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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第二章 イテツクココロ
24/239

第二話 僕は夢を見る①



 雲一つなく、青々と晴れた空。

 燦々と照り付ける太陽は大地を、そして屋外に居る人の肌をジリジリと焼き、窓から覗ける人影は皆誰もが暑そうに汗を拭っている。

 そしてそれを、俺は涼しい顔で屋内からぼうっと眺めていた。

 その周囲には親密そうな二人の少年と一人の少女が居り、俺を含めて楽しそうに談笑していた。

興佑(きょうすけ)、アレン、麗奈。

 彼ら彼女との、もう二度と戻りはしない遠い記憶だ。

 場所は階段が折り返している場所であるためなのか、いやに広く場所が取られており、そこに俺達は陣取っているらしい。


『……』


 アレンがこちらを見ながら何かを言っている様だが、例の如く何を言っているのかは全く聞こえない。


 “これは、いつの記憶だろうか”。


 朧げにある記憶の中から思い当たる物を探し出そうとするのだけれど、雑然とした記憶の海からはその尻尾を掴む事も出来そうにない。

 つい最近、本当にここ一週間くらいから時折見るようになったこれら記憶は、今までとは違って言葉が無い。

 正確には、思い出せないのだ。

 けれど、確かにある記憶。

 この時俺が何を思い、何を聞き、何を話したか。

 楽しい記憶であるのは、間違いない筈だ。

 少なくとも自分自身は、愉快だった覚えがあるし、実際親友たちの顔も笑顔そのものである。


 だがそこで過る、そして頭を(もた)げる一つの疑問。


 果たして本当にこの三人は楽しかったのだろうか、本当に喜んで居たのだろうか、俺を親友として見てくれていたのだろうか。

 誰一人として声が、音が無い夢の中で時折強烈な不安に、そして孤独感に襲われる。

 彼らは実はこの時も俺がどうしようもない奴だと思って、内心では嘲笑していたのではないか。

 馬鹿にしていたのではないか、信頼してくれていなかったのかもしれない。

 あの時の、三人の笑い声はどんなものだっただろう。

 腹の底から楽しんでいる笑い声だっただろうか。

 それとも、何処かに蔑む色がなかっただろうか。

 この懸念に、理由はない。

 それでも前世のあの時、皆が殺された時、彼らは俺を助けてくれたけれど、それでも本当に親友として見てくれていたのか、どうしても分からなくなってしまうのだ。

 無論、理屈では分かっているのだ。

 本当に親友でなければあそこまで身を挺して助けに入ってはくれない、と。


 でも、どうやったってこの恐怖は拭えなくて――。





◆◇◆





 いつの間にか夢が終わっていたと気付いた時には、暖かい日の光が左頬を撫でていた。

 緑の匂いを含んだ心地よい風が、木に(もた)れたこの身体を(よぎ)る。閉じていた瞼を開けば、そこにはどこまで行っても見慣れた森の景色が広がっていた。

 一つ、大きな伸びをして視線を下へ落としてみれば、そこには燃え尽きた薪が放置されており、どうやら熱を失ってから大分時間が経ってしまっているらしい。


「またやっちまったか」


 疲れていたのかと自分の迂闊さに自嘲するが、一方で体力はそれなりに回復していた。

 既に空高く昇った太陽の光を浴びながら、水の入った革袋から一口だけそれを含むと、口腔内を漱いだ後にそのまま嚥下する。


「……」


 寝起き直後の渇きをある程度は潤し終えたところで、まだ眠い目を擦りながら自分の右手の方角へと(すが)める。そこにあるのは、馬車一台分程度の幅を持った未舗装の道。

 通り過ぎてからそんなに時間が経ってない様に見える(わだち)が残る道は、どうやら森を切り拓いて作られたようで、その両脇は並び立つ木々に挟まれている。

 それでも日中という事もあってか、今もこうして道行く人の姿を認める事が出来ていた。

