第三話 Dark Crow⑥
◆◇◆
「……遅いな。そろそろ良い時間の筈だが」
「どうやら本当に俺の勘が的中していたらしいぞ。これは四の五の言っていられないかも知れない」
ハッティ王国が国都、ハットゥシャに存在する宿、“偉大な麦酒”。
その一卓には、酒も置かず真剣な表情を見せる二人の青年の姿があった。
だが、彼らのその見た目に反して内実は千を超える歳月を生き続けた精霊達である。
一見しただけでは分からない為、それと気づく者はこの場の部外者には存在しないが、只者ではないと悟らせるだけの雰囲気を纏っていた。
「そうなると、行くしかないよな」
「当たり前だ。さっきの揺れから推測しても、何かが向こうで起きているとしか思えない」
ガタ、と音を立ててマルスが立ち上がれば、それに応じながらメルクリウスまた立ち上がる。
「仲間達に声を掛けて来る。少し前に準備をするようには言っておいたし、すぐに出られる筈だ。メルクリウスはそれまで待っていてくれ」
「ああ、頼む。俺もそこに同行させて貰う。留守には……ウェスタ辺りを残せば良いか」
「そうしてくれ。炎魔法のアイツを迷宮に連れて行ったら、空気が悪くなって人が死にかねない」
苦笑しながら、マルスは宿の階段を上って行く。
その背中を見送ったメルクリウスは、無言で宿の外に出、そして迷宮――血の大地がある山の頂に目を向けた。
先程、あの辺りからやや大きめの揺れが観測され、少し市内がざわついたのだ。
もっとも、周囲の迷宮や廃坑の崩落が時折発生するこのハットゥシャでは、そこまで大袈裟に取り上げる様なものでもない為、官民ともにすぐ元の日常に戻っていた。
「彼らは無事であろうや……或いはここに来て神饗が動き出したのか」
メルクリウスの脳裏を過るのは、共通の敵をいただく同盟者達の顔触れ。
彼らは今日の午前、まだ旅の疲れも完全に言えていないだろうに、迷宮の中へと潜って行った。
そして暫くしてそこ辺りで揺れが発生し、もう夕暮れも近いと言うのに帰ってこない。
何か異常事態が発生したと見て、そこに疑う余地は無かった。
「リュウと名乗る、仮面の彼は単身なら問題無いだろうが……あの少年たちは果たして無事で居られれば良いんだけど」
もうじき、夜が訪れる。しかし、夜間における迷宮への出入りは、そこを管理する王国及び狩猟者組合によって固く禁じられているのだ。
正規の手順で今から行方不明となった者達を探そうとしても、まず間違いなく却下されてしまう事だろう。
だが、メルクリウスにはまだ様々な手段が残されていた。
「……こういう時、自分が大きな店を持つ商人で良かったとしみじみ思うよ」
誰に言うでもなく独り言を溢す彼は、宿の階段から聞こえ始めた騒がしい精霊達の声を耳にしながら、再度山の方に視線を向けていたのだった。
◆◇◆
それは、いつの事だっただろう。
どういう訳か酷く遠くて、酷く懐かしい。
もう絶対に戻らないものだと感じさせてくれる何かが、その夢にはあった。
『――――』
いつもの顔触れだ、とシャリクシュは思考する。
何度も、そして時折、眠る度に見て来たからこそ、これが夢だと分かるのだ。
それは何度見ても訳も分からず自分を安心させてくれて、何とも言えない気持ちにさせてくれる。
勿論それは全く不快なものでは無くて、むしろとても心地の良いもので。
そしてそれを、自分は知っている。とてもよく、知っている。
何故ならこの輪の中に、己もまた加わっていたのだから――。
「……ここは?」
「お、気付いたみたいだね。良かった」
ふと、ぼんやりしていた意識が覚醒して目を覚ましてみれば、視界は激しく揺れ、同時に白髪が映りこんでいた。
どうやら己は負ぶわれているらしいと判断したシャリクシュは、白髪の人物――リュウに告げていた。
「俺を降ろせ。どこに行くつもりだ?」
「どこって、そんなの迷宮の外に決まっているでしょ。君、自分の怪我がどれだけ酷いか、ちゃんと分っているのかい?」
「そんな事は関係ない。今すぐに、俺はイッシュを……!」
その先を言いかけて、シャリクシュは背中の痛みで顔を顰めた。
するとリュウは、振り向きもしないでそれを察したのか、苦笑する気配を見せながら言っていた。
「無理は禁物だ。イシュタパリヤ君が大切なのは分かるけど、今のままじゃあ発見する前に君が死んでしまう」
「だが、死ぬ気で探さないとイッシュが!」
「どの道、このままじゃあ探している間なんてないよ。後ろを見れば分かる」
「……?」
そのリュウの言葉に、怪訝な顔をしながら彼は振り向けば、そこにはスヴェンとレメディアの姿があった。
だが、問題は彼らではない。
リュウが言いたいのは、その更に後ろから迫って来る一団の事だったのだろう。
