第三話 ハウリングダイバー④
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シャリクシュとの、命を賭けた追いかけっこから日も明け。
新暦672年、7月の12日目。
この日、ハッティ王国が王都ハットゥシャ市にて盛大な催しが開かれた。
開催理由は、最近の迷宮における異変が解決された事、行方不明となっていた狩猟者達が発見され、更にその原因である怪物が討伐された事、そして犠牲者たちを盛大に供養する為、だそうだ。他にも色々とあったようだが、面倒臭かったのでそれ以上は知らない。
「すげー……」
「確かに、これは凄いな」
石や煉瓦造りが主の、単色で味気なかった街並みが鮮やかに彩られ、老いも若きもその服装を街に合わせて着飾っていた。
見たことも無い楽器が聞いた事も無い独特な旋律を奏で、何やら神官らしい恰好をした男達が整列して、街の一角で合唱を披露している。
その歌は地元民曰く神に対する賛美歌らしいが、古い剛儿語によって構成されているので話者でも理解するのは難しいらしい。
何はともあれ神々しい雰囲気のある歌だと思いながら、俺はシグと二人で街の中を散策していた。
「ところで、朝からシャリクシュがご機嫌斜めだったけど、お前ら何かしたのか?」
「まぁ、色々と……俺は何もしてないけどね」
ただあの場に居合わせたと言うだけでシャリクシュから追いかけ回され、銃口まで向けられたのだ。
それだけ恥ずかしかったのだろうけれど、正直非常に理不尽だったと言わざるを得ない。
「これからが正念場なんだ、こんな所で仲違いなんてするんじゃないぞ」
「だから俺のせいじゃないって」
主に精霊達が悪いんだってば。
そう言っても立て板に水な気がしたので、それ以上の反論は諦めて居並ぶ露店の一つを指差していた。
「シグ、あれ食おうぜ」
「私はあれも食べてみたいんだけど……まぁいい。ラウが奢るのなら」
「それはもう決定事項なのね……」
硬貨の入った革袋を取り出しながら溜息を吐くが、不思議とそこまで悪い気分では無かった。
むしろ、懐かしさと嬉しさもあって気分は浮ついていて、だけどそれを彼女に悟られるのが癪で、だから平静を装う。
こうして、祭りの日に二人で出かけるのは一体いつぶりだろうか。
前世以来である事を考えると、既に十五年振りほどになってしまうのだとすれば、懐かしさを覚えるのは当然だと言えた。
「…………」
「…………」
それにしても、と思う。
以前から思っていた事だけれど、どうにも俺は彼女から目を離す事が出来ないらしい。
試しに、無理に離そうと思っても気付けば目が追ってしまって、そもそも意識が彼女に吸い込まれてしまう。
近くに居る、一緒に居る、ただそれだけで嬉しくて、楽しくて、気持ちが舞い上がってしまう。
前世ではそれは大して自覚もしていなかった事なのに、この世界で生まれ変わって、散々修羅場を潜り抜けて来たせいか気持ちに変化が生じてしまったのだろうか。
いいや、己の記憶が間違いでは無いのなら、多分この感情はずっと前から持っていたものだ。
持っていたけれど蓋をして、気付かない振りをして、遠ざけて、知らないと言い張った。
これ以上踏み出すのが怖くて、周りに指摘され冷やかされても「そんなのじゃない」と言って誤魔化した。
そんな、これまでの己の往生際の悪さに、今となっては自嘲しか漏れてこない。
前世の自分はどこまでヘタレだったのかと思わずにはいられないし、そうやって奥手になっていたせいで伝えたかった事すら碌に伝えられずに、彼女共々殺されてしまった。
