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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第八章 トメルスベナク
181/239

第二話 Deeper Deeper⑤

◆◇◆





 そこは、行き止まりである。


 いいや、言い直すならば行き止まりだった(・・・)


 少なくとも、今も手元に広げた地図の上では、行き止まりとして表記されていた。


 しかし。


「……何だ、これ?」


「なるほどね、これがマルスさん達の言っていた奴か」


 本来、迷宮(ラビュリントゥス)の壁があったであろう場所には、ぽっかりと穴が開いていた。


 その向こう側には同じように薄暗い道が続いていて、当然ながら手元の地図にはそこから先が書かれていない。


 未知ゆえに不気味さが何割増しにもなって背中を撫で、俺はリュウの方に目を向けて問わずにはいられなかった。


「何なんです、この無理矢理こじ開けたみたいな穴は?」


「実際に無理矢理こじ開けたんだよ。……迷宮(ラビュリントゥス)同士を人為的に融合させるなんて、信じられないけれどね」


 これはもっと調査をする必要が生じたかもしれない、とリュウは呟きを漏らしていた。


 それに対して、俺は特に返事をする事も無く、黙って再度穴の向こうに目を向けた。


 やはり相変わらず妖魎(モンストラ)の気配はない。


 ここに来るまでに全く遭遇しなかったという訳では無いが、聞いていたよりも明らかにその回数は少なかった。


「この先に何があるのか……マルスさん達も確認しないで引き返して来たんだろ? なら俺達もここで一旦引き返すべきだと思うんだけど」


「何だ、怖気づいたのかスヴェン?」


「そうじゃない。もしもここから先を調査するのなら、装備を整えてマルスさん達にも同行して貰った方が確実だって話だよ。何であの時断ったんだ?」


 そもそもどうしてあの人達に同行して貰わなかったのか、と彼は頭を掻いていた。


 確かに彼の言い分も(もっと)もだが、つい昨日宿屋に返って来たばかりの彼らに連続して迷宮(ラビュリントゥス)に潜って貰うと言うのは疲労の蓄積を生む。


 勿論、彼らは古株の精霊なので普通の人間と同じ様に判断するのは違うとは言え、精神的な疲労が皆無な訳では無いのだ。


 集中力が切れ、注意力が散漫となった者が同行していては、不測の事態に対処しきれない事もあり得るのである。


「……全員が一斉にここへ潜って、誰一人として帰って来なかったら、誰がこの事を他の奴に知らせるんだ? そう言う意味でも、あの人達には残って貰った方が良い。人じゃないけど」


「それも言う通りだけどよ。だけど……」


「さらに言うなら、俺もリュウさんも(コウ)もまだ精霊達を完全には信頼していない」


 何かを言いかけたスヴェンを制し、俺は言葉を続ける。


 その発言が彼にとっては想定外なのか、意外そうな顔をしてこちらをまじまじと見ていた。


「どうしてだ?」


(コウ)がメルクリウスさんには念を押す様に訊ねていたが、口約束程度で信頼関係か気付けるほど、気安いもんじゃないって事だ」


 サトゥルヌスは、心強い味方の顔をした裏切り者だった。疑わしいとか、そう言うものを一切感じさせず、精霊達の一員として彼らと一緒に居た。


 恐らく俺が主人(ドミヌス)の素顔を知らなかったら、未だに彼の正体を見抜く事は出来なかっただろう。


 或いは、同じ顔を持っているユピテルに何もかもを擦り付けて抹殺させていたかもしれない。


「じゃあ、あの遣り取りに一体何の意味があったって言うんだ?」


「他に誰か不自然な奴に心当たりがないかを見る為に、カマをかけたんだ。その結果は、特に何も見つからなかった訳だけどな」


「ならもう疑う必要なんて……」


「そうかもしれない。けど、そう決めつけるのはまだ早い。精霊だって感情を持つのなら心変わりしないとも限らないし、もしまだ内通者が残っていれば色々な情報が筒抜けになりかねないんだ」


