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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第八章 トメルスベナク
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第二話 Deeper Deeper①



「……で、本当に良かったのか?」


「何が?」


「タルクイニ市を出る時、あんな素っ気ない挨拶で」


「ああ。別にまだ死ぬ気も無いし、あれくらいで良いんだよ。ロサさんやクィントゥス、ガイウスさん達にはまた会うつもりだし」


 空が繋がっている様に、道もまたどこかで繋がっている。余程派手に方向を間違わない限り、もう二度と会えなくなるような事は無いだろう。


 何より、ここに来るまでの道のりは十分に頭の中に叩き込んであるのだ。手元にある地図さえ頼りにすれば、迷わずにあの街へ帰る事も出来る。


「随分サッパリしてんな」


「まだ死ぬ気はないって意思表示の表れだと思ってくれ」


 どこか気遣う様な気配を見せるスヴェンに微笑で返してやりながら、俺は道を行く。


 だが、それに対して今度は緑髪の少女がこちらの顔を覗き込む様に声を掛けて来るのだった。


「……良かった。またちゃんとあの街に戻って来てくれるんだね」


「当たり前だ。世話になった人に対してそこまで恩知らずな態度で居られる訳ないだろ。ちびっこ共だって預かって貰ってる訳だし」


 ふと、脳裏に浮かべるのはグラヌム村で一緒に生活して居た数人の年端(としは)も行かぬ子供達。


 今回タルクイニ市のミヌキウス宅に宿泊して居た際には一度も顔を合わせる事は無かったけれど、きっと以前会った時より誰も彼も成長している事だろう。


 彼らには以前にタルクイニ市へ寄った際に裏切られ、そして罵声すら浴びせられはしたものの、俺からすれば結局苦楽を共にして来た者達なのだ。


 彼らがまだまだ幼い事もあって、どうしても自分から非情になる事が出来なかったし、健やかな成長を願わずにはいられない。


 そのような事をレメディアに言ってやれば、彼女は様々な感情が複雑に混ざった様な笑みを浮かべていた。


「ラウってやっぱり大人だね。私がラウだったら、そこまであの子達の事を考える事なんて出来ないよ」


「大袈裟な。そういうの、レメディアの方がよっぽど優しいだろ」


「……そんな事ない。私なんかよりラウの方がかなり凄いし、だから私はラウが――ヘぶッ!?」


 俺が、何だと言うのだろう。


 いつになく真剣で、そして至近距離に顔を近付けながら話すレメディアの言葉の続きを待っていたのだが、気付けば彼女は派手に転倒していた。


 しかし、当たりは小高い丘が連なる草原であり、そこを通る街道は決して劣悪とは言えない足場である。


 だからどうしてレメディアが派手に転倒し、今も俯せに倒れているのか、理解出来ないでいると――。


「……なにこれ」


「氷だな。つるつるに凍ってやがる」


 どういう訳か、彼女の足元だけが不自然に凍結していたのである。


 当然、今は冬では無い。それどころか照り付ける太陽からでも分かる通り夏も良いところである。


 真逆の季節なのに、こんな冷たい物質が自然に生じる筈もなくて。


「ああ、済まないレメディア。手が滑った」


「シグ……お前な」


 特に悪びれる様子もなく、しれっとした顔で謝罪の言葉を口にするのは、天色の髪をした少女――シグルティアだ。


 彼女は口ではわざとでは無いと主張しているものの、正直手が滑った程度で魔法は誤発動しない代物なのだ。


 誰がどう見たところで、真っ赤な嘘なのは明白だった。


「シグちゃん、どういうつもり!?」


「どうもこうもない、今のは不幸な事故だ。ところでレメディア、今さっき何を言おうとした?」


「露骨に話を逸らさないで!」


 がば、と跳ね起きたレメディアは、当然シグに掴み掛らんばかりの勢いで詰問していたが、本人は涼しい顔を崩さない。


 その凛とした表情のままに、再度同じ言葉を繰り返すだけだった。


「手が滑ったんだ。わざとじゃない。許してくれ」


「そんな言い訳が本気で通じると思ってるの!?」


「なら訊くが、私がわざとやったという証拠でもあるのか?」


「そんなの立証するまでもないでしょ!?」


 何度も言うが、魔法は誤作動を起こす様なものではない。勿論、緻密な魔力操作が必要とされるものも存在するが、路面をピンポイントで凍結させる程度の魔法をどうやって誤作動させると言うのか。


