第三話 DON`T LOSE YOURSELF⑤
「……首尾はどうだ?」
「うーん、まあ元々どっちに転んでも問題無かったしねー。研究資料としてはそれなりに成果があったかな」
「そうか。で、それはどうするんだ?」
血塗れとなったプブリコラの亡骸を尻目に、長身の男――ペイラスは、エピダウロスが手に持つ赤い結晶を指差していた。
大きさにして掌に届かない程度だろうか。握り締めれば簡単に潰せるのではないかと思う様な大きさだが、その実それは極めて硬い。
「これは……そうだなー、また実験に使ってみるさ。今丁度いい用途を思いついたぜー」
「ほう、なら任せよう。主人様は計画に支障が無ければ何をしても良いと常々仰られていると、ルクス様からも聞かされているからな」
「ありがてえな。ってか、主人様は? ウィンドボナに来てるんだろ?」
ふと思い出したように首を傾げるエピダウロスに対し、確かにそうだとペイラスは頷く。
しかし、同時に今はもう居ないのだとも告げるのだった。
「あの御方も色々とお忙しいらしい。詳しい事は知らんがな。ルクス様やタナトス様以外に知らせている者などごく少数だろう」
「へえー、相変わらずお忙しい事で。なら俺も色々忙しく自分の研究に勤しむとしますかねー」
「任務に支障を来すなよ」
「へいへい、分かってるってのー」
ひらひらと手を振りながら、そそくさ己の研究へ埋没していくエピダウロスに、ペイラスは呆れた様に溜息を吐きながら、踵を返す。
「計画は何もかも順調だ……東帝国も、直に滅ぶ。その時が、主人様の覇道の狼煙が上がる偉大な瞬間だ。貴様も励め、パピリウス」
「はい。粉骨砕身、任務に当たります。この身に代えましても」
「ああ、期待している」
途中、頭を下げている中年男にそれだけ言葉を掛けると、もはや振り返らずにペイラスはその場を後にするのだった。
◆◇◆
目に見えて晴れの日は多くなり、肌が感じる日差しも徐々にではあるが強まりつつある天気の下を、六人の男達が歩いていた。
街道を歩く彼らの背後を振り返れば、そこには小さくなった都市の城壁が見え、前方には点在する村々が目に入る。
「これからしばらくは野宿だな。何せ、俺らの顔も内二人が手配書によって割れてる訳だし」
「悪いな、手前らのせいで迷惑を掛ける」
「別に気にしちゃいねえよ。何より、お前らを助け終えたら酒を奢って貰うぞ。リュウからも別に報酬があるらしいしな」
少し気まずそうに目を閉じた壮年の男――タグウィオス・センプロニオスに対し、后羿はヒラヒラと手を振る。
腰に下げた矢筒に弓矢を携えた彼は、瓢箪に入っていた酒を上手そうに一口煽り、強烈な酒精の匂いを周囲に撒き散らしながら先頭を歩いていた。
その様子を、ガイウス・ミヌキウスは顔を顰めながら眺め、そして訪ねる。
「アンタ、酒が好きなんだな?」
「ああ? 当たり前だろ! やっぱ酒は良い、この喉を通って胃が灼ける感覚! 最高だ!」
「……そうかよ。けど酒臭いのは何とかしてくれないか? アンタが風上に居るせいで色々強烈なんだが」
取り成す様にガイウスが言うのには訳がある。それと言うのも、彼の周囲に居る他の四人も同様に顔を顰めており、或いは鼻を抓んでいたのだ。
勿論、皆誰もが成人を過ぎた歳である事もあり、酒の匂いには十分過ぎる程慣れている筈なのだが、如何せん后羿の飲む酒は尋常では無く強いものであるらしい。
四六時中ずっとそんな匂いが漂ってくれば、辟易とするのも無理はなかった。
「この酒? いい匂いするよな。俺も良く分かんねえけど、何か良く分からん魔法を使って職人が特別に発酵させた特別な酒なんだってよ。高かったんだぜ、これ」
「そんな事は訊いてない。アンタ、一体いつまで酒飲んでるつもりだ?」
