第三話 DON`T LOSE YOURSELF①
東帝国が首都、ウィンドボナ。皇帝や高位貴族が幅を利かせる宮殿に存在する地下牢に、俺は居た。
ただしそこには、檻を挟んで憎んでも憎み切れない人物がいて、彼はこちらの気持ちを知ってか知らずか、呑気に語っていた。
「私は常々、人は愚かな存在であると考えている。貴様もそれは分かるだろう? これまで散々人の悪意に晒されて来たのだ」
「そうだけど……晒されてきた悪意の中にお宅らのものも混じってるって事、知ってる?」
仮面を外したままで露わになっている主人の顔は、相変わらず嘲りの色を浮かべたままこちらを見下ろしていた。
対して俺は、四肢を枷で拘束されている事もあって、胡坐をかいた姿勢から立ち上がる事も出来ない。その姿勢のまま、精々が睨み付ける程度で居るのが限界だった。
「私やその手の者が他者へ向けるのは悪意では無い。報いだ。全ての者に、人の傲慢さに対する報いを与える為に!」
「……それどころか俺はその傲慢さの犠牲者の一人だと思うんだけど?」
「ああ、そうだとも。だが復讐したいだろう? 少なくとも私だったらそう思うさ」
「確かにそうだ。でも少なくともお前らと関わり合いになりたいとは思わないね。何が悲しくて、自分を一回殺した相手と組まなくちゃならない?」
主人は、そもそもが憎き相手である。何がどうであれ、絶対に組む気になどなれようもない。
自分自身の、そして親友たちの、更にはあの時殺された人たちにとっても仇なのだから。
「別に私と組めとは言っていないさ。組まぬなら組み込むまでだ。貴様ら債権者には選択権など無いのだからな」
「債権者? さっきから聞いてれば、傲慢さだとか何だとか、まるで神みたいな事をよくもまあ恥ずかしげもなく言えるな。どんな精神構造してんだ?」
先程から、余り話が見えてこない事に苛立ちを覚えながら煽ってやるが、その効果は大した事も無いらしい。
軽く鼻を鳴らされたあと、饒舌に彼は話を続けていた。
「その言葉は人類そのものにこそ相応しい。蹂躙し、それをやがて忘れ、そして当然のように利益を享受する。一体どのような精神構造をしていればそうなれるのだ?」
「知るか。そんなの俺に言うな。何度も言うけど俺は被害者だ。加害者はアンタら神饗と、この世界の人間の大多数だぜ」
「これはおかしなことを。私の計画の一端を担えるのだ。光栄に思ったらどうだ? それに、私に協力すればこの世界で貴様を迫害した者共に裁きを下せるのだぞ? 事実、私の下にはそうした者が集っている」
「ふーん……」
協力とは言っているが、果たしてどこまでが本当なのだろう。精々、一方的に扱き使われるのが透けて見えてしまっていた。
何せ、主人は人類そのものを見下している様にしか思えないのだから。
「しつけえな、組まねえって言ってるだろ。大体、何が狙いなんだ?」
「……この世界を統べる。私が、私達精霊が全てを統治する世を創るのだ」
「はあ? 神にでもなるっての? ……世界征服とかアホくさ。アンタ元気だな」
思わず、呆れが乾いた笑いとなって口から漏れていた。世界征服を志す悪の組織的な、ありきたりな設定を思い出して何とも言えない気持ちになったのだ。
「主人様の大願を愚弄するか、白儿」
「ルクス、よい。言わせておけ。このような者に我らの志など理解出来まい。同じ白儿でも、奴らとは違うのだ」
声を荒げようとする側近――ルクスを、主人は瞑目して宥める。それでも何処か納得出来ていない気配を見せるルクスを無視して、俺は訊ねていた。
「……奴ら?」
「貴様の先祖に当たるやもしれぬ者だ。だが今は亡い。貴様のような搾りかすも良いところの末裔など、欠片の情も持ち得ないな」
「先祖? 顔も知らねえ奴の事を持ち出されても、俺としたって困るね。って言うか、世界征服と前世の俺達を殺したのは、どこでどう繋がるんだ?」
あまり時間がないと言っておきながら、話はそこまで進んでいない。折角知りたい情報も沢山得られそうだと思って期待も持っていただけに、苛立ちが募っていた。
故に話の流れも無視して一方的に質問してやるのだが、当の主人は特に気分を害した様子もなく、余裕のある雰囲気を纏っているのだった。
「貴様らの命は、私がこの世界の覇者となる為に必要な素材だったのだよ。まあ、それも途中で何度かリュウに邪魔をされたが……あれから約十五年、漸く準備が整いつつある」
「ああ、リュウさんが邪魔をして俺らが生まれるきっかけになった日ね。ざまあねえな」
「だが、それも結果的には良かったのかもしれんな。一度は逃がした魂をこうして再びこの手に収め、しかもそれが白儿の体を持っているとは、何と言う僥倖か」
