第五話 When My Devil Raise⑤
◆◇◆
「その仮面、見覚えがあるぞ……今や悪名高い白儿のリュウだな?」
「正解。それで、君は?」
続々と現れた者達を前に、殿となったリュウは泰然とした態度を崩さない。
彼らの数は、なるほどイシュタパリヤが千里眼で視て報告した通り、“沢山”だった。おまけにその誰もが手練れで、一定の水準以上の実力を持っている。
殲滅できない事も無いが、確実に手間取るのは間違いなかった。
「貴様、この私を忘れたと言うのか? 不愉快な下民が……私はアラヌス・カエキリウス・プブリコラ。元グラヌム子爵であり、貴様のせいでその地位を追われた! おまけによくも私の駒を殺してくれたな?」
「駒? ……ああ、この子達の事?」
貴族である事を示す様に、幾らかの装飾が付いた軽鎧を纏う大柄な男は立っていた。そんな彼の指さす先には、血を流して事切れている五人の少年少女の姿があった。
対するリュウは一瞬だけ視線を向け、そして不愉快そうに目を細める。
「僕は止めを刺したに過ぎない。どの道、あの子達は無理に体を弄られたせいで、過負荷に耐え切れなくて遠からず死んでいただろう。この子達を殺したのは、君だよ?」
「馬鹿な事を。其奴らは私の買い取った奴隷だ。どう扱おうと問題あるまい? 以前会った時もそうだが……貴様は一度ならず二度までも、私の邪魔をするか!」
「一度二度って……一体何の事? 僕には皆目見当がつかないのだけれど」
本当に心当たりがないと言った様子で首を傾げるリュウに、プブリコラは顔を紅潮させた。余程それが屈辱的で、自尊心を傷つけられたのだろう。
今にも魔法攻撃を掛けようとしていたが、それを宥める様に彼の肩へ置かれる手が一つ。
「プブリコラ殿、落ち着いて下され。今はこの者に関わっている時間はありませんぞ」
「パピリウス殿か。確かにそれは分かっている! だがこの者は……!」
「私とて、グラヌム村ではこの仮面の者に因縁が無い訳ではありませぬが、それよりも優先すべきものがありましょう。先を急ぎますぞ」
「ぬっ……承知した」
心の底から湧き出て来る憤怒を押さえ込む様に、プブリコラは引き下がり、そしてリュウを迂回して行く。
その事実にピクリと眉を動かしたリュウは、先を行かせまいと魔法を発動させようとして――。
矢先に、動きを止めた。
「これは一体、どういう事なんだ……?」
「どうもこうも無いですよ。コレは私達の手駒の一部でしてね、最近上から渡されたのですが……非常に使い勝手が良いのですよ。貴方の相手をするのなら、丁度良い事この上ないでしょう?」
「……ッ!」
リュウの仮面の下から覗く、彼の紅い眼が釘付けになっている先には、人影が二つ。
片方は長身で、もう片方はずんぐりとした体躯で。
彼らからは言い知れぬ猛者の貫禄が漂っていた。
その二つの影が、プブリコラとパピリウス、更に後続の者の迂回を護衛するように動いているせいで、リュウは容易に手が出せない。
悠々とリュウを置き去りにして、向こう側へと背中を向けて行く彼らを、指を咥えて見ている他に無かったのである。
「このままじゃあ、ラウ君達が……!」
「では、私達はこれにて。精々足掻いて下さい。貴方もまた、我ら(・・)の標的の一つなのです。次に会う時は、鉄格子越しでお目に掛りたいものですな」
「駄目だ、行かせない……っ!?」
最後の最後に、挑発する様にパピリウスが慇懃な動作でお辞儀をし、去って行く。それに触発されて、やはり絶対に先へは行かせまいとリュウは身構えるのだが、それを遮る二つの見知った影。
片や黝い髪と眼を持つ青年で、片や赤黒い髪と眼を持つ髭面の男性である。
だが彼らは顔を知っている筈のリュウに対して、笑みを浮かべる事も無ければ、話しかける事もしない。
無味無乾燥な表情で、心の見えない目で、彼をじっと見つめていたのである。
「どういう……どういう事なんだ?」
「…………」
「…………」
問い掛けたところで、答えは無い。
既にパピリウスとプブリコラらに率いられていた者達は大半がリュウを迂回して先に行き、この場に残っているのは対峙する二柱の精霊と、一部残された手練れの者だけ。
薄いとは言え包囲されており、この上更なる後続が控えていると考えれば、規模にもよるが流石に厳しいと、リュウは内心では冷や汗を掻いていた。
とりわけの曲者が、眼前の二柱いる精霊。
これが居なければどうにでもなっただろうが、リュウは状況が深刻な悪化の一途を辿っている事を、直感で察していたのだった。
「メルクリウスさんに、ウルカヌスさん……あなた達がどうしてこんな所で、あんな連中に従って、どうして僕達の邪魔をする!?」
