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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第七章 サツイトマラズ
162/239

第四話 バッドボーイズ セレナーデ④

明けましておめでとうございます。

◆◇◆




 彼――フラウィオス・ニケフォラス・ダウィドは驚愕していた。信じられなかった。そして何より、恐ろしかった。


 自分が今見ている光景が、今対峙している存在が、不気味で仕方なかったのだ。


「何なんだ……何なんだテメエは!?」


「何ダロうが別ニ良イだろ? 俺ハ俺だ」


「そんな事を訊いてんじゃねえ! お前の体……一体何が起こってやがる! 何をした!?」


「俺ノ体? ……悪いガ、鏡モないンじゃ何の事ダか分カラねエな。黙ッて殺さレテろ」


 その瞬間、どす黒い魔弾(テルム)がダウィドを襲う。


 咄嗟に生み出した堅牢な植物で受け止めるが、凄まじい威力の前には完全に勢いを止める事すら叶わなかった。


「――ッ、こんの野郎ォ!!」


「お前ニはコノ前、好キ勝手ヤラれタ借リがアったナ? 丁度良い、こコデ返シてやルよ」


「ふざけやがって……俺はダウィドだ! 東帝国最強が一角、将軍(ストラテゴス)だぞ、俺は!?」


 この現実が出来の悪い悪夢であってくれと何度思った事か。何度逃げ出してしまおうかと思った事か。


 だけど、彼の矜持(きょうじ)がそれを許さない。自分が下がる訳にはいかないと意固地にも似た感情を抱えて、彼はここまで踏み止まっていた。


 しかし、心を不退転の決意で塗り固めても尚、それが剥がれ落ちそうになる程に動揺していたのもまた事実だった。


 その度に心を決意で塗りつぶし、塗り固めるのだけれど、それを嘲笑うかのように目の前の敵は迫って来ていた。


「この程度デ、最強……? 何ノ冗談ダ?」


「好き放題言いやがって……許さねえ、テメエは、この俺が直々に殺してやる!」


「出来ルのかヨ、オ前に?」


 気付けば、ダウィドの眼前に敵の姿があった。


 歳の頃はまだ十五そこらの、少し幼さが見える少年で、名前はラウレウス。元々は白い肌に白い髪、紅い眼を持っていた彼の顔立ちは、どういう訳か時間を追う毎に黒く変色していて、同時に少しずつ力を増していた。


