第一話 MEMENTO④
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場所は変わり、もう一カ所の戦場。とは言え既に戦闘は終わっており、無数の倒れた兵士達と、それを手当てする者、周囲を警戒する者、などに分かれて東帝国の彼らは各々動き回っていた。
大雨が降り、少し離れた場所では未だに爆発などと言った戦闘音が聞こえる中、懸命に働いている兵士達の姿を、しかしルクスは一顧だにする事は無かった。
そもそもこののっぺりとした顔の人物は、東帝国の人間ではないと考えれば、当然と言えなくも無かったが。
「……逃がした、か」
「「…………」」
ルクスの前に立つ、二柱の精霊。それはどちらも無言かつ無表情で、無機的な印象を与える雰囲気を纏っていた。
その二柱の内、黝い髪をした青年然とした精霊が右手に持つのは、球体になった無属性魔力の塊だった。
塊を受け取ったルクスはそれをまじまじと見つめ、嘆息する。
「なりかけの分際で……中々どうして見事なものだ。よもや片腕一本でこれだけの魔力を持っているとは」
その魔力の塊は、何やら不思議な文様が刻まれた硬貨のような物に吸収されて、やがて消えた。そしてその硬貨をルクスは懐へしまい、今も尚激しい戦いが繰り広げられているであろう方角を見た。
そちらでは時に緑が大きく動き、代わりに先程まで聞こえていた雷の音がしない。高い所から見ている訳では無いので、その程度しか分からないが、あの様子だと作戦は順調に動いているらしかった。
「惜しまくはリュウを取り逃がした事であろう。とは言え、成果はあった。……今は隻腕となった奴に何が出来る」
一向に止む気配のない雨の中、ルクスは噛み殺した様な笑い声を漏らしていた。
しかし、それを聞いているであろう二柱の精霊は相変わらず機械のように立ったまま、何の反応も示す事は無かったのであった。
◆◇◆
「足掻け足掻け! 最初からテメエ程度が俺の相手なんざ務まる訳ねえだろうが!」
「……!」
「テメエみてえな雑魚はなぁ、這い蹲って、屈辱味わって、それでもなけなしの気力と頭を振り絞って、必死に抵抗するのがお似合いなんだよ!」
ダウィドの攻撃は、鋭くて技の起こりが見えない。自分の実力では全く見切れないのである。
それでも見て気付いてからどうにか躱せているけれど、果たしていつまで持つか。既に全身の至る所に切創や擦過傷が出来ている有様であった。
「必死になって抵抗して、でも俺には勝てねえ……そう言う奴を絶望の内に蹂躙するのは堪らなく楽しい! 俺の前に立つ雑魚ってのは等しくそうなるべきなんだよ!」
レメディアが植物魔法を使った場合と異なる、凶悪で激しい攻撃の数々。悪態の一つでもついてやろうとしたところで、声を発する余裕すら失われていた。
今も地面を突き破って出て来る木の根は、その数を更に増していく。切り払い、魔法で迎撃しているのだが、それでも追い付かないのである。
それでも、周囲は先程までの交戦で木々は軒並み倒されているだけ良いと言えるだろう。これで緑生い茂る木々の中だったらと想像するだけでゾッとする。
「おいおい、俺に反撃はねえのか!? その辺に生えてる木の根っこを相手にするだけで終わりかぁ?」
「……ふざけんな! 森の中なんてお前みたいな奴にとってすれば楽園みたいな場所じゃねえか!」
「否定はしねえ。だがそれでも戦える奴は戦えるぞ? さあ、頭を捻って考えて、足掻け。鎧袖一触にして踏みつけてやるからよお?」
何とも悪趣味な事である。思わず一度結構大きめな舌打ちをしてやったが、降り頻る雨と戦闘の音で呆気なく掻き消されていた。