 シグが故意に行った事は、もう誰の目にも明白であったのだが、誰もそれを指摘する事はしない。


「景色を眺めながら旅をするのも飽きるからね。こう言う見世物があると気が紛れるよ」


「だな」


「……いや、これは見世物じゃないんですけどね」


 ぎゃんぎゃん言い合っている二人の喧嘩を見ながらリュウは口端を緩め、后羿(コウゲイ)は愉快そうに瓢箪(ひょうたん)の酒を煽る。


 どうやら彼らに喧嘩を止めると言う選択肢は無いらしい。


 ならば自分の力で彼女たちを制止するしかないのだが、怖くてそれも出来そうになかった。


 試しにスヴェンへ頼んでみても、彼もまた同じことを考えているのか、絶対に首を縦に振る事をしない。


 下手に口を突っ込んで大怪我をしたくは無いのだから当然と言えば当然だが、このままでは一体いつまで喧嘩が続く事か。


 道中、ことある(ごと)に勃発している(いさか)いを見遣りながら、遠い目をせずにはいられなかった。


「こういう時、タグウィオスのおっさんかラドルスの奴でも居てくれれば……」


「居ないもんは仕方ねえよ。諦めろ」


 残念ながら、今のこの旅の面子の中にあの二人は居ない。


 以前、ミヌキウス家の床を三階分ほど壊した事による弁償の為に、タルクイニ市に留まって働いているのだ。


 正確に言うなら犯人はシグとレメディアなのだが、危険な場所に自ら突っ込んで行ったタグウィオスとラドルスが悪いと言う事で、弁償の責は彼ら二人が負う事となった。


 煩いのが二人消えたのでまあ良いかと思っていたのだが、彼らが消えた事によってこんな弊害が生じてしまうとは想定外だった。


「ま、あの二人が居たとしても、確実にどうにかなったとは断言できないんだけどな」


(むし)ろ余計にうるさくなるかもしれねえな」


 実際、あの二人は東帝国の第三皇女であったシグの配下であり、そして側近でありながら彼女を止める事が出来ていない。


 タルクイニ市でミヌキウス家の床を破壊しているのがいい例だ。しっかり彼女の手綱を握れていれば、あんな事態になる事はまず間違いなくあり得ない。


「何はともあれ、あの二人を止めるのは本来お前の仕事だ。任せたぞ」


「……何で俺? おい(ずる)いぞスヴェン!?」


「あーあー、聞こえませーん」


 しらばっくれる様に耳を塞ぎ、文字通り聞く耳を持たない靈儿(アルヴ)の少年に無駄と知りながらも抗議の声を上げる。


 だが案の定それは全く意味をなさなくて、俺は力無く肩を落とすのだった。


 それもそうだろう、一体どうやってあの二人の喧嘩を止めれば良いと言うのか。下手に割り込んだって碌な結果にならないのは目に見えて居るのだ。


 だから結局、彼女達の喧嘩が過ぎ去るのを待つしかない。まるで台風や地震のような天災と見做す(ほか)に無いのであった。


 しかも天災であるので、場合によっては無関係なのにとばっちりすら受ける事もある。なのでこうした喧嘩が発生した時は、なるべく目立たない様にして縮こまる以外に選択肢が無かった。


