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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第八章 トメルスベナク
183/239

第三話 Dark Crow②

◆◇◆




「どうだ?」


「……分かりません。どうやら迷宮の通路が戦闘に耐え切れず崩落してしまったようです」


「そうか。だが気は緩めるな。奴らは思っている以上にしぶとい。全員生きて居るものと考えて手を打て」


「はい」


 迷宮(ラビュリントゥス)、その最深部、且つ最奥部。


 具体的に言うなら迷宮の心臓部――核と呼ばれるものが存在する部屋である。


 アリの巣のように広がっている迷宮(ラビュリントゥス)内にあって、その場所を見付けるのは至難の業であり、同時にそこを見付ける事が出来れば迷宮(ラビュリントゥス)そのものの命を握っているに等しい事を意味する。


 燐光のように青白いものを放つ核は、特に支えがある訳でも無いのに部屋の中心に浮かび、そして無言である。


 感情や命と言うべきものが備わっていない精霊のなりかけ(・・・・)なのだから当然だが、その核に手を伸ばして触れている男が一人。


 周囲からはペイラスと呼ばれているその男は、橙色の髪をした女性に(こうべ)を垂れていた。


「ルクス様、確認なのですが、白儿(エトルスキ)と元皇女以外は基本的に殺してしまって構わないのですね?」


「ああ。それとリュウも最悪殺してしまって構わない。奴はそう簡単に手に負える存在では無いからな」


「承知しました。主人(ドミヌス)様の為にも、その任務確実に果たして見せます」


 一度顔を上げたペイラスは、その血色の悪い顔に固い意志を滲ませながらそう言い切っていた。


 それに対し、ルクスと呼ばれた女性は一度頷くと口を開く。


「その意気や、良し。時にもう一人の侵入者はどうだ? 巷では視殺(アウスジ)などと大層な名前で呼ばれている殺し屋だ」


「はい、残念ながらまだ仕留めるに至っていません。今のところ、エクバソスに十名ほどつけて追跡させています」


「分かった、必ず仕留めろ。あの程度の剛儿(ドウェルグ)に我らが一泡吹かせられるとも思わぬが、蠅が飛び回るのを無視する訳にもいかんからな」


 頼んだぞと言ったルクスの顔は、一瞬の内にのっぺりとしたものへと様変(さまが)わる。


 整った目や鼻立ちはすっかり黒いものに覆われ、その本来の容貌を認識する事を阻害していたのだ。


「ルクス様、どちらへ?」


「部下を連れて白儿(エトルスキ)と元皇女……資源として重要な物の回収指揮に行って来る。エピダウロスが統制する妖魎(モンストラ)たちだけに任せては、誤って食い殺しかねないからな」