 白儿(エトルスキ)――である筈の、得体の知れない敵。体に何らかの変化が起こった事で、能力が爆発的に向上していると見て間違いなさそうだった。


 だからダウィドは、背筋が粟立つのをどうしても押さえつけられなかった。


 正体も分からない敵と戦っているのだ、そうなるのも無理はないと言えるだろう。


「サて。どウやって殺ソうカナ?」


「ま、待ちやがれ……!」


「ヤだ」


 間合いは至近距離。相当の実力を持っていると自負しているダウィドですら、知覚を許さぬ速度で現れた敵の実力は、語るまでもなかった。


 歪で邪悪な笑みを浮かべた、少年の姿をしたその悪魔に薄ら寒いものを覚えながら彼は後退ろうとして――。


 いきなり左腕が斬り飛ばされた。


「がぁ……あ!?」


「やっパ、生キたママ切り刻ムのが一番良イかもナ? 俺、お前ミタいな奴ガ一番嫌いダし」


 片腕を失って蹈鞴(たたら)を踏むダウィドは、それでも踏み止まって転倒を免れる。右手で傷口を押さえながら敵を睨み付けた。


 だがそんな視線などどこ吹く風と言わんばかりに、少年は笑っていて、その手には剣のような形をした魔力の塊が握られていた。


 そこに大量の血が付着している事からも、ダウィドの左腕はそれで斬り飛ばされたのだろう。


「化け物が……!」


 そもそも、ダウィドとこの少年とでは相性と言うものが(すこぶ)る悪い。


 彼は植物造成魔法の使い手であるので、遠中距離はともかく、近距離戦には滅法弱いのだ。勿論、凡庸な兵士にまで劣る訳では無いが、だからと言って秀でている訳でも無い。


 他方、少年の方は魔法も扱える上に近接戦闘能力も優れていて、魔法単体では如何(いか)にダウィドが勝って居ようとも接近を完全に阻む事が出来ないのである。


 その事は、以前の少年を捕縛する際にも明らかになった事であり、そしてどういう訳か力を増した少年を相手にしている今では殊更(ことさら)強調されていた。


「死ネ。壊れチマえ」


「俺の片腕を落としたくらいで良い気になるな!」


 けれど、こんな状況でもダウィドにとって戦えない訳では無い。認めたくはないが、相手は手を抜いているのだから、その間に勝負を決めてしまえば良いのだ。


 まさか死んだ人間が、今は油断していたからもう一度などと言う筈もないし、彼の判断は確かに正しかったのだが。


「雑魚ハ雑魚らしク地ニ這い(つくば)ッテ無様ニ死ね。オ前程度ガ何ヲ偉そウに言ってるンだ?」


「よくもこの俺をここまで虚仮(こけ)にして……!?」


 今持ち得る限りの実力を総動員して行使した魔法は、呆気なく少年によって蹴散らされていた。


 地面から一斉に、出せる限りの植物を生やして襲わせたと言うのに、鎧袖一触(がいしゅういっしょく)にされてしまったのだ。


 全て、一瞬で。


 幾つもの魔弾(テルム)によって薙ぎ払われてしまった。


 後には、細切れになった植物の破片が転がっているだけ。地面も無数に抉られた跡が残って、攻撃の凄まじさを物語っていた。


「どうなってやがる!?」


「……お前ガ弱イダけだロ」


 もはやこの場は、壮麗な装飾の施されていた宮殿ではなくなっていた。地面には穴が開き、瓦礫の山が出来ていて、所々からは煙が立ち上る。


 まるで盗賊か何かから略奪でも受けているかのような光景が、そこには出来上がっていた。


 しかし、流石に皇帝や重臣すら居るウィンドボナの宮廷と言うだけあって、これだけ大きな戦闘が行われれば警備の兵士が駆け付けてくる訳である。


「何事だ……って、ダウィド様!? 一体どうしたと言うのですか!?」


「やっと来たか貴様ら、一体先程まで何をしていた!? 牢に閉じ込めていた筈の白儿(エトルスキ)が脱獄しているじゃねえか!」


