第一話 The Puzzle①
東ラウィニウム帝国やその周辺地域は、これから荒れに荒れるだろう。
何故ならば、ラウレウスと言う白儿――つまり俺を捕らえようとしたばかりに、碌でも無い結果を招いしてしまったのだから。
皇帝は死に、皇太子は死に、多くの廷臣が死に、宮殿もその大半が戦闘の余波で崩壊してしまっている。
その殆どを自分が原因である事に少しばかり薄ら寒いものを覚えないでもないが、それは一先ずさて置こう。
国の上層部を大きく失ったこの状況では、帝国の統治機構が完全に機能不全を起こし、領土どころか首都であるウィンドボナの治安すら維持できるか怪しいところだと言えた。
そんな状況に置かれてしまうであろう、無関係な領主や領民たちには同情の念を全く覚えない訳では無いけれど、しかし現在、俺達は呑気に他人を気遣う余裕もなかった。
マルスを始めとした精霊達の援護も受けて、漸くウィンドボナから抜け出して一息吐いたと思ったら、ここに至って誰も予想し得ない事態に遭遇してしまったのだ。
その全ての元凶は、今も目の前で睨み合っている二つの影にあって――。
「ここ数十年、この西界で暗躍していた神饗、その頭領たる主人の正体は、ユピテルだ」
「……ふざけるなサトゥルヌス! なに訳の分からない事を言ってやがる!?」
「まだ白を切る気か? 見苦しいぞ。先に私へ攻撃を仕掛けて来たのは、貴様の方だろうに」
「何だと!? それはお前が……!」
金髪金眼、精悍な顔つきをした二人の男は、言葉の応酬を繰り返す。
その事自体は一般的な喧嘩と言えなくも無いだろうけれど、彼らの容姿とその話の内容が、状況をややこしくしていた。
サトゥルヌスとユピテル。
瓜二つの容姿を持つその二柱の精霊は、互いに殺気すら纏いながら睨み合っていたのである。
そして何より、彼ら二柱は仲間同士である筈なのに。
「ミネルワ……どういう事だ、これは? 何が起きてる?」
「分からない。私も全く理解が追い付かないのだ」
当然、それを前にして多くの者が混乱を呈していて、マルスも、ミネルワも、他の精霊達も、当惑した気配を見せていたのだった。
そして、悠久の時を生きて来た精霊達ですらそうなのだから、況や人間をや、と言ったところであった。
「何だ、何が起きてんだよあの二人に!?」
「そんなの分からないよ! けど、もしもサトゥルヌスさんの話が本当なら……!」
スヴェンとレメディアが、そんな言葉を交わしながらユピテルの方へ目を向ける。
そこに浮かんでいるのは疑念であり、だからこそその視線に気付いたユピテルは心外そうに声を荒げた。
「俺が主人だとか、冗談じゃねえぞ! どうして俺がそんな事をしなくちゃいけねえんだ!? 身に覚えのない事を強引になすり付けに来やがって!」
「何度も言わせるな見苦しい。いきなり私に攻撃を仕掛けて置いて、今更何を申し開こうと言うのだ?」
互いがぶつけ合うのは、武器では無く拳。
常人であれば一撃でも受けてしまえば即死しかねない程の威力を秘めているであろうそれを、二柱の精霊は躱し合い、繰り出し合っていた。
マルスら精霊達は収拾がいよいよ付かなくなってしまう前に状況を落ち着けたいのか、何度となく仲裁に入る気配を見せるものの、余りに激しい戦闘を前に割って入る機会を見いだせずにいる。
それによく見なくても、サトゥルヌスとユピテルの体には少なくない損傷や消耗が見て取れ、今更仲裁に入ったとしても話を聞いてくれるかどうかも怪しかった。
「くそ、話だけでも聞く事が出来れば……!」
「止せ、マルス。あそこに割って入ったらタダじゃすまないぞ。現状、行動不能な精霊を二人も抱えているんだ、これ以上荷物を増やしたくはない!」
「そうは言っても、アレを指くわえて見ている訳にも行かないだろ!?」
居ても立っても居られないと言った様子のマルスに、ミネルワが制止の声を掛ける。
他の精霊達も彼女の意見に賛成なのか、口々にマルスへ制止の言葉を投げ掛けてやれば、彼は苦々しい表情を浮かべつつ渋々踏み止まっていた。
「ウルカヌスとメルクリウスからも話を聞ければいいんだがな……」