 とはいってもそこに居るのはたった一つの集団のみであり、十数人の人影と三台ほどの荷馬車があるだけ。それ以外に道行く人の姿は見当たらなかった。

 幸いな事に彼らの姿はまだ近く、ここにまで差し掛かるにはもう少しかかると踏んだ俺は、立ち上がると道へと身を乗り出す。


「あのー、ちょっと良いですか!?」


 寝起きの体では走って行くのも面倒だったので、大きく右手を振りながら声を掛け、そちらへ歩み寄る。

 すると、こちらが姿を現した直後には警戒する気配を見せた一団は、その場で脚を止めていた。

 つまりこっちからひたすら距離を詰める事になったのだが、近付くにつれて段々と明らかになって来たのは、四人ほどの武装した男性が臨戦態勢を取っているという事実だった。


「おい小僧、何の用だ?」


「えっと……その、ハットゥシャまでの道程(みちのり)を教えて欲しくて」


「ハットゥシャ? そりゃまた随分と距離がある場所じゃねえか。何だってまたそんな場所へ?」


 こちらに敵意はない、と一定の距離を置いて両手を上げつつ訊ねれば、護衛らしい男性の一人が怪訝そうな顔をする。

 彼の口振りから察するに相当に遠いのだろうが、旅路を想像しただけで疲れてしまいそうだ。

 そんな益体も無い想像を早々に思考から押し退け、腰から取り出した地図を広げると彼らに見せる。


「取り敢えず、この道をどっちへ行ったらいいですかね? ってか、ここってどの辺ですか?」


「……お前、現在地も知らねえでどうやって旅すんだよ? そんなんじゃいつまで経っても目的地に着けやしねえぞ」


「いや、まぁ……なる様にしかならないと思ったので」


 呆れた様な視線の男に誤魔化し笑いを浮かべ、適当に答えを濁す。向こうも深くは訊くつもりが無いのか、溜息交じりにそれ以上の追及を止めると地図の一点を指差す。


「今居るのはこの辺、あと数日の距離にボニシアカって大都市があるぞ。ハットゥシャに行くなら、俺らが来た道をずっと遡って行けば大丈夫だ。そのうちデカい街道に出るだろうが、通行税は足りるんだろうな?」


「通行税?」


 初めて耳にした単語に、思わず首を傾げながら訊き返していた。

 するとそんな事も知らないのかと、呆れた様な顔を見せた面々の内の一人が口を開く。


「例えば橋とか、関所を通る時に役人へ払う税金の事だ。ひょっとして知らないのか?」


「ええ、まぁ。実はつい最近旅を始めたものでして」


「……はぁ? お前みたいな歳で、たった一人で旅してるってのかよ? 幾ら日が浅くても、よく今まで生きて来れたな。自殺行為にも等しいぞ、それ」


 引き返した方が良いんじゃないかと言ってくれるが、しかしもう俺には帰るべき場所なんて無い。

 ハットゥシャと言うのも、ミヌキウスが言っていたから目指しているに過ぎないのだ。

 それはさて置き、聞きたい事は聞けた。

 顔と装備は厳ついながらも親切な助言をくれる護衛の男性達に礼を述べつつ、擦れ違って彼らとは反対の方角へ行く。


「ああそうそう、最近は戦が少ねえから盗賊化した傭兵団が増えてるらしい。妖魎(モンストラ)以外にも危険はあるって事で、オメエも気をつけろよ」


「はい、ありがとうございます」


 最後に、と付け足してくれた情報の重大性を認識しつつ手を振り返すと、ただひたすら先へと進む。

 森に比べれば遥かに歩きやすい道だ。しかし一方で通行人は多くないのか、轍以外の場所から草が生い茂って居たり、木の枝が飛び出ていたりする。

 それらに鬱陶しさを覚えつつも手で払い、どれくらい進んだだろうか。

 ふと、茂みを掻き分ける複数の音を耳が捉えていた。

 それらは真っ直ぐに事らへ向かってきており、しかもその方向はバラバラ。前後左右から、次第に近付いて来ていたのだ。

 もしかして先程話に聞いていた盗賊たちかとも思ったのだが、幾ら木陰があるとはいえ、大人ならばそろそろ姿が見えても良い距離である。

 だと言うのに見えないのならば、残る線で濃厚なのはただ一つ。


 それは、妖魎(モンストラ)


