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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第一章 コノヨニウマレ
17/239

Lose Your Mind ④


『助けてくれ』


 その声が聞こえた場所に向かってみれば、地獄絵図の痕が広がっていた。

 何かが暴れるような音を聞きつけて慎重に確認してみれば、追手だと思った兵士達――実際追手だったのであろう八人が、凄まじい状態で死んでいたのだから。

 喩えるなら、全身から水分を全て抜き取った様な、そんな不気味な死体。

 彼らは干乾びた顔であるにも関わらず、絶望の表情を浮かべているのが窺い知れるくらいだ。


「どうなってんだ、これ……?」


 ここまで惨たらしい死体など、前世を併せたって見た事が無いくらいに、酷い有様だった。

 普通に農村で暮らして居て見る餓死体でも、ここまでの状態にはならないし、悲痛な断末魔の叫びを想像させるような表情はしていないのだから。

 その余りの気味悪さにこれ以上検分する気も失せた俺は、一切死体に触れる事もなくその場を後にしようとした、そこで。


「!?」


 何かが、視界の隅で動いたのだ。

 人ではない。恐らく中型以上の動物でもない。


 小動物か――。


 目を凝らし、何かが居るであろう場所を見つめるが、動物など何も見当たらない。

 そこに在るのは木に纏わりついて青々と茂る太い蔓のみなのだから、当然と言えば当然だった。

 つまりその場に、最初から動物などいなかったのだ。

 いるのは、意思でもあるかのように動く、不気味な蔓なのだから。


「……何の冗談?」


 目の前で蛇のように地を這い、木に纏わりつく、蔓。  

 これでは植物では無く動物(・・)じゃないかと、目の前のそれを数秒ほど凝視し続ける。

 こんな不自然な存在から、早く目を逸らしたい、早く立ち去りたい。

 そう思うのだが、どうしてかそれから目が離せない。足が地面に縫い付けられたように動いてくれない。

 そうこうしている間にも巨大な蔓は、辺りで一番幹の太い巨木に纏わりついていく。

 その長さは驚異的で、しかし、直後に引き起こされた事象に、度肝を抜かれた。


「こ、こいつは!?」


 ――巻き付かれた巨木が、枯れ始めたのだ。

 目の前で、植物が見る見るうちに枯れ、死んでいくのだ。

 青々と茂っていた葉は黄色を経て段々茶色に変色し、ちょっとの風でぽとりと地面へ落ちていく。

 それはもはや枯れ葉以外の何物でも無く、一々確認する必要も無いくらいに、木は枯れていた。

 だが、話はそれだけで終わらない。

 今度は、巻き付いていたその蔓までもがその末梢部分から変色し、枯れ始めたのだから。

 それこそ集めた養分諸々をストローが吸って行くように蔓は先からどんどんと枯れて、枯木以上にカラカラとなったそれは、あっという間に自壊する。


 跡形も無く、砂のように消えていくのだ。


 風に煽られ、重力に引かれ、溶ける様に、何事もなかったかのように、無くなって行く。

 気付けばそこには、枯れ果てた大木が一本あるのみとなっていた。

 そこでようやくハッとし、それと同時に頭を過るのは数日前のミヌキウスの質問。




『ここ最近、森の中で変な事は起きてねえ? 例えば人が消えたとか、死体が見つかった……とか』




 彼が言っていたのは、ひょっとしなくともこれの事だったのかもしれない。

 なるほどどう見てもこれは、変な事だ。

 依頼であった以上、守秘義務云々は理解できなくもなかったが、出来れば話して欲しかったと思わずには居られない。

 どちらにしろ関わり合いになりたくない、無駄な時間を取られたくない身としては、こんなものは見なかった事にして立ち去るのが吉である。


 ……吉であるのだが、少々遅かったらしい。


 何を感じ取ったのか、蛇のように動く不気味な蔓が、真っ直ぐにこちらへ向かって来ていたのだから。


「げ……」


 言うまでも無く、あれは危険だ。

 巻きつかれたらそこの枯木のように、そして向こうに転がる八つの死体のように、カラカラになってしまうだろう。

 もしそうなってしまったらの想像を浮かべ、考えたくもない自分の成れの果てに肝を冷やす。

 もはや計画的な逃げ道など計算している暇もなく、俺はただ恐怖に迫られるまま逃げ出していた。

 だが、恐ろしい事に蔓は何処までも何処までも、諦める気配もなく追って来る。その太さは木に巻き付いていたものに比べれば細いと言えるが、それでも人の腕くらいはあるらしい。