「そんなの、精霊としての俺が消滅するまでに決まってるだろ? こんな美味いものを辞められる訳ねえし」
「せめて今くらいは自制してくれ。匂いだけで軽く酔いそうだ。飲むなとは言わねえからさ」
果たしてこれが言うだけ無駄であるかは今後次第であるが、ガイウスとしては恐らく無意味だと承知していた。
何故なら、后羿の体には一体何処から調達したのかと訊きたくなるほど、沢山の瓢箪が体に掛けられていたのである。
おまけにそのどれもがまだ満杯の状態で、全てを飲み干すにはまだまだ時間が掛かりそうだった。
「……ったく、この精霊は。これじゃレメディアやラウと再会する前に酔い潰れちまうぜ」
「全くだ。嫌がらせされてる気分だよ」
「アンタは……アグリッパさん? 本当に怪我はもう平気なのか?」
「問題ない。それとさん付けしなくて良い。歳も近いしな」
そう言ってガイウスに笑い掛けるのは、ラドルス・アグリッパ。ビュザンティオンでの逃亡戦の最中に怪我をした彼は、タグウィオスと共に身を隠し、傷が癒えるのを待っていた。
その時に后羿及びガイウスとその二人の仲間と遭遇して、合流に至っていたのである。
后羿はともかくとして、ラドルスやタグウィオスとしては面識のないガイウスらを一旦は警戒したものの、彼らの人柄や目的を聞いてその態度は軟化していた。
「なあ后羿、本当にこのままウィンドボナに向かうってのか? センプロニオス様や俺としては、一旦お嬢たちと合流すべきと思うんだが」
「それも一理あるんだけどな。実際、リュウと契約している俺はアイツの居場所も大体分かるし。けど、明らかにウィンドボナの方が近い」
「そう言う問題じゃなくてだな……」
「安心しろ。リュウの性格から考えれば、確実にラウレウスの奪還に動き出す。ラウレウスが連行されたって言うウィンドボナで待機してれば、確実に会える」
そこで待機して羽を伸ばせば良いと笑って言ってのける彼に、ラドルスは頭を抱えて溜息を吐いていた。
頭痛や眩暈がして居そうな心情を推し量ってか、ガイウスらは同情の視線と共に苦笑を浮かべてその光景を眺めるのだった。
「ところで、俺らとしてはレメディアの消息も心配なんだが、大丈夫なんだろうな? そのリュウって奴に任せて」
「ああ? 大丈夫だ、心配するんじゃねえ。リュウが一緒ならまあ問題ねえし、そもそもお前ら三人は一回、目の当たりにしてるだろ?」
自信たっぷりにそう言い切った后羿に、ガイウスらは怪訝そうな顔を浮かべたのも一瞬、すぐに何かを思い出したように目を剥いた。
「……どこかでリュウって名前は聞いた事あると思ってたが、そう言う事か。あの時、仮面をしてた奴だな」
「そう言う事だ」
「どういう事だ?」
話に置いて行かれる形となったラドルスとタグウィオスが怪訝そうな顔をして訳を訊ねれば、ガイウスがそれに答えるよりも先に、后羿が口を開いていた。
「まあ早い話が以前、リュウがコイツら三人を救った事があるんだよ。貴族とその配下の兵士にやられそうになってたんでな」
「へえ……意外な所で繋がりがあるもんだな。后羿は最初から気付いてたのか?」
「いや、ついさっき気付いた。何処かで見覚えのある顔だなとは思ってたんだが、今ようやく思い出したんだ」
話す事に集中し始めたせいか、彼の酒を飲む手が止まっていて、そのお陰で一行の鼻に流れ込んでいた噎せ返るような酒精の匂いは収まっていた。
それを喜ぶのも程々に、ラドルスが確認する様にガイウスらに視線で確認すれば、三人は一様に頷いていた。
「丁度その時期、ラウの魔法が発現して、白儿だと露見したんだ。丁度泊めて貰ってた恩義もあったし、何より年端もいかない奴が虐げられるのは気持ちが良くなかったからな。ラウを助ける為に戦ってたら、リュウに助けられたんだ」
「俺らも一部始終を目撃した訳じゃねえから、はっきりとは分からなかったけどよ」
