第三話 Dark Crow①
「突出し過ぎないで! 下手をすると三方向から攻撃を受けかねない!」
「……分かってますよ!」
押し寄せて来る妖魎の数は、まさに殺人的だった。
けたたましい咆哮を上げ、内臓が振動する程の足音を幾つも立て、絶え間なく迫って来るのだ。
しかもその全てを、出来る限り一撃で仕留めなくてはならない。
そうしないと、一瞬で突破されて僅か四人しかいない陣形が食い荒らされてしまうから。
もしもその状況に陥ってしまったら、確実に詰みとなる。リュウはともかくとしても、それ以外の俺達は脱出する事は不可能だろう。
一歩間違えば、死に直結するのだ。
薄氷の上を歩いているような感覚に突き動かされ、この薄暗い迷宮の中で必死に防戦し、抗戦する。
それが出来なければ、この洞窟の中で体を食われて死ぬのみだから。
「くそ、一体どういう仕組みでこんな事に……!?」
「后羿が居てくれれば、私達ももう少し楽が出来たのだろうな」
「このままじゃ支えきれない!」
背後では、スヴェンとシグ、レメディアからの悲鳴が聞こえて来る。
現状、俺達は迷宮で妖魎の大群に前後から挟み撃ちされていた。
その内訳は大型から小型まで、肉食から草食まで、多種多様そのもので、ただ真っ直ぐ俺達を殺そうと迫って来ていたのだった。
「ラウ君、僕の方は良いから後ろに加勢してあげて!」
「ですけど、リュウさんも手が追い付かないんじゃ……?」
「まだ余裕がない訳じゃあない! 良いから後ろを!」
「……そこまで言うのなら分かりました。リュウさんも無茶はしないで下さい」
そう言って、俺は最後に大きな一撃を放って迫る妖魎の群れを牽制していた。
一時的にでもこれによって勢いが弱まれば、たった一人で一方を受け持つことになるリュウも少しは負担が減ってくれる事だろう。
「助かる、ラウ君」
「どういたしまして」
返事もそこそこに踵を返し、俺はもう一方を迎撃していたスヴェンたちの方に目を向ける。
彼らはどうにか妖魎たちを押し返しているものの、数の差は如何ともしがたいのか徐々に押し込まれている様だ。
このままではいずれ手が回らなくなって、突破されてしまうのも時間の問題だろう。
「援護する、持ち直せ!」
「ラウ……悪いな! 助かるぜ」
「魔法を使った範囲攻撃で殲滅しても、壁を作っても、湧き水のように後続が出て来て限が無いんだ」
「私の魔力も、どんどん余裕が無くなって……このままだと」
三人とも、まだ戦闘が始まってから五分と経っていないのに消耗の色が見え始めていた。
だがそれも無理からぬ事だろう。
敵はこの数で、圧力で、一気に押し寄せて来るのだ。
際限がない、死が迫っている、という事実は否応にも精神を追い詰めるし、常に膨大な数を相手にする事は精神的、肉体的にも消耗を強いるのだ。
寧ろ、今はたった一人で片方の群れを相手にして居るリュウの方が異常とすら言えた。
「幾らここが迷宮だって言っても、妖魎の数には限りがある筈だ! 耐えろ、その内奴らの数も枯渇する!」
「その内ってのがいつになるのかは誰も知らねえけどな!」
「出来なきゃ死ぬだけだ。四の五の言っていないでやるぞ、スヴェン!」
「分かってる!」
そう、靈儿の少年は応じながら、地面に両手をつけた瞬間――。
まるでシャッターが幾つも下りて行くように、土の壁が道を寸断する。
「やればできるじゃねえか……」
「この程度じゃ気休めにもなんないけどな。時間を稼ぐくらいしか出来ねえ」
自嘲するように彼が鼻を鳴らした直後、その言葉を証明するかのように土壁を打ち破って、猛り狂う妖魎たちが飛び出してくるのだった。
しかし、そうなるまでの間に稼がれた時間は、次の魔法攻撃を行う上では十分なもので。
「……凍て付けぇッ!」
土壁が突破されるのを待っていたように、シグの大技が炸裂する。
それは彼女の前面に広がる地面を、壁を、つまり迷宮そのものを凍結させ始め、ひいてはその上に存在する妖魎たちすらも凍らせるものだった。
地面から足へと攀じ登って行く冷気は等しく彼らを凍結させ、移動力を奪い、呼吸を奪い、遂には命を奪っていく。
