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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第七章 サツイトマラズ
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第二話 Never Let This Go①



「嫌だ、慶司(けいじ)! 慶司……!」


 がば、と少女は勢いよく起き上がっていた。


 だが焚火が周囲を照らす中でどこを見渡しても彼女が求める姿も顔はなくて、それがより一層彼女の焦燥を掻き立てていた。


「慶司はどこ!? ねえ!?」


「……落ち着けシグルティア。毎度毎度、一体誰の事を話してるんだ?」


 焚火を絶やさない為、不寝番をしていたシャリクシュがうんざりした様子で顔を向けるが、少女は委細構わない様子である。


 それこそ、額と額が激突しかねない勢いでシャリクシュに詰め寄るのだ。


「慶司は!? やっと会えたのに……!」


「だからケイジって誰だよ……っ」


 余りの剣幕に溜まらず顔を逸らしながら呟いていたが、不意にシャリクシュの頭を鈍痛が襲う。


 転げ回る程の痛みではないが、少なくとも眉が少し跳ねる程度には不快なものに、顔を歪めていた。


 その結果として少女を宥め切れず、騒がしさのせいか眠っていた靈儿の少年――スヴェンが欠伸をしながら目を覚ます。


「シグ、お前は今ちょっと混乱してるんだ。とにかく落ち着け。てかシャリクシュ、大丈夫かよ?」


「……問題ない。少し頭痛がしただけだ。起こしてしまって済まないな」


「これだけ騒がれれば仕方ねえさ。お前は悪くねえよ」


 今も少し錯乱した様子の少女へ視線を向けながら、スヴェンは肩を竦めて溜息を吐いていた。


 寝ていた筈の二人の少女――レメディアとイシュタパリヤも騒々しさで目が覚めたのか、寝ぼけ(まなこ)を擦りながら上体を起こしていたのだった。


「参ったな、ラウと別れてからずっとこの調子だ。俺としても気にはなってるんだけど、これじゃあ話も聞けねえ」


「何か知ってるのか?」


「知ってるも何も、慶司ってのはラウの前世の名前だ。それ自体はどういう訳かシグも前々から知ってたみたいだけど、どうやらシグも前世の記憶と人格が戻って来たみたいだな」


「……つまりどういう事だ?」


「半端だったものが完全になったって事だ。そのせいで多分、シグは混乱してる。状況も状況だったし」


 スヴェンはいきなり立ち上がって夜の闇の中へ立ち去ろうとする少女の手を掴み、そして押さえ込む。


 それでも尚、彼女は四肢をばたつかせて抗う素振りを見せるのだが、使える筈の魔法をどういう訳か行使する気配は見られなかった。


「シグちゃん、どうしちゃったの?」


「シャリクシュにも説明した通り、前世の記憶が戻ったんだろうな。ついでに言うと、多分シグのそれは前世でも俺達と繋がりがあった奴のものと見て間違いない」


「それって……!」


「まあ、大体その記憶と人格が誰のものかについては予想もついてるんだが、この調子じゃ本人の口から聞けるのはもう少し先になりそうだ」


 驚いたように緑色の眼を見開くレメディアは、組み敷かれたまま気絶した少女の顔を凝視していた。


「シグちゃん、本当に前世の記憶を?」


「十中八九間違いない。けど頭が混乱してるみたいで冷静さの欠片もねえな。どうにか出来ねえもんか……」


 ラウが頼んでも居ない殿(しんがり)を務め、全員を強引に突き飛ばしてから、もう既に五日も立っていた。だけれど、少女は時折目を覚ましたかと思えば常時この調子で、(しばら)くすると張り詰めた糸が切れる様に気絶する。


