第五話 Underworld①
「もうじきだ……もうじき叶う。私の願いが、これまで踏み躙られた者の復活が」
笑いを堪え切れない様に、人気のない洞窟内の一室でその男は一人呟いていた。
そんな彼の表情は、まるで何かを懐かしむようで、そしてそれを待望し、熱望し、渇望している様でもあった。
だがそれも一転して、今度は後悔の念に駆られる様に拳を握り締める。
「私はお前達を守ってやることも、救ってやる事も出来なかった。気付けば愚かな者共に蹂躙されて、骸を眺める事さえも出来なかったのだ……!」
細められた金色の眼に浮かぶのは、憤怒だろうか。
「だが今の私は違う。届く、もうじき届き、至り、貴様らを冥府の門から引き摺り出して見せる! その為に私は、私は!」
薄暗い虚空に手を伸ばし、誰かへ差し出す様に、そして掴む様に握る。
同時に腰掛けていた椅子から立ち上がると、部屋を後にするのだった。
「……待っていろ、ラルス、メル。貴様らと、また相まみえる為に」
最後に誰へ言うでもなく漏らした呟きは、まるで己自身を奮い立たせるようで、そして決意が滲んでいるみたいであった。
しかしながら、彼が顔を持ち上げた時にはもう何の感情も見て取れない表情が張り付いていて、ともすれば無感情にすら感じさせる。
そんな彼の視界に広がるのは、一斉に跪く人間たちの姿だった。
まるで一国の主を出迎える様な、その統制の取れた動きに彼は目もくれず、比較的近くに跪いている長身の男に言っていた。
「ペイラス、私の事は構わなくて良い。任務に専念しろ。他の者らもだ」
「は、有難きお言葉……しかし主人様、宜しいのですか?」
「何がだ?」
主人と呼ばれた彼は、眉の片方を持ち上げながら問い返せば、ペイラスは恐縮した様子で口を開く。
「その……仮面を着けていらっしゃらないので、御顔が露わになっていますが」
「構わん。……そうか、貴様らには私の顔を見せるのは初めてだったな」
そう言えばそうだったと、主人は腰に下げていた仮面を手に取る。
しかし、それを顔面に装着する事は無くて、再び元の場所に戻していた。
「それでどうだ、初めて私の素顔を見た感想は?」
「は……何とも神々しく、素晴らしき姿という外に御座いませぬ。ただ、差し出がましいのを承知で申し上げます」
「どうした、言ってみろ」
「はい、実はユピテルと名乗る精霊に顔貌が瓜二つのように感じられます。何か関係がおありなので?」
そう語るペイラスの横で跪いている狼人族のエクバソスも同様の感情を抱いているのを見て取った主人は、その問いに「良いだろう」と頷くのだった。
「貴様の言う通り、私はユピテル……ティンとも呼ばれる精霊とは深い繋がりがある」
「そうでいらっしゃいましたか。我々浅慮な生物とは別個の存在であると薄々勘づいては居ましたが、やはり……」
「そう卑下するな。話を戻すが私は奴と根源を同じとする精霊――サトゥレ、今はサトゥルヌスと呼ばれる存在なのだよ。名前くらいは聞いた事があろう?」
「はい。非常に高位の精霊であるとは」
この場に居た多くの者達は、ペイラスをも含め自分達の組織の首領、つまり主人の正体を全く知らなかったらしい。
ほんの僅かだが、場の空気が騒めく。
何故ならサトゥルヌスという名はユピテルと並んで、西界においては非常に有名な精霊として知れ渡っているのである。
千年どころか二千年以上も昔から存在し続ける精霊がこの場に居て、しかも自分達のトップに立っていると知って驚かない筈がなかった。
しかし、そんな構成員たちの驚きに何一つとして誇るような事も無く、主人はこの場の者に告げる。
「静まれ。雑談はこれまでだ。現状を報告せよ」
「は。現在、この迷宮内の深くに居る侵入者は三名。白儿のラウレウス、元皇女シグルティア、そして正体不明の精霊です」
「……他にリュウが居るという話では無かったか?」
「申し訳御座いません。私共の不手際で、異変に気付いたらしいマルスやメルクリウスの救援を許し、脱出されました」
「そうか。だが安心しろ、今この場で罰したりはしない。失態を帳消しにするだけに手柄を立てれば良いだけだ。話を続けろ、ペイラス」
この場に居た誰もが、どの様に厳しい罰が下されるものかと思っていただけに、その主人の言葉は意外だったらしい。
他の構成員に負けず劣らず、それどころかエクバソスに至っては驚きの余り目を丸くして、間抜け面を堂々と晒していた。
「よ、宜しいのですか? 俺は……」
「諄い。別に私は許すとは言っていないぞ。分かったか?」
「は、はい!」
その場に指先まで伸ばしてピンと起立するエクバソスの姿は、そのまま彼の緊張ぶりを如実に表しているものの、横に立つペイラスも今はそれを笑う事をしなかった。
