第四話 もっと光を⑤
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「さて、貴様らのようなか弱い生物を相手にするのに、此方のような魔法は基本的に向いてない。ほんの少しの加減を間違えれば、あっという間に殺しかねないからな」
「……で?」
「もう一度だけ投降を勧告する。もとより貴様らに勝ち目など無いのだからな」
俺とシグの前に立ち塞がった精霊――ルクスは、泰然とした態度でこちらを見据えている様だった。
もっとも、彼女の顔はのっぺりとしていて、目がある場所も判然としないので、顔が向けられているとしか言えないのだが。
「生憎、俺らがそう簡単に降伏したら色々な人に合わせる顔がないんでね。残念だけど諦めてくれ」
「……そうか、無駄な手間を取らせてくれる。なら、死んでくれるなよ? 貴様らは生け捕りにせねばならんのでな」
「あ、そう。堂々と手加減宣言なんて、舐められたもんだなッ!」
刺突一撃。
右手に持った短槍で首を狙って放ったそれは、しかし虚しく空を切る。
ただ、そもそも当たるとは思ってもいなかっただけに、反撃がすぐに飛んで来るのも織り込み済み。
「やらせない!」
「……小娘が!」
俺目掛けて魔法を放とうとしたルクスは、その寸前になってシグの魔法によって妨害される。
やむを得ず反撃の為の魔法を防御に回した彼女は、忌々しそうに悪態を吐いていたのだった。
「良い気になるなよ、人間!」
「……何か来る!?」
「シグ、伏せろ!」
ルクスが防御のために行使した魔法は、果たして本当に防御のみを意図してのものだったのだろうか。
そんな疑問すら生まれてしまう程、彼女の魔法は強力なものだった。
何故ならばその魔法が行使された途端、不可視の何かが、シグの攻撃魔法を一気に溶かして行ってしまうのだから。
殺到する氷柱が、凍り付いていく地面が、消滅し後退していく。
氷が昇華――つまりは一気に気体になっていくのである。
俺が展開した魔力盾の後ろに隠れながら、瞬時に消滅していく氷を見て、シグは驚愕していた。
「何だ、今のは!?」
「多分、光魔法の何かだ。とにかく、アイツの魔法は洒落にならない! 生半可な事はするなよ」
光なんていう名前を持っているくらいだ。魔法属性については大体予想がついている。
リュウや精霊達の話を聞くにも、どうやらそれは的中しているらしいことを考えれば、ルクス――アウローラの魔法は光魔法であると見て良い。
ただし、それが分かった所でどう対策すれば良いのかが分かる程、知識がある訳でも無いのである。
「光魔法? さっきのはどう見ても光じゃなさそうだけど!? 何か暑いし」
「知らねえよ。何か変な絡繰りがあるんだろ。そもそも、俺が知る限り光には氷を瞬時に溶かす力はねえし」
「……気になるか、此方の魔法が?」
その瞬間、展開していた魔力盾に更なる負荷が掛かる。
周囲の気温も急激に上がり出し、焦げ臭い匂いが一気に漂い始めて来たのだ。
その原因が誰によるものかは今更言うまでもない事だけれど、どんな原理でこんな事が可能になっているのかは、やはり皆目見当がつかない。
それに加え、展開している盾の損傷速度が驚くほどに高いのだ。
慌てて維持に注ぐ魔力を増やすけれど、それでも気は抜けない。ふとした瞬間に盾が破られ、高熱の何かが直撃しないとも限らないのだから。
「くそ、何だってんだ……!」
「暑い……急激に気温が上がってるんじゃないか? これだと私の魔法も満足に機能できない!」
「そのまま蒸し焼きになってしまえ。此方の、不可視の光によって!」
汗が吹き出し始める程の高温の中だというのに、何より魔法攻撃を受けている最中だと言うのに、驚くほど辺りは静かだった。
故に、勝ちを確信したようなルクスのその言葉は、良く聞こえていた。
「もう十分だろう? 焼き殺される前に降伏したらどうだ? そうすれば、少なくとも熱さに悶えながら死ぬ事は無いぞ」
「抜かせ! どの道死ぬなら遅いか早いかの違いでしかねえだろうが! だれがお前ら思惑通りなどにッ!」
「愚かで強情な男だ。だがそれもいつまで持つか……ッ!?」
やられてばかりでなど居られない。
湾曲した弾道を描く白弾を、俺はルクス目掛けて幾つも撃ち出していた。
勿論、正面は魔力盾を展開している為に何も見えない。だから着弾地点はルクスの声が聞こえて来た方角と勘で調整しているに過ぎない。
だけれど、自分の体内にある潤沢な魔力を以ってすれば、当てずっぽうに魔法を使っても何ら問題はなかった。
「小癪な……まだ抗うか!」
「当たり前だ! 誰がお前らの言いなりなんぞに……二度もしてやられて堪るかってんだ!」
もう、殺させない。殺されない。奪わせない。奪われない。
抗って、守ってやる。