 何が何だか分からないし、話が聞ける筈も無かった。


「タルクイニに着いたら、落ち着くまでじっくり休養取るしかねえな」


「元々そのタルクイニ市が目的地だとは聞いていたが、あてでもあるのか?」


「レメディアがな。不安なら本人に直接聞いてくれ」


 怪訝そうな顔を見せるシャリクシュに対し、スヴェンはそう言って緑髪緑眼の少女の方を顎でしゃくっていた。


 言われるがまま、シャリクシュも視線を向けて彼女に訊ねてみれば、レメディアは語る。


「今のタルクイニ市は以前まで悪政を働いてた傭兵団も追放して安全だし、何より私やその“家族”の面倒まで見てくれる人も居るから」


「……随分なお人好しだな、そいつは」


「まあ、そうだね。でもただ飯は食べさせて貰えないよ。勿論、多少働くなり、金を納めるなりしないと」


「金については問題無いな。そこまで保証するなら、頼りにしない訳にも行かないか」


「でも私、君とイシュタパリヤちゃんはそこまで信用して無いから」


「構わない。必要ならその時は俺とイッシュは別の場所で宿を取るからな。何かあったら声を掛けてくれればいい」


 元より、シャリクシュとイシュタパリヤは最近この旅に加わったばかりだし、おまけに交戦した事すらある。


 実際に体を撃たれたレメディアが警戒するのも当たり前のことだった。


「まあ、レメディアも落ち着け。コイツの説得がなかったら、折角ラウが殿(しんがり)をやってくれた意味を無駄にするところだったかもしれない訳だしな」


「それはそうだけど……」


「シャリクシュ、その辺はありがとな。まだ完全に信用も信頼も出来ねえけど、許してやってくれ」


「別に。どちらかというと、ラウレウスのように疑わない方がおかしい。いきなりお前らを逃がす様に言われたからな」


 シャリクシュ自身、どうして自分がラウレウスから他の皆を逃がす様に頼まれたのかについて理解が及ばなかった。


 恐らく、この場に居る者の中でラウレウスが殿(しんがり)を務める事に対して反論せず、異存も無い事を見越してだろうけれど、だとしても分からない。


 そもそもラウレウスとは戦った仲で、しかも仲間に加わったばかりなのだ。あの時あの場で、ごねる他の者を説得して逃がせと指示を出すのは極めて不可解と思えた。


「ラウはお前の事をそれなりに信用してたみたいだが、何でだ?」


「知らん。アイツに直接訊け。俺自身も不思議で堪らないんだからな」


 裏切らなったから良かったものの、シャリクシュとしてはその選択肢が無かった訳では無い。つまり、イシュタパリヤを連れて二人だけでそそくさとその場から離脱する、という考えも存在したのである。


 しかし、結果的にはそれをしなかったし、だからこうして今も彼らと行動を共にしている。


 何となくこうなる事をラウレウスに見透かされていた気がして、シャリクシュとしては余り面白くなかった。


「……もしも、どうしてもお前らが出て行けというなら、俺はイッシュを連れて出て行くぞ」


「別にそんな事は言わねえよ。リュウさんもラウも居ないのに、何もしてないどころか手柄もある奴を粗雑に扱える訳ねえだろ」


「そうか。ならお言葉に甘えるとしよう。俺達としても行く当てがある訳でも無いし、神饗(デウス)や東帝国から追われる身である事に変わりは無いからな。……ところで、寝ないのか?」