そこで、人生も何もかも終わったのだ。普通なら、それで話は終わっていただろう。どこをどう考えたら前世の記憶を持ったまま生まれ変わって、しかも運良く再会出来ると思えるのか。
そんな事が発生する確率は本来、極めて低い事だし起こそうと思って起こせるものではない。
なのにそんな悪戯のような奇跡は、今こうして起こっていて、実際に俺は彼女と一緒に歩いている。歩けている。それがどれだけ恵まれている事なのかは、もう今更言う事でも無いだろう。
「ねえ……」
「なあ……」
二人して同時に口を開き、それに気付いて互いに顔を見合わせる。
少しだけ驚いた顔を見せる彼女の様子が少しだけおかしくて思わず破顔すれば、つられる様にシグも笑う。
その恥ずかしさを誤魔化す様な笑いの後、俺はシグに話の続きを促していた。
「どうぞ、シグから先に」
「悪いな。別に私の話は大した事じゃ無いけど、何て言うかその……ラウは今後どうするのかなって」
「どうするって? 取り敢えず神饗とサトゥルヌスをぶっ潰すけど」
仕返しをしてやりたいと思うのは、至極当然の思考だろう。それも自分だけでは無く、親友や更には他の人を殺し回った事に対する義憤も含まれている。
実際に殺された人がそれを望んでいるかは証明する手が無い以上一旦おいて、そうでなくともサトゥルヌスや神饗を放置しておくことは出来ない。
連中の好きにさせてしまえば、もしかしなくても更に無関係な犠牲を生み、理不尽な目に遭って泣く者が出て来るのは間違い無いのである。
だから俺は絶対に彼らを潰す。リュウも精霊達もその為に動いているし、仲間は居るのだ。実現は不可能では無いだろう。
しかし、そこまで言ったところで、そう言う事ではないとシグは首を横に振った。
「その後の話だ。少し言葉が足りなかったな。物事の結末がどうであれ、ラウはその後でどう生きるつもりなんだ? まさか自殺する訳でも無いだろうに」
「そりゃあね。……前世で早々に退場した分、この世界では長くゆったり暮らしたいかな。シグは?」
「私は……そうだな、ラウと一緒だ」
そう答えた彼女は、自然に笑った。
それがやはり綺麗で、だから思わず見惚れて言葉に詰まって、顔が赤くなって行くのを自覚する。
直視するのすら恥ずかしくなり、最終的に視線も顔も逸らせば、不機嫌そうにシグが言う。
「何だ、私の答えはそんなにおかしかったか?」
「ち、違う……けど、そっか。シグも一緒なんだな」
その答えと共に漏れた吐息に滲んでいたのは、安堵か嬉しさか。自分でも良く分からないけれど、じんわりと己の心が温かくなって行くのを感じていた。
――今しかない。絶好の機会だ。
同時に何故か分からないのに心が逸り始め、心臓が早鐘を打つ。
言え、言ってしまえ。もう、ここで――。
そうやって急かしてくるもう一人の自分に突き動かされて、俺は真っ直ぐにシグを見据えた。
他方、急に俺が纏う雰囲気を変えた事に驚いたのだろう、若干目を開いた彼女は当惑した様子でこちらを見返す。
「ど、どうした? 急に」
「シグ、いや麗奈。その……何て言うか」
いざ言おうと決めたのに、言おうとしたのに、胸で突っかかって言葉が出ない。
おまけに喉がカラカラに渇いてしまって、その突っかかりに更なる拍車をかけていた。
このままではいけないと慌てて咳払いをして、そして唾を飲み込む。
これだけでもだいぶ楽になって、だから今度こそ言ってやろうとシグを見つめる。
「あのさ、俺っ……」
「…………」
言え、言ってしまえ。ここでこれ以上後手になんて回る訳にはいかないのだ。
前世での生活以上に人の命が軽い世界では、それこそ言いたい事なんて言えずに離れ離れになってしまう可能性が高いのだから。
もう二度と会えなくなる事だって、十分にあり得る。
