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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第七章 サツイトマラズ
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第五話 君のいない夜を超えて⑥

◆◇◆




「アウローラ……まさかお前が裏切ったとは思いもよらなかったが、俺達を敵に回した事の意味を知らない訳じゃないだろ!?」


「貴様らこそ、我らに楯突く事の罪深さを知らないのか? 幾らここで此方(こなた)やオルクスを追い込んだとして、主人(ドミヌス)様が黙ってはいない。精々あの方に蹂躙されるが良いさ!」


 マルスに対してそう答えるルクスは、オルクスと共に押し込まれていた。


 幾ら非常に強力な能力を持っているとは言え、同等かそれ以上の能力を持つ精霊が複数敵に回っているとなれば、不利になるのは当然と言えるだろう。


 事実ルクスの攻撃は碌に当たらず、オルクスの生み出す無数の屍たちは文字通り鎧袖一触に蹴散らされていた。


 ウィンドボナの宮廷地下に居た無数の被検体たちも解き放って暴走させているが、こちらも次々と屠られていく有様だ。


 このまま行けばいずれ、ルクスとオルクスが敗北する事は間違いなかった。


 そうなる前に脱出を図りたいと思うのは彼らとしては至極当然の話だったが、生憎とその機会が中々訪れない。


「逃がす訳ないだろ? 神饗(デウス)について、お前らには洗い(ざら)い吐いて貰うからな」


「誰がその様な真似をすると思ってか!?」


「話さねえのなら無理矢理にでも聞くさ! ……そろそろメルクリウスとウルカヌスを返して貰うぞ?」


 一瞬だけ視線を他に見せたマルスがそう言って意味ありげに笑った直後、ルクスと繋がっていた意識(・・・・・・・・)の一つが不意に断線した。


 その事にハッとして、先程目配せするようにマルスが見た方向に目を向ければ、そこには短剣を突き立てられた精霊――ウルカヌスの姿があった。


 そしてそれを為したのは、白儿(エトルスキ)の少年――ラウレウス。周囲の精霊達の援護を受けて、ウルカヌスに掛けられていた強制契約の鎖を断ち切ったのである。


 何が起こったのかを瞬時に把握したアウローラは、その表情に皺を刻みながら舌打ちをして、メルクリウスにも目を向ける。


 ウルカヌスが倒れた事で負担が一気に増加した所を見るに、そう時間も掛からず彼も強制契約による繋がりが断たれる事だろう。


 救援に向かうだけ無駄と判断したアウローラは、今度はオルクスへ視線を向ける。


 こちらは別に操られている訳でもなければ、アウローラと同じくらい古株の精霊である点も相俟って、まだまだ余裕が見られる。


 もっとも、それはもうじき霧散してこのまま行けば彼女自身と共に撃破されてしまうだろう。


「オルクス!」


「……分かってる、ジリ貧だからな。しかし、これではどうする事も出来ないぞ。お前の魔法で逃げようにも、光魔法は効果の分だけ時間が掛かる」


 ルクス、つまりアウローラの光魔法は、異常なまでの威力を誇っている。しかし、反面作動までに時間が掛かる上に魔力の消費も多い。


 少なくとも、この状況では彼女の魔法を使って一気に逃走を図るような真似をする事は出来ない、出来る筈がなかった。


 けれども、こうして応戦している間にも魔力を消耗している訳であり、時間を追う毎に逃走能力すら削られていくという悪循環であった。


「引き時を見誤ったか……不覚!」


「最悪ここは俺が引き受ける。ルクス単体ならこの場から逃げ切れる筈だ」


「そんな事をすればタナトスはどうする? 此方(こなた)は同士であるお前を見捨てる事など……!」


「共倒れになるよりはマシだ。主人(ドミヌス)の為にもな」


 生み出しては、生み出しては斬り倒されていく死体。


 それはついさっき斬り伏せられたばかりの死体から、地面に眠っていた白骨死体まで様々だけれど、やはり鈍い動きでは精霊達の相手になる筈がなかった。


 幸いと言うべきか、先程から()()ぎだらけの歪な生物が解き放たれているせいで死体の調達には困らないものの、消し炭にされてしまえばもう不死者として復活させる事が出来ない。


