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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第六章 ユルガヌモノハ
141/239

第五話 When My Devil Raise⑥

◆◇◆





 状況は、悪化の一途を辿っていた。


 リュウを殿(しんがり)として残したにも関わらず、それを擦り抜けたのか追手は尚も迫って来るのだ。


「……どうにか振り切れねえのか!?」


「そうは言っても、こんな森の中じゃ見通し悪過ぎるし、この先がどうなってるかなんて分かんないよ!」


「レメディアの言う通りだ! 明らかに向こうの方が早い! 何か身を隠す場所とかあれば良いんだが……」


「イッシュ、何処かに良い場所無いか!?」


「待って、探すから」

 ラウを始め、誰もが真剣な様子で何か打つ手は無いかと模索しているが、そこに加わらない少女が、一人。


「……っ!」


 ずきり、と痛む頭にシグルティアは顔を歪め、左手を当てる。だが現状追われている身である以上、立ち止まって頭痛が収まるまで安静にしている事も出来ない。


 その間にも頭痛は酷くなる一方で、しかし頭痛が酷いなどと泣き言を言って居られる余裕など欠片も無かった。


「シグ? お前、大丈夫か? さっきの戦闘で怪我でも?」


「問題ない、気にするな。それよりも気にすべきものがあるだろ」


 ふと目について気付いたのだろう。ラウレウスが心配そうに訊ねて来るが、シグルティアは何でもないという風に頭を振り、そして背後を指差した。


 その先に見えるのは、ラウレウス達から付かず離れずの距離を取り、追跡してくる小柄少女の影だった。


 彼女の名はタリア。ラウレウスとは並みならぬ因縁があるようで、今もその濁った瞳は彼を凝視して放さないのだ。


「逃がさない……自分だけ、自分だけのうのうと生きようなんて!」


「どう生きようが俺の勝手だ! お前も、東帝国も、神饗(デウス)も、自分の価値観や考えをこっちに押し付けて来るんじゃねえって何度言えば分かる!?」


「煩い……黙れ黙れ!」


 時折交わされる、ラウレウスとタリアの言葉。だが会話と言うには余りにもお粗末なそれは成立しているとは言い難く、飛来してくる短剣を彼が槍で弾いていた。


「いつまでもストーカーみたいな事しやがって……鬱陶しいんだよッ!」


「鬱陶しいのはお前! 白儿(エトルスキ)の分際で、図々しくいつまでこの世界で生きる!?」


「俺は今度こそ天寿を全うするって決めたんでね! お前みたいな奴の戯言に付き合ってやる暇はないんだっての! とっとと消えろ!」


 両者はこれまでにも何度となく交戦した事があるのだろう。煩わしそうに、うんざりした様子でラウレウスは怒鳴っていた。


 しかし、対するタリアも瞳が濁る程の憎悪をその身に抱え、ラウレウスの話に耳を貸す気配など微塵も見られなかったのだった。


「そこの元第三皇女も……ラウレウスと一緒に奈落へ落ちろ! お前ら、そいつと関わった事を後悔しながら死ね!」


「誰が……こんな所で死ぬものか! 舐めるな、怨霊が!」


 遂にシグルティアにまで飛来する短剣を、彼女は自身の魔法で防ぎ応戦する。しかしシグが反撃で放った氷弾(テルム)に手応えは無く、素早い彼女の影を捉えられる様子は一向に無かった。


 そもそも、徐々に頭痛が強くなって来ていて、魔法を撃っても碌に標準が定まらないのだ。


「そんな攻撃、当たらない」


「このっ、お前なんかに、お前らなんかに……私はッ!」


「おい、シグ!? 本当に大丈夫なのか!?」


 一瞬、激痛のせいで意識が遠のき、彼女の体が均衡を失う。このままでは転倒すると、シグルティア自身も背中にひやりとしたものを感じたのだが、直前になって体が引き戻される。


