第一話 The Beginning ①
喧しい程に蝉が鳴き荒ぶ、七月中旬。
遠くに見える山並みも青々と茂り、雲一つない青空が山と空の境をはっきり認識させる。
もう、この場にただ居るだけで汗が吹き出してしまいそうだ。
なのに、今日も今日とて道行く通行人と車は絶えない。
仕事とは言え、大変な事だと他人事に思いながら、俺――長崎 慶司は窓から見下ろしていた風景より目を離して、自分の周囲に抗議の視線を向けた。
「……お前らどっか行け、暑いんだよ。せめて少しは離れてくれると有難いんだけど?」
「あぁ? つれないこと言うなよ。俺ら友達だろ?」
「その友情も今、暑さによって溶けそうだ。うちの学校は冷房の効きも弱いんだから、この時間帯で下手に人へ近付けばどうなるかくらい分かるだろ」
気怠い気分で、俺は机の正面に立つ友人へと告げ、同時に時計を指す。
時刻は、高校に於いて昼休みの真っ只中の午後一時を差し、同時に気温も暑さの真っ只中にあった。
そしてそれは、学校――高校の校舎内に居ても変わらず、外より涼しいとは言え暑い。
そんな中にあって、友人たちは俺の机の周りに集まり、教室に居る他の生徒がそうしている様に、周囲の席に着いてグダグダと駄弁っていた。
「……なぁ、聞こえてた? 少しは離れろって」
「堅いこと言うなよ。このくらいの距離なら、俺からすればそこまで熱が籠る感じはないぜ」
「お前の主観の話は聞いてない。少しはこっちの迷惑考えろっての。あと腕掛けてくんな暑苦しい」
そんなに構って欲しいのか、お前は。
それら抗議の意味も込めて、俺は少年――桜井 興佑に言ったのだが。
「連れねーヤツ。なぁ、アレン?」
「だね。ケイジ、そんなノリが悪いとこれから先で誰かに嫌われちゃうかもよ?」
興佑は非常に演技染みた様子で大仰に溜息を吐き、それに追従してアレンと呼ばれた大柄な少年もまた大袈裟な口調でそんな事を宣う。
だが当然、そんな事を言われて黙って居られる訳もなく。
「……おい待てアレン、何でこっちが悪者になってんだ? 俺はただ、暑いから離れろって言ってるだけなのに」
自分の権利を、当たり前に主張しただけなのに。
明らかに不当な扱いだろうと、金髪蒼眼の大柄な少年――アレンへと抗議の声を上げる。
しかしながら、どうやらその抗議は大してアレンの心に響かなかったらしく、彼は心外そうな顔をして答えた。
「空気を読むのが日本人なんでしょ? KYとか言われちゃうかも?」
「お前、日本人が何でもかんでも空気読むと思うなよ?」
というかKYとかもはや死語の筈なのに、何故知っている?