 巻き付かれたら、引き千切るのは相当な力が居る筈だ。

 ただ、幸いと言うべきかその速度は大した事もないので、易々と捕まるなんて事態にはならないだろう。


 けれど、だとすればどうしてあそこで八人もの兵士が死ぬ事になったのか、甚だ疑問が残る。八人もいれば、散り散りになって逃げる事も出来るはずなのに。


 いったい彼らには何が起こったのか――。


 その時、この耳が悲鳴を聞きつけた。

 獣とは違う、明らかな人の悲鳴。

 それもかなり近い、ここを真っ直ぐ進んだ先。

 逃げるついでに様子だけ見ようとそちらへ目を向けてみれば。


「く、来るな、来るなっ!?」


 四方をぐるりと蔓に囲まれた、一人の兵士の姿があった。

 恐らく追手の生き残りなのだろうが、その顔には明らかな怯えが見て取れた。

 もはや完全に気持ちで負けているのか、その兵士は碌な抵抗も出来ずに足から纏わりつかれ、幾つもの蔓に巻かれていく。


「嫌だ、放せ、放してくれっ! 俺は、まだ、死にたく……な……ぃ」


 最期に、思い出したように抵抗する彼は、しかしもはや遅すぎた。

 弱々しく、萎びた声は段々と小さくなり、そして途切れる。だが、その後数秒は微かに動き続け、気付けば体は硬直していた。

 恐らく、完全に死ぬまでは少し時間が掛かるのだろう。

 あんな風にはなりたくないと、その周囲を迂回しながら心に決め、尚もどんどん走って追い駆けて来る蔓との距離を開けていく。


「ん?」


 ここまでくればもう大丈夫――そう思って脚を止めたその時、足に何かが引っ掛かる。

 何だろうと思って左足に視線を向けてみれば、果たしてそこにあったのは、一本の蔓。

 それを見た瞬間、余りの事態に絶句し、思考が止まってしまう。

 その間にも蔓はシュルシュルと脚へ巻き付き始め、体へと纏わりついて来ていた。


「――っ、くそ!」


 慌てて腰に差しておいた短剣を引き抜き、何度も蔓へ叩き付けるが、早々容易くは切れてくれない。

 それでもどうにかして足元から蔓を切断して事無きを得たと、思ったのに。


「……!」


 もう既に、俺は周囲を無数の蔓で塞がれていたのだった。

 当然、逃げ道なんてありはしない。

 先程見かけた、あの兵士のような最後が、もう我が目前まで迫っていた。





◆◇◆





「ん……ぁ?」


 頬を照らす暖かい日差しを感じながら、ガイウス・ミヌキウスは目を覚ます。

 しかし、彼が目を開けて最初に視界へおさめたのは、青い空とそこに浮かぶ無数の白い雲。

 いつの間に野宿でもしたのだろうかと、己の記憶を探りつつ上体を起こして眼前の光景を認識した時、彼の体と思考は停止した。


「……何だよ、これ」


 数秒ほど動きを止めてから、辛うじて口にできた言葉はたったそれだけ。

 何故ならば、そこは鎧を纏った兵士達が折り重なるように倒れている、戦場の痕跡とも言える惨状を呈していたのだから。


「こいつは、あの豚貴族か? 酷いやられようだな」


 ふと馬の嘶きにつられてそちらへ目を向けてみれば、そこには白目を剥いて倒れている肥え太った男の姿があり、その周囲で倒れている者たちも同様であった。

 見た限りではその場に倒れているのは人のみで、どうやら騎馬は全て無傷でその辺の草を()んでいるらしい。


「ここは……地獄か何か、なのか?」


 目を覚まして飛び込んできた光景は、まさに死屍累々とも言える衝撃的なそれであった事はミヌキウスを混乱せしめるのに十分過ぎるものであった。

 故に彼は上体を起こした体勢のまま呆然としていたのだ、が。


「ここは現実だよ。ついでに言えば君はまだ死んでない。僕が助けたからね」


「……誰だ?」


「いやいや、誰だって言うのは酷くない? 君が気を失う前にちゃんと名乗ったじゃあないか」


 彼の背後からやって来た声の主は、困った様に笑っているらしかった。

 らしかったと言うのは、その人物が顔面を覆う無骨な仮面のせいで表情が窺えないのだ。


「確か、リュウって名乗ってたよな?」


「うん、正解。なぁんだ、しっかり覚えてくれているじゃあないか。助け甲斐もあるものだよ」


「助け甲斐って、じゃあこれ全部アンタが?」


 信じられないという気持ちを隠そうともせず、ミヌキウスは周囲に目を向ければ、リュウは無言で首肯する。

 そんな彼を怪物でも見るかのような目を向けるが、実際唐突に割って入って来たリュウは不審そのもので、胡散臭い事この上ない。

 だが、ミヌキウスも気絶する前に彼の実力の一端を目撃した訳であり、それが完全な嘘であると言い切る事が出来ないのも事実であった。


「それにしても、君は無茶をし過ぎだよ。今は綺麗さっぱり治したけれど、手当てをする前は本当に瀕死の重傷だったからね」


