第二話 Deeper Deeper③
◆◇◆
「この迷宮都市が崩壊する、ね……」
「正直どう思う? そんな話が信じられるのかよ?」
「そうは言っても、マルスさんの報告だろ。あの精霊が嘘を吐くとは思えないしな」
ぐび、と瓢箪の酒を煽る后羿に対し、俺は咎める様な視線を向けてそう言っていた。
何故なら今、俺達はハットゥシャの市街地を歩いているのである。
当然人の数は多いし、あまり注意散漫な真似をしていると通行人と衝突しないとも限らない。
そしてここは狩猟者と言う名の荒れくれ者も多いので、面倒事に発展する可能性も他と比べて高い訳である。
しかし、当の后羿は杞憂だとでも言わんばかりに笑っていた。
「俺にそんな心配は無用だ。俺が、何年飲み歩きして来たと思ってんだ? 既に達人、いや仙人の域に達してると言っても過言じゃねえ」
「……あっそ」
河童の川流れみたいな事態にならなければいいが、と思いながら溜息を吐き、もう構わず道を歩いていると、不意に進行方向を複数の影が遮っていた。
一体何事かと思って、視線を彼らに向けてみると、狩猟者然とした格好の男達の視線がこちらを捉えて離さない。
正直、今は関わり合いになりたい連中では無いし、そうでなくともそんな暇はないのだ。
関わらないのが吉として視線と進路を変更しようとするも、それを遮る様に男達は尚も立ち塞がっていた。
こうなってしまえば、いよいよ無視し続ける事も不可能で苛立ちを覚えながら男達を睨み付ける。
「……何か用でも?」
「いや、お前ら見ない顔だなと思ってよ。ハットゥシャは始めてか?」
「まあ、そんなとこ。それじゃ俺達は先を急ぐんで、失礼するよ」
「待てよ。まだ話は終わってねえんだ。そんな急ぐことはねえだろ?」
彼らの数は五人……いや、二十人ほどだろうか。
正面に立ち塞がっているだけではなく、あちこちの建物の影に気配と視線が感じられる。
視界の隅でもそれが視認できる程度には稚拙な隠れ方に、この男達の実力を予想しながら俺は問い返していた。
「じゃあ本題は? 俺達、これから迷宮に潜るんだ。ここで余り時間は食いたくない」
「ああそうかよ。じゃあさっさと済ませるに尽きるか。俺としてもそっちの方が話早くて助かる」
そう言って男の一人が指を差す先には、シグとレメディアが居た。
もはや確認するまでもなく他の男達の視線も彼女達の注がれていて、二人の少女は居心地悪そうに、そして不愉快そうに表情を歪めていたのだった。
「随分な別嬪を連れてるじゃねえか。なあ、俺達にも貸してくれねえ?」
「無理だ。コイツらはそう言う目的で一緒に居る訳じゃない。それがお望みなら娼婦でも買えばいいだろ」
「連れねえこと言うなよ。こんな上玉が早々抱ける訳ねえだろ」
猫なで声だが、視界の端でほんの少しだけ凶器をチラつかせているところを見るに、本人達は脅迫のつもりなのだろう。
だけれど、これまで散々修羅場を潜って来た身としては、その程度では脅しの範疇には入らない。
それは他の面子――スヴェンやリュウ、后羿も同様で、泰然とした態度を崩さずに男達の顔を見ていた。
「何だお前ら、目が見えねえのか? 俺達に逆らうってんなら覚悟あるんだろうな」
「……こんな大通りで喧嘩を吹っかけて、憲兵の目についたら面倒な事になると思うんだけど?」
「馬鹿言え、本当に何も知らねえんだなお前らは!? ここじゃ狩猟者同士の刀傷沙汰は日常茶飯事、この程度でアイツらが首を突っ込んでくる訳ねえだろ!」
残念だったなと男が告げれば、他の者もそれに追従して大笑する。
同時に交渉はこれ以上無駄と悟ったのか、隠れて居た男達もぞろぞろと姿を現して包囲に参加していた。
「あーあ、めんどくさっ」
「ラウ君の口がもっと達者ならこんな事にならずに済んだかもね」
「この口下手野郎」
「じゃあアンタらも何か一言ぐらい言えよ!?」
酒を飲む手を止めて気怠そうに瓢箪へ栓をする后羿と、他人事な態度を崩さないリュウ、純粋な罵倒を寄越すスヴェン。
あんまりな物言いに思わず振り返って怒鳴らずにはいられないが、彼らに反省の色が見られる様子はない。
「全く余計な問題を……やはりラウは駄目だな」
「そうだよ。何のために人間には会話って手段があると思ってるのさ?」
「元凶であるお前ら二人にだけは言われたくないわっ!」
呆れた様に肩を竦める少女二人に、再び声を荒げざるを得ない。
