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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第七章 サツイトマラズ
151/239

第二話 Never Let This Go②

◆◇◆





 東ラウィニウム帝国が首都、ウィンドボナ。元々はラウィニウム帝国がゲルマニアに隣接するパンノニア地域に建設した宿営地であり、都市であったのだが、今や巨大都市へと変貌を遂げている。


 統一ラウィニウム帝国時代の内乱で一時は破壊された事もあったが、以降も続いた戦争とそれに伴う特需によって復興し、市域を拡大して来た歴史を持つ。


 これには都市の中を流れる大河の果たした役割が大きく、水運を用いた遠隔地貿易によって栄え、今に至るのである。


 かつて東帝国の首都であったビュザンティオンもそれに勝るとも劣らない繁栄ぶりを見せていたのだが、宗教権力との過度な関わり合いを恐れた時の皇帝が遷都した結果、現在はこのウィンドボナが首都となっているのだ。


「……よくぞ、よくぞやったな、我が息子よ。白儿(エトルスキ)を捕らえて見せるなど、父としても誇りに思うぞ」


「お褒めに預かり恐悦至極に御座います。ですが、反逆者シグルティアらは捕えるに至りませんでした。カドモスであるならば問題ないと考えて任せたのですが……」


「構わぬ。奴よりも白儿(エトルスキ)を捕らえた事の方が重大であるからな。私の治世で成し遂げた業績として、後代まで語り継がれるであろう。でかしたぞ」


「は、有難きお言葉」


 悦に浸った表情で中年の男が語りかければ、玉座に対して跪き(こうべ)を垂れる青年の表情は、果たして不機嫌そうに歪んでいた。


 勿論それが他の誰かに悟られる事は無いが、青年――マルコス・ユリオス・アナスタシオス・ポルフュロゲネトスとしては不愉快極まりなかったのだ。


 まず、謀反人である元皇女シグルティアらを取り逃がしたカドモスに、何の咎めも無い事。そして、白儿(エトルスキ)を捕らえたのをまるで皇帝自身の手柄のように言っている事。


 全てが不本意で、彼にとって苛立ちを完全に抑え込むのは難しかった。


「これからも余の為に励めよ、皇太子」


「……勿体無きお言葉に御座います」


 ビュザンティオンの大広間も凌ぐほどの広さを持つこの場所で、玉座に腰掛けて煌びやかな衣装をまとうのは、フラウィオス・ユリオス・アナスタシオス・アウトクラトル。


 東ラウィニウム帝国の現皇帝で、ユリオス朝の三代目にあたり、連綿と続くとされる帝国史観からするとアナスタシオス四世とも呼ばれる人物である。


「して、白儿(エトルスキ)は今どこに?」


「広間の外に待機させております。連れて参りますか?」


「うむ。良きに計らえ」


 威厳のある態度を保ちつつも何処か興奮を抑えきれていない姿に、マルコスは失笑を飲み込みながら扉に控える兵士へ合図を送る。


 するとゆっくり扉が開かれ、鎖で拘束された白髪の少年が姿を現す。この場で皇帝の目通りが適う程度には身嗜みが整えられたその姿は、汚れが殆ど落とされている事で少年が白儿(エトルスキ)である事を殊更強調していた。


「おお、これが白儿(エトルスキ)……! 初めて見るが、やはり白い」


「はい。汚れも酷かったので体を洗わせましたところ、この通りでございます。先んじて学者にも検分させましたが、白儿(エトルスキ)に間違いないとのお墨付きも得ています」


