第二話 Deeper Deeper②
◆◇◆
「……それで、どうでしたか?」
「ええ。私どもが先行して置いて正解でした。最初に掴んだ情報通り、ここには間違いなく神饗の拠点があります」
「そうですか。主人の消息は?」
「そちらは杳として知れません。ですが、この都市内にあるであろう拠点は相当の規模を持っている様です。潰されれば主人とて黙っては居られないでしょう」
水の代わりに宿の店主が出してくれたのは、麦酒。
店名の通り、余程店主は酒が好きなのだろう。飲んでも飲んでも新たにやって来るのは麦酒だった。
正直水が飲みたかった身としては辟易とするが、ニコニコしながら丁寧に配膳してくれる店主に文句を言いづらい。
皆、仕方なくそれをちびちびと飲むのだった。
尚、例外として后羿だけは歓声を上げて酒を飲みまくっていたが、あれが特殊なだけである。
「順を追って説明しましょう。先行してあなた方より二週間ほど早く着いた私達は、さっそく神饗の構成員を一人確保しました」
「……早いですね。その人は今どこに?」
「生憎、完全に拘束する前に自決されてしまい、情報は碌に得られませんでした。ただ、この件をきっかけにハットゥシャを隅から隅まで調べてみた結果、先程も言った通り神饗の拠点がある事は間違いありません」
出された酒には一切口を付けず、リュウとメルクリウスは言葉を交わす。
その空気は真剣そのもので、だからこそ一人で「酒が美味い」と騒がしい后羿に俺達は無言の圧力を掛ける。
すると流石に彼も空気を呼んだのか、不満そうな顔をしながらも黙って酒を飲んでいた。
「それと、恐らく神饗に関係すると思われる噂話も幾つか押さえています」
「噂話、ですか」
「はい。ただ、ハットゥシャ市街に纏わると言うより、迷宮についての噂ですね。主に狩猟者の間で広まっている様です」
そう言ってメルクリウスが語り始めたのは、迷宮内で起こると言う怪異や得体の知れないものについての噂話だった。
「特に神饗との関連が疑われるのは、継ぎ接ぎだらけの妖魎に関する話でしょう。それを目にした者は殆どが殺されると専らの噂ですから」
「それはまた……実際に確認は出来ましたか?」
「残念ながら、私も噂の迷宮に入って確認してみましたが、遭遇する事は叶いませんでした」
瞑目し、首を横に振る彼の姿を見るに、本当に何一つ情報や手掛かりを得る事は出来なかったのだろう。
手練れの精霊であるメルクリウスらを以てしても情報が手に入らないとするなら、恐らく自分達が闇雲に探したところで見つかるとも思えなかった。
「他の噂話ですと、“迷宮内で仲間が消える”そうです。襲撃も何も無い筈なのに、目を離した隙に一人、また一人と消えていく。しかし、これはどちらかというと怪談の類ですかね」
「……噂話だけでは何とも言えません。他にもまだまだあるのでしょう?」
「ええ、長くなりますが……少し待って貰えませんか? 今マルス達を迷宮に派遣して、再度調査させています」
「だから貴方以外にこの宿屋には誰も居ないんですか。なるほど、皆さん熱心な事ですね」
「褒めて頂くのは悪い気もしませんが……それ程でもありませんよ」
少し、バツが悪そうにメルクリウスは愛想笑いを浮かべ、そして後頭部を掻く。
その態度には何か理由がありそうだと、真意を伺おうとした時だった。
「うーい、今戻ったぞぉー?」
不意に宿の扉が開け放たれ、そこから金髪金眼の偉丈夫がぬっと中へ入って来る。
その手には酒が入っていると思わしき容器が握られ、顔も既に赤い。明らかに酔っ払いであった。
と言うかこの男――いや精霊は、俺達にとって顔見知りである。
「……おいユピテル。お前何してんだ?」
「何って、そんなの酒飲んでたのに決まってんだろォー? 他に何があるってんだぁ?」
「他の奴らは今お前が呑気に酒飲んでる間も働いてるんだ。少しは申し訳ないとか思えっての」
気付けば、いつになく怖い表情と口調になったメルクリウスが、そのベロンベロンになった酔っ払いを冷たく睨んでいた。
そこには親しみやすさなど微塵も感じられず、ただ凍り付くような寒気が背中を撫でるのみ。
しかし、それを真正面から向けられている筈の酔っ払い精霊――ユピテルは、平然としていた。