「ああ、感謝する……いやちょっと待て。 お前、どうやって俺の傷を治した? 幾ら上等な癒傷薬(メデオル)だとしてもここまで完全に傷を治すのは困難な筈だ」


 意識を失う直前までは、もはや致命傷と言っても差し支えなかった自分の腹部を摩りながら、ミヌキウスはそう問うていた。

 すると、リュウは腕を組んで暫く思案する気配を見せたかと思えば、「秘密」と短く答える。


「ところでいい加減立ってみたら? 傷も治っている筈だし、その後の経過を見る意味でも歩いたりするのは重要だと思うよ。あと、君のお仲間二人も治療しといたからね」


「ん、ああ……感謝する。けど、死体を見渡して歩くってのは中々趣味が悪いと思うぜ」


 立ち上がりつつ、再度倒れている人々に目を向けてみれば、そこにはピクリとも動かない人体たち。

 そんな余りにも変わり果てた彼らの様子に、内心で冥福を祈らずには居られなかったが、そこでリュウが立腹した様に反論する。


「失礼なっ、そこに居る人達は気絶しているだけだよ。多分、誰も死んでないから」


「……多分って何だよ」


「多分は多分だよ。まぁ、ここの人が何人死のうとも僕としてはあまり興味もないのだけれど」


 辺りを見回し、倒れている者たちに視線を向けつつ、彼はそれが本心である様な声でそう答えていた。

 一方でそんな人の死を全く何とも思っていないような物言いに、流石のミヌキウスとしても何処か冷たいものを感じずにはいられなかった。

 何故ならば彼自身がそうであるように、幾ら人を殺め慣れたとしても、大抵の人はどこかで何か思うところはある筈だから。

 自分達と同じように喋り、考え、行動できる“人間”という存在の命を奪うと言うのであれば、それが喜怒哀楽いずれかの感情を伴っている筈だというのに。

 リュウのそれは驚く程に無関心で、無味無乾燥で、殺し屋がそうであるような“慣れ”でもなくて、まるでただの障害物を押し退けたような言い草だった。

 だから、ミヌキウスはこのリュウと言う人物の底知れなさに恐怖する。

 無論、そんなものを恩人に対して悟らせるような真似はしないのだが。


「ああ、そう言えば改めて訊ねるのだけれど、君の庇った“白儿(エトルスキ)”の子、どこにいるか教えてくれない?」


「お前みたいな怪しい奴に、誰がいってやるもんかよ。けど、参考までに聞かせてくれ……仮に俺が教えてどうするつもりだ?」


「決まっているだろう、保護するのさ。その子が下手に捕まったら、殺されるかもしれないんだよ? だから、僕にその居場所を教えて欲しいなぁって」


「嫌だと言ってる。俺は意地でも口を割らねえからな。例え拷問されようと、殺すと脅されようと、だ」


 抵抗するだけ無駄なのは、もはや分かり切っている。何故なら、体の傷は治っても未だに魔力が回復しきっていないのだから。

 しかしそれでも、彼は屈する気など毛頭なかった。

 それが、彼自身が課した使命であり、約束であるのだと、固く決めていた故に。


「そっか、折角君を助けてあげたのに……そこまで言うなら仕方ない、その居場所を強引に聞き出すのはやめておこう」


「……何もしないのか?」


「して欲しいの? けど残念、別に僕としては救えなかったら救えなかったで特には拘らないよ。だから、ここで教えて貰えなくても本当に困る事は無いのさ」


 だったらどうしてこんな所まで来ているのかと訊きたくなるのも当然の事だが、その疑問が湧く事を見越してか、リュウは話を続ける。


「――僕はね、この世の中には“(えにし)”ってものがあると思っているんだ」


「エニシ?」


「ちょっと長い説明になるけれど……例えば今、こうして君と僕は話して居るよね。けど、僕の気分が向いて居なければ君はそこで死んでいた。つまり、君は生きていなかったかもしれない。これが“(えにし)”だよ」


「……ん??」


 済まないが全く分からないと、その顔一杯に疑問符を浮かべるミヌキウス。


 それを見て無理もないと思ったのか、リュウは苦笑の滲んだ声で再度、要約する。


「もっと噛み砕いて言えば、『救える人は救えるし、救えない人は救えない』って事だよ。分かる?」


「要するに、なる様になるって事? だったら最初からそう説明しろっての」


 回りくどい説明しやがって、とリュウに文句を言うのだが、当の本人はそれもどこ吹く風と受け流す。

 もっとも、受け流すどころか最早なかったものとしているかのように、一度大きな伸びをするとこう言っていた。


「僕はそろそろお暇するよ。目的を果たせなかったのはちょっぴり残念だけれど、いい気分転換になったしね。その子と僕との間に“(えにし)”があれば、また別の機会に会う事もあるでしょ。じゃあね」


