第四話 起死回生STORY①
「待たせてしまったようで申し訳ない」
「いえ、急な事でしたから仕方ありません。まずはお掛けになって下さい」
タルクイニ市、その市街地に位置する大店メルクリウス商店の一室に、俺はリュウと共に立っていた。
恐らくこの場所は関係者以外立ち入り禁止とされているであろう事は想像に難くなく、事実椅子には錚々(そうそう)たる面々が腰掛けていた。
具体的に言うなら、歴戦の精霊達である。
顔馴染みのユピテルらを始め、ここにはハットゥシャ市で援軍として駆け付けてくれたユノーらまでいた。
だが、とは言え既に見慣れた顔触れである事もあって、俺もリュウも特に気圧される事は無く席に着く。
「それで、神饗と主人の居場所が割れたと聞きましたが?」
「ええ。幾人かの商人の犠牲と引き換えに、漸くといったところですね。出来ればこう言った犠牲は最小限に抑えたかったのですけど」
そう語るメルクリウスは、手元にある幾らかの羊皮紙に目を落とし、何やら情報を精査し続けている様だった。
自然、この場の誰もが彼へと視線を集め、次の言葉を待つ。
だがその空気に早くも耐え切れなくなったか、しびれを切らしたらしいユピテルが問うていた。
「それで、連中は今どこに?」
「……イリオス市だ。一週間ほど前になって何者かによって城郭都市丸々一つを占領され、兵士住人含め殆どがまだ出て来ない。辛うじて逃げ延びた者と、偶々イリオスを望んでいた商人からの証言によれば、その者達は極少数だったが、容易く兵士を蹴散らしていたと」
「イリオス? 東帝国の領域内だね……」
「なるほど、簡単に見つからない訳だ。あの辺はまだ内乱祭りの真っ最中だからな。それを隠れ蓑としたか」
納得するように精霊達は顔を見合わせ、頷き合う。
その精霊の指摘通り、皇帝と皇太子らが死んでから四カ月ほど経とうと言うのに混乱は全く収まっていない。
東帝国領に犇めいていた幾つもの群雄が内外の勢力から攻め滅ぼされ、都市や村落が焼けて荒廃の一途を辿っている。
無数にあった勢力が相応に統合された事で一旦の小康状態を見るかに思われたが、むしろ戦争の規模が大きくなっただけなのだ。
「恐らく神饗の連中は激しい内乱に乗じてまた多くの者を殺し、そこから魂を奪っている筈だ。……魂喰とか言ったか?」
「ああ、ユノーの言う通りだ。既に東帝国領内の村落が幾つか、不自然に全滅していた。周辺住民は盗賊か傭兵、もしくは軍隊による略奪だと思っている様だが……報告には矢や放火、略奪の痕跡が見られない上に、老若男女問わず殺され、乱暴された痕跡も無いと書かれている」
「明らかに命だけを狙っての犯行だな。決まりか」
「だがこの報告が事実だとすれば、サトゥルヌスは更に多くの魂をその身に取りこんだ事になる。まず力が増していると見て間違いなさそうだ」
そうなると真正面から乗り込むのは些か厳しいかも知れない、とメルクリウスは考え込む様に机へ肘を突き、側頭部を摩っていた。
この場に居る他の者も同じ意見なのか、誰もが真剣な顔をして瞑目したり、腕を組んでいる。
そんな中、会議に参加していた数少ない人間――ガイウス・ミヌキウスが挙手をする。
周囲にいるのがほぼ軒並み人外と言う事もあり、彼の態度は恐縮しきっているものだったが、それに気付いたメルクリウスは柔らかい笑みを浮かべて言っていた。
「どうぞ、ガイウスさん。何かご意見があるなら」
「か、感謝する。自分の実力と脳味噌が足りないから言えるのかもしれないが、強大な相手には更に数を揃えれば良いんじゃないか? ビュザンティオンの総督とも協力関係にあるんだろう?」
「確かに、強い敵にはより強い力で当たるのは手っ取り早く簡単な手ですが……今のサトゥルヌス相手では魂を献上する事になり兼ねません」
「しかし、ビュザンティオンの精鋭なら或いは……それこそ、カドモス・バルカに来て貰えば!」
「難しいでしょうね。彼はただでさえ東帝国内の内乱において、存在感を発揮している。そんな彼が領地の統制をほっぽり出してまで参加してくれるとは考え辛い。精々、各地に散らばった神饗の残党狩りが出来るくらいでしょう」
現状、サトゥルヌス討伐に関して直接の援護を期待できる相手ではないとメルクリウスが告げれば、ガイウスは弾を撃ち尽くしたように肩を落とす。
しかしそれでも一度発言権を得た以上は簡単に引き下がるつもりがないのか、即座に新たな提案を口にしていた。