「承知致しました。どうぞお気をつけて」


「言われずともそうするさ。では失礼する」


 それだけ言うと、ルクスは退室していく。


 勿論その行く先は、ノコノコやって来た“資源”の居る場所で。


 迷宮(ラビュリントゥス)――血の大地(エシュナス・グム)の中にあるその一室から、状況は益々混沌とした方向へ動いていくのだった。






◆◇◆






 土砂に埋もれた、暗い迷宮(ラビュリントゥス)の通路。


 そこでは派手な崩落が起きたのだろう、大小様々な土塊(つちくれ)が山のように積もっていた。


 所々に、その崩落に巻き込まれたらしい潜土獣(ラピダルパ)の無残な死体が散らばっているが、それ以外に生物の構成要素だったと思えるものは見当たらない。


 この場には一定以上の大きさを持った生命は残存していない――と見做しても良いのかも知れなかった。


 だが、そんな時になって不意に土砂の一部が派手に吹き飛ぶ。


「……ぶはッ!?」


 小規模な爆発の後、酸素を求める様にそこから顔を出したのは、紅い髪をした一人の少年――ラウレウスだ。


 運良く崩落に巻き込まれなかった光結晶が、咳き込む彼を薄っすらと照らしていたが、その全身は土に(まみ)れて汚れていた。


 だが彼はそれを大して気にする事も無く、軽く服に付いた砂埃を払うと短槍を片手に土砂の中から這い出すのだった。


「皆、無事か!?」


 ラウは土砂の山に向かってそう叫んで見るものの、反応は芳しくなかった。


 呼びかけに答える声は無くて、当たりにはただ彼の声が虚しく木霊すだけ。


 その事実に、背中に薄ら寒いものを覚えながら更にもう一度呼び掛ける。


 リュウ、スヴェン、シグ、レメディア。


 仲間の名を順々に叫んで行くけれど、やはり反応は無くて結局誰からも反応を得られる事は出来なかった。


「まさか、本当に全員この中に巻き込まれて……」


 あり得る、とラウレウスは足元に視線を落とす。


 ここで発生した崩落は、かなり大規模なものだったように考えていたのだ。


 具体的な全体像は把握できていないけれど、これが発生した原因は多数の潜土獣(ラピダルパ)が殺到した事と、それらから身を守るためにラウレウス達が迎撃したからに他ならない。


 しかしその一方で、派手に周囲一帯の地盤が崩壊した事で身の危険を感じたらしい生き残りの潜土獣(ラピダルパ)は撤退し、後には不運にも巻き込まれた死骸が肉塊となって散乱している。


