第五話 最終回STORY②
◆◇◆
「…………」
邪魔が、入った。
先程から都市を揺らす振動を感じ取って、サトゥルヌスは閉じていた目を開く。
離れていても分かる程に大きな爆発が断続的に続き、そしてそれが止む気配が一向に無い事を鑑みるに、その邪魔者は一筋縄ではいかない存在なのだろう。
だとすればそれは一体何者か――。
近隣の領主が連携でもして攻め寄せて来たか、それとも特級狩猟者の様な存在が急襲でも掛けて来たのか。
恐らくそのどちらの可能性も無いだろうと、サトゥルヌスは己が座す長椅子に背中を預けて天井を見上げる。
教会然としたその建物内は特に荒らされた形跡はなく、天神教の象徴たる車輪十字や彫像などは一切手が付けられた痕跡は無かった。
天井もそれは同じで、絢爛な装飾や壁、天井に描かれた絵に傷は見受けられない。
人が神と呼ぶ存在を褒め称える様なその壁画には、しかし神そのものは描かれていない。あくまでもその化身と言われる人物や、使徒、天使と呼ばれるような存在が天界に浮いているだけだ。
「……私は、必ずや高みへ至る。待っていろ、ラルス……メル」
再び大きな爆音が轟き、碌な人影もない伽藍洞な教会堂内でそれが反響して響き渡る。
その音がする方へと首を向けた彼は、徐に立ち上がると、腰に下げていた剣に手を当てた。
「いい加減しつこいな。……もう来たのかね」
直後、教会堂の重そうな扉が一瞬で吹き飛ばされる。
そしてそこから真っ先に飛び込んで来るのは、紅い刀を煌めかせる人物で――。
「――見つけたよ」
「意外と早かったな、リュウ」
振り下ろされた紅刀を、サトゥルヌスは手に持つ剣を使い余裕の笑みで受け止める。
金属同士が打ち合わされる甲高い音が辺り一帯に響き渡り、互いの力と力が鬩ぎ合うその瞬間は、しかし一秒後にはリュウが押し負ける事で終わりを迎えた。
しかし両者はそこからすぐに斬り結ぶ事は無くて、間合いを保ったまま睨み合う。
「その程度で、私が押し切れるとでも?」
「とか言う割には、以前よりも力が足りない様な気がするけれど? もしかしなくても今、取り込んだ沢山の命の制御に手間取っているんじゃあないのかい」
「……だが、その私ですらも貴様は斬る事が出来ない。違うかね?」
「御尤も。でもさ、僕一人じゃあ無いんだよ」
リュウがそう言って口端を緩めた瞬間、彼の背後から飛び出す、複数の影。
それらは様々な方向から一斉に攻撃を仕掛け、サトゥルヌスの逃げ道を塞ぐように迫っていた。
「お前はここで、俺が仕留める!」
「……ユピテル。随分と怖い顔をしているな?」
「当たり前だ! サトゥルヌス、お前はここで自分が何をしでかしたか、理解出来ないとでも言うつもりかってんだよ!」
叩き付けられるユピテルの拳が、教会堂の床を粉々に粉砕する。
しかし、それを掠りもせずに避けて見せたサトゥルヌスは、その顔に余裕を浮かべたままだった。
そんな彼に対し、右側面から攻撃を仕掛けるのは、黝い髪をした青年。
「果たしてその余裕は、いつまで保って居られるかな?」
「メルクリウス……。厄介なお前に掴まれる訳にはいかないな」
伸ばされる手をするりと抜け、サトゥルヌスはその足でメルクリウスの胸を蹴り飛ばす。
そうして得た推進力で横っ飛びに回避すれば、彼の足先を掠めて巨鎚が叩き付けられるのだった。
「よくもまあ儂らを裏切ってくれたな?」
「貴様らがお人好し過ぎるのだよ、ウルカヌス! 少なくとも私には、その様な真似は出来ぬのさ」
教会の床に手をつき、身を翻して着地したサトゥルヌスは、手に握った剣を振って矢を切り落とす。
矢の放たれた方向に目を向ければ、そこには二射目を番える女精霊が立っていて、彼女は鋭い視線を向けて問う。
「だからと言って何故こうもはやまった真似をした!? ここまでしてはもう、後戻りも出来ないではないか!」
「当たり前だ! 私も、愚かな人間どもも、もう互いに超えてはならぬ一線を越えているのだよ。分かるかミネルワ、引き返せる場所などもう、とうに過ぎ去った!」
そう言って、二射目の矢もまた呆気なく撃ち落とした
だがその隙に、急速にサトゥルヌスへ迫る影が一つ。
「お前はここで討たれねばならない! この世界の為にも!」
「ほう? 貴様も私に負けず劣らず傲慢になったな、マルス! いつから貴様はこの世の代弁者になったのだ?」