しかしそれはあくまで脚を持つものに限られていて、短距離でも飛行可能なものについては、シグの魔法の影響は受けなかったのである。
「迎撃を……」
「大丈夫、任せて」
地上に比べたら遥かに狭いと言える迷宮内にあって、少なくともここに居る飛行可能な妖魎は小型か、大きくても中型に限られる。
だからそれらはすばしっこくて、少しでも陣形を抜けられると後方攪乱される危険を孕んでいるだけに、即座に俺は魔法を行使しようとして、止められた。
それをしたのは、緑の髪を持つ少女――レメディア。
一体何をこれからしようと言うのかと、そちらに目を向ければ、彼女は自慢気な笑みを見せて言っていた。
「私だって、ラウに追い付くために研鑽は欠かしてないって事だよ」
その瞬間、あちこちから飛び出した木の根が、枝が、蜘蛛の巣状になった壁を形作る。
言うなれば網の様なそれは、隙間が目立ち、その程度では妖魎の突破を許してしまう――と思ったのだが。
「レメディア……?」
「心配しないでも、中型や小型程度ならこれくらいで大丈夫」
果たして彼女の言葉通り、飛行型の妖魎がこれ以上先に迫って来る事は無かった。
どういう訳か、不自然に動きを止めて木の根の隙間から抜けて来る気配が無いのだ。
「……一体どういう?」
「どんなに素早くても、隙間を通るって事は道が限定されてるって事だから、絡め捕るのはそんなに難しくないんだ。それに、大型では無いから抵抗されても簡単には抜け出せない」
木の根の隙間から聞こえて来る、無数の妖魎の鳴き声。その様子からして、必死に拘束から抜け出そうと抵抗しているのだろう。
しかし、一体たりとも抜け出してこない所を見るにレメディアが言う通り脱出出来ていないようだ。
「それで、捕まえたそれはどうするんだ?」
「今、丁度私の魔力も消耗してるから、補充させて貰うつもりだよ」
「……それって」
木の根で絡め捕った妖魎の魔力を吸い取るということを示唆する彼女の言葉に、一瞬顔が引き攣る。
同時に一瞬、レメディアを見る目が巨大な食虫植物を警戒する様なものになってしまったくらいだ。
それが失礼なものだと言う自覚は重々持っているが、思ってしまったものは仕方ない。敢えて口にはせず、感心した振りを装うのだった。
しかし、思っていたよりもレメディアは鋭い。
「……もしかして、今私のことを蜘蛛みたいとかって思わなかった?」
「な、何でそう思う?」
半目を向けられて、思わず半歩後退る。
だがその程度で逃げられる程、彼女の追及は甘くなかった。
「ラウとの付き合いは長いからね。それくらい分かるよ。で、どうなの?」
「そんな訳ないだろ? 寧ろ感心してるんだって」
「じゃあどうして視線が僅かに私から逸れてるの? それって、ラウが普段嘘吐く時見せる癖の一つなんだけど」
ぐぐ、と更にレメディアの顔が迫って来る。
その圧力に押し負け、遂に俺の顔そのものがレメディアから逸れる。目どころか、顔すら合わせられなくなってしまったのである。
だがそれは、悪手以外の何物でも無くて。
「……これ以上、白を切るつもりなら私にも考えがあるよ。だって、まだ消耗した分の魔力は全回復して無いからね」
「おい、レメディア? 何だその不穏な空気は?」
「ラウは白儿で元々の魔力量も多いし、私が魔力を回復させるのに丁度良いかもしれないね?」
にっこり笑った彼女の少し後ろで、干からびた妖魎の死骸がぶら下がっていた。
既に搾り取られるだけ搾り取られたのか、ピクリとも動かない様子は完全に絶命したと見て良いのだろう。
ミイラ化と表現しても過言ではない姿に、震えあがったのは言うまでもなかった。このままでは殺されかねないと、身の危険すら感じ始めた時だった。
「君達、今がどういう状況なのか本当に分かっているんだろうね?」
普段と比べて余裕がないリュウの声が、少し弛緩していた空気を引き締める。
同時に道の向こうへ視線を向ければ、レメディアが魔法を解除した事で開けた視界の先で、後続の妖魎が迫って来ているのが分かった。
それらは先に斃れたものを踏み台にし、凍り付いたものは押し退け砕き、前進してくるのだ。
ただ真っ直ぐ、こちらを目指して。