 森で鍛えられた感覚は反射的に身構えさせ、いつでも敵の襲撃に即応できる体勢を取っていた。

 ――そして。

 まるで人間が人語を解さないような、それでいて甲高く喧しい声と共に、子供にも似た影が姿を現す。


「なん、だ? ……猿?」


 腰に括りつけてある短剣を引き抜き、見据える正面にあるその姿は、大体俺より頭一つ分小さい身長であり、まるで人間を小さくしたかのような容姿をしていた。

 衣服は何かの毛皮らしいものを纏っている様だが、粗末な他に言いようはなく、短い毛が生えた剥き出しの地肌は、やや緑がかった灰色に見える。


「...........」


 人で言えば白目に当たる部分は黄色く濁り、とりわけ突き出た鉤鼻は、人に近いけれど別の生き物である事を強烈に主張していた。

 しかもその数は一体だけでなく、合わせて五体が俺を囲う様にして姿を現していたのだ。

 おまけにいずれの手にも、石器で作ったらしい武器を持って、である。

 言葉が通じる気配は無く、それでいて他の獣などと同様に向けられてくるこの殺気は本物。つまりは、狩れそうな獲物としてこれらに認識された事に他ならない。

 見た目的には以前森の中で見かけた巨大な熊の圧力に遠く及ばないものの、しかしこれらは皆武器を持っている。つまり相応の賢さを持っているという証左であり、軽々しく短剣での攻撃を仕掛けようものなら袋叩きにでも遭いそうだ。

 ただし、それは短剣しか攻撃手段が無ければ、との仮定の話でしかなくて。

 相対する猿のようなそれらを敵だと認識したその瞬間、俺は左掌の上で白い球体を造りだす。すぐさまそれを粗末な弓矢を持った個体にお見舞いし、一拍置いて対象を消し飛ばす。