「だが実際に俺達は生きて居るし、あの時の貴族は何か悶着あって失脚した。結果的に見ても俺達は助けられたと見て間違いは無いだろうな」
ガイウスに続いて、プブリウス・ユニウスとマルクス・アウレリウスも同調を示せば、ラドルスとしてもいよいよ疑う余地がある筈もなかった。
もっとも、この話が真実だろうと偽りだろうと、ラドルスにとってすればそこまで大した話でも無いのだが。
「世間は狭いとはよく言ったもんだ。で、結局行き先はウィンドボナで固定なのかよ? 俺としてはお嬢の身の安全を第一に確認したいんだが」
「だからこそウィンドボナなんだろ。その方が、時間的にも早く合流出来るぞ。向こうも向かって来る訳だからな」
「……確かにそうだけどよ」
后羿の言う事も正しい。だからこそ上手い切り返しが見つからず、ラドルスは口籠っていた。
しかしそれは、話の主導権を取る上では致命的な事であり。
「反論が特にないのなら以上で話は終わりだな。ガイウス達もないだろ?」
「まあ、レメディアが心配じゃない訳ではないが……命を助けて貰った恩人を疑うのは気が進まないからな。今回は特に異議もない」
形勢は既に、四対二となっていた。
この状況で唯一ラドルスの仲間であると言えるセンプロニオスも、形勢不利と見て反対すべきではないと考えたらしい。
瞑目して首を左右に振っていた。
「な、なら俺だけでもここで別れて……!」
「止めとけ。お前、リュウやシグルティアの居場所が分かる術を持ってるのか? 入れ違いとかになったら余計に手間かかるだけだぞ」
「…………」
現在、この六人の中でリュウたちの居場所を探知できるのは、リュウと契約を結んでいるらしい精霊の后羿だけである。
当たり前だが、何か特殊な魔法が使える訳でも無いラドルスにそう言った能力がある筈もないのだ。
そこを指摘されてはいよいよラドルスも途方に暮れて、諦めた様に息を吐き出した。
「分かったよ、従えば良いんだろ? まあそれは良いとして、頼みたい事が一つある」
「何だ?」
「怪我している間、碌に体も鍛えられなかったからな。勘を取り戻す為にも、暇な時は打ち合いの相手をして欲しい。大人しく従ってやるから、それくらいの我儘は良いだろ?」
「あー、構わねえよ。ミヌキウス達も良いよな?」
「問題ない。自分の腕が鈍るのが何とも言えない気分になるのは、良く分かるからな」
太陽も高く昇りつつある昼空の中で、彼ら六人は街道を行くのだった。
無論その行き先は、ウィンドボナで――。
◆◇◆
俺は地下牢の天井を、いや正確には虚空を眺めて居た。
何をする訳でも無く、何の感情が湧く訳でも無いのに、無言で薄暗い何も無い空間を見続けていたのである。
「……おい、アイツやっぱ最近何か変だぞ?」
「気がおかしくなったんだろ。強がっていても所詮ガキだ。今更ながらに、白儿として生まれた事を悔いてるのかもな」
檻の向こう側から聞こえる会話に対して、もはや何も興味が湧かない。鼓膜を揺らすだけで、会話の内容すら頭に入って来ないのだ。
当然、寝転がったまま頭を上げてそちらを見る事もしない。
「…………」
楽しい。
悲しい。
寂しい。
苦しい。
嬉しい。
悔しい。
怪しい。
何も、感じない。何も、思わない。
自分でも薄々勘づいている。何かがおかしいのだ。今も自分の身に何かが起きているのだと。
その事実が、とても、とても、恐ろしくて――。
「……あ」
恐ろしいって、何だったのだろう。
そう言えば、どんな感情だったのだろうか。
何か、無くてはならないものの一つであった筈なのに、もう思い出せない。無くなってしまったような気がする。
絶対にどこかにある筈なのに、幾ら探しても見つからないような、そんなもどかしさが――。
「…………」
もどかしいって、何だったか。
