狩猟者は危険に見合った報酬金を得るし、対価に見合っただけの命を落とす。
しかし俺の場合は組合と呼ばれる組織に加入しておらず、剥ぎ取った素材以上の報酬を誰かから得る事が出来ない。
狩猟者と危険は同じくらいなのに、である。
明らかに割に合わないなと今更ながらに後悔し、さりとて人から聞いただけでは怖くて入りたくないしで、結局こんな事を考えても答えは出なかったのだが。
それでも、明日辺りは狩猟者組合についてさらに情報を集めてみるのも悪くはないと、一応の結論を出した、丁度その時。
確かな音が、この鼓膜を揺らした。
しかし辺りこう薄暗い森の中ではすぐに位置が割り出せず、短剣を引き抜きながら前後左右に目を配り続ける。
「……?」
しかしながら、おかしなことに段々と這いずる様な音が大きくなっているのにも関わらず、こちらへ接近してくる影は一向に見えてこない。
姿の見えない敵に焦燥感ばかりが募るが、枝葉を掻き分けるような音にハッとして、頭上の木々を見遣れば。
そこには、今まさに木の枝から真っ直ぐ落ちて来る、大口を開けた細長い影があった。
「――ッ!!」
慌てて地面を蹴り、その落下予測地点から逃れた直後、大口を開けた暗緑色の蛇が着地する。
その長さはざっと見積もって五Mほど。胴の太さもそれに準じて三十CMはあり、威嚇の為か大きく開かれた口もあって相当な威圧感を与えてくれた。
そんな大蛇を前にして、ふと己の手に持つ短剣へと目を遣れば、十五CMの刃渡りを持つそれが心許なさそうな鈍色を放つ。
「……」
もう少し刃渡りの長い剣か、槍の一つでも欲しいと思っても後の祭り。魔法を撃ち込めばそれで撃退出来るのだろうが、周囲に人が居るなどの状況によっては、それを許されない場合がないとは限らない。
何より、下手に吹き飛ばしては体内に在るかもしれない妖石が回収出来ない可能性があるのだ。
ただし、それはこの蛇が妖石を持つ――即ち妖魎であった場合に限るのだが。
どんな生物の、どの素材が売れるのか等も調べておくべきだったと反省している間にも、巨大な蛇は蜷局を巻きながら二又の舌を覗かせて睨んで来る。
絶対にこちらを捉えて離さないその目には一切の感情が窺い知れず、只々明確な殺意を向けて来るのみ。
生か死か。純粋な弱肉強食の世界では、余計な事を考えている暇などもはや無かった。
大口を開けて飛び掛かって来た大蛇を、体を右に傾ける事で躱すと、目を放さないようにすぐに首を巡らせた、が。
「うっ!?」
腹部が、しなやかで強烈な衝撃に襲われて上体を崩し、無防備にも尻餅をついてしまう。
全く思っても見なかった場所を攻撃され、咄嗟に腹を抱えてしまうが、衝撃の正体は大蛇の尻尾であった。
つまり最初の攻撃は陽動、もしくは最初から二段構えの形を取っていたのだ。
腹部と強かに打ち付けた尻の痛みに顔を顰めつつ、それでも命が掛かっているという事実にすぐさま立ち上がると周囲を見渡す。
しかし、その判断と行動をしただけでは、まだまだ足りなかった。
ハッとした時には既に脚が、腰が、胸が、太さ三十CM程もある大蛇の体によってするりと巻き付かれていく。
「このっ……!」
慌てて振り払おうと暴れてみるのだが、それは引き剥がれるどころか益々強く巻き付き、締め付けて来ていた。
その力は非常に強く、段々骨が軋む音を立て始め、それと比例して口からも苦悶の声を漏らさずには居られない。
苦しい、痛い、骨と内臓が今にも潰されてしまいそうだ。
――このままでは、死ぬ。
辛うじて無事であった右腕と、それが逆手に持つ短剣を大蛇の体に何度も何度も突き立てるのだが、それでも尚力は一向に弱まらず、寧ろ増していった。
「嫌だっ、死ねねぇ、死にたくねえっ……!」
足から胸まで巻き付いた大蛇はこちらが圧死するのを待つように、悶えるこの顔を、目を、凝視し続ける。
シュル、シュル、と細長い舌を見せながら、獲物の食い時を窺い続けていたのだ。