こちらのしゃにむな攻撃の前に、脅威を感じたのだろう。ルクスの高温攻撃は唐突に止み、同時に幾つもの白弾が洞窟内に着弾していく。
「シグ、お前は隠れてろ!」
「……ラウ!? 何を!」
「良いから早くしろッ!」
一段強く槍を握り締め、俺は魔力盾を解消するとルクスの居る方角へと突っ込んで行く。
土煙が酷く、相手の姿も碌に視認できないものの、それは向こうも同じ。
「そこだッ!」
「邪魔をするなッ!」
ルクスを視認した時には、彼女もまたこちらを視認していたらしい。
のっぺらぼうとなっていた顔は素顔も露わになり、眉間に皺を寄せながら俺を睨んでいた。
「お前ら、ここで何を企んでんだ!?」
「それをわざわざ答えてやる義理はない! 貴様らには関係の無い事だからな!」
「ふざけんな! ここまで巻き込んどいて関係ないなんぞ言われたくはないね!」
ルクス、つまりはアウローラの戦い方を見ていてもしやと思っていたが、やはり彼女は近接戦闘が苦手らしい。
こちらの攻撃を的確に躱してはいるものの、反撃に転じる気配が全く見られないのである。
「ここで押し切る!」
「いつまでも良い気になるんじゃない!」
着実にルクスを追い込んでいると思ったのだが、そう考えたのは少し気が早かったらしい。
一瞬の内に彼女の周囲に漏れ出る魔力が膨れ上がったと思った瞬間、再び熱線が放射されたのである。
即座に魔力盾を展開してそれから身を守るものの、同時にそのせいで攻撃の手も止まってしまう。
そしてそれから、攻守が逆転した。
「貴様ら……貴様ら人間が、これまで一体どれだけの身勝手を積み重ねて来たと思っている!? そのくせまた、飽くなき欲求に世界を付き合わせる心算か!?」
「急に何の話を始めてんだ、お前は!」
「答えろ! 貴様ら人間はいつまで自分勝手に世界を食い潰し続ける気なのかと訊いている!」
「んなモン知るか! 大体、お前らに自分勝手どうの言われる筋合いはないッ!」
ルクスの攻撃は、一撃一撃が必殺と言っても過言ではない。仮に死ななくとも、行動不能になってしまうだけの威力を秘めていたのである。
だけど、その殆ど不可視な筈の攻撃を、今の俺は殆ど見切っていた。
基本的に彼女の魔法が直線のみという特性も原因の一つだろうけれど、それにしても面白いように攻撃が避けられるのである。
「ほんの少し見ない間に腕を上げたのか、少年……!」
「まあね! 伊達になりかけた訳じゃないんだよ!」
東帝国の帝都、ウィンドボナ。そこで原因は不明なれど、俺はリュウが言う所のなりかけに片足を突っ込み、そして暴走した。
一応、その暴走は仲間の助けもあって終息したものの、結果として魔力量なども含めて大幅に増加するなどの影響が残ったのである。
身体能力も、魔力を扱う効率が急激に向上した事もあって、以前よりも遥かに高い力が発揮できるようになった。
「気に入らんな……なりかけにすらなり損ねた半端も良いところの分際でッ!」
「アンタにどう思われようが知ったこっちゃねえよ!」
ルクスの魔法は、その威力に比例してか一撃一撃の隙が大きい。基本的に大技なのである。
だから、一撃を撃った直後の隙を衝けばすぐに有利な状況へ持ち込める。
しかし、そのルクス――アウローラはメルクリウスらと同じ様に千年以上もこの世界に存在し続けた精霊の一柱だ。
それだけ存在していれば自身の欠点などとうに把握していて、だからこそその後隙を消す為の立ち回りを何通りも持っているらしい。
一撃しては下がり、或いは弱攻撃を繰り返して牽制し、次の攻撃に繋げる。
そうやって即死級の攻撃を何発も放ってくるのであった。
「いい加減沈めッ!」
「そんな直線しか来ない攻撃を、誰が食らうかよッ!」
ルクスという、初めて対峙した際には手も足も出ない猛者に感じられた精霊を前に、今の自分は面白いくらい戦えていた。
その事実に、こんな状況だと言うのに自然と気分が上向く。
純粋に自分の実力が着実に上がっているという点が嬉しくもあったのである。
特に、リュウから散々叩き込まれた近接戦闘術の心得は、ここに来て一番活きていると言っても過言ではない。
あれが無ければ今の自分は魔力に頼りきりの、中遠距離攻撃しかこなせないままだっただろう。
「相応に消耗している筈と思ったが……想像以上だな。まさか一人でここまで粘るとは!」
「当たり前だ! 俺は、お前らを必ず潰すって決めてんだよ!」
「身の程知らずが……大言壮語を」
繰り出されるのは、不可視の直線攻撃。
幾ら実力が上がったとて、恐らくそれだけでは彼女の攻撃を見切る事は不可能だろう。
何せ、見えないのだ。
普通に考えて、その内運悪く当たってしまう可能性だってあるし、ルクスのフェイントにつられてしまう事もあるだろう。
だけど、今はそれにすら釣られない。
明確に、攻撃を仕掛けてくる時機が読めるのだ。