その姿を見て、思わず呟かずにはいられない。
「終わりが見えねえな……」
「レメディアは魔力吸収があるから良いけど、俺やシグにはそれが出来ねえ。底が尽きるのも時間の問題だ」
「あんな大技、何発も撃てるものでは無いからな」
見た限りではまだまだ余裕はありそうだが、それでもスヴェンとシグにだって限界はあるのだ。
特にあれだけの範囲を巻き込む攻撃となれば、魔力の消費量は馬鹿にならない。
出来る限り効率よく、機会を見極めて次の一撃を放つ必要があると言えるだろう。
「リュウさん、念の為に訊きます。そっちは平気ですか!?」
「……問題ないと言えば嘘になる。でも、まだ支えられる自信はあるよ」
「了解です。もう暫く任せます」
そう言いながら、迫りくる後続の妖魎を睨んでいると。
不意に、地面が揺れた。
地震にしてはやけに小刻みで、そして小規模な気がしたのだが、これの原因が何であるのかを瞬時に理解するのは不可能だった。
「今度は何だよ……!?」
次第に揺れが強くなって行く中、吐き捨てる様にそう呟いた直後。
迷宮の通路を突き破って、それは現れた。
鋭い爪を持った前脚、少しせり出した鼻。体毛は黒くそして土に汚れ、目が何処にあるのかも判然としない。
口から覗く歯は鋭く大きく、それは人間など取るに足らない矮小な存在であると言う事実を殊更に突き付けてくるようだった。
「デカい……モグラ!?」
「おいおい、モグラって言えばあのちっこくて可愛い奴じゃねえのかよ」
「それは地球の話だろ。ここはそうじゃない。化け物の世界なんだからな」
「こんなの、初めて見た……!」
俺を含め、誰もが衝撃を受けた顔で突如現れた闖入者の姿をまじまじと見つめる。
大きさは中型の妖魎程度だろうか。
だがそれでも人間を凌ぐ大きさで、特にその爪は人間程度なら易々叩き斬ってしまえると思うほど、鋭いものだった。
しかも、問題はそれだけではない。
この巨大モグラ以外にも、こうしている間に無数の妖魎たちが迫って来ているのである。
「様子見とか言ってる場合じゃない……! 纏めてぶっ飛ばすぞ!」
「任せた、ラウ!」
火力ならお前が一番だ、とスヴェンも背中を押してくれるが、白弾を生成して撃ち出すよりも前に、巨大モグラが動き出していた。
その黒い、何の感情も感じさせない目がこちらを捉え、そして見かけによらぬ素早い動きで地面に戻って行くのだ。
「野郎……!」
「構うな、取り敢えず他の妖魎どもに一撃かましてやれ!」
「言われなくてもやってやるよ!」
見えない敵に攻撃を加えたとしても、当たるとは思えないし、今はそんな事に集中を割く暇など無いのだ。
下手に手間取れば、命に関わる危険が目の前に迫って居るのだから、警戒はしつつもそれ以上の事は出来なかった。
「……ぶっとべクソ共がッ!」
纏めて消し飛ばす――。
その意思と殺意を具現化した白弾は、真っ直ぐに通路を飛んで行き、間を置かず炸裂する。
衝撃は凄まじく、狭い洞窟内で反響した音が鼓膜を襲う。
特にそれは、耳の良い妖魎の個体によっては強烈だったのだろう。リュウと対峙していた個体の幾らかが悶え、その隙を衝かれて斬り伏せられていた。
「ラウ君……こんな狭い場所でどうしてそんな威力の白弾を撃った!?」
「す、すみません……」
「謝罪は良い! 幾らここが普通の洞窟よりは頑丈な迷宮とは言え、限度を超えれば崩落の危険があるんだぞ! そうなれば僕だって無事で済むか分からないんだ、肝に銘じて置いてくれ」
「……分かりました」
確かに、リュウの戦い方は静かなものだった。
彼は基本的に身体強化術を施した体で剣を使い、魔法の使用は止めや牽制など最低限に抑えている。
どうしてもう少し一気に片付けようとしないのか不思議だったが、今更になって合点がいった。
だが、幸いにも彼の懸念は当たらず、今のところこの通路が崩落する気配はない。
運が良かったと安堵しつつ、先程まで妖魎の群れが迫っていた付近を見遣れば、もうそこに生物の気配など跡形も無くなっていた。
まだ後続が来ないとも分からないが、少なくとも僅かな時間だけは安全を確保出来たと見てよさそうだ。
「リュウさん、こっちは一応片付きましたよ!」
