Lose Your Mind ③
「――限界、近いんじゃねえか?」
「……うるせえ。お前だって消耗して無いっつったら嘘になるだろ?」
倒れ伏す、無数の兵士。
辺りに響くのは複数の荒い呼吸。
その内の二人は、五Mほどの距離を取って相対していた。
一人の名はアルギュロス、もう一人の名はミヌキウス。
互いにその実力は拮抗し、けれども前者は数の有利を生かして段々と後者とその仲間を追い詰めていた。
「所詮は平民、やはり我々の前に屈するのがお似合いだな!」
「貴様は何もしてないだろ!?」
豪速で飛来する氷柱みたく鋭利な氷の塊を、槍の柄が叩き落とす。
パラパラと散って行く氷の破片を他所にアウレリウスが射撃元を睨むも、そこに攻撃した人物の姿は無かった。恐らくまた木陰に隠れたのだろう、全く進展しない状況に彼は自然と舌打ちをする。
そしてそれはユニウスも同様だったのか、苦々しい顔をしながら矢を番えて叫ぶ。
「貴族貴族って言うんなら姿くらい見せたらどうなんだってな!」
「ひっ!?」
惜しい、外した。いや、外れた
こちらを窺おうとしたのか、微かに見えていたフロンティヌスの眼を狙うも、すぐに首を引っ込められた事で掠りもしない。
「ビビり貴族が……矢も無限にあるんじゃねえんだぞ」
もはや、ユニウスが携帯する腰の矢は数えるほどしかなかった。
ただでさえ携帯性を考慮して元々少なかったのに、散々避けられてしまったせいで非常に心許ない量になってしまったのだ。
そしてそんな状況を見てか、未だ残って居た兵士達は段々と三人の包囲を狭めていた。
「この調子だ、徐々に追い詰めていくぞ」
「おうよ」
彼らはいずれもここまで生き残って来た事が示す通り、一筋縄で居なかない実力を持った傭兵たちだ。
恐らく、傭兵隊長であるアルギュロス配下で古参の叩き上げなのだろう。
森の中で戦う事を考慮してか盾と剣を装備した彼らに隙は少なく、一対一ならともかく一対複数では誰がどう見ても形勢が不利だった。
それらの状況を、目を巡らして悟ったミヌキウスは一際大きな息を吐き出し、呟く。
「もうじき、だな」
息が苦しい。四肢が重い。喉が乾燥して張り付く。心臓が痛みを覚えるくらい激しく拍動し、そのせいで強烈な頭痛がする。
出来る事なら、もうこのまま倒れてしまいたい。
そして、鼻や口を抜ける、濃厚な血の味。
ただでさえ消耗していたミヌキウス達の体は、それでも尚鞭打って動かし続けた結果、もはやボロボロだったのだから。
小さな切り傷が出血を強い、疲労と重なって反応を遅らせ、新たな傷を作る。
だがそれでも彼は、彼らは倒れない。倒れる訳には行かない。何より倒れたくないし、死ぬ気は無い。
このまま戦い続ければ死ぬことを悟っていたとしても、それでも生に執着していたのだ。
「ええい、この死にぞこない共が……!」
「上級狩猟者を、舐めて貰っちゃ、困るんでね。消耗してりゃ、楽に勝てる……とか、思ってたんだろ?」
息を切らし、非常に重たく感じる剣を握り直しながら、彼――ガイウス・ミヌキウスは正面の貴族を見据える。
そして、同じように満身創痍である他の二人は周囲の兵士と交戦し、一人一人に手間取りながら着実に仕留めていく。
だがそんな気迫だけで体を動かすという状況にも、いよいよ限界と言うものが見えつつあった。
何故なら、一向に片付かない状況に業を煮やしたプブリコラが、フロンティヌスやアルギュロスなどを含めた全ての配下に総攻撃を命じたのだから。
「……ぬっ!?」
「マルクス!? クソが!!」
体力が切れ、意識すらも遠退きかけたのだろう、一瞬でも棒立ちになるという致命的隙を晒したアウレリウスは、左脇腹に槍を受けてしまう。
慌ててユニウスが庇いにはいるが、一人で捌ける限界を超えた相手の手数に押し切られてしまうのだった。
「プブリウス!」
「す、済まねえ……」
力無く膝をついたユニウスが呟く中、そんな彼へ振り下ろされる一振りの剣。
それに気付いたミヌキウスは斃した兵から奪った剣を投げ付け、彼を救う。