見覚えのある狼人族を先頭に、十人ほどが付き従っていた。
「アイツらは……!」
「神饗だ。どうやら君を追って来たらしい。こんな状況じゃあ、探すどころではないだろう? 一旦退いて、体勢と戦力を整えなくちゃいけない」
「…………」
じく、とシャリクシュは背中の疼きを感知して、顔を歪める。もとより背中の傷は、あの先頭の男に付けられたのだ。
そしてこの傷では、あの十一人を前に真面に戦えるとも思えなかった。
「……そっちの言い分は分かった、今回については従ってやる。だがそれでも、イッシュの身に何かあったら、俺はお前らを恨む」
「そんな滅茶苦茶な……そっちについては流石に保証しかねるよ。兎にも角にも、今は自分の傷を治す事に集中してくれないと」
「そんな簡単に割り切れる筈がないだろ」
恐らく両手が自由なら肩を竦めて居そうなリュウの言葉をばっさり切り捨てていると、不意に背後から掛けられる、聞き覚えのある大声が一つ。
「リュウ! テメエが今背負ってる剛儿のガキを置いて行け! そうすればこの場は見逃してやるよ!」
「エクバソス君……だったかな? 悪いけれど、それは出来ない相談だ。第一、この場で見逃されたって逃がす気は無いんだろう?」
「どうだろうな。それは後にならなきゃ分からない事だぜ?」
白々しい、とはこのような事を言うのだろうと、シャリクシュは思った。
リュウの言う通りどうせこのエクバソスも、そして神饗も、この迷宮から一行を逃す気は毛頭ない筈である。
「それにしても、僕らが決定的証拠を掴むまでもなく、君達の方から姿を現してくれるとは思わなかったよ」
「遅いか早いかの違いでしかねえんだ。それにお前らの仲間は分断されてる。殲滅するなら今が好機と見るのは何らおかしな話じゃねえと思うが?」
「確かに、戦術的に悪くない判断だ。だけれど、駒の能力を見誤れば失敗に直結するよ」
「減らず口を……重傷人抱えて俺ら相手に出来ると思ってんのか!?」
エクバソスのその言葉と同時に、彼の部下から放たれる無数の魔法攻撃。
無論、走りながらである為に命中精度は低いものの、飛び散る瓦礫や土煙が視界の邪魔をする。
その程度ではほんの少しの減速にもなりはしないが、この調子ではいずれ新たにどんな手を打って来るのか分かったものではない。
少なくとも、牽制するためにこちらも反撃しなくてはならないのだが、走りながら振り向きざまに魔法を撃つとなれば、命中率は著しく低下する。
追撃される側より追撃する側が有利になるのは至極当然の事である以上、仕方ないことだろう。
だがそのせいで、折角背後に向けてスヴェンとレメディアが撃った魔法は、牽制にもなりはしない。
「……リュウ、少し動くぞ」
「何だい、逃げる気でも?」
「違う、スヴェンたちを手伝うんだ。しっかり足を支えて置いてくれ」
そう言いながら、シャリクシュは肩に掛けていた細長い袋から銃を取り出す。
そして弾丸の補充をし、簡単な安全確認を終えてから上体を背後に巡らせて構え、そして撃つ。
同時に、洞窟内に魔法とは異なる大きな乾いた音が響きわたり、そして反響する。
「ち……小癪な奴が!」
だが、銃弾はエクバソス以下誰にも命中する事は無く、尚も追い縋って来る。
その事実に、シャリクシュは顔を顰めながらリュウに言っていた。
「おい、もっと丁寧に走れ。狙いがズレる」
「無茶言わないでくれるかな? ここが舗装された街道ならまだしも、迷宮の中である以上、全く振動無く走れなんて難題も良いところだ」
そんな事を言いつつも、リュウは走る際に配慮を見せているのか、振動が僅かながら減少する。
それでも全くブレなくなる訳では無かったが、狙い易くなったことに変わりはない。
「……助かる」
「どういたしまして」
再び撃った銃弾は、今度はエクバソスの部下の一人に命中したらしい。
即死とまでは行かなかったが、脱落していく姿を確認して、シャリクシュは満足げに空の薬莢を排出するのだった。
「調子に乗ってんじゃねえぞ、狩られる立場の分際で!」
「命の遣り取りをする場で、立場なんてものは存在しない。それともお前は俺に殺されても尚、自分が狩る立場だと言えるのか?」
標準をつけ、撃つ。
今度は魔法で展開された盾によって命中には至らなかったものの、これによって追手たちの速度は低下を見せる。
弾丸が小さいためにほぼ目視を許さない銃撃を警戒してか、発砲の度に追手全員が魔法で防御すればそうなるのも無理からぬ事だった。
「このクソザコ共がッ!」
「……来やがれ狼。ぶち抜いてやる」
思うように状況が運んで行かない事に悪態を吐くエクバソスに、標準をつけたシャリクシュは人差し指を引く。
その瞬間、獣の頭骨すら打ち抜く弾丸が、銃口から発射されていた。