 こう言いはするものの、スヴェンの言い分も分かる。


 何より彼は、俺と再会する前まではメルクリウスの下に居た。恩人でもある彼を、そして彼らを信じたいと思うのは何らおかしな事ではない。


 しかし、今のこの状況は裏切られたら笑って済ませられるようなものでは無いのだ。一歩間違えれば、死ぬ。


 薄氷の上を歩いているも同義なのであるから。


「じゃあ、俺達がここへ来て新たに分かった事とかもメルクリウスさん達には知らせない気かよ!?」


「伏せるところは伏せる。最低限の話については、向こうからの情報提供もある訳だし、見返りとして渡さない訳にはいかないけどな」


 そう言いながら確認する様にリュウへ顔を向ければ、彼は穴の向こうを見遣りながら一度頷く。


 后羿(コウゲイ)も特に反対する様子を見せないのを確認して、俺は先へと足を踏み入れるのだった。


 しかし、後に続く筈の足音が気のせいか一つ足りない。


 不思議に思って背後を振り返ってみれば、スヴェンが黙り込んだまま、その場で立ち止まっていた。


「何してんだ、早く行くぞ?」


「……他人が信用できないって、もしかしてお前は俺も信頼してくれてないのか?」


「そんな訳ねえだろ。それはまた別の話だ。そんな事で悩んでる暇なんて無いぞ」


 急に何を言い出すのかと思えば、と思わず俺は少し笑ってしまう。


 そんな筈など無い、つまらない冗談だ――とスヴェンについて来るよう言うのだが。


「こっちは真面目に訊いてるんだよ! なあラウ、いや慶司(けいじ)、答えてくれ! お前はまだ、俺や他の人間が信じられないってのか!?」


「……興佑(きょうすけ)? どうしたんだよ」


「どうしたもこうしたもねえよ! 答えろって言ってんだ!」


 ここが迷宮内部であると言う事も忘れてか、桜井 興佑(きょうすけ)――スヴェンは感情を昂らせて叫んでいた。


 その声は更に遠くの方へ反響していくのを耳が確かに捉え、俺は顔に皺を刻む。


「おい、静かにしろ。下手に大きな音を立てれば余計なモンを呼び込みかねないんだぞ?」


「……誤魔化してんじゃねえよ!」


 一先ず彼を落ち着けるべきと判断して宥めに掛るものの、寧ろその態度が逆効果であったらしい。


 つかつかと詰め寄って来たかと思えば、彼はその手を伸ばして俺の胸倉を掴み上げて来たのである。


「答えろ! お前はまだ俺が信じられないか!? 俺の言う事が信じられないか!? もしかして、都合のいい奴程度にしか考えてないのかよ!?」


「んな訳ないだろ! だったらどうして一緒に行動してると思ってんだ!」


「ならどうしてお前は周りを信じてやることが出来ない!? 人の善意に乗っかってやれないんだ!?」


 近接戦闘に関する経験の差か、結局胸倉を掴むスヴェンの手を容易に引き剥がしてやるが、それでも彼の勢いは止まらない。普段見せないくらいの剣幕で(まく)し立てて来るのである。


「お前、俺達の事を仲間とか言っておきながら、結局自分から頼って来てくれた事ねえじゃねえか! 困ったらリュウさんか后羿(コウゲイ)に訊くばかり……今後の行動についても、そっちの三人で全部決めてる!」


「それは……リュウさん達に訊いた方が何かと便利だし、安全だと……」


「そこが俺達を信頼して無いって言うんだよ! お前、絶対に自分から俺達を頼らねえよな。意見も聞き入れてくれやしない!」


 眉間に突き付けられた彼の人差し指から、どうしてかやけに迫力が感じられて一歩、後退(あとずさ)っていた。


 何より、彼の指摘が的を射ていたからである。


 確かに自分は、スヴェンやレメディア、シグを頼る事はして来なかった。


 少なくとも、相談などと言った類をした事は無い。けれどそれは互いに同じで、だから対等な関係だと思っていたのだが――。


 けどそれだけでは無くて、彼が指摘するように今後どうするのかについてはリュウや后羿(コウゲイ)の意見が中心となっていて、それ以外の言葉を聞く機会を設けた事も無かった。