「暫くは無理だろうな。ついさっき、強制契約から解き放ったばかりだ。もう少しの間は消耗が激しくて意識も戻らないだろう」
そう言いながらミネルワが視線を向けた先には、力無くぐったりとした二柱の精霊の姿があった。
彼らは赤銅色の髪と浅黒い肌、ずんぐりとした体躯を持つ髭面の男性と、黝い髪を持つ長身の青年である。
勿論、彼らは精霊であるが故にその外見的な特徴と年齢は等しいとは言い難く、そして常人を遥かに凌ぐ実力を持っているのだ。
もっとも、ついほんの少し前までは神饗によって強制的に契約と言うか隷属下にあった為、俺達と交戦する羽目になった。
苦戦はしつつ、結局は助けだす事に成功したのだが、救出方法が実力行使であったこともありウルカヌスとメルクリウスの両名の消耗は激しく、未だに意識を取り戻す気配はない。
その結果として彼らは、今も仲間の精霊達に抱えられ“荷物”扱いをされている訳である。
「けど待ってくれ、これだけの数が居るんだ。皆で掛かればサトゥルヌスとユピテルを抑え込むのも難しくはない筈だぞ!?」
「だから無理だ。既に私達は先程までの戦闘で相応に消耗しているんだぞ? そんな状況であの二柱を抑え込もうとして見ろ、行動や戦闘不能になる精霊がどれだけ出るか……」
「ならどうすれば良いんだよ!? あいつら、明らかに普段の喧嘩とは質が違う! 下手すれば片方が死ぬかもしれないんだぞ!?」
提案の悉くをミネルワが潰した事が余程腹立たしいのだろう、マルスは彼女の胸倉を掴み上げる勢いで迫っていた。
しかし、それに対するミネルワの姿勢は極めて冷静で、真っ直ぐに彼を見つめ返して言っていたのだった。
「確かにお前の言う通りだが、生憎今の私達には本当に余裕がない。止めたいのは山々だがな」
「……ッ!」
マルス自身、消耗している事は重々承知しているのか、ゆっくりと視線を足元へ落として唇を噛んでいた。
しかし、そうこうしている間にも二柱の精霊による戦闘は止まる所を知らず、寧ろ激しさを増していく。
「……いけない。後退だ、巻き込まれる前に早く!」
余波に巻き込まれてしまったら、人間だとただでは済まない。
それを素早く察したリュウが俺達へと指示を出せば、精霊達も同様に危険を察知したのか後退を始めていた。
「……ラウ君、どっちが主人だと思う?」
「どうでしょうかね。正直、俺がウィンドボナで会った主人とはどっちも雰囲気が違うんで、はっきりとした事は言えませんよ」
冷静な態度で二柱の戦いを眺めながらリュウが問うてくれば、俺は思ったままの事を答える。
実際、先程からじっとサトゥルヌスとユピテルの様子を眺めて居るのだが、どちらもあの主人とは似ているように感じられないのである。
だがこの場に置いて、主人の素顔を知っているのは自分のみである以上、全く分かりませんでは話にならない。
何かもう少し、確かめる術があれば良いのだが――と思っていた、その時だった。
「返せよ……返せよ、イッシュを」
「……シャリクシュ!? 何を!」
聞こえて来た声にハッとして首を巡らせてみれば、先程までずっと黙り込んでいた筈の剛儿の少年が、今も戦い続ける二柱の精霊を睨み付けていた。
しかもその手には、自身が創り出した一丁の銃を持って、である。
「おいシャリクシュ!?」
「うるせえ! 俺はアイツを……あいつを取り戻すんだ!」
「馬鹿、止せッ――!」
慌てて止めようとしたのだが、流石に引金を引く指よりも早く動く事は出来なかった。
その結果として放たれる、一発の銃弾。
幾ら常人には不可視の速度と大きさで射出されるものであるとは言え、精霊相手に効くとは思えない。
しかし今、サトゥルヌスとユピテルは互いに拳を交えている最中であり、下手をすればどちらかに命中しないとも限らないのである。
幸いにも命中することはなかったものの、それがもしも主人ではない方に当たってしまったとしたら、状況を悪化させるような事にしかならないのだ。
「は、放せ……放せよ!」
「誰が放すか馬鹿野郎! いきなり銃を撃つとか滅茶苦茶やりやがって……良いから少し落ち着け!」