もはや息も出来ず、口からは絞り出された空気がただ出て行くだけ。
けれども、それでも。生きる為に短剣を大蛇の体に突き立て続ける。これでは埒が明かないと、最後の力を振り絞ってそれを一際強く蛇に突き立て、今度は思い切り横一文字に切り裂いた。
「っ!!」
すると今度こそ効いたのか、それは聞いた事も無いような耳障りな声を立てると巻き付きを解き、鮮血を撒き散らしながらのた打ち回り始める。
その様子は隙以外の何物でもなかったが、一方で俺自身も空になっていた肺を満たす事に精一杯で、すぐに動く事が出来なかった。
もっとも、当然ながら刃物で切り裂かれるよりは体も軽傷な訳で、未だにのた打ち回る大蛇より早く回復すると、それを睨み据える。
しかしそいつは痛みの事で一杯なのか気付く気配など無く、ただその巨体を鞭の様にしならせて暴れ回っていた。
「おっと、あぶね」
流石にこのまま馬鹿正直に突っ込んでしまえば、その太い胴体に鞭の如く打ち据えられるだろう。
しかし、かと言ってここで悠長に構えていてもいずれは体勢を立て直されて反撃か逃走をされかねない。
で、あるならば。
近寄れないのならば。
近寄らずに倒せばいい。幸い、周囲に人の気配も、人影も見当たらないのだから。
「……」
未だ粗い呼吸の中で突き出した右掌に魔力を流し込み、その標準を大蛇へと定め――それを撃ち放つ。
それなりに威力を抑えたその白い弾丸は、一瞬だけ動きの鈍っていた頭部に過たず直撃し、血潮の花を咲かせる。
致命傷を受けた蛇はそこで動かなくなる……かと思いきや頭部の無い体でより一層暴れ回り、それから段々と弱々しくなっていった。
暫くして完全に沈黙した事を確認すると、距離を詰めて剥ぎ取りに掛かる。
「ったく、死ぬまでもしぶとい蛇だな」
聞いた話だと妖石は心臓の近くにある事が多いらしいので、その近辺を掻っ捌いてみようと思うのだが、困った事に蛇の心臓が何処にあるのか見当が付かない。
咽返る様な血の匂いの中で、顔を顰めながら隅々まで解体して探してどうにか見つけたのだが、その頃には手は真っ赤に染まってしまっていた。
そんな苦労の結果手に入れた妖石は、拳大ほど。
「ずっしりとはしてる、けど」
初めて目にし、手に入れたそれは、果たして大きいのか小さいのか見当もつかず、喜んで良いのかと首を傾げずには居られなかった。
そして何より、苦労して入手したものが一体どれ程の値打ちなのか気になって仕方がない。
もっと奥を探索しても良かったのだが、先の理由と血の匂いと汚れが凄すぎる事などを鑑みて、一度都市へ戻ってみようと踵を返す。
この濃厚な血の匂いは、必要以上に妖魎と言う名の面倒事を呼び寄せてしまいそうだったのだ。
だから元来た獣道を戻ろうと、周囲を警戒しながら歩き始めたのだが、少し遠くに蠢く巨大な影を視認する。
しかもそれは、段々とこちらに向かって来ているのだ。
「……っ」
嫌な予感に思わず身を震わせながら妖石をしまい、やや足早にこの場を去ろうとするのだが、その影は方向を転換してしっかりと後を付けていた。
恐らく歩幅も巨体に準じて大きいようで、先程よりも大きく見えるその影は距離があっても尚、脅威である事が容易に窺えた。
その刺すような、こちらを視線だけで刺殺できそうな殺気の強さに震えが止まらない。もう、振り返りたくもない。
逃げたい、怖い、恐ろしい。
段々とその気持ちを表すように歩く早歩きになり、気付けば駆け足になっていた。
だが、こちらを逃がす気が無いのか、背後の何かは四足歩行の足音を立てながら追跡を止めない。
おまけに脚の速さが段違いなようで、今までよりも更に距離の詰まっていくのが、聞こえて来る足音と鼻息の音だけで簡単に推測出来た。
「……!」
何なんだ、あれは。あんな大きいのは今まで見た事が無い。
全力で逃げているのに、全力で走っているのに、撒けない。
じゃあ、逃げるのは諦める? 抵抗するのか?