 僅かな事で何が起きたのか分からず、彼女はやけに近い呼びかけの声に目を開けてみれば、至近距離に見慣れたラウレウスの顔があった。


 想像だにして居なかった状況に、理解が追い付かずシグルティアは一瞬呆けた顔を晒した後、一気に藻掻きだす。


「だ、大丈夫だと言った! 二度も言わせるな……放せ!」


「落ち着け! 体調悪いんだろ!? なら大人しくしとけ、また転びそうになられたら逆に迷惑だ!」


「だからって……だからって、こんな……!」


 何を隠そう、今のシグルティアはラウレウスの腕で横抱きにされ、運ばれていたのである。道理で彼の顔が近くにある訳だと納得しつつ、彼女は気恥ずかしくて仕方なかった。


「本当に怪我はないんだな?」


「……ない、筈だ。少なくとも私は認識していない」


「じゃあ、何でよろけた? 風邪でも引いたのかよ」


「分からない。ただ、頭が……痛くて」


 とにかく痛い。先程よりも更に痛みを増し、頭蓋が割れようとしているのではないかと錯覚する程のそれに、溜まらず頭を抱えていた。


 まるで、頭の中で何かが無理に出て来ようとしている様な、そして引き出されようとしている様な、そんな感覚だった。


「病気じゃねえだろうな!? 取り敢えず癒傷薬(メデオル)飲めよ!」


「……済まない、私のせいでこんな負担を……邪魔なら、置いて行ってくれても……」


「馬鹿言え! お前が俺達と一緒に旅してるのは、ビュザンティオンで俺が誘ったからだ! 誘っておいて見捨てられるほど薄情じゃねえし、何よりシグには訊かなきゃいけない事がまだあるんだぞ!?」


 前世の記憶かもしれないものを持っているのだ、それを聞いても居ないのに尚更(なおさら)見捨てられるものかと彼は強く言い切り、笑った。


 かつて経験した事ない頭痛のせいで苦痛に表情を歪ませてシグルティアにとって、その笑顔がどうしてか心強くて、つられて破顔していた。


 理由は、分からない。でもどうしようもなく温かくて、苦しいのに一息付けるような、もう大丈夫と思えてしまうような不思議な感情。


 胸の内から湧き起るそれの出所は一体何処なのか。頭痛で定まらない思考の中でぼんやりと疑問が浮かんだ時だった。




「……あ」




「おい、シグ!? 大丈夫か!? 返事しろッ!」


 堰が決壊した様に、箱が開いたように、頭の中で何かが弾け、頭一杯に広がっていく感覚に襲われる。


 俄かにラウレウスが騒ぎ出し、それを聞きつけた他の者も何か言って居た様だったが、彼女にとって彼らの声は酷く遠く感じられた。


「シグ、シグ!?」


「…………」


 焦燥感の滲んだ少年の呼びかけが、間近で聞こえる。だが目を開けても視界はぼやけて、人の顔の様なものが映るだけ。


 だけどそれが、どうしてか呼びかけの声と共に、一人の少年と重なる。


 黒髪黒目で、顔の彫りは比較的浅くて、シグルティアでない彼女の中にいた“誰か”に言わせれば愛嬌を感じさせる目元をした、柔らかい顔の少年だ。


 彼の顔を見るだけで、自然とどうしてか心が温かくなる。安心出来る。勝手に顔が綻んでしまう。


 ――ああ、これだ。これが彼だ。ずっと、会いたかった。


 今も真剣な表情で何か必死に叫んでいるが、どうしてそんな事をしているのか分からないし、ちょっぴりおかしく見えて、微笑が漏れる。


「おい、聞こえてるんだろシグ、返事しろ!」


「……煩いなあ、聞こえてるってば。久し振りじゃん、慶司(けいじ)


「なあシグ、って……は!? え、何が……」


「何って、何? 私に対してそんな連れない態度、ちょっと酷いんじゃない?」


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした、彼の間抜けな顔が何とも笑いを誘う。思わず小さく吹き出してしまいながら、彼女はそんな彼の頬へと右手を伸ばしていた。


 そして。


「……好きだよ、慶司。ずっと、ずーっと好きでした。今までも、多分これからも、私は貴方(あなた)が好き」


「おま、え……」


「やっと言えて……良かった」


 最後に花が咲くような一際大きな笑顔を浮かべて、シグルティアの顔貌(かおかたち)をした“誰か”は、その意識を手放すのだった――。





◆◇◆





「シグ!? おい、さっきのはどういう事だ!?」


「…………」


 少女を横抱きにして森の中を駆け抜けながら、瞳を閉じた彼女へと何度となく呼び掛けるが、返事はない。呼吸はしている様だったが、意識が無いのである。


 彼女は気を失う直前、見た事も無い柔らかい表情を浮かべ、右手で俺の右頬に触れた。その手も、浮かべて居た微笑もとても暖かく感じられて、今も緊張とはまた違った理由で心臓が跳ねている。