 死体が無くなって行くと言う事は、そのままタナトス――オルクスの戦力が削がれていくに等しいものだった。


「……メルクリウスもやられた」


「そうか、腹を括ろう。隙を見てお前を逃がす、反論は無しだ。良いな?」


マルスの斬撃を躱している間に、もう一度魔術的な繋がりが断たれる感覚を察知したルクス――アウローラは苦々しい表情をする。


 しかしそれとは対照的にオルクスは非常に冷静で、落ち着き払った声で話を続けていた。


「折角、主人(ドミヌス)直々に手に入れた二柱の精霊をこの場で失った(せめ)は俺が負う。もう一度言う、脱出しろ」


「貴様、此方(こなた)に指図を――」


「もう時間が無いんだ、分かるだろ? それに、もう俺の能力はなくても計画は順調に運んでいける。多少手間はかかるだろうが……問題ない」


 砕かれた骨や飛び散った肉片を一瞬の内に寄せ集め、辛うじて人の形をした得体の知れない存在を、オルクスは生み出す。


 生物の体を素材に物を作ってみたような姿をしているそれらは、はっきり言って見ていて気分の良いものでは無くて、マルスも露骨な嫌悪感を露わにしていた。


「魔力の属性については運に左右される以上、個人を責めるべきじゃないとは思うが……だとしても醜悪な魔法だな、オルクス?」


「随分な物言いをしてくれる。その醜悪な魔法に、お前達は助けられてその体(・・・)になったんだぞ?」


「だからって……死体を(もてあそ)ぶような真似を!」


 幾つもの屍を融合して生み出したその死体の塊は、それまでのただ動く屍とは一線を画していて、堅牢さや柔軟さなど幾つも優秀さを持っていた。


 その厄介さに顔を顰めるマルスらは、しかし手間取りながらも丹念に一体ずつ撃破していく。


「遺体を(いじく)る以外にも、お前の魔法は使い道がある筈だ! どうしてそんな事が平然と出来る!? 昔の……あの時のお前は……そんな事をする奴じゃ無かった筈だ!」


「いつの話をして居る? この千年で、俺は人類そのものにいい加減失望したんだ。(むし)ろお前らは、どうしてそっち側に立てる?」


「胸糞の悪い連中に、仲間まで被害に遭って加入したいなんて思う訳ないだろ!? 少なくともお前らの主張を、俺は認めやしない!」


 マルスとオルクスの間を遮るように、一体の死体が立ち塞がるものの、マルスにして見ればもはや相手になる筈もなく一蹴する。


 すると、とうとうオルクスの周囲に展開していた死体たちが全滅し、彼への接近を阻む障害が存在しなくなっていた。


 勿論、まだまだオルクスの手によって多くの不死者が生まれていたが、少なくともこの瞬間、彼の周囲は極めて無防備になっていたのである。


「四肢を斬り落として全部話して貰うぞ、オルクス!」


「精霊なら魔力が回復すればすぐに生えてくるとは言え、酷いな。人を散々非難して置きながら、平然と(むご)い真似をするのか」


「それこそどの口が言う!?」


 斜めに斬り上げられた斬撃を、オルクスは間一髪で躱す。ほんの僅かに腕が斬られていたが、かすり傷程度である事を見て取ったマルスは、そこから更に畳みかける様に剣を振るうのだった。