『!?』


 鈍い音と一緒に、肉塊へ成り下がった仲間に彼らの注意が向いた隙に一息で距離を詰め、俺は右の短剣を一息に突き出した。

 その狙いは過たず首の動脈へと直撃し、傷口から勢いよく鮮血を噴きだしながら二体目が斃れていく。

 瞬く間に仲間が二体やられ、喧しい声で喚く彼らだが、その間にもこちらは次の手を打っている訳で。

 ここで漸く動揺を押さえ込んだらしい一体が、石の穂先が付いた粗末な槍を手に飛び掛かって来るのを、万全な体勢で迎え撃ち、首元を切り捨てる。


「おらっ!」


 ついでに空いている左手で再度造り出した白弾を撃ち出して四体目を仕留めてみれば、残された一体は悲鳴のような叫びを上げて逃げようとする。

 これがいつぞや遭遇した狼であったりするのならば逃がしたりもするのだろうが、今逃げているのは手応えの限りだと刃物で割と簡単に殺せる存在だった。


「――ッ!!」


 握り締めた短剣をその後頭部目掛けて思い切り投げ付けてみれば、直撃して深々と突き刺さったそれはいとも容易く最後の一体を屠っていたのだった。


「……ふぅ」


 木々や体のあちこちに血が飛び散る中で、再び沈黙が訪れた周囲を見渡しながら汗を拭う。

 次いで初めて見る、グラヌム村周辺には生息していなかった人型の生物に目を落とし、改めてよく見ようと軽く足で蹴飛ばす。

 だらんと脱力した死体は為されるがままに仰向けとなり、大きく見開かれた目や口にやや傾いた陽の光が差し込んでいる。

 どの様に見ても人に、そして猿とも似ていないその姿に頭を捻るほかなかったのだが、ふと脳裏をミヌキウスの顔が過った。


「……矮猿(ゴベリヌス)?」


 もはや遠い昔にも感じるあの平穏であった日に、ガイウス・ミヌキウスが狩猟者(ウェナトル)として目撃、狩猟した妖魎(モンストラ)を幾つか語ってくれていたのだ。

 その中にあったのが、人には及ばないものの器用で狡猾な存在である矮猿(ゴベリヌス)であった。

 ミヌキウスが語ってくれた容姿と一致するその姿は、考えれば考える程にそうであるように思えた。

 白目の部分が黄色で薄い体毛があり、その毛の色は緑がかった灰色。簡素な皮の衣服を纏った体躯はだいたい一三〇CM(ケンチ)で、人語は介さず原始的な道具を使う。

 これだけ一致している部分があって違う筈も無く、正体が分かって満足すると同時に、死体を見下ろしながら思う。


「......こんなもんだったっけ?」


 命を奪う事に対する忌避感が、かなり薄らいでいる様に感じられたのだ。

 勿論人の命を奪う事は今でも忌避感を覚えるが、人と似た形をして、同様に赤い血を流すものの命を奪っても、全くと言って良いほど動揺していない自分が居たのだから。

 最初の頃はまだ妖魎(モンストラ)そのものが怖かったし、自分が放った魔法のせいで飛び散った血肉を見て肌を粟立てた事もあったが、今はもうそれが一切無い。

 これが「命を奪う事に慣れる」のかと、ミヌキウスの言っていた意味を、身を以って知ったのだった。

 とは言え、流石に返り血塗れになってしまった今の状態は、何度なっても慣れない。これを落とせる川などは無いものかと辺りを見渡していたが、しかし運の悪い事に流れは何処にも見当たらなかった。

