第五話 Underworld⑤
◆◇◆
「アレン? ……本当に?」
「本当の本当だよ。頭の中にある記憶以外に証明できるものは何も無いけどね」
「まさかシャリクシュがシーグローヴ君だとは思わなかったな」
目の前で、再び剛儿の少年は破顔する。
それに対して、俺とシグはただポカンとした顔を晒すだけで、続く言葉も出ては来ない。
何かを言おうと、言わなくてはと思うのだけれど、言葉では言い表せない感情が溢れ出して、口がうまく回ってくれないのである。
「おいおい、いつまでそんな顔をしてるつもりなんだい? 感動の再会なんだよ?」
「……再会って言うか、ついこの前まで顔自体は突き合わせてたしなぁ。何て言うか、ちょっと実感が沸かないと言うか」
「ラウの言う通りだ。銃を使っている以上、私達の関係者かもしれないとは思っていたが、まさかここまで身近な奴だったとは」
他にも言いたい事は色々とあった。
なのに、俺もシグもこんな言葉しか出て来ないのはちょっとした照れ隠しの様なものだろうかと、自分の心内を推察してみる。
だけどそんな事を考えて、黙り込んでいる時間が勿体なくて、俺は更に言葉を続けていた。
「いつ、いつ記憶が戻った?」
「ついさっきだ。俺……いやボク自身もまだちょっと混乱があって、人格って言うか口調とかにバラつきが出ちゃうんだけどな」
いやあ参った参ったと朗らかに笑うその姿は、やはりどこかアレンの面影を彷彿とさせてくれて、ついついつられて笑っている自分が居た。
ほんの数M先ではリュウや精霊達が妖魎や神饗相手に派手な戦いを繰り広げていると言うのに、そんなものお構い無しに吹き出してしまっていたのだ。
それに何より、彼らに任せておけば早々自分達が危険に晒される事は無いという確信もあった。
「それにしても銃ってね……シャリクシュの前世は一体何者かとずっと思ってたけど、そう言えばアレンはアメリカ出身だったもんな」
「その通り。銃社会だからね。ボクも持ったことはあるし、撃った事もあるんだ」
「……え、人を?」
「射撃場の的だよ! まさかアメリカや日本で人を殺す訳ないだろ!?」
心外だと言わんばかりに抗議の声を上げるシャリクシュの様子が何だか懐かしくて、こんな状況だと言うのに昔に戻った様な気持ちにさせてくれる。
スヴェンもシグもそれは同じらしく、彼らの顔もほんの僅かばかり当時の面影と重なって見えていた。
「ボクの家は割と裕福な方だったから、自宅に銃もあったしね。勿論弾は入ってないけど、そう言うの良く弄ってたんだよ。簡単な造りの奴なら分解して組み立ててとか」
「裕福な方って言うか、お前ん家って富豪だったよな。仕事の関係で日本に引っ越して来たとは聞いてたけど、日本の家も豪邸だったし」
「まあね。とは言え、ボクが自由に使えるお金はあんまりなかったけど」
シーグローヴ家はハッキリ言って富豪だった。
前世では何度か遊びに行った事もあったが、行くたびにあちこちに目を奪われた記憶があるくらいだ。
教育方針もしっかりしていて、子供の内はあまり大きな金額を遣わせず、自分で稼げと言っていたくらいだ。
「……でもお前、小遣い元手に株で荒稼ぎして無かったっけ?」
「小さい内からお金の動かし方は学んでおけっていわれてたからね。あれくらい普通だよ」
「流石は金持ちの息子……」
至って普通の高校生だったころの常識から考えてみれば、規格外も良い所である。
何より、日本とアメリカで学校教育の内容も全く違うのに、十分な理解どころかテストでも上位を取っていた彼の実力は並大抵ではない事くらいすぐに分かるものだ。
「とは言え、手元に碌な設備も無いのに銃なんて作れるか普通? 仮に冶金技術があっても、こんな歪みのない筒とか……」
