エピローグ
「一件落着、とはいかねえな」
「ああ。お前らにもシャリクシュにも感謝はしてもし足りないくらいなんだが」
地面に蹲って、動かない少年――シャリクシュに視線を向け、俺もスヴェンも浮かない顔をしていた。
彼の余りの悲しみように、どう声を掛けたら良いのか言葉が見つからないのである。そしてそれは周囲の精霊達も同様で、沈痛な面持ちで俯いている者の姿も見えていた。
「俺としてはシャリクシュの仲間であるイシュタパリヤに、そこまでの情はねえけど、恩が無いってのとは違うしな……参った」
「助けに行くしかないだろ。どの道、神饗は俺達の敵だ。ついでにイシュタパリヤを救うのも出来ない訳じゃねえ」
スヴェンたちも、シャリクシュやイシュタパリヤから一切恩恵を受けていないと言えば嘘になる。だから彼らからしても見捨てると言う選択肢を取るつもりはないらしい。
俺の提案を一蹴する者は、この中には居なかった。
「とは言え、今すぐ追い掛けて捕まえられるような奴じゃねえし……まだ存在するであろう連中の施設を見付けて襲撃するしかねえんだろうな」
「だな。その辺はリュウさんやマルスさんらに頼む事になりそうだけど」
千里眼の異能を持つ少女――イシュタパリヤは、つい先程になって神饗の長である主人によって連れ去られた。
追跡しようにも彼の足の速さはこちらを圧倒していて、遠ざかっていくその背中をただ見送る事しか出来なかったのである。
そしてその事実に、最も衝撃を受けていたのがシャリクシュだ。
元々、俺達と知り合う前から彼ら二人は一緒に行動していただけあって、その関係は非常に密接であったのだろう。
前々から気付いてはいたが、こうしてシャリクシュの嘆き様を見ていると精神的な繋がりの強さが窺い知れると言うものである。
「それにしても、あそこでイシュタパリヤを攫って、奴らは何を狙ってるのやら……」
「さあ? リュウさん、分かりますか?」
「生憎、僕も見当がつかない。間違いなく千里眼に関係はしているのだろうけれど……場合によっては、ね」
そこから先を、訊ねられた彼が明言する事は無かった。
ここで迂闊な事を言ってしまえば、シャリクシュの精神に余計な負荷をかけてしまう事になるし、そんな事になれば色々と面倒臭い。
この場に居る誰もが多かれ少なかれ消耗している以上、ここから更に体力や魔力を消耗する様な真似は避けたかったのである。
「皆無事で良かったって言えないのは、微妙な気分になるよな……」
「助けられる可能性が完全に潰えた訳じゃあないんだから、息が詰まるような気分になる必要はないんじゃあない? 取り敢えず、今はこの場を後にしないと」
これから面倒臭い事が沢山起こりそうな気がするし、とリュウは仮面の下から覗く紅い眼を細めながら言っていた。
実際に彼の言う通り、ここは東ラウィニウム帝国が首都ウィンドボナ。それも皇帝や重臣らが居た宮殿である。
今や見る影もなく崩壊しているが、一つの国家の中枢都市なのだから、そこで暴れ回った者達が悠長に居座ってしまえば余計な騒ぎを招く事は想像に難くなかった。
「とにかく、今はこの場からの離脱を。間違いなく、この辺は暫く政治的に荒れそうだしね」
「う……すみません」
「別に責めている訳じゃあないよ。ただ、どうしてラウ君があんな事になったのかだけ、後で僕に教えて欲しい。もしかしたら何か分かる事があるかもしれないからね」
「分かりました」
着々とこの場から撤収する準備を整えながらリュウとそんな遣り取りをして居ると、不意に歩み寄って来る複数の人影が視界の隅に映っていた。
無論、その顔つきは見覚えもあれば親しみもあるもので、首をそちらへと巡らせながら訊ねていたのだった。
「后……って、その槍は?」
「お前のだぞ。残念ながら、剣の方は何処にも無かったけどな。さっき周囲を警戒してたら、宝物庫っぽいところの近くで見付けたんだ。感謝しろよ?」
「ああ、ありがとう。それに、ガイウスさん達も、お久し振りです」
后羿から手渡されるのは、いつかタルクイニ市でウルカヌスから譲って貰った短槍。捕縛された際に没収されていたものだったが、業物であっただけに雑な扱いを受ける事は無かったらしい。
彼に対して礼を述べつつ、同時にその後ろに居た男達へも深々とお辞儀をしていたのだが、対する彼らは優しく笑って軽く手を振っていた。
「大した事じゃねえよ。タルクイニ市でお前を庇い切れなかった事に対する罪滅ぼしみたいなもんだ。果たして、俺達が今回役に立ったのかは分からねえが」
「いえ、非常に有り難かったですよ。そのお陰で俺はこうしてここに居られるんです」
「大袈裟な奴だ。そう言う礼は、あっちの精霊達や仲間にしてやれ。こっちは別に見返りを求めてた訳じゃねえし、何より偶々(たまたま)だったんだからな」