繰り出される剣撃を、余裕たっぷりの口調で受け止め、躱す。
そしてちょっかいでも掛けるかのようにサトゥルヌスは隙を見て斬り返せば、その一撃が予想外だったのか、マルスは苦しそうな姿勢で受け止める。
だがそれもほんの一瞬の均衡でしかなくて、受け止め切れなくなったマルスは呆気なく弾き飛ばされていた。
とは言え、彼も歴戦の猛者と言うべき存在であり、無様に床を転がると言う事は無く、素早く体勢を立て直す。
その様子を確認したサトゥルヌスは、自身の優勢を噛み締めながら、両手を広げて言った。
「人間と言う存在は他者を踏み躙り続け、奪い、殺し、軽蔑を性懲りもなく繰り返す。その対価の徴収をこの場から始めようというのだ。いい加減、邪魔をしないで貰いたいものだな」
「偉そうに……お前こそ自分が神だとでも言いたいのか?」
「神になるのだよ。その為に私はここにいて、多くの命を食してきた」
サトゥルヌスただ一柱に対して、リュウ達はその総数が十を超える。
それも、誰もが尋常ではない実力を持つ精霊達ばかりである。普通なら、もうこの時点で勝敗が決していると言っても良いものであった。
だが先程の短い戦闘でも示された通り、圧倒的な数的不利を覆すだけの実力を、サトゥルヌスは秘めていたのである。
もっとも、そうなる事は最初からリュウ達も理解していた事だった。魂喰をして外法の力を蓄積するような精霊に、あっさり勝つ事が出来る筈など無いのだ。
だから、ユピテルはそこに一切気圧された様子など無く言っていた。
「お前の自分勝手な判断で……今を生きる者達にどれだけの迷惑を掛けたと思っている!?」
「今更考え直せと? 馬鹿馬鹿しい……最早、挽回など遅きに失した。それでもと言うのなら、貴様らは今まで人間どもがしでかして来た事を補填し、償えるのか?」
「それは……!」
「無理であろう? 私は知っているぞ。人間と言う種族は、自分の尻すらも拭けぬ劣等種族であるのだと」
何故そんなものを、精霊である自分達まで背負い、時には巻き込まれねばならないのかと、サトゥルヌスは語る。
そんな言葉に、一瞬返答に詰まったユピテルを見て軽蔑するように笑うサトゥルヌスだったが、次の瞬間には引き締まったものへと変わる。
それと言うのも、彼の隙を衝くようにリュウが一瞬で距離を詰めて来たのだ。
「悪いけれど、少なくとも僕は君のように自分以外のものに失望しちゃあいないんだ。そんな好き勝手やられたら堪ったものではないんだよ」
「人間への希望、とでも言うつもりかね? 笑わせるな。貴様らはどこを見てそれを語る? 受け入れよ、直視せよ。人とは希望を見出すのも馬鹿らしいほど愚鈍で、独善的で、純粋な悪意の塊では無いか!」
その瞬間、サトゥルヌスの周囲で魔力が爆発的に膨れ上がる。
彼の操る魔法が発動したと察するのにリュウも一秒とも掛からなかったが、しかしその威力は如何ともしがたく。
「ぐっ……!?」
「ふふふ……所詮この程度か。神の一歩手前、亜神の位階へと踏み入れつつある私に、なりかけや精霊如きが束になって掛かって来た所で話になる訳あるまい?」
直撃そのものは避けたにも関わらず、リュウの魔力は相応に消耗させられていた。
だが、それでも運が良かっただろう。もしも防御が間に合わなければ、跡形も無く吹き飛ばされていたかもしれないのだから。
そんな損耗した彼の後退を援護するように、今度はユピテルが前へ出る。
「調子に乗って……!」
「まだ懲りずに出て来るか。まあ、貴様とはつくづく縁がある。お互い、こんな見た目だからな」
サトゥルヌスの言葉通り、彼ら二柱の顔や体つきは瓜二つと言っても過言では無い。
今ではその纏う雰囲気や、その表情のせいもあって一見して見分けも付くものの、以前は同じ格好をされると見分けも付かなかったのだ。
「千年、二千年、三千年と……遡れば思い出すよ。朧げな記憶だが、貴様と私はその根源を一部同じくする精霊だからな!」
「元となったこの体の話だろ? 根源そのものは互いに異なる。こんな風にだ!」
似ているのは、その容姿だけ。
それは互いが纏う魔力から考えても瞭然で、加えて性格も違っている。
特に今は、サトゥルヌスは多くの魂を取り込んだ影響でない面が大きく変質していて、質も量も以前と様変わりしていた。
「ところで、精霊が果たしてどこから生まれるのか、貴様は考えた事があるのかね?」
