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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第九章 オモイブツカル
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第五話 最終回STORY⑤



「この程度で全て壊滅か。やはり神の力の前には、精霊も人間も塵芥(ちりあくた)に同じの様だな」


「……とか言う割には、全滅させられてないみたいだけど?」


 爆発の響きもやがては霧散し、辺りを静寂が支配する中で、俺は体に掛っていた瓦礫を払い除けて立ち上がる。


 同時に周囲にも目を向ければ、瓦礫に埋もれた誰かの四肢が飛び出していて、最悪の予想が胸に去来していた。だけど、それが的中しているか否かを確認する余裕などありはしない。


 何故なら俺が睨み据える視線の先には、斬り飛ばされた筈の右腕も元通りとなっているサトゥルヌスが悠然と佇んでいるのだから。


「私が全滅させられなかったのではない、加減してやったのだ。私の力を目撃する者がいなくては、語り継ぐ者も居なくなってしまうだろう?」


「……へえ、どこまでもデカい態度でモノを言ってくれるじゃあないか。けど君が幾ら言おうとも、ここで僕達が全滅して無いのは疑いようもない事実なんだよ」


 がら、と瓦礫が動く音がしたかと思えば、そこから這い出して来るのは仮面を着けた旅装の旅人――リュウだった。


 見た限りでは大きな損傷も見受けられない彼は、それでも今の爆発を防ぐ際に相応の魔力を消費している事だろう。


 事実、彼の背後には意識を失って倒れているスヴェンらの姿があった。


「リュウさん、無事で!?」


「何とかね。けど、皆を守るのに魔力を割いたせいで、結構余裕のあった筈の魔力が……多分、ユピテルさんとかも一緒だと思うよ」


 そう言いながらリュウがちらと視線を向ける先には、まさに瓦礫を押し退けて立ち上がるユピテルやユノーら精霊達の姿があった。


 しかしその影は疎らで、当初いた数より半数以上も減っている様だった。そんな暗澹(あんたん)たる状況を見渡しながらユピテルは問う。


「今のでどれくらいやられた?」


「さあな。ただ、やられたというよりは大きく力を損耗して後退せざるを得なくなったのが大多数だろう。証拠は無いがな」


 頭の埃を払い、顔を(しか)めながら答えるユノーの表情は、やはり暗い。とは言え何もかもを諦めているものとは違っていて、闘志が萎えた気配は見られなかった。


 するとそれに触発されてか他の精霊達も新たに気合を入れ直し、消耗した体でありながらも充実した気迫を再び纏い始めている。


 その様子を見て、しかしサトゥルヌスは自分の絶対的優位が揺らぐ筈も無いと確信しているのか、笑みを深めるだけ。


「ここまでやっても格の違いを理解出来ないのかね? 全く、どこまで言っても度し難いものだよ」


「当たり前だろ、こんな所まで来て引き下がったら、もう何もかもがお前の思い通りになっちまうじゃねえか。他人の命まで弄ぶような真似する奴が好き勝手出来る世界なんて、恐ろし過ぎるっての」


「怖くはないさ。言っただろう、出血を強いなければ革命は成らない。それに私は、筋の通らぬ事を清算させようとしているに過ぎぬ。そしてもう二度と、筋の通らぬ世界を生まぬ為にな」


 いい加減聞き飽きた主張を、サトゥルヌスは尚も続けている。だけど耳に胼胝(たこ)ができるほど聞かされようとも、俺は彼の考え方に賛同できる筈も無かった。


「その思想は立派だと思うよ。実行に移せる行動力も。だけど、お前が神になってからその考え方が変わってみろ。最初に言ってた事と違う事をやる可能性が十分にある。何よりそれを正せる奴も居ないとなれば、不安要素しかないと見るのは当然だろ?」


「私は神になると言った筈だ。そして今や神だ。今後、正されるような事など起こりはしないさ。分を弁えろ、人間風情が」


「……!?」


 気付けば、胸倉を掴まれて持ち上げられていた。


 それを認識してからすぐさま足掻こうとするけれど、強烈な圧と漏れ出す濃厚な魔力に体を縛られて、指の一つすら動かせない。おまけに、声すら出ない。


 これが、神を自称する存在か。


 確かに存在している次元が違うと言えた。精霊ですら人間離れしていて生物の理屈が通用する様なものでは無いのに、それすらも圧倒するサトゥルヌスは彼自身が言う通りの存在に近いのだろう。