「これが酒を飲まずに居られるかぁー? サトゥルヌスの奴、俺達を裏切りやがって……その挙句俺に濡れ衣まで着せようとして来たんだぞ!? ふざけんじゃねえ!」
「自棄酒なら余所でやれ。と言うかそんなになるならどうして俺達について来た? 大人しくタルクイニ市で酔い潰れてろよ」
「はあ!? そんなの出来る訳ねえだろぉ!? 俺はアイツの顔面を一発殴らねえと気が済まねえんだッ!」
「そう思うなら酒飲んでないで手伝ってくれると有難いし、身内の恥を晒さずに済むんだがな」
店主、酒だぁー! と懲りずにまた酒を飲もうとする精霊に、メルクリウスは処置なしという様に溜息を吐いていた。
そしてその光景を、何とも言えない気分で俺達が眺めて居る事に気付いてか、彼は取り繕う様に咳ばらいを一つ。
「……見苦しいところをお見せしました。あの馬鹿には私の方からきつく言い含めておきますので」
「お、お構いなく。苦労してるんですね」
「それなりには。特にサトゥルヌスが裏切り者だと分かってからは色々大変でしたよ。ユピテルも、あれで以前よりは回復して来たんです」
最初は酷い落ち込み様でした、とメルクリウスは語る。
「古い付き合いのある者同士、片方に裏切られた時には心に響くものは相当なものがありますからね」
「他の方も大なり小なりあんな感じだったんですか」
「そうですね。斯く言う私自身、信じられない気持ちで一杯でした。まさかサトゥルヌスが、って」
気付けば、后羿も黙ってメルクリウスの方を見て酒を飲んでいた。それでも酒飲みを止めない辺り彼らしいが、その目はどことなく真剣味を帯びていたのだった。
「なあ、聞かせてくれ。一応確認しておきたいんだが、アンタらはかつての仲間を討つ覚悟はあんの?」
「……あります。そうでなければここまで来ません。事の次第では、相討ちも辞さない」
「ふーん、けどそれはお前の意志だ。他の精霊がどうかまでは分からねえ」
「そちらについても問題ない、と私は断言します」
ぐび、と酒を煽りながら横柄な態度で后羿はメルクリウスを見据えていた。その柄の悪さにリュウが窘めるべく口を開こうとして、手で制される。
「良いんですよ。后羿さんの問いは至極当然です。私達とこうして協力関係にある以上、認識に齟齬があれば後々大きな禍根となり兼ねません」
「良く分かってるじゃねえの。そんじゃ、お前らは全会一致で神饗を、主人を討つ気があるって事で良いんだな?」
「ええ。誓っても構いません。既にサトゥルヌスらは多くの人を殺し過ぎた。多くの命を弄んで来た。その対価を、彼は支払わなくてはならない」
「……その通りだ」
不意に、ユピテルが同調の声を上げる。
先程までの酔っ払いの口調とは打って変わって、はっきりとした言葉で、そしてはっきりとした目でこちらを捉えていた。
「本音を言うなら旧友を討ちたくはない。が、こうなってしまった以上はもう退けない。やるしかねえんだ。同じ精霊として、アイツの行動を看過出来やしない」
「そうかいそうかい、その言葉が聞けて安心したぞ。ならこちらも全力でお前らの事をアテにさせて貰う。頼んだぞ」
笑みを浮かべながら、后羿はユピテルの下へと近付いていく。その両手には、酒がなみなみと注がれたコップを持って、である。
「飲むぞー!」
「おー!」
「……さっきまでの真剣な空気は何だったんだ?」
「酔っ払いの考えなんて誰にも分からないんじゃ無いですかね」
気付けば完全に二柱だけで宴会が始まっているのを見て、リュウ呆れた様子で呟き、そして俺も苦笑する事しか出来ないのだった。
それはメルクリウスも同じなのか、困った笑みを貼り付けつつ、話を本筋に戻すべく口を開いた。
「ま、あっちは放っておくとして話を戻しましょう。このハットゥシャで出回っている噂の件について、諸々マルスたちに調査させて、恐らくそろそろ戻ってくる頃だと思うので……」
そこまで彼が放した丁度その時、出し抜けに宿の扉が開かれる。
また新たな来客かと俺もつられてそちらに視線を向ければ、果たしてそこには件のマルスたち精霊が立っていたのだった。
それを認めて、メルクリウスは彼らに向けて訊ねていた。
「おやマルス、丁度良いところに。それで調査結果はどうでしたか?」
