第四話 バッドボーイズ セレナーデ①
数日振りに、雨が少量だけ降る。
湿気を感じるのはほんの少しの間だけで、窓の外に視線を向ければ細切れになった雲の隙間から青空が覗いていた。
「……さて、明日にも出発するけれど、準備のほどは如何かな?」
「問題無いですよ……シャリクシュ以外は」
「シャリクシュ君はまだ終わっていないのかい?」
「ええ。何やら魔法を使ってずっとゴソゴソしてます。ちょっと覗いた感じ、銃の弾とか作ってるみたいですよ」
タルクイニ市にあるミヌキウス家の一室に、仮面を着けた白髪の人物が顔を出していた。
それに対して金髪の少年――スヴェンが肩を竦めながら視線を向ける先には、入り口から背を向けて黙々と作業をして居る褐色の肌をした少年の姿があった。
彼の名はシャリクシュ。民族的には製鉄技術に優れた剛儿であり、年齢はスヴェンたちと同じ。
尚且つ、前世の記憶と思しき情報を断片的に持っている人物だ。しかし、彼本人はどうやらまだ記憶と人格が戻った訳では無いらしい。
そんな直向きに作業を続けるシャリクシュの背中へ、仮面を着けたリュウは話しかけていた。
「今日中に準備は終わりかな?」
「……問題ない。終わらせる。そもそも、消耗品である銃弾は幾らあっても困るものじゃない。道中でも作り続ける」
背後に立つリュウに対し、シャリクシュは振り向きもしないで素っ気なく答える。ぞんざいな態度そのものだったが、リュウは特に気分を悪くした様子もなく、作業を眺めて居た。
「……まだ何か用でも?」
「いや、君が作っているそれ、一体どういう原理なのかなって気になってさ」
「そんなに難しいものじゃない。火薬の代わりに妖魎から剥ぎ取れる妖石を砕いて、撃鉄で叩く。すると小さな爆発が起きてこれが飛ぶ。以上」
「……良く分かんない。説明が適当過ぎると思うけど?」
困った様に頭を掻くリュウだが、相変わらずシャリクシュは一顧だにせず、只管弾丸を作り続ける。
一つ一つ作り出されていくその様子は、まず彼が自身の金属造成魔法で塊を造り出し、そこから適当な大きさに成形していくと言うものだった。
いかにもこれ以上の話は受け付けないと言ったシャリクシュの態度のせいで、リュウの質問は宙に浮いたままとなってしまい、何とも言えない空気が部屋を包む。
それを見るに見かねて、スヴェンが助け舟を出していた。
「一個一個、そうやって銃弾の形にしてんのか? じゃあ、発射薬はどうやって弾丸に取り付けを?」
「別々に作って、後で纏めてくっつける。単純にくっつけるだけなら、俺の魔法で一瞬だからな」
弾丸の成形となると、下手に大きさを間違えたら発射できないし詰まってしまう。多少集中力を要するので、一度に作るより個別に作った方が確実なのだと、彼は言う。
「けど、弾丸一個一個を魔法で生み出すって……それも手作りとかと変わらねえし、めんどくさい上に不安があると思うんだが?」
「最初はそうだったな。一つ作るのにも結構時間がかかった。だが、今はもう慣れた。この程度なら大して難しくもない」
「……職人みたいだな」
まるで精密機械のように、床に次々と転がされていく、氷柱のような銃弾。その大きさはどれも均一で、機械が一度に大量生産を行っている様だった。
何はともあれ、これ以上は居るだけ無意味だし、訊くだけ無意味と判断したスヴェンは、ここでリュウに顔を向ける。
彼も無視されたとは言えそれなりの情報が入った事で納得したのか、頷いて部屋を後にしていた。スヴェンもそれに続き、後にはまだ黙々と銃弾を作り続けるシャリクシュだけが残っていたのだった。
だが不意に手を止めた彼は、天井を見上げて呟いた。
「ラウレウス……いや、気のせいか」
どういう訳か、最近見る夢の登場人物と、あの白儿の少年の姿が重なって見える。顔貌は何一つとして一緒では無いのに、何故か似ていると思ってしまうのだ。
理由はサッパリ分からない。けれど、懐かしく感じて、この訳の分からない感覚のせいでどうにも気持ちが落ち着かなくて仕方ない。
焦燥が募る。
助けなくてはならないと、誰かが言った気がした。
「一度はイッシュ共々(ともども)助けてくれた恩人を見捨てるのは目覚めが悪い……」
結局、そう言う事にしてシャリクシュは作業に意識を埋没させていた。
同じくミヌキウス家の、一室。その椅子の上に天色の髪をした少女が腰掛け、俯いていた。
「…………」
彼女は、自分自身がとんでもなく愚かな人間だと、思っていた。そして、心のどこかで常に責め続けていた。
また彼に任せてしまったと。また彼を危険な目に遭わせてしまったと。