魔法以外碌な武器の無い自分が、あの大きな存在と真正面から戦って勝てると言うのか?
分からない。五分五分、いいや恐らく分は悪い。
けど、このまま逃げ切れるとは到底思えなかった。寧ろ、このまま逃げ続けては背後から成すすべなく襲われて殺されてしまうだろう。
「くそ……っ!」
もう既に、すぐそこにまで迫った鼻息が、足音が、この逃走を容易にさせるつもりなどある訳ないのが丸分かりなのだから。
荒い呼吸、火照る体。けれど、背中だけは氷でもあてられているかのようにひんやりとしていて、鳥肌が収まる気配は無かった。
ぞくりと、一際強い悪寒が背中を駆け抜け、それに弾かれる様にして右へと身を投げた、直後。
「っっ!!?」
爪と牙を剥き出しにした巨熊が、空気と大地を抉った。
先程まで俺の居た空間を轢き潰し、そのまま更に十数Mも行き過ぎて言ったのだ。
土砂を爪で掻くその音は凄まじく、余程強い力で制動を掛けたのか、生物が付けたとは思えないほど長く深い溝を数条も残していた。
果たして直撃して居たらどうなっていただろうかと、考えたくもない想像に薄ら寒いものを覚えつつ、方向転換に手間取っている巨熊を背にして再度駆け出す。
そんな獲物に煩わしさを覚えたのか、小さな咆哮を一度上げたと思ったら、それは進路を阻む木々など委細構わず粉砕しながら突進を再開する。
「う、うおおおおおおおおっ!?」
その勢いは牙猪には遠く及ばないものの、それでも巨体に伴う迫力が不足を感じさせない。寧ろ、尚のこと脅威に映る。
反撃が、出来ない。というよりは、反撃の意思を折られる。抗う間があるなら逃れたいと、思わずには居られなかった。
しかし、だからと言っていつまでも続けば追い詰められる――ジリ貧な訳で、その事実がこの身体を衝き動かす。
「ッ!」
精神的な余裕なぞ皆無と言っても過言ではない中で、必死になって真後ろへ右手を伸ばして、指先より白弾を撃ち出していたのだ。
何度も、何度も、二秒ほどの間隔を置いて撃ち続けるのだが、だというのに巨熊の勢いは衰えない。
それに視線は茂る木々を避ける為に前を向くので狙いを良く定められず、荒い攻撃となっているのだ。
恐らく、当たっていないものが殆どなのだろう。
思わずチラリと己の背後を振り返ってみれば――。
「うっ……ぅおああああっ!?」
すぐ真後ろに、居た。
所々体毛を焦がし、血走った目でしっかりと俺の姿を見据えながら鋭牙をぎらつかせていた。
回避。
今度は左へと身を投げだして突進をやり過ごすと姿勢を整え、しっかりと狙いを付けた上で急制動を掛ける巨熊の背中へ拳大の白弾を撃ち出す。
外れる筈の無い、渾身の狙いで放った一撃。不安があるとしたら、この巨体に効くかどうか。
しかし、必中だと確信していたそれは巨熊の目に捉えられ、避けられていた。当てが外れた様に飛んでいくその弾丸は更に奥の木に命中し、それを爆ぜ飛ばす。
一撃が外れ、喧しい音を立てて倒れていく木を呆然と眺めていたのだが、その間にも危機は迫っていた。
言ってしまえば、命を奪いに来ている敵がいるのにも関わらず動きと思考を止めていたのだから。
「やっべ……!」
あっと気付いた時にはもう既に、左の鋭爪が振り被られていた。
咄嗟に巨熊の足元へ飛び込んで躱したが、一拍置いて鼓膜を揺らした大地の抉られる音に肝を冷やす。
あんなものを食らっては一撃で挽肉になってしまう事請け合いだ。ここが命の遣り取りをする場所なのだと改めて認識させられ、冷え切った肝に銘じつつ脇を駆け抜ける。
そして振り向きざまに再度白弾を撃ち出すのだが、やはり巨体に似合わない機敏な動きで躱されてしまう。
どうやらこの攻撃が脅威であると認識されてしまった様で、この前の牙猪や矮猿みたく一筋縄で倒せてしまう相手には、なってくれそうもなかった。
しかし、まだやりようはある。