「……急に何の話だ?」
「精霊の自我、命と言うものについてさ。生物とは違い、私達は明確な母を持たない。前々から思っていたのだ。元々が人間ですらない生粋の精霊は、一体どうして生まれるのかと」
ユピテルに続けと、他の精霊達も雪崩を打ってサトゥルヌスに襲い掛かる。
だが、その圧倒的な攻撃密度でさえも、彼は対等に戦って見せ、剰え反撃までして来ていた。
「私は思うのだよ。精霊は神の卵なのではないのかと。母を持たず、寿命も持たず、生殖をする訳でも無い。そんな悠久の時を与えられた我らは、ではその存在意義は他に何があろうやと!」
「それがどうした? ただの根拠もねえ推察でしかねえだろうが!」
ユピテルから放たれた拳は、掠りもしない。
四方八方から繰り出される魔法攻撃を躱し、時に防御しながら、サトゥルヌスは話し続けるのだ。
「なら人が生きる意味とは何だ? どうして命を、世代を繋ぐ? どうして殖える? それすらも碌に答えられずに、貴様は匙を投げるのか?」
「投げちゃいねえよ! 人間の生きる意味ってのは個々人が自分で見付けるものだ。俺らが定義する様なもんじゃねえ!」
「なら、私の考えも否定するのはおかしな話だと思わんかね?」
するとその問いかけへ即座に答えたのは、メルクリウスだった。
彼は、自身の能力でドロドロの液状に変質させた剣を鞭のように振るいながら、叫ぶ。
「それが他の何かを否定するものでなければな! サトゥルヌス、お前は危険だ! そうやって意味付けさえ出来れば不特定多数の人間を巻き込んでも構わないとでも言わんばかりの態度が!」
「人でなくとも、物事は存在すると言うだけで何かを巻き込まずにはいられない。それが生きる、存在すると言う事だからな。そこを否定されては、何物も存在する事すら許されなくなってしまうだろう。違うか、メルクリウス……いや、トゥルムス・アエイナ?」
かつてそうであったように、彼は黝い髪の青年に優しく問い掛ける。
だがメルクリウスは不快そうに顔を歪め、感情を制御しきれなくなったかのように怒鳴っていた。
「その名で呼んでどうするつもりだ!? 確かにお前と、オルクスのお陰で俺は今こうして居られる訳だが……それを今更恩に着せようとでも!?」
「まさか。しかし貴様は、元人間として千年の間、人の世を見て来て何も感じなかったのか? いや、メルクリウスだけではない。貴様らもだ」
その問いかけに、メルクリウスだけでなく多くの精霊が顔を一瞬だけでも顰めた。
もっとも、だからと言って攻撃の勢いが衰える事は無くて、一対多数の戦闘は尚も激しく続いていく。
「何だ貴様ら、もしかしなくても人が愚かだと分かっているのか? なら何故私に歯向かう? 理解が出来んな」
「……天上から見下ろして首輪をつけられた人の世を見て、ラルスやメルは何と言うだろうな? 奴ならきっと、窮屈そうだというだろうさ。サトゥルヌス、お前は本当に詰まらない存在になったじゃないか」
「言ってくれる、マルス……!」
憎々し気にサトゥルヌスが呟いた瞬間、教会堂が戦闘の余波に耐え兼ねて崩落を始める。
だがそれに巻き込まれる者は誰一人として居なくて、全員が天空より降り注ぐ陽光に照らされ、市街を駆け巡っていた。
「こう広い場所では数の利が活かされてしまって面倒だな……そろそろ減らしにでも掛かろうかね?」
「……!」
仄かにサトゥルヌスが持つ剣が光ったかと思えば、その形が見る見るうちに変わって行く。
柄が槍のように長く伸び、刃は木の枝のように横へと伸びて湾曲していき――やがて大鎌となる。
「纏めて斬り捨ててやろう。このサトゥルヌスがな!」
「言ってろ!」
黒い刃の鎌を軽々と振り回すサトゥルヌスの姿は、まさに死神そのもの。
だけどその威圧感を前にしても、やはり誰も気圧された者は居なくて、彼に必殺の一撃を次々浴びせていく。
――しかし。
「そこだ……!」
「ッ!?」
ほんの一瞬の機会を捉えたサトゥルヌスの一撃が、精霊の一柱を袈裟切りにする。
人間であれば確実に即死する程の一撃だったが、幸いにも精霊にして見れば即座に死ぬものでは無かったらしい。
「下がれ、傷を癒すんだ!」
「……悪い」
傷口から流れ出る膨大な魔力を腕で押さえながら、深手を負った精霊は後退していく。
その様子を視界の端で捉えながら、リュウは小さく舌打ちを漏らすのだった。