「た、偶々って……?」
物のついでだったと言わんばかりに語るのは、上級狩猟者であるガイウス・ミヌキウス。その後ろには彼の仲間である二人の男性も頷いて、そしてレメディアに視線を向けていた。
彼ら三人とも一様に笑顔ではあったのだが、どういう訳か背後に般若が幻視出来てしまいそうな雰囲気を纏っていたのだった。
そんな彼らの迫力に気圧されつつ、一体どうしてそんな怒気を漂わせているのかと思えば、その答えは意外と早く明らかになるのだった。
「レメディア、お前勝手に街から出て行きやがって……探したんだぞ?」
「ごっ、ごめんなさい! だって、どうしてもラウが心配で、そんな時にスヴェン君と知り合って話も聞いて……!」
「そんな事は聞いてないんだよ」
しどろもどろになりながらレメディアが青い顔で何やら弁明をしていたが、詰め寄って行くガイウスらの表情は不気味なくらい笑顔で、そして怖かった。
レメディアも助けを求める様にこちらへ視線を寄越してくるのだが、誰もそれに対して目を合わせずに顔を逸らす。
本能的に、ここは首を突っ込むべきではないと皆が判断していたのである。
「ここから撤収して一段落着いたら、みっちりこってり話を聞かせて貰うぞ。良いな?」
「……はい」
どうやらレメディアは、ガイウスらには無断でタルクイニ市から出ていたらしい。その辺の経緯については詳しく聞いていないから知らないが、会話の流れから察するにガイウスら三人はレメディアを探す為
に旅をしていたのだろう。
そしてその最中に俺が東帝国に捕まった事を聞き、これまたどうしてか后羿らと一緒にこの場へ現れた。
「訊きたい事は色々あるけど、アンタらも無事で何よりだ」
「そりゃこっちの台詞だ。勝手に捕まって手間かけさせやがって……貸しだからな?」
「ちょっと何言ってるか分かんねえわ」
「このガキ……」
舌打ちを一つしながら睨み付けて来るのは、ラドルス・アグリッパ。彼も大きな怪我を負った様子は見られず、いかにも健康そのものと言った様子で俺に対して悪態を吐いていた。
タグウィオス・センプロニオスも、今は自身の主君であるシグとの再会を喜んでいる様子で、それを見たスヴェンも余計な茶々を入れる真似を控えている。
だが、積もる話もそこそこに、この場からの撤収は続く。
既に周囲はパニックとは異なった騒がしさに包まれ始め、馬の嘶く声などが聞こえ始めたのだ。
それを耳にしたリュウは二度手を叩いて鳴らすと、意識を切り替えさせるように告げる。
「のんびりしていると、駐屯していた部隊の兵士が乗り込んで来てしまいそうだね」
「……ですね、急ぎましょう。マルスさん、そちらはどうですか?」
「問題ない。行こう」
移動に支障を来す様な負傷者はこの場には大していない。確かにいるが、この程度ならどうと言う事も無いのだ。
戦闘していた者の殆どが精霊と言う事もあり、人間のような手当てを必要としないという訳である。
勿論、大きな損傷を負えば行動不能にはなるものの、その場合は人間なら即死していてもおかしくはない。
仮に手負いだとして、軽微であれば魔力の補充や時間があればすぐに治ってしまうので、少なくとも精霊は通常の治療という概念が当て嵌まる存在では無いのである。
おまけに、実力的にも規格外揃いとなれば幾ら警備も厳しいと言われるウィンドボナとて形無しだった。
「案外簡単に抜け出せるものだな。こちらはウルカヌスにメルクリウスも抱えていると言うのに」
「まあ、宮殿が派手に破壊されて市街はまだ混乱を引き摺っていたんだ。この程度、俺達からすれば温いさ」
精霊達の先導の下、あっという間に都市の外へと抜け出してしまえば、拍子抜けした様子のミネルワとマルスが苦笑していた。
しかし、何と言う事も無い風に彼らが言っている者の、俺達からすればそれがどれだけ高等なものに感じられたのかは言うまでもない。
人外の実力を持つ者達だからこそ為せる業だと、生身の体を持つ者達は誰もが畏敬の念を抱いていたのである。
「信じられん……幾ら混乱しているとはいえ、ウィンドボナの警備をこうも簡単に……!」
「やっぱすごいよな、これ。あの人たち何てこと無いようにやってのけてたけど」
今や森の中で、背後に見えるウィンドボナの市壁を見遣って驚愕の表情を浮かべるセンプロニオスに、スヴェンが何度も頷きながら同意する。
東帝国の事情を知る者は大なり小なりセンプロニオスと似た反応をしている辺り、精霊達の尋常ならざる能力を明確に示していると言えた。
「……ま、何はともあれ何事もなくあの場から離脱出来て良かったね。下手を打てば東帝国兵に包囲されていたかもしれない訳だし」
「ま、そうですね。それでこの後どうします? 態勢を整えるにしても、この辺で呑気にする訳にも行かないでしょうし」
「それもそうだねえ」
