第五話 Lose Your Mind ①
「これは一体何たることだッ!?」
グラヌム子爵ことアラヌス・カエキリウス・プブリコラは、激怒していた。
それと言うのも、己が勝ちを確信していた状況下にあったにも関わらず、その目的を果たせなかったから。
つまり“白儿”であるラウレウスに、狩猟者三名と共に百名余りの囲みを突破されてしまったという事である。
しかも与えた損害は無く、寧ろこちら側が多くの死傷が出てしまったほど。
それでも突破されてすぐに追手を出させたものの、上級冒険者であるミヌキウス達をぴったり追跡出来る者はごく少数。
「この無能がっ!」
「ひっ!? お許しをっ」
怒りを堪え切れず、手討ちにした兵士の焼死体を見下ろして鼻を鳴らした彼は、興味を無くした様に視線を外すと馬に乗り込んだ。
周囲でも同様で、標的を追う為に、誰もが忙しなく装備の点検などを終わらせていた。
それらを確認したプブリコラは、「出発する」と不機嫌に告げて、獲物の後を追っていたのだった。
◆◇◆
「傷の具合はどうだ?」
「まぁ、それなりに。ミヌキウスさんが手当てしてくれたきり、後は包帯を新しく巻き直されたくらいですね」
見せてみろ、と言われて包帯を外して患部を見せれば、そこを見たミヌキウスの顔が歪む。
「なるほど、俺が薬を掛けたお陰かそれなりに治癒してるみたいだが……ホントにそれっきりって感じだな。まだ痛いだろ?」
「少し、痛いですね」
そう言いながら周囲を見渡してみれば、そこは相変わらず森の中であり、しかし同時に清流が流れていた。
確証は無いが、恐らく一人で逃げていた時に導としていた川と同じものだろう。見覚えが無いのでより上流か下流のどちらかなのだろうが、それを気にしたところで答えが出る事は無い。
早々に興味を無くすと、俺は目の前で何かしている男性に問い掛けていた。
「ユニウスさん、それは?」
「逃走ついでに補給物資の中から頂戴して来たヤツだ。中も見て確認した限りだとそれなりに良い値段する癒傷薬だろうよ。ほら、傷を見せて見ろ」
言いながら彼は栓を引き抜き、それを俺の傷口に振り掛けると、一旦その手を止めてそこを注視する。
それだけずっと見つめられると流石にいたたまれなくなるので、そろそろ止めてくれないかなと思わなくもないのだが、しかし彼は真剣な顔でそこを見つめていた。
「............」
それから残って居たもう半分を傷口に掛け、彼は空になった陶製の容器を放り捨てる。
「どうよ?」
「ムズムズします。何て言うか、肉が動いてるような」
かなり気持ち悪い感覚だ。もっとも、だからと言ってその傷口の辺りを下手に触れば間違いなく激痛が走るので、触れる気など起きないのだが。
「この薬が効いてる証拠だ。多分、塞がりかけてた傷が完全に塞がりつつあるんだろ。完治までは流石にもう少しかかると思うけどな」
四肢の欠損とかじゃなくて良かったな、とユニウスは笑う。どうやら重大な怪我だと治せない場合も追いのだとか。
本当、手足の切断とかされなくて運が良かったと言える。
「いや、でもすごいですよ。叩いてもそんなに痛くない。あんなに酷い傷だったのに」
「叩くな叩くな。折角塞がった傷口が開くぞ。安静にしとけよ。貴重な休憩時間なんだ」
流石にミヌキウスからそう言われてはそれ以上叩く訳にも行かず、大人しく丁度良い大きさの石に腰掛けたまま、川の流れを見つめる。
だがそれもすぐに飽きて、河原に大の字になって寝っ転がっていた。
「……暇なんですけど、なんか面白い話をしてください」
「なんか面白い話って何だよ。言っとくけど、今この間もマルクスが周囲を警戒してんだからな?」
「いや、まぁそれは有難いですけど……で、面白い話なら何でも良いですよ」
「オイ雑すぎんぞ。範囲広すぎて絞れねえし」