 俺にとって彼らは確かに仲間だけれど、守るべき者達という認識だったと言う事を、理解させられた瞬間であった。


「シグとレメディアも、同じことを?」


「……ああ、私だって全く不満が無いと言えば嘘になるな。この前も誰に相談するでもなく勝手に殿(しんがり)を務め、東帝国に捕まった訳だし」


「少しくらい私達もアテにしてくれないかなー……とは」


 彼らには大なり小なり、俺に対する不満が溜まっていたのだろう。


 そしてそれが、ここに至ってスヴェンのそれが噴出した。


 メルクリウスらを信用できないと断じたせいで、一層強い疑念を掻き立ててしまったのかもしれない。


 しかし、それを今ここで突き付けられて、俺に一体どうすれば良いと言うのだろう。


 秒を追う毎に感情が昂ってしまって、それをそのまま彼らにぶつけてしまおうとした時だった。


「はい、そこまで」


 全てを鎮める様に、リュウが一度だけ手を叩いた。


 それが丁度、言葉をこれから発しようとしたところであった事もあって、反射的に開きかけた口を閉じていたのだった。


「四人とも、少し感情的になり過ぎだ。ラウ君は君達の事も考えて、メルクリウスさん達を信用できないと言ったまで。下手を打てば僕ら全員がやられかねない訳だしね」


「それは確かにそうですけど……」


「その辺の議論は、少なくとも今ここですべき事じゃあない。後でも出来る事をここでやって、今すべき事をやらないなんて馬鹿げた事をしている場合じゃあないんだよ」


 バッサリと言い切ったリュウの言葉に、スヴェンは露骨に鼻白む。


 まだまだ不満がありそうだったものの、リュウに対する言葉が思い付かないのか彼はそれきり黙っていた。


「僕としても、余り君らに意見を求めなかった事については反省しよう。済まなかった。取り敢えず、今はそれで手打ちにしてくれないかな?」


「……分かりました」


 このままでは話も進まないと判断したらしいリュウの取り仕切りによって、一応この場は収拾を着ける事が出来たらしい。


 スヴェンも大人しく引き下がってくれたお陰で、張り詰めていた空気が少しだけ柔らかくなったような気がした。


 だから、俺としても頭を下げやすい空気になった訳で。


「……ごめん。俺も次からは気を付ける」


「ああ。気をつけてくれればそれでいい。今はな。ここから外に出たら、お前とは一回腹割って話す必要がありそうだけどな」


「分かったよ。覚えとく」


 そんな遣り取りをスヴェンと交わしながら、俺達は(ようや)迷宮(ラビュリントゥス)の先へと向かうのだった。


 しかし、この先は手元で広げている地図には載っていない。だから、俺はそれをしまうと別のものを新たに広げていたのだった。


「現在位置は……ここかな? マルスさん達が推理して(もたら)してくれた情報通り、ここはミヤフワンズっていう別の迷宮(ラビュリントゥス)の中らしい。もっとも、今はエシュナス・グムと一体化してるけど」


「それにしても吸収とか合体とか……何を基準に判断するんだ? 偶々穴が開いて繋がっただけってのとの違いは?」


「それは俺も知らん。リュウさん、分かります?」


 先程、言い合いをしただけあって少しばかり気まずい空気が一行を包んでいる。


 しかし、だからと言って会話を避けては余計に空気が悪くなるのは分かり切っていただけに、俺は話題にリュウを巻き込むのだった。


 すると、彼は即座にこちらの意図を察してか、いつもと変わらぬ態度で応じてくれた。


「見極め方は簡単だよ。普通、迷宮(ラビュリントゥス)って言うのは個体差がある。それぞれ別個のなりかけ(・・・・)が居着いた事で発生するんだから当然だけれど、これによって土の色とかも変わって来るんだ」


「……聞いた話だと、中身全てが水で満たされた迷宮(ラビュリントゥス)もあるとか?」


「そうだね。それが個体差だ。で、合体したり吸収すると、それら二つが一つの迷宮内で併存したり、或いはどちらか片方だけの特徴が残る」


 そう言いながら、リュウは周囲を見渡し、そして壁を指差していたのだった。


「ここの壁や地面と、さっきまでのエシュナス・グムとの色を比べれば分かるけど、色に違いはない。これはつまりエシュナス・グム側がもう一方を吸収したと言う事に他ならない。それに地図を見てごらん?」