「そうかい。でも、さっきチラッと見えたあのモグラは!?」
「地面を潜ってどこかに……ッ!?」
その時、再び地面が揺れた。
不自然に壁が線を描いて盛り上がり始めたところを見るに、そこを移動しているのだろう。
しかもそれは、真っ直ぐにこちらを目指していた。
「来る!?」
「出てくる前に倒すぞ!」
幸いにも、浅いところを潜って進んで来ているモグラを迎撃するのならそれほど難しくないと判断して、俺はスヴェンと共に魔法を行使する。
だが放った白弾も、スヴェンの土魔法も、例のモグラの潜行を止める事が出来なくて。
「ちッ!」
「土魔法でも捕まえられないって……どうなってんだ!?」
「何をしてるんだお前ら、援護する!」
「私も……植物魔法なら!」
中々仕留められない妖魎にもどかしさを覚えてか、シグとレメディアも攻撃に加わってくれるのだが、それでも倒せない。
そもそも、攻撃が命中した気配が無いのである。
加えて仮に当たったとしても、リュウから注意された通り崩落を警戒して抑えた魔法の威力では倒すに至れないだろう。
『――ッ!』
「ぐっ!?」
地面を潜行し、そしてついに飛び出して来た巨大モグラは、その鋭い爪を煌めかせながら襲い掛かって来る。
幸いにも攻撃自体は回避出来たものの、同時に巻きあがった土のせいで視界を遮られて反撃も儘ならない。
我武者羅に魔法を撃てば味方に命中してしまう危険を考慮して、どうしても迂闊に手が出せないのだ。
「何なんだよ、コイツっ!」
「……これ以上、この場に留まり続けるのは危険だ。ラウ君、そっちの敵の掃討が大体終わっているのなら、その道を進もう!」
このままでは色々と埒が明かないと悟ったらしいリュウの言葉で、先程俺が妖魎を纏めて吹き飛ばした道を進む。
背後からはリュウが堰き止めていた妖魎の群れが目を血走らせながら追い縋って来たものの、シグやスヴェン、レメディアの魔法による妨害で事無きを得るのだった。
しかし一方で、地面を自在に潜行してくる存在に対しては打つ手がなくて。
「いつまでもしつこい奴……!」
このまま逃げ回っていても埒が明かないのは明白で、だから俺は反撃の一つでもしようと背後を振り返ったのだ、が。
そこに広がっていた光景に、我が目を疑った。
何故ならば、こちらを目指して進んで来る土の膨らみが、一つや二つでは利かない程度に迫って来ているのだ。
「潜土獣がこんなに沢山居るとはね……状況は思っていた以上に悪そうだ」
「リュウさん、これ以上は逃げるより迎撃を!」
「駄目だ。あの数相手に足を止めたら包囲されるし、じっとしていても地盤がぐちゃぐちゃになって崩落しかねない。逃げるしかないんだ」
リュウがそう言って俺の提案を拒絶した直後、地面が大きく揺れる。
それは地震にしてはやけに騒がしいもので、何かが派手に崩れる音が鼓膜を揺らしていた。
「……恐らく、先程まで僕らが戦っていた場所で崩落が起きたんだろうね。間一髪だ」
「そうは言っても……っ!?」
やはり足を止めている余裕は無いと彼が断言し、それに対して反駁しようとした俺は、不意に進行方向に見えたもので絶句した。
それは、背後の光景と同じ様に迫って来る、無数の潜行痕だった。
「先回りされてます! これじゃあ逃げるとか言ってられないですよ!?」
「やむを得ないね、強行突破だ。地盤どうこうも気にしてはいられない。やるよ!」
事ここに至って、安全云々を言って居られる余裕もなくなったと判断したらしい。リュウの言葉で、もう遠慮してやる理由は無いと判断した俺は、まず背後のモグラたちへと加減のない白弾を見舞う。
果たしてどれだけの数を殺せたかは分からないが、確実に一体は屠った筈である。
他の仲間もこれまでの不満をぶつける様に攻撃を放って、そして血路を開く。
だが、それは些かやり過ぎてしまったのかもしれない。
そして何よりも、潜土獣の数が多過ぎたのだろう。
「良し、この調子で脱出を――」
「……駄目だ。皆、身構えて!」
「え?」
舌打ち混じりのリュウの声が聞こえたその瞬間、迷宮の通路は限界を迎え、崩壊を始めていたのだった。
◆◇◆