「えっ……あ、おい!?」


 あっと気付いた時にはもう遅く、ミヌキウスが呼び止める間もなく彼はその場から去っていく。

 彼が姿を現した時と同じように、仄かに白く発光する魔力の塊を空中の飛び石として、だ。

 今は無様に気絶しているプブリコラが、その炎でこの辺りの木々を燃やしてくれたお陰で空の見通しが良いのも幸いし、彼は段々と遠退いて行く影を無言で見送る。


「……ありがとな」


 それから、既に遠くにポツンと視認できる程度の大きさになってしまった人影。

 それへ向かって小さな礼をした後、気絶したままの仲間二人を起こしにかかっていたのだった。





◆◇◆





「――こんな所で、死ねるかクソがぁっ!!」


 手加減なんて一切せず、撃ち出した魔力の球が数本の蔓を纏めて吹き飛ばす。

 だが、その程度では全ての蔓が止まる様な事は無かった。

 だから、俺は絡まれて捕らわれない為に、兎に角魔力を撃ち込み続け、吹き飛ばす。

 その結果として生じた隙間を、一気に駆け抜けるのだ。


「この、このっ!」


 しかし、どういう訳か次第にこちらへ迫って来る蔓数は増し、同時にその太さも増していく。

 まるで意思がある様な、何かが操っている様な気がするそれらには生理的嫌悪感を何度覚えた事か。


「いい加減に、しやがれっ!!」


 正面から迫る、無数の蔓。

 それに対して頭一つ分の大きさにまでにした白球を、雑言と共に思い切りぶつけていた。

 撃ち出されたそれは接触と同時に対象を地面諸共消滅せしめ、更にその先へと伸びていく。

 大気などの様々な抵抗が発生するせいか段々と減衰するそれは、最終的に蔓の先端があった場所から四M(メトレ)まで届き、巻き込まれた木の幹を焦がす。

 けれど、蔓はまだまだ奥があるみたいで、それらはずっと奥まで続いている。

 おまけに、先端を吹き飛ばしたからと言って蔓が止まる気配は無く、先が消滅しても迫って来るのだ。

 こうなれば、もはや大元を断ってしまった方が楽かもしれない――。


「もう、やっちまうか」


 尚も強引に逃げ道を開きながらそう思った俺は、蔓の伸びている先へと視線を向け、そちらを目指してひた走る。

 すると段々と枯死した木々、干乾びた動物の死体も散見され、若いらしい細い蔓までもが襲い掛かって来る。

 もっとも、それこそ普通の蔓のように細いそれらでは人間の勢いなど止められず、ブチブチと音を立てて千切れていくのだった。


「どうなってんだ、こりゃ……?」


 気付けば、ぱたりと蔓の襲撃は止み、けれど根元のあるである方向へ進めば進むほど、蔓の太さも増していく。

 さっきまでは多少なりともあった緑は蔓以外に見当たらなくなり、全く生命が無いような、裸になった無数の木々が立ち並ぶのみ。

 まるでその辺りは全ての生命が、養分が吸い込まれた様だったのだ。

 恐らく、あの蔓は段々とこの森の中で成長していたのだろう。それも、周囲の養分を根こそぎ吸収して、である。

 だからこの辺は全く緑が無い。

 木や雑草が消えた事で見晴らしの良い周囲を見渡せば、緑の全滅している範囲は大体円状だ。

 それから更に蔓を伸ばしているのだろうが、恐らくその理由は根元周囲の栄養が枯渇したから。

 更なる成長と、生存するためにあちこちへと長大な蔓を伸ばし、尚且つ動くそれらで動物すらも捕食する。

 折角伸ばしていた蔓が消滅していくのは、その理由が分からないけれど、恐らく維持が出来ないとかそんな所だろうか。