 問題の少女は既に気を失って安らかに眠っている。すぐにまた起き上がって騒ぎ出す可能性も低いし、シャリクシュ以外が起きている理由は無くなっていた。


 だが、だというのにスヴェンやレメディアは勿論、明らかに眠そうなイシュタパリヤすら再び寝ようとする気配が見られない。


 明日もまたタルクイニ市へ向けて人目を忍んで向かわなければならないので、特に理由が無いなら床に就くべきだと思ったのだが。


「さっきの騒ぎで目が覚めたんだ。それに、まだお前とはちゃんと話してなかったと思ってさ」


「私も。シャリクシュ君だって、前世の記憶って言うのを持ってるんでしょ? その辺の話を色々聞きたいなって」


「……私も、そう」


「イッシュ、お前は寝とけ。どう見ても眠そうだろ。明日も歩き詰めなんだ、疲れはなるべく取っておくように」


 半開きで、且つぼーっとした顔を晒す言葉少ない彼女に、シャリクシュは空かさずツッコミを入れていた。


 するとその指示に従うのか、一度頷いたイシュタパリヤは毛布に包まって横になる。すぐに薪の燃える音に混じって寝息の音が増えたあたり、やはり眠かったのだろう。


仕方のない奴だと思わず口端が緩んでしまったが、それは当然ながらスヴェンとレメディアに見られていて。


「幸せそうだな」


「……何の事だ?」


(とぼ)けなくて良い。ってか惚けられると思ってんのか? 嬉しそうな顔しやがって」


 不意に伸ばされたスヴェンの手が、シャリクシュの頬を引っ張る。それを振り払いながら、彼はスヴェンとレメディアの二人を見据えていた。


「それで、俺に訊きたい事ってのは?」


「お前の愛しいイッシュちゃんについてだよ」


「軽々しくその名で呼ぶな。あと愛しくない。利害が一致して一緒に行動しているに過ぎないんだ」


「本当に?」


(くど)い。訊きたい事がそれだけなら話は終わりだ」


 いい加減鬱陶しく思って、背中を向けて話を打ち切ろうとする素振りを見せれば、慌てた様子でスヴェンは話を続ける。


「待ってくれって。実際イシュタパリヤについて訊きたい事があるんだ」


「……能力、いやアイツの過去でも?」


「ああ。聖女クラウディア・セルトリオスって言う名前も持ってるんだろ? そんな彼女がどうして、お前と行動を一緒にしてるんだ?」


 それは、前々から誰もが思っていた事だった。気にはなっていたけれど、まだ互いの心理的距離が縮まった訳では無かったし、何より気になる事が他にもあったのだ。


 その他の事に気を取られた事もあって、中々訊く機会に恵まれて来なかったのである。


 訊ねられた本人は考え込む様に顎へ手を当て、少しの間を置いて言っていた。


「そうだな……お前らが眠くなるくらいには、長く話せそうだ」


 その代わり最後までしっかり聞けよ、と二人の顔を見回していたのだった。








 天神教が聖女の一人、クラウディア・セルトリオス。


 蜂蜜色の髪と眼を持つ彼女は、千里眼という異能(インシグニア)を持っていた為、東帝国貴族であった父親から教会へと差し出された。


 そこにはどうやら何か取引のようなものが見え隠れしていたようだが、実際の所は今となっては分からない。


 何はともあれ、他の聖人や聖女と祀り上げられている者と同じ様に、特殊な能力を持つ彼女は、望む望まずに関わらず教会内である程度の地位を築いていた。


 そして当然、中には気に食わないと思う者も居る訳である。


「イッシュは元々、俺の標的だった。依頼であったんだ。聖女クラウディア・セルトリオスを殺してくれってな」


「なのに今は一緒に行動かい。何やら面白そうな匂いがするな」


「……黙って聞け」


 シャリクシュは、いつもがそうであるように仕事を遂行しようとした。


 標的に彼個人は何の恨みも無いけれど、それが生業(なりわい)である以上、躊躇する事も無かったのである。


「イッシュの千里眼は、お前らも知っての通り障害物など関係なく見通す力を持つ。だから色々と都合の悪いものを抱えている連中からすれば邪魔だったんだろうな」


 身分の貴賎も何も無い。武官だろうと、文官だろうと、神官だろうと、後ろめたいものを抱えている者からすれば、彼女を取り除きたくて仕方なかった。


 勿論、中にはそれでも彼女に利用価値を見出す者も居たけれど、皆が皆そうという訳では無くて、暗殺者が差し向けられるのは至極当然の事だった。


「実際、俺が様子を窺ってるだけでもイッシュは五度以上襲撃を受けていた。けどアイツ、自分の能力でも視えているだろうに、何もしなかった」


 その事が不思議で仕方なかった。厳重に警備・警護されているお陰で彼女に傷を負わされる事は無かったが、それでもおかしかった。


 千里眼を持つ彼女なら、事前にその暗殺者の居る位置を見破って周囲に報告した方が、より安全だし効率が良い。


 なのに、どういう訳かそれをしない。


 周りの神官などが厳戒態勢で事に当たっているだけなのだ。


「奇妙な光景だった。周囲は真剣にイッシュを守ろうとしてるのに、本人はまるで自分の身を守ろうとしてないんだ」


「……そりゃ変だな。死ぬ気だったのか?」


「かもしれない。自暴自棄と言うか、何もかもに余り関心を持ってなかったんだろうな」


 勿論、それは彼女自身の命にすらである。


 何もかもを諦めきって、人形のような存在で居る彼女の事が、どうにもシャリクシュの(しゃく)に障った。


 元々彼は、ハッティ王国の漁村の生まれだったのだが、海賊に襲われて命辛々逃げ出した過去がある。当時から意地でも生きてやると思いながら、殺し屋稼業で身を立てて来たのだ。