しかし、その代わりにミヌキウス自身に向けられた魔法攻撃が、腹へ直撃する。
「あ……ああああっ!?」
「ふはははは! 熱かろう!? 私の炎で生きながら焼かれろ! この私が直々に纏めて始末をつけてやる事、光栄に思うが良い!!」
「くそっ……」
早々にケリをつけてラウレウスを追いたくなったのだろう。プブリコラが騎乗したままそちらへと近付き、そして右手をミヌキウスとその背後の二人へ向けていた。
対して、フロンティヌスやアルギュロスらの配下達は一斉にその場を退いて行く。
そして、段々と形成される火球――時間にしては三秒ほどの時間の中で、ミヌキウスはその本人を射殺さんばかりに睨み付け、歯噛みをしていたのだった。
「上級狩猟者、ガイウス・ミヌキウス。プブリウス・ユニウス。マルクス・アウレリウス。貴様らを私に対する反逆罪で死刑とする。この業火に焼かれて悶え死ぬが良い」
如何にもな傲慢さを孕んだその言葉と共に、今まさに彼は炎に焼かれんとしていたのだ。その場に居た誰もが三人の死を予見し、確信し、そして誰一人として動かない。
一方は動く必要が無いから。もう一方は動く体力も気力もないから。
まさしく精根尽き果てた三人が、その命すらも尽きようとしていた――その時。
「あー、ええっと、ちょっと待った」
ふと上空から聞こえて来た声に、誰もが怪訝な顔を浮かべる。
そしてそれはプブリコラも例外ではなく、集中が途切れたせいで己が発動せんとしていた魔力を霧散させ、空に目を向けていたのだ。
そして、言葉を失った。
何故ならば、彼がこの辺りを炎魔法で焼き払った事もあって非常に見通しの良くなった空に、人間が浮いていたのだから。
その装いは薄鈍色の外套を纏い、その下には前合わせ――つまり和服のような――衣服を着ている。
おまけにフードと仮面のせいで顔など全く分からず、お陰で不気味さがより強力なものとなっていた。
いつの間に……いや、そもそも一体どうやって? そして彼は誰なのか?
ミヌキウスは身体が悲鳴を上げている中で、膝立ちのままその姿を認めてそんな疑問が湧いていたが、しかし今はそこへ聞こえるくらいの声を出す体力もない。
「貴様、一体何者なのだ?」
その場に居た誰もの意見を代弁し、プブリコラがそう訊ねていた。
すると、その人物は土台としていたらしい白い塊から飛び降り、そして静かに着地すると柔らかい声で答えた。
「これは失敬。頼み事をする身なのに名乗らないのは確かに礼を失していたかもしれないね」
「御託は良い。貴族である私の前に立ちながらその口の利き方とは、生意気な者だ。早う名乗れ、下郎が」
汚らわしい、気に入らない、と言った気持ちがありありと出ているプブリコラに、その人物はどうやら苦笑しているらしかった。
「下郎って……まぁいいや。僕の名はリュウ、見ての通りしがない旅人さ。ちょっと探しモノをしていてね、僕の用事が終わるまでその処刑を待って欲しかったんだ」
そう言って満身創痍のミヌキウスに一瞥をくれた旅人――リュウは、視線をプブリコラに戻す。
だが、それを馬上から見下ろしている彼は警戒の色が籠った目で見つめ返すと、尚も嫌悪感の滲んだ声で素気無く返答する。
「待つ? ふん、貴族の私に賤民が何を言うかと思えば……身の程を弁えろ。大体、ここは私の所有する森であるぞ。勝手な立ち入りは死罪になっても文句が言えん事を分かっているのか?」
旅人だと言うのであれば街道などを通れと告げるプブリコラだが、今度はそれをリュウが一笑に付していた。
「別に森の資源を荒らした訳じゃあ無いんだから、そんな大袈裟な事を言わなくてもいいだろう? それよりも、質問があるのだけれど」
「貴様っ、プブリコラ様が身の程を弁えろと言っただろう! それとも私の魔法で氷漬けにされたいか!?」
貴族を前にして一向に畏まらない眼前の旅人に苛立ちが限界に達したのか、フロンティヌスがリュウの言葉を遮って声を荒げる。