「上々だ」
訊かれるがまま、そう言ってマルスは無表情のまま平坦な声の調子で答えていた。
皆、それだけで何かしら大きな手掛かりを掴んだことは間違いないと察し、誰もが表情を引き締める中、彼は更に言葉を続ける。
ただしそれはどこか余裕が無くて、焦っている様にも感じられるものだった。
「……急がないと、この都市一帯が壊滅するかもしれない」
◆◇◆
「……ここじゃない。くそ、どこだイッシュ?」
やや薄暗い洞窟――いや、鉱山に掘られたような穴の中を、一人の少年は歩いていた。
まるで照明のように、あちこちから飛び出した鉱石の結晶体が辺りを照らしてくれているお陰で、視界は悪くない。
だから、迫って来る四足歩行の影を視認するのにもそれ程時間は掛からなかった。
「……邪魔だ」
人差し指を、動かすだけ。
たったそれだけで洞窟内に大きな音が響き渡り、少し長い筒から発射された小さな金属の塊が命を穿つ。
一瞬で頭蓋に風穴を開けられ、断末魔の悲鳴を上げる事すら許されずに妖魎が力尽きていた。
しかし、少年はそれにはもう一瞥もくれずに先へと進む。
「殺す……アイツらは必ず、殺す! その上でイッシュを……!」
自然と、少年はその筒の持ち手を強く握りしめていた。
それは己の不覚や不甲斐なさを嘆き、同時に決意の強さを表している様でもあった。
そんな彼が、不意に足を止める。
「……何だ、これは?」
視線を上げた彼の先にあったのは、巨大な門扉。
その装飾から察するに、自然に出来たものとは思えないし、人為的に設置した以外にはあり得ない代物であった。
だが仮に人為的であったとしても、それはそれでまた、あり得ないものでもある。
何故なら迷宮とは生きて居るのだ。
幾ら人工物を設置したり壁を加工しようとも、時間が経ってしまえば迷宮はそれらを吸収分解してしまうし、修復してしまう。
だから、こんな門扉が設置出来る筈無いのである。
「どうなってるんだ?」
周囲に人影はない。
見張りなども居ないとなれば、この特殊な加工が施されていると思わしき扉の向こうには一体何があるのだろう。
いっその事、入って見ようか――と思った時、ふと扉がほんの少しだけ動いた。
少年は咄嗟に物陰へ隠れて様子を窺うのだが、そこから現れた人物を見て驚き、そして笑った。
「……あいつは」
扉から出てきた狼人族の人物には見覚えがある。それはつまり、ここが自分の予想通りの場所であったと言う事であり――。
「見つけたぞ」
「奇遇だな。それは私も同じだ」
「ッ!?」
不意に背後から聞こえて来た声に、少年は反射的に横へ跳んでいた。
直後、先程まで身を潜めていた空間そのものが、削り取られる。
「躱したか……流石は有名な殺し屋の“視殺”。一筋縄ではいかんな」
「だが、俺達二人を相手にして、どこまで持つのか見ものだぜ」
「……最初から気付いていたのか、俺に」
前後から挟み撃ちにされた格好となった彼は、二人の男を交互に見遣る。
一人は狼人族の大柄な男。もう一人は少し血色の悪い長身痩躯の男。
どちらも、少年は以前から知っていた。当然向こうも、こちらの事を知っている。
「お前ら確か、エクバソスとペイラスとか言ってたな。わざわざ俺に殺されに来たのか?」
「へっ、大口叩いてんじゃねえよ。殺されに来たのはお前の方だろうが」
「そう言う事だ、逃げられると思うなよ視殺……いやシャリクシュだったか?」
「…………!」
じり、じりと包囲の幅が狭まって行くのを、少年――シャリクシュは素早く察していた。
同時にこのまま行けば確実に自分に勝ち目が無い事も、見抜いていた。
もっとも、このままの状況を許す程、シャリクシュは無能無策な訳でも無いのだが。
「生憎、俺はお前らに構ってやれるほど暇じゃない。どうしてもと言うのなら……殺すまでだ」
「……あ?」
怪訝な顔を見せる狼顔の男――エクバソスに、彼は腰に装備していた球体を投げ込む。
同時にシャリクシュが身を屈めたのを見て、エクバソスは投げ込まれたそれが危険なものであると判断したらしい。
「小癪なガキが……!」
彼が眉間に皺を刻み、吐き捨てるように呟いたその瞬間。
洞窟内に、鼓膜を貫かんばかりの轟音が響き渡るのだった――。
◆◇◆