 もっとも、神そのものを知らない身としては、これが本当に神と呼べるものなのかを判断する事は出来ないのだが。


「サトゥルヌス……お前やユピテルさん達が味わった千年前の理不尽って奴を、俺は知らない。伝え聞く事しか出来ないからな。だけど、少なくともそう言った事とは無縁な人はどの世界だってごまんといる。大変だけど幸せ日々を噛み締めてさ」


「幸せを噛み締める? ……笑止! 噛み締め終わった幸せなど、後は飲み下すだけではないか。満足など一瞬だ。次の瞬間になれば人は飽くなき欲望のままに新しい幸せとやらに手を伸ばす。身の程を(わきま)えぬ、欲求の塊共のどこに見どころがあると言うのかね?」


「欲求の塊? これだけの人を巻き込んで、迷惑なんて言葉じゃ足りないくらいの被害者を生んで置きながら、よくそんな事が言えるな? むしろお前は自分がやらかした事の対価を、被害者である俺達に支払うべきじゃねえのか?」


 叩き付けられる重圧(プレッシャー)など知った事か。突沸した怒りに流されるがまま、俺の胸倉を掴み上げていたサトゥルヌスの腕を両手で握る。


 だが身体強化を施した己の両手の握力は相当なものである自覚はあったのに、彼の眉は微塵も動じない。


 サトゥルヌスはもう片方が握っていた大鎌を地面に突き刺すと、手刀を作って振り上げながら言う。


「赤子が大人の指先を握る様な……いや、それ以下だな。そんなもので反撃になどなるものか」


「放しやがれ……ッ」


「無理な相談だな。貴様の血肉は色々と利用価値があると言っているだろう?」


 振り下ろされる、手刀。


 幾ら素手とは言え、神とも思える力を手にしたサトゥルヌスの力を想像すれば、武器が無くとも人一人殺すのは簡単な事だろう。


 だけど意外にも彼の手刀が裂いたのは、俺の右腕の皮膚だった。勿論、傷を負ったこと自体は喜ばしい事ではないものの、まだ生きている事実に少しだけ呆気に取られた。


 一拍置いて裂かれた皮膚から、肉から鮮血が溢れ出し、そこでようやく我に返ったほどだ。


「安心しろ。腕は切り落としてはいないし、殺しはしない。貴様にはまだ死なれても嫌だしな」


「じゃあ、何で俺の血を……!?」


「この場で最も白儿(エトルスキ)に近しい血を持つのが、貴様しかいないからだ。なりかけ(・・・・)のリュウでは、斬ったところで血も出ないだろう?」


 地面へと垂れた多量の血。サトゥルヌスはそちらへと注目が行ったのか、今しばらくは用もないと言わんばかりに俺を無造作に手放して地面へと手の平を(かざ)す。


 すると見る見るうちに地面へ染み込んでいた筈の真っ赤な液体が染み出し、浮かび上がって空中で水玉を形成していた。


「……見ているが良い、これが神へと至った私の力だ」


 得意気に、まるでマジシャンのような笑みを浮かべた彼は魔力を、魔法を行使する。


 とは言え、そこにつぎ込まれる大量の魔力が凄まじい速度で反応を繰り返していくせいか、どういう原理かは知らないが発光を始めていて、彼の手元は見えない。


 だから、どの様な術式が行われているのかも皆目見当がつかないけれど、俺も誰もがサトゥルヌスのやろうとしている事の結果を待っていた。


 そして。


「――完璧だ。さあ、見るが良い」


「へえ、大した自信で――ッ」


 癒傷薬(メデオル)を使用して手首の傷を塞ぎながら、俺はそう言って顔を強張らせながらそちらを見遣り、言葉を失った。


 使い掛けの粘土状の癒傷薬を取り落としても、それを拾い上げる気持ちも沸いてこない。それどころではないと、驚愕が思考を塗り潰していたのだ。


「お前……そいつら(・・・・)は何だ? 誰なんだ?」


「ああ、貴様にとっては初めましてだな。彼と彼女の名はラルス・ウェリムナ及び、メル・レぺスナ。千年前の、私の友だった者達だ」


「千年……いや、ラルスって――!?」


 己のコレクションでも見せびらかす様に両腕を広げるサトゥルヌスの前には、二人の男女が立っていた。


 彼らはそれぞれ見覚えのない、ややゆったりとした服装を纏っていて、女性の方は伸ばした側頭部の髪を複数の筒にそれぞれ通し、幾つもの房を作っていた。


