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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第九章 オモイブツカル
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第四話 起死回生STORY⑤



◆◇◆



 イリオス市は、案の定凄まじい腐臭に包まれていた。


 人間が腐敗していくその独特の匂いは、何度嗅いだとて慣れるものではなくて、俺も思わず顔を(しか)める。


「酷いですね……」


「作戦前に腹へ食べ物を詰め込まなくて良かったよ。さもなくば君達、吐き戻しそうだし」


「否定は出来ませんね。ただ、長い時間ここにいると余計な病気貰いそうで怖いです」


「その時は僕やミネルワさん辺りが何とかするさ。安心して暴れておいで」


 狙うはサトゥルヌスただ一柱(ひとはしら)


 その他については、こちらの戦力的な余裕も考えて基本的に相手をせず、急戦で決着させる。


 それがこの作戦の幹となる部分であるが、実際の所これは陽動も行わない強襲作戦でもあった。


 何せ、そもそもこちらの数は神饗(デウス)に対して圧倒的に少ないのだ。


 そんな状況で陽動に戦力を割いては各個撃破されないとも限らないし、相手もそれを警戒している可能性が高かった。


 だから裏の裏を掻いて――と言うよりは脳死にも近い賭けでこの作戦に踏み切ったのである。


「……人の亡骸を弄ぶ様な真似を!」


 人気のない大通りを駆け抜けていく最中、脇から飛び出して来た神饗(デウス)兵――動く屍を白弾(テルム)で吹き飛ばし、駆逐する。


 頭だけを吹き飛ばす様な半端な一撃では、まだ神饗兵は動く。そのため、その全身を跡形も無く消すだけの威力を求められて、通常の戦闘よりも魔力の消耗が激しいものだった。


「こりゃあ酷いな……住民と、都市の奪還にやって来た兵士まで殺されて操られてんのか」


「いちいち相手にしていたら、それこそ僕らは数の前に磨り潰される。ラウ君も雑魚に構わない方が良い」


「……分かってますけど、でも!」


 まるで前世で見たホラーゲームのように、ゾンビのようにあちこちの建物から湧き出してくる死体の群れに、顔を引き攣らせずにはいられない。


 道を塞ぐように展開し始めたそれらを纏めて魔法で吹き飛ばそうとして、しかしそれより早く誰か――ユピテルが魔法を行使する。


「この程度なら、まだ俺達の方が魔力に余裕はある。少なくとも人の身であるお前よりはな」


「……感謝します」


 死体たちは跡形も無く吹き飛ばされ、開けた道を駆け抜けつつ礼を言う。


 だが神饗(デウス)もこちらの進軍を指咥えて見ている筈もなく。


「見つけたぞ、糞餓鬼がッ!」


「エクバソス……まだ生きてやがったのか!?」


 唐突に飛来して来た短剣を槍で叩き落とし、その方向へと首を巡らせてみれば、好戦的な笑みを浮かべる男が一人。


 粗野な見た目のその男は、見る見るうちにその容貌を二足歩行の獣――狼へと変え、ギラギラとした殺意を向けて来る。


 視線は俺一人を捉えて放さず、少なくとも放置して置く事は出来そうになかった。


「ラウ君、僕の方で片付けて置こうか?」


「いえ、リュウさんは他の人と一緒にサトゥルヌスに集中してください。俺はコイツと、因縁もあるんで」


「……そっか、なら任せた。念の為に后羿(コウゲイ)をつけておくよ」


「感謝します」


 ざざ、と疾駆していた己の体に制動を掛け、身を翻してエクバソスと向き直る。


 だが立ち止まったのは俺と后羿(コウゲイ)だけではなく、更にシグやスヴェン、レメディアやシャリクシュとイシュタパリヤまでもがいたのである。