まるで、地面の中に蛸が大量に生息しているのではないかとすら思ってしまう程の木の根が、飛び出している。
その景色は悪夢と言っても差し支えない光景で。
「……勇者か何かになった気分だ」
下手なゲームに出て来そうな光景でもあった。ただし、今に至ってはその怪物とモニター越しでは無く生身で対峙しなくてはならない。
本当に一つの生命のようにウネウネと動くそれらの姿は、悍ましく気味の悪さを覚えずには居られなかったのだった。
「将軍様ってのは随分と悪趣味な魔法を使うんだな?」
「悪魔が何を言うかと思えば……テメエの存在そのものの方が罪だろうが!」
「――――ッ!」
一旦緩まったと思った攻撃は、すぐにまた勢いを増して襲い掛かって来る。だけれども、それを纏めて白弾で吹き飛ばし、ダウィドの許へと一気に距離を詰めていた。
周囲には根元から倒された木しかないとは言え、切り株から下はまだ生きて居る以上、ゆっくりしていては更に彼の魔法で操られた木の根が飛び出してくる可能性はあったのだ。
つまり、悠長にしたりして居ては状況が更なる悪化を見せる事は間違い無かったのである。
「漸く仕掛ける気になったか……!」
嬉しそうに、歪んだ笑みを浮かべたダウィドはそう言って迎撃に入っていたが、その密度は大した事がなくて、本気で防ごうという気が見られない。
実はもう疲弊している可能性も考えたが、わざとやっている可能性の方が高いだろう。一瞬、罠かとの思考が過ったけれど、何にしろ今更足を止める事は出来ない。
引き返そうものなら、その隙を逃さずにダウィドは操っている木の根でこちらを袋叩きにしようとして来る事だろう。
もはや、今の自分には進む以外に道が残されていなかったのであるし、何より罠ですらも突き破れる自信すらあったのだから。
「……あ?」
「纏めてふっ飛ばしてやるよ!」
「小賢しい雑魚ガキがッ!」
ダウィドの迎撃は、先程の通り温いまま。つまり防御や牽制などは必要なく、回避するだけで良かった。だから、こちらが魔法を行使する上でも大して集中が途切れる事も無かったのである。
そして集中の末、俺が一瞬で自分の左掌に人の胴体ほどはあろうかという白弾を生成していたのを見て、ダウィドは目を剥いていた。
傲慢な態度を取る彼とは言え、伊達ではない実力と経験を持って居るのだろう。白弾に秘められた威力を察してか、ダウィドは慌てて迎撃の度合いを引き上げていたのだった。
もっとも、そんな事をしても間に合う筈はなく。
すぐに撃ち出された白弾は、回避不能な速度で彼の許へと真っ直ぐに向かって居た。
「――――――――ッ!!」
自分で放った魔法攻撃ではあるが、その威力は想像より凄まじかった。ダウィドに直撃すると同時に、一瞬だけでも周囲の雨を吹き飛ばし、暴風が体を叩く。
年相応の体格でしかないから風圧で吹き飛ばされないように踏ん張りながら数秒。
耳鳴りが聞こえる中で、何事も無かったかのように雨は再び降りだし、体を打つ。既にこれまでの戦闘で被っていたフードは外れ、紅く染めた髪もまた等しく濡れていた。
髪から滴り手の甲に落ちる水滴は当然紅く、さりとて血の色とは異なっていて、それはさながら水彩絵の具を水につけたような色合いであった。
それを見て、また髪を染め直さなくてはならないと気が沈んだけれど、そんな心配事はすぐに吹き飛ぶ。
「見事なモンだなぁ、白儿!? こりゃあ驚いたぜ。まさかカドモスとも戦った後だってのに、ここまで魔力に余裕があったとはな!」
「………そりゃこっちの台詞だ。あれだけ大規模な魔法を連続して行使しといて、何でそんな無傷で居られる? 半端な防御魔法じゃ防げない自信があったんだけど」
「勿論、半端な防御はしちゃいねえさ。そのせいで、一時的に防御だけに集中する羽目になったくらいだ」