現状、これだけの戦力と攻撃密度を以てしてもサトゥルヌスを追い込む事が出来ないのである。
それはつまり、一柱分でも戦力が減る毎に敵を利する上、自分達が相対的に不利となって行ってしまう事をも意味していた。
「何か良い手はないものか……!」
振り回される大鎌を躱して斬撃と白弾を繰り出しながら、考えを巡らせるリュウ。
だがその時不意に、少し離れた市街地で何かが大きく爆発する。
その規模は距離があるにもかかわらずこの場の大気をも大きく振るわせ、市街の建物に僅かばかり見られる硝子の窓を砕いていたほど。
それだけの威力に、何事かと一瞬だけでもそちらに注意を割かれたせいか、リュウ達はサトゥルヌスの顔に深い皺が刻まれた瞬間を見逃す事となるのだった。
「オルクス……アウローラ。やられたか」
誰にも聞こえないくらいの声でそう呟いた彼は、自分に攻撃を仕掛けている精霊達に目を走らせる。
あの二柱をやったのは、この場に居ない精霊――考えられるのは、やはりユノー。
「あれは早々に潰しておくべきだったか……いや、藪蛇となっていたかもしれん。今更言っても詮なきことだな」
「考え事かい? ……腹立たしいね、その余裕」
「――ッ!」
長い付き合いのあった精霊がやられた事を察知して、サトゥルヌスは知らず知らずのうちに隙が出来てしまっていたらしい。
リュウがいつの間にか頭上に回り込んでいて、今まさに白弾の雨を降らせようとしているところだったのだ。
とは言え、精霊とも呼べない様な強大な力を手にしているサトゥルヌスからしてみれば、それらは仮に直撃したとして致命傷に至るものでは無くて。
「少し油断したな。いや、他の事に気を取られてしまったと言うべきか」
「……傷一つないとは恐れ入ったよ」
「当たり前だろう、今の私は神に次ぐ亜神なのだからな」
不敵に笑う彼に、リュウは呆れにも似た笑みを浮かべる事しか出来ないでいた。
他の精霊達も驚愕の表情など様々なものを見せていて、中にはサトゥルヌスの頑丈さを悟って深い皺を刻んでいたのだった。
それを見て、満足げにサトゥルヌスは言うのである。
「もう分かったかね? 私の力は、貴様ら如きでどうこう出来るものでは無いのだよ。丁度いい具合に力も体に馴染んで来ている様だしな……勝ち目などもう無いと思え」
「――さて、全てが終わっても無いのにそう言い切るのは、愚か者のする事だぞ?」
女精霊の、声。
それが誰のものであるかを察するその瞬間には、サトゥルヌスの右頬に彼女の拳が減り込んでいた。
相当な勢いが乗っていたその一撃は、それだけでサトゥルヌスを吹き飛ばし、何件もの建物の壁をぶち破って漸く止まるほどだった。
「……この力、もう来たのかユノー?」
「逆に来ないとでも思ったか馬鹿者が。後は貴様だけだぞ、サトゥルヌス」
「そうか……やはりオルクスとアウローラは逝ったか。貴様の仕業だな?」
瓦礫を払い、目を細めながらサトゥルヌスが見据えるのは、一柱の女精霊――ユノー。
彼女に注がれる視線は尋常ではない怒気と殺気だったが、当人はそれを柳に風と言わんばかりに受け流していた。
「確かに、オルクスをやったのは私だ。アウローラは最終的にリベラが倒したがな。どうした、随分と立腹している様じゃないか」
「訊くまでもない事を質問してくる性格の悪さは相変わらずだな。そこまでして私を不愉快にさせたいかね?」
「不愉快な行いをし続けたのは貴様の方だ。私は同じ精霊として貴様を止める。殺してでもな」
その宣言を真正面から受け取りながら、サトゥルヌスは周囲に素早く視線を走らせる。
幾ら彼が大幅に力を増しているとは言え、この状況での増援は流石に好ましくはなかった。
特にユノーはその中でも厄介さが高い。
何故なら彼女はユピテルやサトゥルヌス自身とも並んでいるくらいに古い精霊であり、その上で余り活動して来なかったが故に力を多く蓄えているのである。
サトゥルヌスの力を以ってすれば、彼女だけなら大した脅威でも無いものの、やはり数の差がここで効いて来るのだ。
だから彼は不利に、或いは自分の敗因となりかねないこの状況を打開すべく辺りに視線を向けていたのである。
――そして。
「ああ……丁度良い」
そこで、見つけた。
彼の視線の先では、人型をした“怪物”が多数を相手にして逃げ回っているところだった。
◆◇◆