 ――と、言っているそばから。


「ラウからもシグちゃんに何か言ってあげてよ!」


「ここで他人を巻き込むとか恥ずかしくないのか? 胸が下品だと心も下品なんだな」


「へえ、シグちゃん私に嫉妬してるんだ?」


「ふざけるな。ラウだってお前の体は下品だと言っていたぞ。何だそのデカい二つの肉の塊は?」


「……なっ!?」


 いいえ、そんな事は言っていません。


 やや頬を赤く染めたレメディアがいきなり俺を睨み付けて来るのが、感覚で分かる。


 同時にシグからも殺気に似た何かが向けられる気がするが、巻き込まれない為に絶対顔を上げないしそちらを見ない。


 不味い不味い不味い不味い不味い。


 何とかしなくては。このままではいずれ限界が来る。誤魔化しが利かなくなる。そうなればまた俺が巻き込まれて悲惨な目を見る事になるのだ。


 しかし、どうにかしようにも、どうしようもない。


 ジリジリと追い込まれていく感覚に顔が引き攣るが、そんな時になって視界の端で何かが映り込む。


 それが一体何なのかと思って恐る恐る注意を向ければ、どうやらそれは人工物のようであった。


 同時に思考が光明を見出したように動き出し、そして俺は地図を広げた。


 そして自分達の位置を照らし合わせて、確信を胸に彼女達へ言ってやるのだ。


「そんな事よりさ、着いたぞ! ハットゥシャだ」


「え?」


「もうそんな場所だったか。確かに今日中には着くと聞いていたが」


 指差す先に僅かながら見えるのは、やや傾斜が特徴的である巨大な城壁。そして、そこから少し離れた場所にあるいくつかの山々だった。


 街の数カ所からは煙突が煙を吐き出し、城壁の外にも広がる街並みはその辺の街を圧倒する規模を誇っていた。


「デカい……!」


「これが、剛儿(ドウェルグ)の国都……初めて見たな」


 その威容に先程まで喧嘩中だった筈のレメディアとシグも驚きも露わにそちらを見遣っている。


 彼女達の様子を見るにどうやら危地を脱する事が出来たらしいと察し、人知れず安堵の溜息を吐いていると、不意に肩へ手が乗せられる。


「……今更何だよ?」


「いや、上手く切り抜けたなって。運が良かったじゃねえか」


「誰のせいだと思ってんだ。友達を見捨てるこの外道めが」


「おいおい、随分な言い様じゃねえの。これでも心配してたんだぞ?」


 困ったなと言う様に肩を竦め、苦笑するスヴェン。


 しかし俺は知っている。口ではこう言いながら、この男が人の窮地を面白がっていたと言う事を。


 旅の疲れもあるので、今はともかく後でシメてやろうと決意しながら、改めてハットゥシャに視線を向ける。


 鉱山都市、迷宮都市、鉄鋼都市と様々な呼び名を持つこの都市は、なるほど確かに有名なだけの規模があった。


「……ここに、居るんだな」


「ああ。メルクリウスさんの仕入れた情報が嘘じゃ無いならな」


 神饗(デウス)。そして主人(ドミヌス)


 因縁浅からぬ、それこそ仇敵とすら言って良い者達の顔を思い浮かべ、そして都市を睨みながら、俺達は真っ直ぐにハットゥシャの城門へと向かうのだった。








 ラバルナ朝ハッティ王国。


 アナトリコン半島のやや内陸部に位置する、言わずと知れた剛儿(ドウェルグ)の国家である。


 その(おこ)りは古く、最初期の王国はラウィニウム帝国がまだ一都市国家でしかなかった時よりも以前から存在し、そしてその技術力の高さから強国としての地位を持っていた。


 それから千年を優に超える月日が過ぎて今日まで生き残って来た訳だが、国家として断絶が無かった訳では無い。


 幾ら強国であったとしても栄枯盛衰は世の常なのだ。近隣の国に侵略し、侵略されを繰り返し、時には傀儡国家に、時には他国の属州の一つになった事さえあった。


 手工業に長け、製鉄技術にも特有の目を(みは)るものを持ち合わせ、その地理的優位性からも元々狙われやすい場所にあった以上、それは宿命と言えた。


 しかしそれでも尚、剛儿(ドウェルグ)は離散せずこの地に留まり続け、自分達のアイデアンティティを保ち続けた。


 その結果、今から二百年近く前に起こったラウィニウム帝国の内乱と東西分裂に乗じて、ハッティ王国は独立を回復した。


 それ以来、旧領を奪還すべく派遣される東ラウィニウム帝国の侵攻を、何度となく退けて独立を保ち続けて来たのがこの国である。


「活気が凄い……ビュザンティオンやウィンドボナより人口が多いとは言えないのに」


「そりゃそうだ。ここは鉄と冒険の街、ハットゥシャだぞ。近隣の鉱山や輸入される鉱石を鍛冶屋が加工し、それを狩猟者(ウェナトル)が購入して迷宮(ラビュリントゥス)の探索に使う。で、そこから得た資源を鍛冶屋が加工する」


 そうやってこの都市は回っているのさ、と后羿(コウゲイ)は酒を煽りながら解説をくれた。


 だが、地元の人間でも無いのに何故詳しいのかと訊ねてみれば、これまでに何度かリュウと一緒に寄った事があるらしい。


「ここは面白いぞ。俺が知ってる東界(オリエンス)とも西界(オクキデンス)とも違う。勿論、お前らの知ってる世界とも別物と言って良い」


「まあ、そんなのは城門を(くぐ)れば一目瞭然だけどね」


 左右を獅子の像が固めた門を過ぎれば、これまで見慣れていた都市とは建築様式やその材料すら違う。石や粘土、煉瓦のみで造り出された家々の隙間を通る道を、数え切れないほどの剛儿(ドウェルグ)(ひし)めき合い、歩いていた。