 ゆったりとした印象を受けるその恰好は話に聞く古代ラウィニウムのそれに似ているような気がするけれど、はっきりとした事は言えない。


 他に上げられる特徴としてはどちらも白髪紅眼、俺に似て白い肌を持っていて、唯一の差異としては二人の耳が俺とは違って若干尖っている事だろうか。


「大昔の、白儿(エトルスキ)……?」


 伝説に聞く、大昔に滅ぼされた俺の先祖とも呼べる民族。それも、そのラルスという名前は伝説上でも出て来るもので、もっと言えばこの場所に居る精霊達にとっても縁のある存在である筈だった。


「まさか、ラルスにメル……本当にお前らなのか!?」


「冗談だろう? あの二人はタルクナ市と一緒に燃えたって……!」


 酸欠の魚のように口を開閉させながら、ユピテルもメルクリウスも二人の男女を凝視していた。


 他の精霊――特にミネルワやウェヌス、マルスにウルカヌスのような元人間だった存在もまたそれは同様で、幻想でも見るかのような面持ちでありながらも目が釘付けになっている。


「リ、リュウさん、これどういう事ですか!?」


「そんなの僕が訊きたい。だけど、今までの話と皆の様子を見るに、サトゥルヌスは人間を二人も生き返らせたのか……?」


「その通り。ここにいる二人はな、私達が千年前にどうしても救う事の出来なかった者達だ。他の者はオルクスと協力してどうにかなったのだがね」


 語りながらサトゥルヌスが視線を向けるのは、メルクリウスらを始めとした元人間の精霊達。


 千年前、彼らの身に具体的に何があったのかは、知らない。訊こうという気にもなれない。


 だから伝え聞く説話とそこに幾らかの補足を知っている以外、俺の知識はその辺の者と何ら変わらないのだ。


 それでも、この場を包む驚愕の気配を理解するにはそんなに難しくなかった。ほぼ部外者とも言える俺ですらそれが分かるのだから、事情を知る者達は尚更である事だろう。


 誰もが呆然として目の前の光景を眺めて居る中、愉悦の含んだ声で大笑するサトゥルヌスは叫ぶ。


「これが私……神、サトゥルヌスが力! 心服せよ、敬服せよ、全知全能となった私にはもう、不可能などないのである!」


「……狐にでもつままれた気分だな。ラルス・ウェリムナって、ラスナ戦争の英雄の一人だろ?」


「スヴェン、起きたのか?」


「ああ、何とかな。シグ達も目が覚めてる。それより、途中から見てたけどなんだありゃあ。まさに神そのものじゃねえか」


 軽く側頭部を叩きながら、スヴェンはしかめっ面でサトゥルヌスと、その足下に居る二人の男女を見ていた。


「死者蘇生ってさ、しかも衣服ごとだろアレ。どんだけの魔力と知識があれば出来るようになるんだか、皆目見当も付かないね」


「……全くだな。言いたくねえけど、勝てる気もしねえ」


 尚も辺り一帯にはサトゥルヌスの笑い声が響き渡る中、スヴェンだけでなくシグやシャリクシュ、レメディアにイシュタパリヤも起き上がり、体に不調が無い事を確認していた。


 その中でもいち早く体の確認を終えたシグが言う。


「耳障りに笑ってくれて……ユピテルさん達は何をしている? 早い所決着させるべきだろ?」


「そうしたいのは山々だけど、あの人達にして見れば千年振りにあった知り合いだからな。それも生き返ったとなれば、驚いて身動きが取れなくもなるだろうさ」


 勝てる気だって、微塵もしない。恐らく彼が本気を出せば、俺達は文字通り手も足も出ない。何も出来ず、棒立ちのまま命を奪われる事だろう。


「……さて、実験がてら実行してみたが結果は上々。これなら、貴様らに殺された私の配下も簡単に生き返らせる事が出来そうだよ。協力感謝するぞ、ラウレウス?」


厭味(いやみ)ったらしい奴だな。そんな奴だから千年前もその二人を失って、今も部下を失って生き返らせる羽目になってるんじゃねえの?」


 先程サトゥルヌスに斬られた手首は、もう血も止まっていた。しかしながら、疲労の蓄積と失血は如何(いかん)ともしがたい。万全とは言えない体調の中、それでも我ながら良く回る口で混ぜ返してやったのだった。