後はそれを実行に移す機会さえあれば――。
「ッ!!」
飛び掛かり攻撃を間一髪飛び退って躱すが、その一瞬を回避に取られた事で思考を何処か彼方へ蹴り飛ばしてしまっていた。
駄目だ、もはやこの距離ではちょっとした思考すら命取りになる。けど、こんな巨躯を相手にするのなら頭を働かさなければ結局は命を落とすだろう。
時間を、隙を、作らなければ。
荒い呼吸と渇き切った口腔を自覚しながら不意に湧いて出たそれの、可否を考えている余裕なんて無かった。
尚もこちらを凝視し続けるそいつの目から視線を逸らさず、両手に掴めるだけの土を掴む。
他方、巨熊は一向に己の攻撃が当たらない事に業を煮やしたか、野太い咆哮を上げると今度は二足歩行になって両前脚を開き、俺を低く抱き締めるかのように突進してくる。
攻撃の範囲は広く、これでは脇をすり抜けるにも難しいと瞬時に判断。
当然、この攻撃には後退する他なかったのだが、ただで飛び退る様な真似はしなかった。
同時に熊の目を狙って、両手に掴んだ土を投げ付けていたのだ。
『――ッ!?』
流石にそれは予想も出来ず避け切れなかったらしく、顔面へ真面に直撃した砂は見事にその視界を潰す。
どれほど屈強で強大な体を持とうともやはり生物は生物、堪らず巨熊は蹈鞴を踏み、呻き声を漏らしていた。
その間に空かさず魔法を用い、今度は頭ほどの大きになった白弾を造り出す。だが丁度それが完成した時になって、どうにか目を開けたらしい熊はこちらを確かに視認する。
つまりは白弾の存在に気付いたわけで、こちらがそれを撃ち出したと同時に回避の姿勢を取り、見事に命中を免れて見せた。
「マジかよっ!?」
そして、これまでの苛立ちを爆発させたように一際大きな咆哮を放つと、今度こそ逃がさないとばかりに真っ直ぐ突撃を掛けて来る。
その驀進の標的であるにも関わらず、俺は逃げ出したくなる衝動を堪えて敢えてその場から動かずに立って居た。
――まだ、まだ、まだ。後、もう少し。
慣れない、難しい操作に四苦八苦し、失敗したらどうしようという重圧がのしかかる中でも、それでも己の恐怖心を押し殺して。
――来た。
今まさにこちらから見て右の鋭爪が俺を切り裂かんと襲い掛かる中で、ホッと一息ついたその瞬間。
巨熊の右肩辺りに、白弾が直撃した。
「っ!?」
迫っている最中だった前脚が標的を切り裂く事は無く、人と比べて何倍もの巨躯を持つ熊の体は枝や小石のように、呆気なく左へ吹き飛ばされていたのだった。
その様子は蹴り飛ばされた石の如く、大きささえ小さければ、ゴロゴロと転がっていく灰色のそれそのものであると言えた。
それから幾本もの木々を薙ぎ倒し、やや大きめの木の幹に激突して漸く停止した巨熊の姿は、もはや満身創痍。
口や鼻からは大量の血を流し、右前脚は欠損してこちらも出血、左後脚はあらぬ方向へ曲がっていたのだ。
「...........」
それでも掠れた様な呼吸音が、生命を留めている事を示している。
即死してもおかしくない、いやむしろしている筈だと思っていた身としては、生命力の強さに驚愕する他なかったが、それもそこそこに弱り切った熊の下へ歩み寄る。
『……ッ』
すると、事ここに至ってそいつは威嚇をするでもなく、怯える気配を見せ始めた。
じりじり、じりじりと後退を始めたのだ。
欠損した右前脚と折れた左前脚を除いた、残った二つの脚で尚も一生懸命に逃亡を図ろうとするその姿。
ふとそれが自分と重なって追跡の為に歩いていた速度が微かに鈍ったが、そんなものは刹那的な事だった。
これは命の遣り取りをした結果であって、勝った方が負けた一方の生殺与奪を握るのは当然の権利なのだから。
油断も、慈悲も無い。
「……じゃあな」
短く告げた直後、尚も生を諦めないそいつの頭部を、白弾で粉々に破壊していた――。