呼吸も荒く暴れているシャリクシュを、スヴェンらの助けも借りて強引に抑え込むと、銃も没収する。彼の場合、他にも武器を持っているので、それらも纏めて一時的に取り上げてみれば、漸く大人しくなるのだった。
しかしシャリクシュは魔法も使えるので、そちらの方も警戒していたのだが、抵抗する力が急速に衰えたところを見るに気絶させる必要はなさそうである。
「……ったく、これ以上話をややこしくする様な真似をしないでくれ、頼むからさ」
「…………」
返事は、無い。
元よりそれは期待もして居なかったので、ここでサトゥルヌスとユピテルに視線を向けてみれば、果たして彼らは尚も険悪な空気を纏っていた。
互いに距離を取りながら殺気を向け合っている二柱の精霊の姿が、そこにはあったのだった。
しかし不幸中の幸いと言うべきか僥倖と言うべきか、シャリクシュの発砲によって両者の間で発生していた戦闘が一時的に止まったことに変わりはない。
その隙を逃さないと言わんばかりに、マルスが動き出していた、が。
「お前ら、こんな状況で何をしてる!? 喧嘩なら後でやれ! 今はそれどころじゃないんだ!」
「これが喧嘩に見えるのか、マルス?」
「生憎、俺達は喧嘩じゃなくて殺し合いをしてんだよ」
マルスの言葉に対するサトゥルヌスとユピテルの態度は、刺々しいものだった。
勿論、双方ともに感情の矛先を向けて居るのは互いなのだが、その張り詰めた空気を前にマルスは思わず絶句していた。
しかしそれも一瞬の事で、彼はすぐに動揺を抑え込むと質問を重ねる。
「なら一体どうしてこんな事になったのか、話を聞かせてくれ。勿論、どちらからもだ」
「そうだな……」
「なら、俺から言わせて貰うぜ」
一体どうなって、今のような状況になってしまったのか。
それについて先に口を開いたのは、ユピテルの方だった。
彼はサトゥルヌスに先んじた事で少しばかり得意気な表情を一瞬だけ浮かべ、そして語り出す。
曰く、ラウレウス――俺を救う為にウィンドボナへ向かって居た途中で、神饗の構成員らしきものを見つけたと。
「……それで勝手に俺達から逸れたのか?」
「ああ。最悪、俺一人でどうとでもなると思っていたからな。その結果、救出作戦そのものに参加できなかったのは俺の失態だ。すまん」
「そうか、それでサトゥルヌスとお前が戦う事になったのは、一体どんな理由がある?」
溜息を吐きながら頭を掻いたマルスは、追及する姿勢を隠そうともせずにユピテルへ視線を向ければ、彼は待っていたと言わんばかりに再び語り出す。
「お前らも知っての通り、俺はその辺の奴よりは強い。だから単独行動しても問題ないと思ってたんだが、神饗の連中の逃げ足が速くて手古摺っている内に、偶然コイツと出くわした訳だ」
そう言いながら、ユピテルはサトゥルヌスを指差し、そして睨み付ける。
対するサトゥルヌスはどこ吹く風と言った様子で余裕のある態度を微塵も崩さなかったが、それがユピテルからすれば癪に触ったのだろう。
忌々しそうに舌打ちを一つすると、話を続けた。
「俺を探してたとか言って、普段と変わらない態度で近付いて来たと思ったら、いきなり攻撃を仕掛けて来たって訳だ」
「サトゥルヌスはお前が先に攻撃をしたと言っていたが?」
「確かにそうだが、それは最初に俺の攻撃が当たったからだ。こっちは応戦しただけなんだよ」
そうだろ? と確認する様にユピテルがサトゥルヌスに問えば、彼は鼻を鳴らして肩を竦めるのだった。
「何を言うかと思えば嘘をつらつらと……良いか、神饗の構成員と思しき者を見つけたのは私だ。先に我々から逸れたユピテルを探していたら、その途中で発見したんだ」
そう語るサトゥルヌスには感情の昂りなどは全く見られず、ユピテルとは対照的に極めて冷静だった。
もっと言えばその説明はより理路整然として、分かりやすい。
一般的に言う、説得力のある話し方だったのだ。
「それはマルスも知って居るだろう?」
「……ああ。俺としても、お前にユピテルの捜索を頼んだのは間違いない」
確認する様にサトゥルヌスが問えば、マルスやその周囲の精霊達も同意を示す様に頷く。
するとそれで流れを掴みつつあることを察してか、一度満足そうに瞑目した彼は、滔々と語り続ける。