「えぇー」
寝そべったまま大きな伸びをした俺は、今度は立ち上がると川の水を飲み、ついでに顔も洗っておく。
しかし洗ったは良いのだが、肌が白いせいもあって汚れが非常に目立つ。何となく気になってしまい、手から始まり腕、脚……ついには面倒臭くなって服も脱いで、俺は全身を洗うに至っていた。
特に傷が塞がったばかりの左脚は念入りに。衣服には血が付いていたし、肌にも血が付いていたくらいだ。
「ほらラウレウス、こいつを使え」
「あ、ども」
ミヌキウスから放り投げて寄越された手拭を受け取り、ゴシゴシ体の汚れを落としていくついでに、服の汚れも落としておく。
それにしても服の汚れは中々落ちない。
「おいラウレウス、ところで色々洗うのは良いんだが乾くまでどうすんだ?」
「焚火でもして待とうかと」
「……駄目に決まってんだろ。それじゃ狼煙になっちまうじゃねーか。態々自分はここですって言う馬鹿があるかよ」
「え?」
「いやお前そんな事も考えねえで体と服洗ったのかよ!? 普通に分かるだろ!?」
素で驚いてしまったところで、ミヌキウスもまた心底驚いた様子でそう言っていた。実際、彼の指摘は御尤もであるのだが、何故そんな当たり前の事を見逃していたのだろう。
前世でも時たま「何でこんな事をしたのか?」みたいな事態に陥ったり見聞きしたりしてきたが、けれども正直それらに答えは出ない。
幾ら考えたところで、自分自身でも意味不明な行動なのだから答えなど出る筈も無いのだし。
「……まぁ良い。今回は俺が風魔法で乾かすから、次からは気を付けろ。こんな時に無駄な魔力は使いたくないからな」
「はい、ごめんなさい」
全部洗い終わったら寄越してくれ、と苦笑しながらも有難い提案をしてくれる彼に、思わず後頭部を掻きつつ苦笑で返してしまう。
その一方で手は止めず、ジャブジャブと血の付いた衣服を洗うのだが、流石に時間が経ってしまったせいか簡単に落ちてくれない。
参ったなと苛立ちつつ尚も根気強く洗い続けていると、それを察して気を紛らわせようと思ったのか、ミヌキウスの方から話を振ってくれる。
「因みに、火を焚くならせめて夜だな。煙は見えにくいし、それでいてある程度の獣ならそれで撃退できる」
「……ある程度?」
はて、それは一体どういう意味だろう。
俺は引っ掛かりを覚えたミヌキウスの言葉に首を傾げると共に洗濯を中断して、半身を川に沈めた状態で訊き返していた。
「ああ、ある程度ってのはな、強力な妖魎だと、寧ろ火に寄って来たり、全く気にしなかったりするんでな。例えば赤狼。火属性の魔力を持つそいつは、火が平気だし集まって来ることもある」
「火が効かないって……」
元々地球とは文明度その他諸々違うのだ、常識が違っても何らおかしくないとは言え、あんまりな事実に愕然とする。
火が効かないのであれば、この世界において野宿など殆ど自殺行為に等しいし、人間が野生生物に対抗する術の一つが失われているともいえるのだから。
寧ろ今までの野宿で、良くぞ無事で居られたものだと感心してしまうくらいだ。
だが、そんなこちらの心情を知らないであろうミヌキウスは、尚も引っ掛かりを覚えてしまう事実を告げていく。
「ここでふざける理由が何処にある? まぁ、この森にはそう言う意味で厄介かつ危険なのは滅茶苦茶多くはないから、ちょっと安心しても平気だぞ」
「言い方の端々から明らかに油断しちゃ駄目感がするんですけど……」
多くないとか、ちょっと安心しても、とか。何故ならその言い回しだと、少なくないとも言い換えられるのだから。
そんな事を思いながらミヌキウスの話を聞いていると、彼は思い出したように補足を加えて来た。
「ぶっちゃけ言うと火を熾して一番集まって来るのは虫だ。小さくても大きくても無害な虫も居るが、小さくても大きくてもクッソ危険な虫も居る。刺されれば一分で泡噴いて死ぬとかな」
