第五話 最終回STORY⑧
雲一つない空模様の下で、視界一杯に広がる瓦礫の山。元は都市を構成していた建築物の成れの果ての上にて、俺達は睨み合っていた。
数の上では圧倒的にこちらが多勢で、サトゥルヌスはただ一柱のみ。だが彼は全く怯んだ様子も見せないで立っている。
「人間風情が……私が消耗した今ならどうこう出来ると思い上がるか。その傲慢さ、やはり度し難いな」
「傲慢なのはお前の方だ。いつまで強者を気取ってるつもりだよ、“用無し”?」
惨めなものだなと態度に出して露骨に嘲ってやれば、思いのほかそれがサトゥルヌスの感情を逆撫でしてくれたらしい。
顔に刻まれる皺の深さが増し、殺気が増大する。
「……どうやら死ぬ覚悟は出来ている様だな、白儿の末裔よ。貴様の発言の一つ一つ、それを後悔させながら殺してやろう。そして私が再起する為の礎となるのだ!」
「往生際の悪い……もうお前は絶望的だよ。縦しんばここで俺達を殺したとして、それ以外にも邪魔をしに来る奴なんて幾らでもいる。何度でも言うぞ、お前は詰みだ」
「だが人は罰されなければならない。それだけの事を散々繰り返して来たのも事実だろう? それとも何だ、そんなものは最初から無かったとでも言うつもりかね!?」
言い終わるが早いか、サトゥルヌスは地面を蹴る。瓦礫を巻き上げ、とても消耗を感じさせない様な勢いで、一直線に俺の下へと迫って来るのである。
対する俺もまた振るわれる大鎌を前にして棒立ちしている筈も無く、短槍を強く握って迎撃した。
「その罰とやらが、余計に怒りの感情を掻き立てるんだろうが! 良いか、俺は前に殺された事を忘れない! お前だけは、許してなんざ置けないんだ!」
「はは、そうやって何かと理由をつけて罪から逃げるのが人間だ! 素晴らしい人間らしさではないか。だからこそ貴様らは私に反対するのだな?」
「それ以前の問題だっての! やられっぱなしで……殺されっぱなしで、どうして俺がお前を許せると思った!?」
近接戦で俺が応戦している間に、シグ達が魔法攻撃で援護してサトゥルヌスを追い詰めるように立ち回る。
が、それでも彼は簡単には仕留められてくれる気配など無くて、だから思わず悪態が漏れた。
「どこまでもしぶとい奴だな……!」
「私としても、以前までの彼我の立場が入れ替わった気分だよ。まさか私がそちら側になるとは思っても見なかったが……何だ貴様ら、思っていたより弱いな」
「違うね。お前がしぶといんだ、無駄に!」
数千年と積み重ねて来たサトゥルヌスの戦闘技術は、やはりそう簡単に突き崩せるものでは無かった。この手を躱されたのなら、こうしてみよう――そうやって新しい手を打っていくのに、それすら読まれる。
まるで心でも読んでいるのではないかと疑いたくなるようなものだけれど、今この状況でそれは大して重要な事でも無かった。
「この圧倒的な数的有利を活かせぬのか? 本当に愚かだな。なら私は、貴様らのその愚かさを活用させて貰おうか!」
「……ぐおっ!?」
一瞬、いや刹那の内に生成される魔弾。ややくすんだ、水ほどではないにしても透明さを持つ無数のそれは、俺へと殺到する。
慌ててそれを魔力盾で防御するのだが、まず何よりも威力が尋常ではない。一発を受け止めるごとに盾の維持に掛かる魔力の消費は馬鹿にならないし、下手をすれば破られるのではないかと考えたら気が気でなかった。
それでもどうにか耐え切って、ここから反撃に転じようとしたその寸前。
「――ラウ、伏せろッ!」
「!?」
唐突に飛んで来たスヴェンの声に突き動かされるがままに伏せてみれば、果たして。
魔力盾は、サトゥルヌスの持つ大鎌によって泥でも裂くかのように横断されていたのだった。
「おや、外したか」
「コイツ……!」
「驚いたかね? どうだ、堅玄鋼で出来た鎌の切れ味は?」
「そりゃあ驚いたさ。リュウさんの持ってる剣と性能が同じとくれば」