 幾ら嗅いでも慣れない血生臭さに顔を顰めながら、死体の一つに刺さっていた短剣を引き抜き、血糊を払う。


「……」


 それから、傾きかけた太陽を見上げつつ、街道を目指して足早にその場を立ち去るのだった。





◆◇◆





 高くて、狭い。そして何より、堅牢。

 それが生まれて初めて、石造の都市と言うものを目にした時に抱いた感想であった。

 地球の巨大高層建築を見て来た身としては、大した事無いように思えるものの、しかしこれ程までに大きな建造物を見るのは実に十三年振りだ。

 何より日本では見られない、西洋風の石造建築はそれだけで足を止めるに十分だった。


「すげー」


 まず目につくのは八M(メトレ)にもなろうかという、見上げんばかりの城壁。それは、中を全く窺い知らせないようにぐるりと円形を描いていた。

 その周囲にはぽつぽつと民家が広がり、疎らなそれらの住人らしい農民が、家の何倍もある畑を耕していた。

 それらの人影が時折こちらを見ては作業の手を止めているのを感じつつ、途中見つけた河で矮猿(ゴベリヌス)の返り血を落としておいたことにホッとする。

 それでも完全に汚れを落とせた訳では無いのだが、そもそも灰色の外套ゆえにくすんだ血の汚れなどは大して目立たなかった点が幸いだろう。


「あの、ちょっと訊いても良いですか?」


「あぁ? 別に構わねえけど……」


 比較的近くに居た農民の元に歩み寄って背後から話しかけてみれば、少し不機嫌そうに顔を顰めながらも応じてくれた。

 右手にチラつかせた中銅貨(アス)に彼が目を奪われている事を見るに、その理由を察する材料は十分過ぎるだろう。

 やはりこの手は有効なのかと、ここに来るまでの道中で試した効果のほどを確かめる。


「東にあるっていうハットゥシャまでの道程(みちのり)、知りません?」


「……ハットゥシャぁ? 知らねえな。けど、東から来る奴はここから更に先の街道を行ったところにある、ボニシアカって街から来てるぜ。参考になったか?」


「ええ、どうもありがとうございます」


 幾分か粗雑な答えでありながらも、それでいて実際には丁寧な答えをしてくれた彼に礼を述べ、銅貨を投げて渡しておく。

 チャリン、と親指に弾かれた中銅貨(アス)をキャッチした彼は、満足そうに顔を綻ばせると畑に戻って行った。

 その背中を見送り、太陽の位置から方角を割り出すと都市には入らずそのまま真っ直ぐ街道へと向かう。

 それと言うのも村より遥かに人の多い都市では、自分の容貌が知られてしまった時の危険度が高すぎるし、何より入市税を取られてしまう。

 ただでさえ、この場所に来るまでに数日の所要日数と数千T(タレト)にもなる関所の通行料を取られているのだ。

 そこから更に余計な金を払って、多くの人目に怯えるような真似をする訳には行かなかった。


 正直言って行ってみたいとは思うのだが、それでも我慢は我慢。


 旅の人と擦れ違い、話したりする内に具体的な金銭感覚が何となく分かった事もあって、いま節約が必要であると理解していた事も大きかった。

 しかしそれにしても、橋や城の近くを通る度にある関所にはいい加減辟易とする。何せ、一度に千T(タレト)以上を寄越せと言ってくるほどなのだ。

 何とか払わずに済ませられないかと思案もしたのだが、そんな時に偶々関所を破った者が厳罰に処されているところを目撃してしまった。


 厳罰――つまり奴隷落ちで、鉱山奴隷が余程嫌だったのか、目を血走らせ必死になってもがいていたのが印象的だった。


 そんな様子を見ていた身としては、そのリスクとリターンが見合っていないようにも感じる。

 加えて、管理された道以外を通る事は、更に別な危険も伴う。

 関所などのある街道は、その土地の領主が管理しているからこそ非常に安全である。逆に、それ以外の道を使おうものなら迷いやすくなるし、危険な獣に遭遇する確率も跳ね上がってしまう。

 おまけに、通行税を払わない事が露見すれば、苦労して道なき道を通ったところで捕まって、前述のように奴隷落ち。


 一般的見地から考えても、だったら高いとは思いつつ支払った方がマシと言うものだ。ただ、こうして旅をしていて思うのは、その街道を利用するはずの旅人の数が非常に少ないという事である。

 やはり旅費と言うものが馬鹿にならないのか、旅行者らしい人達は皆装備が整っているし、それなりの人数で行動している。

 出会う人々に話を聞けば巡礼者や狩猟者(ウェナトル)、職人、商人などが殆どであり、目的もなくブラブラしている様な旅人は一人たりともいなかった。

 理由は単純、目的もなく単独で旅をするなどと言うのが自殺行為に他ならないから。都市や村の外に潜む危険は妖魎(モンストラ)だけでなく、人すらも脅威足り得る。

 例えば貧困に喘いだ逃散農奴、仕事の無い元市民、雇い主の見つからない傭兵団、狩猟者(ウェナトル)崩れのならず者。

 賊と化した彼らは、生きる為に見ず知らずの誰かの命を踏み台にして、自分が生きる事を選んだ存在だ。

 そしてそれは、ともすれば自分すらもそれに当てはまるのではないのだろうかと、時折己を苛んでいた。

 未だ忘れる事の出来ない、殺めてしまったルキウスの見開かれた目が、俺を睨み続けている様に感じるのだ。


「くそっ……」


 気付けば胃がムカムカするような不快感を覚えて、そんな悪態が口をついて出ていた。

 だが、そんな時でも辺りへ注意を向けていた耳目は、それぞれ一つを感知する。


 即ち、音と影。


 狼にしては重い四足歩行の足音。加えて狼にしてはずんぐりとした大きい影。

 そこから更に荒い鼻息と、灰色をした巨躯が明らかとなり、どうやらそれは森の中から一直線にここを目指しているらしかった。

 その距離はもう既に、二十M(メトレ)を切ったくらいだろうか。人の足よりも遥かに高速度で迫るそれは、危険だと察した時点で、既に目と鼻の先にまで来ていた。


「――ッ!?」


 転がった後の受け身とか、次の備えとかを考える間もなく、咄嗟に右へと身を投げだす。

 刹那、一拍すらも置かずに先程まで居た場所を四足歩行の塊が駆け抜け、風切り音と同時に砂や礫を巻き上げていた。

 爪先が僅かに掠った感覚に肝を冷やし、一方で避けた事で地面に打ち付けた右脇腹の鈍痛に顔を顰め、立ち上がりながら右手で摩る。

 触った限りでは精々打撲だろうと判断しつつ、次いで己を襲撃して来た正体へと視線を走らせた。視線の先に居たそれは、丁度急制動の音と砂埃を立てながら前屈みになって止まっている最中だった。


