第三話 Dark Crow③
◆◇◆
静まり返った薄暗い洞窟の中で、三者三様の声が響き渡る。
「……皆、無事かい?」
「何とか、生きてますよ」
「わ、私も……助かりました」
ガラガラと巨大な岩を押し退け、三人の人影は土の中から体を出す。
その内の一人は抜きん出て身長が高く、そして落ち着き払っていた。
そんな彼に対し、二人の少年少女は深々と頭を下げながら礼を述べる。
「ありがとうございます、リュウさんのお陰で押し潰されずに済みましたよ」
「私の魔法も展開が間に合わなかったので、助けてくれなかったらどうなっていた事か」
「礼には及ばないよ。それどころか、他に二人ばかり守り切る事が出来なかったんだ、責任を追及されてもおかしくない」
余り良い声の調子ではないリュウは、何かを後悔するように崩落して積もった土砂の山に目を向ける。
「ラウ君にシグ君。二人は、もしかしたらまだこの中に居るかもしれないんだからね」
「だからと言って無理に掘り起こすのは無謀ですよ。リュウさんも気付いてるでしょうけど、崩落は第二波がある可能性も秘めてるんです。下手に振動を起こせばどうなるか……」
悔しそうに土砂を睨み付けるリュウを制止するように、スヴェンが口を開くが、途中で何かに気付いたらしい。
三人揃って、土砂の更に向こう側へと視線を向けていた。
「……何の音だ?」
「妖魎、じゃ無さそうですね」
「もしかして、魔法? ラウが使ってるとか」
リュウ、スヴェン、レメディアの順に顔を見合わせながら意見を出し合うが、最後のレメディアの言葉で再び土砂の向こうへ目を向ける。
しかし、聞こえて来るのは何かの衝突する激しい音だけで、声の類は全く聞こえてこない。
もしかしたら何か言っているのかもしれないが、人間の聴力ではそれも聞き取ることが能わないのである。
「化儿が仲間に居れば或いは違ったかもしれないけど……それを今言っても仕方ないね」
「ですね。ところでこの音の原因がラウだとして、どうやって向こう側へ行くんです? 俺の土魔法でも限界がありますよ。ついさっきまで妖魎の群れを相手にしてた関係で、魔力の消耗が激しいんで」
「悩みどころだね。おまけにあの様子だとかなり激しく魔法を使っている。崩落の危険を高めてしまっている訳だ」
余裕も時間もないと来れば打てる手が限られてきてしまうと、リュウは顎に手を当てて考えを纏めているらしい。
だが、そうしている間にも無情ながら時間は過ぎていく訳で、急かす様にスヴェンが言う。
「音、止んじゃいましたよ?」
「ああ、分かっているよ。だけどもう、これ以上この場には留まり続けるべきではないね」
「それって、二人を見捨てるって事ですか!?」
そんな判断は到底受け入れられないとレメディアが声を荒げるものの、首を左右に振ったリュウは迷宮の天井を指差す。
洞窟の様な姿をして居るそこには無数の光結晶が顔を出し、全体を明るく照らしている訳だが、その光は同時に天井を走る亀裂の存在を知らせてくれていた。
「先程から、ほんの僅かだけれど亀裂が大きくなっている。それに……聞こえるかな?」
「……変な音がしますね、天井から」
「え、じゃあそれって……」
彼の言葉に、スヴェンとレメディアは顔を引き攣らせながら天井を見上げる。
なるほど確かに、よく見れば亀裂が徐々にだが拡大しているらしく、同時に嫌な音が聞こえて来る。
しかもその音は、段々と大きくなってきている様で。
「撤退だ、急ぐよ。この場に留まり続けたら僕らはまた土に埋まってしまう。そうなれば今度こそ脱出できないかもしれない」
「「……分かりました」」
四の五のはもう言って居られないと判断したのか、リュウの言葉に対して反論は出て来なかった。
しかし、分断されてしまった残る二人の仲間の安否が気に掛かるのはどうしようもない事で、時折背後を振り返るスヴェンとレメディアを咎める事は、リュウもする事は無かった。
「大丈夫、必ず合流させる。とにかく今は、先を急ごう」
そう語るリュウの背後ではもう聞き間違えも出来ない程に大きな音が発生していて、崩落が始まっているらしい。