 しかし、幾ら接近戦に不慣れなオルクスとは言え、長い時を生きて来た彼が棒立ちで簡単にやられる筈もなく、紙一重の差で直撃を避ける。


 とは言えいつまでも躱し続ける事が出来るかとなれば、それもまた不可能な話であった。


「……!」


「悪く思うなよ」


 マルスに加えて他の精霊まで加わってしまえば、攻撃の密度の前に会えなく回避手段を封じられて――。






 けれど、オルクスに直撃する筈だった攻撃は、忽然とその姿を消していた。





 魔法攻撃が直撃した事によって生じる衝撃は一切無く、そしてマルスが振るった剣は何も断たずに堅いものによって受け止められていたのである。


「どうなっている……!?」


「見ての通りだ、分かるだろう?」


 撃破される寸前だったオルクスを庇う様に剣を握る人物は、顔を覆う黒い仮面を着けてマルスと対峙していた。


 相当な力が剣に加わっているらしく、金属の擦れ合う耳障りな音が両者の耳朶に触れる。


 当初は突然現れた闖入者(ちんにゅうしゃ)に面食らった顔を見せていたマルスだったが、それでもすぐにその正体を察したらしい。不敵に笑うと、黒い装いを身に纏った人物へと声を掛けていた。


「よう、お前が話に聞く主人(ドミヌス)だな? メルクリウスとウルカヌスが世話になったらしいじゃないか」


「……私を知っているのかね? まあ、それを構いはしないが……色々と不味い事態になっている様だな」


「俺らにして見れば最高だぜ。まさか神饗(デウス)の主に会えるとは思っても居なかったからな。何なら、この場でお前らを終わりにしてやる!」


「大きく出たな、たかだか千年程度の若造精霊が」


 互いに剣を払い、鬩ぎ合いから一気に距離を取る。


 直後に主人(ドミヌス)はその手に握っていた剣を変形させ、長柄武器へと変容させていくのだった。


 その武器の形は、大鎌(ファルクス)


 仮面や纏う外套が黒い事もあって、さながら死神そのもののような不気味さを醸し出していた。


「タナトス、ルクスと共に後退しろ。後は私が引き受ける」


「良いのか? まさかお前直々に……」


「構わんよ。丁度試してみたいものもあるのでね。さあ、行け」


 いつまでもここに居られると邪魔だと言わんばかりの主人(ドミヌス)の言葉に、名指しされた二柱は文句もないのか即座に場から後退していた。


 勿論それはルクス――アウローラの魔法によって宙を舞って後退していくのだが、同時に砂煙と熱風が辺り一帯を流れる。


「部下を逃がす為に大将が殿(しんがり)とか、泣けるな」


「少なくともこの場において、消耗した味方は足手纏いなのでね。安心し給え、貴様たちには容赦してやらないさ」


「ああ、そうかよッ!!」


 主人(ドミヌス)の鼻持ちならない態度が我慢ならなかったのだろう、マルスのその言葉と共に精霊達が一斉に襲い掛かる。


 幾ら猛者であっても、彼ら精霊の実力は今更言うに及ばず、相手にもならずに撃破されると見ていた誰もが思った――のだが。


「私の相手が、この程度の質と数で務まる訳が無かろう!? 愚かな精霊が……やはり元が人間だと劣等的な思考回路しか持たぬのだな」


「ぐっ!?」


 繰り出された一撃はどれ一つとして主人(ドミヌス)に当たる事は無くて、それどころかマルスを相手に大鎌を振るって圧倒していたのである。


 それを見て、他の精霊達は慌ててマルスを援護すべく動き出すものの、やはり一撃も当たらない。


 一応マルスから引き剥がす事には成功したものの、主人(ドミヌス)の余裕綽々と言った態度を微塵も崩す事は叶わなかったのである。


 その事実が余程信じられないのか、マルス以下精霊達は誰もが瞠目(どうもく)し、彼に注目していた。


「……はは、この程度か。やはり魂喰(プラエダ)の効果は絶大だな! 貴様らを纏めて相手に出来る程の力を手に入れられるとは、思いもしなかった」


魂喰(プラエダ)? ……まさか、お前!?」


「ああ。私は喰らったのだよ、これまでに集めた数多(あまた)の魂を纏めてな。お陰で今は凄まじい全能感が私を満たしている。そして事実、私は貴様らを纏めてあしらえるだけの実力を得たのだ。これが愉快と言わず何と言う!?」


 呵々大笑し、そして更には嘲りの色まで滲ませて彼は精霊達を見回した。その姿は無防備この上ないようにしか見えなかったが、先程の動きを(かんが)みて、誰もが迂闊に仕掛ける真似をする事は無かった。


