第五話 最終回STORY⑨
◆◇◆
己自身がもうここで終わりである事は、薄々でなくとも感じ取っていた。だけど彼は、それでも諦められなかった。
故に抗った。意地汚く、往生際悪く生きてやろうと思った。
しかしそれはもう叶わないと、いよいよ無理なのだろうと察するのは、それ程難しい事でも無かった。
何せ、胸に短槍を突き刺されて、そこから多量の魔力が一気に溢れ出したのである。もう残りの魔力だって少ないのに、だ。
だから彼は、サトゥルヌスは、せめてもの事として一人の道連れを作ろうとした。それは、目の前に居た白儿の少年。胸の傷を作ってくれた張本人だった。
名前はラウレウス。並みならぬ因縁を持つ少年で、互いに互いの事を認めない者同士で。
そんな気に食わない小僧を、あともう少しで縊り殺せる――そう思った時になって、少年は再び抗って来た。
かつてがそうであったように拳を握り締め、それで以ってサトゥルヌスの顔面を殴り飛ばしていたのである。
身体強化術が施されたその一撃は、既に消耗し尽くした彼にして見れば不可避の代物で、だから為すすべなく体は宙を舞う。
折角掴んでいた少年の喉からも手を放してしまって、彼は背中から地面に叩き付けられるのだった。
「死に掛けの小僧が要らぬ力をここで発揮してくれる……!」
「お互い様だって、の……!」
咳き込みながらも強い意志の覗く眼で睨み返してくる少年に、サトゥルヌスは体勢を整えながら再び距離を詰める。
この程度の間合いなら、まだ間に合う。もう一度その首を絞めて、即座にその骨を粉砕すれば――。
その時、乾いた大きな音がしたかと思えば、小さな衝撃が彼の体を駆け巡った。
「……これは」
体に開いた、小さな風穴。感覚的に恐らく貫通したのだろう。そう予想を付けながら、穴が穿たれた原因の居るであろう方向へと素早く視線を向ける。
果たしてそこには、筒状の武器と思しきものを構えた剛儿の少年が居た。
「命中。芯ではないけど、核には当たった」
「……完全には仕留め損ねたか。けど、ナイスだイッシュ」
「“視殺”かね。だが、この程度で私は止まらんさ!」
銃と呼ばれるあの武器によって撃ち抜かれたのは、精霊にとって心臓とも言える核だ。ここを完全に破壊されてしまえば、少なくとも契約者の居ない野良精霊は確実に消滅する。
今の攻撃でサトゥルヌスのそれも半壊してしまったが、この程度なら即座に消えてしまうと言う事も無い。そもそも、彼の体は消耗が酷過ぎて消滅はどの道避けられない運命なのだ。
今更その程度の損傷など、大した問題でも無かった。
だから、消滅してしまう前に今度こそあの白儿を――。
そうやって考えを切り替えた、直後。
立て続けに三つの魔法攻撃がサトゥルヌスを襲う。
植物と土と、氷。
木の根、土の杭、氷柱。辺り一面に散布されている結合粉の影響で威力が減衰しているとは言え、衰弱した彼の体にとっては歩行が困難になる損傷を受けるものだった。
「……こ、ここに、来て、だと!?」
三つの攻撃魔法を放って来たのは、それぞれレメディア、スヴェン、シグルティアとか言う人間だ。消耗させてもう攻撃して来ないと思っていたが、残り僅かな魔力を捻出して魔法を行使したのだろう。
一度後退させたり戦闘不能にした者が戻って来る事は考えていなかった訳では無かったが、だとしても早過ぎる。
その事実に驚愕したサトゥルヌスだったが、しかしすぐに思い直す。「己がただ、彼らを見誤っていただけなのだ」と。
――これまで、かね。
体を穿つ木の根や土杭、氷柱に身を委ねて、サトゥルヌスは誰にも気づかれないくらい小さく笑っていると、すぐ目の前に誰かが立っていた。
「ここで終わりだ。お前は、俺達が終わらせる」
「結構、いよいよそれも悪くないな」
