エピローグ
空一杯に広がる、青一色。
晴天の下で木の葉が揺れ、背の低い草を新緑の匂いを孕んだ風が優しく撫でる。
遠くに望むは白い化粧をした山々が連なり、はるか上空からは燦々と日光が降り注いでいた。
そんな中、不意に吹いた一際強い風が数多の草木から色鮮やかな花弁を攫い、空に彩りを加えていく。
それらが織り成す長閑な、まさに牧歌的な景色。
見る者が見れば思わず足を止め、暫く魅入ってしまいそうなその景色を前にして、俺は大きな伸びを一つするのだった。
「ラウ、何してるんだ?」
「何って、ただただいい景色だなーって」
「年寄みたいな事を……暇なら少しは私を手伝ってくれたらどうだ?」
「ん、ああもうそんな時間だっけ? ごめん」
少し不満の色を含んだ女性――シグの言葉に、俺は慌ててそちらへ足を向ける。
それから彼女の指示であれをしてこれをしてを繰り返し、そうして屋外に広げられるのは大きな卓とそこ一杯に乗せられた料理の数々だった。
「これだけあれば大丈夫、な筈だ」
「……何となく不安になる言葉だな。まあ、私もそれについては同意なのだが」
だとすればまだまだ諸々の用意をしなくては――と思った丁度その時。
「おいーっす。やってるみたいだな」
「スヴェン! それにシャリクシュとイシュタパリヤまで」
「別に驚くようなものでもないだろ。俺達三人であちこち旅して回ってる訳だし、そりゃここ来るときは一緒になるっての」
あの日――精霊サトゥルヌスを討ち果たしてから、久しく。
それ以降も時々会っていたとは言え久し振りに再会した面々と言葉を交わして、自然と表情が綻ぶ。
「俺達の方からも色々と食材は持って来たぞ。足りるか分からんけど」
「ああ、でも助かる。今日は流石に大事だからな……」
そうやって差し出される食材を受け取りながらスヴェンに感謝の言葉を告げている、と。
「おう、久し振りだなラウレウス!」
「来たな大食漢ども」
「随分な言いようしてくれるじゃねえか」
少し距離があるとはいえ、俺の呟きをしっかりと聞き取っているのは流石と言うべきか。
姿を見せ始める、ユピテルを始めとした大食漢共――もとい精霊一行は後ろに無数の荷馬車を引き連れていた。
「まあでも今回は大丈夫、俺らだってちゃんと食材持って来たんだぜ、なあメルクリウス?」
「ああ。ラウレウスさん、食材切れの心配はしないで下さい。それと、追加の料理も私達の方でやりますので、今日の宴会は楽しんでくださいね」
「え、でも今回は俺らが主催なんで……」
「堅い事は言わないで下さい。そもそも、精霊の食事に付き合って給仕をしていたら地獄ですよ」
確かにその通りである。正直な所、俺もシグも精霊相手の給仕はしたくないのが本音なのだ。
それを察してくれているメルクリウスの思いやりに感謝して結局甘えつつ、それでも最初の出だしだけは手を抜きはしない。今の様な平穏を手に入れるまでに、彼らを始めとした多くの者達から手助けを受けて来たのだ。それを蔑ろにする様な真似など出来る筈も無かった。
「それにしても、今回は随分と多くの人を呼ばれたみたいですね?」
「ええ。一応、今まで関わりのあった人には、連絡先が分かる限りで招待しましたから」
「そしてその殆どが参加と。言ってくれれば私も手伝いましたのに」
「いやいや、メルクリウスさんだって忙しそうじゃないですか。聞きましたよ、また店の規模が大きくなったそうで」
精霊達の中で最も活発に動いているのが、このメルクリウスだ。彼はメルクリウス商店の主であり、商人として事業拡大に余念がない。
大昔からずっと続けていることなだけに、彼の夢を多くの精霊が応援していた。
「私の夢は人であった時から変わりません。いつか世界各地に私の店を立て、世界一金の動く事業を取り扱ってみたい。それだけです」
「……何か、悪の親玉みたいですね」
「人聞きの悪い。私はそんなことしませんよ」
冗談めかして俺が言えば、彼もまた相好を崩しながら抗議の言葉を口にする。もとより彼のその気がないのが最初から分かっていることだからこそ口に出来るものだが、新たにその会話へ割って入る者が一人。
「案外、何千年後には嘘じゃなくなってるかもしれませんけどね」
「あ、リュウさん。数年振りです」
「うん、久し振り。ラウ君はまたしばらく見ない内に精悍さが増したね」
「そう言うリュウさんは全く変わってないみたいで」
顔の上半分を覆い隠す仮面を外して笑いかけて来る青年の姿は、実際何も変わっていない。