そう語るダウィドの周囲には、見るも無残な瓦礫と化した木々の成れの果てがあった。
果たしてそれらの破片が元々何の木で、何処の部位かすらも類推する事が出来ない程、原形をとどめて居ない。
何はともあれ、それらはどうやったかは知らないがダウィドが先程の攻撃を防ぎ切った証左となっていた。
「まあ、残念だったな。折角俺が油断してやってたのに、この結果に終わっちまって。最後まで俺を油断したままに出来なかったテメエの負けだ」
「都合の良い事を言ってんじゃねえよ!」
再び、ダウィドに対して距離を詰める。
それに対して彼は先程よりも遥かに隙の無い迎撃で接近を許すまいとして来るけれど、先程の白弾で幾らかの木の根を吹き飛ばした事が奏功したらしい。効果的な迎撃が満足に出来ていたとは言い難く、こちらの接近を許していた。
しかし、勿論今度は満足な威力を持った白弾を生成している余裕などなく、手に持つのは短槍の一本だけ。
「その程度で……!」
「今度こそ吹っ飛べってんだ!」
この間合いなら大した魔法攻撃は来ないと高を括っているようなダウィドだが、だからと言って攻撃手段がない訳では無いのだ。
槍もそうだし、腰には剣を提げ短剣も持っている。やりようは幾らでもあった。
対してダウィドは植物造成魔法の使い手であるから、基本的に接近戦が弱い。多少なり身体強化術は扱えるだろうが、根本的に弱いのだ。
彼はどうにか現状操れる植物で距離を取ろうと図っていたが、それを鼻で笑ってやりながら更に距離を詰める。
「生意気なガキッ……!」
「従順だったら今頃、俺は生きてねえよ」
一撃で仕留めようと、槍を思い切り彼の喉元に突き立てる――が、それを読んでいたのか触手のような木の根がそれを庇う。
更には蔓が伸び、槍を絡めて放さない。引き抜くのは早々に諦めて、腰の剣を手に取るのだった。
抜き様に居合をするように斬り上げるものの、これは身を屈められて躱される。すぐにこちらの足を捕まえるべくダウィドの足元から更に蔓が伸びるものの、一点に留まらずに的を絞らせないよう地面を蹴っていた。
そしてその上で、隙を衝くべく続けて肉薄するのだ。
「やってくれる……! その剣、堅玄鋼でも鍛えたか?」
「だったら何だ?」
クリアソスから貰ったこの剣は、やはり特別な剣らしい。ダウィドも驚く通り、泥でも斬るかのように盾として展開される木々を裂いて行くのだ。
魔法相手に使った事は無かったが、ただ単に堅い剣と言うだけでは無いらしい。今度リュウと会う事があれば、その辺も訊ねてみたいものである。
だとすれば、意地でもこの場からは脱出しなくてはならない。
「アンタら二人ぽっちに、こんな所で捕まって堪るかってんだ!」
「――ぐ!?」
続けて、腰に差していた短剣を逆手に引き抜いて投擲。それは防がれるけれど、更に勢いはこちらへと引き込まれていく。
カドモスの場合は属性的な相性があったのでともかくとして、リュウから散々接近戦を強要されて来た意味を、ここに至って強く実感していた。
どんなに強大な魔法を扱う魔導士であれ、結局造成魔法であれば接近されるとこうも脆いのだ。
このまま行けば押し切れる――。
もう一本短剣を抜く素振りを見せれば、それに反応してダウィドは防御の素振りを見せて、その隙に剣で更に彼の操る植物達を切り裂いていく。
秒を追う毎に植物の数は少なくなり、玉葱の皮を剥くように彼の防御は薄くなっているのだった。
「おのれ……おのれクソガキが!」
「何とでも言えよ。精々死ぬ瞬間まで負け惜しみなり言ってろ」
「テメエなんざ……テメエなんざ俺の魔法で!」
戦場ではどんな状況で戦うかは分からない。不利を衝き、或いは衝かれるのは当たり前である。そんな状況に追い込まれたとしても、悪態を吐いている暇など無い。