「奴のそれとは原材料も異なるがな。まあ、どちらも魔力を断てる点は一緒だ……それと、話はこれで終わらんよ」
続けて来る、追撃。
今度は俺だけでなくシグやスヴェンたちにも狙いが分散した魔弾が放たれて、おまけに一発として外れた弾丸は無かった。
その正確な狙いは、どうしても俺に嫌な予感を掻き立てさせるが、幸いなことに脱落者は誰も出なかったらしい。
サトゥルヌスもまたそれを確認して、不服そうに顔を歪めていた。
「一匹も仕留められんとは……私の弱体化も極まれりだな」
「俺としては有難い話だけどな……それで、お前の魔法って何なんだよ! 白魔法とは違って見えるけど」
「知らないのか? ユピテルやユノーと同じ魔法系統だぞ。言ってしまえば白魔法よりもなお古い魔法だな。見て分かる通り、無属性だ」
出来る事は基本的に貴様と同じだぞと、サトゥルヌスは己の魔法を誇示するように再び魔弾を幾つも生成する。
加えて今度は先程よりもその数は多く、危険度に関しては言わずもがな。即座に防御姿勢を取るのと同時に、それらは射出されるのだった。
「――――っ!?」
強烈な、威力だ。
瞬間的に出せるだけの魔力を使って盾を生成した一秒前の自分の判断を褒めると共に、今度こそ仲間の誰かがやられてしまったかもしれないとの予感が頭を過る。
そして、案の定。
「……悪い、後退する!」
「シャリクシュ!?」
高威力の魔弾を防御しきれなかったのだろう。厳しい表情を浮かべた剛儿の少年は、己の脇腹から血を流しながらイシュタパリヤを抱えて下がっていく。
どうやら、彼女の方もダメージが大きかったらしい。
「レメディア、介抱に言ってやってくれ」
「……でも!」
「早く傷を治して戦線に復帰させるんだ。頼んだぞ」
幾ら敵が強力な精霊だとは言え、それも手負い。大きく消耗しているものを相手に、そう簡単にやられはしないという自負があった。
だから一時的にしろ回復魔法の得意なレメディアを後退させるのも悪くは無いだろう。結果的にそれがどんな結果を齎すかは分からないけれど、ここで手当てを怠ったせいで仲間が死んでは気分も悪い。
「一度に三人……いや一人は戦力外と言う事を考えると、二人分の戦力を失った訳だが、貴様らはそれで良いのか?」
「良いも悪いも、お前の相手なんざ俺達だけで充分だっての」
「大口を叩いてくれる。私相手に手一杯な貴様らが!」
斬り結ぶ、サトゥルヌスと俺。至近距離での斬り合いなら短槍を使う俺の方が有利と思ったが、それ以上に彼は大鎌の扱いに長けていたらしい。
警戒しているお陰で鎌の錆になる事はないものの、結果として柄や彼の四肢によって体を何度も打ち据えられていた。
「なってないな、その程度の体術で私と斬り結ぼうなどと!」
「そうやって毎度毎度、好き勝手やれると思ってんじゃねえよ!」
「私に好き勝手されているのは貴様らが弱いから以外に理由など無い! 見苦しい文句は止めて貰おうか!」
「そんな勝手な理屈で……!」
転じる、反撃に。
スヴェン土魔法を、シグが氷魔法を、それぞれが放ってサトゥルヌスの連撃を止め、そうして生じた間隙を埋めるように俺が動く。
こちらの人数が減ったところで数的有利に変わりないのだ。手数の差を利用して、そのまま押し込めてしまえれば、それに越した事は無かった。
「……図に乗るな、人間風情が!」
「さっきまで図に乗ってた奴が何言ってやがる!」
実は、鎌を武器として考えた場合、中途半端である。
槍と違って突きに特化せず、先端部に重さが集中しているので振り回すのにも余り向かない。
さりとて鎌の刃で薙ぎ払おうにも必ず振り被る必要があって、そうでなければ鋭い切れ味を発揮する事が出来ないのだ。
つまり、常に振り被らねばならない位置取りをしていれば、それだけで攻撃速度で常時上回る事が出来る訳で。
「……その小賢しい浅知恵と努力は認めてやろう。が、私と体術勝負した所で勝てぬと何度も言った筈だぞ?」