 もっと言えば、彼らが立ち止まった事で、それに追従するようにタグウィオスとラドルス、それにガイウス・ミヌキウスら狩猟者(ウェナトル)三人組まで加わっていた。


 要するに、精霊組と人間組で分かれる事となったのだ。


「この場所で、こんなに残って平気なのかよ?」


「それこそラウ一人をこの場に残す訳にも行かないだろう? 幾ら何でも多勢に無勢だからな」


 遠ざかって行く精霊達の背中を見遣りながら問えば、シグが周囲を見渡しながら答える。


 実際、彼女の言う通りこの場に神饗(デウス)の戦力が集中しつつあるらしい。もぞもぞとやって来る神饗兵の他に、エクバソスの様な構成員も姿を見せつつあった。


 例えば、今丁度建物の屋根に姿を現したペイラスとエピダウロスのように、だ。


「久しいな、三か月ぶり以上か。それにしてもたったこれだけの戦力で突撃を掛けて来るとは、破れかぶれにでもなったのかね?」


「何はともあれ、君らには俺の実験体になって貰うぜー。まずは試験体の実戦試験で、その後で被検体としてね」


 どちらもその装いに変化はなく、彼ら自身の優位を確信してか余裕そうな態度が乱れる気配もなかった。


 そしてこちらが彼らに対して何かを言い返す間も与えず、状況は動き出す。


「ラウレウス……てめえはクリアソスとアゲノルの仇なんだ! 何としてもここで仕留めてやる」


「だったら最初から俺を狙わなければ良いだけの事だろうが! その自分勝手な主張に付き合わされるこっちの身にもなってみろっての!」


 抜剣。


 短槍と剣を持って、エクバソスの鋭爪(えいそう)を受け止める。


 しかしそれを受け止めながら、俺は驚愕に目を見開かずにはいられなかった。


 まず、彼の移動速度が上がっている事、そして力が増しているからだ。


 するとこちらの動揺を感じ取ったか、彼は得意気に笑う。


「……驚いたか?」


「そりゃあもう。何をした?」


「改造手術さ。お前だってもういい加減知ってるだろ?」


「ッ!」


 その言葉で頭を過るのは、まずタリアという名の少女だった。


 彼女はその小さな体に神饗(デウス)による改造手術を施され、そして俺に敗れて死んだ。おおよそ人らしい、生物らしい死とはかけ離れたあの(おぞ)ましい死に方は、相手が誰であれ見ていて気持ちの良いものでは無かった。


 何せ、体が強烈な拒絶反応でも起こしたか、それとも無理な手術が施されたせいか、体が溶けていたのだから。


「……お前、その手術を受けたら最終的にどうなるか、知らない訳じゃ無いよな?」


「勿論だ。けど、こいつは今までエピダウロスが実験を繰り返してくれたお陰で、そこまで無理のある事はしてねーんだよ。……純粋に能力だけが強化されてる訳だ」


「実験……パピリウス達に施されていたのも、その一環だったのか」


 アッピウス・パピリウス。


 つい三か月ほど前の、ハッティ王国にある迷宮(ラビュリントゥス)内で討ち果たした人物の名だ。彼もまた、その身に改造手術を施されていた。


 仲間だと言うのに、エクバソスは彼らに対する場など欠片もないのか、笑いながら語る。


「その通り。まあ、アイツらがお前達に殺された時点で、必要な結果は集まってたらしい。お陰で俺は、エピダウロスから安全な強化手術を受けられた訳だ」


「……クリアソスやアゲノルの仇とか言う割には、情に薄いんだな?」


「情? へっ、ああいう奴に向けてやる情けなんざねえよ。庸儿(フマナ)以外を平然と見下す様な人間にな」


 あんな奴は死んで当然、利用されて当然だと彼は言う。


「俺の村はよぉ、東帝国のクソ共に焼かれたんだ。神の為にとかふざけたお題目掲げた連中の奴隷狩りに遭ってな。未だに覚えてるぜ。あの、人を人とも思っちゃいねえゴミ屑共の目をよ」