「まあ、ボクは金属魔法が使えるし、制御が上手くなればこれくらいはね」
「いやいや。内部構造とか、よく暴発しない様にできたもんだと思うぜ。銃の分解をした事あるとか言ってたけど、それでどうにかなるモンじゃないぜ?」
改めてよく出来ているものだとライフルを手に取って確認しているスヴェンは頻りに感心していて、見惚れた様に溜息を吐いていた。
それに対して、シャリクシュは少し恥ずかしそうに首を振って謙遜していたのだった。
「流石にほぼ毎日解体して組み立ててってやってればこれくらい普通だって。物心つく頃からずっとだし」
「ずっとって……まさか日本でもやってたのかよ?」
冗談めかしてスヴェンがそう突っ込めば、俺とシグが笑う。
当然だ。幾らアメリカから日本に渡る富豪だろうと、銃の持ち込みは空港で制限される。仮に持ち込めたとしてもそれは完全に違法だし、一発で警察に捕まって終わりである。
銃刀法とか海外の銃事情については生憎良く知らないまま死んでしまったが、まず間違いなく駄目である事は確実だった。
――しかし。
「え、ボク日本でも毎日欠かさず分解と組み立てしてたよ?」
『は?』
キョトンとした顔でとんでもない発言をサラッとしてしまった少年を前に、誰もが固まった。
嘘では無いか、聞き間違いでは無いか。
そんな事を思ってまじまじとシャリクシュの顔を凝視するのだが。
「何、ボクおかしなことでも言った?」
「徹頭徹尾で頭おかしいぞ」
何故それが違法であるという自覚がない?
どうしてそんな間抜けな顔が出来る?
と言うか、そもそもどうやって日本に銃を持ち込んだというのだ。
久々にアレンと再会できたと言うのに、思い出話に浸る前に問い詰めなくてはならない事が沢山出て来てしまって大変である。
この様子だと、叩けばまだまだ埃が出て来そうだった。
「……まあ、銃の分解組み立てが趣味って時点でおかしいのは当たり前か」
「酷いな、何でそんな事言われなくちゃいけないんだよ!?」
「お前がおかしくなかったら変人の定義が崩れるわ!」
そこまで言うのはあんまりじゃないかと若干立腹した様子のシャリクシュだが、同情の余地はない。
どう考えても異常なのは彼であり、咎めない方がどうかしていると言うものである。
もっとも、もうここは日本では無いし、地球ですらない上に自分達も日本人ではないのだから、これ以上騒いでも仕方ない話であるのだが。
そんな他愛のない会話をしていた時だった。
「おいお前ら、いつまでもじゃれ合ってないで少しは周りを手伝いやがれ。特にスヴェンとレメディア、シャリクシュ! お前らまだ元気なんだろ?」
巨大な妖魎を矢で射殺した后羿の言葉で、注意から外れていた周囲の景色に目が向く。
未だ敵の勢いは衰えるところを知らず、他にも死体が動き出してウルカヌスの巨大な鎚に潰され、或いは他の精霊によって細切れにされていた。
「残りの話はここから出てから、だな」
「ああ、俺も手伝う。シグは休んでろ」
「……馬鹿にするな。もう十分休んだ。私だって戦えるさ」
味方としてこの場で戦ってくれている数は、はっきり言って非常に多い。おまけにその質も高いと来れば、現状の戦力でも負けるとは思えなかった。
まだ碌に名前も知らない精霊がその内の殆どを占めているが、彼らは妖魎を、そして神饗を圧倒していたのである。
「ぶっちゃけ、俺らの援護なんて要らないんじゃ……」
とは思いつつ、心情的に見ているだけというのも出来る筈がなくて、攻撃に参加しようとした――が。
「鼠がいつまで我らの腹の中をうろついている!?」
戦場にて巻き起こる全ての雑音を掻き消す様に響き渡ったその朗々とした声に、誰もが反応する。