悔やんでも悔やみきれなかった。
嫌と言ったのに、離れたくないと言ったのに、彼は自分を引き離した。突き放した。突き飛ばした。
勿論、その理由は分かっている。
自分を含めた仲間達を逃がす為だ。その為に彼は自己を犠牲にして皆を逃がした。
その結果、リュウが目撃した所によれば、捕まった。
今は白儿である彼の扱いは、言い伝えを聞くだけでも容易に想像出来る。人では無いから、悪魔だから、資源だから、人として見做されずに虐げられて嘲られているだろう。
「そんなの、間違ってる……!」
余りにも理不尽な他者の行いに、怒りすら覚える。
あの少年が一体何をやったと言うのか。勝手に彼の邪魔をして、それを振り払われたら逆上して、そんな連中の方が遥かに悪魔ではないのか。
冗談ではないと、少女は右の拳を強く握りしめていた。
今度こそ、今世こそ、同じ過ちは繰り返さない。もう後悔はしたくないと誓ったから。もう、絶対に。
「私は……!」
誓う。シグルティアは、高田 麗奈は、今度こそあの少年を離さないと。また一緒に笑い合える日を、手に入れる為に。
もしも今世で死ぬ時は、お互いに心からの笑顔で居られるようにする為に。
「慶司……!」
「シグちゃん、何してるの?」
「……レメディアか。別に大した事じゃないさ。気にしないでくれ」
不意に背後から掛けられた聞き慣れた少女の声に、シグルティアは体を跳ねさせた。
それから努めて平静を装った声と共に振り返ってやるのだが、緑色の眼を持つ彼女は何もかもを見透かしたように言っていた。
「当ててあげよっか? ラウの事でしょ」
「……何を言うかと思えば。どうしてそう思う?」
「だってシグちゃん、ラウの事が好きでしょ?」
「随分と直球な事を言ってくれる。何故そう思ったんだ?」
シグルティアは一際心臓が強く跳ねた事を悟られまいと、誤魔化す様に溜息を吐き、そして瞑目する。表情にも出てしまわないように表情筋を押さえつけているから、その顔は能面のようになっていた。
しかしその内心は、心臓の鼓動が強すぎて脳が揺れるような感覚のせいで、思考すらもこんがらがって訳わからなくなりそうになっている有様だった。
「言っておくが私は……」
「誤魔化さなくていいよ。見てれば分かるし」
「見てればって、な、何が!?」
もしや知らぬうちに口でも滑らせていたのだろうか。思い返せば、野宿の際も、このミヌキウス家に宿泊している間も、彼女とは纏まって寝ている。
寝言の一つでも漏らしてやいまいかと、シグルティアは咄嗟に己の口へ手を当てていた。
「そんな変なことは言ってないから安心しなよ。でもケイジケイジって寝言が煩いのはちょっと勘弁してほしいかも……」
「わ、わぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!?」
シグルティアは己の口に当てていた手を、慌ててレメディアのそれへと向けていた。これ以上は自分としても聞きたくないものが出て来てしまいそうな気がして、だとすれば羞恥で死んでしまいそうだったから。
何よりこの場には、同性しか居ないとは言え他にイシュタパリヤが居る。
彼女が下手に周りへ話を流すとは限らないが、幾ら言い含めたところでシャリクシュに何か漏らさないとは限らないのだ。
傍から見れば相互に信頼以上の感情を持っている様にも見える彼ら二人は、その仲でだけ口が緩い。
シグルティアからすれば、自分の恥ずかしい感情がこれ以上他に漏れるのだけは何としてでも回避したかった。
「大丈夫だよシグちゃん、大袈裟だなぁ。イシュタパリヤちゃんならまだ寝てるよ。猫みたいだよね」
「……そうだな。ってそうじゃない! 誰が聞く聞いてないも関係なく、そんな作り話はもうしないでくれ! そんなに私を困らせるのが楽しいか!?」
「作り話じゃないんだけどな。じゃあ、私がラウ君を貰っても良いんだ?」
「貰う!? ま、待て、何故そうなる!? 結論が早いだろ!」
どこか挑発するような笑みを浮かべる緑髪緑眼の少女に、思わずシグルティアは待ったを掛ける。
だが、そのせいで余計にレメディアの笑みは深まっていた。
「何で? シグちゃんにとって関係無い事じゃないの? 私がラウを好きだろうが、止める権利はないと思うけど」
「それは……!」
「それとも何? 何か理由でもあるのかな?」
流し目を向けて来る少女に、思わずシグルティアは後退っていた。
しかしその分だけ、レメディアが距離を詰めて行く為、次第にシグルティアは追い込まれて行き、気付けば壁に背中が当たっていた。