「……この森に居るんで?」
「居て欲しいか?」
「いえいえいえいえいえ」
面白そうに聞き返す彼に、当然ながら全力で何度も首を横に振る。
それを見て相好を崩したミヌキウスは、「居ねえよ」とそれだけ言うと尚も笑っていた。
必要以上に怖がっている俺を見るのがそんなに面白かったのだろうか、この野郎は。
イラっとしたので川の水を思いっきりミヌキウスの顔に飛ばしてその鬱憤を晴らさせて貰う。
「............」
勿論、「すみません手が滑りました」は忘れずに言わせて頂いた。しかし直後に風魔法で反撃を喰らった俺は、全裸のまま宙を舞う羽目になるのだった。
当然の如くミヌキウスも「手が滑っちまったわりー」と棒読みで言っていたらしいが、川に落水していた状態ではそんな言葉など聞こえて居なかった。
真っ逆さまに川面へ叩きつけられた事で鼻の奥がツンとするのも構わず、すぐに頭を出して叫ぶ。
「ぷはっ! 殺す気ですか!?」
「死なねーだろ。ちゃんと川の上に落としたし」
「水深が浅いんですよ! す・い・し・ん! 下手すれば場所によっては川底に頭打ったかもしれなかったんですからね!?」
バシャバシャと騒がしい音を立てながら陸に上がると、全裸のままである事も構わずミヌキウスに詰め寄るが、当人は悪びれた様子もなくヘラヘラと笑っていただけだった。
「まーまー、そんなカッカしなさんな。と言うか、お前が騒いだせいで面倒なのが寄ってきたらどうするつもりだ?」
「そこはそれ、ミヌキウスさん達の実力でちゃちゃっと片付けて貰えれば」
「俺らは便利屋か。……まぁレメディアからの依頼でもあるし、一度決めたからにはやり通して見せるけどよ……っと?」
溜息を吐きながらそう溢した彼は、しかし不意に黙り込むとその青い眼を周囲に巡らせ始める。
その只ならぬ気配に、びしょ濡れの服を抱えたままミヌキウスの背後に立ち、彼と同様に様子を窺う。
「...........」
俺も彼も両方とも無言になり、呼吸音を極力小さくして耳を澄まし、目を凝らすのだ。
そうして聞こえて来たのは、かなり大きな羽音。鳥の羽音とは異なるそれは恐らく虫のものであり、しかも音の大きさからして生半可な大きさでは無さそうである。
それはミヌキウスも気付いた事なのか、その体には既に魔力で巻き起こした風を纏って居り、いつでも攻撃できる体勢に入っているらしかった。
「……来るぞ」
より一層大きくなった羽音が聞こえる中で、彼の視線の先から遂にそれが姿を現した。
全身が漆黒の外骨格で覆われたそれは、全長五十CMにも届こうかと言う巨大な蜂。
「げ、こいつは!?」
しかもこの蜂、森に逃げ込んだ初日に遭遇したヤツと同じ種類である。あの時は謎の粘液みたいなモノが捕食していたが、今それはその場に居ない。
代わりに居るのは腕利きの狩猟者である、ガイウス・ミヌキウス。
彼なら何とかしてくれるだろうとは思うのだが、それにしてもあの蜂の速さは本当に肝が冷えた。
しかも毒針らしきものが半端なく大きいし、毒がある様にテカついている。
だが、それを見たミヌキウスは特に慌てた風もなく、どちらかと言えば見慣れた様子でその虫の名を呟いていた。
「大黒蜂。アレに刺されると、場所によっては即死するんだが、まぁ運良く生きてても体に卵を産み付けられる。で、冬が過ぎたら幼虫の餌として生きたまま体を食われて死ぬ。今は産卵期じゃねーから、ただの捕食行動だろうよ」
「だとしても随分余裕ですね!?」
捕食にしろ生きたまま中から食われるにしろ、どっちも嫌だ。と言うか当の蜂は半端ではない速さで接近して来ているのに、どうしてミヌキウスの反応がこんなに鈍いのだろう。
腕に自信があるのは分かったから早く撃退知るなりして欲しい。何故なら怖いから。