そんな事をするのなら手を考えろ。応じ手一つで立場は簡単にひっくり返る。
リュウから散々稽古や課題をさせられて知った事だ。事実、序盤とは打って変わってダウィドをここまで追い詰める事が出来ている訳で。
「こんな事が!?」
「……殺ったッ」
ダウィドの瞳に大写しとなる、自分の姿。それは今にも剣を袈裟斬りに振り下ろさんとしていた――が。
バチリ、という耳障りな音が聞こえて、咄嗟に動きを止めていたのだった。
直後、横合いから現れる大柄な男――カドモス。
彼が現れた意味を、狙いを察し、俺は即座にその場から退避すれば、一歩前まで居た場所を雷化した拳が通過していた。
回避が間に合ったから良かったものの、確実に防御は間に合わない。仮に盾を生成した所で、それを貫通して全身をカドモスの雷が駆け巡っていた事だろう。
「……先程から思っていたが、良い反応だ。私のように特殊な魔法を使う者でなければ、相当に苦戦するのも当たり前か」
「自慢かよ、おっさん」
「まさか。私は先程から君に感心しきりだ。魔法戦もそうだが、外から見ていて近接能力の高さを再認識したくらいだよ」
ダウィドを背に庇い、こちらを捉えて放さないカドモスは、本当に感心した様に笑っていた。
しかしそんな彼に対して、背後から抗議する声が一つ。
「おいバルカ! 手を出すなと言った筈だ!」
「あのままでは討ち取られていたのはお前の方だぞ。殿下の配下をみすみす死なせたとあっては、私も困るのだ。甘んじて助けられていろ」
「ふざけんな、 誰がテメエなんざに!? あんなのは偶々近寄らせちまっただけで……!」
「戦場は一瞬かつ一度きりの世界だ。後出しが通じると思うな」
ダウィドの言葉を押し潰す様に、カドモスは低い言葉で告げていた。そこに滲んだ本気の気配に、それ以上意固地になる事の不利を察したらしい彼は大人しく反駁を呑み込んでいたのだった。
「確かに今のは少年が運良くお前に接近出来たとも言える。だが何にしろ、彼に近寄られる事がどういう意味か、分からなかった訳では無いだろう?」
「……ああ。まさかあそこまで接近戦が出来るとは想定外だった。お陰で対応も遅れちまった」
「言い訳は訊いていない。何であれ、寄られてしまえば圧倒的不利になるお前の戦いを、私がいつまでも眺めて居る訳にはいかないと言う事だ」
両者の間にある確執がそうさせるのか、味方同士である筈の二人の会話は、やはりどこか剣呑としていて、様々な感情が渦巻いている様だった。
しかしやはり衝突するようなことはせず、カドモスは溜息を吐くと話を続けていた。
「さっきも言った筈だ。お前にここで死なれると私が困る。どうせ貴様一人の手柄にしたかったのだろうが、諦めろ」
「何だと……?」
ぴくりと、ダウィドの眉が跳ねる。だがその反応はカドモスの指摘が正しいと半ば自白している様でもあった。
「十五にもならない少年にむざむざ接近を許したと、公にされたいのか?」
「脅しのつもりかよ? まぁ良いぜ、但しもう絶対に俺へ近付けさせるんじゃねえぞ」
「分かっている」
その遣り取りを交わした二人の目には、もはや油断も隙も無い。必要最低限の手加減以外は何もしないと言わんばかりの鋭い眼光が、俺一人に注がれていたのである。
当然、己の顔が引き攣るのを知覚しない訳が無かった。
「……参ったな」
とうとう、数の上で本当に二対一となってしまった。
実力的には一対一でも厳しい相手を一度に二人、相手取らなくてはいけないのだ。状況は輪をかけて絶望的だと言えた。
でも、悲観はしない。
無理かもしれないと思っても、考えても、抗うのは変わらないのだから。
その為に、俺はここに残ったのだ――。