 貴様ら無能のせいで、とダウィドは完全な八つ当たりとも言える感情を怒声として発露させていた。


 そんな彼の怒りを受けた兵士は一瞬不満気な顔を浮かべようとして――切り落とされたダウィドの片腕を見て顔を青くし、且つ体を震わせながら言う。


「は、申し訳ありません! 情報は得ていたのですが……報告のあった場所に駆け付けたら影も形もなく、我らとしても探し回っていたのです」


「言い訳を聞いてんじゃねえ! とっととアイツを捕らえろと言ってんだ! これ以上宮殿を破壊させるんじゃねえ!」


「承知致しました! すぐに取り掛かります!」


 一礼して動き出す兵士らに、もはや一瞥もくれてやらずに、それどころか舌打ちをしながらダウィドは切り落とされた左腕を拾う。


 同時に地面へと種子を一つ撒き、己の魔法で一気に成長させる。瞬く間に根を張り、目を出して成長したそれは花を咲かせると果実をつける。


 待ちかねたと言わんばかりにダウィドはそれを実っているだけ()ぎ取り、そのまま齧り、或いは握り潰して傷口へと振り掛けた。


 傷口に沁みる感覚に顔を顰めながらも、それでも我慢して腕の切断面を合わせ、左腕を接着する。


 すぐに回復とはいかなくても、これで時間を置けば腕も元通りとなる。自分の魔法が回復能力にも長けていて良かったと、彼が安堵した時だった。


「――――ッ!?」


 不意に背後で爆音がしたかと思えば、猛烈な強さを持った風が背中を叩いていた。


 同時に、何かビチャっとした生温かい何かが肩に触れる。ダウィドは爆風が止んでから、何事かと顔を顰めながら肩へ目を向ければ、そこには肉片が一つ付着していた。


 慌てて体ごと振り向いてみれば、そこには原型すら留めていない兵士達の死体が幾つも転がっていたのだった。


 当然、無事な者など一人もいない。兵士達は文字通り、全滅したのである。


「何だ……? 全員やられたのか!?」


 信じられなかった。余りにも非現実的だった。


 だけど、肩に着いた血塗れの肉片や、地面に転がる無残な亡骸が目に入れば、嫌でも信じざるを得ないのである。


「……後ハお前ダケだな?」


「クソ、この無能共がッ!」


 宮殿に居る兵士達は決して弱くはない。選抜され、その上で特別な訓練まで課されている精鋭である。しかし、そんな彼らが瞬殺された。


 物言わぬ死体となった彼らに、思わずダウィドは悪態を吐き、それから少年――ラウレウスを睨み据える。


 歴戦の猛者であるダウィドをしても、この状況は死を強く想起させるもので、緊張が心臓を強く締め付けて来ていた。


 勝てるか、否か――。


 いや、勝てない。間違いなく勝てない。この相性と、間合いと、怪我を負って居てはどうしようもない。


「誰か、誰か居ねえのか!? 白儿(エトルスキ)が脱獄してるんだぞ!?」


 交戦を始める前に、まず大声で呼びかけをしておけば良かったと考えても、後の祭り。自分一人でも問題ない、牢に収監されて碌に動けないだろうと侮ってしまった結果だった。


 それでも望みをかけて大声で叫ぶのだが、やはりこの場にすぐさま誰かが現れる気配はなかった。


「今更命ガ惜シクなっタのか? 無様ナ奴だ」


「うるせえ、俺は、俺は……こんな所で死ねねえんだよ! テメエ如きに殺されて堪るか!」


「散々人ノ命ヤ尊厳ヲ踏ミ(にじ)っテおいて、何言ッてんだオ前。コの前ダって、勝手ナ理由で味方ヲ殺シてたダろ?」


 それがいつぞやの事を指しているのかは、ダウィドにも分かった。目の前に居るこの少年を、以前カドモス・バルカと共に捕縛しようとしていた際の事だ。


 だが、それはダウィドに言わせれば何もおかしな事ではなかった。


「ああ言うのは弱いのが悪いんだ。俺を責めるのはお門違いだぜ。やれと言われた事すら出来ねえ奴に、どうして遠慮してやらなくちゃならねえ?」