苛立ちをぶつける様に彼は声を荒げたが、果たして顔見知りの精霊達から答えが返って来る事は無かった。
◆◇◆
朝、陽が昇る時刻の時点で分かっていた事だが、空模様は更に悪化してとうとう青空は全く見えなくなり、一面を灰色の雲が覆っていた。
しかしそれでも、明るさとしては十分。
多少薄暗くとも、森の中でも捜索対象を見つけるのに難儀する事は無いだろう。
事実、引っ切り無しになって来る伝令は、標的を捕捉した事なども含めて、詳細な報告を齎してくれていた。
「リュウを孤立させる事に成功させたか……見事だ。増援の精鋭を派遣させよう。私に楯突いた事を後悔させてやる」
「は、畏まりました。すぐに手配させます」
「して、ラウレウスとかいう白儿と、シグルティアはまだ捕まらんのか?」
落ち着いた足取りで、しかしどこか愉快そうな調子で、天色の髪をした青年は薄暗い森の中を歩いていた。彼の周囲には武装して物々しい雰囲気を纏った屈強な男達が固めており、青年が貴人である事を何よりも証明している。
「今のところ、その二人を捕らえる事は出来て居ません。ですが、捕捉はしています。パピリウス様が麾下の者を派遣し、発見したとの由」
「なるほど、よくやった。足を止めて包囲捕縛するのも時間の問題という訳か」
ただでさえ上機嫌だった青年は、更にその足取りを軽くし、そして高らかに笑う。全てが上手く言っているという事実が、堪らなく楽しくて仕方ないのだろう。
その様子を、カドモス・バルカ・アナスタシオスは背後から冷めた目で見ていた。
既に他方面ではアレマニア連邦に対する大規模侵攻が開始されており、各地で敵国の諸侯を押しに押していると聞く。
とは言え、まだ命令を持った伝令が全軍団に届き切る訳では無いので、戦端の開かれていないところもあるだろうが、何はともあれ東帝国は全面戦争へと舵を切った。
「何だ、カドモス? 私に何か文句でもあるのか?」
「いえ、滅相もありませぬ。しかし、遠征軍の総司令たる殿下が、この森の中で大罪人を追うというのは些か慎重さに掛けるのではありませぬか?」
「はは、馬鹿を言え。アレマニア連邦の蛮族共など、私が直接指揮を取らずとも、号令を下すだけで問題はない。それよりも大罪人共は帝国の威信にかけても捕らえ、処刑せねばならんと何故分からん?」
東ラウィニウム帝国皇太子、マルコス。
彼は確かに優秀で、皇帝としての能力は及第点に達していると、カドモスも理解はしている。
だが権威主義的で、保守的で、そして皇太子は若かった。だから危険に目を瞑りがちなきらいがあり、お目付け役から見れば目に余る行動を取ってしまう事がある。
「殿下、確かに大罪人を捕らえるのは重要ですが、殿下直々に追うのは少々危険だと諫言させて頂きます。一先ずここは位置の把握に努めて、もう少し周囲の占領が完了してからでも……」
「馬鹿者、そんな無駄な時間は要らん。それにここには、帝国でも精鋭中の精鋭を選抜して連れて来ているのだ。仮に化儿が潜んでいようとも問題などある筈がない。もっと言えば、大罪人は私達で捕えてしまった方が早いぞ」
カドモスの諫言が鬱陶しかったのか、少しうんざりした様子で言うマルコスに、彼は口を噤んだ。
余りしつこく言ってしまうと、要らぬ指示を出されてしまいそうで、それを警戒してのことである。もっとも既に、彼は皇太子との間に溝が生じてしまっている。
お目付け役として、そして彼の性格故に、これまで何度となくマルコスの行いに口を挟んできたせいで、皇太子から不興を買っている事は十分に理解していた。
そのせいで無理を言われる事もこれまでにあったが、これ以上は更に無茶や本意で無い事をやらされてしまう可能性があったのだ。もしかすれば、自分以外の人にもそれが及ばないとも限らない。
関りがある人に火の粉が降りかかるような事態だけは避けたかったのである。
故に押し黙っていると、マルコスは愉快そうな態度のまま首を巡らせ、カドモスに目を向けた。
「ところでカドモス。貴様に一つ訊きたい事がある」
「はい、何でございましょうか?」
「貴様は側近なども含めて能力主義で、出自は問わぬらしいな? それこそ、他種族の出自を持つ者でも、才があると見れば登用すると」
「ええ、それが帝国の為、ひいては民の為になると考えての事に御座いまする」
もっと言うならば、カドモスは強固な身分制そのものにも疑念を持っている。階層などによって明確に扱いや出世に差をつける様では、不満が燻ぶるばかりで寧ろ害にしかならいとしか思っていたからだ。
しかし、この場でそれを言えば現在の東帝国のありように文句を言うも同義である為、その本心を信頼できない者に吐露した事は一度たりとも無かった。