 背後からは今もタリアと、その後続の追手が迫ってきていると言うのにそれよりも尚、眼前の少女の事が気になって仕方なかった。


 けれど、彼女の事を心配に思っていたのは他の皆もまたそうであり。


「ラウ……どうしたんだ、シグは!?」


「わ、分かんねえ! 取り敢えず生きては居るから、その辺は大丈夫な筈だ!」


「そりゃ良かった……ってか、さっき何の話をしてたんだ!? 何か言ってたよな?」


「え、いや別に、大した事じゃ無かったぞ!」


 スヴェンにはそう答えていたが、当然真っ赤な嘘である。


 しかし、本当の事を言おうにもどう説明したものか困ったもので、まさか馬鹿正直に「告白された」とは恥ずかしくて言える筈も無かった。


「マジで何なんだよ、お前……!」


 誰にも聞こえない呟きを、今も眠った様に瞼を下ろしているシグに向けずには居られない。


 彼女は本当に前世の記憶を持つのか。持つとしたら誰なのか。一体どんな意図で、あのような――。


『……好きだよ、慶司(けいじ)。ずっと、ずーっと好きでした。今までも、多分これからも、私は貴方(あなた)が好き』


 思い出しただけでも、顔が熱くなる。悶えて、叫んでしまいそうになる。


 あの時のシグの顔は微かな熱を帯び、とろりとした表情で、優しい声で、囁くように発された。


 元々彼女の顔立ちが整っている事も相俟って、非常に色っぽい上に、綺麗で見惚れてしまって、だから彼女が意識を失うまで碌に言葉が出せなかった。


 けれど、こうして少し時間が経って心身ともに落ち着いてくれば、疑問が吐いて捨てる程に湧いて出て来る。


 俺の、前世の名前を知っていて、しかも個人の名前で呼びかけて来る人間なんて限られているのだ。それこそ家族や仲の良い友達に限られると言うものだ。


「……まさか、な」


 だが彼女は、“彼女”とは似ても似つかない。顔は当然として性格も似ていない、筈である。でも俺の前世の名前を教えても居ないのに知っていて、(あまつさ)え告白までされて。


 一度頭を過り出したら推測は止まらず、再び頭に血が上る感覚を知覚せずにはいられない。


 果たして彼女はそう(・・)なのか、そう(・・)ではないのか。


 気になって気になって仕方がなくて、今すぐにでも彼女の意識を覚醒させて心行くまで問い詰めたい気持ちに襲われる。


 しかし、流石にそんな事をするのは憚られるし、何より予断を許してくれるような状況下では無いのだ。ここで追手から逃れる事以外に注意を向け続けてしまうのは、危険極まりなかった。


「スヴェン! お前の土人形、もう一人持てる!?」


「は!? ああ、任せろ。女子なら軽いし問題ねえよ!」


 このままずっとシグを抱えて走るのは、運動能力にも制約が生じるし、取り分け気が散ってしまって仕方ない。


 だからイシュタパリヤを抱えて走っている土人形にシグも預け、尚も追跡を続けているタリアの方を見た、が。


「……嘘だろ!?」


 背後に居たのはタリアだけでは無かった。彼女並に足の速い追手の一部が先行し、迫って来ていたのである。


 彼らの姿は軽装であるが武装しており、全て成人男性。精悍な顔つきと、一部露出している肌からは鍛え抜かれた肉体が見えて、生半可な実力の持ち主ではない事を証明していた。