「ユピテルを探すのは中々難航した。何せ、コイツは一旦姿を消すと早々見つからないからな。そしてそんな時に、少女を脇に抱えた主人を見つけたんだ」
信じられなかった、とサトゥルヌスは言う。
仮面の下の顔が自分と同じ顔だった、ユピテルだったとは予想もして居なかったと、その時の感情を臨場感たっぷりに語って見せたのだ。
「確か、以前会ったイシュタパリヤとか言った少女だったと思う。君達の連れで間違いないな?」
「……まあ、そうですね」
俺がウィンドボナで捕まっている間に、リュウ達と精霊達とで合流していたのだろう。
イシュタパリヤとサトゥルヌスに面識がある事について、リュウやスヴェンらも彼の確認を誰一人として否定する者は居なかった。
「私としては絶対に逃す訳にはいかないと思い、奇襲を仕掛けたのだが、残念ながら少女を奪還する事は出来なかった。それで私は、まずこの情報を皆に伝えるべく来たのだが……まさかユピテルも私を追って来るとはな」
「ほざけ。よくもまあそこまで見え透いた嘘を……!」
その瞬間、ユピテルの纏う殺気が増大した。その濃厚な殺意とすら呼べそうなものは、俺の背中を粟立たせるには十分過ぎる代物で、思わず固唾を呑んで居た。
そして当然、それを正面から受けるサトゥルヌスも黙っている筈はなくて、応戦するように彼の気配もまた臨戦したものへと一瞬で変化していた。
「「…………」」
このまま、両者の衝突は再開されるのだろうと、場に居た誰もが考え始めたその時。
その緊張を突き崩す様に、リュウは口を開く。
「幾つか、質問良いかな? 僕としては気になる、もしくは腑に落ちない部分があってね」
「……聞かせてくれ」
気を削ぐような機会にリュウが口を挟んだ事で、衝突目前だった気配は幾らか和らぎ、同時に誰も彼も耳目を彼へと向けていた。
一体この状況で、リュウは何を言い出そうと言うのか。
その疑問を代弁するかのようにマルスが訊ねてみれば、彼はまずユピテルに視線を向けて問ういていた。
「ユピテルさんはついこの前まで、厳重に封印されていた。それこそ一歩もその場から動けないくらいに、だ。違いますか?」
「……確かにそうだが、そこがどうかしたのか?」
「どうもこうも、大ありです。僕自身もこの目で確認しましたが、やはりあの封印は厳重なものでした。とてもここ数十年、主人として活動するのは不可能なほどに」
リュウの問い掛けに怪訝そうな顔を見せていたユピテルは、しかし彼の一連の発言が己の弁護に繋がると察したのか、明るそうな表情へと変えていた。
一方、サトゥルヌスは不満そうな顔を見せながらリュウに問う。
「……その封印の痕跡が偽装である可能性は?」
「勿論、その可能性も否定できませんでしたよ。こうしてあなた方二人の戦い方や雰囲気をこの目で見るまではね」
「そうか。で、そこまで回りくどい言い回しをして、結局何を指摘したいんだ?」
先を促す様に、今度はマルスが問う。
その勿体ぶるような言い方に、少しだけじれったいと思っていたのだろう。
先程よりも強く、リュウは皆の注目を集めていた。
そして、サトゥルヌスを見据えて告げるのだ。
「主人は、君だね?」
その言葉が発された瞬間、皆の視線が今度はサトゥルヌスへと向かう。
誰もがその表情には驚愕のそれを浮かべ、そして時折確認する様にリュウの表情を窺った。
しかし、鼻から上を覆う仮面を着けた彼が今、一体どんな表情をしているのかを詳しく見取るのは難しい。
だから、精々リュウが冗談の類で言っている訳では無いと言う点が分かるだけだった。
もっとも、この状況ではそれだけでも十分と言えば十分なのだが。
「……藪から棒に随分と酷い言い草だな、リュウ。私に何か恨みでもあるのか?」
「白々しいね。まだ誤魔化し通せると思っているのかい、君は?」
「誤魔化すも何も、私は潔白だぞ。寧ろ怪しいのはユピテルだ。奴は誰にも何も言わず我々から逸れ、それを捜索に出た私がどうして疑われなくてはならない?」
周囲に同意を求める様に、サトゥルヌスは顔を巡らせる。