「壮観だな……靈儿(アルヴ)の国とは大違いだ。やっぱ開放的な国は見てて楽しくなる」


「あの看板、何て読むのかな?」


「さあ? 古くからある楔形文字と言う奴だ。私にも読めん」


 スヴェンもレメディアもシグも、誰もが初めて見る異国の都市に、目を輝かせ見回していた。


 浅黒く、そしてがっしりした体躯を持つ剛儿(ドウェルグ)は、その道行く人誰もが相応の実力者である事を物語っていて、俺としては身が引き締まる思いである。


「呑気なモンだな、こいつら……」


「ラウ君が警戒し過ぎなんだよ。もう少し力を抜きな。ここの人達だってそんなに血気盛んな訳じゃあないんだし」


「それもそうですね。こんなんじゃ神饗(デウス)を見付ける前に気が参っちゃいますし」


 リュウの助言も(もっと)もだった。流石に見た目通り喧嘩っ早いのであればこんな都市を気付ける筈も無いのだから当たり前だ。


 いつまでも周囲を警戒しているのも馬鹿馬鹿しくて、自嘲しながら体の力を抜いた、その時。


 通り道の先で、酒場らしいところの壁が吹き飛んだ。


 同時に、土煙を上げながら飛び出して来たのは、一人の剛儿(ドウェルグ)。髭面の彼はふらつきながらも起き上がり、そして店の中に向かって何やら叫んでいた。


 だが、その言葉は明らかに呂律(ろれつ)が回っていなくて、目も座っている。


 そしてそのまま、怒鳴り散らしながら壁に開いた穴から酒場に突っ込んで行くのであった。


「……本当にここ、警戒しなくて良いんですか?」


「……まあ、治安の悪い場所はどこにでもあるからね」


「だからって街に着いて早々、酒場の壁を破って人が飛んで来るのは初めて見ましたよ」


 本当にリュウの言う通り、ここは平和なのだろうか。


 先程目の前で繰り広げられた一件のせいで、完全にリュウの方を猜疑(さいぎ)の目でしか見られない。


「酷いなあその目。別に僕は嘘なんてついてないし、何も企んでは居ないって言うのに。少しくらい信じてくれたって良いんじゃあない?」


「嘘はついてなかったとしても、信憑性(しんぴょうせい)があるかどうか疑わしいんですよね。喧嘩(あんなの)見せられた後だと」


「大丈夫だって。化儿(アニマリア)の国に比べたら遥かに落ち着いていると思うよ。流石にあそこまで血気盛んな民族じゃあないからね」


 ――などと言っているそばから。


 また別の酒場から、複数の男が叩き出されていた。


 種族は庸儿(フマナ)。全員赤ら顔で、装備から察するに狩猟者(ウェナトル)だろうか。


 彼らもまた何やら聞いた事ない言語を呂律の回らない口で叫んでいたが、すると店の中から更に複数の剛儿(ドウェルグ)らしい男達が姿を現す。


 その気配は、見るからに喧嘩のそれであった。


「……あの酔っ払い、何言ってるんですかね?」


「さあ? 僕も剛儿(ドウェルグ)の現地語は分からないからね。取り敢えず、ここの言語は剛儿語(ネシリ)って呼ばれているらしい」


 そう言ってリュウが指差す先には、共通語と同じ文字(アルファベトゥム)で刻まれた店の看板があった。


 ただし、その文字列が意味するところは共通語では理解出来ない所を見るに、これも現地語なのだろう。


「って言うか、意外と文字(アルファベトゥム)使ってるところが多いですね。楔形の方が元々の表記体系だって話なのに」


「楔形文字は難しいんだよね、色々。特に書くのが面倒臭いらしくて、最近じゃあ公文書とか祭祀以外に使われる事は稀みたいだよ」


「その辺はラウィニウム帝国がここを属州としていた時代の名残(なごり)って訳ですか」


 なるほど、確かに楔形文字は見るからに複雑そうだ。あれでは覚えるのも難しいかも知れない。しかも書き順まで多そうである。