いつの間にか拾い上げられていた剣が、ラウレウスによって振るわれる。魔力すら断つ堅玄鋼で造られたその剣は、当然ながら精霊であるサトゥルヌスにとってこの上なく有効で。
無抵抗のまま逆袈裟に斬りつけられた彼は、力無く仰向けに倒れ、どこまでも青い天を仰いだ。
後はただ、己が消え行くのを待つのみ――彼は青空を眺めてそう思っていたが、不意に視界の外から馴染みのある声が掛けられる。
「完全に終わったな、サトゥルヌス」
「……ユピテル。ああ、私の負けだ」
「俺が千年封印されていた間に何があったか知らねえが、再開してから一年そこらでこんな事になるとはな。もっとマシな手はなかったのかよ?」
「何度も言わせるな。私にはこれ以外手は思い浮かばなんだ。ここでそれ以上の議論は時間の無駄だぞ」
戦闘が完全に終結した事を悟ったからか、ユピテルを始めとした精霊達が集い、倒れたサトゥルヌスを囲んでいた。
中には沈痛な面持ちの者も散見されて、それがサトゥルヌスにして見ればおかしく感じられて、思わず笑い声が漏れる。
「何がおかしい?」
「いや、おかしいさ。おかしくない訳が無いだろう、メルクリウス。私がお前に何をしたかも知った上で、そんな顔をしているのかね?」
「それとこれとは話が別だ。少なくとも千年前は間違いなく仲間で、友だった。ついこの前までもそう思っていたんだぞ。易々斬り捨てられる方がおかしい」
「ああ、全く以ってその通りだ。こんな事までやってのけた私はまさしく気が狂っているのだろうな。だが、私としても、お前達の事を友だとは思っていたぞ」
「これだけの事をやっておいて、かよ?」
冷たい声で、マルスが問う。そんな連れない態度にサトゥルヌスの心は一抹の寂しさが過るものの、そんな虫の良すぎる感情には蓋をして、代わりに笑みを貼り付けた。
「お前達に知らせる気も、知られる気も無かった。間違い無く嫌われるし、敵対されると読んでいたからな。勿論、打算的な思惑もあったが、それ以上に友を裏切り、その感情を踏み躙りたくはなかった」
「何を今更……」
「一度ことが露見してしまえば、そんな感情的な制約などもう役に立たなかったがな。何はともあれ、私がお前らを巻き込んでどうこうしたくなかったのは本当さ」
「さて、どこからどこまでが本当なのやら……」
茶化す様にユノーがそう言ってやれば、その場に無理をした様な笑いが広がる。
当然、そんな笑い声が長続きする筈も無くて、辺りには再び沈黙が訪れると共に、誰かが近付いて来る足音を察知した。
「ラウレウスか。私の止めを刺しに来たかね?」
「そんな無粋な事はしねえよ、お前じゃあるまいに。どうせ消えるんだ、精々アンタの切り捨てた旧友との思い出話に花を咲かせればいい」
「連れないな、なら私との最後の会話に混ざってはくれぬかね? せめて楽しく行きたいではないか」
どっかりと手頃な瓦礫の上に腰掛けたラウレウスにそう声を掛けてやれば、彼は不機嫌そうに鼻を鳴らして言った。
「断る。お前と交わす楽しい言葉なんてねえよ。何遍殺そうが、許せる訳ねえんだからさ。けど見送りはやってやる。俺がこの手で敵討ちを果たしたと確認する為に」
「律儀で難儀な奴だな。別に貴様が殺した事を病むような相手でも無いのだぞ?」
「……そっちの考えなんざ知ったこっちゃねえな。俺も人の事を言えないくらい沢山の命を奪って来たんだ。それと向き合って背負う覚悟もないのなら、いつかお前みたいになりそうで怖いんだよ」
「自戒か。思えば私にはそれが無かったのかもしれん。ただ懐古し、後悔だけを続けていた。貴様らも気を付けろよ」
首を巡らせてサトゥルヌスが見渡すのは、ユピテルを始めとした精霊の面々。
それに対する返事は、無い。ただ重苦しい空気の中で誰もが複雑な胸中を示す様な表情を浮かべ、サトゥルヌスに注目していた。
