プロローグ
少し腕を持ち上げれば、同時にガチャンという甲高い金属音が耳朶を打つ。
首輪と鎖で繋がれた手錠のせいで両手の自由はほぼ完全に奪われ、ひたすら徒歩で道を歩かされていた。
「のろくさ歩くな! 何してる!?」
「…………」
後ろから乱暴に小突かれ、蹈鞴を踏む。
抗議の意味も含めて背後を睨み返してやるが、周囲に居る武装した兵士達は侮蔑的な笑みを向けてこちらに視線を集中させていた。
それが何とも不快で、嫌で、空を見上げる。
そこは雲一つない快晴で、暑さすら覚えてしまいそうな日光が燦々と降り注ぎ、街道を歩く誰もを遍く照らしていた。
そんな大空を、無数の鳥たちが自由に飛び回り、そして何処かへ消えて行く。
その姿が何とも羨ましくて、今の自分がどうしようもなく窮屈に感じられて、仕方なかった。
けれどその一方で満足感もまた、覚えていた。
「チンタラ歩くなって言ってんだろ!?」
再び、背後から小突かれ――いや今度は蹴られ、俯せに倒れていた。
途端に周囲からは嘲笑が湧き起り、侮辱する声が投げ付けられる。
しかし不快な感情に成りこそすれ、不思議と惨めな気分にはならなかった。どうしてだろうかと我ながら疑問を持たずにはいられないが、その原因はやはり満足感だった。
それが何から端を発する満足なのかと言えば、己自身に課していた決め事をここで漸く達成できた確信があるからであろう。
「テメエが無駄に抵抗したせいで、他の奴等は誰も捕らえられなかったんだぞ!?」
「…………」
「何とか言ったらどうだ!? 白儿風情が!」
起き上がろうとしたところで、背中から強く踏みつけられて、一瞬息が詰まる。顔が歪むのも無理は無かったが、すぐに取り澄ました表情で立ち上がっていた。
ここで蹲って居ては連中の思い通りだし、それは癪だったのだ。だから痛みも堪え、何でもない表情を装って歩きを再開する。
自分を囲う様に兵士達は配置され、街道をぞろぞろ歩いて行く姿は、何とも壮観だった。
「俺一人の為にご苦労な事だな。まるで王になった気分だ。ありがとよ」
「……やっと喋るかと思えば減らず口が! 罪人の分際で何を言いやがる!」
「罪人呼ばわりされる理由が全く分からないね。俺はただ、普通に生きてただけなんだが」
「白儿のくせして、一丁前にそんな事まで言うのか!? 不愉快な!」
今度は、複数の槍の石突で多方向から小突かれる。それを大人しく耐えながら、空を見上げる。
自分はやり切ったのだ。こんな扱いを受けようとも俯いて連行されてやる義理は無い。胸を張って、堂々として、歩こう。
そう、思ったから。
こんな連中に、心まで負けて堪るか。大人しくされるがままで居たくはないのだ。誰に何と言われ様とも、誇りがある。
絶対に負けない。例え罪人扱いを受けようとも。
全てを出し切ってやり切った心は、ここまで清々出来るものだったのかと自分でも感心出来てしまうものだった。
「お前……何笑ってやがる!?」
「いや、テメエらみたいな雑魚に何言われようが、何やられようが、痛くも痒くもなくてさ。子供を相手にする大人ってこんな気分なんだなって思っただけだ」
「何だと!? いつまでもそんな減らず口を……!」
とうとう兵士の一人は堪忍袋の緒が切れたのか、拘束されているこちらを相手に顔を紅潮させて殴り掛かって来る。
だがその動きは大した事がなくて、あっさり躱すと足払いを掛けてやれば呆気なく転倒していた。そんな無様な兵士の背を思い切り踏みつけ、周囲を睥睨する。
「大した実力も無いくせして、デカい態度ばかり取ってんじゃねえよ雑魚。俺が敗けたのはお前らじゃないって事を、まだ理解出来ねえのか?」
「……き、貴様! その足を退けろ!」
「それを言うなら退けて下さいだろ? 両手を拘束されて魔法も封じられた俺相手に、無様晒して良くそんな事が言えるな?」
踏みつける足に、更に力を込めてやる。
途端にその兵士からは悲鳴が上がるが、その程度で止めてやる事はしない。馬鹿にされるのがそれほど気にならないとは言え、塵も積もれば何とやら。
自覚していなかったが、意外と不満が溜まっていたらしい。
先程まで散々好き勝手な事をしておきながら情けない姿を見せる兵士に、胸がすっとした思いになっていた。
だがこんな事をしているとここより後ろの行軍が止まってしまう訳で。
「……貴様、何をして居る!? 足を止めるなと言った筈だ!」
「も、申し訳ありませぬ! ですがあの白儿が……!」
「馬鹿者! だから下手に挑発や手出しをするなと何度言ったら分かる!? 気に入らんのは分かるが、一々行軍を止めて居ては皇太子殿下の御不興を買う事になるのだぞ!?」
先行していた隊列から騎乗した士官らしき者が飛んで来て、こちらを睨みつけながら兵士達を叱る。
叱られた兵士達もその事の重大さを漸く理解したのか、顔を青くして姿勢を正す。踏みつけられていた兵士も、全力で這い出して立ち上がり同様に姿勢を正していた。
「それで良い。お前らの任務はその白儿の監視であって、行軍を止める事ではない。分かったな?」
「はっ、承知しております!」
「なら良い。それでもまだ懲りない様なら、また監視任務の兵士を入れ替えねばならない。励めよ」
最後にそう言うと、その士官はこちらを強く睨みつけて元の場所へと跨った馬で戻って行った。
彼の背中を見送った後、すぐに行軍は再開されるが、監視役の兵士達からは恨みがましい視線が向けられていた。
「まだ何かあんのか?」
「……黙ってろ、白儿」
煽る様に訊ねてみるのだが、返って来るのは素っ気ない言葉ばかり。だが彼らの内心では不満を押さえ込まなくてはいけない感情が透けて見えて、また溜飲が下がる気持ちになったのは言うまでもなかった。