「ほう……もう少し近くで見たい。寄らせろ」


「ですが、余り近付き過ぎますと危険です」


「そのためにお前を始めとして多くの者がこの場に居るのだろう? 良いからもう少し近付かせろ」


 もしもの事を考えて周囲の者が忠告するのだが、それを押し退けて皇帝は命令していた。


 そこまで言われては反対する者など出る筈もなく、少年は二人の兵士に両脇を抱えられた状態で玉座へ続く段の手前まで連れて行かれる。


「伝説や聖典に聞く白儿(エトルスキ)……悪魔と呼ばれる存在と、少し話をして見たいと思ったのだ」


「くれぐれも迂闊な事はなさらぬよう」


「分かっている。……それで白儿(エトルスキ)、余の言葉が理解出来るか?」


 マルコスからの諫言に返事をしつつ、玉座を立った皇帝は、暖を下りながら強制的に跪かされている少年へと話しかけていた。


 対して、白儿(エトルスキ)の彼は押し黙ったまま返事をしない。兵士によって頭を押さえ込まれている事もあって、表情を窺う事も出来なかった。


「皇帝陛下の御前で、直々に話しかけて下さったと言うのに返事もしないのか!?」


「…………」


 片方の兵士が激昂する気配を見せてもその様子は相変わらずで、広間は何とも言えない空気が漂い始めるのだが、皇帝自身は特に気にした様子もない。


 無理矢理にでも喋らせようとする兵士に手だけを上げて止めさせると、少年の前に立っていた。


「顔を上げさせろ」


「しかし……!」


「余は白儿(エトルスキ)に興味があるのだ。それを妨げるな」


「は、失礼致しました」


 すぐに少年の頭を押さえていた手が放されると、何事も無かったかのように少年が顔を上げる。


 だが、そこに多少の傷はあれど疲労や暗い色は見受けられず、それどころか堂々とすらしていた。


「アンタが皇帝?」


「……余に対してその口の利き方、()し難いな。所詮、悪魔に人の道理は分からぬか」


「悪魔はどっちだよ。あれだけ人を殺したりしといて、平気な顔で居られるお前らの方がよっぽど悪魔染みてると思うけどね」


「無駄に口の回る……! 不愉快だな、自分の立場が分からないのか?」


 苛立ちを隠そうともせずにそう言ってやると、少年は小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、言った。


(おもね)った所で何も変わんねえくせに偉そうな事を言ってんじゃねえよ。皇帝ってのはそんなのも分からねえ脳味噌な訳?」


「貴様、言わせておけば陛下に何と言う無礼を……!」


 一瞬、皇帝の眉が跳ねたと思ったら周囲の兵士は血相を変えて少年を押さえ込む。そのまま謝罪を口にするように強要していたが、彼の口から漏れ出るのは嘲笑だけだった。


 大広間に居る群臣たちも一様に顔を(しか)め、或いは怒りも露わにしていたが、場が動く前に皇帝が動いていた。


「身の程知らずの……白儿(エトルスキ)風情が!」


 余計な脂肪がついた肉体から繰り出される皇帝の蹴りは、そもそもの質量もあって相応の威力を持っていた。直撃を受けた少年は短く低い声を漏らし、しかしそれ以上の反応を見せない。


 それは体を押さえつけられているせいで、何も出来ないとも言えた。


「父上、申し訳御座いませぬ。以前私がこの者を捕らえた際にも、似たような態度を取られた事があったので先程は諫め申し上げたのですが……」


「先にそれを言わぬ!? このような下賤の者に、下賤の種族に、余が面罵(めんば)されたとあっては良い笑い者では無いか!」


「重ねて申し訳ありません」


 激怒している皇帝に対し、マルコスは慇懃な態度で謝罪を重ねていた。しかし、内心ではそら見た事かと実の父を嘲笑う反面、八つ当たりを受けた事が屈辱で仕方なかった。


 群臣の中にはマルコスに同情的な視線を向ける者も見受けられたが、流石に皇帝がこの場に居る以上は何も出来ず、誰もが(たかぶ)っている皇帝の姿を眺めて居たのだった。


 下手に反論などしようものなら火に油を注ぐ結果となる――そう思っていたからこそ、なのだが。


「子供みたいに癇癪起こして、見っともねえな。恥ずかしいとか思わねえの?」


「貴様……!」


 この場には一人、帝国の臣下でも無ければ何でも無い、身分にすらも無関心な者が居たのである。


 彼は嘲笑の度合いを益々大きくして、体が自由なら指を突き付けかねないような調子で、言葉を続けていた。


「本当に馬鹿みたいだな。アンタみたいなのと一緒に居ると頭がおかしくなりそうだ。早く牢屋にでも入れて欲しいんだけど」


「……余が身の程を(わきま)えろと言った意味が理解出来ないようだな?」


「弁えてるとも。お前らに(へりくだ)るだけ無駄だって分かっただけだ。そっちこそ身の程を弁えろ。馬鹿なんだからさ」


「……言いたい事はそれだけか、豎子(こぞう)!」


 その瞬間、皇帝の怒りは最高潮に達したらしい。腰へと伸びた手が剣の柄を掴み、引き抜いていた。


 途端に大広間をどよめきが包み、中にはどうして良いか分からず右往左往する兵士の姿も見受けられる有様だった。


 だがその中にあって、マルコスは冷静であった。


「父上、落ち着いて下され」


「これが落ち着いて居られるか! 余が愚弄されると言う事は帝国そのものが愚弄されたも同じ! それも、こんな白儿(エトルスキ)風情にだぞ!? 命を(もっ)てしか、罪を償わせることは出来まい!」