それに続いて他の供も同様に馬上から声を上げ、罵声と嘲笑を向けていたが、それを受けているリュウはそれでも平然としているらしかった。
そんな態度が彼らの苛立ちに拍車を掛けるのか、段々と膨張していくプブリコラを含めた貴族たちの魔力に、抗う余力のないミヌキウスは痛みとは別の意味で顔を引き攣らせずには居られない。
「お、おい、アンタ。悪い事は言わねえ、早いとこ逃げるか謝るかしとけ」
「お気遣い無用だよ。あ、そうだ。ところで君はついこの間の白い光について、何か知って居るよね? ひょっとしなくても、君が殺されかかっているのってそれ絡みなんでしょ?」
「……なぁアンタ、事の重大さが、理解出来てんのか?」
仮面の下から覗く紅い眼を見返しながら、ミヌキウスは心底呆れた気持ちで、荒い息をしながらそう訊ねずには居られなかった。
事の重大さとは言うまでも無く、それは彼の眼前に居るプブリコラと愉快な仲間たち――つまり貴族であり魔導士である連中の脅威についてなのだが、リュウは彼の問いかけを受けても尚、泰然とした態度を崩そうとはしなかった。
ひょっとしなくてもこの旅人は馬鹿なのかもしれないと、その反応を見て居たミヌキウスは小さく苦笑を漏らしたが、そこでリュウは再度質問を重ねる。
「それで、もう一度聞くけれど三日前の夜に起こった白い光について教えてくれないかな? さっき立ち寄った村の様子から考えるに、その張本人が追われる身になっているらしいのは分かっているんだけれど」
「……それを知ってどうするつもりだ? そこの豚貴族のようにアイツを利用するってんなら、俺は死んでも教えねえぞ」
「それはまた随分と固い決意だ。でも大丈夫さ、僕はその人を――“白儿”を取って食おうなんてつもりは微塵も無いから」
「ふん、口だけなら何とでも言えるだろ」
大丈夫だと告げられてもミヌキウスがリュウに警戒の眼差しを向け続け、それを見た彼は苦笑しているらしかった。
リュウは苦笑だけで気分を悪くした様子も無いが、恐らくミヌキウスの思考もある程度汲んでいるのだろう。
困った様に、それでいてやや芝居がかった仕草で首を傾げ、彼は再度訊ねる。
「やっぱり、駄目?」
「駄目に決まってるだろ。こんな怪しさ満点の奴を信じられる奴が居たら是非とも見たいもんだな」
「じゃあ、ここで僕が君らの事を助けたらその“白儿”の情報を教えてくれないかな? 例えば、その人が今どこに居るのか――とか」
「それはつまり、“俺達の命を助けるから情報を差し出せ”って事だよな?」
名案じゃあないか、と右の人差し指を立てるリュウの言葉に、ピクリと肩を反応させたミヌキウスが確認を取る。
「その通り。そうすればお互いに――」
それを見て手応えありとでも思ったのか、リュウはその交換条件で更に交渉を続けようとした、が。
唐突に、ミヌキウスの脱力した眼に力が籠った。
「クズがっ、俺を見くびるんじゃねえ。自分の命惜しさに俺達が情報渡すと思ったら大間違いだ!」
「……でも、そこで取引に応じないと君らは僕にも守られずに殺されると思うのだけれど?」
「はん、そんなん構うかよ。もとより死ぬ事は覚悟の上だし、俺はお前をホイホイ信頼できる程にお人好しじゃねえ」
「ふむ」
頭から流れて来た血を舐めとり、傷と血と土汚れに塗れた顔に不敵な笑みを浮かべるミヌキウスに、しかしリュウは瞑目すると満足した様に二、三度頷いていた。
ミヌキウスとしては、この交渉を蹴った事で罵声か何かしら飛んでくるものかと思っていたので、思ってもみなかったその反応に殊更身構えてしまう。
もっとも、満身創痍である彼としては反応できる余力など碌に無かったので、構えたところで意味があるかは微妙であると自覚していたのだが。
「義理堅い。君に対して本当に好印象が持てるよ」
「そーかよ。お褒め頂いても何も嬉しくねえけどな」
「またまたぁ、実は嬉しいんじゃあないのかな?」
「寝言は寝てから言いやがれ」
ミヌキウスの警戒を解こうとでも言うのだろうか、気付けばリュウの言葉に乗せられて口端が緩んでいた。