 圧死している個体も悲惨だが、潜行しているところを土砂の崩落に巻き込まれてバラバラになった亡骸は更に悲惨なものだった。


 土の匂いに混じって鼻につく、血腥(ちなまぐさ)いそれにラウレウスも思わず顔を顰めていた。


 もしかして、自分の仲間もそうなっているのではないか――そう思った彼は、血相を変えて土砂の山に駆け寄る。


 最初は乱暴に手で土砂を掻き、すぐに埒が明かないと判断して魔法で土砂を吹き飛ばす。


 何度も何度も、吹き飛ばす。


 そうしてどれだけの時間が経っただろう。


 不意に、撃ち出した白弾(テルム)の手応えに変化があった。


 土砂が派手に吹き飛ばされる音に混じって、何か堅いものに弾かれた様な気がしたのである。


 ハッとして一旦手を止めて、音がした辺りに視線を向けるものの、吹き飛ばす度に上から徐々に崩れて来る土砂のせいで、結局砂に覆われて何も見えない。


 ならばもう一度魔法で吹き飛ばしてしまおうと思い掛けたラウだったが、それではまた積もった土砂が上から降って来るだけで効率が悪い。


 何より、埋まっているものが人だった場合、何より仲間だった場合、攻撃が命中してしまう事にもなりかねなかった。


 その事に今更になって思い至ったラウレウスは、まず変な音がした辺りを槍の石突で手当たり次第に叩いていく。


 そしてとうとう、土とも岩とも違う堅い手応えを見付けるのだった。


「……ここだ!」


 上に積もった土砂がなるべく崩れない様に慎重に、彼は素手でその辺りを掘っていく。


 するとすぐにそこから分厚い氷が露わになり、丁寧に土を払い除けていくのだ。


「シグ……この魔法、シグだよな!? 返事をしろ!」


「…………」


 返事は、無い。


 だけれど、それでも彼は呼び掛け続けた。


 時折、上に積もった土砂のごく一部がパラパラと降って来るものの、それらを乱雑に振り払い何度も何度も声を掛ける。


 そしてついに、氷の壁の中に覆われた一人の少女の姿を視認する。


「シグ! おい!」


「……ラウ?」


「そうだよ! 呑気にしてないで早く出て来い! ここがまた更に崩れないとも限らないんだぞ!?」


 ラウレウス自身、今この場が非常に危険な場所である事は重々承知の上でここに居た。


 それに彼女を救う為とは言え、魔法で何度か土砂を吹き飛ばしているのだ。輪を掛けて崩落の危険が高まっているのは言うまでもない事だった。


 そんなラウの心配と焦りを他所に、少女――シグルティアは微笑みながら展開していた氷の壁を解除する。


「助かったよラウ。一応、咄嗟に魔法で身を守れはしたが、土砂の重さが想像以上で、身動きが取れなかったんだ」


「俺としてもお前が無事で良かった。それで、他の人は?」


「……分からない。私も自分の事で手一杯だったから」


 崩落の時、ラウレウス達は纏まって行動していた。


 それはシグルティアの埋まっていた場所がラウレウスとそれ程まで離れていなかった事からも明らかである。


 だとすれば、それ以外の仲間もすぐ近くに埋まっている可能性が高いと言う事であり、ラウレウスとシグルティアは土砂の山へと目を向けるのだった。


「掘り返すしか、無いって訳だな」


「……そうなるな。特にレメディア辺りは逃げ遅れてそうだ。身は守れては居るだろうが、身のこなし自体は軽い方じゃない」


 仲間の少女を気遣うシグルティアの言葉に、ラウレウスは驚きも隠さずそちらへ目を向けていた。


 するとその視線が居心地悪かったのか、彼女は不快そうに睨み返す。


「何だ、何か私に言いたい事でもあるのか?」


「いや、レメディアとあれだけ喧嘩してた割にって思って」


「別に憎み合ってる訳では無いからな。あれは……もっと別のものだ」


 先程までとは打って変わって、シグルティアはそう言うと顔を逸らしていた。


 しかし、その言葉を濁す様な答えでラウレウスが納得出来る筈もなくて、不思議そうな顔をして更に訊ねるのだった。