そんな情けない俺の気持ちを察してか、しょうがねーなと表情を崩したミヌキウスは風を纏わせた右腕を正面に突き出し、その先を大黒蜂に合わせていた。
一体何をするのかと彼の様子を窺っていた俺は、その時猛烈な風に頬を叩かれる。
「~~~~っ!?」
何が起こったのかも分からず、風圧のせいで目を閉じざるを得なかった俺がその目を再び開けた時、そこには綺麗な袈裟懸けに両断された蜂の姿があったのだった。
「……え、これって」
「おう、見ての通り大黒蜂の成れの果てだ。気をつけろよ、そんなんでもまだ生きてるぞ」
「ああ……まあそうでしょうね。虫ですもん」
「ったく、仮に頭刎ねても動くとかどんな構造してんだか」
透明な体液をその身から染みださせながら、まだ生きているらしいその巨大蜂は時折その羽を動かしていた。
それを何ともなさげな顔で見下ろしていたミヌキウスは、しかしすぐに興味を無く様な真似はせず、大蜂の下へと寄って行く。
一体何をする気なのかと彼を見つめていれば、視線に気付いたらしいミヌキウスは微笑を浮かべながら手招きをして来る。
「ほら、来てみろって」
「えー、超絶嫌なんですが」
「勉強の為だ、来てみろ」
正直体液を周りに撒き散らし、内臓も丸見えとなった虫の近くになど近寄りたくないのだけれど、しかし彼の様子だと何か意味があるのだろう。
渋々ながら「何ですか?」と言いながらそちらへと寄ってみれば、ミヌキウスが不意に腰の短剣を引き抜く。
「体を拭きながらで良いから、ちょっと見ててくれ。妖魎が持つ、ちょっと特別な素材を見せてやる」
そう言うと、未だに力無く脚を動かしている大黒蜂の体へと刃を突き立て、躊躇なく解体していく。
その間、俺は濡れた体を拭くでも無く、ミヌキウスの手際をじっと観察していた。
そしてそれと並行して、洗濯の終わった衣服を抱えてしゃがみ込む。そのまま、間近で彼の行動を見続けていると、不意に虫の体内から何かが見えた。
「それは……?」
「妖石だ。主に妖魎の体内から取れる、魔力の塊みたいなもんでな。種にもよるが基本的に歳月を経れば大型化していく素材だよ。ものに寄っちゃ良い値段で売れる」
素人の目から見ても早く、そして正確なミヌキウスの手際に感嘆しつつ、摘出された黒い水晶のような物体をまじまじと見つめる。
すると俺が興味を持っている事に気を良くしたのか、彼は更に説明を続けてくれた。
「基本的に獣や虫は体内にこれを持ってる。ただ、不思議な事に人間はそこまで大きなものを持ってねえんだ。けど、その人間にも例外があってな。それが……」
「白儿、ですか?」
「まぁ、正解。ただ、正確に言うと庸儿以外の人種を全て含む。だから化儿、剛儿、靈儿と呼ばれる人種もそれぞれ、体内にやや大きめな妖石を持ってるんだ」
曰く、その中で取り分け質が高いとされるのが白儿のものであり、故に特別な呼称として白珠が使われている。
曰く、だから庸儿以外は彼らから纏めて異儿と呼ばれ、地域や宗教によっては人と見做されない。
「――ったく、胸糞悪い話だよなぁ。互いに意思疎通だって出来るのに対等と見做さないとか、意味分かんねえや」
そう語ったミヌキウスは、それ以上この話を望まなかったのか、両手と剥ぎ取った妖石を川の水で洗い流し、話題を転換する。
「さて、侵入者は処理したし、取り敢えずお前服を着ろ。でないと風邪引くぞ。もう良い加減、水分は拭き取れたよな……って、乾拭き用の手拭とか持ってなかったんだっけ」
「……すみません」
「いや、気にすんな。さっきも言った通り、お前の服諸共、風圧で水を飛ばしといてやる」
本当に気にした様子もなく、洗濯の終わった衣服を受け取ってくれるミヌキウス。そんな彼に、俺は苦笑で返すと礼を述べ、様子を見ていく。