「……あ、そ。ナら俺がオ前を殺してモ何ラおかしなコとハねエヨな?」


「それは……!」


 不気味な程に深い笑みを浮かべながら、少年は一歩、また一歩と距離を詰めて来る。


 対するダウィドはその圧力に耐え兼ねて同じ歩数だけ後退していたが、背後の注意が疎かになっていたせいで、瓦礫に足を取られてしまう。


 受け身も取れずに尻餅をついた彼は、(したた)かに打ち付けた尻の痛みに悶える間もなく、目前に迫った不気味な敵の姿に恐怖した。


 しかしそれでも、込み上げて来る恐怖を抑えつけてダウィドは咆哮する。


「俺が……テメエみてえなガキなんぞに、それも白儿(エトルスキ)に殺されて(たま)るかぁッ!」


「奇遇だナ。俺モお前ミたイな奴に邪魔をサレたラ(たま)らねえンだよ」


 尚も抵抗を諦めないダウィドが、再び魔法を行使しようとして、しかし寸前で集中が激痛によって阻害される。


 灼けるような右脚の痛みに視線を下ろしてみれば、そこには斬り落とされた彼自身の足があった。


「逃がサネえヨ。切リ刻ムって言ったロ?」


「あ、ぐぅ……!?」


 傷口から溢れ出る、血。辺り一帯をその匂いが支配し、そして出血多量でダウィドの意識も徐々に遠退く。


 片足を失ったとなれば、もはやこの場からの逃走は絶望的だった。


「見っトもねエ奴ダな。まア良い、死ンデしマえ」


「ふざけんな、俺はこの国の将軍だぞ!? テメエのような白儿(エトルスキ)が、劣等種族が、この俺をどうかしたら分かってんだろうな!?」


「今更オ前一人殺したトコろで何ダ? 特ニ何モ問題はナいと思うケど、どウせ全員殺スしな」


 そう語った少年――ラウレウスは、無造作な動きでダウィドの右腕と左脚もまた斬り飛ばして居た。


 これで彼は完全に四肢を失い、歩く事も物を掴む事も出来なくなってしまった――筈だが。


「アれ、左腕ハ先に斬ッたト思っタんだケど……ま、良いカ」


「ぎっ――!?」


 左腕が折角元通りにくっ付きかけていたのを嘲笑うかのように、ラウレウスは再度左腕を斬り飛ばしていた。


 その瞬間、遂にダウィドの精神が限界に達したらしい。


 一瞬だけ体を跳ねさせたと思ったら、特に悲鳴を上げるでもなく、四カ所の傷口から夥しい量の血を流して空を見上げていた。


 もっとも、目の焦点すら碌に合っても居なかったのだが。


「……何ダ、もウ壊レた? 詰マらネエ奴」


「で、殿下……助けて、くださ」


「使えナクなっタ物は処分シねーとなァ」


 ダウィドが何やら虚ろな表情で呟いていたが、ラウレウスにとってはもうどうでも良かったみたいで、耳も傾けずに剣を突き立てた。


 ただし、その“剣”は鉄製のものでは無くて、ラウレウス自身が己のどす黒い魔力で形作っていた、剣の形をした別物である。


 何にしろその鋭さは剣にも負けず、真っ直ぐにダウィドの心臓を貫き、吐血させていた。


「安心しテ死ねヨ。お前以外ノ奴ラも全員殺してソっチに送ッてやルからサ」


「……ぁ」


「ジャあナ、雑魚」


 その瞬間、ラウレウスはダウィドの胸に突き立てていた剣を引き抜き、傷口からは更に血が噴き出す。


 同時に、僅かばかり残っていたダウィドの魂の残滓も完全に抜けきったらしい。体が一気に弛緩し、暗くも無いのに瞳孔が開いていく。


「死んダ? 死んだカ。死んだナ」


 傷口から流れ出す血は急速に勢いを失い、同時に温もりもまたなくなって行く。


 それを確認していたラウレウスは、何かが余程面白かったらしく、呵々大笑していた。


 静まり返った辺り一帯で、彼の哄笑(こうしょう)だけが響き渡っていたのである――。








「い、一体何が起こっているのだ!? 報告は何か上がっていないのか!?」


「は、たった今は言った報告によりますと、例の白儿(エトルスキ)がどうやら脱獄した様でございます!」