俺の体は年相応の体つきへと変化しつつあると言うのに、彼は背丈も顔立ちも声も何もかもがあの時のままなのだ。
「やっぱり時の流れは速いねえ。僕なんてもうおじいちゃんだよ」
「その見た目でそれ言われると凄く違和感ありますけど」
そんな会話をして思い出話に花を咲かせる事、暫く。
招待状から参加との返事を寄越してくれた者が続々と訪れ、そして遂に大規模な屋外宴会が開催される。
無論、精霊達はその多くが料理を貪り、鯨飲馬食の様相を呈したのは言うまでもない。
「ガイウス、行けー! 裸踊りだ!」
「ふざけんな! 何で俺が脱がなくちゃいけない!?」
「お嬢! お久し振りでございます! このタグウィオス・センプロニオス、この日をどれだけ待ち望んだ事か……!」
「ええい鬱陶しい! 酒臭いぞお前達!」
「クィントゥスー、もっとお酒ぇー!」
「駄目だレメディア、お前飲み過ぎだぞ!?」
余人の目が無いというのは、やはり思いのほか良かったのだろう。ここは屋外なので呑み過ぎて吐こうともその場所には事欠かない。
しかし、長閑で牧歌的な光景に汚らしいものと匂いが漂うのは少し勘弁かなと思いつつ、俺はコップに口をつけていた。
「や、今大丈夫かい?」
「リュウさん……良いですよ。ただ景色眺めてただけなので」
「そかそか、良かった。それにしても良い所の立地に家を建てたね。シグ君との愛の巣が意外と小ぢんまりしてるのには驚いたけれど」
「愛の巣って……」
ちら、とリュウが視線を向ける先には、木造と石造が組み合わさった平屋建てがぽつんと建っている。近くに他の建物は見当たらないが、決して孤立している訳では無く、ただ村の外れに位置しているだけなのだ。
「リュウさんはここ最近、何してるんですか?」
「んー、色々と。主に東界をウロウロするのが中心かな。風の痕跡が他には見当たらないし」
「ああ、やっぱり簡単には手掛かりも見つからないんですね。俺の方でも何か情報あったら伝えときますよ」
「ありがとう」
その遣り取りで、一旦会話が途切れる。
だけど決して気まずい空気となる訳では無くて、ただ漫然と二人して山々を眺め続けていた。
「……ラウ君は、いや君達は、何も訊かないんだね」
「訊くって、何を? ……ああ、リュウさんの事ですか。俺達だって余り人に言いたくない前世の暗い記憶があるんです。何か事情がある人に無理矢理話せなんて言える訳ないじゃ無いですか」
「でも、良く考えるとそれって不平等だよね。僕は君達の過去を知っているのに、君達は僕の過去については何も知らない訳だし」
「いや、だから別にリュウさんが過去を無理に話す必要は無いですって。無理矢理聞き出した話が暗くて、お互いブルーな気持ちになっても良い事なんて無いでしょ?」
不意に覚悟を決めた様な顔を見せるリュウに慌ててそう言うのだが、彼はそれでも意思を撤回するつもりはないらしい。
「こういうのは偶には吐き出してみたくなるものだしね。だからこれは僕の独り言、嫌なら耳を塞いでくれてもいいよ」
「そう言われても、人が真面目な話してるのを耳塞いで聞かないのは心情的に無理なんで……しょうがないし聞くだけ聞いてあげますよ」
「助かる。思い返せばここ暫く、誰にも言ってなかったしねえ」
かつての僕は、この見た目通りの歳をした人間だったんだ……と、彼は語り出す。
だけどそれは少し離れた場所から聞こえてくる馬鹿笑いに隠れて、俺以外の誰にも聞かれる事は無かった――。
「どうだった?」
全てを話し終えた時、リュウは再び仮面を装着し直していて、彼の表情を良く窺い知る事は出来なくなっていた。
そんな彼からの問い掛けに、俺はほんの少し顎に手を当てて、そして言う。
「クソみたいにつまらない話でしたよ。ついでに胸糞も悪いと言うか、よくもそんな話をこんな場所でしてくれましたね」
「そっか、やっぱり君らしい感想だ。僕に気を使ってくれたんでしょ?」
「……まぁ安っぽい同情が欲しいなら違う感想にしますけど、不満ですか?」
「いいや、全く。僕だって糞面白くないと思うからね。そう言ってくれて助かるよ。絶対にこのままで居てやれるものかって思えるし」
ゴロン、と彼は野原の上に大の字になって空を見上げる。
俺もそれに倣って空を見上げれば、燦々と降り注ぐ日光が頬を照らし、眩しさに目を細めているとふとリュウが口を開く。
「ねえ、僕ってこれからどうするのが正解だと思う?」
「俺みたいな若造に人生相談ですか? 普通逆でしょうに」
思わず吹き出してしまうと、リュウは少し拗ねた調子で言う。
「しょうがないじゃあないか。生き様に正解なんてないんだから。僕だって訳が分からなくなるに決まっているよ」