 八つ裂きにしてもまだ足りぬ、と皇帝の怒りが収まる気配は一向に見受けられない。

しかしマルコスは、白儿(エトルスキ)の少年を押さえつけていた二人の兵士すら腰を抜かしてしまう程の迫力を一身に受けながらも、微動だにしなかった。


「ここで、この場で感情に任せてこの者を斬っては後々帝国にとって不利益となる可能性もあるのです。どうかご再考を」


「不利益など……どの道殺して解体し、素材を剥ぎ取るくらいしかないであろう!? それを何故庇う!」


「父上、(つが)える可能性もあるのですよ。雌の個体が見つかれば、より多くの素材を手に入れる事も夢ではないでしょう」


 理路整然としてマルコスに説かれ、剣を振り上げていた皇帝の手が止まった。そしてゆっくりとそれが納められ、マルコスを凝視する。


「……()やすと言う事か?」


「ええ。白儿(エトルスキ)は人と同じ形をして居るから忘れがちですが、飼ってしまえば良いのですよ。数年様子を見て雌が手に入るなら良し、駄目ならその時に殺してしまえばいい。どうです?」


「なるほど、悪くない」


 段々と皇帝の怒りが収まって行くのを肌で感じ取ったのだろう。ここぞというばかりにマルコスはこの場で殺さない事の利を説いていた。


 その間に白儿(エトルスキ)の少年は大広間から引き摺り出され、扉が閉められる。


白儿(エトルスキ)の処遇については私に一任して頂きたく存じます。勿論、父上にも逐一報告を入れさせて頂きますが」


「……良いだろう。貴様の説得に免じて今は殺さないで置いてやる。だが殺処分する時は必ず市民に公開せよ。なるべく痛みを与える形で殺せ」


「はい、承知致しました」


 それから幾らかの必要事項などを済ませた後、マルコスを始めとしたアレマニア連邦討伐を命じられた諸将は大広間を後にする。


 とはいっても、すぐに戦線へ復帰とはいかない。


 そもそも、帯びている任務は白儿(エトルスキ)やシグルティアの捕縛も含まれていたために、過剰とすら言える戦力が投入されていたのだ。


 今から前線へとんぼ返りした所で手持無沙汰になるのは目に見えていたし、ならば何かあったら駆け付けられる距離で待機しておいた方が、何かと都合も良いのである。


「危なかったですな、殿下」


「ああ。私としてもあの白儿(エトルスキ)ならやりかねないと思っていたが、まさか父上をあそこまで痛烈に罵倒するとは」


「大臣たちも血の気が引いてましたぜ」


「私としては少し気分が良い。愚鈍なくせに無駄に誇り高い父上が前から気に入らなかったのだ」


 やれやれと言わんばかりにマルコスは肩を竦め、側近のダウィドは苦笑を浮かべていた。


 誰か皇帝に近しい者に聞かれて居たら処罰ものだが、その心配が無いからこそこの場で二人は現皇帝をこき下ろしているのである。


 もっとも、皇帝とは父子の関係に当たるマルコスは多くの信頼を向けられている為、証拠なしで密告された程度では、皇帝の信任が揺らぐことも無いのだが。


白儿(エトルスキ)から取れる諸々の素材は驚異だ。事実、魔道具においては至高の素材として名だたる物に使用されている。それを、()やそうともせず片端から狩るなど暗愚も良いところだ」