その代わりに、主人に問われた通り訊かれた事を答えていくのだ。
「現在、ラウレウスとシグルティアについてはルクス様が追跡と捕縛に当たっています」
「ほう、それでもう一つの方は?」
「……それが、迷宮の核やこの少女の能力を以てしても居場所を見つける事が出来ないのです。いる事は間違いないのですが……どうにも」
「どういう事だ? 普通、そんな事は置き得ない筈だが」
ちら、と主人が目を向けるのは、まるで琥珀の中に虫が取りこまれたみたいに、少女の体が内部に入り込まれている迷宮の核だ。
中に入っているこの少女は、いわば贄。
ついでに言えば、特殊な加工を施した上で今のように迷宮の核に取り込ませれば、生贄の持つ能力を増幅して使う事が可能になるのである。
無論それは迷宮内限定となるものの、それでも一つの環境を意のままに視る事が出来るとなれば、重要性は計り知れない。
「千里眼の異能を使っていつまでも見つけられないと言う事があり得るのか? ……まあ、ここが広い以上は死角や見つけられない事がないとは言えないが」
「分かりません……ただ、途中までは正確に位置を把握出来ていたのです」
「それは具体的にいつまでだ?」
「はい、意図して迷宮の通路を操作し、奴らを分断した時です。その時はまず、その逸れた精霊から撃破してしまおうと考えていたのですが……」
「見つからなくなった、と」
己の失敗を恥じる様に項垂れ、そして力無く頷くペイラスに対し、主人は何かを考える様に腕を組む。
「何か厄介な能力を持っているか、或いは単純に手練れか……何度も言うが、この迷宮は広い。何か見落としている場所があるのかもしれんな」
「ええ、私としてもその可能性を考慮していました。しかし、それにしても中々見つからないのです。どこかで戦闘があればすぐにでも分かる筈なのですが」
事実、ラウレウスとシグルティアを見付けるのは簡単だった。何せ、彼らは派手に戦っているのだ。
迷宮の核と接続してしまえばすぐに位置は割れるし、千里眼を飛ばす座標設定もそんなに難しくない。
しかし未だ見つからない精霊はその戦闘の痕跡が何処にも見られない。
現在この迷宮――血の大地及びそこに生息する妖魎の大多数が神饗の管理下にあるとはいえ、まだ自由にうろついている妖魎が皆無な訳では無いのだ。
絶対に不意の遭遇戦が起こる筈だと踏んでいたのに、何も起きない。
だからペイラスは妖魎を警備兼実験体として統制下に置いているエピダウロスに頼んで、個体の幾つかを巡回に回したが、やはり見つからなかった。
「私としてはどうしたらよいか……」
「泣き言を言うな。貴様らなら出来ると思ったから私も任せているのだ。精々私を失望させてくれるなよ」
「は、これは失礼いたしました。すぐに新たな手を考え……」
ペイラスがそこまで言い掛けた時、頭上からの轟音と共に場が大きく揺れる。
転倒する程では無いものの、天井からは僅かでも小石が落下し、狼狽える構成員たちの声がしていた。
しかしそんな中にあって、主人はあくまでも冷静だった。
「落ち着け。ペイラス、何が起きている?」
「は、すぐに確認しますのでお待ちください」
弾かれた様に動き出したペイラスは、すぐにその手を迷宮の核にあて、そして瞑目する。
意識を迷宮のものと接続している訳だが、待っていれば数秒とせずに現状を把握したらしい。
幾らか狼狽えた様子で報告していた。
「大変です、迷宮内にて大規模な崩落が……! 連鎖的に十数階層の各所で通路が寸断され、或いは地盤すら崩壊しています!」
「人為か? それとも自然に起きたものかは分からないかね?」
「確かな事は何も……しかし、発生源はルクス様がラウレウスらを捕捉した場所です。まさか、捕縛に失敗した?」
「ペイラス、不確かな事を考えはしても、軽率に呟くな。余計な不安や動揺を波及させかねない」
「し、失礼しました……」
尚も揺れは継続していて、恐らくどこかで崩落が連鎖している事だろう。
普通、迷宮はその辺の洞窟や廃坑と違って崩れにくいものだが、ここまで大事になっているとなれば自然発生的なものであるとは考え辛かった。
「鼠を追い詰め過ぎたのかもしれんな」
「……申し訳ございません」
「構わん。ルクスが行ってこれでは他の者でも結果は期待できんからな。それに、窮鼠が幾ら猫を噛んだ所で、狩られる側である事に変わりはない」
その主人の言葉は、狼狽えかけていた構成員たちにとってみれば心強い以外の何も出も無かったのだろう。
浮足立ちかけた空気はすぐに引き締められ、徐々にだが平静に戻りつつあった。