どういう訳か、魔力が視える。判る。
元々この世界の人間は魔力を感知できるのだが、精々ぼんやりしたものなのだ。
それが今や、はっきりと判る。だから俺は、不可視の攻撃が放たれるよりも早く、射線上から逃れる事が可能となっていたのである。
「加減の難しい私の魔法では不利か……止むを得ん!」
「させるかッ!」
「無駄だ。もう遅い」
何かを企んでいる。ルクスからその気配を感じ取って妨害に動こうとしたものの、彼女の言う通りもう手遅れだったらしい。
ずん、とした振動の後、無数の足音がこちらに迫って来る音が聞こえた。
「これは……また!?」
「察しが早いな。まあ、そう言う事だ。精々足掻け。果たしてこの状況で、此方の攻撃が逃げ切る事が出来るかな?」
ここへ向かって来る無数の足音の正体。それは言うまでもなく、妖魎の群れだ。
そんなものを相手にしながら、ルクスまで相手にしなくてはならないとなると、状況は最悪と言って差し支え無さそうだった。
下手すれば、こちらが一瞬で戦闘不能に追い込まれてもおかしくはないのである。
「……シグ、撤退だ! 急ぐぞ!」
「させる訳なかろう?」
「それを決めるのはお前じゃねえよ!」
岩陰に隠れて居たシグも状況が一変した事を察してか、真剣な表情で周囲を警戒していた。
だが俺もシグも、ルクスの言う通り退路が断たれている事は既に察していた。
何故なら押し寄せて来る妖魎の群れの足音が、これまでに遭遇したものよりも遥かに大きく、数の多いものだったから。
「ほんの少しでも、此方に勝てるかもしれない、逃げられるかもしれないと思ったか? 残念だったな、それは幻想だ。貴様ら地を這う虫けらには、ここから逃れる術など有りはしない!」
ルクスの哄笑が辺りに轟き、そしてそれもやがて迫りくる足音の前に掻き消されて聞こえなくなっていた。
臓物を揺さぶるような振動は、それから間も置かずにこの場へ到達し、遂に幾つもある通路からこの場所へと溢れ出すのだった。
「さあ、逃れて見ろ! この妖魎の奔流から! 我々から! ……出来るものならな?」
「「……!」」
やはり何かしらの細工でも施されているのか、妖魎はルクスには目もくれず、一目散に俺達へ向かって驀進してくるのだった。
大して人間と身長も変わらない小型のものから、人の背丈の何倍もあろうかという大型の妖魎まで、その数も質も多種多様なもので。
余りにも圧倒的で殺人的なその津波に、流石に冷や汗が流れる。
「ラウ!」
「シグは無茶するな! 大体は俺がやる!」
「無理だ! 幾ら何でもそれは……!」
そんな事は分かっている。だけど、実際シグは魔力を大きく消耗している。
幾ら休息を取ったとはいえ、完全回復には程遠いのだからここで無理をさせる訳にはいかなかった。
これ以上無理に無理を重ねる様なら、最悪衰弱死の可能性すら考えられるのだ。多少の援護はして貰っても、戦いに完全に参加させられはしない。
「けど、ラウ……こんなの無茶だ!」
「さあ、どうかな。シグ、氷魔法で身を守る準備をしといてくれ! 俺が入れるくらいの奴だぞ!」
「……何を!?」
もう、ここから先はシグと話している余裕もない。
妖魎の群れの戦闘と激突し、白弾で派手に吹き飛ばして肉塊に変える。
だけど、後続は湧き水のように止めどなく溢れ出て来て、この程度では焼け石に水だった。
それに加えて、だ。
「――ッ!」
「ほう、それでもまだ仕留まらないか」
「邪魔すんじゃねえよッ!」
ルクスによる横槍もまた、妖魎による攻撃の隙間を縫って繰り出されるのである。
だけど、泣き言を言っている暇はない。ここでやらなければ、自分達がやられるのだから。やるしか、無かった。
「シグ、準備は!?」
「出来たぞ! でもどうする気だ!?」
「んなもん決まってるだろ! ……こうするんだよ!」
岩陰に身を潜め、いそいそとさせていたシグの準備が整った事を確認して、振り向きもせず俺は笑う。
恐らく、この背中をみているシグには何も想像がついてないのだろう。尚も背後から意図を訊ねて来ているが、答えている余裕など無かった。
「今更どのような手を打ったところで……」
「無理かどうかを決めるのはお前じゃねえって言ってんだろが!」
嘲笑うルクスの声に一喝しながら、俺はここで一度に出せるだけの魔力を行使して、そして。
樽ほどはあろうかという大きさの無数の白弾を、地面に叩き付けていたのだった。
「貴様……正気でやっているのか!?」
「神饗みたいな奴に、正も狂も言われたくないね!」
虚を衝かれたらしいルクスにそう答えてやった瞬間、遂に洞窟内の耐久力が限界に達したようだ。
けたたましい音を立て、辺り一帯の崩落が始まっていたのだった。
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