「馬鹿な!? 厳重な警備の下収監しているのではなかったのか!? ええい、マルコスを呼べ、奴にその辺りを一任していた筈だぞ!」


「しょ、承知致しました……!」


 酷く慌てた様子で、臣下の一人が大広間から飛び出していく。だが、この場から一刻も早く飛び出してしまいたいのは、玉座に腰掛ける壮年の男――皇帝もまた同じだった。


 彼の名は、フラウィオス・ユリオス・アナスタシオス・アウトクラトル。またの名をアナスタシオス四世。


 現在の東ラウィニウム帝国に君臨する最高権力者であり、当然このウィンドボナの、ひいては宮殿における主でもあった。


 元々彼はどちらかと言えば事なかれ主義であり、これまでの治世でも特に大きな事はせずに歴代皇帝の政策を踏襲して来た。


 その結果として比較的安定した政治を現出したのだが、それが故に彼は大した業績が無い事を焦っていた。


 だからその第一歩の一つとして白儿(エトルスキ)を捕らえたと言うのに、ここで逃がすとは一体何事か。まんまと逃げられでもしたらそれこそ後世の笑いものである。


 故に責任者である息子――皇太子マルコスをすぐにでも問い質したい気持ちで一杯だった。


 とは言え、流石に皇帝ともなれば軽々しく動くのは好ましいとは言えないのだ。


 だからこうして大広間に姿を現し、玉座に腰掛けて臨機応変に対応出来るように大勢の群臣を並べている。


「現在の状況について、何か話はないのか?」


「はい、白儿は宮殿のあちこちを荒らし回って居り、何カ所かで壊滅状態になっていると……」


「宮殿の修復となると骨が折れるな。まあ良い、その辺りは税を増やして賄うしかあるまい。ところでマルコスもそうだが、カドモス、フラウィオス両名の姿も見えないが?」


 居並ぶ群臣たちを眺めて居てふと気づいた事を口にするのだが、臣下たちは皆首を傾げるばかりで誰一人として居場所を知る者はいないらしい。


 それを問い質したり責めるのも無駄だと分かっている皇帝は、溜息を吐いて天井を見上げていた。


「まあ、その内やって来るだろう。これだけの騒ぎだ、駆け付けない訳が無い」


「左様でございますな。時に陛下、私としては今回の騒動の原因、もしかすれば神饗(デウス)とやらが一枚噛んでいるのかもしれませんぞ」


神饗(デウス)? ああ、マルコスが配下としている得体の知れぬ者達の事か。確かにその可能性はあり得る。優秀な分、私を含め少し利用し過ぎてしまったのかもしれないな」


 顎に手をやって考えを巡らせる皇帝は、一人の臣下の申し出に納得しつつあった。


 その様子を見て臣下は勢いを得たと感じたのか、そこから更に畳みかける様に話を続けた。


「私にお命じ下されば、すぐにでもあの者達を排除いたしますが……」


「いえその任、(それがし)にお任せ頂きたく存じます!」


「とんでもない、その任務は私の方にこそ相応しい!」


 皇太子子飼いの、正体不明の組織――神饗(デウス)。新参者であり、その上で皇太子と近しく、帝国にも功績を上げている彼らを疎ましく思う帝国貴族は多い。


 隙あらば蹴落とし、自らが空白の地位に座ってしまおうと考えているのだ。


 良くも悪くも貴族らしい、透けて見える魂胆に皇帝は思わず苦笑を浮かべながら、彼らの議論を手で制した。


「もう良い。少なくとも今はそれを話す場合では無いからな。原因究明と、どの様にこの事態の収拾を図るのかを決めねばならん」


「ですが原因はともかく、収拾についてはもう問題無いのでは? この宮廷内で暴れ回って逃げ切れる筈も御座いません」


「確かにそうだがな、この騒動を対外的には何と説明する? 特にウィンドボナの市民に向けてだ。その辺りも決めておかねば、市民に入らぬ混乱を招きかねない……と、随分派手に戦っておるようだな」