不服ながらも、この旅人が自分に対して今すぐ害を及ぼさない事だけは認めた彼は、それに対する警戒を幾らか解いて正面を見据える。
「賤民どもが……話は纏まったのか? 貴族である私達をここまで待たせたのだ、死ぬ準備は万端なのであろう?」
「あったり前だ。だが、俺が只で死ぬと思うなよ?」
傲慢な態度そのままに馬上からミヌキウスとリュウを見下ろしてくるプブリコラに、彼は負けじと荒い呼吸のまま睨み返す。
するとその眼力に気圧されたのか、それを受けたプブリコラは無言のまま目を逸らすと詰まらなそうに鼻を鳴らしていた。
「ちっ……興が醒めた、もう良い。貴様らの方で好きなように処分しておけ」
「承知」
馬首を返してアルギュロスにそれだけ告げた彼は、その他の者と共に後ろへと下がっていく。
それを見て、「逃げるのか」と言葉を投げ掛けようとしたミヌキウスだったが、累積した疲労と失血のせいで口を開く前に地面へと両手をついてしまう。
「大丈夫? かなり辛そうだけれど」
「……仮にヤバいって言ったとして、お前は俺を助けるのか?」
「うーん、普段なら助けないね。だって君から助かる道を断った訳だし、僕が助ける義理はないってことだから」
そうだろうな、とミヌキウスはその答えを聞いて内心で大きく頷いていた。やはり助からないという事にほんの少しだけ残念な気がしなくも無いが、彼としてはその選択に後悔などしていなかったのだ。
そうであるのならば後はここで死ぬだけだと思ったが、そこで「けれども」とリュウが話を続ける。
「今の僕はちょっと気分が良い。少しくらいは善い事をしてあげたい気分なんだよ」
「……はぁ? そりゃ、一体どういう事、だ?」
「早い話、今回は無償で縁も所縁もない赤の他人である君を助けるって事だよ」
四つん這いの体勢で怪訝そうな顔を向けるミヌキウスの右肩にリュウの左手が乗せられ、安堵させるように肩が二度軽く叩かれる。
しかしハッキリとそう言われても、それでも状況の呑み込めない彼は合点の行かない顔でリュウの紅い双眸を見つめていた。
「どういう……?」
その上で自分の疑問を解消するため更に質問を重ねようとしたのだが、丁度そこでフロンティヌスの声が流れを断ち切ってしまう。
「良いか、賊の数はここに居るたった四人だけだ! しかも内三人は死に体、囲んで殺せ! 串刺しにしろ!」
本来、直属の上司はアルギュロスであり、当然このフロンティヌスの指示で傭兵たちは動かない。
だが、そもそも雇い主の部下の命令である以上実行しない訳にも行かず、アルギュロスが溜息交じりに発した「行け」という指示の下、兵士達が槍の穂先をミヌキウス達に向けていく。
「ふははは! 良いぞ、殺せ!」
そして更に包囲が狭まって行くのだが、リュウは未だに慌てた様子が無く、ただ無言で周囲を一度見渡しただけ。
さてはこのまま死ぬ気なのかと思いかけたミヌキウスは、ふとリュウの頭上に浮いている白い球体を目にする。
「おい、アンタその白い球を、使って何考えてんだ? このまま、死ぬ気? それとも……逃げる?」
「死ぬ? 逃げる? あはは、そんな訳ないじゃあないか。きっちり全滅させるつもりだよ」
淡く光る白い球を凝視しつつ訊ねるミヌキウスの問いに、リュウは笑いを漏らすと己の頭上に一瞥をくれた。
微かに光っているそれは段々と大きさを増して行き、最終的には人の頭程度の大きさにまで膨張。次いで、白球は一気に地上数Mまで上昇した。
それには取り囲んでいる兵士や、遠巻きに眺めていたプブリコラまでもが怪訝そうに目を向けてそちらに注意を引かれる。
果たして、この旅人は一体何を意図していると言うのか――。
全く読めないリュウの行動に、今度こそ問い質してやろうとミヌキウスが口を開きかけた、のだが。
「君は、魔力の雨って……見た事ある?」
「は?」
空からミヌキウスへと視線を移した彼からの問いに、ミヌキウスは「何を言っているんだコイツ」と言った気持ちを前面に出した表情で訊き返していた。