「もっと別のものって何だよ?」


「うるさい。それよりもレメディア達を探すぞ。ラウの言う通り、いつまた崩落が起こるかも分からないんだ」


「いや、まあ確かにそうなんだけどな……」


 そう言われては、今これ以上追及する事は出来ないのか、釈然としない表情をしながらラウは土砂の山に目を向ける。


 それに続いてシグルティアもそちらへ視線を向けるが、両者とも固まったまま動かない。


「「…………」」


 両者無言のまま、今度は頭上へと目を向けた。


 見れば、そこには大きな亀裂の入った迷宮の天井が広がっていて、今も現在進行形で不気味な音を立てていた。


 見かけ上は何も変化が生じてない様に見えるものの、恐らくこうしている間にも明らかに危険が迫っている事は明白だった。


「ヤバい、逃げるぞ!」


「だが、皆は……!」


「そんな事言ってまた土砂に埋まりたいのかよ!?」


 もはや、この場に留まり続けるのは自殺行為に等しい。


 そう判断したラウレウスは、仲間の捜索をしたいという感情を、理性で抑えつけながらシグの手を引く。


 一方の彼女はほんの少しだけ抵抗する素振りを見せたものの、ラウの表情を見てそれ以上抗弁すべきでないと判断したのだろう。


 それ以上は何も言わず、手を引かれるままに従うのだった。


 だが、二人の今の走る速度では、崩落から完全に逃れるには遅かったらしい。


 ガラガラと背筋が凍りそうになる凶悪な音を立て、ラウ達が先程まで経っていた場所から崩落が始まっていたのだ。


「畜生、一度ならず二度までも……!」


「安心しろ、最悪の場合は私がまた魔法で防ぐ」


「それで身動きが取れなくなったら死ぬだろが! ……悪いけどちょっと我慢してくれよ!」


「――なッ!?」


 崩落の速度は、常人の脚で逃げ切れる程に遅くはない。


 このままではいずれ二人仲良く土砂の中に埋もれてしまうだろうと判断したラウレウスは、断り文句もそこそこにシグルティアの手を強く引く。


 突然の事で反応が追い付かなかったらしい彼女は、呆けた声を漏らしたかと思えば、引っ張られるがまま体を宙に浮かせていた。


 そしてそのままラウレウスの両腕に背中から抱き留められ、いわゆる横抱きの形にされていたのである。


「ちょ、ラウ……!?」


「口閉じてろ、舌噛むぞ」


 想像だにして居なかった状況に、彼女は驚きも露わに抗議しようとしたものの、真剣な表情のラウを見て押し黙らざるを得なかった。


 そして次の瞬間、ラウレウスはシグルティアを抱えたまま急激な加速を見せる。


 勿論、それは身体強化術(フォルティオル)による能力の急激な上昇によるものだが、心の準備も何も出来ていなかった少女からすれば想定外の何物でも無くて。


「~~~~ッ!?」


 いきなり上昇した風圧で彼女は顔を叩かれ息は止まるし、猛烈な速度で過ぎ去っていく洞窟の壁を視界の端で捉えて、鳥肌の立つ思いだった。


 しかし、シグルティアにしてみれば息も出来ないので悲鳴も抗議も上げる事さえ出来ない。よって、ラウがそれに気付く事は無くて、彼はただ危機を脱する為にひたすら走り続けるのだった。


 何故なら、背後から尚も崩落が二人を飲み込まんと迫って来ているのだ。彼からすれば立ち止まる道理などある筈もなかった。


 とはいえ絶叫マシンに乗っている気分のシグルティアからすれば、それは前門の虎と後門の狼に等しいものであり。


 これ以上は耐え切れないと言わんばかりに、彼女は強く閉じた眦に薄っすら涙を滲ませながら、両腕をラウレウスの首に回していた。


 彼女にとってそれは恐怖を少しでも紛らわせるために取ったものだったが、一方で抱き付いていると表現しても差し支えないもので。


 勿論ラウレウスも、己がシグルティアと言う美少女に抱き付かれているという事実に、顔を赤くしていた。特に、自分の胸に何か柔らかいものが強く押し付けられているという一点に集中して、である。