「それはお前だけが決める事じゃない!」
一対一で勝てないのなら、絶対に勝てる状況に持ち込んでいくだけである。
その為に、仲間が今こうしていてくれるのだから。
――届け。
そう願って突き出した槍の穂先は、しかし呆気なく躱されてサトゥルヌスの左手に掴まれる。
「残念だったな、勝負を決めるのはやはり私だったらしいぞ」
「だからそう言うのは全部が終わってから言うんだよ」
槍を持つ手を、放す。
直後に素早く腰の剣を抜き、斬りつけると見せかけて――投げつける。
サトゥルヌスとしてはてっきり斬りかかって来ると見ていたからか、その虚を衝く行動に反応が遅れたらしい。苦しそうな声を漏らしながら大鎌の柄で剣を弾いた時には、俺にこの上無い隙を見せていた。
だから、俺は同じく腰に差していた二本の短剣を抜いて、更に距離を詰めるのだ。
当然それは短剣の間合いで、大鎌を振るうには圧倒的に近すぎて。
「貴様ぁっ!」
「……これで!」
サトゥルヌスは近すぎる間合いに対応すべく魔法攻撃で応戦するものの、それらはスヴェンやシグの援護攻撃が相殺していく。
よって、何一つとして邪魔するものの無い中で、俺は二振りの短剣をサトゥルヌスの胸に突き立てる――。
が。
「……この程度で精霊を殺せるとでも? そんな短剣では、私には届かんな」
胸に深々と突き刺された二本の短剣をそのままに、何とサトゥルヌスは平然とそこに立っていた。
その事実に誰もが呆気に取られながら、それでも俺は言葉を絞り出す。
「死にかけの精霊のくせに、まだそんな事を……ッ!?」
「確かに私は死にかけさ。だが、人間基準でそれを判断して貰っては困るな。私がどれだけの時を生き、力を蓄えて来たと思う?」
だらり、とサトゥルヌスは両肩から先を脱力させて不敵に笑う。
その意図が読めなくて、それでも一気に後退しながら警戒を怠らずに観察を続けていた、直後。
彼を中心として魔力が膨張する。
少し前、まだ彼の力が最盛期であった時のそれよりは数段威力も範囲も落ちるけれど、それでも強力な事に変わりなくて。
俺もスヴェンもシグも、その爆発に巻き込まれていたのだった。
「油断したな、してくれたな? ……いや有難い。もっとも、私とて二本の短剣を突き立てられたのは予想外だし、痛い損傷だがね。予備として伏せて置いた魔力が無ければ危険だった」
「……まだ、そんな力を?」
「底は見せない主義だ。実戦においては、相手に実力を誤認させると非常に有利に働くのだよ。こんな風にな」
そうやって彼が見渡す先に居るのは、倒れたまま動かないスヴェンとシグだった。
どちらも大きな怪我は見られないが、今のサトゥルヌスの攻撃を防ぎ切れずに戦闘不能に陥ってしまったらしい。
「まだ誰も殺せていないのは予想外だが……貴様を殺してから一人一人、丹念に殺していくとしようか」
「さて、どうかな。お前だって今ので結構消耗したんだろ?」
「未熟な人間相手にするのに、万全の私である必要もあるまい。むしろ、このくらいの方が丁度良いのではないか?」
胸に刺さった短剣を引き抜きながら、尚も余裕の態度を崩さないサトゥルヌス。その態度はまるで更なる手を隠しているかのようなものだが、ここまで追い込まれても力を伏せる理由は見当たらない。恐らくは虚勢だろう。
「しかし、また貴様と戦う事になるとは……随分な因縁だと思わないかね?」
「全くだ。結局俺とお前の一対一。前世もある俺に言わせれば宿命とか言うんだろうさ」
落ちていた短槍と剣を右手と左手で拾い、構える。
対するサトゥルヌスもまた大鎌を構え、そして――再び、激突する。
「貴様の様な若造に、私が抱え続けて来た無念や怒りを理解する事は到底出来まい! 内に秘め、押さえ込んでも暴れ回り、燃え盛る激情によって体を中から炙られるこの辛さが!」