「これですか? ……それに何の意味が」


 言われるがまま地図に視線を落としてみるが、そこである違和に気付く。


 地図が正しければ、ここには発光する苔が群生している筈なのだ。


 つまり、そこそこの値段の素材が採れる場所として記録されていると言うのに、この場には何も無い。


 痕跡すらない。


「全部、吸収されたんだろうね」


「……それって、この中に生息していた妖魎(モンストラ)とかもって事ですか?」


「どうだろう。けど、他の迷宮(ラビュリントゥス)を取り込んだ直後の個体は、魔力とかを消耗しているらしいから、その補充の為にやってもおかしくはないね」


 迂闊に熟睡とかしたら、知らず知らずのうちに吸収されているかもしれない、とリュウは冗談めかして言っていたが、そんなものは冗談でも寒気を覚えるので勘弁してほしい。


 それはスヴェンも同じだったのか、皆を代表して恐る恐るリュウに訊ねていた。


「じゃ、じゃあ、下手に寝たりしなければ、この迷宮(ラビュリントゥス)に食われる事は無いと?」


「どうだろうね。言うなれば僕らって迷宮(ラビュリントゥス)の腹の中に居る訳だし、迷宮の気分次第じゃないかな」


「……それって迷宮(ラビュリントゥス)そのものが俺達を殺しに来るかも知れないって事ですよね」


「そうともいうねー」


 念を押す様にスヴェンが訊ねれば、軽い調子でリュウは首肯する。


 当然、それを聞いた誰もが震え上がったのは言うまでもない。


「何、怖いの?」


「そりゃそうでしょうよ!」


「畜生、こんなんなら尚更どうしてマルスさん達の同行を断ったんだ!?」


 しれっとした態度を崩さないリュウに、思わず二人揃って怒鳴ってしまった。


 同時に、もしや后羿(コウゲイ)もそれを知っていたのではないかと思い、詰問する為に彼の姿を探す、が。


「……え?」


「どうした?」


(コウ)の奴、どこに行った?」


「は?」


 どこを探しても、瓢箪を片手に持った大酒飲みの弓使いは、居なかった。


 影も形も、無くなっていたのである。





◆◇◆





「まさか、俺の侵入を事前に把握していたとは……けど、一体どうやってッ?」


 ズキリとした頭の痛みに、少年は顔を(しか)めた。


 しかし、意識ははっきりとしていて周囲の警戒を怠る様な真似はしない。


 この薄暗い洞窟の中で迂闊な事をすれば、次の瞬間には命が無くなってしまってもおかしくはないのだ。


「良くもやってくれる……!」


 周囲には響かない程度の呟きを、ポツリと漏らす。


 額からは汗とは違う、どろりとした液体が流れていて、その源を止める為に固形の癒傷薬(メデオル)塗付(とふ)するのだった。


 全身のあちこちも額と同じ様な傷がある有様だったが、幸いにも行動不能になる程のものでもない。


 傷口に沁みる感覚で再度顔を(しか)めつつ、それでも段々出血が収まって行くのを感じていた。


 同時にあれだけ荒かった呼吸も沈静し、伴って思考そのものも大幅に冷静さを取り戻していたのだった。


「…………」


 ここに乗り込むのに一人では厳しかったのか、と少年は深い息を吐きながら思考する。


 そんな時ふと、協力者や仲間がこの場に居れば或いは――と考え始めた己の感情を振り払う様に、彼は(かぶり)を振っていた。


 彼らとはもう分かれたのだ。ともすれば二度と会う事も無いかも知れない。何より、自分が他者を頼るなど以前の自分が見たら失笑する事だろう。


 それに、自分の目的そのものは、究極的には自分の為だけのものでしかない。もっと言えば、それは他人から見ても同様の事が言える訳であり。


「他の奴らの助けなんて……!」


 嘲る様に、鼻を鳴らした。


 同時に、少しは軽くなってきた腰を上げ、大きな伸びを一つ。


 大した時間ではないとは言え、同じ姿勢を取っていたせいで思っていた以上に体の各所は凝っていたらしい。


 窮屈だった姿勢から解放された事で、体は詰まっていた血流が一気に動き出したような心地よさを主張していた。


 同時に思わず欠伸も漏れだすが、そこまで油断は出来ないと途中で噛み殺し、担いでいた筒を構え直す。