イメージ通りの陽気な欧米人らしい、その大仰な彼の反応に対して、人差し指を突き付けつつそう思う。
すると、一方で顎に手をあてて蒼眼を細めた彼は、小首を傾げながら俺に問う。
「でもさ、僕に日本って国を教えてくれた人によれば、“空気を読めない人は翌日ニンジャかサムライによって消される”って教えてくれたんだけど」
「え、何そのヤバい国」
ニンジャが怖すぎる。独裁国家も真っ青だ。
その意味不明情報の出所について小一時間程アレンとお話したい気持ちになるものの、彼の口調から察するに大した情報は聞けないだろう。
故に、代わりとして別な質問を恐る恐る投げかけてみた。
「……アレン、他にその人から教えられた日本情報には何があった?」
「えーっとね、他にヘンリーが言ってたのは……“日本人作家は必ずハラキリをする”事かな?」
「それ由紀夫さんだけだから」
しかもかなり特殊な事例だ。日本人作家が軒並みそうだとは是非とも思わないで貰いたい。
かなり間違った日本人に対するアレンの認識に愕然としつつ、他方でヘンリーと言う人物は一体何処から情報を得たのか、もはや彼を椅子に縛り付けて丸一日尋問したいまである。
そんな心内を知る筈も無いアレンは、その間にも話を続けていた。
「今だから言うけど、正直日本に来たばかりの時は本当に怖かったんだよ。いつ、背後からツジギリに遭うのかって」
「ねーよ。そもそも刀も侍もねーよ。お前の日本知識はどこ時代で止まってんだ」
辻斬りなんて言葉をよく知っていたものだ。
大方、情報元は例のヘンリーとやらだろうが、彼の日本知識についてはもはや訳が分からない。
一体どうやったら、そのような仰天ジャパンが生まれると言うのだろうか。
興佑のほうを見て見れば、彼もアレンの日本に対する認識が衝撃的だったらしく、若干遠い目をしている。
それも無理からぬことだろうなと思わず苦笑を漏らしていると、そこへアレンが誤魔化すような笑みを浮かべて謝罪の言葉を述べて来る。
「ごめんって。大丈夫だよ、今じゃその辺が嘘だったのは分かってるから。ただ、今でこそ笑えるけど、あの時は本当に怖かったなぁ」
見ず知らずとは行かずとも、彼から見れば日本は異国。怖がるのは当然かもしれない。
俺だってアメリカへ行くってなれば、銃で殺されるかもと、少しばかり怖い。
アメリカ出身者たるアレン曰く、治安の悪い場所に行かなければ大丈夫とは言っていたのだが。
ただし彼の口振りから察するに、治安の悪い場所へ行けば普通にアブナイようだ。……アメリカ怖い。
不意に思い出されたアレンの故郷語りに身を震わせていた、が。
「――慶司、ちょっといい?」
唐突に背中から掛けてくる、少女の声が一つ。
その聞き慣れた声に、振り向きながら気軽に返す。
「あぁ、麗奈? また俺を殴りにでも来た?」
「……殴って欲しいの?」
その言葉が癇に障ったのだろうか、良く見知った顔の少女が一人、そう言って整った小顔の眉間に皺を刻んでいた。
女子としては高い身長と、すらりと伸びた手足、活発そうな印象を与える大きな目を持つ彼女がそれをやると大変絵になる。
そんな彼女の様子に、怒られたら敵わないと思って両手を上げると、誤魔化すような笑みを浮かべつつ問う。
「冗談。それよりも、進路希望の紙なんか持ってるけど、相談事?」
「……うん、進路について少し、ね。慶司は何処に進学するのかなって」
「俺? いや、特に決めては居ないけど……地方の国立文系かな?」
今のところ第一志望は模試判定もC判定、あと一年以上もあると考えるなら気合を入れて行けばB判定くらいは貰える、と思う。確証は無いけれど。
「そう。私大は?」
「私大は同じくらいのレベルから適当に選んだよ。ま、受かっても行く気無いけど。金ないし」
この際、今の判定がどうかとかは関係ないのだ。ただ、枠を埋める事を考えて、引っ張り易いところから引っ張って来た感じである。