「その結果がこれか!? 子供染みた単純な欲求に身を任せ、自分が神になるって!? 笑わせる、俺からいわせりゃそれは癇癪だ! 自分の思い通りにならないからって匙投げてる子供と一緒だよ!」
「はは、世の中は貴様が言うその癇癪で回っている! そうだろう? 他者を思いやる事など無く村や都市や国は焼かれ、人は何故と慟哭する!半端に生き残り、或いは生かされるから憎しみや苦しみの連鎖は止まる所を知らず、むしろ膨れ上がるのだ! 殺すなら徹底的に、生かすなら徹底的に。延々とそれすら出来ぬ連中に、貴様はいつまで甘い顔をしているつもりだ!?」
刺突と斬撃を交互に、或いは一度に繰り出して、中には体術まで組み込んでいると言うのに、サトゥルヌスには掠りもしてくれない。
それどころか少しずつだが俺の体には小さな傷が刻まれ始め、微量の出血を重ねていく。今はまだ無視出来る程度だが、これが重なっていけばいずれ体力が潰えてしまうのも容易に想像出来ることだった。
「問おう! 貴様は、私の目的を阻むだけの理由を持ち合わせているのかね? 無いだろう!? あれも嫌だこれも嫌だと、矛盾した事を喚き立てる愚かな人間が!」
「これしかないと決めつけて暴走している奴に言われたくはないね! 第一、お前の目的だって私怨みたいなもののくせに、俺の事をどうこう言えるとでも!?」
「貴様は確か、私に殺されたから殺し返すだったか? 小さい事に拘る男だ。たったその程度の生き死にに、どうして私が拘泥しなくてはならない? 目指すところが違うのだよ」
「お前が殺したのは俺だけじゃない筈だ! 友達を……それだけじゃなくてあれだけの人を殺しておいて大した事がない!? 頭が狂ったとした言いようのない発言だな!」
何度目とも知れないが、脳裏によみがえるのはあの死体の山。血の池。血の川。血の匂い。
前世で見たあの地獄を、目の前にいるサトゥルヌスは神饗の構成員と共にこの世界でも繰り返していた。
何度も何度も繰り返し、幾人とも知れない者の命を奪っていった。中には命乞いをした者もあっただろう。何が起きているのかも分からない歳の者も居ただろう。
それらを己が目的の為に平然と踏み躙り、剰え些事として斬り捨てようとするその姿勢が、どこまでも受け入れ難いものだった。
「やっぱお前は討たれなくちゃいけない! 放っておけばまた新しい犠牲者を作り出すつもりだろう!? ならここで、俺が殺される訳にはいかねえ!」
「既に人間は犠牲を払う時が来ていると言っているだろう! 支払いを先延ばしにしたら、利子が膨れ上がるだけだ! 小を斬り捨て大を助ける、それのどこが悪い!?」
「あれだけの犠牲者を出して、加えて更に犠牲を産もうとする奴が、被害を小とか言ってんじゃねえよ! 既に十分すぎるくらい人は死んだ! 対価を支払うべきはお前なんだよ、サトゥルヌス!」
振り下ろされる大鎌を、槍の柄と剣の刃で受け止める。反動で両足が地面に減り込むが、大した問題ではない。
即座にまず右足を引き抜くと共に、その勢いそのまま蹴り上げる。
それを胸に受けたサトゥルヌスは飛び退って勢いを殺し、そうして生じた間合いを利用して今度は俺が攻撃に移る。
互いに魔法による攻撃だが、いい加減俺の方も魔力量の限界が近付きつつあった。
何せ、サトゥルヌスの魔法攻撃は一撃一撃が重いのだ。半端な防御魔法ではそれ諸共吹き飛ばされてしまうし、攻撃も相殺どころか押し負けてしまう。
「私の魔法はな、白魔法よりも制御が難しい。古い魔法の特徴だ。その分、使いこなせれば現行の魔法など凌駕するのだよ。数千年と使っていれば、当然だろう?」
「道理で……けど、お前だって魔力の消費が厳しいんじゃねえの?」
「舐めるな、人間。私の心配をする前に自分の心配をすべきだろう?」
その瞬間、サトゥルヌスから放たれた魔弾の幾らかが、不自然に軌道を変えて俺に殺到する。
しかもそれは、俺の展開していた魔力盾を迂回するようにして向かって来ていて。
「――っ!?」