「……行くか」


 今度こそ、目的を果たす。


 邪魔するものは、全て殺す。


 その為に自分はここに居るのだから。


 決意を胸に、薄暗い洞窟――迷宮(ラビュリントゥス)の先へと進もうとした時である。





「……?」





 不意に、僅かなら足元が揺れた。


 同時に微かな音も聞こえ、距離とこの揺れの規模を考えれば遠くで何かが起きていると見て間違いは無かった。


「地震? いや……でも」


 それにしては急すぎるし、何より揺れが少ない。ついでに言えば、揺れが断続的に続く。


 普通の地震なら、迷宮(ラビュリントゥス)が幾ら頑丈であるとはいえ地面の中にある以上は地表よりも揺れる筈だし、そう何度も小刻みに揺れない。


 だとすれば考えられる事は一つ、人為的に起きた揺れであろう。


 原因は狩猟者(ウェナトル)か、もしくは妖魎(モンストラ)か。


 否。現状、この迷宮には碌に狩猟者(ウェナトル)は立ち入っていないし、妖魎(モンストラ)も不自然なまでに数が減っている。


 だとすればその犯人は――。


奴ら(・・)絡みと見るのが自然、だよな」


 そう呟きながら、少年――シャリクシュは音のする方へと足を向けていた――。





◆◇◆




 迷宮(ラビュリントゥス)――血の大地(エシュナス・グム)では、最近人が消える。


 それは噂であり、そして実際に被害者が居る事実でもあり、加えて今この場でも実際に起こった事だった。


(コウ)、どこだ!? 冗談のつもりなら早く出て来い!」


「参ったね……影も形もないなんて。まさか(コウ)の姿が真っ先に消えるっていうのも予想外だった」


 先程まで居た筈の精霊――后羿(コウゲイ)が、俺達の前から忽然と姿を消した。


 リュウもそんな事態を想定し得なかったのか、当惑した様子で周囲を見渡している。だが、それも暫くして無駄だと悟ったのだろう。彼は俺達の方を見て言っていた。


「……撤収しよう」


「は!?」


「正気ですか!? それじゃあ后羿(コウゲイ)を置いていくって事に!」


 信じられないと言わんばかりにスヴェンがリュウに詰め寄るものの、彼は視線も逸らさず真っ直ぐに理由を述べる。


「仕方がないだろう。本人が隠れている訳でも無いとなると、何かが起こったとみるのが妥当なんだ」


「ですけど……!」


「それも、(コウ)ほどの精霊の姿一瞬で隠し、加えて僕らにそれを気付かせないだけの罠があるって言う事の危険性を、よく考えた方が良い」


 后羿(コウゲイ)も、リュウも、かなりの手練れである。


 それだけに、彼のその言葉の説得力は相当のものがあった。


 スヴェンも俺も何か言葉を見付けて食い下がろうとするのだが、如何(いかん)せん有効な反論材料が見つかる事は無かった。


「一旦後退しながら(コウ)を探し、外に出よう。幸い、僕の契約精霊である(コウ)の反応はまだ生きて居る」


「だったら尚更すぐに探すべきでは!?」


「大丈夫。すぐにすぐに死ぬような状況には置かれていないし、本人はまだピンピンしているよ」


 契約を交わした者同士、互いの体調と言うか調子については、ある程度分かるらしい。


 問題ない、と彼に強く言い切られてしまえばそれ以上しつこく主張を続ける事も出来なかった。


 しかし、それでも質問は重ねてみる。


「具体的にどこに居るとかは分からないんですか?」


「そう遠くへは言っていないみたいだけれど、近くもないってところかな。迷宮(ラビュリントゥス)は入り組んでいて、地上に居るよりも位置が分かりにくいんだ」


 だから一旦態勢を立て直し、メルクリウスらの協力も仰ぐべきだとリュウは言う。


「向こうも僕らが完全に信頼していない事を察してはいるだろうけれど、神饗(デウス)に関係すると聞いて無視は出来ないだろうしね」


「都合よく利用してる様で、流石に良心が痛みますけど」


「世の中なんてそんなモンだよ。それに、僕はメルクリウスさんやマルスさんを全く信頼していない訳でもない。彼らよりも、それ以外の精霊が裏切る可能性を警戒しているに過ぎないんだから」