何故なら、彼の体に出来た無数の傷から溢れ出す魔力の量が徐々に減り、伴って体の末梢部から崩壊が始まっていたのだから。
もう、残された時間は無い。
それに気付いたからこそ、もうこの残り僅かな時をどうやって活用すべきかが分からない。どう言葉を掛けてやれば良いのか、分からない。
そんな彼らの心中を察して、サトゥルヌスが沈黙を破って唇を震わせる。
「さて精霊諸君、貴様らは選んだ。ぼさっとするな。私を、その考えを拒絶したのだろう?」
「…………」
「今ここで問おう。これから先も誰かが必ず虐げられる世界を許容しようと言う者達よ。傍観し続ける覚悟はあるか? 私と同じ轍は踏まぬと、誓えるか?」
「……誓う」
割って入ったその声は、精霊のものでは無くて。
サトゥルヌスは声がした方へと首を巡らせれば、真っ直ぐに紅い眼で見返している少年の姿があった。
「分は弁える。救える範囲しか救わないし、救えないものは救えない。欲張らなければそれで良い。生きて居られればそれで良い。全て、お前に殺されてから知った事だ」
「そうか。手前勝手な話だが、私の存在は無駄ではなかったようだな。……それで、この若造が承知できたのに精霊共は一柱として誓えないのかね?」
「誓うさ、誓えば良いんだろう?」
「私も誓おう。というか、今までやって来た事を引き続き行えば良いだけの事だしな」
頭を掻きながらユピテルが頷き、それにユノーも続く。するとそこからマルスにメルクリウスと次々に同調の輪が広がっていく。
その様子を見て表情を崩したサトゥルヌスは、再び青空を見遣る。既にその体の大部分が崩壊し消失していて、四肢に至ってはもうどこにも見当たらない。
「賽は投げられた、後は貴様らの仕事だ。後片付けまで押し付けて大変心苦しいが……後は任せた」
「全く迷惑な話だな。なら貴様のその名、悪名として都合よく使わせて貰うさ」
「勝手にするがいい。全ては私が消えた後の世界。貴様らの世界なのだからな」
それはそれで悪くないと笑って見せる彼の姿に、特に親しかったであろう精霊達の幾つかは視線を伏せる。
伴ってまたも沈黙が場を支配しそうになるが、そこでまた新たな人物が口を開く。
「僕の方からも一つ、質問良いかな?」
「リュウか。何だ、言ってみろ」
「風について、知っている事は?」
「そう多くはないさ。知り合ったのは千年ほど前、本名も姿もどこに居るのかも知らない。ただ、私へ『神になってみたくはないか』と声を掛けて来たのが始まりだった」
語れる事は、そう多くない。何故ならもう残された時間が殆どないのだ。知っている事を一から答える訳にもいかず手短に、簡潔に答える事しか出来なかったが、リュウはそれでも満足したのだろう。
「なるほどね、分かった。ありがとう」
「貴様が最終的に何を目的としているのかは知らんが……死後の世界があるとするのなら、そこから眺めて置いてやろう」
「うん、そうしてくれ。僕にもいろいろ事情があるって訳さ」
これ以上先を聞かれても答える気は毛頭ないのだろう。肩を竦めて笑うリュウは、言った。
「さようなら、サトゥルヌス」
「ああ、貴様らとはもう二度と会うまい。誓いは守れよ、精霊共。特にユピテル、貴様は馬鹿だからな」
「うっせ、分かってるよ。そうじゃなきゃ、ここでお前が討たれた意味も無くなるじゃねえか」
「分かっているなら良い。私はこれで満足だ。なあ、そうだろう? メル、それにラルス。私も今そっちへ……」
消えていく、泡のようになって、崩れて、跡形もなく。視界がモザイク状に割れていく。意識も、記憶も、体も、消えていく。何もかもが、無くなっていく。
精霊が無に、還る。
『――サトゥレ』
最期にサトゥルヌスが視たのは、仲睦まじく寄り添い合う一組の男女。親し気な笑みを浮かべた二人が、その白い肌の手を差し出して、かつての彼の名を呼んでいた――。
 