「全くですな。陛下はその辺りが分かっていない。そんなので本当に歴史に名を刻める偉業を成し遂げようって言うんですから、何とも言えませんぜ」


「ま、父上には死ぬその時まで、精々礎を築いて貰うさ。私が偉業を為す上で、踏み台としてな」


 愉快そうにマルコスは笑い、それに追従してダウィドも笑う。しかしもう一人、その場で一緒に歩いている男は表情一つ変える事はしなかった。


「どうしたカドモス、不満か?」


「滅相も無い。殿下がいずれ覇業を成し遂げるその日を心から待ち望んでおりまする」


 底冷えするようなマルコスの視線に対し、カドモスはどこ吹く風と言わんばかりに平然とした態度で応じていた。


 しかし、慇懃な態度を向けられても尚、マルコスの姿勢が変わる事は一切無かった。


「お前が本心でどう思っているのかは知らないが、私の邪魔だけはしてくれるなよ。そこだけは肝に銘じて置け」


「……何の事だか分かりませんが、承知致しました」


 何を言われ様とも、カドモスの様子が変わる事は無く、その事が面白くないのか、彼は鼻を鳴らすと視線を正面へと戻す。


 これ以上、カドモスと話しても何も得られるものはないと思ったのだろう、自分に付き従うダウィドと今後の帝国について話題を膨らませていた。


「私としては統一ラウィニウム帝国の復活を目指している。父上も同じ考えだろうが……恐らく寿命的にも準備的にも厳しいだろう」


「ええ。それに、殿下は方々に布石を打っておりますからな」


神饗(デウス)か? あんなものは利用しているに過ぎない。どこの馬の骨とも知らん奴をいつまでも重宝する訳が無いだろう。私が皇帝となった暁には、貴様には期待しているぞ」


「勿体無いお言葉ですぜ」


 守衛の者がちらほらと見らえる以外には人気のない廊下の中、和気藹々とした雰囲気で話している二人を、カドモスは冷めた目で見ていた。


 ともすれば大きな溜息すら吐きそうになってしまうが、それは面倒事になってしまう事を避ける意味でも飲み込んでいたのだった。


「……殿下」


「何だ?」


「所用を思い出したため、自分はここで失礼します」


 話の途中で割って入られた事で不愉快そうに顔を顰めていたマルコスに対し、カドモスは必要な事を伝えるとすぐに脇の廊下へ入ってその場を後にする。


 余裕があればお世辞の一つでも言ってやりたいところだが、大して効果も無いのは分かっているし、何よりそこまで気分が向かない。


 背後では上機嫌な会話が再開されていたけれど、振り向く事もせずにカドモスは薄暗い廊下を歩くのだった。


「……くそ、胸糞の悪いッ」


 思い出すのは、謁見の間での少年――ラウレウスの姿だった。


 相変わらず堂々としていて、気圧された様子もない。覚悟を決めた表情をしていた。まだ二十歳にすらなっていない筈なのに。


 言葉を話し、感情を持って、自己犠牲すら出来るあの少年は、まごう事なき“人間”だと、彼は思う。


 白儿(エトルスキ)などと言う分類など知った事ではない。あれを人と呼ばず何と呼ぶのか。


 だと言うのに、あの場に居た誰もが白儿(エトルスキ)を人として認識していなかった。獣や家畜と同じとすら思っている節があると見て良い。


 しかしカドモスとしては教典が云々であろうと、伝説が何であろうと、最初からそんなものは信じてはいなかった。


 明らかに話の中での白儿(エトルスキ)は、都合が良すぎるのだから。


 人を人とも思わず、感情を碌に持たぬ獣と同じ様に殺して剥ぎ取る事を正当化しようとしている。


 そうとしか、思えなかった。


 そして権力者やそれに準ずる者は、都合か良いからそれを利用する。薄々建前だとは分かっていても、変えはしない。都合が良いから。


「狂ってる……あんな少年に、いや人に行って良い仕打ちでは無い」


 理不尽がこの世界に於いて吐いて捨てる程転がっているのは、カドモスとしても知らない訳では無い。それらもまた改善されるべきものだと認識しているのだ。


 そうでなければ、優秀な人材が手に入らない。ひいては政治を行う上で重大な損失となる。


 あの少年とてそうだ。少数精鋭の部隊にもしも組み込めたのなら、戦術の幅が広がるだろう。今となっては絶望的だが、白儿(エトルスキ)に対する偏見その他諸々が存在しなければ実現し得た未来かも知れなかった。