 それをレメディア達も振り向いて認めたのか、誰しもの表情はより一層余裕のないものへと変化する。


「急がないと、このままだと先回りされて足止めされるかも!?」


「畜生ッ、リュウさんは何やってんだ!?」


「イッシュ、どうだ!? 丁度良い逃げ道は!?」


「……この先の山道に。入り組んでるし、上手くやれば逃げられる」


 千里眼能力の連続かつ長時間の使用により、流石のイシュタパリヤにも疲労の色が見え始めていたが、彼女が指を示した事で、光明が見え始める。


 とにかく少しでも可能性のある方を掴むべく誰もが奮起し、その方向へと進むのだった。


 だが。


「行かせない……これ以上は!」


「コイツっ! 鬱陶しいって言ってんだろ!?」


 妨害を狙い、タリアから投擲される短剣。その狙いは土人形に抱えられて運ばれているイシュタパリヤとシグで、反応出来ない彼女達の為に槍でそれらを叩き落とす。


 しかし、地面に落ちたそれら短剣は、タリアが追跡しながら拾い、そしてまた攻撃機会を窺う素振りを見せる。


 自分が攻撃に晒されるならまだ良いものの、戦えない者を守るのは非常に精神と体力に負荷が掛かるものだった。


「テメエ……俺を殺すんじゃねえのか!?」


「アンタにはまず、身の回りの者に死んで貰って、絶望して欲しい! その後、後悔しながら死ね!」


「ホントいい迷惑だなッ!」


 このままでは埒が明かない。全員で逃げようにも限界があると察するのはそう難しいものでは無かった。


 足止めをして居る筈のリュウが撃破されたとは考えられないが、数に任せた飽和攻撃でも受ければ全てを防ぎ切れなくなるのは当然の事である。


 それでも彼の実力を考えれば、追手側の相当大きな戦力を釘付けに成功している事は疑いようがない。つまり、リュウが足止めをしても尚、これだけの戦力が来たという訳で。


「お前ら、聞け! ……俺が殿(しんがり)をやる!」


「……ラウ!? 冗談だろ!?」


「考え直してよ! 追手の数、結構いるし、危ないから!」


 気付けば俺達の足は止まっていた。


 それは俺の提案が衝撃的だったことと、そして何より増水した大きな川が行く手を阻んでいたからに他ならない。


 だけど、当然追手であるタリアの攻撃が緩むと言う事は無くて、斬撃を受け止めながら俺は話を続ける。


「リュウさんが足止めに入ってるって事は、既に追手側の相当強い奴はそこで釘付けになってる筈だ。だったら俺でも、これくらいの連中は相手に出来る!」


 自分の実力と、白魔法(アルバ・マギア)の強みを生かして暴れ回るのはそれ程悪い話ではないだろう。


 心配そうに反対の弁を述べるスヴェンとレメディアにそう説明してやるが、尚も納得してくれる気配は見られない。


「自分の立場分かってんのか!? お前は白儿(エトルスキ)で、指名手配されて、だから確実に連中の標的の一つなんだぞ!? そんなのが殿(しんがり)なんてしたら……!」


「そうだよ! 危ないし、私達と一緒に逃げた方が!」


「けどこのままだと、逃げ切れる保証はない。だったら少しでも確率を上げるべきだと思うだろ?」


「思うけどなぁ……もし捕まったらどうするんだ!? もしもあの時(・・・)みたいな事になったら、俺は……お前になんて詫びれば良い!?」


 いつになく真剣な表情で、真っ直ぐにスヴェンの金色の瞳が俺を見据える。彼はここで俺が足止めに残ろうとする事に対する抵抗が一等強いのだろう。


 無理もない、前世でも俺はあの殺人鬼から逃れる際に囮になって、奴を引き付けた。


 結果として全員殺されてしまったが、あの時の俺の行動を、彼は今も内心では悔いていたのかもしれない。


 だがそんな彼の説得を聞いても、翻意(ほんい)する事は無かった。


「この中で一番、逃げ足が速いのは俺だ。身体強化術(フォルティオル)が使えるからな。それに、標的の一つであると言う事は囮としてもこの上ない。追手を引き付けるのには、極上の餌となるだろ?」