「なら、今からでも他の国に事情を説明して……」
「果たして、それを信じてくれる国はどれだけいるかという問題があります。ハッティ王国なら或いはと思いますが、あそこは今、西方のアルタクシス王国やパールサ王国と開戦秒読みまで行っているらしいので、やはり期待は出来ないかと」
「根本的な戦力増強は望めない訳か……失礼、無知を晒しただけだったな」
「いえ、お気に為さらず。私もこの情報を得たばかりですし、知らなければ貴方と同じ事を考えていたでしょう」
遂に口に出す言葉も無くなったか、恥じ入る様に椅子に座るガイウスに対し、メルクリウスは気遣う様に声を掛ける。
他の精霊も彼を嘲笑う事をせず、偶々隣に座っていたユピテルに至っては「お前賢いな、俺にはメルクリウスの話も含めて全く分からん」と人懐っこく笑って肩を叩いていた。
それはそれでどうなんだと思わなくも無いが、ユピテルと言う精霊が少々どころではなくお頭が足りないのは今更なので、誰も指摘する事は無かった。
だが、そのせいかユピテルは自由奔放に発言を続ける。
「取り敢えず、俺が単身で突っ込んで来るぜ」
「止めろこの馬鹿ユピテルが。お前、話聞いていたのか?」
「勿論聞いていたぞ?」
「……聞き流したの間違いだろ」
その途端、部屋全体が溜息を吐いたかのような空気が支配する。
ただ一柱、ユピテルだけは話が本当に理解出来ないのか、キョトンとした顔を晒していたが、そんな彼を注意するようにしかめっ面をしたユノーが言っていた。
「貴様、そんな事だから千年前にも不覚を取って封印されるのだ。いい加減思慮を覚えろ。また封印された時、運良く復活できるとは限らんのだぞ」
「うっせえな、千年前のお前に至っては何もしないで傍観してたくせに。殺されていく白儿をただ眺めるのは楽しかったか?」
ユノーの諫言が気に障ったのか、不満そうに顔を顰めながら皮肉を言ったユピテル。
その途端、空気が一気に重苦しいものへと様変わりをして、場に居る多くの精霊達は黙り込み、我関せずの気配を前面に押し出していた。
一方、皮肉られた張本人であるユノーは風も何も無いのにその美しい髪の毛先を逆立たせ、凄まじい怒りをユピテル目掛けて叩き付けていた。
「……言ってくれるな、馬鹿の分際で」
「へっ、澄まし顔で私は中立ですを気取ってる女精霊様に言われたか無いね!」
「ほお、言ったな?」
「お? 何だやんのかユノーのくせに」
がた、がたりと二柱の精霊が席を立ち、挑発的な言葉を交わしながら距離を詰め、睨み合う。
流石のメルクリウスもマルスも両者を止める勇気はないのか、彼らは額に手を当ててやれやれと首を振って居た。
しかしこの場にあって、最も一般的な精神を保持していると言えるガイウスは焦った顔で俺に問うてくる。
「なあ、あれ止めなくて良いのか?」
「止められるならその方が良いでしょうけど、死にたいんですか?」
「そんな次元の問題なのかよ!?」
ぎょっとした顔のガイウスは何度かちらちらとユピテルらに視線を送り、漂ってくる強烈な殺気に顔を蒼くさせていた。
幾ら上級狩猟者とはいえ、これ程まで強烈な状況に遭遇した事は無かったのだろう。さり気なくリュウの背後に隠れようとしていたので、俺はそれよりも先に彼の肩を掴む。
「……おいラウ? お前にそうされると、俺逃げられないんだが?」
「逃がさない為なんだから当然ですよ。ガイウスさんの初々しい反応、見てて面白いんで」
「お前いつからそんな邪悪な性格になったんだ!?」
放せ、と必死な顔をして藻掻くガイウスだが、生憎と身体強化術の施された俺の手から容易に逃れる事は出来ない。
「ラウ! これでとんでもない目に遭ったらお前の事を恨むからな!?」
「大丈夫です、即死じゃ無ければメルクリウスさんやミネルワさん辺りが何とかしてくれますって」
「もう既に人としての価値観が崩壊している!?」
ますます強く暴れているガイウスだが、結局背後からリュウにも押さえ込まれてしまう。
流石にそこまでやられては抵抗を諦めざるを得ないのか、ガイウスは半分死んだ顔で天井を眺めて居た。
そうこうしている間にユピテルはユノーからのアッパーを食らって吹き飛ばされ、天井に大穴を開けて消えていったのだった。
「後は私とユピテルを除いて続けてくれ。頼んだ」
「……もう、そうするしかないんだけどね」
「では失礼する」
それだけ言うと、ユノーは天井に開いた穴から外へと出ていく。