だから――。
「おーい! お前ら何してんだ!?」
「「~~~~ッ!?」」
横合いからいきなり大声で話しかけられて、思わず肩が跳ねた。
こんな時に乱入してくる奴は一体何者かと思って視線を向ければ、そこには赤ら顔で片手に瓢箪を持った后羿が立っていたのだった。
「后? お前な……」
「うわ、酷い。俺様を見てそんな顔をされちゃ、流石に傷付くんだけど?」
赤ら顔で、しかも瓢箪の中に入っている酒は相当な度数なのだろう。零れた滴は地面に染みを作ったかと思えば、不自然な速さで消えていった。
多分、火気厳禁なレベルで酒精が多いのだろう。后羿の口から漂う酒気だけでも尋常では無かった。
「酒臭……お前どんだけ飲んだんだよ」
「ああ~? こんなもん飲んだうちに入らねえよ。まだ十人抜きしかしてねえしな!」
「十人抜き……?」
「アレだな。見てみろ、屍の山が出来てるぞ」
周囲を見回していたシグが気付き、指差した先には、コップを片手に倒れ伏す男達。要は死屍累々と化した酒場の一角があった。
しかも倒れている男達は全員が剛儿。彼らは他と比べて酒に強いとされている筈の人種なのだが、后羿の前では歯が立たなかったらしい。
酒と吐瀉物と諸々に塗れた凄惨な地獄絵図を現出せしめた酒豪を前に、俺は顔を引き攣らせずにはいられなかった。
「ラウとシグも飲もうぜ? 何なら俺と飲み比べとか」
「断固として拒否する」
「私も。そんなに酒は好きでは無いんだ」
特に、この尋常ではない度数を誇るであろう酒を飲むなど、拷問以外の何物でも無い。
だから即座に辞退するが、酔っ払いは簡単には引き下がってくれなかった。
「堅い事いうなよ~。ちょっとだけ、ちょっとだけ、な!」
「うぜぇ……」
「酔っ払い……しかも腕っぷしが強いと無駄に質が悪いな」
しっし、と蠅を追い払う様に腕を振るが、それを軽く躱して纏わりついて来る。
おまけに、あわよくば彼が手に持つ瓢箪を口に突っ込もうとして来るのだ。あんなもの、絶対に飲む訳にはいかなかった。
飲んだら最後、どうなるか分からない。そもそも酒を潰れるまで飲んだ事は無いので、予想がつかない分恐怖が強い。
このままではその内飲まされてしまいそうだ――と思い掛けたその時。
「后、全く君って奴は……」
「お、リュウじゃねえか! お前もどうだ一杯?」
「遠慮するよ。蟒蛇の君に付き合える程、僕は暇じゃあない」
リュウはそう言ってあっさり后羿の手から瓢箪を取り上げ、更に彼の首根っこを掴み上げる。
まるで子猫を持ち上げる様な動作で為されるそれは、しかし二人共が大人の体格である。
だからリュウの怪力振りが浮き彫りになって、余計に周囲の注目を集めていた。
「返せよ、それ俺の酒だぞ!?」
「分かった、返すから。……そら、取っておいで!」
「あー!? 投げやがったなテメエ!?」
覚えてろ!? と三下の様な台詞を吐きながら、后羿は遠投された瓢箪を追って駆け出していた。
その足取りはとても度数の強い酒を飲んだとは思えないもので、彼は目にも留まらぬ速さで人混みの向こうへ消えていくのだった。
それを確認したリュウは、疲れた様に溜息を吐いてから俺達に目を向けた。
勿論、彼は相変わらず顔の上半分を仮面で覆っているが、それでも窺い知れる程度には呆れの感情が滲んでいる様だった。
「ごめんね、僕の契約精霊が邪魔をしちゃったみたいで」
「いえ、お気に為さらず……」
もはや雰囲気もへったくれも無い。この状況ではさっきまで言おうとしていた事を言い出す勇気も無くなっていた。
だから、リュウの謝罪に対して苦笑を浮かべながら応じ、一方で安堵している自分も居た。