「耐えるかね? 伊達に潤沢な魔力を持つ白儿ではないという訳か。もっとも、いつまで持つか見物だな」
魔弾の軌道を曲げる事自体は、俺にだって出来る。
だけど、あれほど鋭い角度で変更する事は、未だに出来ない。リュウなら出来るだろうが、少なくとも自分からしてみればまだまだ遠い技量の話だった。
それだけに、不規則に軌道を変えて迫って来る魔法攻撃を躱し、或いは防御するのは非常に困難だ。
「ぐっ――!?」
「ははは、いよいよ怪しくなって来たな。武器もいれた近接戦闘ならまだしも、魔法の技量では私の方が圧倒的と言う訳だ」
「まだまだッ!」
「無駄さ。貴様の魔法では私の守りを崩す事は出来ない。消耗も限界に近付いているのではないか?」
その言葉通り、魔法勝負ではサトゥルヌスに軍配が上がっていた。それはもうこの上なく確定的で、絶望的で、だから俺は折を見て近接戦へ持ち込もうとするのだが。
「少しでも勝機のある方に運びたいのは当然だな。そしてそれは、私も同じだよ」
鋭角を描きながら迫って来る魔弾から必死になって身を守るが、そのせいで見る見る内に魔力が消費されていく。
この調子では、いずれ魔力欠乏から身体機能に大なり小なり影響が出てしまう事は間違い無さそうだった。
だから、急いで反撃に転じなくては――と考えて気を急かせてしまったのが悪かったのだろう。
ほんの一瞬だけ疎かになった防御と意識の隙間を縫って、一発の魔弾が俺を直撃して吹き飛ばされるのだった。
「ラウ君!?」
「大、丈夫……ですよ」
遠巻きに戦闘を眺めて居たリュウがとうとう堪え切れなくなったかのように声を上げて来るが、そう応じながら素早く立ち上がる。
正直なところ大丈夫ではない。今すぐにでも倒れて、休んでしまいたい気持ちで一杯だ。だけど、そんな事なんて出来る筈がない。
ここで自分がやられてしまえば、そこで倒れているであろうシグやスヴェン達まで危険に晒してしまう事になる。前世での経験もあって、そんな事が絶対に許容できる筈も無いのだ。
「俺は……!」
「まだ粘るかね。これだと魔法で止めを刺そうにも時間が掛かり過ぎそうだな」
下手なこだわりは捨てて首を刎ねるべきかと歩み寄って来るサトゥルヌスを、俺は睨み返す事しか出来ない。
どうにも、流石にダメージが大きすぎたらしい。もう少し時間を置ければ問題なさそうだが、このままではそうなる前に殺されてしまう――。
だがそれよりも先に、サトゥルヌスの前に立ち塞がる人影が一つ。
「……そう簡単にはやらせないよ」
「リュウ。動けたのかね?」
「お陰様でね。それなりに休めたお陰で、大丈夫そうだ。……ラウ君、行けるかい?」
「問題ありません。けど、結局助けて貰ってすいません」
気を抜けばボーっとしてしまいそうになる頭に喝を入れながら立ち上がった俺は、リュウが座っていた辺りに目を向ける。
するとそこには気絶したスヴェンとシグが寝かされていて、どうやら知らぬ間にリュウが回収してくれていたらしい。
その事についても礼と謝罪をすれば、彼は軽く笑って言う。
「いや、別に謝るような事じゃあないよ。むしろ僕の方が感謝したいくらいさ。時間を稼いでくれたお陰で、少しばかり楽になった。もっとも、この状況で一番頼りになるのは君だけだけどね」
「やっぱまだ無理しない方が……」
「今は無理をする時だよ。僕が援護する。君は奴に近接戦を仕掛けて討ち取る事だけを考えれば良い」
そう言って抜刀するリュウは紅刀を煌めかせ、そしてサトゥルヌスに驀進する。その背を追って俺もまた地面を蹴るが、対するサトゥルヌスはそれでも己が敗けるとは思っていない様で。
「手負いが二人になったところで、私にして見れば大した事では無いな! 纏めて吹き飛ばすか両断してやるさ!」
「さて、どうかな?」
ここに至って余裕を見せたのは、リュウだった。
その意図が分からないのはサトゥルヌスも俺も同じで、だから一瞬だけ怪訝な顔をした直後、リュウを幾つもの魔弾が襲う。