「迷惑千万て奴だな」


 そんなことを考えている内にも、俺は徐々に蔓の根元へと近付いて行き、その太さはこの身長すらも越える。

 ただ、その茎は末梢ともいえる蔓より幾分も固く、少し変色しており、そこから若い芽が伸びる気配は無い。

 だから途中でぱったりと蔓が襲わなくなったのかと考えが至るが、それと同時に俺は駆けていた脚を止めていた。


「……ここか」


 何が、とは言うまでも無い。

 数多の命と栄養を貪り食った醜悪な動く蔓は、その根元もまた非常に太く、そして同じ太さのそれが四本、それぞれの方角へ伸びていた。

 暫しその大きさに茫然としてしまうが、途中でハッとして本来の目的に考えを巡らせる。

 無論、こんな大きさと太さである以上、引き抜くなんて出来る訳が無い。


 そうなればやはり――。


 明確な思考の形にしなくとも、答えに辿り着いた時、この耳が背後から迫る微かな音を捉えていた。

 それはつまり、ここを目指して迫って来る無数の蔓の音。

 間違いなく、俺を狙っているのだろう。

 見れば根元からも若い蔓が生え始めており、このまま悠長にしていれば挟撃され、逃げ道を断たれる事は火を見るよりも明らかであった。


 ――不味い。


 今度こそ逃げ場が無くなってしまうかも知れないという事実に、背中が粟立つ。

 慌てつつも、それでいて努めて冷静に、両掌を合わせて隙間に白球を生み出す。

 膨張する大きさに合わせて両手の隙間をどんどん広げて行き、どんどんと魔力をつぎ込んでいくのだ。

 その間にも前後から蔓が距離を詰め、迫って来るのを感じながら。


 急げ、急げ、急げ。


 頼むから、間に合ってくれ。

 そう念じるけれども、中々思った通りに大きくなってくれない。

 もっと、もっと早くと念じても、じわじわとしか魔力を注げないし、大きくならないのだ。

 背後から聞こえる蔓の音は次第に近くなり、正面の蔓ももう、既に足元まで迫っていた。

 時間が、無かった。

 このままでも良いから、もう撃ってしまおうか。

 いいや、駄目だ。焦るのは分かるけれど、この大きさでは恐らく威力が足りない。


「っ!」


 思考が段々と焦燥に埋め尽くされる様に、心臓は早鐘を打ち、息が苦しくなり、体が震える。

 遂に、前後から迫った蔓がこの足に纏わりつき始めた。


「……!」


 思わずびくりと体が跳ねてしまったけれど、必死になって堪える。

 まだだ、まだだ、まだだ。

 白球の大きさはまだ、足りない。けど、あと少し。

 その間にも、しゅるしゅると蔓はこの体を這いあがり、脚を埋め尽くして腰にまで上っていた。

 だが、その時にはもう。




 ――いける。




 己の肩幅ほどにまで膨張し、まるで腕で抱えていると見紛うほどの大きさとなったそれは、十分な威力を秘めている様だった。

 だから、そう思った時にはもう。


 極大の白球はこの腕を離れていたのだ。


「~~~~っ!?」


 放たれたそれは、一拍の間すらも置かずに蔓の根元へ直撃し、そして爆発した。凄まじい爆音と爆風を引き起こして、その辺り一帯を吹き飛ばしたのだ。

 その衝撃は無論俺も巻き込み、体に巻き付いていた蔓を一瞬で引き剥がしてくれたが、同時に数M(メトレ)も後ろへ飛ばされてしまった。


「……ってぇ」


 幸いにも大怪我は負わなかったけれど、しかし強かに打ち付けた体の痛みと舞い上がった砂塵に咽せ、手で背中を(さす)らずにはいられない。