 だから、生に執着しない姿を見るのは、自分が馬鹿にされているような気がして嫌だった。


「簡単に命を捨てようとしている標的ってのは、殺す側からすればやり易い事この上無かった。上手く行き過ぎて罠に嵌められてるんじゃないかって思うくらいにな」


「そりゃそうだ。特に何も捻りを入れなくても殺せるしな。精々、犯人が誰か分からないように工作するくらいだろ」


「仕事としては楽だったが、気持ち的にはどうにも腹が立って仕方が無くてな。過去の標的にはわざと即死させないような真似もした事もある」


「……えげつない事するな」


 誰に何と言われようが知った事ではない。


 生殺与奪を他者に預ける、或いは放棄するというのはそう言う事だと、シャリクシュ自身は考えていた。


 そしてこの時の任務も、お門違いと言えばお門違いな怒りに任せて標的を――イシュタパリヤを殺そうとしたのだが。


「狙撃で護衛を残らず撃ち殺して、後に残ったのはイッシュ一人だけ。でも、たった一人だけになっても逃げる素振りすら見せなかった」


 本当に奇妙な光景だった。自分の護衛が何人死のうが知った様子ではないし、気遣う素振りも無い。


 護衛と言う名の傀儡師(くぐつし)が消えた傀儡は、その場にポツンと佇んでいた。


 周囲に人影はない。当然だ。都市の外へ出立する時を見計らってシャリクシュは襲撃を掛けたのだ。


 運の悪い旅人や商人でも通らない限り、他に人が来る事は無かった。


「イッシュは、その場から微動だにしなかった。試しにわざと外して撃っても、眉一つ動かさない」


「肝が据わってんな」


「豪胆と言うより、感情が無いみたいだった。千里眼の能力で、隠れてる俺を見据えるだけで、何もしないんだ」


 だから思わず、彼女に詰め寄っていた。姿を隠すのも止めて、ずかずかと近寄っていたのである。


 だが胸倉を掴み上げても、殴ろうとしても、虚ろな表情のまま反応を示さない。いっそ不気味だった。


『何故逃げない? 何故動かない?』


『何で逃げないと駄目? 何で動ないと駄目?』


『恐れはないのか? それとも死にたいのか?』


『恐れって……死って、何?』


 抜け殻のような彼女との問答を繰り返して、シャリクシュは絶句した。これは本当に傀儡では無いかと。生きて居るとは到底思えない。生ける屍だ。


 そもそも当時の彼女には、自分が生きて居るという自覚すらないのかも知れなかった。


「気付けば、仕事は放棄していた。受け取った前金も全て返却して、イッシュと一緒に行動するようになったんだ」


「何か言われなかったのかよ?」


「言われたとも。(コレ)で黙らせたけどな。何はともあれ、俺はイッシュと一緒に旅を始めた。殺しの依頼を(こな)し、手伝わせた」


 殺すと言う事は生きる事を意味する。それが分かれば、抜け殻のような彼女も生きると言う事を分かるかもしれない。


 いや、そうでなければ困る。


 そうでなければ、今まで必死になって生きて来た自分が否定された気がするから。何としてでも分からせたかった。


「普段ならそこまで気にしなかったが、こんな女に馬鹿にされたままで居るのは気に食わなかったんだ」


「……なるほどね。お前の言い分も分からなくはねえな。で、何で今はクラウディア・セルトリオスじゃなくてイシュタパリヤって名前になってんだ?」


「そのままだと不便だから、剛儿(ドウェルグ)の女の名前から引っ張って来ただけだ。特に意味はない。イッシュはどういう訳か気に入ってるみたいだけどな」


 必要だったから付けた新しい名前だったが、勿論それ以外にも目的はある。傀儡の名前でしかなかったものを捨てる事で、新しく生まれ変わるような認識も与えたかったのだ。


 イシュタパリヤに、生きると言う事を分からせるために。自分自身の生き方を認めさせるために。


 だから今もこうして一緒に行動している。連れ去られたり、危機に晒されれば必ず助けるのだ。


 理解させないまま死なせでもしたら、馬鹿にされたまま終わってしまうような気がするから。


 ただ、それだけ。他意などない。


「もう満足だろ? 寝て置け。明日も日の出と共に出る」


「あいよ。お休み」


「お休みなさない」


「……ああ、お休み」


 一瞬、感情にノイズが走る様な気がしたけれど、それには気付かない振りをしてスヴェンとレメディアが丸まって寝るのを見遣る。


 続いて、熟睡しているイシュタパリヤに目を向けた。


「それだけだ……俺は。それだけ」


 他意など無い。


 それこそ、先程スヴェンが疑いなど断じてあり得ないのだ。


「イッシュ……」


 焚火に薪を足すのも忘れ、気付けばシャリクシュは一人の少女の寝顔をぼうっと眺めて居たのだった。





◆◇◆






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