「いの……しし?」


 のっそりと振り向いたソイツを素早く観察してみれば狼と比べて遥かに短い四肢と、ずんぐりした胴体、そしてこちらへ向けられた鋭い双眸と双牙。

 下顎から生えているらしいその鋭牙は、天では無く正面を突き破らんばかりに根元から捻じ曲がり、正面に立つ標的(おれ)を捉えて放さない。


「……“牙猪(アペルンテス)”!!」


 そうだと判断するのに必要な材料は、あの特徴的な牙だけで充分だった。

 グラヌム村でミヌキウスから聞いただけで無く、道行く人からも仕入れていた情報からも、この辺りで多く出現するのは聞いていたのだから。

 もっとも、まだ都市を過ぎてから数KM(キロメトレ)と言ったところで、道幅も広い街道で出くわしたのは流石に驚かされるものである。

 村の入会地で見かけたただの猪とは全く迫力が違うと、記憶を探りながら比べるが、そんな考えは即座に放棄する。いや、放棄せざるを得なかった。


「……!」


 話に聞いて想像していた以上に、牙猪(アペルンテス)の突進が豪速で、殺人級の威力を誇っていたのだ。

 回避を選択する以外、何も出来ずに再度外套を砂で汚せば、あれの突っ切った方向からけたたましい音が鳴り響く。

 何事かとそっちへ目を向けてみれば、そこには己の胴体より二回りは大きい木の幹が根元でバキバキと粉砕され、倒木と化している真っ最中であった。


「嘘だろ!?」


 見ただけでもその突進の危険さを十分理解していた筈だが、実際にその威力を目の当たりにすると、その余りにも馬鹿げた膂力に目を剥くしかない。

 こんなもの、喰らったら大怪我どころか即死間違いないのだから。

 しかし、こちらの戦慄を知る由もないのだろう牙猪(アペルンテス)は軽く頭を振ると振り返り、身構えたと思ったらまた一気に突進をして来る。

 繰り出される必殺の一撃は、けれども直線的で分かり易い。先の二回よりも幾分余裕を持って躱したのは良かったのだが、反撃しようと咄嗟に振り抜いた短剣は空を切る。


「ちっ!」


 駆け抜ける速度の速さ故に、こちらが武器を振るう頃にはもう攻撃範囲に居ないのだ。

 ならばと左掌に集中して魔力を集めるのだが、それが完了するよりも先に、牙猪が四度目の突進を掛けて来る。

 やはりその速さは衰える事を知らず、慌てて撃ち放った白弾は見当違いの方向へと飛んでしまう有様だった。


「くそっ、何なんだよ、コイツぁ!?」


 余裕が無かったせいで無様な格好で突進を躱す羽目になり、口に入った砂を吐き出しながら、同時に苛立ちをも吐き出さずには居られない。

 もう頭に来た、と再度魔力を集中させながら牙猪(アペルンテス)の突進を今か今かと待ち侘びれば、やはり馬鹿の一つ覚えのように真っ直ぐに牙を突き立てて来る。


「......!」


 しかし今度はここで白弾を撃ち出す真似はせずに余裕を持って躱し、それが急旋回を掛けている背中へとそれを撃ち出していたのだった。

 一度目とは違って相手の動きは止まり、こちらは心理的にも余裕のある時間でそうしたのだから、当然狙いが外れる訳もなく。

 十分に力が溜められ、狙いの定められた魔力の球は過たず猪の背に直撃し、対象を一瞬の内に肉塊へと変えていた。


「おー、やったか」


 断末魔の悲鳴すら上げる間もなく絶命したそれは、下半身の散逸した無残な遺骸を晒して、もう二度と動かなくなったのだった。

 返り討ちに成功した事を確認して安堵の溜息を漏らすが、一方でそこには幾らか落胆の気持ちが籠る。

 折角猪を狩ったというのに、その肉が半分近く吹き飛んでしまったのだから。

 出来る事ならもっと綺麗に仕留めたい所なのだが、自分の技術が拙いせいなのか中々上手く行かない。


「儘ならねえよなぁ、ホント……」


 少し損をした気持ちになりつつ、それでも折角倒したのだからと肉を剥ぎ取る。