事実、今こうして絡まれているのはこの二人の容姿に目を付けられたからに他ならないのだ。
だというのに、どの口で俺を悪く言えると言うのだろう。後で報復してやろうかとも思ったが、それは後が怖いのでやめておこう。
「最後に言ってやる。大人しくその娘二人を引き渡せば、お前らの身の保証はしてやるよ。ただし、有り金と装備品も全部置いて言って貰うがな」
「……やってる事が完全に賊じゃねえか」
街の中で公然とこのような事が行われているとなれば、この街は一体どうなっているのだろう。
一般市民もいるだろうに、余りにも殺伐とし過ぎていて治安が心配になって来ると言うものである。
おまけに、通行人は現在の状況を遠巻きに眺めるか、或いは足早に立ち去るかして助けや憲兵を呼びに行った気配も見られない。
何とも冷たい話であった。
「助けを待ってるんなら無駄だぜ? さっきも言ったが憲兵はこの程度じゃ出動しねえ。狩猟者同士の諍いや乱闘は俺達だけの問題って認識なんだよ、ここは」
「らしいな。見れば分かる」
「それで、返答はどうする? よく考えてから答えろよ」
「……断る。言っただろ、こっちは暇じゃないんだ。早く退いてくれ」
本日何度目とも知れない溜息を吐きながら拒絶の意を示してやれば、男達は一斉に笑い声を上げる。
まだ十五歳ほどの見た目である俺が拒否した事の何かが面白かったのか、それは周囲一帯に良く響いていた。
「まさかお前、女の前だから良い恰好見せようとしてんのか? 身の程って奴を知らねえと見えるな」
「そうじゃねえよ。……まあ、もう良いや。早く退いてくれ。今日の予定にアンタらとお話するなんてものは無いんだ」
「生意気をッ!」
自分達が相手にされていないと言う事を再度突き付けられて、男達の一人が皺を刻みながら拳を振り上げる。
それは意表を衝いたつもりであったのだろうが、戦い慣れた身からすれば緩慢そのもの。隙だらけで狙いも分かり切ったそれが、直撃する筈もなかった。
あっさりとそれを躱し、男の拳が空を切って蹈鞴を踏む。
「このガキ……!」
「こんな所で俺達に構ってないで、迷宮潜って金稼げよ。そうすれば娼婦だって買えるくらいには収入もあるだろ?」
「うるせえ! ガキの分際で知った様な口を!」
掛かれ、とリーダー格らしい男の号令がなされれば、同時に男達が全方位から一斉に躍り掛かって来る。
とは言え、彼らも流石に刀傷沙汰にはしたくないのか、刃物の類は結局抜いていない。
その辺りの良識がある事にホッとしながら、俺達もまた身一つで彼らに応戦するのだった。
しかし、彼らの練度はやはりそれほど高くなくて、簡単に一人また一人と戦闘不能に追い込んでいく。
因みにスヴェンやシグ、レメディアについては肉弾戦が不得手なのもあって、怪我をさせない程度に加減した魔法で応戦している。
「コイツら……何なんだよ!?」
「強い!? しかも魔導士が三人も居るとか、反則じゃねえか!」
「彼我の戦力も良く考えないで、喧嘩を吹っかけるからだよ」
瞬く間に四分の一が戦闘不能に追い込まれたのを見て、それだけで男達の士気が削がれ、浮足立ち始める。
だが、それでもまだ総崩れには至らず、リュウは駄目押しと言わんばかりに男達を薙ぎ倒していく。
中には逃げようと踵を返す者も散見されたが、逃げ切る前に投げ飛ばされた仲間の下敷きとなって気絶していた。
「何だ……何なんだ、お前ら!?」
「旅人だ。それと、少し訊きたい事がある。嘘偽りなく話してくれ。良いな?」
「……わ、分かった」
結局、五人ほど取り逃がした以外は全て気絶か行動不能に追い込み、戦意を喪失して降伏した者だけで十人に上っていた。
彼らも先程までの威勢の良さは霧散し、こちらの一挙手一投足に面白いくらい体を跳ねさせ、怯えていたのだった。
集まっていた野次馬も、ここまで一方的に勝負が着くとは想定してしなかったのか、誰もがポカンとした顔を晒していて、或いは近くに居たものと驚きを共有していた。
もっとも、俺はそれを多少は誇らしいと思ったとして、寧ろ余計な時間を食った事で苛立ちの方が勝っていたのであった。
「迷宮に纏わる噂話について、知ってる事を全部だ。こっちが十分だと思ったら解放してやる」
「ほ、本当か!?」
「ああ。ただし早い者順とする。助かりたかったら出来るだけの事を話すんだな」
「……中々嫌らしい精神的な追い詰め方だね?」
「誉め言葉として受け取っておきますよ」