それは先程散々猛威を振るったサトゥルヌスによる攻撃魔法であり、その威力を知る俺はリュウに警告を飛ばそうとして、遮られた。
「――平気だよ」
「え?」
聞こえてきたリュウのその言葉に呆気に取られた直後、リュウが展開した魔力盾に、魔弾が直撃する。
普段ならいざ知らず、今の消耗したリュウには厳しいのではないかと思ったのだが、意外な事に彼は平然として尚もサトゥルヌス目掛けて突っ込んでいく。
「……どういう事だ!?」
「さあ、何でだろうね?」
打ち鳴らされる、大鎌と紅刀。
とは言え、流石にリュウの方が消耗具合は厳しいのか、徐々に押し負けていくが、それでも俺からすれば十分過ぎる隙だった。
もっとも、サトゥルヌスとてそれは読んでいて。
「蛆虫がッ!」
「ッ!」
避け切れないと判断して咄嗟に展開した魔力盾に直撃するサトゥルヌスの魔弾は、意外にもその威力が弱まっていた。
その事実に驚きながら、それでも足は止めずに俺は真っ直ぐに突っ込む。
槍で、剣で、サトゥルヌスを穿たんがために。
「死にぞこない共が……一体どんな手段を使った!?」
「――こう言う手段だ、サトゥルヌス」
その言葉と共に、砂煙のように舞う何かの粉。
それを散布していたのは、ユピテルやメルクリウスを始めとした精霊達だった。
サトゥルヌスもまた、この粉の意味するところを察したからか、リュウや俺と斬り結びながら吠える。
「そう言う事か……どこまでも小賢しい鼠だなっ!」
「コネクテンディ・プルウィス……いずれ使う機会があるかもしれないと思って、俺が持ってきておいたのさ。まさか最後の最後でこうして役立つとは思っても見なかったけど」
そう語るメルクリウスが持つのは、やはり何かの粉が大量に入った袋だった。
それを素早く奪い取り、一気にばら撒いている女精霊は、ユノー。
「さっきまでの神にも等しい力を持っていた時ならいざ知らず、今なら十分な効果を発揮してくれそうだな。何せ、戦闘時の精霊からしたらこいつは天敵だ」
「ラウ! 済まない、市外に置いといたこの結合粉を取りに向かっていたせいで遅れてしまった。……けど、援護は任せてくれよ!」
声を張ってそう言うのは、ガイウス・ミヌキウス。彼もまたその手に粉の入った袋を持ち、風魔法を行使して上手い具合に辺りへ散布していた。
「この粉、何だって言うんですか?」
「実は僕も中々お目にかかった事は無いんだけれど、要するに大気中の魔力と結合しちゃうのさ。その結果として魔法の威力が減衰してしまう。体そのものが魔力で出来ている精霊なら、尚更相性が悪いだろうね」
確かに、サトゥルヌスの力が徐々にだが、明らかに弱くなってきている。魔法攻撃ももう殆ど撃たなくなり、苦しそうに顔に皺を刻んでいるのだ。
このままリュウと二人で押し込んでしまおう――と思ったが。
「ごめんよラウ君、僕もここまでみたいだ。なりかけの僕にとっても、精霊程じゃあないけれど害があるからね」
「はい……了解しました。後は任せて下さい」
「君ならもう問題ない筈だよ。この状況下では、君が一番この粉の影響を受けにくいんだから……頼んだ」
その言葉を最後に、リュウもまた粉の範囲外へと退避していく。当然、同じような理由でユピテルら精霊からの援護も期待できないだろう。
彼らもリュウと同様にこれまでのサトゥルヌスとの戦闘で大きく消耗している筈なのだ。無理を強いる事など出来る筈も無かった。
「貴様らが……私は、このような所で、こんな半端な状況で、やられる訳にはいかぬのだよ!」
「そうやって無念を抱えた人の命を散々奪ってきたのがお前だろうが! それを今更命乞いでもするってのかよ!?」
「愚弄するか! 私は、己が欲の為だけに動いていた訳では無い、一緒にしないで貰おうか!」
弱まっていたサトゥルヌスの力が、また増す。
ここに来て気合で持ち直したとでも言うのだろうか。その執念には驚かずにはいらないが、さりとて価値を譲ってやる事など出来る筈も無かった。