「それと同じ視線を、俺はお前を含めた多くの連中から向けられて来たんだけど?」


「へえ、自分がやられて嫌な事を他人にやるなって言いてえのか? 馬鹿馬鹿しい、そんな遠慮してるから付け込まれるんだ。人間なんざ言葉を話す獣に変わりねえんだからさ」


 心底馬鹿にしたように語る彼の目は、憎悪に染まっていた。


 それはいつぞやに見た彼の仲間――アゲノルのものに似ていて、そしてそれすら上回る様な殺意に固唾を呑んでいた。


「村が焼かれ、家や人が焼かれ、殺され、奪われ、犯され、囚われ、灰燼に帰した故郷を見て、少なくとも俺は同じ目に遭わせてやりたいと思ったね。お前はそうは思えないくらい、脳味噌がお花畑なのか?」


「別に、俺はお人好しでも何でもない。自分の身近な人を自分の為にも守りたいと思う、欲深いただの人間だよ。そもそも、脳味噌お花畑ならこんな場所に乗り込む訳ねえだろうが!」


 力任せに、エクバソスの爪を弾き飛ばす。


 そして浮き上がった彼の体を斬らんと剣を薙ぐものの、その俊敏さは傷一つ付けさせる事が無かった。


 そこから、一気に反撃へと転じたのである。


「そうだろうな! 少し前までのお前の目は最高だった! 最高に濁っていて、この世界の何もかもを恨みまくった様な顔をして居やがった!」


「……ッ!」


「それがどうしてか、今や随分と綺麗な目をしやがって……気に食わねえ、ああ気に食わねえ! なにをテメエだけ救われた様な顔してやがる!?」


 腹に走る衝撃。


 蹴り飛ばされたと判断するのにさして時間は掛からず、飛び退って衝撃を少しでも殺す。


 だが、こちらの体重が後ろ向きになってしまっている事を見抜いているらしいエクバソスが、その隙を逃す筈はなく。


「……殺したくなるくらい気に食わねえよな」


「逆恨みじゃねえか! 子供みたいな癇癪起こしやがって!」


「だから何だ? この世界は力こそ全て、主張がどれだけ幼かろうと高尚だろうと、正しかろうと、力のねえ話が通る事はねえんだよ!」


「ぐっ!?」


 エクバソスが、腰に下げていた剣を抜く。


 壁に追い込まれていた俺は、繰り出される袈裟切りを慌てて(かわ)せば、それとほぼ同時に剣が空間を薙ぐ。


 視界の端がちらりと捉えた所によれば、エクバソスの振るった剣は煉瓦の壁すらも斬り裂いたらしい。


 刃毀れ一つ見せず、頭上から降り注ぐ陽光を鈍色に反射していた。


「その剣……」


「分かるか? そうだよ、クリアソスのだ。お前が奴から奪い、そして東帝国に捕らえられた際に取り返したんだ。今は俺の物として使ってる」


「奪ったって言うより、貰ったもんだけどな」


「見え透いた嘘を……!」


 振るわれる剣を、こちらもまた剣で迎え撃つ。


 今俺が使っている剣は、東帝国から脱出後にメルクリウス商店から受け取った業物の剣である。


 だが相応の切れ味と頑丈さを持つこの剣でも、クリアソスの剣には及ばなかったらしい。


 たった一合打ち合っただけで、剣にはほんの小さな刃毀れが生じてしまっていた。


「はは、(なまく)らか? その剣ごと叩き斬ってやるよ!」


「馬鹿正直に斬り結んでなんざやらねえっての!」