 もっとも、折角の肉も燻製などでの保存が利かないので、余り多く持っても袋の中で腐らせてしまうだけなのだが。

 確保・保存出来て精々明日くらいまでだろうと判断し、その分だけ剥ぎ取るとついでに下顎の二本牙も剥ぎ取って置く。

 ただし根元からしっかりと生えていたその牙は剥ぎ取りに苦労し、最終的には小さな白弾で顎を砕いてようやく入手できたのだった。

 牙の長さは大体三十CM(ケンチ)ほど、その密度は高くて手に持つとずっしりとした重みを伝えてくれる。

 そして、堅さも()ることながら鋭さも充分であり、試しに手頃な木の幹へ刺してみれば、そこまで力を入れていないというのに先端部が易々と刺さってしまう。

 やはり、この鋭牙は多分どころか確実に有用であるらしい。それこそ、専門の鍛冶職人などが加工した日にはそれなりの物になりそうまである。

 剥ぎ取って正解だったと思いながら、少し上機嫌で歩みを再開していた。





◆◇◆





「……うわ」


 心地の良い昼下がりにふと目に付いたのは、街道を見下ろす形で崖の上に立っている城。それの意味するところを察し、思わず足を止めて顔を顰めていた。

 もっと言えば、この街道の先にはそこそこ大きめの川と橋も見える。尚のことこれらの意味するところを理解出来ない訳もなく、俺は懐の残金を確認する。

 既に橋へ陣取っている兵士もこちらを視認して凝視しており、橋を通行しようものなら通行料を徴収する気満々なのだろう。

 もうどうとでもなれと、半ば諦めの境地の中で橋へと一歩を踏み出す。


「おい、そこの。止まれ!」


 止められなかったらそのまま突っ切るつもりで居たのだが、案の定橋へと足を踏み入れたところで呼び止められる。

 その居丈高な声に少しむっとした気分になるものの、これまで通って来た関所も大体こんなものだ。

 こちらとしても余り丁寧に応対してやる気は霧散しているが、それでも彼らを怒らせないように理性で歯止めを掛ける。


「はいはい、通行料でしょ。幾ら? 千、それとも五千T(タレト)?」


「はん、そんな安い訳が無いだろ。一万T(タレト)だ。払えんなら通さんぞ」


「え!?」


 こちらを嘲笑するように鼻を鳴らされ、思わず絶句する。

 それもその筈、今まで通って来た関所で支払った通行税は精々が五千T(タレト)で、それを上回る税を課された事など無かったのだから。

 加えて、平均的な農奴の一か月の生活費がだいたい四千T(タレト)以下であると聞いた身からすれば、それがどれほど法外な値段なのかも理解できる。


「高すぎないか!?」


「ま、ガキには不釣り合いな金額だ。諦めて故郷のママにでも泣きついたらどうだよ?」


 一人が煽る様な言葉を寄越したかと思えば、一拍置いて他の兵士達が大口を開けて大笑する。

 そんな彼らの余りな態度に思わず露骨に舌打ちしながら、大銀貨(アルゲンテウス)を一枚取り出し、彼らへ向かって乱雑に(ほう)っていた。


「へへ、毎度あり~」


 恐らくあの通行税には、彼らが上前を撥ねる為に幾らか上乗せしているのだろう。全く胸糞の悪い事だと思いつつ、聞こえて来る嘲笑を背にして橋を渡る。

 だが、その渡り終えた先でも更にまた別の一団が立っていた。その装備を見る限り彼らもどこぞの兵士なのだろうが、先程のとは装いが違う。

 恐らく主人が違うのだろうが、そんな彼らの陰湿な笑みを見て何となくだが嫌な予感を覚え、そして川岸の両岸にそれぞれ城がある事実を認識して、再度絶句した。


「はいは~い、通行税徴収しますよ~」


「ふざけんな!? さっき橋を渡る前に払っただろ!?」


 面白がるように掛けられた声に、馬鹿げていると怒鳴り返すのだが、彼はだからどうしたと言わんばかりに反論してくる。