魔力を、物質に干渉させずにそれ単体で操れる魔法というのは、特殊な事例を除いて殆どないからである。
「死を前にして気でも触れたか?」
だからこそ彼は、リュウの言葉を受けて何度目か分からない怪訝な顔を晒したのだが、その疑問は次の瞬間に解消される事となった。
それと言うのも、空へ昇った白い球体は突然分裂・拡散すると、それらはミヌキウス達の居る直下を除いた地面へと凄まじい勢いで落下していたのだから。
「うわぁぁぁあっ!」
「ひぃぃぃぃいっ!」
「ぐぁっ!?」
その粒は然程大きくないように思えるだが、その凄まじい速さと量は相当な威力を誇っているのだろう。あちこちから上がる悲鳴は降り注ぐ魔力の雨音に掻き消されて、ミヌキウス達の耳には僅かしか聞こえない。
彼らは余りにも突然巻き起こった阿鼻叫喚を前に体を強張らせていたのだが、リュウはそちらに目を向けると「大丈夫」と短い言葉でそれだけを告げていた。
降り続ける魔力に雨によって跳ね上がるのは、泥では無く砂や灰などの塵。耳朶に触れるのは誰の悲鳴と、穿たれている木々と大地の悲鳴。
特に、立ち込める塵は俺の目や鼻口に侵入し、固く目を閉じながらミヌキウス達は何度も咳を繰り返す羽目になってしまった。
そうして咳き込みながら、一体これはいつまで降り続けるのだろうか思っていた彼は、ここに至って漸く大気を漂う濃密な魔力の正体を悟る。
「げほっ……おい、この魔力はまさかっ?」
「おっ、分かった? でもちょっと気付くのが遅いよ。さっきの村で会った女の子と、司祭さんはすぐに気付いていたのに」
どしどしと降っていた白い魔力の雨が止み、辺りには尚も塵芥が漂う中、リュウがそんな事を言う。
そんな彼の発言に、これ以上疑問を増やしてなるものかと思ったミヌキウスは、疑問を投げ掛けていくのだった。
「お前、ひょっとしてグラヌム村に寄ったのか?」
「グラヌム村? ……ああ、確かそんな名前だったね。そうだよ、そこに寄って胸糞の悪い司祭をぶちのめして来たんだ」
「胸糞の悪い司祭って……もしかしなくてもアイツの事じゃねえだろうな」
巻き上げられた塵芥が段々と沈着するか、風にあおられるかして視界が晴れていく中で、ミヌキウスは若干引いた目をリュウに向けていた。
「別に僕が悪趣味な訳じゃあないよ。寧ろあっちが悪趣味だったから叩きのめしただけで」
「叩きのめした、か。俄かに信じられるモンじゃねえけど……なるほど、こりゃすげえわ」
土煙が晴れた事で見通しの回復した辺りを見渡す彼は、全方位で力無く折り重なって倒れている無数の兵士を目にする。
ざっと見た限りではどれほど死んでいるか分からないけれど、それでもピクリと動かない兵士達を前にして彼はかつて見た戦場を思い出さずには居られなかった。
彼らの体をよく見て見れば、彼らの装具の隙間から露出した肌には魔力の雨で打ち据えられたらしい赤い打撲痕があちこちにあり、四肢はだらしなく地面に投げ出されている。
一方でふと己の背後を見て見れば、既にアウレリウスとユニウスもピクリと動かない。
「……!」
その姿に思わずひやりとしたものの、胸が上下しているところを見るに疲労の極致に達した事で気絶したらしかった。
自分を含めた仲間全員が生きている事に安堵しつつ、彼は苦笑しながら悪態を吐く。
「えげつねえ。お前化け物かよ」
「さあ? 果たしてどっちだと思う?」
ふらつく視界のせいで四つん這いすら辛くなったミヌキウスが、遂に地面に倒れ込みながら訊ねれば、リュウは肩を竦めて韜晦する。
そんな彼の姿勢に、疲労困憊してとうとう仰向けの体勢となったミヌキウスは、しゃがれた笑いを漏らしてリュウを見た。
そこには相変わらず傷の一つもない、全く疲労した様子もない旅人が悠然と佇んでいるだけ。しかし、その周囲では彼が倒した無数の兵士達が転がり、その彼の実力を何よりも雄弁に物語って居る様だった。