だが、目の前の少女――――高田麗奈は、そんな事をしなくとも枠を勝手に埋められる筈だ。
「って言うかお前、何で俺に訊いてんの? 麗奈の偏差値なら旧帝大狙えるじゃん」
「それは……そうだけど、だからって訊くのは全く無駄じゃ無いし?」
「まぁ、そりゃね。じゃ、ついでに興佑とアレンの進路も訊いとけよ。参考になるぜ」
そう言って、先程まで一緒になって話していた二人の親友の方を指差すのだが。
「……あれ、居ない?」
「二人ならついさっき、トイレに行くとか言って教室を出たけど」
「……いつの間に」
別に良いのだが、だったら一声かけてから行って欲しい。お陰で今少し恥ずかしい思いをする羽目になったのだ。
何で自分だけ仲間外れなのかと、親友二人の無駄に良い笑顔を浮かべながら、言ってやるべき小言を思い浮かべていると。
「――ちょっと、話聞いてるの慶司?」
「え、何が? 悪い、もっかい頼む」
こちらがふと別件に意識を取られていた間に、麗奈が何かを言っていたのだろう。
少々強くこちらの肩を揺すってこられ、ハッとして彼女へ素直に謝罪する。
だが、視線を向けたすぐ近くに彼女の顔が迫っていた事で、思わず体が硬直していた。
一瞬呼吸が止まり、心臓が跳ねた様な気がしたのだ。
「……っ」
流石に近過ぎる。というか睫毛長い。
やけに良い匂いもするし、何か気持ち的に落ち着けない事この上なかった。
だがそれもその筈で、すらっとしたその身長は大体一六〇cm程度、手入れの行き届いているであろう黒髪をポニーテールにして纏めた彼女の顔立ちは、先にも述べた通り非常に整っている。
快活そうな相貌と、その分け隔てない性格に夢中になってしまうのは男だけに非ず、女子生徒ですらも夢中になってしまう程だ。
彼女とは幼い頃からの付き合い――幼馴染である俺はいまさら大袈裟に見惚れる事も無いけれど、確かに綺麗で整っている。
小学校くらいまでは精々人気のある女の子程度で済んでいたのに、中学に上がるといよいよ彼女に夢中になる者が増え始め、今に至ると言う感じ。
オマケに中学を卒業すると誰もがそれぞれの進路へ進み、同じ学校へ進んだ幼馴染は俺だけになってしまった。
ついでに言えばクラスも同じであり、結果として麗奈との接触は中学時代よりも大きく増えている。
それに伴って今回のような、周りからの羨望と殺気らしきものを感じる機会も大きく増えていた。
俗に言う、「リア充爆発しろ」という奴である。
……俺は全くリア充じゃないのだが。
けれど、周りからすればそうは思えないみたいで、今まで何を言ったところで意味があった事は多くなかった。
それこそ、現在進行形で「羨ましい」と言う視線が増して行くのが分かるくらいに。
別にそこまで羨ましがる事でもないんだけどなぁと思っていると、そこで唐突に脳天へ衝撃が走った。
「……痛っ!? 何だよ急に!?」
「何だよじゃ無いでしょ!? 一度ならず二度までも私の話を聞いてなかったし……!」
「あ、ごめん。いやちょっとマジで気になる事があってさ……って痛い痛い痛い!!?」
怒りで引き攣った笑みを浮かべながら俺の右腕を捻り上げて来る麗奈に、俺は堪らず悲鳴を上げた。
いやもうホント逃げられない……極まっている! 極まっているから! これ以上はマジで腕が折れる!
そんな状況だから、彼女を突き飛ばしてでも脱出したかったが、それだと後が怖い。
故にひたすら平謝りするのみ。
「ごめんっ! ホントにごめんってば!」
「……せっかく人が誘ってるのにアンタって奴は!」
「うぉぉぉぉ折れるぅぅぅぅうっ!!」
麗奈は怒りで顔を真っ赤にして説教しているが、もうこちらの脳内は「痛い」一色である。他の事に意識を割く余裕なんてありもしない。
もう兎に角、一刻も早くこの状況から抜け出したかったのだ。
「いい? もう一回だけ言うよ。今日の放課後、駅の近くにあるモールの買い物に付き合って、って言ってるの」