 それが奏功してか、サトゥルヌスは不機嫌そうに顔へ皺を刻んでいた。


「本当に口が減らないな、貴様は。ならばその体も、命も何もかもを使って、今ここであの時殺された他の白儿(エトルスキ)達も生き返らせてやろうか」


「っ……!?」


「果たしてそんな事が可能なのかと思うかね? 無論、可能さ。私は神だ、無から有を、そして有を増やす事も無理ではない。神だからな、力の根源も無尽蔵と言える程にあるのだよ」


 身の程を弁えぬ人間にはその身で以って味わわせてやると、彼はその手に魔力を纏わせる。


 何をやる気なのかは、もはや言うまでもない事だろう。無駄だとは分かっていても俺は身構え、即応できる姿勢を整える。


 リュウもサトゥルヌスの狙いに気付いて応戦の構えを取りつつあるけれど、それも彼だけ。他の精霊達は復活した千年前の白儿(エトルスキ)の姿に目を奪われ、反応が遅れていた。


「喜べ、私の礎となれることを……!」


「誰が喜ぶかよ。願い下げだそんなモン」


「ラウ君! くそ……」


 リュウ自身、サトゥルヌスを止められない事は理解しているのだろう。それでも諦めずに戦おうとしてくれている彼の姿勢には、感謝の念しか湧いてこない。


 そしてそれは、俺を守る様に動き出したシグやスヴェンたちへも同様だった。


「お前ら、もう俺に構うな。ここで時間を稼ぐ、逃げろ」


「冗談じゃねえ! それこそ前世の二の舞じゃねえか! いや、東帝国に追われた事を考えたらもう三度目だな」


「そうだぞ。私は退()かない。今度こそ。駄目なら一緒に死んでやるさ、前世の時みたいにな」


「私もっ! どの道ここで生き残ったって、あのサトゥルヌスが君臨する世界になるんでしょ? そんなの、嫌だし……皆が居ないんじゃ、寂しいし」


「そう言う事だ。俺達はラウと……ケイジと一緒なんだよ。イッシュも巻き込んでしまって申し訳ないけどな」


「別に良い。私はリックと一緒なら」


 ここまで来ては、やはり彼らは何を言っても退いてくれない。


 やっぱり意地でも同行を拒否して置くべきだった――と考えたところで、彼らは結局付いて来た事だろうと思い直して、苦笑する。


「悪いな、ここまで付き合わせて」


 特に深い意味も無く、そんな言葉が口から飛び出していた。開き直った心は軽く、正直な所もう申し訳なさなんて碌に無い。


 彼ら彼女らが勝手に首を突っ込んで来たのだ。これで死なれても、俺の知った事では無い……が、それでも死なせる気はない。何としてでも、彼らだけは生き残らせる。意地汚くこの世界にしがみ付いて、最後のその瞬間まで足掻いて見せると心に決めて。


(まと)めて死にたいのか? 良いだろう、神に歯向かったその罪、身を(もっ)て償え」

 ――遂に、動く。


 体により一層の力を込め、サトゥルヌスを睨み返しながら彼が動き出すその瞬間を待っていた。


 何としてでも、一矢だけでも報いてやる、と心に決めて。


 だけどその一矢報いる瞬間は、いつまで立っても訪れる事は無かったのであった。





「ここはどこで……アンタ、誰だ?」


「……何だと?」





 張り詰めた悲壮な空気に水を差す様な言葉を耳にして、サトゥルヌスが動きを止めたのだ。そしてゆっくりとした動作で首を巡らせた彼は、言葉を発した人物――即ちラルス・ウェリムナに目を向ける。