「だったらもうそれが答えだと思いますけどね。貴方自身が、どうすれば満足して最期まで幸せでいられるかって」
「それが分かれば苦労しないよー」
「駄々っ子か」
生憎だが俺は青い猫型ロボットでも無ければ、リュウの肉親でも無い。ただ彼の過去と今の為人を知る他人でしかない。
だからその先は彼が自分で見つけるしかないのである。自分の事は自分で決めるべきだし、自分の事は自分が一番分かる筈だから。
「分からないなら自問自答繰り返すか、一遍殺されてみたらどうです? 自分が本当に欲しいものが分かるかもしれませんよ」
「それが出来たのは君達だけだよ」
都合よくそんな事が出来る訳無いだろうと、今度はリュウが笑う気配がした。それと共に彼の少し重かった声に色が乗り、上体を起こして大きく一度伸びをする。
「まあでもありがとう、君に話して良かったよ」
「師匠と呼んでくれても良いですよ」
「調子に乗らないで。あくまで君は僕の弟子であり友だ。たった一回の人生相談で師匠面するようなら、また気絶するまで稽古つけるからね」
「すいませんそれは勘弁して下さい」
間を置かずに土下座で誠意を見せれば、リュウは冗談だよと言って笑う。半分本気だっただろ、と突っ込みたい気持ちもあったものの、藪蛇な気がして俺は無理矢理に飲み込むのだった。
「けど、俺とリュウさんが友ですか」
「何だい、ちょっと気に障った?」
「いえ、正直嬉しいです。貴方に認めて貰えた気がして。なら友人としても、リュウさんにも誰か好きな人が出来る事を祈ってますよ」
「ねえ、それどう見ても僕を煽ってるよね?」
「違う違う! 今のは単純な応援ですから! そうすれば、全てが終わった後でも、まだこの世界で生きて居ようって思えるでしょう?」
「単純な応援が嫌味に取れる事だってあるんだよ」
確かに今の僕は独り身だけどと、静かに怒りを滲ませたリュウに頭を掴まれる。
どうにかして逃げ出そうとするのだが、やはり彼の方が実力では圧倒的に上なのだろう。どうやっても脱出できそうになかった。
「おいラウ―、お前何してんだ?」
「スヴェン、丁度良い所に! 助けてくれ!」
「嫌だ。俺まだ死にたくないもん」
「それは俺も同じだよ!?」
無情にも救いを求める手は誰にも受け取って貰えず、酔っ払い共の大爆笑がどこまでも澄んだ青空に響き渡る。
そして俺の絶叫もまた、宴会が生み出す騒々しい合奏協奏曲を構成していたのだった。
キオクノカケラ <了>
……え、これで終わり? と思った方。すみません、これで終わりです。
まだまだ取り上げていないものが多過ぎるだろと思ったかもしれませんが、終わりです。
追われる系主人公を書いてみたいなーという欲求に端を発した本作でしたが、いかがでしたでしょうか。文章や展開や設定がつたない、ぶん投げっぱなしになっているものが多過ぎるとか色々と言いたい事も多いでしょうが、その辺は全て作者である自分の実力不足です。さーせん。
実を言いますとこれ、とある構想中作品の外伝、の位置付けなんです。元々はもっと簡潔で短め(五章くらい)で終わるつもりで設定していたのですが、あれも書こうこれも書こうと思っていたらこんな事になりました。
得意気な顔をしてそんな事を話すならとっとと本編に当たる作品書けとの指摘はもっともですが、ここまで読んで頂いた読者の皆さんなら分かる通り、文章に筆者の未熟さが目立つ場面が多く見られたかと思います。そうです、この作品は何を隠そう作者の練習的な意味も持っていました。
文章の練習の為に本作第一章を二十万字くらい書いては消し書いては消しを繰り返し、合計で約五十万字くらいを没にして、自分は思ったのです。「あ、これどこかに投稿したりしないと延々話が完成しないな」と。
その為、設定なども含めて若干見切り発車気味に書き出した本作は、遂にここへ投稿される事になった訳です。ごくごく少数でも読者が付いてくれれば、いや仮に付かなくとも、あてもなく書くよりは完結させやすいと思った訳です。
結果、蓋を開けてみればこうして完結まで持って行くことが出来ましたし、貴重な感想だって頂く事が出来ました。ここまで付き合って下さった読者の方々には感謝しかありません。本当にありがとうございました。ここで得られた指摘も、今後の参考にさせて頂きます。
また、次回作に何を投稿しようかなと考えている最中なのでいつ新作を投稿できるか分かりませんが、縁があればそれに目を通して貰えれば幸いです。
ではこれにて。