「だけどさ……!」


「確かに、ラウレウスの言う通りだ」


 刻一刻と追手の姿は迫って来る。時間は残されておらず、取れる手段も次第に限られてくるのが肌で感じられる中、不意にシャリクシュが俺の提案に賛同した。


 それまで無言だった彼が口を開いた事に、その内容に、スヴェンとレメディアは驚いた表情を浮かべていたが、すぐに反論する。


「お前、他人事だと思って!」


「そうだよ! 君は私達との付き合いが浅いからそんな事が言えるけど……!」


「現実を見ろ、時間がないんだ。この状況下では全員で纏まって逃げ切るのは不可能だぞ。散り散りとなるか、足止めが居ないとな」


 二人の反対を、シャリクシュは低い声で封殺する。その有無を言わさぬ迫力に彼らは息を呑んでいたが、それを確認して彼は話を続けていた。


「良いか。この場の足止め要員として最適なのはラウレウスを置いて他にない。お前らや俺が足止めをしたところで、追手は碌に寄って来ない。何故なら、標的では無いから」


「「……!」」


「シグルティアがやっても良いが、奴は今気絶している上に、身体強化術(フォルティオル)の扱いではラウレウスに劣る。仮に上手く追手を引き付けたとしても、逃げ切れずに捕まってしまうだろう」


 よってこの場で囮の適任は俺――ラウレウスであると、シャリクシュはハッキリと告げる。


 スヴェンとレメディアはまだ納得が行かないのか、不満気な気配を見せていたが、しかし明確な反論の言葉が出て来る気配は見られない。


「……話は付いたと見て良いな。俺が殿(しんがり)をやる、決まりだ」


「ラウ、待て!」


「考え直してよ! この前みたいに、また私の前から居なくなるのは嫌だから!」


「俺に言わせれば、そんな事を言って全滅する方がもっと嫌なんだ。安心しろ、俺なら逃げ切れるからさ」


 自信も無しに殿(しんがり)を務めると決心した訳では無い。五分五分か、少し怪しいくらいの見込みであり、囮としてある程度引き付けた後、逃げ切れない目が無いとは考えられないのだから。