 近接戦は危険と判断して、素早く後退して建物の陰に逃げ込もうとするものの、相手はエクバソス――つまり狼人族(リュカンスロプス)である。


 幾ら悪臭が匂いを誤魔化してくれるとは言え、彼を振り切れるはずがなかった。


「やっぱ流石のワンコか……!」


「俺は狼だ! 一緒にするんじゃねえ!」


 牽制の為に白弾(テルム)を見舞っても、効果はない。


 エクバソスの身体能力で交わしてしまうし、加えて彼が手に握った剣が直撃弾を両断してしまうのだ。


「野郎……」


「お得意の魔法が封じられるとこんなものか? 流石に堅玄鋼(アダマンティウム)で造られた剣は切れ味も抜群だ」


 クリアソスの剣。それは特殊で貴重な鉱石を鍛えて造られた特殊なものである。


 具体的には尋常ではない堅牢さと斬れ味、そして魔法すらも切ってしまうのだ。


 リュウが持つ紅い刀にも似たその性能は、以前持っていた俺自身も良く知っている。


 とは言え余り活躍する機会も無かったが、それがここに来て俺に対して牙を剥いているのだった。


「まずは四肢から切り落としてやるよ!」


「やれるもんならな!?」


 そうは言ったものの、斬撃を止める術がない。


 槍や剣で受け止めても損傷が気になって碌に戦えず、魔力盾で防御しようにも泥を切る様に両断されてしまう。


 そうなると、絶対に剣の届かない間合いで魔法による飽和攻撃が最適解なのだが、この状況で間合いは取れないし、仮に取れたとしてもすぐ詰められてしまう筈だ。


「威勢は口だけらしいな、ここで終われ糞餓鬼が!」


「――ッ」


 このままでは、じり貧だ。


 押し切られて負けてしまう可能性が高い。


 そう判断した俺は、一か八か短槍と剣を手放すと同時に、一気にエクバソスとの距離を詰める。


 すると、彼もその動きに虚を衝かれてか一瞬だが動きが止まっていたのだった。


 その隙に、ベルトに差してある短刀の二つを抜く。


 刀が脅威なら、刀の届かない間合いで戦うまで。


 そしてそれは、距離を取らなくても、もっと近づいても達成される事なのだ。


「……調子に乗りやがって!」


「さっきまで調子に乗ってた奴に言われたくはないね!」


 どれだけ鋭い切れ味を持つ剣だろうと、鍔付近では性能を十全に発揮する事は不可能だし、短剣に比べて取り回しに劣る。


 その事を証明するように、一条の切傷がエクバソスの腕に刻まれていた。


「俺が、こんなぽっと出のガキ如きに……!」


「悪いけど、どれだけ改造手術をやって力をつけても、もうアンタじゃ俺には勝てないんだよ」


「冗談じゃねえ! 俺はこの世界に、この世界の連中に、まだ復讐も終わっちゃいねえんだ! それも見ないで死ねるか!」


 今度は、エクバソスが押されていく番だった。


 彼はどうにか剣と鋭爪で応戦するものの、防戦と後退する一方で、反撃に転じる事も出来ずに体への切創を増やしていたのだ。


(ようや)くだ、漸く俺は自由と力を手に入れて! でも故郷も家族も友もいないままで、取り返す事も出来ねえ! エッカルトも……皆、恐らくは東帝国の連中に殺されるか囚われて奴隷に落とされた!」