スヴェンもレメディアも、振り返る余裕など欠片もなく、ただ必死にリュウの背中を追い掛けるのだった。
そうやって、どれくらい走っただろう。
肩で息をし、視界もチカチカするくらいの疲労感を抱えながら、二人はその場にへたり込んでいた。
「……も、もう大丈夫なんですか?」
「まだ先に行け言われても、どの道もう動けませんけど……」
「ああ、ここまでくれば平気だと思う。と言うか、ここまで逃げて来ても駄目な崩落だったら、迷宮そのものが崩壊してもおかしくないだろうね」
大の字になって天井を仰ぐ二人を見下ろしながら、リュウは軽い冗談を言う。
それは本当に取るに足らないものだったけれど、そうであっても緊張していた精神を解すには丁度良かったらしい。
スヴェンとレメディアは二人揃って長い溜息を吐いていたのだった。
「でも、二人には一安心して貰ったところ申し訳ない。ちょっと悪い話があるんだ」
「……何ですか?」
「うん、端的に言うと僕らは今、迷宮内のどこに居るのか皆目見当もつかない状況に置かれているんだ」
その瞬間、その場の空気は凍り付いた。
ようやく溶け出す頃にはたっぷり数十秒を要し、そして瞬時に空気は沸騰した。
「どういう事ですか!? 何で!? 遭難!? 嘘でしょ!?」
「生憎、妖魎の群れとの交戦と逃走、続く崩落で地図を広げて確認している暇もなかったんだよね。それに、だ」
そこで一旦言葉を切ったリュウは、懐にしまっていた地図を取り出す。
「これは妖魎の群れと交戦する直前、ラウ君から借りた地図なんだけど、これって血の大地のじゃあなくて旧地のものなんだ」
それは血の大地と同じ迷宮であり、且つ隣接しているものである。
加えて、マルスからの報告を受けて確認した通り、この二つの迷宮は合体……正確には血の大地によって吸収されていた。
だから今回の探索には、二つの地図を携えてやって来たのだ。
「多分、散々走り回った結果、今の僕らが居る場所は血の大地なんだろう。だけど、手元にあるのは旧地の地図。もう一つはラウ君が持っているし、これじゃあアテになんてなる訳もない」
「じゃあ、どうすれば……!?」
「当てずっぽうに進むしかないよ。取り敢えず、上り坂の道に向かうしかない。土地勘があれば違うのだろうけれど、僕もそこまでこういう場所に詳しい訳じゃあないからね」
何はともあれ今は休息しようかと、リュウは二人の呼吸がまだまだ荒いのを見て判断していたが、不意に無数の気配を察知する。
その数は圧倒的。数えるのも馬鹿らしくなるほどで、そして前後から迫って来ているらしかった。
おまけに、とても穏便な気配を纏っている様にも思えない。
「……リュウさん、どうしました?」
「ごめん、君達には休憩させたかったのだけれど、そうも言って居られないみたいだ」
怪訝そうな顔をしながら訊ねて来るスヴェンに応じた丁度その時くらいから、彼にもその足音が聞こえたのだろう。
騒々しい音を耳にして、レメディアと共に表情を引き締めていたのだった。
「まさか、またアレですか?」
「アレだね。息つく暇もありはしない」
既にもう、視認できる近さにまでそれは――妖魎の群れは迫って来ていたのだった。
数の差、個々の実力、疲労具合。
どれをとっても、リュウ達は絶望的だった。
これがリュウのみであれば単体での脱出も出来ただろうが、この場には酷く消耗したスヴェンとレメディアが居るのだ。
それに対して、逃げ場を封じる様に挟み撃ちをされてはもはや打つ手がない。
「これまでかもしれないね……でも、やれるだけの事はやってみるさ。二人共ついておいで。僕が血路を拓く」
殺意の塊が騒々しい地響きを立てて一気に前後から迫って来る中、リュウは周囲に無数の白弾を浮かべていた。
そしてそれらは、ほぼ均等に振り分けられて前後の妖魎の群れへと射出されるのだった。
その途端、轟音と共に妖魎たちの悲鳴が響き渡る。
だが、それを呑気に聞いている暇など無くて、リュウは先陣切って駆け出していた。