直後、幾つかの妖魎を吹き飛ばしてその奥から一つの影が姿を現すのだった。
勿論それは――。
「……サトゥルヌス……いや、主人」
「随分と粘ってくれるでは無いか、愚か者諸君。そんなに私の邪魔をするのは気分が良いかね?」
精霊の誰かが呟いた言葉を無視して、舞台役者がやるみたく大仰に両手を広げた精霊――サトゥルヌスは、更に言葉を続けていた。
「ハッキリ言おう、貴様らは邪魔だ、蛆虫共! 幾ら私と旧知とは言え、ここまで邪魔立てされて許せる程この心は広くない。精々、私の奴隷となってその罪を償うが良い!」
「抜かせ! 散々好き勝手やっといてまだそんな口が叩けるのかお前は!? だとしたら随分と御目出度い頭してるみたいだな!」
「安い挑発だ。その程度で私を怒らせる事が出来ると思ったか、ユピテル? 相変わらず貴様は浅慮も甚だしい」
呆れた様に溜息を吐くサトゥルヌスは、しかしそこで不意に言葉を切ると、不敵に笑う。
そして刑を宣告する裁判官のように、声高々と言うのだ。
「この私が……サトゥルヌスがこの世の覇者となる! 邪魔するものは何人たりとも、精霊だろうとも蹂躙して従属させる。無論、貴様らの様な煩い蠅には穏やかな支配などくれてやらんよ。軛を着けてその存在尽きるまで使役してやるさ!」
「大きく出たね、主人。でも君の実力じゃあ、そんなものはいつまで経っても幻想にすぎないよ。君は吟遊詩人でも無ければ劇作家でもないだから、もう少し現実味のあることを語らなければ失笑を買うだけだ」
「貴様に私の能力の全てが分かるものか。良く知らずに他者を笑うのは、無知が露見するぞ?」
幾ら主人が登場したとはいえ、戦闘は止まらない。
迫って来る大型の妖魎を片手間に斬り殺したリュウは、刀身についた血液を払いながら敵の首魁を睨み付けるのだった。
「果たして無知はどちらなのかな。まあ、それを決めるのは今じゃあないけれどね」
「……終わってみれば分かる。ああ、分かりやすくて非常に良い。さあ、始めようか」
その途端、場の空気は一変した。
今まではどこか楽観視が出来るくらいには悪くない旗色だったし、そんな空気だった筈なのに精霊達の間で一気に緊張が走ったのだ。
「来るぞ!」
「メルクリウス、防御を!」
「……任された」
刹那、何かが俺達を襲う。
不運にもその何かの射線上に居た妖魎たちは、恐らく何が起きたのかも、そして自分がどんな目に遭ったのかも分からないまま、絶命した事だろう。
何はともあれ先程までそこに居た筈の妖魎は細切れとなって地面に赤いシミを作り、動かなくなっていた。
だが、標的となった俺達にそれと同じ運命を辿ったものは誰一人として居なくて。
「防いだ……いや無効化だな。流石はメルクリウス。貴様の能力は実力差も関係ないというのが、ここまで厄介なものだとは思わなかったぞ」
「当たり前だろ? これくらい出来なくちゃ、俺が得た能力の意味がない。何はともあれ、俺の能力が効くのならお前はまだこの世界の理の範疇に居るって事だ」
「自惚れるな、所詮は元人間の分際でッ!」
サトゥルヌスが引き抜く、一振りの剣。
それは前世で俺達を殺した凶器そのもので、何の前触れもなくその形を変え始めていた。
柄も刀身も独りでに伸び始めたと思えば、気付いた時には巨大な鎌になっていたのである。
その大鎌はまるで死神が持つものであったけれど、それを右手に持つサトゥルヌスの顔立ちは骸骨とは程遠い。
だと言うのに彼の纏う雰囲気のせいか、人を死へ誘うその存在を彷彿とさせるのであった。
「この鎌で……貴様らの存在そのものも刈り取ってくれよう。アウローラ、オルクス、私を援護しろ」
「承知しました」
「了解した」
槍に鎌の刃を付け足したようなその形状は、その大きさにも目を引く。