確かに彼の先程までの主張はユピテルに比べて筋が通っており、且つ彼自身が冷静沈着な態度を崩さなかった事もあり、説得力を持っていた。
故に、幾らかの精霊は彼を弁護するように頷き返していたのだが、リュウはそちらを一顧だにする事も無かった。
ただ、出し抜けに紅刀を引き抜き、そして。
「――剣で訊けば分かる事だ」
「貴様ッ!?」
一瞬の内に、リュウはサトゥルヌスへと斬りかかっていたのだった。
当然、それには誰もが目を剥き、マルスらはリュウを取り押さえようと動き出すのだが、間に合いはしなかった。
「その動き、十五、六年前に戦った時の動きとそっくりだ。ねえ、主人?」
「何の事だと言っている……!」
「おや、まだ白を切る? けど残念、君の動きの癖はあの時斬り結んでから、忘れた事は無いよ。というか、何度も言うけれど隠し通せると思っていたのかい?」
斬撃と、体術と、魔法を組み合わせた容赦ない攻撃。
それを、サトゥルヌスは間一髪と言った様子で躱し続けていた。
それに対し、リュウは着実にその逃げ道を塞ぐように立ち回る。
「力を抑えているんだろう? 今、ウィンドボナの宮殿で見せたみたいな力を解放したら、一発で自分が主人だって気付かれてしまうものね」
「意味が分からない! 私は……!」
「僕が君を主人だと考える根拠として、さっきまでのユピテルさんとの戦闘が挙げられる。君、通常通りのサトゥルヌスとしての力しか使ってなかったでしょ?」
そう言いながら、リュウは白弾を放つ。
もっとも、その一発としてサトゥルヌスを捉えるには至らず、代わって両者の間に大きな距離が生じていた。
そこをリュウは追撃を掛けるでもなく、紅刀の切っ先を向けて言う。
「宮殿内で君が暴れていた時は、多くの魂を喰らった影響で大きく力を増していたよね。その力で僕らを圧倒していたとすら言える」
「…………」
「でもさ、何度も言うけれどそれを今この場で見せたら、自分が神饗の黒幕だと自白する様なものになってしまう。だから、この場では力を抑えてユピテルさんと戦っていた。戦わざるを得なかった。違う?」
滔々と語るリュウに対し、サトゥルヌスは無言だった。無言でリュウを見返し、いや睨み付けてさえいる様だった。
だが、それにリュウがほんの少したりとも怯む事はなくて、その紅い眼はサトゥルヌスから逸らされる事は無かった。
「君が手加減せざるを得なかった結果として、動きの癖が良く見えたよ。十五、六年前のあの時の動きと、君のそれはそっくりなんだ」
「偶然か気のせいだろう? 大体、それは皆を納得させるだけの説得力を持つものではない。それどころか馬鹿げていて聞く価値もないとすら言える。個人の主観でしかないからな」
馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに、鼻で笑う態度を取るサトゥルヌスに対し、リュウは大して感情の揺れも見せないまま、話を続ける。
「……さて、ここで最初に僕が挙げた封印の件が活きてくる。僕の調べではやはりユピテルさんはあの時、相変わらず封印されていて動けないままだった。だとすれば主人は貴方だと考えるのが、極めて自然で辻褄の合うものだと思わない?」
「出鱈目をよくもまあここまで臆面もなく披露できるものだな。貴様の面の皮と仮面も一体化しているのではないか?」
「それは君もそうだろう? あんな趣味の悪い仮面を着けて置いて、他人の事を言えるのかい?」
互いに互いを挑発し合い、そして薄く笑う。
誰が見ても薄ら寒いものを覚えるであろうそれは、この場が先程よりも輪をかけて険悪なものになりつつあることを示していた。
だが、リュウ自身として衝突そのものは避けたいのだろう。不意に構えを解き、肩を竦めるのだった。
「……僕の言っている事が本当か嘘か。それは後で確認すれば分かる事です。その代わり確実に言えることは、ここでユピテルさんとサトゥルヌスさんをどちらも拘束しなければ、主人を倒す千載一遇の好機を逃す事になるかもしれないと言う事ですね。どうしますか、マルスさん?」
「……喧嘩両成敗、という言葉があるな。真相がどうであれ、この忙しい状況で勝手に戦いを始めた二人にはどちらにしろ罰が必要だ」