それに遅れじとスヴェンとレメディアも続き、そして魔法で突破を援護していく。
「よし、この調子で――」
「うわっ!?」
「スヴェン……うっ!?」
リュウの実力は、そしてその働きは、まさに鬼人の如きものだった。妖魎を一体たりとも寄せ付けず、剣で魔法で、全て一撃で仕留めていく。
そこにスヴェンとレメディアの援護が加われば盤石な陣形が出来上がっていた――様に見えた。
だが、リュウが懸念していた通り、体力や魔力を消耗していた二人の少年少女には、荷が重かったのだ。
その結果、隙を縫う様に飛来した小型の有翼獣に攪乱され、転倒してしまった。
「……いけない!」
このままでは、隙を晒した彼らは三秒と掛からずに哀れな被捕食者となってしまう事だろう。
最悪の展開を想像したリュウは即座にその救援に入ろうとするが、元々血路を拓くために先頭に立っていたせいで迂闊に動く事も出来ない。
僅かに届かず、今リュウの手の先で二つの命が果てようとしていたのだ――。
だがそうなる前に、群がる妖魎たちの頭上へと石のようなものが飛来する。
勿論それはリュウやスヴェン、レメディアにも視認出来ていたが、果たしてそれが何なのかを一瞬で識別することは不可能だった。
ならば、妖魎たちにして見れば尚更理解出来る筈もなく。
結果、スヴェンとレメディアに群がろうとしていた妖魎たちは身構える事も無く、背後から真面にその爆発の直撃を受けていたのだった。
「――っ、何だ!?」
猛烈な爆音と衝撃に、リュウですらも仮面の下から覗く紅い眼を細めていたが、その疑問に答える声は一つもなくて。
代わりに、幾つもの球状の物体が投擲されていたのだった。
「手榴弾!? って事はオイまさか……!?」
何か合点の行く物があったのだろう、目を見開くスヴェンの周囲で、幾つもの爆発が生じる。
しかしそれらは取り囲んでいた妖魎たちが盾となり、怪我を負わせる程の衝撃や破片をスヴェン達に飛来させる事は無かった。
恐らくそれは、スヴェンとレメディアを怪我させない為に計算されたものなのだろう。
そしてそんな彼の予想を裏付ける様に、乾いた音が一つ。
それは、手榴弾の爆発に巻き込まれても尚、生きて居た個体の頭蓋に風穴を開け、絶命せしめていたのだった。
物言わぬ屍と化したものに一瞥をくれたスヴェンは、弾かれた様に視線を一方向に向ける。
するとそこに立っていたのは、やはりあの見知った少年で、彼は薬莢を排出しながら僅かに笑っていた。
「やっぱお前か、シャリクシュ!」
「……久し振りだな、スヴェン。何人か見当たらないが……まぁ良い」
混乱していた妖魎たちも、ここに至ってようやくシャリクシュの存在に気付いたのか、咆哮を上げながらそちらにも牙を剥く。
だが、彼が立っていたのは壁の上部に開いた横穴の中である。
故に空を飛べるか、或いは壁を攀じ登れなければ辿り着く事は出来なくて。
「鬱陶しいゴキブリが……」
当然、高所に陣取るシャリクシュからすれば、それらを狙撃するのもそれほど難しいものでは無かった。
その様子を見て、リュウは意外そうに口を開いていたのだった。
「シャリクシュ君、君もここに居たのかい!?」
「話は後だ、援護するからこっちに登って来い。俺としても、利害の一致する奴が多いに越した事は無いからな」
「了解、すぐ向かうよ」
短いリュウの返事に、シャリクシュは頷き返す事はせず、代わりに無数の手榴弾を投擲する。
拳よりも更に小さいそれは、しかし見かけ以上に凄まじい爆発力を持っていて、範囲内に居た妖魎の肉や体を派手に吹き飛ばしていた。
次々と群れを構成する個体が死んでいく様子に、流石の妖魎も気圧される個体が出始め、逃走するものすら現れている。
だけれど、大多数は未だに戦意旺盛で、引き揚げる気配も見られない。
しかしながら、リュウはシャリクシュという思わぬ援軍を得た事で、確実に状況が好転した事を肌で感じ取っていたのだった。
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