幾ら馬鹿にしてやろうと、相手は感情を動揺させる気配は見られず、寧ろ愉快そうに笑っていた。
それがどうにも気に食わなくて、思わず苦々しい顔で睨み付けてやっていると、思い出したように彼はこちらを見下ろした。
「そう言えば貴様、向こうの世界で私が収獲した魂を持つ者を知らないか? 実はあの時逃がした魂の幾らかはまだ回収しきれていないのだよ。この辺で調達しても別に構わないが、あの世界の魂はどういう訳か諸々効率が良くてな。出来ればそちらを使いたいのだが?」
「……ふざけんな。人を勝手に物扱いしやがって!」
「下等種族が物扱いされるのは世の常であろう? 家畜が良い例だ。貴様ら人間のしている事を、私が行っても非難される謂れは無い」
ガチャン、と鎖の伸び切る音がする。瞬間的に頭に血が上り、格子の隙間から手を伸ばして掴み掛ろうとしたけれど、枷がそれを阻んだのだ。
口惜しい事に、格子に触れる事すら叶わない距離で、四肢も体も止められてしまうのである。
「実に家畜らしい動きだ。貴様に体の自由が無い事を理解出来ないのか?」
「理解した瞬間、俺は本物の家畜になり下がる気がするんでね。手に負えない生物って、家畜化には向かないだろ?」
「威勢だけは素晴らしい。だがその恰好では締まりも無いな。貴様の体も魂も、精々私の覇道の為に利用させて貰うとしよう」
嘲るような色を持ったまま、主人はそう言って大笑していた。
そしてその上で、追い討ちを掛けるように言い放つ。
「そうだな。貴様が無駄に足掻いたせいで取り逃がした元第三皇女やその仲間……これらも私の計画で使ってやろう」
「使う?」
「第三皇女は元々魔力量的にも魅力的な素材でね。その他は私の気が向いたのだよ。貴様にはより一層の屈辱と絶望を味わわせるべきだと思ったのでね」
「絶望? ……何で!?」
口端を吊り上げながら言われたそれは、衝撃的だった。主人による矛先は自分にだけ向けられると思っていたのに、想像だにして居なかったのだ。
いや、想像力が不足していたのかもしれない。
何にしろ、それは俺の心をどうしようもなく荒れさせて、穏やかでは居られなかった。
「かつて私を殴り、仮面を剥いだこと。そして私をその時に嘲笑ったこと。その屈辱は一度たりとも忘れた事は無いさ。それがこうして、折角の機会に巡り合えたのだ。まさに千載一遇と言うべきだろう!?」
「テメエ! 一度ならず二度までも、俺の仲間を奪うってのか!?」
「その方が良いだろ? あの時と同じ様に、貴様の目の前で斬り殺してやるさ。貴様が守ろうとした者をなぁ?」
脳裏を過る、遠くなった過去の記憶。でも鮮明に覚えている、当時の光景。当時の感情。
怖くて、苦しくて、悔しくて、悲しくて、寂しくて、腹立たしくて、今この時、何もかもの感情があっという間にごちゃ混ぜになった。
あんな事はもう嫌だ。絶対に繰り返さない。繰り返させない。許さない。必ず――。
「やらせて堪るかってんだよ!」
「本当に威勢のいい……それだけしかないとも言えるがな。随分な必死振りでは無いか。増々捕らえてしまおうという気になるな。精々楽しみにしていてくれ」
「待てよ! アイツらを……そもそも魂を集めて支配者になるって、どういう事だ!?」
「いずれ分かる。時間切れだ、白儿。精々、仲間が捕まって殺されぬ様に怯えて居ろ」
「待てって言ってんだろ主人!?」
地下牢内に、鎖のジャラジャラとした金属音が激しく響き渡る。だけれど、立ち去って行く無数の背中はもはや見向きもしないで、階段から退出して行く。
幾ら呼び掛けても、罵詈雑言を浴びせて挑発しても、振り返る気配一つすらしなかったのである。
「殺らせねえ! シグも、スヴェンも、皆も……絶対にやらせねえ! 俺は、俺は!」
強引に暴れているせいか、枷の嵌められた手首と足首が何度も圧迫されて痛みを訴えて来る。だが、そんな些末な事に構っている余裕はなくて、意地でも拘束を破ろうと藻掻き続けた。
しかし結局拘束はビクともしなくて、魔法の行使も出来る筈など無くて、両手首と両足首に内出血を伴う鈍い痛みを残しただけだった。
「また、俺は……守れない、のか?」
虚ろに地下牢の天井を眺めながら、呟きが漏れる。
いつの間にか頬を熱い液体が伝い、顎から滴り落ちていた。
「折角、折角また会えたのに……!」
シグに、スヴェンに会えたのに。
高田 麗奈と桜井 興佑に会えたのに。
「失くしたくなんて、ある訳ない!」
レメディアだってそうだ。一時は酷い別れ方をした。なのに家族として見てくれていて、しかも追い掛けてまで来て。
あれだけ他者が信じられなかったのに、今では頼る事も増えて、守りたいと思う回数も増えて。