 漢字のようなものだと思えば理解出来なくもないが、それでも文字表記がアルファベトゥムに移りつつある時点で相当使いにくいのだろう。


 等々と考えている内に、視界の奥で行われている喧嘩に決着がついたらしい。


 片方の集団が尻尾を巻いて逃げ出していて、もう片方は楽しそうに歓声を上げていた。


 そしてそれを取り囲む様に眺めて居たであろう野次馬は、面白い見世物が終わったと言わんばかりに解散していく。


「俺達、ひょっとして凄いところに来ちゃったんじゃ……」


「まあ、ここは迷宮が沢山あるせいで狩猟者(ウェナトル)の街でもあるからね。荒れくれ者が多いのは仕方ない事だよ」


 ハットゥシャとその周辺は元々鉱山資源に恵まれ、そして地理的にも交易の中継地点として機能する場所に位置している。


 だから自然と人が集まり、富が集まる。


 とくに発達しているのが鉱山資源の採掘、加工技術で、その為に周辺の山々どころか地面にもあちこち穴が掘られている。


 一時期はそれが行き過ぎて崩落事故が多発したらしいのだが、今は王国の管理下にあって採掘には制限が掛けられているのだ。


 そして王国が過度の採掘を制限した理由は、それだけでは無い。


 余りに多くの穴が掘られた結果、そこに様々な生物が住み着き、迷宮(ラビュリントゥス)と化してしまったのである。


「まあ、ただ妖魎(モンストラ)が穴に住み着く程度なら巣になった程度で済むのだけれど、そこに魔力の塊から生まれた純粋な精霊のなりかけ(・・・・)が定着しちゃうと偉い事になるんだ」


なりかけ(・・・・)って……この前の俺みたいな奴ですか?」


「そうだね。けど、この場合のなりかけ(・・・・)は完全な無生物だ。純粋な魔力の塊に自我がほんのちょっとだけ芽生えた、って感じかな」


 要するにウィルスみたいなものだろうか。しかし恐らくリュウにそう確認を取っても伝わらないと思うので、適当に頷くに留めて置く。


「で、その結果何が起こるかというと、穴そのものが精霊化する。早い話、迷宮(ラビュリントゥス)と呼ばれるものは、生きて居るんだ」


「生きてるって、具体的に何かするんですか?」


「そうだね、例えば元々掘られていた穴が更に伸長したり、妖魎(モンストラ)にとってさらに住みよい環境になったりとか」


 迷宮(ラビュリントゥス)そのものとなった精霊は、その住処となった穴を維持すべく力を使うので崩落の危険が低下すると言う好影響を(もたら)す、が。


「そういう迷宮(ラビュリントゥス)の力の源が何かって言うと、自分の体の中で(たお)れたものの死骸って訳だ。要するに、侵入者を食うのさ」


「じゃあ、妖魎(モンストラ)とかも?」


「勿論食べるよ。人間もね。吸収と言った方が良いかも知れないけれど、そうやって魔力を補充して大きくなっていく」


「……迷宮(ラビュリントゥス)って大きくなるんですか?」


 知らなかった。いや、元々迷宮があるような場所で生活して来なかったので知らないのは当たり前だが、何にしろ驚いた事には変わりない。


 そんなこちらの反応が、リュウにとって説明のし甲斐があるものだったのか、彼は一度首肯して話を続けた。


「彼らは別に明確な自我を持っている訳でも無い筈なのだけれど、本能って奴なんだろうね。迷宮(ラビュリントゥス)(ことごと)くが際限ない肥大化に進むんだ」


 時には他の“個体”と合体する事さえある、と語る。


 その話が余りにも信じられないものだったのか、気付けばスヴェンもシグもレメディアも真剣な顔をしてリュウの話に聞き入っている。


「そしてその結果、肥大化し過ぎて自分の“体”を維持できなくなって、体内に飼っていた妖魎(モンストラ)が暴走を始める。そうして人里に妖魎(モンストラ)が溢れ出すと甚大な被害を(もたら)す訳」