「私はどうすれば良かったのだ……?」


「……カドモス? おい、何してんだ」


 賽は投げられた。投げてしまった。己自身でも選んでしまったのだ。例えそれが選ばされたものであったとしても。


 不本意であったとしても、あの少年を捕らえたのは自分自身であるのだから。


 本当に嫌なら出奔なりでもすれば良かったのだ。でもそれをしなかった。そちらを選べなかった。


「おーいカドモス、返事しろ。また難しい事でも考えてんのか?」


「…………」


 必要のない理不尽については、一刻も早く取り除かねばならない。全ては無理でも、出来る限り。手の届く、目の届く範囲で解消しなくてはならない。


 そう思っていたのに、自分自身が理不尽の片棒を担いでしまってどうすると言うのか。


 呆れを通り越して自嘲が漏れてしまう。


「おい何笑ってんだよ。怖いんだけど」


「……ああ、ディアケネスか。いつの間に」


「おう、やっと気付いたな。で、何考えてたんだ?」


 ハッとしてカドモスが眼の焦点を合わせると、そこには灰色の髪をした一人の少年が立っていた。


 歳は大体あの白儿(エトルスキ)の彼と同じくらい。前髪の一部が赤く変色し、また左右で眼の色が異なる以外は至って普通の見た目である。


「ディアケネス、お前は今幾つだ?」


「十四だけど? 何だいきなり」


「いや、あの子と同い年なのか気になってな」


「……あー、白儿(エトルスキ)の。可哀想だよな。お前みたいなムサいおっさんに追いかけ回された挙句捕まるとか」


「そこまで述べろとは言ってないぞ。減給されたいか?」


「勘弁してくれ。それで、あのラウレウスとか言う奴の事を考えてた訳かい?」


 立ち止まっていた歩みを再開させながら、カドモスはディアケネスと並んで廊下を行く。


「まあな。自分の不甲斐なさに呆れていた」


「抱え込み過ぎなんだよ。救えねえモンは救えねえって何で分かんねえかな。別にあのラウレウスって奴もその辺は納得してると思うぜ」


「……ラウレウスを直接見た訳でも無いだろうに、何故そう言える?」


「勘だ。伊達に俺も孤児として育ってねえからな。殺伐とした環境に身を置き続けた事のある奴は、自然と諦めが良くなる。足掻くだけ足掻いて駄目ならそれで終わりってな」


 おおよそ十四歳としては似付かわしくない態度と口調で、ディアケネスは言っていた。


 薄暗い廊下を二人分の足音が木霊していく中、彼は更に話を続ける。


「自分にどうしようもない部分てのをちゃんと線引きしてんだよな。だから祈らねえ。希望なんざ持つだけ無駄だって分かってるから。当然恨みもしねえ」


「……果たしてそうだろうか」


「捕縛の現場を見た訳じゃねえからはっきりとは言えねえけど、ラウレウスって奴は全力で抵抗してたんだろ? 万事を尽くして目的を達成した奴は自分自身がどうなろうと大抵満足感しかない。分かるだろ?」


 不意に豪華な中庭が、左手に現れる。


 よく手入れされていて、萌ゆる緑がこの地における春の来訪をこの上なく強く主張していた。


「とかく、お前は気にし過ぎだ。それが気に入らないなら帝国相手に叛乱でも起こせば良い。出来ないなら諦めろ」


「そんな簡単な話では無い。私には家族や、お前らのような部下の責任も預かってるんだぞ。それに、部下が全員従うとも限らない」


「その部下は、ほぼ全員カドモス・バルカが居なきゃ今の地位には居ねえんだよ。ついでに言うと、実力主義者のお前が消えたら俺らも消える。そこから先は言わなくても分かるだろ?」