「ペイラス、状況の把握と逃げた鼠共の位置特定を急げ。他の者達はペイラスの補助に当たる様に。エクバソスは手の空いた者を連れて周囲の警戒に当たれ」
『はっ!』
次々と下される主人からの指示に異を唱える者は当然ながら誰もおらず、誰もが粛々と己の任務に取り掛かる。
そんな中、主人は不敵に笑い、そして言った。
「この騒ぎだ。恐らく外の人間も気付く。そうなれば余計な連中もまた乗り込んで来るだろうな。……まあ、鼠が数十増えようとも私達の敵になり得るとは思えんがね」
「仰る通りかと」
「そうだろう? ああ、それとタナトスを呼んでくれ。遅からず乗り込んで来るだろうマルスたちの迎撃準備を整えねば」
比較的近くに居た構成員にそう言いながら、彼は深い笑みを浮かべるのだった。
「ここで奴らを一網打尽とする」
◆◇◆
迷宮内で遭難し、妖魎の群れに襲撃され、やむを得ず洞窟内を崩落させて難を逃れる。
足元の地盤も壊してしまったので何階層落下したかも定かではないけれど、何はともあれ俺とシグは危地を脱したのだ。
だが、そこで逸れた仲間と再会する羽目になるとは誰が思っただろう。
「で、お前は今の今まで何をしてたんだ?」
「……酒飲んで、肴になりそうな妖魎を適当に狩って、食ってた」
「何で合流しようとしないんだよ」
ぐび、と酒の入った瓢箪を煽り、そして片手に持つ骨付き肉にむしゃぶりつくのは、精霊――后羿。
そんな彼はこちらの追及に対して悪びれる様子もなくて、平然と語っていた。
「いや、探しては居たぞ? けど見つかんなくて……あと、中々肉の乗った妖魎を見付けて食いたくなった」
「俺らの存在はお前の食い意地に負けるのかよ……」
「冗談だ。別にそこまで軽視してた訳じゃねえよ。ただ、地図もないもんでどこ行ったら良いか分からなくてな。ラウ、地図を見せてくれ」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
后に言われる通り、腰に下げていた地図を取り出し、そして渡す。
そう言えば自分も最近は地図を開いて確認もしていなかったと思いながら后の言葉を待っていると、彼はこちらを見て言う。
「駄目だ、読めねえ。読んでくれ」
「何で地図を寄越せと言ったんだ?」
清々しいほどに呆気なくギブアップした彼に、思わず呆れた笑いがこみ上げる。
横に居るシグもそれは同様なのか、笑いまでは行かなくとも呆れた表情を浮かべていた。
「しょうがないだろ。俺はこの辺の出身じゃ無いし、そもそも迷宮の地図の見方なんて知らん」
「だったら何で地図を見た……」
突き返される地図を受け取りながら、俺はそれを開く。
最後に開いたのはいつ頃だっただろうかと思いながら、シグと共に地図を覗き込んでいると、不意に気付いた事があって俺は顔を上げた。
そして頻りに周囲の地形と地図のそれとを照らし合わせていく。
シグも同様の事に気付いたのか、少しだけ表情を綻ばせながらこちらを見て来るのだった。
「……ラウ、これってもしかして」
「ああ。どうにか地図が載ってるところに出られたみたいだ。って事はここが血の大地の中って事だね」
先程まで迷宮内で迷っていたのは、そこが地図を持っていない旧地と呼ばれる別の迷宮だったからである。
今は血の大地に吸収される形で繋がっているが、元々別個な存在だったので、探索開始時にはそれぞれの地図を持っていた。
だが、色々あってリュウ達と逸れた際に旧地の地図を彼らが持っていたせいで、俺達はその旧地で遭難した。
持っているのが血の大地の地図では、出口が分かる筈もなかったのである。
しかしながら、今は違う。
それぞれの迷宮の道が複雑に入り組んでいたお陰か、運良く血の大地の通路に出る事が出来たのだ。
「ラウ、もしかして俺も外に出られんの?」
「ああ。本当に運良くな。現在位置も把握した。かなり下層にまで来てるみたいだけど……」
血の大地は、広い。歴史も長いのでその間に拡大を続けて来たとなれば当然だけれど、地図もその分枚数が増える。
それをぺらぺら捲りながら出口までの道のりを計算すると、すぐにでもお天道様を拝めるとは言えそうになかった。
「遠かろうとなんだろうと十分だ。もう長い事外の空気を吸ってねえし……時間の感覚も狂っちまった」
「それもそうだな。けど、一旦休憩がしたい。后、何処か良い場所を見てない?」
「え? 俺はすぐにでも帰りたいのに……いや、無理は良くねえな。分かった」
一瞬だけ道草を食う事に不満気な顔を見せた后だったものの、俺の横に居るシグの疲労具合を見て不満を飲み込んだらしい。
仕方ないという様に肉の無くなった骨を放り捨て、「ついて来い」というのだった。