「滅茶苦茶危険じゃ無いですか」


「うん。だけどさっきも言った通り、迷宮は山や地盤の崩壊を防いでもくれるから、肥大化し過ぎない程度に力を削ぎ、維持管理すれば寧ろ利益の方が大きいんだ」


 管理すれば延々迷宮から資源が採れるし、妖魎も狩れるので狩猟者(ウェナトル)も食いっぱぐれる事は無い。


 だからこそ、狩猟者がここまで沢山集まっているのだろう。


「上手く共存してるって訳ですか」


「そう言う事。もし不要になったら迷宮(ラビュリントゥス)の中を徹底的に破壊してしまえば、その内枯れるしね」


 上手く回っているものだよ、とリュウはハットゥシャから離れた山の一つを指差す。


 そちらに目を向けて凝らせば、穴だらけの山肌が目に付く。そして、それらへ蟻のように侵入していく影は、恐らく狩猟者(ウェナトル)だろう。


「これが、ハットゥシャ……」


 ビュザンティオンのような人口や規模の大きな都市とはまた違った方向性で、驚かせてくれる。


 擦れ違う人も、剛儿(ドウェルグ)だけでなく多くの他種族の姿がある。


 だから並ぶ店も多様性に富んでいて、見ていても飽きない。


「ラウ君、本来の目的を忘れちゃあ駄目だからね?」


「分かってますよ。でもその言葉、俺以外の奴に言った方が良いのでは?」


 少し露店を巡りたい気分を見透かしたのか、リュウに釘を刺されるものの、即座に他の連中を指差して矛先を逸らす。


 実際、リュウ以外の者は大なり小なりハットゥシャの街並みに目を奪われ、そしてあちこちに目移りしているのである。


 その中でも后羿(コウゲイ)は特に顕著で、目を輝かせて酒屋を物色していた。


「……(コウ)、君は僕と一緒に何度かこの都市を訪れて来たじゃあないか」


「そんな事言ったってなあ……剛儿(ドウェルグ)の酒は強くて美味いんだぜ? あんなの一度飲んだら忘れられねえって!」


「まあ、確かにここの人達は酒大好きだし、良い酒が沢山あるのも知ってるけどね。その分だけ値も張るんだよ。その金を誰が稼いでいると思っているのかな」


 滞在中に一軒残らず訪問してやる、と意気込む酒好きの精霊に冷めた視線を向けるリュウ。


 だが本人は極めて興味無さそうで、相変わらず目を輝かせ続けていたのだった。


「悪いなリュウ、ちょっとそこの酒場まで」


「待ちなさい。それはまずやる事をやってからだよ」


「……ケチめ。これだから下戸は」


「君が異常なんだ。蟒蛇(うわばみ)なんて言葉でも足りないくらいの大酒飲みに言われたって悔しくないね」


 目を離せば五歳児くらいの子供のようにどこかへ行ってしまいそうな后羿(コウゲイ)の襟首を掴み、リュウは放さない。


 そのまま不満を溢す彼の言葉を無視して引き摺り道を進んでいくのだが、擦れ違う街の人達はその異様な筈の光景に目もくれなかった。


 と言うか、似たような光景は酔っ払い相手に繰り広げられたりしているのを見ると、これも日常茶飯事なのだろう。


 改めて怖い街だと思いつつ、俺はリュウへ訊ねる。


「で、どこに向かってるんです?」


「そんなの決まっているじゃあないか。協力者のところだよ。有難い事に宿泊場所も用意してくれているらしいしね」


 それから暫く雑談などをしながら街の中を進んでいくと、不意にリュウは一軒の建物の前で足を止めた。


 看板に書かれた文字は相変わらず読めないが、建物の雰囲気からして宿屋だろう。


 異国情緒溢れるその建物をまじまじと見つめていると、不意に入り口から一人の青年が姿を現す。


 彼は(あおぐろ)い眼でこちらを捉えるや、人好きのする笑みを浮かべて歩み寄って来るのだった。


「おやリュウさん、到着していたのですか。大した迎えも出来ず申し訳ありません」


「いえ、お構いなく。それよりこの宿で良いんですね?」


「ええ。我がメルクリウス商会の傘下にある宿屋です。店の名は“偉大な麦酒(ガル・カシュ)”。酒が好きな方もいると言う事で、この宿屋にさせて頂きました」


「おっ、分かってんじゃねえの! ありがとうよ!」


「喜んでいただけたようで何よりです」


 いつの間にやらリュウの拘束から抜け出したらしい后羿(コウゲイ)が、メルクリウスの手を取って謝意を口にすれば、彼は変わらぬ笑みのまま一度頭を下げる。


 そして失礼にならない程度の所作で后羿(コウゲイ)の手を引き剥がすと、店の入り口へと手を向けて告げていた。


「皆さま長旅でお疲れでしょう、さあまずはゆっくり寛いで下さい。話はそれからにしましょう」


「では、お言葉に甘えて。お世話になります、メルクリウスさん」


「いえいえ、その言葉は是非宿屋の主人に言って頂けると幸いです」


 そう言って穏やかな態度のまま、メルクリウスは店の中へと招いてくれるのであった。





◆◇◆





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