 出し抜けにディアケネスの口から飛び出す数々の過激な言葉に、カドモスは堪らず周囲を見渡して警戒していた。


 これでもしも誰かに聞かれて居たら、何もしていないのに一発で失脚してもおかしくないのだ。笑い事では無かった。


「ディアケネス……お前、やはり減給だ」


「そんな!?」


 絶望を受けた顔を見せる少年に、思わずカドモスの顔が綻んだ。だがそれもすぐに消えて、また深刻な表情へ戻る。


「上手く……上手く出来ないものだな」


「当たり前だ。俺が見て来た中で万事を上手く運べた奴なんてほんの一握りしか居ない。天才だろうと何だろうと、大体の奴がコケてんだよ」


 そうだろ? とカドモスに質問が飛んでくれば、彼はそれを否定できずに首肯していた。


 けれどすぐに不満そうな顔をして反駁する。


「何を見て来たように……孤児だったくせに全てを知った気になるな。世界はそんなに狭くないぞ」


「……孤児の記憶ばかりじゃないんでね」


「どういう訳だ?」


「何でもねえよ。で、お前はとにかく頭を切り替えろ。部下や家族に対しても責任を負う立場なんだろ? 頼むぜ」


 軽く小突くように、腹を叩かれる。


 しかしそれでもまだ気持ちの晴れない顔をするカドモスに、ディアケネスはいい加減うんざりしたらしい。溜息を吐きながら、続けて言っていた。


「俺は貧民街でゆっくり暮らすって言ったのに、強引に登用したのはお前なんだぞ? その辺も含めて責任は取って貰う。感情を言い訳にして逃げんじゃねえぞ」


「…………」


「四の五の言ってねえで動け。働け。お前が落ち込んでいようと何だろうと、理不尽はこの世界で量産され続ける。そうだろ?」


「……まあ、そうだな」


 やらなくてはならない事は山ほどある。ディアケネスの指摘も(もっと)もなことであった。


 まだまだ気分が晴れた訳では無いけれども、部下であるこの少年と話した事で多少なりは心も軽くなったと言えるだろう。


 見た目にそぐわず、彼の精神面は時にカドモスすらも驚かせ、時には上回っているのではないかとすら思わせてくれる。


「悪いなディアケネス。助かった」


「そうかい。つきましては減給処分も取り下げてくれると助かるんだが?」


「却下する。いい加減上司に対して敬語を覚えろ」


「いやふざけんな!? パワハラだぞこのブラック上司が!」


「言ってる意味が分からんな。決定は覆らない。諦めろ」


「それが相談に乗ってやった部下に対する態度かよ!?」


 いつもの調子で話してくれる己が部下に有難みを覚えつつ、カドモスは部下を適当にあしらう。


 何はともあれ、腹は決まった。今後どのように行動し、何を目指すのか。


 今はまだその時期ではないけれど、いずれ機会を得たら――。


 為すべきと思った事を、出来ると思った事をすべきなのだ。






◆◇◆




「……順調ですな」


「ああ。至って順調だ。リュウを仕留め切れなかったのは痛いが、だからと言って奴の力がすぐに回復するとも思えん」


 ウィンドボナの宮殿の廊下を、場違いにも外套を纏った五人ほどの影が連れだって歩いていた。


 時折擦れ違う東帝国貴族やその兵士は、不快感や警戒心も露わに五人へ視線を向け、話し掛ける事も無く通り過ぎて行く。


 そして不躾な視線を彼ら五人も歯牙にもかけない様子で、会話をして居るのだった。


「そろそろ大詰めも近付いて参りましたね。帝国はまんまと踊らされているとも知らずに」


「ああ。我らが足掛かりとなるべく、気付かずにせっせと自滅の道を歩んでくれている。馬鹿なものだ。皇帝も、皇太子も、その臣下もな」


 彼らの中で先頭を切って歩くのは、ルクス。仮面を着けている訳でも無いのにのっぺりとした顔をして居る彼は、その表情を窺う事は出来ない。


 そんなルクスの斜め背後についているのは、ペイラス。以前リュウによって斬り落とされた腕は、既にどういう訳か再生していていた。


「良いか、まだ主人(ドミヌス)様の大願は成就まで遠い。絶対にここで転ぶ訳にはいかぬと言う事を忘れるな」


「はい、存じております」


 ペイラスを始め、その後ろに続く三人もまた同様に力強く頷いているが、目深にフードを被っている為に表情を窺い知ることは出来ない。


 しかし、だからと言って裏切りを警戒する程に結束が緩い訳でも無いのである。故にルクスは、振り返る事もせず言葉を続けていた。


主人(ドミヌス)様の為に。我らの念願、成就の為に。貴様らも奮起せよ」


『承知しました』


 廊下の向こうでは、何やら上機嫌で話している二人――皇太子マルコスと腹心ダウィドの姿が見える。


 その姿は非常に呑気なもので、愚かなもので、ルクスらの計画が順調である事を何よりも裏付けていたのだった。





◆◇◆





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