それと言うのもミヌキウスの実力では満身創痍になって漸く減らせた兵士と大体同数が、こうしてほんの少しの時間に倒されたと言う事実を示しているのだから。
「ひょっとして、“特級狩猟者”……」
己とこれ程まで隔絶した実力を持つ者など、彼は生まれてこのかた見た事が無かった。故に狩猟者の中でも指折りの実力者にのみ与えられる称号を口にしたのだが、それを聞きとったリュウは「違うよ」と言ってミヌキウスの想像を否定する。
「僕は狩猟者じゃあないし、組合にも参加して無いんだ。余り利点も見出せないし」
腕を組みながらミヌキウスを見下ろし、どうやら仮面の下で笑っているらしい彼は、見栄でも無く本心からそう言っているようだ。
しかし、もはや口を開くどころか意識が急速に薄れて来たミヌキウスには、何かしらの返答をする余裕など持ち合わせていなかった。
「……」
「お疲れ様。次に君が目を覚ます頃には全部終わっていると思うから、今はゆっくり休むと良いよ」
微かに上下するミヌキウスの胸を確認し、労わるような言葉を優しく掛けるリュウはそちらから視線を外した。次いで小さく息を吐きだすと、胸の前で組んでいた腕を解き……右手で、腰に下げた剣の柄を握っていた。
それから一拍置いて、抜剣。
「――ッ!」
その素早さたるや凄まじく、彼が一瞬で腰を低く落とした体勢になったかと思えば、何の前触れもなく飛来して来た“何か”を斬り上げる。
それによって僅かばかり上方へと狙いの逸れた球状の“何か”は、両断されたことで左右別々の場所で着弾。リュウの背後から一〇Mほど離れた二つの場所で、刹那の内に氷の柱が出来上がっていた。
「魔法を斬った……!?」
「狼狽えるな、相手は素性も知れん流人風情だぞ」
プブリコラの背後に控えているフロンティヌスが驚愕の色に染まった声を漏らすものの、一方でプブリコラはそこで動きを止めない。今度は彼自身が二つの火球を生み出し、リュウに撃ち出していた。
だが、そもそも本気で当てる気が無かったのか、リュウには大して苦労せず躱されてしまう。
「……お前、よくも俺の配下をこんな姿にしてくれたな。この責任、どう取るつもりだ?」
「そこまで言うなら、せめてもう少し練度の高い兵士にしたらどう? 傭兵だとしても程度が低すぎるよ」
「ほざけ。それ程の技を撃っておいて、虚勢を張るんじゃねえ。あれだけの攻撃だ、魔力にだって限りはあるだろ」
馬鹿にしたような口振りの切り返しに、しかしアルギュロスの口調は冷静だった。
しかしその実、大人しくはして居られなかった様で、彼はすぐに地面を蹴ってリュウへと間合いを詰める。
「この落とし前、お前の命で付けて貰うぞ!」
「嫌だよ」
目にも留まらぬ速さで鉄へと変成される、アルギュロスの右腕。
それはやはり凄まじい殺意を込めて振り下ろされ、そして空振った。
当たらなかったのだ。往なされもせず、ただ地面に腕を減り込ませて、それで終わり。アルギュロスとしては必中かと思っていた一撃だっただけに、虚を衝かれてしまう。
「何だ、コイツ……!?」
「さぁて、何だろうね?」
真横から囁くように聞こえたその声に、彼はぞわりと悪寒を感じた。
けれど、それだけでは終わらず、瞬時に左半身を鉄に“変成”すると、声の方向へ無数の鋭利な突起を伸ばす。
無論、それは彼が顔を上げず、相手を見ずに為された攻撃であり、奇襲。
「これでどうだ!?」
攻撃を躱されたと思ったら、すぐに体の別の個所から棘を出す事で敵を負傷もしくは死に至らしめる、初見殺しの技。
普通の人間を相手にしていれば絶対に攻撃されないと思える時機と体勢で繰り出すそれは、今まで沢山の猛者を屠って来た。
戦場での命の遣り取りをし、血の滲む様な努力をして修得した早業は、リュウの必殺を確信していたが――。
「残念」
手応えなど一切なく、無数の棘は空を切った。
これもまた、外れたのだ。
その事実が彼には、信じられない。一体どのようにして躱しているのか、全く分からない。
手の内が、思考が読まれているのだろうか?