もっと皆と一緒に居たい、心地よいこの場所に居たいと思っていたからこそ、ここまで抗ってこられたのだ。
「……大丈夫、だよな?」
これだけ自分が殿として戦ったからには逃げ切れたのだろうと考えていた。確実に逃げられる時間は稼げていると思っていたし、確信を持っていた筈だった。
だけど、今はどうしてか不安で仕方ない。
あの時の悪夢が蘇ってしまって、気が気でないのだ。
トラウマとでも言うのだろう。根拠のない不安のせいで、頭がどうにかなってしまいそうだった。
ぞわりと、背中を悪寒が撫でる。
呼吸が荒くなり、鳥肌が立つのも止まらない。
『どうした、何を恐れているのだ?』
「……!?」
不意に聞こえたその声に、思わず素早く周囲を見渡してみるけれど、薄暗い地下牢の壁があるだけで何の変化も見当たらなかった。
だけど、確実に何かが居る――そう思った時、再びその声がするのだった。
『お前は何が恐ろしい? 何があればその恐ろしさを解消できる?』
「アンタは……?」
不思議なものだった。どういう訳か、鼓膜が揺れていない。つまり耳で聞こえているものでは無いのだ。
まるで、ここの中に居るもう一人の自分と問答をして居るような、そんな気持ちになるものだったのである。
『我の事などどうでも良かろう? その強い絶望と、恐怖と、憤怒。我はそれに引き寄せられたに過ぎない。その気持ちは良く分かるからな』
「…………」
『一部始終は知らないが、我の目に留まったのも何かの縁だ。話くらいなら聞いてやるぞ?』
耳から入って来ると言う訳では無いのに、その“声”はやけにおどろおどろしくて、底が知れなかった。
でも、不思議と不気味だという感情は芽生えて来ない。それどころか極めて無感情で、俺は仰向けに寝転んでいた。
「俺さ。守りたいんだ、仲間を。もう絶対に死なせたくないって思って」
『……親しい者を失う恐怖と心細さは我も分かる。もっと力をと何度となく思って来た。それで貴様は、どうすればその仲間を守れると思うのだ?』
やはりどう見ても、何処にも“声”の主の姿は無い。
いつの間にやら戻って来た看守の兵は、こちらを覗き込んで気味悪そうな顔をしていた。
恐らく、この“声”が聞こえていないのだろう。耳朶を打たない“声”である事を考えれば、他者には聞こえないように制約が掛かっていると見て間違いなさそうだった。
何はともあれ、時間ばかりが余っていて持て余しているのは事実である。話し相手にならない看守より、この“声”の主と話している方が気も紛れて丁度良かった。
「どうすればって……そんなの、もっと力をつければ、アイツらを蹴散らして、ぶっ殺せば……」
『素晴らしい考えだ。何もかもを壊せば、何も失わなくて済む。その通りだと、我は太鼓判を押そう』
「そっか、ありがとよ。でもアンタに太鼓判押された所でなぁ……」
恐らく看守には、俺が独り言を延々語り続けている様に見える事だろう。気が触れたのかと思った様子で、何やらヒソヒソと話しているらしい。
もっとも、そんな些事などどうでも良かったが。
『なんだ、不満か? 贅沢な奴よの』
「いや、不満って言うか……気が紛れて時間が潰せるだけの現実逃避じゃ、結局何も解決しないし」
『手厳しい事を言う。だが問題ない。我に任せておけばその辺りはどうとでもなる。少なくとも、その体を自由にしてやることくらいは出来るでな』
不意に発せられたその大言壮語に、思わず吹き出す自分が居た。何故なら、それが余りにも馬鹿げていると思ったから。
格子の外で、俺を気が狂ったと思っている看守の兵達の指摘も、強ち間違いではないのかも知れなかった。
「本当に? 幻だからって言いたい放題言い過ぎじゃねえの?」
『その辺りはほれ、試せば分かる。どうする、乗るか? それとも反るか?』
「……乗るよ、乗ってやる。どうせ暇だ。気が狂った方が楽かもしれねえしな」
『まだ我を信じないか? まぁ良い。ではお前の意思、確と了承したぞ。楽しみに待っているが良い』
「あいよ、精々楽しみにしてるぜ……って、あれ?」
何かが遠退いていくような感覚を覚えながら、挨拶代わりに軽く手を動かした時だった。
口にした言葉に、違和感があった。
いや、感情に違和感があったと言うべきだろうか。
良く分からないけれど、何となく気になって格子の外に居る看守に声を掛けた。
「……なあおっさん」
「な、何の用だ?」
どこか怯えている様に感じられるのは、先程まで虚空相手に会話をしていたからだろうか。
何にしろ、そんな事はどうでも良くて、俺は質問を口にしていたのだった。
「――あのさ、楽しいって何だっけ?」
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