「分かった! 分かったから!! 行けばいいんだろ、そこに!?」
大声を出して周りの迷惑にならないよう、俺の耳元で囁く麗奈に、俺もまた必死さの滲んだ声で囁き返す。
何故ならもう、こうする以外に活路が無いのだから。
「そう。じゃあ、そう言う事で宜しく。あ、掃除が終わったら校門前ね?」
「分かったから……放してくれっ! お願いします!」
未だに関節技を極めながら、念を押す彼女に小さく何度も頷き、終いには囁き声で情けなくも懇願する。
すると次の瞬間には右腕の拘束が解け、俺は激痛から解放された途端に椅子へと凭れ掛かった。
「逃げたら許さないからね」
「……いや別に逃げねぇよ」
去り際、俺にだけ聞こえる声でそれだけ言うと、麗奈はこちらを振り返る事もなく、ここを後にする。
その彼女の背に、聞こえているかも分からない声でぼそりと呟くと、大きく一つ溜息を吐いた。
幸いな事に、腕を折られるまでにそこから脱出する事が出来たみたいだ。……ちょっと腕痛いけれど。
そんな事を思っていると、不意に俺の座っている机の前に一つの影が現れる。
「……良いよなぁ長崎は、あんな美人と友達ってさ」
「慣れればどうって事もねーよ。で、何?」
にやにやとした顔を俺に向けるそのクラスメイトに対して、俺が顎でしゃくって話の続きを促せば、彼は煽るみたいに言った。
「いやぁ、お前みたいな湿気た面しても、可愛い女の子とお近づきになれる催眠術を教えて欲しくってさ。あるんだろ? なぁ? 勿体ぶるなって」
「お前ぶち殺すぞ?」
阿呆且つ失礼な発言をかましてくれた、親しい友人の一人――五百蔵 朋紀。
この高校サッカー部で部長、エースでもある彼は、後ろに同様の顔をした男子を幾人も連れていた。
彼らもまた、五百蔵に続いて口々に捲し立てるが、これは普段と変わらない彼らの絡み方、弄り方である……筈。多分。
ちょっと目が血走っている気がしないでも無いけれど、これはあくまでも冗談。ただふざけているだけ……の筈だ。恐らく。
「不公平だぞ、長崎! 高田さん繋がりで他の女子とも話してるじゃねえか!」
「そうだそうだ! お前みたいなフツメンがあんな美人とどうして!?」
「サッカー部入れば可愛い女の子寄って来ると思ったのによォ!」
「高田さん経由でどうして女子の相談事がお前にも向くんだよ!? 何でだ!? 分けてくれよ!」
これは冗談だぞという意味で面白がるように笑っている彼らだが、そこはかとなく本心が吐露されているような気がするのは果たして気のせいだろうか。
冗談ぽく言っているが、本音が明らかに混ざっている感が拭えなかった。
「へいへい、悪いけど、ちょっとトイレ行ってくる」
それらへ軽く冗談交じりの返事をしながら、そろそろ面倒臭くなってきた所で、最終的に逃げるようにして自分の教室を後にしたのだった。
廊下に出、面倒臭いクラスメイトである五百蔵達の姿が見えなくなってから脚を止めてから思わず零れたのは、溜息と苦笑。
「……めんどくせぇ奴ら」
「分かるよ。イオロイの相手は疲れるからね」
「見てて飽きねぇけどな、アイツ。ホント、ああゆう馬鹿がクラスに一台は欲しいよな」
「……キョウスケ、それじゃテレビじゃないか」
確かに。幾らなんでもテレビが可哀想だ。
廊下に出てすぐの所で、先程俺を置いて姿を消していたはずの親友二人――アレン・シーグローヴと桜井興佑が待って居た。
どうやら、両者とも一部始終を見ていたらしい。言うまでも無い事だが、トイレに行くと言うのは方便だったみたいである。
「……お前ら、良くも逃げてくれたな?」
「いやいや、ここでボクらに怒るのは違うと思うよ?」
「アレンの言う通り。良いか慶司、俺らは気を利かせてお前から離れたんだよ。せっかく高田さんと2人きりにしてやったんだぜ。だから、感謝はされても怒られる筋合いは無いと思うぞ?」