 命が懸かっている状況だと言うのに、想像以上に柔らかい同年代の少女の体の感触のせいで、ラウレウスは自分の頭に血が上って行くのが分かった。


 そしてそれら邪念を振り払う様に、彼はより強い身体強化術(フォルティオル)を己の体に施していく。


「「~~~~ッ!?」」


 皮肉な事に、ラウレウスが言葉にならない声を上げながら加速した事で、シグルティアもまた悲鳴を上げながらより一層強く抱き付くのだった。


 その結果、更にラウレウスは加速し、シグルティアは……と(いたち)ごっこを繰り返し、今この状況で何とも頭の悪い永久機関が出来上がるに至ったのである。


 しかしそのお陰か、二人が気付いた事には、迷宮(ラビュリントゥス)の崩落個所は遥か後方へと置き去りになっていた。


「……に、逃げ切れた、みたい……だ」


「そ、そうだな。助かったぞ、ラウ」


 荒い呼吸をしながら顔を真っ赤にして大の字に倒れ込む少年に対し、シグルティアは少し決まり悪そうな顔をしながら礼を述べる。


 どうやら我ながら密着し過ぎたと反省しているらしいが、疲労困憊したラウレウスはそれに気付く気配はない。


 (むし)ろ、己が彼女を抱えて走っている間に色々と碌でも無い事を考えてしまった事を隠す様に、極力彼女の顔を見ない様にしながら応じていたのだ。


「気にしないでくれ。こっちこそ、急に抱えたりして悪かった。次からは気を付けるから許してくれ」


「別に責めたりはしない。それどころか助けられたんだ、ラウはもう少し堂々としてくれて良いんだぞ」


「……そ、そっか」


 良かったバレてないと、ラウレウスは彼女にも気付かれない程度に小さな安堵の息を吐く。


 もしも、さっきの逃走劇の最中にほんの少しでも(よこしま)な考えをしてしまった事を勘付かれたら、どんな目に遭わされるか分かったものではない。


 最悪、氷漬けに出もされてしまうのではないかと思い、ラウレウスの心は穏やかでは居られなかったのだ。


 だが、その心配は今の話で杞憂に終わった。これ以上、危険な話題で会話を続けるメリットもないと判断したラウレウスは、取って付けた様に話の流れを転換させるのだった。


「とっ、ところで、今がどの辺か分かる?」


「さ、さあ? ラウの方こそ、地図を持ってるんだから分かるんじゃないのか?」


「あ……ああ、それもそうだったな! 悪い」


 彼女からの指摘に、ラウレウスは慌てて地図を取り出して広げ、それを眺める。


 少し話題を間違えたかと反省している彼だったが、その一方でシグルティアとしても話題の転換は願ったり叶ったりだった。


 何故なら、彼女は先程は見っとも無く悲鳴を上げながらラウレウスに抱き付いてしまっていたのだ。そんな己の情けない姿を指摘されかねない話題よりは、何か他のものに移ってくれた方が何かと有難かったのである。


 だから、シグルティアも地図を覗き込みながら訊ねていたのだ、が。


「それで今が何処か、分かる?」


「……全然分からん」


「は?」


 ラウレウスが冷や汗を流しながら返して来た答えに、シグルティアの顔から表情が消えた。


 何を言っているんだこの男は、と言わんばかりの冷たい視線を注がれ、彼は両手を振り回しながら弁明に言葉を尽くす。


「し、仕方ないだろ!? 最初に潜土獣(ラピダルパ)から逃げてたら迷宮(ラビュリントゥス)が崩落して、更にもう一度崩落して、そんなのから逃げ回ってたせいで一々地図を広げて確認する間も無かったんだから!」