 臣下たちに今後の行動を決める事の必要性を説く途中で、一際大きな振動が大広間を揺らしていた。


 恐らく白儿を取り押さえるべく兵士らが奮闘しているのだろう。騒動自体が落ち着くのはやはり然程時間は掛からないだろうなと、この場の誰もが思っていた時だった。


『――――ッ!?』


 大広間の壁が突如として破られ、その場所が崩落する。


 場所が離れて居た者、或いは反応が良かった者などは運良く瓦礫の崩落から免れたのだが、間に合わなかった者は(ことごと)く下敷きとなっていた。


「な、何事だ!? 何故壁が……!?」


「分かりません! 陛下、危険ですのでお下がりを!」


 騒然となった大広間で、皇帝もまた同様に驚きの声を上げ、玉座から立ち上がっていた。


 無事な貴族たちは、下敷きとなった者らを助けるべく各々魔法を行使していくのだが、不意にその内の一人が異変に気付く。


「……おい、あれは何だ?」


「あれって何の事だ? どれを……」


 その瞬間、一人の貴族の胸をどす黒い何かが貫通した。


 誰もが呆気に取られて、極端に遅く感じる時間の流れの中で、倒れて行く一人の男を見ていたのだった。


「大丈夫か!? ……駄目だ、胸に穴が開いてる!」


「敵襲だ! 気を緩めるな!」


「どうなっている……兵士達は一体何をしていたのだ!?」


 先程から更に騒然とした大広間にあって、そこは混沌とした空気に包まれていた。当然の事態に理解と対応が追い付いていないのだ。


 それもその筈で、警備も厳重であるこの宮殿で貴族が殺されるという事態を想定している方がおかしいとすら言えるだろう。


 だがそんな混乱塗れの状況に、更なる拍車を掛けるように姿を現すものが一人、居た。


 崩落した壁から出て来たのは、十五歳ほどの少年。


 その少年の顔立ちは、この場に居る貴族らの誰もが知るものであり、そして同時に驚倒(きょうとう)を誘うものであった。


「貴様は……白儿(エトルスキ)!? よくもこのような真似を、只で死ねると思わんことだ!」


「待て、何か様子がおかしい! 髪も肌も、どうしてあんなに黒ずんで――」


 まだ比較的若い貴族の一人が、腕に覚えもあるのか魔法を発動させるべく身構える。それを、近くに居た者が制止するのだが、もはや止まる事は無かった。


「この俺が直々に処刑してやるッ!」


「……あ、ソう」


 体の一部を硬質化させて飛び掛かるその貴族に対し、少年の態度は極めて冷ややかだった。


 そして、何も持って居なかった筈の手に剣の形をした物が一瞬で生成され、無造作に振り抜かれていたのだ。


 すると何かの冗談のように貴族の体が縦に両断されていた。変成魔法で彼は体を硬質化させていたにもかかわらず、まるで泥でも裂くように斬り捨てられたのである。


「あ、あの冗談みたいな黒い剣はどういう仕組みになってるんだ!?」


「ま、魔力の塊でしょうか……変成魔法の使い手に直接打撃を与えるなら、魔力を纏わせるなどするのが一番ですから」


白儿(エトルスキ)白魔法(アルバ・マギア)は無属性だから……そう言う事か。だが、あの黒い魔力は何だ? 全然白くないぞ!?」


 両断され、恐らく何が起きたかも分からないまま死んだ貴族の亡骸を踏みつけながら、少年は大広間に居る者達を睥睨していた。


 そんな彼の手に握られているのは、魔力で生み出されたのであろう黒い色をした剣。それはとても話に聞く白魔法(アルバ・マギア)であるとは思えなかった。


「どうしたらあんなものが……!」


「分かりません。そもそも、白魔法(アルバ・マギア)は基本的に絶滅したと言っても良いものです。文献も碌に無い以上、どれだけ高名な学者に訊いたところで分からないと答えるでしょう」


 たった一人の少年が、ほぼ貴族しか居ないこの大広間に姿を現すと言う事実は、普通ならば失笑ものだった。


 何故なら貴族は、質も量も共にその辺のただ魔法が使える者とは比べ物にならないのだから。伊達に東帝国貴族では無いし、何処へ行っても恥を掻かぬ程度の研鑽を積んで来た自負がある。


 だからこの程度の若造など一捻りで終わらせられる――筈なのだが、誰一人として動こうとする者は居なかった。


 既に二人が殺されているのを目の当たりにして尻込みして居る者も居るのだろうが、何よりもこの少年の得体が知れないのだ。


だから誰も迂闊に攻撃をす賭ける事が出来ず、その場で只取り囲む事しか出ない。


「攻撃、シて来なイノか?」


『…………』


「なラ、俺カら行くゾ」


 その瞬間、少年を中心として辺り一帯が吹き飛ばされるのだった。


 魔力量の多さに物を言わせた、意図的な魔力の暴発であると気付けた者は、果たしてどれだけ居ただろう。


 何はともあれ、その凄まじい威力の前には誰一人としてその場で立つ事が叶わず、貴族たちは吹き飛ばされるか或いは後退を余儀なくされていた。


「化け物が……!」


「マだ終ワって無イ」


「ぐぁっ!?」


 悪態を吐きながら、吹き飛ばされずに堪え切った貴族の一人が、まず首を飛ばされる。


 続けて、同様に踏ん張った貴族らが次々と殺されて行く。そこには抵抗の有無すらも関係なく、一瞬の内に一刀で仕留められていたのである。


「怪物だ……」


「これが、白儿(エトルスキ)が悪魔と呼ばれた所以(ゆえん)、なのか……?」


「だとしたらあの変な色の魔力についても、何か伝承があっても良い筈だぞ!?」


「遅イ……弱イ、弱イ弱イ弱イ弱イ!」


 少年は自身の体を返り血塗(ちまみ)れにしながら、愉しそうに哄笑していた。その余りにも不気味で気分の悪くなりそうな光景に、何人かの貴族は顔を青くして人によって逃げ出そうとする素振りすら見せている始末だった。