「まだ言うか、本当に見っともねえ奴だな! ゴチャゴチャ言ってねえでとっとと退場しろってんだよ!」
「この私が……負ける!? あり得ぬ、認めぬッ!」
気合だけで多少の力が持ち直せるのは、こちらもまた同じだ。もう駄目だと思ってからも、まだ意外と粘れるものなのだなとどこかで他人事に考えながら俺は槍と剣を振るう。振るい続ける。
時間を追うごとに散布された粉の効果で大気中の魔力は結合して力を失っていくのだ。何度も言う様に、それは精霊の体を持つサトゥルヌス自身も例外ではない。
既に、サトゥルヌスの持つ技だけでは埋めきれないだけの差が、現れつつあったのだ。
彼もそれを犇々(ひしひし)と感じ取っていたのか、徐々に全身に傷を増やしながらそれでも足掻く。
「人間風情に……!」
「お前に二度も殺されて堪るか! もう二度と、アンタには誰も奪わせねえって誓ったんだッ!」
袈裟切りに振られる大鎌を、身を屈める事で躱す。そして俺は、右手に持った短槍の穂先をサトゥルヌスの胸に叩き込む――。
その瞬間、確かな手応えに腕が震えた。
届いたのだ。この上なくしっかりと。過たず突き刺さったそれはサトゥルヌスの胸板を貫通し、そこから水中の泡のように魔力が溢れ出す。
彼が手に持っていた大鎌も甲高い金属音と共に地面へと落ち、だらりと両腕から力が抜けていく。
勝った。そう確信できるだけの手応えが、あった。
だけどそれがどうにも俄かに信じられなくて、だから俺はサトゥルヌスの姿を凝視していた。
そしてそれが、良くなかったのだろう。
「……やってくれたな、貴様っ」
「ああ、やってやったよ。俺自身や友達と、他の多くの人達の仇を、取ったんだ」
「さて、では私も私の仇を取るとしよう」
そう言って彼は不敵に笑い、その左手で俺の首を掴む。
突然の事に反応出来なかった俺はあっさりとそれを許し、そのまま持ち上げられるのだった。おまけに、不意を衝かれて驚いたせいで握っていた筈の槍も剣も手を放してしまう。
「ぐぅッ……!?」
「この傷では、遅かれ早かれ私は消滅する。傷を塞ぐだけの魔力ももう殆ど残されていないのだ。仮に塞いだとしたら、もう動けなくなってしまうだろうな」
「放せよ、死に掛けの精霊が!」
「断る。貴様も道連れだ。体が動く内に、貴様も殺してやろう」
一体何処からその力が湧いているのか、サトゥルヌスの左手はどれだけ藻掻こうとビクともしない。
まだそれだけの力が残っていたのかと驚き、そして己の不覚を呪いながら、それでも諦めずに抵抗するが首を絞める力はどんどん強くなっていく一方だった。
このままでは窒息か、或いは首の骨を折られて死ぬかのどちらかだろう。
――それでも、皆の平穏は勝ち取った筈だ。本当なら、それは俺も一緒になって分かち合いたい。……だけど。
息が出来ない。骨が軋む。視界が霞む。思考が遠のく。
「…………」
遠く感じる幾つもの声が俺の名を呼び、或いは何事かを怒鳴っていたが、それすらも分からなくなっていく。
最後に残ったのは、途轍もない達成感とほんの少しの心残りで……。
ふと思い浮かんだのはかつての親友と、今の親友の笑顔。
――離れたくない。嫌だ。
刹那の内に、それが達成感を塗り潰した。
「…………」
ほんの微かな、肺の残っていた塵みたいな空気が口から漏れだして、意味のない声を漏らす。
だけど同時に白目を剝いていた目を引き戻し、サトゥルヌスの顔を捉える。
金色の目をしたその精霊は突如として俺が睨み返して来た事に驚いた気配を見せていたが、それだけだ。
首を絞める力が弱まる事は無く、もうあと少しで俺の首が砕かれる事だろう。だけど、その前に。
前世でもそうだったように、俺は握り拳を作って振り上げて。
「――!?」
「――ッ!」
持てるだけの力を以って、サトゥルヌスの顔面を殴り飛ばすのだった。
◆◇◆