 それを見て益々気分を良くしたのか、主人(ドミヌス)は大鎌の柄の先端をマルスに突き付けて言っていた。


「どうだ貴様ら、私の傘下に入らないかね? そうするならば今までの非礼は忘れてやろう。共に新たな世界の秩序を作り、愚かな人間どもを支配下とするのだ。魅力的だろう?」


「断る。お前みたいな傲慢な奴の下に付くのは断固として嫌なんでね。そんなの、俺が嫌う一部の人間と変わらない思い上がりでしかない。反吐が出るぜ」


「ほう、私の申し出を拒絶するか。……果たして、愚かはどちらかな」


 絶対的な自己の有利を確信しているからこそ、主人(ドミヌス)は強気だった。それは、具体的に上げるならば自分がこのような場所で負ける筈がない、こいつら程度なら圧倒できると言った考え方である。


 そんな傲慢な考えがありありと滲み出ていて、多くの精霊達が不愉快そうに顔を(しか)めていたのだった。


「私が気に食わないかね? 宜しい、ならばここで殲滅する。私に楯突いた事、どこまでも後悔させて見せよう」


「本当に傲慢だな、お前は! 神にでもなったつもりか!?」


 マルスが声を荒げる中、刃渡りにして人の胴体の長さ程はあろうと言う大鎌の刃が、陽の光に照らされて(きら)めく。


 その凶悪な武器の切れ味は未知数だが、その辺の鉄が素材に使われている筈がない事は、誰の目にも明白だった。


「……神? ああ、その通りだとも。私はこれから、この世界を永遠に統治しようと言うのだ! それを神と言わず何と言う?」


「思い上がるな! 精霊(おれたち)が神になるなどと……一体どれだけの命を踏み台にするつもりだ!? やっている事は自分勝手な連中と何も変わっていないじゃないか!」


 感情も露わに叫ぶマルスの脳裏に過るのは、かつて彼自身が人間であった時の記憶だった。


 蹂躙され、焼かれ、殺される人々。あの時の光景を思い出しては、彼は時折無念さに苛まれて来たのである。


 だから、彼は激しい怒りを目の前の主人(ドミヌス)へと叩き付けるのだが、本人はどこ吹く風と言った様子だった。


「私をあのような連中と一緒にしないで貰いたいな。品性下劣な欲求などに突き動かされているのではなく、正義を実行するためにあるのだよ!」


「正義? 訳の分からない都合のいい理屈をこねくり回して、挙句正義だと!? ……もう良い。お前のその仮面を引っぺがして、戯言(たわごと)を抜かす間抜け面を拝んでやるとするよ」


「大きく出てくれるではないかね、舐められたものだよ。今の貴様らに、私を止める術などある筈もないと言うのに」


 やれやれと言う様に主人(ドミヌス)大仰(おおぎょう)に肩を竦め、改めてマルスら精霊達を見回して言っていた。


「確かに私も精霊だが……今や貴様らとは比類するまでもない力を得たのだ。勝負になる筈無いと何故分からない? ……愚かな者だな」


 その瞬間、主人(ドミヌス)の体からは凄まじい殺気が放出されていたのだった。





◆◇◆





 ウルカヌス、メルクリウスの両名を沈黙させる事に成功して、俺は尚も戦闘が続くマルスらの方に目を向ける。


 残る敵はルクスとタナトスのみとなれば戦いの趨勢は既に決し、いずれあの二柱はマルスらによって撃破されるであろう事は明らかだった。


「流石はラウ君、素晴らしいね。僕の期待通りだ」


「そりゃどうも」


 近づいて来る足音に反応して振り向いてみれば、そこにはリュウと、スヴェンらが続いていた。


 リュウやシャリクシュ、イシュタパリヤはともかくとして、他の三人はいつになく真剣な表情でこちらを睨みつけていて、その剣幕に思わず気圧される。


「ど、どうした、お前ら……?」


「どうしたもこうしたもある訳ねえだろ。自分の胸に訊いてみろってんだ」


「そうだよ。本気で心配したんだから」


 スヴェン、レメディアと冷たい声で立て続けに言葉を向けられ、首を竦める。


 明らかに二人共怒っていたし、何よりも後もう一人の方を見るのが怖かったのだ。


 しかしそれでも、いつまでも目を逸らしたままにしておくわけにもいかないので、恐る恐る目を向けてみれば、そこには(あま)色の髪をした少女が満面の笑みで話しかけて来るのだった。