東帝国領内に留まるのは論外だろう。何せ自分やシグなど多くの者が指名手配とされているのだ。
王族や貴族の大半を俺が殺してしまったとは言え、その命令は未だに健在と見た方が良いだろう。何より、それが原因で余計に懸賞金が跳ね上がりそうな気もする。
「…………」
「ラウ、どうした?」
「いや、別に気にしないでくれ」
ふと己の手に視線を落とせば、それを不思議に思ったらしいシグが訊ねる。
しかし彼女に対して思っていた事を口にする事は無く、軽く首を振って誤魔化すのだった。
何故なら今は、自分がウィンドボナの宮殿の中で沢山の人を殺したという事実を言っていられる場合では無いから。
あれだけの人を殺したと言うのに平然として居られる自分に違和感を覚えないと言えば嘘になるが、少なくとも今はどうでも良い話だと判断したのである。
事実、その間にも今後の行き先については話が進んでいて、リュウに対してマルスが提案していた。
「君達、何だったら俺達と一緒にタルクイニ市へ来ないか? そこのレメディアと言う少女の地元でもあるのなら、そっちの方が良いと思うが」
「……確かにそれは一理あります。ところで、さっきまでは聞く余裕もなかったので口にしませんでしたが、ユピテルさんとサトゥルヌスさんは?」
「ああ、それについては――」
リュウが口にした疑問は、俺もまた抱いていたものだった。
何故ならユピテルとサトゥルヌスはそのどちらかが、或いはその両方があの主人である可能性があるのだから。
そう言った疑念をこちらが抱えている事を知っているマルスは、その質問の意図を察してか真剣な表情で答えていた。
「先にユピテルが逸れて、それを探しにサトゥルヌスとは別れた。だが、二柱とも今は連絡が取れない。信じたくはないが、まさか……」
「――まさか、何だ?」
「……サトゥルヌス!? お前、何処に行ってたんだよ!?」
出し抜けに木の茂みの向こうから聞こえて来た声に誰もが身構え、一拍置いて姿を現した精霊を目にして、マルスが叫ぶ。
他の者達も一斉にそちらへ注目すれば、サトゥルヌスは困った様な表情を浮かべて肩を竦めていた。
「まるで親に責められる子供の気分だな」
「惚けるな。お前、さっきまで戦いにも加わらずに何をしていた?」
「何をして居たって……真面目に答えないといけない雰囲気だな。良いだろう、答える。だからその剣を下ろしてくれないか?」
険の乗った視線と声を向けるマルスに、サトゥルヌスは苦笑を浮かべて両手を上げる。しかし、一向に雰囲気が柔らかくならない事を察した彼は、佇まいを正すと語り始める。
「勿論、ラウレウスやウルカヌス、メルクリウス救出のために私もウィンドボナの宮廷には向かって居たんだが、途中で目に入ったものがあってな。そちらの方に時間を食ってしまったのだ」
「……目に入ったもの? 途中でお前が俺達と逸れたのもそれが理由だと言いたいのか?」
「ああ。一言断りを入れようと思ったんだが、それをする間も無かったんだ」
そう語りながら、サトゥルヌスは瞑目して腕を組み、背後の木に寄り掛かっていた。
すると、その如何にも無警戒且つ無抵抗を象徴したような彼の姿を前にして、自然と張り詰めていた空気が緩みかけた時、更にもう一つの声が割って入る。
「サトゥルヌス、この裏切り者が……ッ!」
「!?」
何事かと思ってサトゥルヌスの立つ方向に目を向ければ、その更に背後から同じ顔かたちをした精霊、つまりユピテルが姿を現していた。
しかし彼の姿はサトゥルヌスとは対照的に損傷が目立ち、どういう訳か酷く消耗していたのである。
加えて何やら不穏な呟きを漏らしている様子に誰もが驚愕を露わにし、そして俺達はサトゥルヌスとユピテルを交互に見遣る。
これは一体どういう事かと、皆がその二柱に視線だけで問うていたのだ。
するとその意を素早く察したらしいサトゥルヌスは、泰然とした姿勢を崩さずに――告げていた。
「ここ数十年、この西界で暗躍していた神饗、その頭領たる主人の正体は、ユピテルだ」
「……ふざけるなサトゥルヌス! なに訳の分からない事を言ってやがる!?」
「まだ白を切る気か? 見苦しいぞ。先に私へ攻撃を仕掛けて来たのは、貴様の方だろうに」
「何だと!? それはお前が……!」
冷静な態度を崩さないサトゥルヌスに対し、ユピテルは怒りを発露させながら叫ぶ。
それは両者の性格を端的に表しているように感じられると同時に、どちらの話に信憑性があるのかすらも明示している様でもあった。
「ミネルワ……どういう事だ、これは? 何が起きてる?」
「分からない。私も全く理解が追い付かないのだ」
マルスもミネルワも、思っても見なかった展開に多くの者が呆気に取られてその光景を眺めている中、俺は対峙している瓜二つな精霊達の姿を黙って睨み続けていた――。