光結晶に照らされて鈍色に輝くその姿は何とも禍々しい気配を醸し出していたのだった。
しかしその銀の輝きはやはり、あの時俺達を殺したあの剣と何ら違いはなくて、否応なしに当時の光景を思い起こさせてくれた。
だから、自然とそちらに目が向くし、足も向かう。何が何でも、あれに復讐する為に。
「アイツは……アイツは俺がっ!」
「ラウ君は下がっていてくれ。少なくとも君が戦って良い相手じゃあない」
次の瞬間には主人に飛び掛かろうとすらしたその寸前になって、視界を遮るようにリュウの背中が現れる。
思わずその背を強く睨み付け反駁しようとする、が。
「ですけど!」
「酷だとは思うけれど、単純に勝負にもならないよ。今のサトゥルヌス……主人は明らかに力を増しているんだ。精霊すら上回る能力を得たアレに、まだ人の身である君がどうこうできる筈がない」
「…………!」
こちらを一顧だにせずそう告げられて、俺は下の唇を噛む。槍を握る右手も白くなるほど強く締めて、微かにだが震えていた。
認めたくない。悔しい。それでも俺は――。
尚も食い下がろうと言葉を探すけれど、生憎うまい切り返しが出来る程、自分は口が達者な方でも無かった。
「ラウ君は他の子と一緒に周囲の敵を抑えて欲しい。出来れば殲滅までして欲しいけれど……この数じゃあそれは贅沢かな。とにかく、下手な怪我とかはしない様に」
「……分かり、ました」
話は終わりだと言わんばかりに、リュウは俺の返事を聞いた瞬間、地面を蹴っていた。
それとほぼ時を同じくしてユピテルやマルス、メルクリウスなども主人の許へ殺到して行き、遂にそこで戦端が開かれたのである。
それも、おおよそ常識の範疇とは思えない戦いの、だ。
辛うじて彼らの動きは目で追えるものの、今の自分には出来ない技術の数々、そして実際に対峙したとなればそれらを視認する事は不可能だと容易に分かる。
恐らく、こうして外野から眺めて居るからこそ、彼らの実力の異質さを察する事が出来るし、もしもあの場に混じっていたら何が起きたかも分からず真っ先に脱落していた事だろう。
「これが……あの人達の本気?」
「桁違いって奴だな。やっぱ人間辞めないとあそこまでは行けないって事だ」
「おい貴様ら、いつまでも観戦してないで私達の方を手伝え。こっちもこっちで楽じゃないんだぞ」
スヴェンと共に彼らの圧倒的な実力に愕然としていると、背後から聞こえる女性の声。
それが精霊――ミネルワのものであると理解するのにそれ程時間は掛からなくて、そちらへと首を巡らせてみれば大量の妖魎や敵兵と交戦する彼女達の姿があった。
「お前達が居なくても戦えない事は無いが、手が足りていないのも事実だ。疲労しているのは承知の上だが、それでも手伝って欲しい」
「分かりましたよ。それじゃあ、どの辺を受け持てば……ッ!」
そこまで言い掛けて、俺は咄嗟にその場から飛び退る。
直後、さっきまで立っていた空間をエクバソスの鋭爪が切り裂き、更に追撃を掛けるように無数の妖魎が押し寄せて来るのだった。
「逃がしやしねえよ! テメエらはここで終わりだ!」
「お前ッ……!」
これで対峙するのは何度目だろう。
とうに見慣れた狼面を睨み付けながら反撃の白弾を放ってみるが、その弾道は直撃寸前になって不自然に屈折する。
「私の魔法の前には、その様な攻撃は効かないさ」
「ペイラスか……スヴェン、一旦そいつら任せた!」
「おうさっ!」
エクバソスが居るのなら、ペイラスが居ても不自然は無かった。そんな厄介極まりない空間魔法の使い手を抑えるべくスヴェンにその相手を任せるが、押し寄せてくる敵はそれだけに留まらない。
「最悪四肢を捥ぎ取ってでもそいつらを捕えるんだぞー。殺すなよー?」