「いや嘘吐け廊下で笑ってたじゃねーか」
聞こえていたのだ、彼らの笑い声が途中から。というか扉から覗き込んでいたのが見えていた。
完全に俺が色々困っているのを見て楽しんでいただろと、軽く興佑の頭を叩く。
「痛ッ! 何で俺だけ叩くんだよ!? 言い出しっぺはアレンだぜ!?」
「んなっ! 乗り気だったのはキョウスケ、君じゃないか! ボクは言っただけだし!」
「元凶お前か」
てっきり興佑の方かと思った。
どっちにしろ二人とも同罪なので、少し背伸びすると長身のアレンの頭も軽く小突く。
「痛いなぁ。随分野蛮な事するじゃないか」
「お前らが野暮な事するからだろ」
「……ごめんケイジ、それあんまり上手くないと思う」
「うるせぇ」
金髪の頭を摩りながら、蒼いジト目で言ってくるアレンに、俺は堪らずその視線を逸らした。
そうやって口を尖らせて小さく謝る一方で、内心では彼の日本語習得速度に舌を巻く。
今も尚、こちらへ白けた目を向けて来るアレン……アレン・シーグローヴは、アメリカ合衆国出身の十七歳。
日本好きで金持ちな彼の両親が、アレンの日本で言う中学課程に相当する部分修了と同時に渡日、彼もまた態々普通の高校に入学したのだ。
これだけでも十分凄いが、入学時点で意思疎通がそれなりにだった事も俺を驚かせた。彼曰く日本に一度も行った事が無いのに、だ。
どうやら前述の知り合い――ヘンリーから学んだらしいけれど、それにしても相当な日本語力である。
そしてこれら事実が示す通り、彼は頭脳明晰で、事実教育課程が違うはずの日本の高校でも成績上位に食い込んでいる。
もっと言えば理系クラスだし、物理と数学などの理数系が本当に優秀。
おまけに金髪蒼目、長身で容姿端麗の金持ちというハイスペック野郎と来れば、注目の的にならない訳も無く。
俺と同じ学年、つまり二年生の間では女子人気No.1だ。爆散しろ。
けれども折角のイケメンなのに彼は彼女がいない。
高一の時に同じクラスになって、文理選択でアレンが理系を選んで別れてからも、こうして休み時間も一緒に居るくらいに、女っ気がない。
実際、彼の人気度を考えると勿体無いと考えてしまう人は俺だけでは無い筈だ。
果たして、この嫌味なくらいモテる男は彼女をつくる気があるのだろうか。その気が無くてもあっても、嫉妬のせいで誤って殺してしまいそうだ。
「あ、それで高田さんとは何話したんだ? 最後に何かコソコソ話してたろ? 気付いてたぜ」
「買いモン行きたいんだってさ。お前らも来る?」
「いや、それは遠慮しとく。高田さんに悪いしな」
「何で? 別に来ても良いんじゃね? 二人よりも皆の方が盛り上がるし」
二人揃って肩を竦め、同行を遠慮する姿勢に怪訝な顔をして突っ込んでみるのだが、二人は一様に呆れたみたいな雰囲気を纏い始める。
「……あのな、その高田さんがお前だけを誘ったんだ、二人っきりで行って来いよ」
「そうだよ。いいじゃん、デートできるんだから」
「寝言は寝て言え。そんな関係にはならないって何度言わせんだか」
そう言いながらどこか面白そうな、ニヤニヤした顔を見せる二人に、思わず溜息が漏れてしまう。
そこにはいい加減にしてくれと言う意味合いも含まれていたのだが、それを察したのか察して居ないのか、真剣な顔になった興佑が尚も話を続ける。
「実際問題、お前はどうなんだ? ただビビってるだけなら強く否定する理由にはならないと思うぜ?」
「……うるせぇ、だから付き合う訳ないって言ってんだろ」
「こっちは真面目に言ってんの。ただの幼馴染とか、そんなことは聞き飽きたんだ。お前がどうしたいかを訊いてんだからよ」
尚も言い募る彼に、当然ながらそんな事をされ続ければこちらとしても段々と苛立つ訳で。
「いい加減にしないと引っ叩くぞ」
「おお、怖い怖い。分かったよ、黙れば良いんだろ」
彼を睨めばすぐに危険を察知したらしく、両手を上げて追及を止めていた。