「ラウ、久し振りね」


「シグ……ああ、久し振り。き、今日は良い天気だな?」


「全くだ。絶好の説教日和と言ったところだ」


「え」


 不意に、伸ばされた彼女の手が俺の胸倉を乱暴に掴み上げていた。


 突然の事で反応が追い付かずに間抜けな顔を晒していると、気付けば目の前にシグルティアの顔面が大写しになっていたのである。


慶司(けいじ)……どうしてあんなことをした?」


「あ、いやそりゃだって、お前らを死なせたくなんてねえし!」


「それは私も一緒だった! あの時みたいに慶司が囮になって、怪我をして、危ない目に遭って……生きた心地がしなかったんだからね!?」


「シグ……?」


 いつも良く知る、彼女の冷静そうな雰囲気とはどうも気配が違う。口調も違う。その変化について行けず、しばし思考が混乱していたが、そこでふとある事に気付く。


 それは、自分に対する呼び名がラウでは無く“慶司”となっている事であった。


 加えて思い起こされるのは、東帝国の追手から彼女を逃がす際に、言っていた言葉だ。


『嫌だよ慶司(ラウ)! 私は……』


 それは、何かを確信して居た様な、彼女の叫び。


 そうだ、そうだった。この少女は――。


「……麗奈(れいな)。そっか、そう言えばお前、そうだったな。俺、訊きたい事が山ほどあるんだった」


「それは私も一緒だ。だがその前に、今回の件についてこってり絞らせて貰うぞ?」


「勘弁してくれ、あの時はああする以外に取り得る手段が無かったんだから」


「そんな言い訳で私の追及から逃れられると思うな」


 険の乗った天色の眼が、俺を捉えて離さない。いつの間にか彼女の左手がこちらの両肩を強く掴んでいて、物理的に逃がす気もないらしかった。


 おまけに、不意に背後から伸ばされる別の人物の手が、俺の両脇を抱えていた。


「誰……レメディア? 何でお前まで!?」


「私だって、ラウには言い足りない事が沢山あるからね。シグちゃんだけじゃないって事」


「ひ、百歩譲ってそれは良いんだけど、どうしてお前ら俺を前後に引っ張る? 痛いんだけど」


 シグルティアは俺を前に引っ張り、レメディアは俺を後ろへと引っ張る。


 それは少し趣向を変えた綱引きのようであり、そして地味に痛いものだった。


 と言うか、背後から脇に腕を伸ばして引っ張って来るレメディアに至っては、背中に柔らかい何かが押し付けられている感触があって非常に落ち着かない。


 その一方で真正面には息が掛かるほどの距離にシグルティアの端整な顔が迫っている。


 進む事も退く事も躊躇われる状況に、耐え切れなくなって視線を横へと逃がしてみれば、偶々リュウとスヴェンの姿が目に入るのだった。


「た、助けてください! どうしてか身の危険を感じるんですけど!」


「残念だけど、僕はそこに介入出来ないかな。君達の問題だし」


「俺もだ。って言うか、説教したいのはこっちも同じだしな。あと、そこに割って入るのは野暮な気がするんだ」


「この薄情者! どうせお前は理由付けて面白がってるだけだろ!?」


 リュウは良いとしても、スヴェンについては完全に楽しんでいると思って差し(つか)え無さそうだ。それが何とも腹立たしくて、この場から抜け出したら一発殴ってやりたい気分だった。