「な、何をして居るか! 早くその白儿(エトルスキ)を捕らえよ!」


「ですが、無理に捕らえようとすれば我々の方が……」


「ええい、なら構わん! 殺せ、殺せえッ!」


 余りにも凄惨な光景が、まさかのこの場で繰り広げられてしまうとは思っても見なかったらしい皇帝は、癇癪を起した子供のように(わめ)いていた。


 だが、例えそうであっても貴族からすれば皇帝と言う上位者からの命令に逆らえる筈もなく、殆どの者が意を決して白儿(エトルスキ)の少年を殺すべく襲い掛かる。


 もっとも、その結果は余りに無残なものに終わっていた。


 少年によって、一瞬の内に生成された数え切れないほどの魔弾(テルム)が、貴族たちに襲い掛かっていたのだ。


 躱そうにも、防ごうにも、その威力と数の前にはいかんともしがたく、限界に達した者から順に体の一部を吹き飛ばされて絶命して行った。


 残ったのは、あらゆる偶然で上手く切り抜けた貴族と、臆病風に吹かれて踏み止まっていた貴族だけだった。


 そしてその両者とも、圧倒的な実力差の前に勝敗を悟り、同時に戦意を消失して隙あらば脱出の機会を窺っていたのである。


「私の……皇帝の命令が聞けないのか!? ならば貴様らを纏めて取り潰す事すら出来るのだぞ!?」


「無茶を(おっしゃ)る……付き合い切れませんな!」


「わ、私は急用を思い出したので失礼致します!」


 まだ生き残っていた貴族の多くが蜘蛛の子を散らす様に逃げ出し、崩落した壁から、或いは出入り口から大広間を後にして行く。


 残ったのは極僅かな忠臣とすら呼ぶべき貴族と、腰を抜かした小心者の貴族のみ。


「き、貴様ら……絶対に、絶対に忘れぬからな!?」


 酷く広いように感じられる大広間の中で、皇帝の怒号だけが空しく響き渡っていた。


 だが、そんな彼の大声は何にも増して少年の注意を引き付けるものだったらしい。


「煩いナ……!」


「ひっ!? な、何だと言うのだ!? 私はこの帝国の皇帝だぞ!? 不敬な、分を弁えろ!」


 心の底から悲鳴を上げてしまいたい気分だったが、それを意地で押し殺し、あくまでも皇帝然として振舞い、そして睨み返す。


 平民の、それも白儿(エトルスキ)如きに自分が怯えるなどあってはならないと心に言い聞かせながら、皇帝は玉座に腰掛け続けていた、のだが。


 気付けば、自分の周囲に居た筈の兵士らの姿が消えていた。あれだけ自分に阿っていた筈の近侍の姿は何処にもなく、壇上に居るのが自分一人である事に今更ながら察したのである。


「……は!? 何故だ!? 何故誰も居ない!? 私は皇帝であるぞ! 出て来い、私を守れ! さすれば富と栄誉を与えてやろう!」


「…………」


 答える者は、誰も居ない。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた者達は誰一人として戻ってこなかった。戻ってくる気配もなかった。


 (むし)ろその虚しく無様な叫びを耳にした貴族や少年から冷めた視線を向けられて終わっていたのである。


「お前ミたいナ奴、俺ハ嫌いダ。……滅茶苦茶殺したクなる」


「待て待て! なら金をやろう、地位もやろう、そうだ、奴隷も与えてやるぞ! 今アレマニア連邦に侵攻中だからな……新たに獲得した領土に封じてやっても良い!」


「……要らなイ。何ヲ今更言ッてルンだ? 自分ノ身が危なクなっタら保身カよ」


 コツ、コツ、と少年は皇帝の座る玉座の下へとゆっくり歩きだす。


 その姿を目にして椅子から転げ落ちんばかりに驚いたらしい皇帝は矢継ぎ早に様々なものを条件として提示してやるが、少年がそれらに耳を傾ける事は無かった。


 だからなのか、皇帝は酷く上擦った声で、この場に残っていた武官らしい貴族に命令する。


「あ、アンティゴノス! そいつを止めろ! もしも私を救えれば相応の報酬を用意するぞ!?」


「……お言葉ですが陛下、白儿(エトルスキ)相手に命乞いするような陛下の姿勢には失望致しました。例え嘘でもその様な者を相手に土地や名誉を与えようなどと……少なくともこれまでの立ち振る舞いを鑑みるに、貴方は皇帝に相応しくない」