「そんな事、させないっ!」
数多の妖魎に指示を出す小柄な男――エピダウロスに対し、即座にレメディアが牽制の攻撃を行い、そこから更に追撃へと繋げていく。
精霊達からの指示を受ける事も無く、なし崩し的に戦闘へ加わる羽目になってしまった俺達だったが、援護だけをするよりは遥かに気が楽だった。
勿論、油断が出来る相手ではないけれど、相手は幾らでもやりようのある連中で――。
「もう逃がしませんよ、白儿?」
「見つけたぞ、シグ! お前はもう、僕のモノになるって決まってるんだからさあ、いい加減大人しくしてよ!」
更に二人、こちらをはっきりと見据えて姿を現す。
当然それらは敵意や己の欲望を隠そうともせず、一目見て敵と判るだけの雰囲気を纏っていたのだった。
「アッピウス・パピリウス……それに、あいつは」
「忘れたの? プトレマイオス・ザカリアスだ。ビュザンティオンで会ってる筈だぞ。総主教の息子」
「……ああ、あの時の」
後者の顔は見た事があったが、いまいちピンとこない俺の思考を察してか、呆れた様にシグが補足してくれる。
プトレマイオス・ザカリアスと言えば、以前自分がビュザンティオンで捕縛された際、確かに会った事があるのだから。
父親の名は天神教の総主教たるザカリアス三世。彼はどういう訳か体が肥大化していて自我も喪失した状態で俺達に立ちはだかり、そして死んだ。
あの異常な肥大化についての理由は知らないが、この場に息子がいる――つまり神饗の構成員となっていると言う事はつまり、何かしらそこで繋がりがあったのだろう。
そんなプトレマイオス・ザカリアスは、その吹き出物だらけの欲に塗れた顔を取り繕う事もしないで俺達を、いやシグただ一人を見つめていた。
「久し振り……久し振りだね、シグ?」
「軽々しくその名を口にするな、不愉快だ」
「連れないなあ。僕は君を妻にしてあげようって言うのに」
「頼んでも居なければ需要もない事を自慢げに語るな。大体、今のお前に何の価値がある?」
まるでストーカーとその被害者の様な会話に、思わず鳥肌が立つのを止められない。
とは言え、対するシグの態度は毅然としたもので、一般的な被害者の様なものとは異なっているのだが。
「僕は総主教ザカリアス三世の息子だよ? その妻となる事に何かおかしな事でもあるのかい?」
「そのザカリアスはもう死んだ。それにお前は数々の汚職を暴かれてカドモス・バルカによって追放……今は平民に落ちたと聞いたが?」
「煩い煩い煩い! あんな成り上がり物の家系に僕をどうこうできる筈がないんだ! その内僕は元の地位に……いや、それ以上の地位に登って見せる!」
あちこちで騒々しい戦闘が繰り広げられている中、ザカリアスとシグの話を聞きながら風の噂で聞いた話をふと思い出す。
確かその噂では、俺の脱走後にビュザンティオン太守のカドモス・バルカによる捜査のメスが総主教座にも入り、多数の汚職が発覚した事で大多数の聖職者が追放されたらしい。
その中の総主教の息子であったプトレマイオス・ザカリアスも入っていたという事だが、当の本人はその現実が受け入れられないようである。
その姿は何とも言えない寒々しさを纏っていたが、失脚の経緯が経緯だけに自業自得感が拭えない。
そんな哀れな姿に、シグも溜息を溢さずにはいられない様子で、呆れた様に言っていた。
「いい加減現実を見ろ。そもそも、バルカの家系は成り上がって貴族となってから数百年以上経っているし、そこまでくれば世襲貴族と何ら変わりない筈だ」
「黙れと言っている! 君に……君に口答えは似合わない! 大人しく黙って僕に従えば良いんだ! 女なんだからさ……ッ!」
「断固として拒否する。そんなもの拒絶するに決まっているだろ。何の権限があってお前は私に命令しているんだ?」