いいや、そんな馬鹿気たことなど御伽話の類でしかない筈だ。
「どうなってやがる……?」
いつの間にやら自分の視界の先、おおよそ十歩先に見えたリュウの姿を睨み、苛立ちを募らせる。
だが一方で、彼の内心はこの瞬間に全てを察していた。
自分の実力では、余程の偶然でも起こらない限り勝てないと。明確な実力差が見える、と。
けれども、彼は退かない。
彼と、その仲間の努力を踏み躙る様な発言をしたこの旅人を、放置してなどいられる訳が無かったのだ。
そうでなければ、今まで自分達が積み上げてきたものは何だったのかという話になってしまうから。
「まだやるの?」
「俺達に向かて舐めた発言をしといてそりゃねえだろ?」
無自覚なのか、それとも態となのかは分からないが、それでもこの気に入らない人物を叩き潰さなければ気が済まない。
攻撃が当たるまで、魔力が尽きるまで、何度でも、幾らでもやってやる。
その決意を胸にリュウを睨んだアルギュロスだったが、次の瞬間には表情を一変させていた。
リュウは、気付けばもう目前に迫っていたのだから。
「――っ!?」
いつの間にとか、どうやってとか、様々な疑問が思考を駆け抜けて行くが、流石は歴戦の傭兵と言うべきか、アルギュロスは同時に全身の変成も開始していた。
どの方向からの攻撃にも耐えられるよう、全身を鉄に変えていくのだ。
その速度は、今までの中でも会心と言って良いほどで、一拍と置かず全身の変成は為される――筈だった。
だが、リュウはその速さをも凌いでいた。
変成の終わっていない、アルギュロスの半端な頭部を猛烈な衝撃が襲い、その視界と思考が揺れる。
「っ!?」
己の頭が拳で殴られたと、そのように悟った時には、もう取り返しがつかなかった。
甲高い金属音が段々と静まって行くように、彼の意識もまた一瞬の中で緩やかに遠退いていく――。
「戦いに下手な思考は邪魔だよ。最低限の意識を除いて、後はただ無我夢中になるだけ」
後頭部を殴られ、一撃で地面に沈んだアルギュロスを見下ろしながら、リュウは聞こえてないであろう指摘をする。
完全に意識を失ったアルギュロスの体は“変成”が解け、今はただ屈強な男の体が無防備にも俯せに倒れているのみ。
止めを刺そうと思えば幾らでもやれるが、もはや興味も無いらしいリュウは彼を一顧だにせず、別の方に目を向ける。
「次は誰? 纏めてでも良いよ」
「私だ。そこの傭兵風情を倒したくらいで調子に乗るなよ、賤民」
問いかけるリュウに、傲慢な態度で胸を張る人物の名は、フロンティヌス。
だが、それを聞いたリュウは詰まらなそうに鼻を鳴らし、気絶したアルギュロスを指差した。
「君、本当に戦えるの? どう見てもここでのびてる傭兵の方が強そうだけれど」
「……き、貴様もかっ! いい加減にしろ!!」
意図的かどうかはさて置き、挑発されたフロンティヌスが激高し、同時に自身の右掌の上に二つの氷柱を現出させる。
それから一拍置いてほぼ同時に撃ち出されたそれらだったが、リュウはその火球を切り落とす事はせず、剣の腹で二つを横薙ぎに弾き飛ばしていた。
それによって大きく狙いの逸れた二つの氷柱は、リュウの右手側で木々に突き刺さる。
「――先程の貴様の口振り、別に一対一でなくとも良いのだな?」
しかし攻撃はそれだけに終わらず、今度はプブリコラの放ったらしい燃え盛る三つの火球がリュウへ殺到していた。
それはつまり、フロンティヌスとリュウの戦闘に、子爵貴族であるプブリコラが加勢したと言う事で。
「!」
リュウは二対一になった事実を即座に認識すると刹那の内に三つの白い球を作りだし、それぞれにカチ合わせる。
すると瞬きの間もなく、都合三つの爆炎がその場に咲いた。
だがやはりリュウの体の少し手前で悉くが相殺された様で、風に流された煙幕の中より彼は無傷の姿を見せる。
「……少しは加減をしたらどうだい? 今の威力だと味方すらも巻き込みかねないよ?」
「ふん、気絶した役立たずなど要らぬ。そもそも、貴様が下手に抵抗するのが原因であろう」