「エッカルト……?」


「俺の親友の名前だッ! 俺は家族ともども東帝国の連中に囚われた中、奴の姿は無かった。多分、殺された! 東帝国のクソ共にッ!」


 力任せに振られる剣。それを短剣で()なし、返す刀で一閃。


 途端にエクバソスの皮膚が裂けて鮮血が舞うけれど、本人はもうその程度の傷などに見向きもしない。


「その家族も、長い奴隷生活の中で死ぬか離れ離れとなり、そこで俺は(ようや)く当時の主人を殺して自由の身になった。復讐の機会と権利を得たのさ!」


「その自由をどう使おうが勝手だけど……それに俺達を巻き込まないで欲しいね。そんな事をすれば、俺達が邪魔に入るのも当たり前じゃねえか」


「黙れ黙れ! 邪魔だ、お前らは……俺達にとって障害であり、害悪であり、黙って利用されてりゃいいんだよ!」


「願い下げだそんなモン。人の生き方や価値をお前ら如き他人に決めつけられて縛り付けられちゃ堪ったもんじゃないんだよ!」


 エクバソスの右腕、その腱を狙って一閃。


 果たして狙い通りに斬撃は直撃し、舞い散る血飛沫(ちしぶき)と共に彼は握っていた剣を取り落とすのだった。


「テメエが好きなように生きる様に、俺もまた好きなように生きる! エクバソス、テメエがやってる事は例え復讐だとしても無関係な人を巻き込み過ぎだ!」


「へっ、そう言うお前だってウィンドボナで散々人を殺しただろうが。当時の皇帝や、あの気に食わねえ皇太子とかな」


 その指摘に、ずきりと胸が痛む。


 確かにあの時、自分は多くの人を殺した。この手で、躊躇なく殺して回ったのだ。


 時に、命乞いをする者すらも区別なく殺した。それは確かに、間違えようのない事実である。


「けど、俺はお前らと違ってあの時の事をいい気味だとか思っちゃいねえ! 人殺しを喜んで実行する様な奴らと一緒にするな!」


「いいや、一緒だ。人殺しに良いも悪いもねえ。人殺しは等しく人殺しだ。幾ら綺麗な言葉で飾り立てて誤魔化そうが、人を殺したことに変わりなんざねんだよ! そんなんでお前は自分が俺達と違うと言い張ろうって、片腹痛(かたはらいて)ぇったらありやしねえ! 逃げてんじゃねえよ!」