冷めた、本当に冷め切った視線を向けながら、シグは己の周囲に冷気を纏わせ始める。
彼女はもはや臨戦態勢であり、そして敵意も隠そうとはしない。
「シグ、お前……」
「ラウは手を出すな。これは私が一人で決着させたい。正直もう話もしたくないくらいに嫌悪感しか湧かないがな」
「分かった。けど、お前まだ疲労抜けきってないだろ。無茶すんなよ、本当に。もし何かあったら……」
「そんな顔をするな。あのような男一人倒せない程、私は弱くないぞ。見くびるな」
そう言って、シグは微笑む。
その顔が、姿がどうにも眩しくて、綺麗で、そしてほんの少し恥ずかしく感じられて、小さく返事をしながら微笑み返していた。
しかし、不意にそこへ割り込む、不愉快な男の奇声。
プトレマイオス・ザカリアスは、己の頭を掻き毟りながら言っていた。
「……何で、何で、何で、シグはそいつに笑いかけているんだ……? それは本来、僕に向けられるべきものだろう? おかしいじゃないか。お前……お前、白儿の分際でっ!」
「お前こそ、所詮は他人の分際で私の事に一々口出しをしないで欲しいな。不愉快極まりない」
「不愉快? 君が、僕を? ……あり得ない、あり得ない! 君はそんな娘じゃ無かっただろう!? どうしてそんな……ああ、そうか。お前か」
血走った眼が、俺を捉える。
そこに乗せられた殺気は相当なもので、思わず引き攣った笑みが零れたが、それだけ。
今更になって気圧されるほど、自分は柔な神経など持ち合わせてはいなかった。
「……結局飛び火するのかよ」
「悪いな、私の事情に巻き込んで」
「シグが謝る事じゃない。お前だって巻き込まれた側じゃねえか」
こんな事で誰のせいなどと言うだけ無駄である。
そんな事をしている暇があるのなら、早く敵を排除した方が建設的と言うものだろう。
「それにしても白儿が仲間を持つなんて、分不相応も良い所ですね。それも、ここまで多くの仲間を引き連れてとなるのは、頂けない」
「……他人の権利や生き方を矢鱈と縛ろうって考え方のほうが分不相応だろうが。お前、いい加減その辺弁えたらどうなんだ、パピリウス?」
「おや、これは悪魔の分際で私に説教ですか? 愚かな。それこそまさに分不相応の典型ですね」
炎と水、相反する属性をその一つの体に宿し、そしてそれを行使する男――アッピウス・パピリウス。
だが、そこに居る人物の姿は、良く知る以前までの彼とは全く別人と言って良かった。
体中の筋肉が異常に発達し、浮き上がった血管が時折痙攣する。
まさに筋肉の塊の様なパピリウスは、破れた衣服から覗く肌に幾つもの縫い痕があって、中には皮膚の上からでも分かる人工物らしいものが出っ張っていた。
「この姿となった私の寿命は、もうそう長くはないでしょう。何せ、もう元には戻れませんからね。つまり、それよりも早く私は貴方を地獄と絶望の渦へ叩き込まなくてはならない」
「額に短剣刺さった状態で言われると、迫力が増すな。けど、幾ら凄んだって出来ないものは出来ないんだぞ。少なくとも俺は、お前ごときにやられる程弱くないって事だ」
「言わせておけばどこまでもつけ上がるな……白儿がっ!」
この瞬間、火と水を纏いながら、パピリウスは俺を目掛けて真っ直ぐに突っ込んで来るのだった。
だが、同時もう一つ戦端が開かれる。
「僕は白儿を……お前を殺す! お前を殺してから、シグの目を覚まさせてやるんだ!」
「させない! なら私が、その前にお前を殺してやるッ!」
近くで行われる一対一の戦闘となれば、二対二の戦闘となるのも必然で。
一瞬にして、幾つもの魔法が激しく放たれる目まぐるしい激戦へと様変わりしていた。
◆◇◆