それももう、分からない。
おかしいという感情すら、もう今徐々に薄れつつあるのだから。
『ほう、良い具合に出来上がって来たな』
「アンタは……」
『貴重な時間と力を使って足繁く通った甲斐があると言うものだ。……もう少しだな』
ぼうっと、虚空を眺める。
フウと名乗るその“声”の主はどういう訳か愉快そうなものだったが、それを不思議になど思わなかった。だから、訳を訊ねようとも思えない。
『今、お前の心にある感情は、何だ?』
「俺の、感情……?」
『そうだ。何が残っている?』
そう言われて、何も考えずにのろのろと思考を働かせる。
意外にも、スカスカになっていたと思っていた筈の感情は、まだ残っていた。
憤怒。
嫉妬。
嫌悪。
憎悪。
空虚。
絶望。
怨恨。
まだまだたくさん、あった。だからと言って、安心する訳でも無かったが。
『……余分な感情を取り払ったせいか、やはり残ったのものが肥大化しているな。素晴らしい。普通の人間ならこうはなるまい。元々、随分と負の感情を溜め込んで居た様だ』
「…………」
『正の感情とでも呼ぶべきもので塗り潰していたものが、露わになったんだ。もう隠す事は無い。全てを曝け出せ、ラウレウス』
実際に囁かれている訳でも無いのに、耳元でその“声”が聞こえた気がした。
すると理由もなく体は微かに震え、それから四肢を拘束する鎖へと目を向ける。
相変わらず強固で、魔法の行使すらも阻害すル効果を持つ鎖は、ほんの少しも弱る気配が見られない。脱出するのは至難の業だろう。
……ただし、それもほんの少し前までの話。
『征け、我が手足よ』
どうしてか、少し黒くなった気がする魔力が四肢から溢れ出し始め、それらが忽ち枷を包み込み、そして破壊する。
魔力の行使を阻害する術式が彫られた枷を、その容量を超える程の密度と量の魔力を流し込んで破壊したのだ。
「はは……壊す。潰す。許さない……何もかも。俺はお前らが、この世界が、憎い」
『それで良い。我もまた、同じ気持ちなのだ』
「潰れろ、崩れろ! 全部、俺が殺してやるよ!」
この世界は何もかもがおかしい。理不尽だ。馬鹿げている。自分勝手過ぎる。そのくせして、素知らぬ顔でここにあり続けて、また新たな被害者を生み出していく。
そんな世界に対して、怒りを抱くのは間違っていないだろう。いや、正当な行為だとしか思えない。
勝手な事情で前世では命と未来を奪われ、今世もまた顔も知らない連中の勝手な理屈と事情でどうしてこんな目に遭わなくてはならないのか。
馬鹿げている。唯々諾々(いいだくだく)と従ってなどやるものか。
世界が俺を踏み潰そうとするのなら、俺が世界を踏み潰してやる。当然の権利だ。
文句を言いたい奴は好きなだけ言えばいい。潰される覚悟も持たないで、他人を潰そうとした結果だ。自業自得だ。そいつが馬鹿だっただけである。
「き、貴様!? どうやって拘束を抜け出した!?」
「脆過ぎて話にならねえんだよ。この程度で……」
鉄格子も、もはや自由になった体の前には何の障害足り得なかった。
虫でも振り払うかのような調子で檻を破り、そこから堂々と身を出せば、二人の兵士が槍の穂先を突き付けて言う。
「何をして居る、戻れ! 逃げられると思うな!」
「……邪魔、ダ」
「馬鹿な!?」
己の感情に、殺意と怒りに突き動かされるがまま、手を伸ばす。
呆気なく衛兵の槍をへし折り、そして――。
「…………」
悲鳴を上げさせる暇もなく、彼ら二人の兵士を惨殺していた。
後には絶望と恐怖の表情を浮かべたまま、血溜まりを徐々に拡大させる抜け殻が二つ転がっているだけ。
「殺ス……全部!」
今まで何でそうしてこなかったのだろう。
昏い感情に起因する笑みが漏れだして、満足感が心を支配する。
何もかもを壊すのが、ここまで楽なものだったとは――。