「な、何だと!?」


 思っても見なかったらしい、己の配下からの冷ややかな視線と言葉に、皇帝――アナスタシオス四世は絶句した。


 その間に、アンティゴノスと呼ばれた貴族の彼は相変わらず平坦な口調で告げる。


「流石に主君を見捨てるのは(はばか)れると思って残りましたが……その価値すらなかったようですね」


「ふざけるな、私は皇帝だと……!」


「貴方にはその地位が相応しくないと言っている。少なくとも私は、貴方を守りたいとは思わない。では失礼します」


「アンティゴノス、貴様ぁぁぁぁぁぁぁッ!」


 彼が退出すれば、それに続いて僅かばかり残っていた貴族らも纏めてその場を後にして行く。後には瓦礫と死体と、皇帝と白儿(エトルスキ)の少年だけが残っていた。


「無様ダな。イっそ同情スら覚エる」


「だ、だから待てと言っている! 何だ、貴様は何が望みだ!? 私の出来る範囲で全てやってやるから、言ってみろ! それを叶えてやることも出来るのだぞ!?」


「望み、カ……」


 とうとう玉座から転げ落ちた皇帝は、髪を振り乱し、煌びやかな装飾をボトボトと落としながら、尚も交渉に活路を見出そうとしていた。


 いや、大した実力もない事を自覚している彼にして見たら、それしか残された道が無かったのだ。


「俺ハただ、そットして置いテくレればソれで良かった……」


「そっとして置けば良いのか!? よ、良く分からないが良いだろう、帝国全土にその様に触れを出す……」


「なノにオ前らは、俺カら平穏ヲ奪った。ソの上で自由モ、何もカも奪おウとシて……!」


「な、何を言っている!?」


 皇帝からしたら、今の少年が一体どういう趣旨で発言をして居るのか全く理解が追い付かなかった。困った様に笑みを浮かべながら、少しずつ後退っていたのだった。


 あわよくばそのまま逃げ出してしまおうと思ったのだが、そんな気持ちを踏み潰す様に、俯いていた少年が顔を上げた。


「お前ラヲ……コの世界ヲ殺す。ナあ、良いダろ?」


「はっ!? それってどういう……?」


 間抜け面を晒した皇帝の鼻先に、魔力で出来た剣が突き付けられる。


 それが何であるのか、そして何を意味するのかを理解するのに数秒要した彼は、遅れて跳び上がらんばかりに驚いていた。


「い、嫌だ、殺さないでくれ! 何でもすると言ってるだろう!? だから殺すのだけは、絶対に止めてくれ! 私はまだ死にたくない、まだ何も出来ていないのだ! まだ、後世に向けて何の業績も……!」


「そンなもノの為ニ俺はこコマで迷惑ヲ(こうむ)っタのか? 本当に馬鹿ゲた奴だナ」


 目の前で振り上げられる、剣。それを握るのは、四肢が黒く染まりつつある薄気味悪い少年。その口端は、極限まで吊り上げられている様だった。


 死に対する恐怖、そして少年の得体の知れなさに対する恐怖。その両方がごちゃ混ぜになって、皇帝の精神はもう破裂してしまいそうであった。


 溢れ出した訳の分からない感情を表す様に、彼の目尻から涙が流れ、頬を伝って落ちて行く。


「頼む、頼む……!」


「嫌だネ」


「や、止めてくれ! まだッ、まだ死にたくな」


 縋りつこうと彼が動くその寸前、少年の手に握られた剣が、振り下ろされた。


 直後には傷口から血が噴き出し、一瞬で力を失った抜け殻が俯せに(たお)れ伏す。


 段々と広がっていく血溜まりを見下ろしながら、少年は呆れ果てたように呟いていた。


「……本当ニ、無様ナ奴」


 煌びやかな装飾を纏い、玉座に座した男の素晴らしかった筈の人生の最期は、余りにも見っとも無いものだった。





◆◇◆



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