結局、自分はどこまで言っても臆病者で、現状が変わる事を恐れる小心者なのだ。
そうやって、内心で自嘲して自分の情けなさを誤魔化していると、それを見透かしたかのようにリュウは言う。
「それで、ラウ君は何の話をしていたんだい? 結構重要そうな気がしたけれど?」
「ええまぁ……でも良いです。本当にそこまで重要な事じゃ無いですし」
「そっか。でもこう言うのは無理強いする様なものじゃあないしね、残念。」
仕方ないねー、と悪戯が不発に終わった事を悔む子供のように、リュウは笑う。
その姿を見て、俺は察した。
多分この男、どこからかさっきまでの遣り取りを見ていたのだろう。だとすればもしも、あのタイミングで后羿が乱入しなければどうなっていた事か。
今更ながらに彼に感謝しながら、心の中で安堵する。
しかし、追撃は思わぬところからやって来るのだった。
「ラウ、そうやって誤魔化すのは前世からの悪い癖だぞ。何か私に言いたい事があった筈だ、違うか?」
「え、いや、ちょっと……確かにそうだけどっ」
ずい、と真剣な表情で俺の顔を覗き込んで来るのは、シグだ。
そこには悪戯をしてやろうとか、そう言った類の感情は全く見受けられなくて、ただ純粋に追及している様だった。
だが、よりにもよってこのタイミングかよと思わなくもない。
何せ、この場にはリュウが居るし、今の雰囲気でさっきまで彼女に伝えようとしていた事を言う訳にも行かないのだ。別に言っても良いのだろうが、恥ずかし過ぎる。何よりそれを、野次馬根性丸出しのリュウに見られるのが癪に障るのである。
しかし、そんな俺の考えを知る由もないであろうシグは、真剣な顔をして迫って来るのだ。
「この世界では、私もお前もいつまで生きられるか分からない。特に今は神饗と敵対して居るんだ、ふとした瞬間に殺されないとも限らないんだぞ。だから、言いたい事があるなら言って欲しい」
「……っ」
確かにその通りである。全く以って彼女の言い分は正しいし、そうすべきなのは自分も良く分かっていた。
だけどそれを実際に実行に移すにはやはり相当な覚悟がいるもので、だからどうして俺は口籠ってしまっていた。
すると、いつまでも俺が話を切り出さない事に痺れを切らしたか、むっとした表情のシグは不意に手を伸ばして胸倉を掴んでくる。
「な、何を!?」
「ゴチャゴチャと……なら私からこうしてやれば良いんだろう?」
「え……」
突然の事に呆気に取られ、刹那。
俺の唇に、シグのそれが重なった。
「おっと、これは……予想外だね」
外野が驚きの滲んだ声で何かを呟いていたけれど、俺はそんな事になど構ってはいられなかった。
何故なら、シグの顔が目と鼻の先どころか唇が接触する程に近くにあって、視界一杯を彼女の整った顔立ちが占領しているのだから。
余りの事態に目を白黒させ、思考は疑問符で埋め尽くされて停止。そのまま呆けた顔を晒し、どれだけ経っただろう。
多分、五秒と無かったその時間はシグが唇を離した事で終わりとなる。
軽く、本当に軽く唇が触れただけのそれは、でもたったそれだけなのに名残惜しくて、自然と左手を自分の唇に伸ばしていた。
それを前にして、シグはといえばしたり顔で笑い、言っていた。
「ずっと昔から、私の方から言ってやろうと思ってたんだ。こうやって、正面切って」
「れい、な……?」
「少し前、お前が東帝国に捕まる前にもポロリと言ったが、改めて言おう。やっぱり私はお前が好きだ。高田麗奈としても、シグルティアとしてもな。ずっと昔から大好きだった」
そう言って彼女は、花の咲くような笑みを浮かべていた。
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