流石は三年の付き合いがあるだけに、その辺のラインも完全に見極めているのだろう。小賢しい事に、この男は毎回そのギリギリのところを攻めて来る。
全く器用な事だが、それでも憎めないのが桜井興佑という人物と言う訳だ。
この高校では俺と同じ文系に進み、クラスが一緒になっている親友の一人でもある。しかも驚くべき事に中学校から今まで全クラス同じ。呪いだ。
別にそこまで軽薄と言う訳でもないけれど、会話力が高くて五月蝿い。ルックスだってアレン程では無いにしても腹立つくらいに整っているし、この三人と遊ぶ時は自分の場違い感が半端ではない。
確かに彼は教室だと五百蔵に次いで騒ぐ奴の一人だが、別に脳味噌空っぽな訳では無く成績も平均以上は取っていると言う、割とちゃっかり野郎でもある。
一言で表せば“要領がいい”彼だが、特に口達者であり、俺が言い負かされること数知れず。
なのでこれ以上、更に追及するつもりなら一発チョップでも喰らわそうかと思ったが、しかし彼から話題を変えて来た。
……もっとも、その方向性は大して変わっていなかったのだが。
「じゃあ慶司、高田さんはお前の事をどう思ってると思う?」
「どう、ってのは?」
ニヤニヤしながらこちらの顔を覗き込んで来るが、しかし俺は敢えて問い返す。
するとこちらの内心を見透かそうとでも言うのだろうか、彼はピタリと目を合わせながら重ねて問うてくる。
「おいおい、知らばっくれなくても良いじゃんか。幾ら幼馴染とは言えここまで長い事親しい仲が続く事は珍しいんだぜ?」
「だから何だよ。付き合い古くたってアイツが何考えてるか分かる訳ねえじゃん」
「「えー、つまんなーい」」
「俺は娯楽を提供してる訳じゃ無いんだけど?」
息ぴったりに言う興佑とアレンに、若干怒気を滲ませて答える。
多分、向こうも何とも思っちゃいないのだろう。釣り合わないし、幼馴染だし。
何だったら麗奈の方から恋愛相談をされたくらいだ。つまりそんな相談をされるくらいに、彼女から恋愛対象と見られていない訳で。
適当に返事していたら怒られたのだけれど……それについては悪い事をしたと思っている。もう少し真摯な姿勢で相談に乗るべきだったと反省しているくらいだ。
モヤっとした事は事実だが、それでも何か具体的にこうしたいと思ってないし、どうすべきなのかも考えられない。
自分の中でもはっきりしないものをどうして口にして出せようかと思っていれば、そこで今度はアレンが問うてくる。
「ホントに何ともないの? あれだけの美人と毎日一緒に居て?」
「ああ、何も無い。それに幼馴染だって言ったろ? 幾ら美人だろうといい加減見慣れたよ」
それこそ家族ぐるみで関わりがあったのだ。俺としてはもう兄妹みたいなものである。
そんな事も付け加えながら、アレンに言う。
「……なるほど、兄妹ね。でも、綺麗だなくらいは思うでしょ?」
「そりゃ、綺麗なのは認めるけど、何度も言う様に付き合いが古いし……別に今更どうこうしようなんて気は無いね」
付き合いの古い親友としては良いのだが、今の関係を壊したくないと言うのもある。
関係云々の所は心に思うだけで口に出さずにアレンに答えてみれば、彼は興佑の方に顔を向けていた。
「ケイジはこう言ってるけど、実際どうなの?」
「さぁ? 小学校は違ったし、俺もコイツらと初めて会ったのは中学なんだわ。あ、でも聞いた話で面白いのが一つ」
「おいちょっと待てお前なに話す気だ?」
嫌な予感しかしない。奴がニヤニヤし出した時は本当に爆弾落とすのだから。
何としても阻止せねばと、彼を取り押さえにかかった……が。
その時には既に、両脇へ誰かの腕を入れられて動けなくなっていた。
いつの間にと、視線を背後へ向ければ、果たしてこちらを拘束する人物の顔を視界の端に認める。
「おいアレン! お前その腕退かせよ!」
「退かさないよ。キョウスケ、続きを頼む」