 しかし、それは程々にしてすぐ別のものへと注意を向けていた。

 砂煙のせいか涙で滲む目を擦り、攻撃の成否を確認しようとしたのだ。

 するとそこには、無残に根元を吹き飛ばされ、千切れた巨大な蔓の根元があった訳で。


「……倒せた?」


 確認するように周囲を見渡せば、さっきまで体を這い上って来ていた蔓たちは細切れに千切れ飛び、そのどれもが動く気配が無かった。

 立ち上がると念のため耳を澄まし、目を凝らしてじっと周囲を警戒するも、暫く経ったところで蔓が動き出す様子は見られない。

 つまりこれは、危機を脱した事に他ならないという事だ。

 その事実を認識し、安堵した様に溜息を吐くと、その場に座り込んでしまっていた。


 ――助かった。


 未だに、体の震えは、心臓の早鐘は、鳥肌は、息苦しさは、収まらない。

 けれども、その一方でこの危機を乗り切れたことが嬉しくて、どうしようもないくらい力が抜けてしまって。

 自然と誰に向けるでもないのに顔が綻んでしまう。

 どうにか一命を拾えたことが、嬉しくて仕方無かったのだ。

 だからだろう。ほんの少しだけだが、周囲への警戒が緩んでしまったのは。

 だから、接近を許してしまい、かつ気付けなかった。


 それは、その男は。




「……見つけたぞ」




 聞こえて来たその声に、呼吸が一瞬止まった。

 心臓がまた一度、大きく鼓動する。

 背中を、悪寒が撫でた。

 気付けば俺は、二十M(メトレ)も無い距離にまでその男の接近を許してしまっていたのだ。


「あんまり騒がしいから何事かと思って来てみれば……こんなデカい蔓のバケモンと、お前が居るなんて思いもしなかったぜ?」


 男の髪と眼は、灰色。装いは領主プブリコラ麾下のそれであり、槍と剣を持つ歩兵のそれ。

 とどのつまり、領主が差し向けたのであろう、追手の一人。

 そして、己はその男の事を知っていて。


「追跡の為の小隊から(はぐ)れちまったのに、まさかお前に会えるとは思わなかったぜ、ラウレウス? これも神の思し召しって奴かもしれねえな!」


「ルキウス……!」


 その男の名は、ルキウス・クラウディウス。

 現村長の息子で、俺達を目の敵にして、そして俺が村から逃げる事になった、原因そのもの。

 そんな彼は恰好の獲物を見つけたとでもいう様に、舌を舐め摺っていたのだった。


「――俺に屈辱を与えた事、死ぬほど後悔させてから殺してやるよ。なぁ、精々いい声で鳴いてくれよ?」





◆◇◆





「……ラウ君」


 一人の少女が、空を見上げて小さく呟いた。

 彼女はある事件のせいで一人の家族を、そして住む場所を失った。その声には悲嘆の色が見え、そして疲れているようにも聞こえる。

 どうしてこんな事に。

 少女の緑色の瞳は、微かに湿っていた。


「……おい、行くぞ」


「うん、分かった」


 背中から掛けられた素っ気ない声に頷き返した彼女は、その視線を下げる。

 そこに居るのは、見慣れた顔。

 声の主の後に居る小さな子供達も皆一様に表情が暗く、また疲労の色を隠せていなかった。


「また、会えるよね。絶対……」


 望みが薄いのは分かっている。

 けれど、それでも少女は願わずには居られない。

 もう一度、今までの様に、と。






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