「ラルス、私が分からないのか?」


「知らない。そもそも、ラルスって誰だ? そもそも俺は……誰なんだ?」


「貴様は貴様、ラルス・ウェリムナだろう? この私が直々に(よみがえ)らせてやったのだ、感謝しろ。それとも、復活したばかりで記憶や人格が混乱しているのかね?」


 やれやれと、サトゥルヌスは肩を竦めながらラルスの下に歩み寄ると、その頭に手を伸ばそうとして――。


 不意にその男性の横にいた、メル・レぺスナと呼ばれる女性が悲鳴を上げた。


「嫌、こないで! 殺さないで!」


「何の事だ……?」


 嫌、嫌、と子供のように情けなく丸まって頭を抱え、体を震わせる女性の姿は、明らかに何かがおかしかった。


 それはサトゥルヌスも同様に感じていたのか、眉を(ひそ)めながら目の前にいる男女を眺めて居たのだった。


 そんな当惑した空気が漂い始める中、蹲って震えていた女性が再び声を上げる。


「二回も、二回も殺されたくなんてない……! 皆殺されて、胸を貫かれて、首を飛ばされて……」


「メル、千年前の凄惨な記憶でも戻ったか? だが安心しろ、ここはもうラウィニウムの連中も居ない時代で――」


「メルなんて名前知らない! 私はアントニアよ! 普通の農村で暮らしていたのにいきなり殺された筈なのに……何故か真っ暗な中で訳分からない所に流されて、気付いたら全く知らない体になってる! ねえ、

これって一体どういう事なの!? 教えてよ!」


「な――」


 遂に恐怖が閾値(いきち)を超えたのか、女性は不意に髪を振り乱し、涙を撒き散らして半狂乱になりながらサトゥルヌスに掴み掛っていた。


 神にも等しいサトゥルヌスの前では、彼女が何をしようとも所詮(しょせん)は蠅が止まった程度のものでしかないが、彼はそれを振り払う訳でも無く呆然としていた。


「……どういう事だ?」


 片や混乱している男性と、片や半狂乱となって何かを口走り続ける女性。それを眺めながら、(まと)まらない考えを纏めようとするみたいに、サトゥルヌスは金色の目を見開いていた。


 そしてそれから何かを確かめようと思ったのか、彼は男性――ラルスに話し掛ける。


「では、お前はラルスでないとしたら、思い出せる名は何なのだ?」


「俺の、名前……ああ、そうだ」


「早く言え、名は?」


「……キュリロス。段々、思い出して来た。俺は、俺は、殺されたんだ! いきなり、理由も分からずお前に殺されて……」


 徐々に震えだした男は、やがて女がそうであるように髪を振り乱してサトゥルヌスに掴み掛る。どういう事だと、説明しろと、狂ったようにそればかり繰り返していたのである。


 それに対して彼は微動だにせず、ただ茫然として立っていた。まるで、目の前の現実が受け入れられないように、だ。


 他方、何が起きているのか理解出来ない俺は、横に立つリュウに問うていた。


「これ、どういう事ですか……?」


「さてね、僕も当事者では無いから正確には分からないけれど、あの様子を見るに恐らくあれ(・・)は違うんだよ。偽物なんだ」


「……偽物? それって」


「つまり彼が作れたのは(うつわ)だけ。あれだけの能力があっても、“中身”まで全部を突き出す事が出来なくて、言うなれば“代用”したんだよ。彼の手元にあった魂でね」


 その結果があれなんだろうさ、とリュウは顎でしゃくって示す。


 相変わらず目の前ではサトゥルヌスに掴み掛って叫び続ける男女の姿があって、対する彼は能面の様な表情でそれを他人事のように眺めて居たのだった。


 だが、彼とて流石にいつまでも自失としている事は無くて、ふとした時に我を取り戻したらしい。(おもむろ)に自身の横に突き刺していた大鎌(ファルクス)を手に取ると、それを振るった。


 途端、あれだけ騒がしかった男女の声がぶつりと途絶える。もっとも、サトゥルヌスに掴み掛っていた男女が血すらも残さずに吹き飛んだとなれば、それも当然だろう。


 そんな化け物染みた芸当をしてのけたサトゥルヌスは、しかしそれを誇るでもなく視線を地面へと向けていた。


「馬鹿な……あり得ない。私は神の位階へと至ったのだぞ? それなのに何故、このような……そうか、初めての事でどこかに不備でもあったかな?」


 荒い呼吸で漏らされる呟きは、彼の動揺や不安のほどを端的に表している様だった。


 そしてその不安を一刻も早く消し去りたいのか、彼は素早く一から作業を始めようとして――。


 不意に、俺を見て笑った。


「……そうか、そうだな。素材が足りなかったと言う事か」


「――ッ!」


 ぞわりとした感覚が背中を撫で、一瞬で全身が粟立つのを知覚する。


 不味い。今度こそ本当に危険だ。先程は振り払ったと思った重圧や恐怖が再びこの心に影を差し始め、思わず一歩と後退っていた。


「やはり君を今まで生かしておいて正解だったと言う事かね、ラウレウス?」


「どうだか。あれだけ神になったと騒ぐアンタが出来なかったんだ。もう、幾らやっても出来ねえんじゃねえの?」


「自分が助かりたいからと戯言(ざれごと)を並べるか、見苦しい。良いかね、神とは全知全能なのだ。だからこそ精霊では無く神と呼ばれる。つまり神へ至った私に不可能は無いと言う事だ!」