後にはそれ以外の面々と、天井が突き破られた事による瓦礫が散乱していた。
それらと穴の開いた天井を見遣りながら、いつになく晴れ晴れしい顔をしたメルクリウスは言う。
「さて、修理諸々をどうしたものか……」
「自腹しかないんじゃないか? あの二柱に支払い能力があるとは思えない」
「だよな……」
ガックリと項垂れたメルクリウスは、それきり動かなくなっていた。
それを見て仕方ないと判断したか、視界の座をマルスが継承し、場を取り仕切る。
「では気を取り直して会議を再開しよう。現状、戦力の根本的な増強が図れない事が露呈した訳だが。そうなると今ある数と質で神饗及びサトゥルヌスと戦う事になる訳だ」
「とはいえ、そう簡単に良い手が見つかる訳でも無し……」
机に頬杖をついたミネルワが、困った様にそう呟いた直後。
出し抜けに、部屋の扉が開け放たれる。
そして、それと同時に複数の闖入者の姿が目に映るのだった。
「私達を除け者にして、随分と自分勝手な事をしてくれるじゃないか、ラウ?」
「……シグ? それにスヴェンとレメディアまで」
「よう、水臭い事をしてくれるじゃねーか。どうせまた碌でもねえ配慮でもしようとしてたんだろ」
「そうそう。今更になって私たちを遠ざけようったってそうはいかないよ。ここまで仲間としてやってきたわけだしね」
現れたのは、三人の少年少女――だけでは無かった。
そこから更に、一組の男女まで姿を現したのだ。
「俺も手伝うよ。シャリクシュとして、アレン・シーグローヴとしても」
「リックが行くなら、私も」
そこに居たのは剛儿の少年と、千里眼の異能を持つ少女――イシュタパリヤだった。
誰も、今回の会議には呼ばれていない筈なのだが、どういう訳か聞きつけてやって来たらしい。
「何でここにいるって……?」
「さっき、ユピテルさんを殴り飛ばしながらユノーさんが教えてくれたんだ。ここに行けって。それよりラウ、この会議について私達に話さなかった理由を教えて貰おうか」
「そ、それは」
きつくシグルティアから視線を向けられ、思わず席を立って後退る。しかしそれを逃がすまいと言わんばかりにスヴェン共々距離を詰めて来るのだった。
何となく、このままでは説教が待っている気がして、身を翻して逃げようとした――が。
「ガイウスさん、放して貰えませんか?」
「嫌だね。さっきやられた事のお返しだ。勿論、御釣りは結構だから遠慮なく受け取ってくれ」
背後からガイウスによってがっしりと押さえられ、今度は俺の方が動けない。
どうにか脱出しようと藻掻いてもどうにもならず、しかもリュウまでガイウスの援護をする始末だった。
「リュウさん、これどういう事ですか!?」
「どうもこうも、ラウ君がシグ君達をこの場に呼ばないで欲しいって言いだした時に確認した筈だよ? 後でバレたら怒られるよって」
確かにそれを言ったのは自分だし、リュウはそれに念を押す様に確認してくれた。
それでも俺は、シグルティア達をもうこれ以上巻き込みたくはなかったのである。
どうしたって、彼らがまた目の前から消えてしまうのが怖くて、恐ろしくて、だったらまだ自分一人が死ぬ方がマシに思えてしまって。
以前、スヴェンらに言われて彼らを頼ろうとも思ったけれど、彼らもそれを望んでいる事は重々承知していたけれど、それでも駄目だったのだ。
だから、これ以降の神饗攻撃には彼らを巻き込まないと決めていたのに――。
「身から出た錆って奴だよ、ラウ君」
「だからってわざわざ、リュウさんが俺を押さえつける事との繋がりが見えないんですが!?」
「面白そうだからに決まってるじゃあないか」
「この塵糞師匠め!?」
女男が、と罵倒の言葉を続けてやろうかとも思ったが、仮にそれを言ったら冗談で済みそうになかったので自重した。
だが、そうしている間にもシグルティア達は俺の下へと近付いて来ていて。
「さて、私達とじっくりお話しようか?」
「……ハイ」
にっこりと、普段のシグルティアならまず見せない素晴らしい笑みを向けられ、俺はただそう返事してやる事しか出来なかった。
「ではリュウさん、マルスさん。暫くラウを借りますが良いですね?」
「構わないよ」
「こちらとしても特に口を挟む事は無いな。ところで、本当に協力してくれるのかい? ラウレウスは君達の身を案じてか、今後の作戦全てに不参加とさせる方針だったみたいだが」