 何はともあれ、彼ら二人は役に立たないとなれば早々に思考を切り替えてまた別の二人――シャリクシュとイシュタパリヤに目を向ける。


「なあ頼む! 後で恩は返すから、この場から俺を助けてくれ! 謝礼は弾むぞ、視殺(アウスジ)!?」


「生憎、家庭内や痴情の(もつ)れについては口を挟まないようにして居るんでな。悪いが今回は遠慮する」


「何訳わかんねえ事を言ってんだよ!? 早く助けろってんだろ!?」


 そんな遣り取りをして居る間にも、シグルティアとレメディアの綱引きはその苛烈さを増して行き、伴って俺の体が受ける負荷の上昇していく。


 まだまだ余裕はあるものの、いずれ体が悲鳴を上げるのも時間の問題だった。


「逃げないから! 逃げないって誓うから、とにかく二人共手を放してくれ!」


「嫌だ」


「負けたくない」


「何にだよ!?」


 謎の闘志が燃え上がっているらしい二人の少女に挟まれ、説得による脱出が困難である事は明白だ。


 こうなれば力づくで脱出せねばならない――そう思った時である。


 しゅる、と何かが急速に伸びる音がした。


 不思議に思って足元に視線をやれば、いつの間にやら発生していた無数の植物が俺の腰から下を拘束しようとしていたのである。


「おいレメディア!? これは一体何のつもりだ!?」


「シグちゃんに負けない為だよ」


「意味分からん!」


 思っていたよりも強固な拘束のせいで、もはや足は碌に動かせない。最悪、白弾(テルム)でも使って脱出を図るべきかと考え始めた時だった。


 今度は足元がやけに冷たく感じて、再び視線を落とした。


 すると、腰から下に絡み付く植物諸共、脚が凍り始めているでは無いか。


(つめ)たッ!? おいシグ! お前も何のつもりだ!?」


「レメディアには敗けない」


「お前もか!?」


 揃いも揃って意味の分からない言葉と行動ばかりが繰り返され、混乱と苛立ちは極致へと達していく。


 だが、それらが完全に俺から噴出する前に、それ(・・)は現れた。





「ラウ君……奴だ!」





「……ッ!?」


 先程まで我関せずを貫いていた筈のリュウの声が割って入り、その真剣な様子に注意を向けてみれば、そこには居なかった筈の人物が立っていた。


 そこはここから少し離れていて、そしてマルスらがルクスとタナトスを追い詰めていた場所である。


 あともう少しで撃破されそうだった二柱(ふたはしら)を庇う様に、それは居た。


 その姿は忘れようもない。忘れる筈がない。


 前世でも、今世でも、目にした姿のだから。


主人(ドミヌス)……!」


「やはりそうか、ここは危ない。ラウ君を含め皆一旦下がれ!」


「リュウさんはどうするんです!?」


「時間を稼ぐ! 今の奴は……多分、相当危険だ!」


 とは言われたものの、一体どこまで下がれば良いと言うのか。何より、これだけ数的有利な状況下で、幾ら主人(ドミヌス)が救援に来たとしてもたった三柱でマルスらをどうにか出来るとも思えない。


 しかも、主人(ドミヌス)はルクスとタナトスを後退させた為、数の上では輪をかけて不利になって行く。


「この状態で危険って言われても……?」


「そんな事を言っている場合じゃあない! 実力が未知数な相手を前に油断なんてするな!」


 こうしている間にもマルスと主人(ドミヌス)との間で何やら会話が発生しているらしく、この隙に退避しろと言わんばかりにリュウは声を荒げる。


 彼にそこまで言われては従わない訳にも行かず、一先(ひとま)ずは言われるがままこの場を後にしようとする、のだが。





「……大事な素材を逃す訳にはいかんのだよ」





 瞬間移動をしたように、いきなり正面に現れた主人(ドミヌス)を見上げて、俺は絶句した。


 何より、その圧力や存在感が凄まじい。顔面全体を覆う無骨で黒い仮面が、より一層それを際立てている様だった。


白儿(エトルスキ)の血肉、骨、内臓、心臓部にある白珠(マルガリタ)……どれ一つとっても、私の目的を果たす為にはあった方が都合も良い。ついでに貴様のその命もだ。この私をかつて、猿如きの分際でありながら殴った落とし前、やはり直々につけさせてやる」