「おう、分かった……てかやっぱり力強いな」
アレンの両腕が両脇をガッシリ押さえつけているせいで、前に進む事さえ能わない。当然、興佑の口を塞ぐ事なんて出来やしない。
アメリカ人らしく背が高い彼は、どうやら力までも強かったらしい。そんなマッチョには見えないのに。
必死になってアレンに対抗しつつ、一方で俺が彼についてそれらの感想を抱いている間にも、興佑はその語りを止める事無く話し続ける、が。
「……で、だ。中学上がって長崎の古い友達から聞いたんだけど、コイツと高田さんが小四の時に……」
「――何勝手に私のコト話してんのよ!?」
「げふっ!?」
唐突に、彼の背後から少女の声が割って入った。
そしてそれと同時に、彼女がその手に持って居たのだろう。分厚い数学の問題集――その“背”の部分で興佑の脳天を引っ叩いていたのだ。
スコーン! と言う、おおよそ本が出したとは思えない快音と共に、彼が情けない声を上げると、興佑は頭を押さえて廊下のド真ん中に蹲る。
一方でそれを見て、戦々恐々としている俺の後ろに立っていたアレンが、少し窺う様な間を取りつつ彼女へ話し掛けた。
「……あれ、タカダさんはどうしてここに?」
「次の授業が移動教室なの。慶司と桜井君も同じ筈なんだけど……それよりもシーグローヴ君、さっきの話はどういう流れ?」
「え? ああ、全面的にキョウスケのせいだよ。ボクは特に話を振った訳じゃ無いし」
嘘を吐くな。お前が興佑へ、話の先を促していたのに。しれっとした顔で宣う彼の顔と言いざまに、思わず口端が引き攣る。
出来る事なら全て暴露してやりたいところだが、未だ体を押さえているアレンの力が痛いくらい強い。
多分、余計なこと言うなと言外に圧力を掛けているのだろう。そうなれば選択はただ一つ、降参あるのみ。
そんな情けない意志がアレンにも伝わったのだろうか、今一度念を押すように目を合わせると、漸く解放してくれた。
抵抗してもピクリともしなかったなと、改めてアレンの腕力の強さに感心していると、そこで麗奈が俺と興佑に話しかけて来る。
「そう言えば二人とも準備は大丈夫? 次の時間、数学で移動教室だし……」
「え? あーー……」
そう言えば、全然用意していなかった。
興佑にも目を向ければ、彼も同じなのか、思い出したように「あ」といった感じの間抜け面をさらしていた。
「……アレン、昼休み終了まであと何分?」
「えーっとね、二分くらいかな」
「「やっべっ!!」」
こりゃ五限遅刻コースかもしれない。いや、確定遅刻だ。
「アレンは大丈夫なのか!?」
「あ、ボクは次の授業、自分の教室だからね。すぐそこだよ」
「……クッソ! 急ぐぞ興佑!?」
「分かってる! 加納の授業は遅れたくねえ!!」
自分は他クラスだし近いから大丈夫と、ケロッとした顔で宣うアレンの言葉に、俺らはもはや返事も返さず自分の教室へと駆け戻った。
「じゃ、ボクはこれで教室に戻るけど、二人とも授業準備からダッシュして間に合うといいね」
「多分間に合わないでしょ。またね、シーグローヴ君」
「うん、じゃあねタカダさん」
俺と興佑がヤバいヤバいと言っている中、廊下の方からはそんな呑気な会話が響いていたが、しかしそんな事を気にしている余裕などない。
何故なら教室には生徒などもう殆ど居らず、居たとしても既に準備を終えて移動に入っている。
つまり、今頃準備を始めているのは遅過ぎた。
机の棚から教科書を取り出し、後ろのロッカーからノートなどを取り出し……とやっている間に五限開始まであと二十秒。
もう教室内に、俺と興佑以外の姿は無かった。
「御先に失礼っ!」
「あっ、テメェ!!」
一足先に教科書などの準備を終え、興佑が俺よりも先に教室を出て行く。
それを慌てて後ろから追い、廊下を疾走する。
「おいあと十秒ねーぞ!」
「急げーーっ!!」
……そんな俺らの頑張りも空しく、結局は五限開始の鐘が校内に鳴り響くのだった。