「そうですか。……全く余計なことを」
「ひっ!?」
一瞬、シグルティアから能面の様な顔を向けられて情けない声が漏れる。
体の震えが止まらず、無駄だと分かっていても四肢が逃亡を試みて、呆気なくスヴェンとレメディアの魔法によって拘束されていた。
「では、皆さんお騒がせしました」
「待って! 助けて……」
「いってらっしゃーい」
完全に体の自由を奪われ、シグルティアを先頭に強制的に退出させられる。
だがそれでも、塞がれていない口で必死に助けを求めるが、リュウの呑気な声によって呆気なく打ち消され、無情にも扉が閉まった。
当然、もうリュウやガイウス、それにマルスを始めとした精霊達の姿は見えなくなり、ただ無言で運ばれていくのみ。
「……あの、俺はこれからどうなるんでしょうか?」
始終無言でいる彼らが何とも不気味で、だから震える声で、しかも敬語で問い掛けるのだが、反応はない。
そのまま建物を出、街中も引き続き簀巻き状態で運ばれて、一件の酒場へと入店する。
当然、その間も彼らは始終無言。
一体この店の中で何が待ち受けているのかと戦々恐々していたが、店内に積み上げられていた物を見て思わず目を剥いた。
「……何、これ?」
「酒樽だ。ハッティ王国のムルシリ、ムワタリ両殿下からの贈り物だと。謝礼のつもりらしい」
漸く問い掛けに答えてくれたシグルティアに、しかし嬉しいと思う間などありはしない。
ただ、店内の四分の一を占めるそれを目にして、只々圧倒されていた。
「これ全部酒なの?」
「ああ。メルクリウス商店と繋がりのある宿に配布したらしいんだが……メルクリウスさんや店主曰く、酒が強すぎて中々捌けないようだ。そこで、な」
「え」
振り返ったシグルティアの顔は、この上なく邪悪に歪んでいて、それは他の者――スヴェンやレメディア、シャリクシュ、おまけにイシュタパリヤもまた例外では無かった。
明らかに危険な気配を感じ取り、俺は顔を引き攣らせながら脱出の手立てに頭を巡らせる、が。
「在庫処分を兼ねて、ラウにはこれを全部飲んでもらう」
「待て待て待て待て。明らかに量がおかしい。人が飲むようなものじゃ……」
「飲んでもらう」
どん、と顔のすぐ近くに酒樽が置かれた。
何事と思ってそちらに目をやれば、そこには満面の笑みを浮かべた男性――恐らくは酒場の店主が立っていた。
「いやあ、助かりますよ。希釈して出すにしても中々減ってくれないもので……君でしょ、話に聞く大酒呑みって」
「断じて違いますッ!!」
「またまた御謙遜を。それじゃ期待してるからね」
そう言うと、店主はさっさと厨房へと引っ込んでしまう。
後には俺と、シグルティア達。それに加えて、何人かの野次馬が居るだけだった。
「おいおい、まさかお前ら……本気で俺にこの酒飲ませる心算かよ?」
「当然だ。幾ら言っても私達を信じてくれないし、この際酔わせて本心も何もかも曝け出して貰おうと言う事だな」
「これはまた随分と用意の良い事で……え、まさか?」
そこまで言って、ふと思い当たる事が一つ。
それはもしや、嵌められたのではないかと。
俺がシグルティア達を危険から遠ざけようとしている事が、もうとっくの前から本人達に筒抜けだったのではないかと。
「もしかしてこれって、リュウさんも……」
「さあ、どうだろうな?」
「あの仮面ヤロぉぉぉぉぉぉぉお!?」
意味深に微笑むシグルティアの表情を見るだけで、リュウが素知らぬ顔をして内通していた事を察する。
今すぐにでもこの拘束から抜け出して殴り飛ばしてやりたいが、流石に厳重な拘束魔法を受けている状況では、どうする事も出来ない。
ただ、虚しく地面をごろごろ転がる事しか出来ないのだ。
「さて、覚悟は良いか?」
「良くない良くない良くない良くない!!」
「良いも悪いも無いぞ。元はと言えばラウが強情で、私達にすら碌に本心を明かさないのが悪いんだ」
「明かす! 明かすから! 頼むからこの酒の量は勘弁して! 確実に死んじゃうから!」
だが、そんな哀願も空しく樽は開封される。
そして俺の眼前に、表面張力限界まで並々注がれたコップが向けられるのだ。
「素面の状態で話す本心と、酔った状態で話す本心とじゃ違って来るだろう? さあ、飲め」
「嫌ァァァァァァァァァァァ!!?」
気化した酒精が、目に入って痛い。
だがそんな痛みすらも可愛く感じられる絶望が、もうすぐそこにまで迫っていたのである――。
◆◇◆
 