「そんなの関係ないぜ。あっちはあっち、こっちはこっちだ。何せ、ここは封土の境界だからな。地図とか持ってりゃ分かる筈なんだけどよぉ」


「そうそう、あっちはセウェルスって男爵(バロ)様の領土で、こっちはパウルスっていう子爵(ウィケコメス)様の領土って訳だ。この意味、分かるだろ?」


 その言葉を告げられ、そして意味を理解し、又もや露骨に舌打ちしてしまう。

 確かに地図は持っているが、こちとら文字が読めない。今が具体的に何処に居るのか等全く分からないし、知りようがなかった。


「こっちの通行税も一万T(タレト)だ。けど引き返すってんなら止めやしねえぜ。ただし、向こうへ入るならもう一回一万T(タレト)払わねえと駄目だけどな!」


 可哀想に、と思っても居ないであろう言葉を言いながら大笑いする彼らを、瞬間的に殴ってしまいそうになる。

 だが相手は数が多い上に大人で、しかも武器を持っているのだ。例え喧嘩した所で敵う訳が無いし、下手をすれば殺されかねない。

 深く被ったフードの下で俯いた顔が強張るのを感じながら、それでもどうにか冷静である事に努める。

 そして再度大銀貨(アルゲンテウス)一枚を取り出し、最も近くに居た兵士へそれを押し付けると、無言でその場を通り過ぎるのだった。


「頑張って生きろよ、クソガキ!」


 ぎゃははは、と背後から聞こえて来る下卑た笑い声に何か返す事をせず、沸々とした怒りを胸にしたまま、二つの徴税集団が見える場所へと陣取る。

 何となく、徴収されっぱなしで居るのが癪だったので。

 彼らは彼らでやる事が無いのか、どちらも何事かと俺を注視していたが、少し前に剥ぎ取った牙猪の鋭牙を川の水で洗っているのを見て一旦は興味を失ったらしい。

 だが、袋から包みに入った猪肉を取り出し、火を焚いて剥ぎ取ったばかりの猪肉を焼いてみると、様子が一変した。


「...........」


 しかし、当然ながらそれで手を止める筈も無い。

 凝視する彼らの前で、俺が肉汁を滴らせるそれに齧り付くなどして目一杯寛いでみれば、橋の兵士の視線はいよいよ釘付けになっていた。

 やはり、兵士であろうと肉は貴重なのだろう。

 臭みの強い、癖のある肉だったが、それでも肉は肉。したり顔で目一杯食べてやると、遂に我慢ならなくなったらしい。兵士達からは幾らかの激しい罵声が聞こえて来る。


「うめえ」


 だが、そんな声はすべて無視して焼いてあった最後の肉を食べ、嚥下した。

 すると居ても経っても居られなくなったのか、怒声を伴ってこちらに駆け寄って来る気配を見せ始め、しかし既に肉は食べ終わっている訳で。

 背後からは「寄越せ」とか「ふざけるな」などの声が届いていたが、彼らはそこまで長く職場を離れられないのだろう。

 街道の更に先へと進み始めた俺を、肉を求めて深く追おうとする兵は誰一人として居なかった。

 少しスッキリした気分になった俺は、軽い足取りで子爵(ウィケコメス)の地位にあるパウルスとやらの領内街道を歩く。だが、一気に少なくなった持ち金の事を思い出して、金を工面しなければならない事にげんなりする。


 十万T(タレト)はあった筈の所持金は、今や四万T(タレト)にも満たない。


 関所での通行料徴収が最も痛かったが、情報集の為に支払った金も多くは無いけれど馬鹿に出来ないくらいだ。後者については非常に有益な情報が得られたので仕方ないとしても、この調子ではいずれ金も底をつきよう。

 完全に金が無くなってからでは遅いのだ、早い内に手を打っておくに越したことは無いだろう。


「金を、金を稼がないと……」


 さっきまで軽かった筈の足が急に重くなったような、そんな気がした。




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