 これまで、伊達にリュウの許で修行して来た訳では無いし、自分の魔法と併せれば敵を纏めて吹き飛ばすのにこれ以上の適任も居ないだろう。


「でも……!」


「あー、ゴチャゴチャ煩い! もう時間も無い! 良いから行けって言ってんだろ!」


 尚も抵抗するような素振りを見せる二人が何とももどかしくて、だから俺は二人の背中を強引に押し出そうと手を伸ばし、突き飛ばしていた。


 当然、飛ばす先は増水した川の対岸である。

 川上ではもう雨が降っているせいか濁って勢いも激しい川を、魔法を使って渡るにしても安全性に問題がある以上、そうせざるを得なかった。


 続いてスヴェンの操作する土人形にも手を伸ばし、壊してしまわないよう慎重に突き飛ばそうとして――。


 その直前の事だった。


 不意に何処からか伸ばされた手が、俺の腕を掴んでいた。


「駄目だラウ、行くな」


「……シグ? 起きたのか!? とにかく手を放してくれ!」


「嫌だ、放さない。やっと思い出したんだ、私は全部を、やっと」


 土人形に抱えられたまま、少女――シグは、優しく微笑んだ。それは彼女が意識を失う前に見せたものと同一で、だから思わず言葉に詰まってしまうのだった。


 そのまま思考も固まって何も言えずに居ると、シグが落ち着いた声で語りかけて来る。


「本当に久し振り。会いたかったよ。私が誰か、分かる?」


「……あ、ああ」


 やはり夢でも聞き間違いでも、勘違いでも無かった。間違いなく彼女は、あの“彼女”で――。


「俺もずっと会いたかったんだ、麗奈(れいな)……!」


 高田麗奈。前世で幼馴染で、そしてとても近しかった異性。


 まさかこんな所でまた会えるなんて思っても見なかった存在だ。


 そんな彼女が、前世の顔立ちを彷彿とさせる様な柔らかな笑みを浮かべて、言った。


「うん、正解。良かった、私の事を覚えててくれて」


「忘れる訳ねえだろ。だって俺も、お前が……!」


 自然と、涙が零れる。


 それはこれまでの記憶全てが溢れ出し、感情もまた膨れ上がって耐え切れなくなったことを、何よりも如実に表していた。


「ずっと謝りたかったんだ、俺……お前を、皆を守れなくってごめんって」


「ううん。そんなのは別に良い。でも私、最期に生きてって言ったのに……何で慶司まで死んでるの?」


「め、面目ない。どうしてもアイツが許せなくて」


 あの殺人鬼の顔面を、一発殴るのが限界だった。直後には斬られて、殺されて、気付けば農奴の子供になっていて。


 あの時、前世の記憶が戻った時から、後悔の日々はずっと続いていた。申し訳なくて、気掛かりで、(さいな)まれて仕方なかった。


「それより麗奈……その手、放してくれね? 俺はこれから、一仕事しなくちゃいけないし」


「嫌だ。もうあんな事はさせない。見たくない。だから、絶対放さない」


「……そっか。お前も興佑(スヴェン)と同じ事を言うんだな。馬鹿が、気にし過ぎだっての。俺がやりたいからやってるだけなのに」


 勿論、やらずに済むのならその方が良いのは確かだ。


 けれど、やらなければ誰かが危ないのなら、やるしかない。死なせたくない、失いたくないと強く思ったから。守りたい、守るべきだと思ったから。


 やるべきだと思った事はやる。二度目の人生だ、生き死にで後悔はしたくなかった。


 もう絶対に、必ず、誰も殺させない。死なせない。失いたくはない。


 前世で、守りたかったのに殺されてしまった親友たちの姿。今世でも、自分と関わったばかりに殺されてしまったサルティヌスの姿。


 ここでまた皆を巻き込んで死なせてしまっては、自分は本当に疫病神で、死神になってしまうのではないか。


「行かないで、行かないでよ、慶司……やっと会えたのに!」


「……ごめん。皆を守るって、失いたくないって思ったから。それは出来ない相談なんだ」


 手首を、彼女の右手が放すまいと強く握りしめて来る。でもそれを強引に引き剥がし、魔力で強化した腕力を以て、土人形もまた突き飛ばす。


「嫌だよ慶司(ラウ)! 私は……」


「大丈夫だ、また会える。約束だ」


 時間がない。まだまだ沢山話したい事はあったし、一緒に居たかったけれど、状況がそれを許さないのだ。


 だから流されてしまいそうになる心を無理矢理にでも押さえつけて、俺は笑った。目一杯笑った。


 不安にさせまいと、寧ろ安心させたかったから。


 上手く笑えていたかは分からない。もしかしたら、目が潤んでいたかもしれない。


 でも遠退いて行く彼女の姿を見て、後悔は無かった。それどころかやり切ったと言った感情が強いのだ。


 今度こそ、彼女達を死なせずに済んだ筈だと。そして今世で得た魔法の力で、絶対にここから先を通すまいと。


「……今ので良かったのか?」


「ああ。この後は任せた。アイツらごねる(・・・)だろうから、無理矢理にでも引っ張って行ってくれ」


 残ったのはシャリクシュと、俺。


 時間稼ぎのためにタリアらの相手をしながら、彼はこちらの要望を聞いて苦笑していたが、しかし胸を張って答えてくれた。


「つい数日前まで敵だった奴に、随分難儀な事を言ってくれる。……だが(うけたまわ)った。必ず全員を逃がすと約束してやるよ」


(わり)い、世話かける」


「気にするな。謝礼はお前から頂戴する。だからお前も、必ず合流すると誓え」


「……ああ、分かったよ。それじゃ、皆を任せたぜ」


 そう言いながら、彼の背に手を当てる。


 そして間髪入れず思い切り、球を遠投する様にシャリクシュの背中を押し出していたのだった。すると彼の姿は、森の向こうへとあっという間に消えて、見えなくなっていた。


 これで、残ったのは俺一人。


 背後から迫るのは、タリアを始めとした無数の追手。けれど絶望する事は無くて、それどころか笑いが零れていた。


「テメエら纏めてぶっ飛ばしてやる。精々掛かって来いよ!」


「……言ったな? 身の丈に合わない大口を、白儿(エトルスキ)風情が!」


 逃げるのは、ここまで。


 これより先には誰も行かせず、全てを堰き止めて防ぐ。


 身を翻して槍を構えれば、そこにはタリアと更に無数の兵士達の姿があり、そしていずれも武器を構えて俺を睨み付けていた。


 しかし、今更になって怖気(おじけ)づきようなどある筈もなく、それどころか気分は高揚していた。


 今度こそ皆を守り抜く。絶対に死なせない。そしてそれが出来るだけの力を、今の自分は持って居るのだ。


 もしかしたら自分がこうして前世の記憶を持ったまま生まれ変わったのは、今一度皆を守る機会を与える為だったのかもしれない――。


 不思議な(めぐ)り合わせを思い、俺はそのように考えずには居られないのであった。






◆◇◆






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