 その言葉と共に、彼は大鎌(ファルクス)を縦に振るう。


 当然それは俺目掛けてだが、距離がある。普通ならまず当たらないものであったが、本能が警鐘を鳴らしていた。


「――ッ!」


 だから、誰もがその場からの離脱を選択し、結果としてそれが正しかった事が証明される。


 何故なら回避行動を取ったのとほぼ同時に、飛んで来た何かがばっくりと地面を斬り裂いていたのだ。それも数M(メトレ)などと言うものでは無くて、深さは数十にも及ぼうかと言う相当深いものだった。


「神を自称するだけある……やっぱり、尋常じゃあない」


「自称ではない、私は神なのだ。全ては、世界に秩序を(もたら)す為に!」


 リュウの呟きに自信満々と言った気配を(みなぎ)らせて応じるサトゥルヌスは、ここで遂に動く。当然、狙いは俺で。


 それをさせじとリュウは牽制の魔法攻撃を加え、ユピテルを始めとした精霊達もそこに加わる。


「ははは、とんだ道化だなサトゥルヌス! お前、本当にそれで神なのか? 何がラルスとメルを蘇生させただ? 見た目だけの別モンじゃねえか!」


「黙れ黙れ黙れ! 貴様、この力の差が分からないのか!? 私は神である、精霊如きが不遜な態度を取って許されるような存在では無いのだよ!」


「全知全能である神がどうして間違えた? 理解出来ねえな、おかしいな。それでも百歩譲って全知だとするなら、今のが何で間違えたかも分かる筈なんだろ?」


「図に乗るな、ユピテルっ!」


 振るわれる、大鎌(ファルクス)。そこに秘められた威力は、どれだけ力のある精霊だろうと一撃で戦闘不能に追い込めてしまうだけのもので、だと言うのにユピテルは気圧(けお)された様子が微塵もない。


 それどころか易々と神速の斬撃を(かわ)し、反撃すら行って見せているのだ。


「どうした、動きが単調だぞ? 頭に血でも上ったか!?」


「……貴様如き、この程度の動きでも殺せると言う事さ! 消え失せろ!」


「ああそうかい、じゃあ俺は周りに助けを呼ばないとな!」


 それと同時にサトゥルヌスへ一斉に襲い掛かるのは、ユノーを始めとした精霊達だった。


 だけど、やはりサトゥルヌスは精霊を超越した存在で。


「死に損ないの塵芥(ちりあくた)が……貴様ら如きが私をどうにか出来ると思うてか!?」


「偽物しか作れぬ欠陥精霊が何を言ったところで無駄よ。所詮貴様はその程度と言う事だ!」


 ユノーとの言葉を交わしながらも、圧倒的多数を相手に一切引けを取らない。それどころか精神的にまた冷静さを取り戻しつつあるのか、ユピテルらを圧倒し始めてもいた。


「このままでは……ラウ君達は後退しろ。奴の狙いは君だからね」


「リュウさんは?」


「訊くまでもないでしょ、僕も彼らを援護しないとね。それに大本を正せば、君達がこうなってしまったのには、僕も責任の一端が無い訳じゃあないんだ。罪滅ぼしみたいなものさ」


 言いながら外套を靡かせて紅刀を抜くリュウが、そのまま地面を蹴ろうとする寸前、俺は手を伸ばしながら彼を呼び止める。


 当然だろう、彼の言葉が意味するところを察して、はいそうですかと受け入れる気持ちになど、なれる筈も無いのだから。


「待って下さい! 俺は……!」


「君達、ラウ君を頼む。それと、ガイウスさん達も意識がないだけで生きている筈だ。出来るなら回収を頼む」


「了解しました。御武運を」


「ああ、君達こそ。死なせはしないよ……絶対に」


 気付けば(あや)しい暗雲が立ち込め始め、青空を徐々に侵食していく。


 スヴェンたちによって強引に連行されていく俺は、やけに不自然さが感じられるその雲を、ただ視界の隅に収める事しか出来なかった。





◆◇◆




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