一筋の光明を見出したのか、口々に語り始める男達を前に、リュウは口元を緩ませ苦笑の形を取っていた。
他の仲間も大なり小なりそんな反応を見せていて、少し居心地が悪くなった俺は、誤魔化す様に咳ばらいを一つして男達に言っていた。
「落ち着け、仮に話したとしても、俺達に聞こえなくちゃ意味がないんだ。もう良い……そこのアンタ、ちょっと話してみろ」
「あ、ああ……けど何から話せばいい?」
「ならまず、迷宮内で人が消える件について。何か知ってる事は?」
「……それなら、ある。と言うか、俺達全員、その噂って奴のせいで迷宮に潜れないんだ」
「それは……どういうこと?」
俯き、拳を震わせる男達の様子が変なことに、リュウも気付いたのだろう。怪訝そうな調子で彼は男達に訊ねていた。
すると、問われた男は俯いたまま、聞き捨てならない言葉を口にするのだった。
「俺達全員、仲間が迷宮内で忽然と姿を消したんだ。それも……ほんの一瞬で」
どうしてそんなことが起きたのか、全く分からないと呟きながら男は震えていた。
しかし、旅や冒険の途中で仲間が失踪してしまうのは危険な職業であれば起こり得る事である。
だから男がそこまで怯える理由が分からなくて、俺達は誰もが顔を見合わせ、首を傾げた。
「それは、何か強い妖魎が出現したとかでも無いと?」
「ああ。とにかく、迷宮内で目を離せば仲間が消える! あれは絶対に妖魎の仕業なんかじゃない! もっと別の、ヤバい何かだ!」
「まあまあ落ち着けって。何はともあれ、仲間が一人消えたくらいでどうして迷宮に潜れなくなる? 狩猟者なんて、仲間が死ぬのも織り込み済みでなくちゃやってけないだろ?」
「そうだけど、そうじゃないんだ!」
理解出来ない、と言わんばかりに宥めるような調子で后羿が声を掛けるが、しかしそれは寧ろ逆効果だったらしい。
出し抜けに大声を出して顔を持ち上げた男は、その眦に恐怖のせいか涙を浮かべている。
「一人じゃない! 一人じゃねえんだよ! ここに居る奴らもそうだ! 元々俺達は、それぞれ五人一組ぐらいで迷宮に潜ってたんだ!」
「おい、それってまさか……」
「お前らに分かるか!? 勝手知ってる筈の馴染みの迷宮で、自分の仲間が一人また一人と消えていく恐怖が! そしてたった一人、命辛々脱出した俺の気持ちが!?」
一日で、たった数時間で、仲間は自分以外姿を消したと、男は告げる。
他の者もそれと似たようなものなのだろう。己の肩を抱き、震えて居る者すら見受けられる始末だった。
「あの時の迷宮は、何かがおかしかった。どういう訳か鳥肌が止まらなかった……それ以来、あの恐怖が蘇る気がして、俺はもう迷宮に潜れないんだ……!」
「なるほど、ここに居るのはそう言った奴らの集まりって訳ね。どうやら迷宮ってのは思っていた以上にヤバい所らしいな」
「……勿論、全部が全部って訳じゃない。けどもう、俺は迷宮ってだけで入るのが怖くて仕方ない……俺自身も、いずれこの世界から姿を消しちまうんじゃないかって……」
震え、泣き出してしまった男を見下ろし、しかし無理に話を聞き出そうと言う気にはなれなかった。
心情を慮ってと言う事もあったが、仮に無理に聞き出そうとして、会話が成立するとも考えにくかったのである。
何はともあれ男が落ち着くのを待ってから、件の迷宮の位置を聞き出し、俺達はそこへと向かうのだった。
「お前ら、本気で行くつもりなのかよ……?」
「そのつもりだ。ちょっと探している奴が居るんでね」
足取りや会話からこちらの狙いを察したらしい男が信じられないと言った表情で訊ねて来るが、今更目的を変える気にはなれなかった。
何より、話を聞くに仲間が迷宮内で姿を消す様になったのは最近の事であるらしい。つまり、時系列的に神饗が活発に動き出したという事かもしれないのだ。
それに、男達が仲間を失ったと主張するその迷宮は、マルスが情報を齎してくれた場所と同じところである。
これが偶然であるとは到底思えなかった。
何より、マルスが宿屋に持って帰ってきた情報は、聞き捨てならない上に、放置できるものではない。
――ひとつの迷宮が、人為的に近隣の迷宮を吸収している痕跡が見られる。
こんな事を言われては、幾ら危険などと言われた所で行かない訳にはいかないでは無いか。
これら一連の話が神饗と無関係なのか否か。
いや、メルクリウスの情報網が齎してくれたものを考えれば、十中八九関与していると見て良い。
しかし、確認の為にも実際にこの目で見る事は必要なのだ。