全ての元凶たる人物に言われたくない、とプブリコラは鼻を鳴らす。
それからリュウがその手に持つ紅い剣に興味を持った様な目を向けながら、続けてこう言った。
「随分と不思議な剣だな? 下賎な旅人にはふさわしくない装備だ。魔法に抗う術式が彫られているとでも?」
「……答える義理はないでしょ」
韜晦するように軽く肩を竦めたリュウは、そこから体を動かす事はせずに一つの球体を造りだす。
彼の胸の前で発生したその白い球体は、その大きさを次第に増して行き、人の胴体ほどまで膨張すると何の前触れもなく小さな球へと分裂した。
「来るぞっ! 構えろ!!」
「は? ……か、畏まりました!」
それを見てプブリコラはすぐに察したのだろう。騎乗したまま、たった一人残った配下のフロンティヌスに注意を飛ばし、その両手を前方に翳す。
今からここへ目掛けて飛んで来るであろう攻撃を予想し、幾つもの火球を造りだして相殺させる心算だったが故の行動だが――。
「――おい、何だその量はッ!? その魔力量はどうなっている!?」
リュウの背後に展開され、浮いている白い球の数はもはや数えるのも億劫になる程、夥しい量になっていた。
こんなもの、幾ら相殺しようと魔法を撃ちこんでも焼け石に水でしかない事は明白だ。
信じられない状況に目を剥くプブリコラと、同様にフロンティヌスも浮足立つ中、尚も白球は数を増していく。
「ま、待て! 何が……何が狙いだ!?」
「待たないよ。そもそも狙いは君達を倒す事だし、とっとと君達を倒さないと、そこに倒れてる三人が死んじゃいそうだし」
無駄だと分かって居ながらも、プブリコラとフロンティヌスは己の身を守る為に魔力を動かし、備える。しかし、魔力に詳しくない誰がどう見ても、リュウのそれは到底防ぎ切れるようには見えない有様。
爵位は子爵とは言え、それでも彼は貴族なのだ。なのに、その魔力量はリュウのものと比べると完全に赤子のようだった。
あれだけ魔法を使えば魔力は限界だろう、貴族の自分が疲弊した平民に負ける訳が無い、筈だった。
それなのにどうだ、今のこの状況はどうなっている。
こんな事になるのならば、アルギュロス以下傭兵たちが全滅した時点で撤退すべきだった。
今になって己の失策と見当違いを後悔しても、もう遅い。
配下や側近はこの得体が知れない旅人によってフロンティヌス以外全滅し、そのフロンティヌスもまた、顔を青くして震えていた。
「馬鹿な、あり得ぬ!」
ここは、今まで経験したいかなる場とも違う。
勿論戦場は体験した事があったが、所詮、封建貴族同士が行うお遊びの紛争などで身の危険を感じる場面など無かったのだ。
だが、もはや今の己は絶体絶命。
……いいや、もしかすれば命乞いすれば、交渉すれば助かるかもしれない。
その考えに縋るように、彼は提案する。
この提案に、一縷の望みを賭けて。
「貴様、何か欲しいものは在るか? 金でも、女でも、私の権限で出来るものなら提供するぞ?」
無論、守る気など無い。この急場を凌げればそれで良いのだ。約束など知った事ではない。自分は貴族、旅人如きとの約束など、守ってやる義理が存在しないのだから。
だが、リュウは素気無かった。
「君のその提案、悪いけど全く興味が魅かれない。僕がそれに乗る理由はないね」
「……っ!?」
その言葉にプブリコラは目を剥きながら、尚もどうにか活路を探して頭を回転させる――が、そこでリュウの眼の色に気付く。
彼の眼が、真紅である事に気付いたのだ。
「紅い……その眼は!」
直後にそれと白い魔力の塊が結び付いたのか、驚きに目を見開いた彼は、紅眼を指差す。
それに対して仮面の下から覗く紅眼を細めるリュウは、小馬鹿にしたような口調で短く告げる。
「じゃあね」
「こ、この、悪魔めがぁぁぁぁあっ!」
プブリコラが目を血走らせ、喉が割れんばかりに絶叫した直後、リュウの元から無数の白球が撃ち出されていたのだった――。
 