 何はともあれ戻ろう、とリュウはもう一度指示を出す。そこまで彼に言われてはもう否と言える筈もなく、俺達は来た道を引き返していくのだった。


 だが、踵を返して(しばら)くした後、不自然な事に気付く。


「……道が、違う?」


 今居る道は通った覚えがない気がして、思わず地図に視線を落とせば図面と目の前の光景がまったく一致していなかった。


 もしや道を間違えたのか、或いは迷ったのか――。


 あり得ないミスを想像して、そして自分の責任と失態の重さを感じて、薄ら寒いものを覚えずにはいられない。


「すみません、俺のせいで……」


「……いや、ラウ君のせいじゃあない。この迷宮(ラビュリントゥス)がおかしいんだ」


「どういう事です?」


 厳しい雰囲気を纏ったリュウは、周囲一帯を見渡しながら何かを後悔するように口元を歪めていた。


 そして彼は、とある一点を指差して言っていたのだ。


「ここは、道が動いているんだ」


「動く? 幾ら何でもそれは……!」


「そうですよ、そんなの聞いた事が無い!」


 余りに荒唐無稽な話を前にして、俺達は一斉に彼の言葉を否定に掛る。


 何故なら、迷宮(ラビュリントゥス)を支配しているのは精霊のなりかけ(・・・・)。それも感情や命を持たない、無機的な存在であるとすれば、そんな意識的な行動をとれるとは思えなかった。


 しかし、リュウはそれでも己の主張を取り下げる事はしない。


 彼は俺が手に持っていた地図を受け取ると、それに視線を落としながら話を続けるのだった。


「……じゃあもしも、意志を持たない迷宮(ラビュリントゥス)の核に意志を持つ者が介入出来たとしたら?」


「そんな事が出来るんですか? 大体、それをやって一体何を目的に……」


神饗(デウス)ならやりかねない。それに迷宮(ラビュリントゥス)の核が元々精霊のなりかけ(・・・・)なら、純粋な精霊がそれを乗っ取るのも出来ないとは言い切れないと思う」


 こっちだ、と言いながらリュウは足早に道を行く。


 俺達はそれに追従して、(はぐ)れない様に進んでいくのだが、不意にリュウが足を止める。


 同時に広げていた地図を懐にしまった彼は、正面を見据えたまま抜刀していたのだった。


 いきなりリュウが臨戦態勢を取った事に誰もが驚いたが、彼の様子を見るにただ事では無さそうだ。


 だから俺達も同様に身構えつつ、リュウへと問う。


「どうしたんです?」


「少し前に言った僕の推理が、最悪の形で的中したのかもしれないって思ってね」


「……それって」


「来るよ。油断しないで……迷宮(ラビュリントゥス)が僕らを殺しに来ているんだから」


 鋭い声でリュウがそれだけ言った瞬間、薄暗い洞窟の向こうからは無数の妖魎(モンストラ)が姿を現すのだった。


 その数は当然だが一体二体ではきかない。それどころか十体、二十体ですらなかった。


「う、後ろからも来てるぞ!?」


「おいおい、マジかよ……」


「凄い数……こんなの凌ぎ切れないよ!」


 シグも、スヴェンも、レメディアも焦りを露わにして前後に視線をやり、厳しい表情を浮かべていた。


 勿論、それは俺も例外では無くて、(ひし)めきながら猛烈な勢いで迫って来る怪物の群れを前に顔を(しか)めていたのである。


「……完全に生態系を無視した群れですね。捕食する側もされる側も、互いに全く興味を示さずに真っ直ぐ俺達を目指して来てますよ」


「ここまで不自然だと、もう語るまでもないかも知れないね」


「どう見ても人為的な何かが働いてる……まさか向こう側から自白してくれるとは思いませんでしたね」


 そんな遣り取りを交わしながら、俺達は迫りくる群れを見据える。


 連中の危険度も、大きさもまちまちだが、その圧倒的数は並の狩猟者(ウェナトル)ならあっという間に押し切られて殺されている事だろう。


 しかし、この場にはリュウが居る。


 そして彼ほどではないにしろ、俺達もまた相応の実力があると自負しているのだ。


「気を引き締めて掛かろう。皆、怪我をしないようにね」


『――了解!』


 不意に、妖魎(モンストラ)の一体が咆哮を上げる中、戦いの火蓋が切られていた。





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