「……分かったもう良い、貸してみろ。ラウじゃ話にならない」


 一々説教をしていても埒が明かないと判断したのか、溜息を吐いたシグルティアは彼の手から地図を奪い取る。


 彼女もまた、ラウレウスと同様に前世の記憶を持ち、その上この世界でも東帝国の皇族として高い水準の教育を受けて来たのだ。


 戦闘力はともかく、こう言った面では彼よりも勝っている自信があった訳である。


 ……だが。


「どうだ、シグ?」


「ま、まあ少し待ってくれ。流石にすぐ分かる程、私も頭の回転が速い訳では無いからな」


 恐る恐ると言った様子で訊ねて来るラウレウスに、彼女は平静を装いながら応じる。


 それというのも、あれだけ大口を叩いて置きながらシグルティアもまた自分達の位置状況を掴めないのである。


 周囲の地形と地図に一致している場所は無いかと、視線をあちこち行ったり来たりさせて居るのだが、どこを探しても一致する場所がない。


 そもそもこの地図上には、ここまで天井が高く、横幅もある場所そのものが記載されていなかった。


 それでも諦めずに周囲を見回して地図と照らし合わせていた時だった。


「もしかして、シグも分からない?」


「そっ、そんな訳ない! 待ってろ、すぐにここが何処かを……!」


「そんな無理すんなって。出来ないものは出来ないって正直に言った方が良いぞ」


 慰める様に、ラウレウスはシグルティアの肩に手を置く。


 その口調は優しく、そして彼女を気遣う色のある温かいもので、だからシグルティアも正直に打ち明けようとした――が。


「早く認めて楽になれよ。で、俺に謝れ。土下座で」


「絶っっっっ対に嫌だ」


 今こそ逆襲の時と言わんばかりの笑みを浮かべて迫って来るラウレウスに、彼女は断固として拒絶する。


 こんな態度を取って来る奴に、ここで自分の過ちを認めて謝罪をするのは、シグルティアとしても高田 麗奈(れいな)としても到底耐えらえるものでは無かったのだ。


 これが高圧的でなければ素直に謝罪の一つでも出来ただろうが……今のラウレウスの態度を前にそんな事が出来る筈もない。


「前世でも俺はお前に散々な目を見させられたんだ、今日と言う今日は頭下げて貰うぞ!」


「強欲な奴だな。大体それはお前が私の下着を見たりしたからだろ?」


「あの時のは事故だって言ってんだろ!? 何であれで俺がお前に叩かれなくちゃいけねえんだよ!?」


 心外だと言わんばかりに声を荒げるラウレウスに、彼女は更にかつての世界であった出来事を列挙していく。


 一つを記憶の海から引き上げる(たび)に、更に二つ三つと、記憶が溢れて来るのだ。


 それが楽しくて、懐かしくて、昔に戻った気がして、気付けば彼女は破顔していた。


 シグルティアのその様子に、ラウレウスもまた内心で同様の感情を抱いていたのか、相好(そうごう)を崩す。


 何の気なしに見上げた天井からは氷柱(つらら)のような石が幾つも伸びていて、だけど地上まで相当な高さがあるのか、一つ一つを正確に視認するのは難しそうだ。


 崖のように(そび)え立つ両脇の壁からは所々に水が染み出し、この場所全体が湿っぽさを持っている事の一助となっている様である。


 そんな中、場の沈黙に耐え切れなくなったのか、シグルティアが新たな話を切り出していた。


「……私達、ここから脱出できると思う?」


「どうだか。出来なきゃこの前みたいに死ぬだけだ。勿論、死ぬ気は無いけどな」


「それもそっか。リュウさん達、無事だと良いんだけど」


 ぴちょんと、どこかで水が地面を穿つ音が聞こえる。


 彼女の心配そうな言葉にラウレウスもまた同意を示し、そしてまた無言になって静まり返った洞窟の天井を眺める。


 彼の視界の端に映る壁には所々穴が見え、どうやらそれらの先にはまた違う路が続いているらしい。


 ()じ登ればそこに行けない事も無いだろうが、ラウレウスもシグルティアも何を言うでもなく二人だけの空間に居座り続けるのだった。


 そうやって、ともすれば心地良さと眠気すら込み上げて来はじめた時である。


「……来る」


「ああ。ラウは前と後ろ、どっちを相手にする?」


「出来ればどっちも相手にしたくねえけど、逃げ道は今から逃げ込んでも間に合う気がしないし……後ろで」


 聞こえて来た足音は、無粋にもこの場の心地良かった沈黙を蹂躙していた。


 ラウレウスもシグルティアもそれに気分を害されたのか、揃って顔を顰めながらそれぞれ通路の先を見据える。


 すると、十秒とせず道一杯に(ひし)めく大量の妖魎(モンストラ)を視界に捉えるのだった。


「さっきのと同じ奴だよな。やっぱあの群れ、どう見ても不自然だ」


「同感だな。神饗(デウス)め……」


 状況は、前にも増して絶望的と言っても過言ではない。


 何故なら、少し前に妖魎(モンストラ)の群れと交戦した際も同じような状況だったとはいえ、前提条件が厳しくなってしまっているのだ。


 例えば、人手。后羿(コウゲイ)は勿論の事、今はリュウが居ないし、レメディアもスヴェンも居ない。おまけにこの場所は開けていて道幅も高さもある。


 つまり、ラウレウスとシグルティアはそれぞれたった一人で、一度に相手する数も増えた妖魎(モンストラ)を前にしなくてはならないのだ。


「……崩落がどうのとか言ってられないな」


「最悪、壁の横穴に逃げ込めば良いだろう。その時はラウ、頼りにしてるぞ」


「ああ。だけど速度の加減は出来ないから、そこは承知しといてくれよ」


 互いに互いの背中を預けながら、そして不敵な笑みを浮かべたまま、言葉を交わす。


 先程も述べた様に状況は絶望的だ。


 しかしこの二人は、まだ何一つとして絶望して居なくて――。






◆◇◆





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