ただそれでも、彼の日頃の行動の時点で、口にせずとも多くの者はそれを察していて、だから保守派などの貴族は彼を嫌っていた。
「もしやカドモス、その腹の中では有能であるなら例え白儿であっても登用すべきなどとは考えて居まいな?」
「……急になぜ、そのようなことを? 私には話が見えませぬ」
「神が決め給うた種族の序列を、能力主義の貴様は無視する行動が目立つと思ったのでな。もしや白儿に対してもそう思っているのではないかと思ったまでよ」
挑発的な口調で語る彼に、カドモスはほんの微かに眉を動かした。それは普段なら、本人以外の誰も分からないようなものだったが、マルコスは目敏く気付いたらしい。
面白いものを見たという様に、皇太子である青年は口端を吊り上げていたのだった。
「違うか、カドモス?」
「ええ。私はあくまで帝国の為を思ってこそ。神敵とすら言われる白儿を庇い立てなどしませぬ。百害あって一利なしです」
「そうかそうか、その言葉を聞いて安心したぞ」
満足そうにマルコスは笑っていたが、その背中を眺めながらカドモスの内心は穏やかでは無かった。何故なら彼は、種族を理由に他者を排除する事がこの上なく嫌いだからである。
当然、それが平然と出来る者も嫌いなのだ。胸糞が悪いし、人材の観点から見ても損失であると考えてしまうからなのだが、東帝国内に彼と同じ考えを持つ者はかなり限られていた。
「一応確認するが、貴様のその言葉に嘘偽りは無いな?」
「はい、誓って嘘ではありません」
勿論、嘘である。ビュザンティオンでラウレウスと呼ばれた白儿の少年を謁見の間で目にした際に思った事は、帝国貴族に対する失望だったくらいだ。
まだ十五にすらなっていないという少年を指して侮蔑の視線を向け、罵倒し、暴行を加える。その間、少年は殆どその辺の人間と変わらない反駁を見せ、抗っていた。
それを貴族や皇太子は、白儿だからと言う理由だけで普通に生きる事すら認めない。失望しない訳が無かった。
卑しいのはどちらだと、思わずにはいられなかったくらいである。
「本日、殿下の手腕により大罪人が全員捕縛される事を願ってやみません」
「嬉しい事を言ってくれる」
「臣下として当然の事でございましょう」
自分で言っておきながら、反吐が出そうだった。一応、口先だけではマルコスに阿るような言葉を並べ立ててやるが実際の所、彼はこの捕縛作戦が失敗して欲しいとすら考えて居たくらいだ。
この世界で必死に生きようとしている少年を、私利私欲や宗教的教義などと言う勝手極まりない理由で踏み躙ろうというのは、胸糞が悪いにも程がある。
もしも自分にも任務が回ってくるようなら、隙を見て意図的に少年達に逃げる機会を進呈してやりたい程だった。
だが、現実は彼の密かな願いをも打ち砕く。
「ならばカドモス・バルカ・アナスタシオスに命じる。貴様は増援の精鋭部隊を率いて、白儿であるラウレウス及び反逆者のシグルティアを捕縛せよ」
「……拝命致しました。全力を尽くしましょう」
正直なところ、その任務は個人的に胸糞が悪い故に一番やりたくない物である。だが、ここで断ればこれまで並べ立てた美辞麗句に疑念を差し込ませる余地を公に示してしまう。
よって辞退する訳にも行かず、精々気付かれない程度に手を抜いて後で諸々理由付けでもして誤魔化してやろうと思っていたのだが。
「副将にはフラウィオス・ニケフォラス・ダウィドを付ける。良いな、全力で捕縛せよ。取り逃がすなよ」
「な!?」
「ほう、文句でもあるのか?」
「……滅相も御座いません」
続いて青年の口から放たれたそれらの補足に、彼は耳を疑うが、しかし今更異を唱える訳にも行かない。
最悪な任務に、最悪な副将。明らかに分かっていて行われたその人選に、カドモスは無表情を貫きながらも拳を強く握りしめるのを堪え切れなかった。
「確か貴様は元第三皇女であり、我が妹でもあった大罪人シグルティアとは距離が近かったな。その点も含めて、帝国に異心が無いと言う事を今回の任務で示して貰おうという訳だ。私なりの温情でもある、励むが良い」
「……お心遣い、感謝致します」
もはや、どうにも出来ない。
勿論、断ろうと思えば断れるのだが、そうすると皇太子や保守派貴族にとって格好の口実を与えてしまう事となる。
今を凌げたとしても、それは先延ばしにしかならず、それどころか利子まで付いて後々余計に自分の首を絞める事となるだろう。
だからカドモスをしても、皇太子から直々の任命を断る事など出来はしなかったのだった。
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