あわよくば、その尻尾を掴んで主人も引き摺り出してしまいたい。
「本当の、本当に潜るのか……あそこに?」
「諄い。何度もそう言ってるだろ?」
「な、なら頼みがある!」
「……は?」
いきなり話の流れが変わった事を感じ取って、俺は思わず間抜けな声を出していた。
恐らく、顔も意表を衝かれて間抜けなものを晒していた事だろう。
だが、男はそちらに構う様子はなく、ただ真っ直ぐ俺達を見て言っていた。
「出来たら、消えてしまった俺達の仲間も探して欲しいんだ。虫の良い事を言ってるのは分かってる。でも、アイツらは俺の仲間だったんだ! 死んでるにしろ生きてるにしろ、アイツらの事が気掛かりで仕方ないんだよ! だから……」
「本当に虫の良い事を……」
呆れた様な后羿の呟きが聞こえたが、それだけだ。
見っとも無く懇願し、哀願し、情けなく涙すら流している男達の姿を見て、これ以上悪く言うのは気持ちが良くないのだろう。
后羿は舌打ちを一つした後、誤魔化す様に瓢箪の酒へと口を付けていた。
「で、どうするんだラウ?」
「いや、俺に訊かれても……リュウさんどうします?」
「まあ良いんじゃないかな? ついでに探すくらいならね。ただ、期待はしないで貰えると助かるけど」
シグから判断について訊ねられ、窮してリュウに水を向ければ、彼は腕を組みながらそう言っていた。
だが、それだけでも男達からすれば有難い事なのだろう。男達は顔を上げ、リュウに向かって感謝の言葉を口々に発していたのだった。
「……な、何なんだ、この人達は?」
「さあ? 色々と落差が激しいと言うか」
最初は明らかにチンピラの顔をしてからんで来たと言うのに、今や泣きながら頭を下げ、感謝の言葉すら述べている始末。
徹頭徹尾、意味が分からない光景であった。
「お、俺達だって、本当ならこんな事をしないで真っ当に金も稼ぎたいさ。けど、この辺じゃ仲間を失ってあぶれた狩猟者に碌な仕事はねえし……」
「路銀も無いんじゃ故郷にも帰れねえんだ。それで仕方なく……」
「仕事を探せばもっと他に手はあっただろうに、まあいいや。それじゃあ僕らはこの辺で失礼するよ。今後、他者から物を巻き上げるような真似は慎んでね」
このまま俺達に話を任せていては動くに動けないのと判断したのか、リュウはそう言って話を終わらせる。
「それにしても、神饗はこんな所で何をやろうとしているんだ……?」
「どうせ碌でもない事ですよ。これまでだって、散々命を弄んでた連中なんですから」
人と妖魎を無理矢理縫い合わせたような、歪な生物はこれまで何度も見て来た。
あんな事が出来るのだから、もしも本当に根気の剣も彼らが絡んでいたら、忽然と姿を消したとされる狩猟者達もきっと碌な目にはあっていないだろう。
「出来れば見つけてあげたいけれど、仮に見つけたとしても知らせるべきか悩ましいや」
「あれ、リュウさんはあの人達に同情でもしたんですか?」
「別にそういう訳じゃ無いよ。見つからないよりは見つかった方が良いと思うのは、至って普通の事じゃあないかな?」
「……確かにそうなんですけどね」
誰であれ、辛気臭い面や昏い表情を好んで見たいと思うのは少数派である。
だから、仮にあの狩猟者達の望み通り失踪した仲間を発見したとしても、知らせるべきか迷う。
幾ら本人達はそれを望んだとしても、どうせ碌な死に方も出来なかった仲間の遺骸を前に笑顔で居られる筈も無いのだから。
きっと暗い表情で、下手をすればこちらを悪し様に罵ってくるかもしれない。
それを好んで見たいと思うのは、やはり極度に悪趣味な者でなければあり得ないだろう。
「ラウ君、そんなに深く考え込まなくても良いんだよ。結局僕らには時間を止めたり、逆行することは不可能なんだ。僕らの手が届かない事についてとやかく言われる筋合いは無いのだから、そんな事を考えるだけ無駄だよ」
「俺が悩む様な事を、リュウさんが先に行ったからでしょ」
「あれ、そうだっけ?」
冗談めかして肩を竦めるリュウの態度に、真剣に悩んでいた自分が馬鹿馬鹿しくなって、長い息を吐き出す。
その時になって、どうやら気付かぬうちに自分の肩に力が籠っていた事を自覚して、リュウの方を見遣った。
だが、彼は何も言わずに微笑んだだけで、それ以上口を開く事はしなかったのである。
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