「前にも言ったけど、私はラウが好き。ずっとね。覚えてるでしょ?」
「……まあ、それはそうだけど」
忘れもしない。旅をしていた時に、川で一緒に水浴びをしていたらレメディアが教えてくれたのだ。
正直に言えば、訊いても居ない事を勝手に教えてくれたとも言えるのだが、何となくそれを今ここで指摘するのは憚れた。
「私だけ話して、シグちゃんは話さないって何は不公平じゃない?」
「ふ、不公平も何も、だから私はそんなんじゃないって……!」
「じゃあさっきの話に戻るけど、ラウは私が貰うね」
「それは駄目だ!」
レメディアの言葉は本心であると共に、しかし挑発でもある。その事は分かって居ながらも、どうしようもなくシグルティアの心に波風を立てる。
だから耐え切れなくて、思わず言葉が飛び出してしまう。
その結果、間髪入れずにレメディアの追及がやって来るのだ。
「何で?」
「…………」
「黙ってたら話にならないよ」
互いの息が掛かるほどの距離に、顔がある。
レメディアの整った顔立ちが視界一杯に広がって、シグルティアは更に後退ろうとしたけれど、壁がある以上はもう動けない。
横に逃げようとしたが、それをさせじとレメディアの両手がシグルティアの両肩をがっしり掴んで離してくれなかった。
「シグちゃん。大事な事だから、ちゃんと答えて」
「大事って……まあ確かにそうだけど!」
「これ以上はぐらかすようなら、シグちゃんに駄目とか言われても私は聞く耳は持たないけど、良いの?」
「ぐっ……!」
徐々に徐々に逃げ道が塞がれていく感覚に、思わず苦しい声が漏れる。
もはや心理的にも、物理的にも逃げ道は皆無となっていて、どうやってもこの状況を上手く切り抜けられるとは思えなかった。
「……分かった、言えば良いんだろ」
「そうだよ。それでこそシグちゃんだ」
最初から全て分かっていたと言わんばかりのレメディアの態度が少し癪だったが、敢えて聞こえなかった振りをしてしっかりとレメディアを見つめる。
対するレメディアもまた真っ直ぐに見つめ返して来ていて、その様子に思わず気圧されそうになってしまったが、気合で動揺を捻じ伏せていた。
何より、負けてなど居られないから。
今度こそと、思うから。
瞑目してから一度深呼吸、そして。
「私はラウが好きだ。いや、ラウだけじゃない。慶司も好きだ。前世からずっと、大好きだ。何か文句あるか?」
「……ううん、別に。でも、私だって負けない。君に前世があろうと何だろうと、私だって好きなものは好きなんだから」
それは、互いにとっての宣戦布告でもあった。
交錯する視線は退くところを知らず、衝突して弾け合う。
絶対に負けられない――。
そんな確固たる二人の意思が、聞こえもしないのに伝わりそうな雰囲気で。
「「……!?」」
不意に、部屋の扉の方から物音が一つ。
ハッとして両者は弾かれた様に音のした方へ顔を向けたのだが、そこには一人の中年女性が一人だけ、顔を覗かせていた。
彼女はこの家の、つまりミヌキウス家の家主――ロサ・ミヌキウス。
いかにも下世話な噂好きで、それを生き甲斐にして居そうな笑みを浮かべている彼女を見て、二人は凍り付いた。
だが、思考も体も停止している間にもロサの笑みは見る見る内に深くなって行き、満面の笑みとなっていく。
そして。
「大変だ皆、聞いとくれ聞いとくれッ! 特ダネだよぉぉぉぉおっ!」
「「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあッ!!」」
ドスンバタンと、勢いよく階段を駆け下りる足音と共に、ロサの元気な声が家中に響き渡る。
それから間髪入れず、今まさに目の前で暴走を始めようとしている生きた拡声器を取り押さえるべく、年頃の少女達は血相を変えて追い掛けた。
何故なら先程の遣り取りはあくまでも二人の間だからこそのものであって、関係のない他者に向けたものではないのだから。
故に二人は顔を真っ赤にして、ロサを追い掛ける。口を塞ぐ為に。場合によっては手荒な真似も辞さない覚悟で、である。
だが無情にも、ロサが階段を降り切った先には、リュウとスヴェンが居たのだ。
「あれ、ロサさんじゃあないですか」
「どうしたんだ? 随分興奮してるみたいだけど」
「そりゃそうだろうよ! だってレメディアとシグルティアって嬢ちゃんが……」
「「ギャーーーーーーー!!!?」」
絶対にそれ以上喋らせてなるものか。
昼のミヌキウス家に、少女二人の絶叫が響き渡っていた。
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