「……そうかよ。出来るもんならやってみやがれってんだ!」


「威勢が良いな。あれだけ叩きのめしたと言うのにまだ戦意が衰えぬか。それに、黒ずんでいた体も治っているな。……良い事だ、素材が変質してしまうのではないかと冷や冷やしていたのだぞ?」


「うっせえな!」


 至近距離で、白弾(テルム)を放つ。弾速的にも、威力的にも、それは必殺必中である、筈だった。


 事実、(あやま)たずそれは主人への直撃する軌跡を辿り、そして消滅した。


「……ぁ?」


「遅い。弱い。神の(いただき)へ手を伸ばした私に、その程度では届きはしないのだよ! さあ、私の礎となれ!」


 攻撃が、掻き消された。


 一体どうやってと、驚きで呆然とした顔を晒しながら考えるけれど、大鎌(ファルクス)を振り抜いた姿勢から考えるに、白弾(テルム)は斬られたのだろう。


 一体どのような原理で消滅にまで至るのか(はなは)だ疑問だが、それを口に出す事も無く主人(ドミヌス)から伸ばされる手を眺めて居ると――。


「させない!」


「――リュウ、また貴様か。だが、十五年前のような不覚を、今の私が晒すとでも思ったのかね!?」


「ッ……!」


 斬りかかったのはリュウの方だった筈なのに、一瞬の内に攻守が逆転し、彼が手に持つ紅い刀は受け太刀へと回る一方となる。


 それを見かねてか后羿(コウゲイ)が弓による援護を行うものの、それでも焼け石に水と言った様子で、主人(ドミヌス)の勢いは止まらない。


「どうした、少し反応が鈍いぞ? まあ、仮に貴様が消耗していなかったとしても、今の私に勝てる可能性は万に一つもない訳だが」


「……言ってくれるじゃあないか。でも、この場に居るのは僕一人では無いんだよ?」


「ああ、知って居るとも」


 尚も余裕を滲ませた主人(ドミヌス)は、仮面の下で嘲笑を浮かべたような気配を見せたかと思えば、一斉に仕掛けて来るマルスに一瞬だけ目を向ける。


 直後には凄まじい威力と密度を誇る精霊達の攻撃が押し寄せていたのだが、その一撃たりとも彼には掠りもしない。


 その冗談染みた光景に、俺は我が目を疑うしかなかった。


「千年……二千年と存在した精霊であろうとも、今の私には勝てまい! 何度でも言うが私は、神へと至る権利を得た存在なのだから!」


「そうまでして……一体何が狙いだ!? この世界を支配下に置いてそれで満足とでも!?」


「その程度で終わるものか! 私は私の名において、この世から理不尽を無くす! 罪を重ねた者には相応の罰を! 当たり前の事だと思わないかね?」


 炎魔法や植物魔法、剣撃、その他様々な攻撃が主人(ドミヌス)を襲い続けていると言うのに、彼はそれら全てを躱し切り裂き、()なして見せる。


 敵としてみれば、それは出来の悪い冗談のような光景であった。


 こんな奴に、果たして本当に勝てるのか――。


 そんな不安が、頭を(よぎ)る程に。


 そしてそれを見透かしたかのように、主人(ドミヌス)は哄笑していた。


「本当に私に勝てるのか、と思っただろう? その恐れは正解だ。私はこの世界に於いて、最強に比肩(ひけん)する力を得たのだよ!」


「散々人を殺して、奪った力で偉そうに……!」


「何とでも言えばいいさ。私の願いは、貴様らに何を言われた所でもう止まりはしないのだからな!」


 その言葉と共に、彼の大鎌(ファルクス)が振るわれる。


 受け太刀に回ったリュウは、斬られる事こそなかったものの、踏ん張りを掛けても尚大きく後退させられてしまう。


 そうして生じた包囲の隙を駆け抜けた主人(ドミヌス)は、そのまま一気に俺の方を目指してくるのだった。


「不味い、逃げろ!」


「そうは言われても……!」


 相手は時に視認すら許さない機動を取るのである。どんな手を講じたとしても、この場で彼から逃げ切れるとは到底思えなかった。