ユピテルかサトゥルヌスか。そのどちらか、もしくは両方が主人である可能性を秘めている事を、マルスも知っているらしい。
リュウの言葉に考え込む素振りを見せながら、彼は二柱の精霊を交互に見ていた。
そして彼の言葉の意味を確認する様に、リュウが問う。
「――と、言う事は?」
「ああ、そう言う事だ。お前ら、ちょっと頭を冷やせ」
そうやって問い掛けに首肯したマルスは指を鳴らし――その瞬間、地面から無数の木の根が飛び出すのだった。
よく見ればそれはマルス自身の魔法では無く、女性の姿をした精霊――ディアナが行使した植物魔法であった。
そしてそれは、一瞬にしてユピテルとサトゥルヌスの体を拘束していたのである。
彼らの姿は完全に木の根に覆われて見えず、きっと内部では身動ぎ一つできない程にそれらが絡み合っていると予想できる。
それを見て、マルスはリュウへと顔を向けるのだった。
「これで良いんだろう? しかし、どうやって主人かどうかを確かめるんだ?」
「魔力そのものを一度吸い取れば分かるでしょう。幸いにして、僕らは主人と対峙しました。多くの魂を取り込んだ事で、奴の魔力は異質なものに変異しています」
「……それもそうだな。ディアナ、頼む」
「ああ、承知した」
その遣り取りで、ユピテルとサトゥルヌスを拘束する魔法を発動させているディアナは、一度頷いて作業に取り掛かる。
これでどちらが嘘をついて居るのかは分かるのだ。
ついでに言えば、どちらが主人かも分かる。
少なくとも俺とリュウは、そう睨んでいた。
だから、ディアナによる調査が終わるその時まで、二柱の精霊が中に拘束されている、木の根の塊を注視していたのだった。
――だが。
次の瞬間、ディアナの表情に焦りが浮かぶ。
「……これは!?」
「どうした?」
「不味い、破られるぞ!」
いきなり彼女の気配が豹変した事にマルス以下誰もが怪訝そうな顔をしたが、一々説明している暇が無いのだろう。ディアナは余裕など吹き飛んだ調子で叫んだ、直後。
サトゥルヌスとユピテルを拘束していた木の根の内、その半分が派手に吹き飛ばされるのだった。
「どうなってんだ……!?」
「答えが出たみたいだね」
「は?」
一時的に巻き起こる強烈な風に目を細めながら呟けば、横に居たリュウが意味ありげな呟きを漏らす。
俺はそれが意味するところを咄嗟に理解出来ず、間抜けな声を漏らしている、と。
「気付いたか、ディアナ。……余計なことをしてくれるではないか。お陰で、こやつに裏切り者の汚名を着せて始末し損ねた」
吹き飛ばされ、瓦礫と化した木の残骸を踏み躙りながら、忌々しそうな呟きを漏らすのは、素顔を晒した主人だった。
纏う雰囲気はやはりユピテルともサトゥルヌスとも異なり、まるで別人格のようで――。
「それがお前の本性という訳か、サトゥルヌス(・・・・・・)? 何だその異質で異常な魔力は? まるで主人みたいじゃないか」
「……植物魔法で他人の魔力を勝手に吸い出そうとは、随分と煩わしい事をしてくれる。貴様さえ居なければこの場は上手く切り抜けられたかもしれないものを」
そう言いながら、彼はディアナを睨み据える。
だがそれもほんの少しの時間だけで、すぐに主人の視線はリュウへと移るのだった。
そして、吐き捨てる様に言う。
「……やはり忌々しいな、貴様は! この場で殺してしまおうか」
「やれるものならやってみれば良い。僕を含め、消耗してない者はいないけれど、この数を相手にして、君が無事で済む保証は無いんじゃあないかな?」
挑発するように、リュウは笑みを深める。
それにつられて、俺もまた好戦的な笑みが漏れていた。
来るなら来い。今度こそ、今度こそお前を叩きのめす。
それを果たしたところで何がある訳でも無いけれど、それでも自分自身を含めた仇を取る事が出来るのである。
横に視線をやれば、シャリクシュもまたその全身に殺意を漲らせながら、サトゥルヌス――主人を睨み付けていた。
「さ、来るならおいで、主人さん?」
再び、挑発するようにリュウはそう告げていたのだった。
◆◇◆