 振るわれる鋭爪を紙一重で躱し、お返しと言わんばかりに二度斬り付ける。


 その痛みによろめいたらしいエクバソスが二歩と後退するが、逃がさず張り付いて斬りつけていくのだった。


「……逃げてるのはお前も一緒の筈だ! 復讐だとか一々理由付けしなけりゃ、人の命も踏み躙れねえんだろ!?」


「馬鹿か!? やられた事をやり返そうとする事の何がおかしい!? 当然の権利だろうが!」


「そうやって理由付けしてる時点で、お前は自分のやっている事が良心に反する事だって認めてるようなものなんだよ! 周りに言い訳しないと復讐も出来ないってさ」


「――言わせておけば好き放題と語りやがって!?」


 不意に、怒りを爆発させたエクバソスがその毛を逆立たせる。


 自身が怪我を負うのも厭わずに大技が来る――そう肌で感じ取った俺が身構えようとした直後。


 間を置かずにエクバソスの回し蹴りが側面から襲い掛かって来る。


 咄嗟に展開した魔力盾でそれを受け止めるが、以前よりも力を増した彼の一撃は尋常ではない程に重く、盾の上からでも蹴り飛ばされてしまうのだった。


 それでも両足で踏ん張って勢いを殺すが、エクバソスとの間に距離が生じてしまったのも事実。


 しかも、彼の鋭爪や牙が活きて来るような最適な間合いで、だ。


 エクバソスもその事を瞬時に理解したか、にやりと笑って言う。


「……油断したな、糞餓鬼!」


「……ッ」


 直後、襲い掛かる牙と爪。


 だけどそれを、俺は避けるでも防御するでもなく、正面から迎え撃っていた。


 ――先程エクバソスの取り落とした剣を右手で拾い上げて、だ。


 俺が両手に持っていた短剣では致命傷に届かないとタカを括っていたらしい彼からすれば、状況の判断が間に合わなかったのだろう。


 ほんの少しだけ目を見開いた彼に回避など出来る筈もなく、その胸に剣が刺し込まれていたのだった。


 同時に微かに掠った彼の鋭爪が俺の頬に一条の切傷を作っていたけれど、こちらが負った傷はそれだけ。


 対して、エクバソスはその胸を貫かれて動きを止めていた。


 そして彼の視線だけがこちらを向いたと思えば、唐突に吐血した。


「このマセガキが……だからお前は嫌いなんだ」


「そりゃお互い様だろ。ところでアンタ、元の名前は? クリアソスもそうだったんだ、どうせエクバソスってのも偽名だろ」


「……バルタザール、だ」


 その言葉を聞きながら、俺は彼の胸に刺さった剣を抜く。


 途端に傷口から血が噴き出し、エクバソス――バルタザールは路上に膝をついていた。


「それ、で……俺の名前聞いて、どうする?」


「いや、エッカルトって名前に聞き覚えがあってさ。もしかして、熊人族(ウルソルム)だったり?」


「何故それを……っ!?」


 ぼたぼたと、血が垂れる。


 誰が見たって致命傷を負っている彼が助かる手段は、もう無かった。


 そしてそれは本人が一番良く分かっているからか、彼はやけに素直に質問へ答えてくれる。


「ゲルマニアにある街で、宿屋を営んでたよ。バルタザールって狼人族(リュカンスロプス)の友人がいて、東帝国軍の奴隷狩りで故郷の村を焼かれた事があるって」


「……へえ、アイツ生きてやがったのか」


 すっかり弱り切った目で、エクバソスは空を眺める。


 それはどこか安堵していて、そしてかつてを懐かしんでいる様でもあった。


「最初は東帝国や庸儿(フマナ)を恨んだとも言ってたな。けど、それじゃ色々と話にならないから止めたんだと。お前とは偉い違いだ」


「……ああ、随分と差が出たな。俺、何してんだか」


 自嘲するように語るエクバソスに対し、俺は嗤う。


 もうじき死ぬとは言え、この男にかけてやる情けは無いのだ。だから、容赦なく嘲笑だってしてやる。


「今更、後悔でも始めたかよ? 後はもう死ぬだけって奴は楽で良いね」


「いいや、別に後悔なんざしちゃいねえさ。……ここまでの生き様は全てが俺だ。俺の生き方を誰一人として肯定しなかったら、何の為に今まで生きて来たかも分からなくなるじゃねえか」


「そうなるとお前の行動と存在を、俺が完全に否定する事は出来そうにないと。……残念だ」


 徐々に、徐々に、エクバソスの体からは力が失われていく。


 それを示す様に彼の体は時折揺れていて、出血もその勢いがほんの少しだけ弱まってきたように感じられる。


 鮮血の匂いが辺りに立ち込める中、エクバソスは自嘲した。


「馬鹿言え、俺としちゃいい気味だぜ。やりたい事だけやって、とっとと退場出来るんだ。まだやり足りない事もあるが……俺如きが望むには過ぎた事か」


「そう言う事だ。とっとと退場しとけ」


「お前も、身の程を知っとけよ。……過ぎた真似をする様なら、すぐにでもっ、俺がお前、をこっちに引き()、りこんでや、るから……よ」


 唐突に途切れがちとなる言葉は、彼の命の灯が激しく揺れているからだろうか。


 果たして、彼は遂に(うつぶ)せになって(たお)れ伏すのだった。


 血だまりに一人沈むその狼人族(リュカンスロプス)の男を見下ろしながら、俺は聞こえない事は承知の上で言う。


「……そうかい。出来るものならやってみろ。楽しみに待ってやるから」


 ふと、都市全体に纏わりつく臭気を吹き飛ばす様な強い風が吹く。


 勿論、その程度で都市の腐臭が消える事は無いけれど、幾らかマシになった空気の中で周囲を見渡す。


 まだまだあちこちで戦闘が続いていて、ここに俺がいる事を見つけたらしい神饗(デウス)兵もぞろぞろとココへ集ってくるのが見えていた。


「ぼーっとする暇もありはしないってか」


 もう(しばら)く、何も考えないで空を眺めて居たいと思っても、状況はそれを許してはくれないらしい。


 一時的に手放していた短槍や剣を拾って回収しながら、一度だけ長い長い溜息を吐いていたのだった。




◆◇◆




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