 それでも諦めずに抵抗手段を講じてみれば、遠距離攻撃の手段を持つ精霊達もそれを援護してくれる。


「貴様の思い通りになど……!」


「小賢しいな、矮小(わいしょう)な者共が……止むを得んか」


 流石に前後からの挟撃を受け続けて尚、思い通りに行動する事は不可能なのか、主人(ドミヌス)の動きが変化する。


 真っ直ぐ俺を目指していた筈の彼は、大きく迂回したかと思えば、こちらの背後へと回り込みを掛けて来たのである。


 これによって主人(ドミヌス)が受ける攻撃方向は前面か、或いは側面程度に限定され、回避しやすくなることを狙ったのだろう。


 そして何より、この場において最も脆弱な人物が主人(ドミヌス)にとって手頃な位置に居る事になってしまったのである。


 それは、戦闘手段を碌に持たない、千里眼の異能(インシグニア)を持つ少女――イシュタパリヤ。


「今回はこれで我慢しよう。向上したばかりの能力にかまけていつまでも避け続け、偶然一撃を貰わないとも限らんからな」


「ふざけるな、貴様……!」


視殺(アウスジ)か。生憎、その程度の攻撃では牽制にもならんな。所詮は虫けらの武装だ」


 目的が俺から彼女へと移った事で、特に感情を昂らせたシャリクシュが発砲するものの、その弾丸はやはり一発も掠らない。


 全てを躱された上で、イシュタパリヤをその腕に抱えられる事を許してしまったのである。


「放せ、イッシュを……!」


「それは出来ない相談だ。この娘の能力もまた、使い道があるのだからな」


「……させない!」


 一気に離脱を図ろうとする主人(ドミヌス)に対し、逃がすまいとリュウを含めた多くの者が追撃や牽制を掛ける。


 しかし、それら全てを軽々と躱して見せた彼は、誰にも追い付けない様な速度でこの場を後にして行くのだった。


 悠々と後退し、遠退いていく背中に誰もがこれ以上の追撃の無駄を悟ったのだろう。


 歯噛みをしながらその背を見送っていたが、ただ一人の少年だけはそれが納得できず、縋る様に銃を撃っていた。


「くそ……返せ! イッシュを返せよ! この、このッ……!」


「シャリクシュ、止めろ。もう無理だ、弾が勿体ないぞ」


(うるさ)い! アイツは……アイツだけは!」


 その痛々しい姿が見て居られなくて、堪らず俺は制止の声を掛けるけれど、彼が訊く耳を持つ事は無かった。


 構えていたライフルからは弾を撃ち尽くし、弾丸を装填する手間を惜しんだ彼は腰の拳銃へと得物を変える。


 しかし、拳銃であるが故に弾は尚更すぐになくなって、後には弾切れを伝える虚しい音が周囲に響くだけだった。


「返せ……返せよ……! この前、(ようや)く取り戻したんだぞ!?」


「…………」


「なあ、アンタらなら出来るよな!? 古株の精霊なんだろ!? アンタらが束になって掛かれば、それなら……!」


 ふと、気付いたように首を巡らせたシャリクシュは藁にもすがるような弱々しい声でマルス達に首を巡らせていた。


 しかし、それに対する彼らの反応は、あまり芳しいものでは無かった。


 誰もが気まずそうに顔を伏せ、或いは視線を逸らしていたのである。


 その意味を察してか、シャリクシュは持っていた拳銃を取り落とすと、地面に膝をついていた。


「そんな……嘘、だよ、な?」


「……済まない」


 力無くマルスが謝罪の言葉を述べた直後、シャリクシュの拳が地面へと打ち付けられる。


 それは拳にかかる負担など全く無視をした力任せなもので、何度も何度も、血が出てもなお彼は止めようとしなかった。


「畜生ッ……!」


 そろそろ日も傾き始めた頃、辺りには剛儿(ドウェルグ)の少年の怒声が響き渡っていたのだった。







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