まず洗濯した衣服を軽く絞って水気を軽く払った後は風の音と共に宙へ浮かせ、小さな旋風を起こして一気に脱水していく。
まるで洗濯機の脱水工程のように行われるそれは、しかし遥かに勢いが良く、飛沫となった水滴が川面に小さな点を量産していた。
そのような非科学的で非現実的とも言える光景に茫然と見惚れていたが、不意に全身を風が撫でた。
「すげ」
あっと思った時には体に猛烈な風圧が叩き付けられ、肌に張り付いていた水滴の殆どが吹き飛ばされていたのだった。
気付けば嵐のような暴風は鳴りを潜め、後には呆けた顔で棒立ちとなった俺と、カラカラになった衣服が河原の石の上で放置されているのみ。
すると、その様子を見て居たミヌキウスが一言。
「なぁ、ふと思ったんだが“白儿”って下の毛も白くなるんだな?」
「アンタ何処見てんですか。あ、ひょっとして……」
彼にはソッチの趣味でもあるのかと思い、その事を彼に訊ねてみたところ、全力で否定する様子が面白かったので更に煽ってみた。
結果、「違うわい!」と怒鳴られた挙句に、彼の風魔法で再び宙を舞い、頭から川面に突っ込む羽目になった。当然、全裸で。
そしてそれを見て、彼が悪びれる様子もなく「すまん魔力が滑った」と言ってのけたのは、言うまでも無い事である。
何でも手を滑らせれば良い訳も無いが、ずぶ濡れに逆戻りとなった俺に、それ以上何かを言う気は起きなかったのだった。
◆◇◆
「……ところで、どこまで行く予定なんです?」
先導をユニウスが、後続をアウレリウスが固めて森の中を歩く中で、俺は前を歩くミヌキウスへと訊ねていた。
すると彼は振り返って、俺が問題なく歩いているのを確認してから答えてくれる。
「ああ、それについては幾つかルートがあるんだが、一つはここから南西に行き、海を渡ってアルビオン島へ、つまりマーシア王国へ逃げる。もう一つは西に見えるピュレナエイ山脈を越える。更にもう一つが、このまま陸路か海路で東に行く、だな」
そう言ってあちこちを指差すミヌキウスだが、しかし生粋の農民で、農村暮らしで前世が日本人だった俺にそれが理解できる筈も無かった。
この世界の地理という教養を得る機会が無かったのだから当然であるがその結果、方角以外は何を言っているのか分からず、首を傾げたまま固まってしまう。
すると、それを見て理解したような苦笑を浮かべた彼は、丁寧にも一つずつ説明してくれた。
「............」
懇切丁寧に説明してくれたのだが、結局は村の外を知らない素人が口を挟むべきではないと判断。その結果「任せます」と彼にルート選択を丸投げする事になる。
「少しはお前が意見しても良いんだぞ」
「俺が意見しても邪魔になるだけじゃないですか。皆さんを信頼しているからこそ、こう言えるんですよ」
「……頼りすぎだ。言いたい事は分からなくも無いけどな」
そう言って苦笑したミヌキウスは、歩きながら暫く思案した後に答えが出たのか、俺を見てこう言った。
「少しお前にも負担を掛けるかもしれないが、北東に行こう。ここからなら、サビニ王国を経由して海路ですぐにハッティ王国だ。王都に着けば、身を隠すのなんざ簡単だぞ?」
あそこは人種の坩堝だからな、とかつての記憶を探って感傷に浸っているのか、ミヌキウスの顔と声に懐かしさが浮かんでいた。
曰く、そこでは庸儿だけでなく先程会話で出た他族が多く見られ、庸儿側から見て剛儿・靈儿・化儿――纏めて異儿と呼ばれている人々が居る、と。
俺としてはそれらの存在を真面に耳にしたのは今日が初めてなので、アルヴとエルフの響きが似てるな程度は思うけれど、そのくらいである。
なので彼に、彼らがどんな特徴を持っているのか、庸儿との違いは何なのかと問い質してみるのだが、「見てからのお楽しみ」と言って詳しい説明をしてくれない。
「どうしてそんなケチな事を……」
「こう言うのはただ聞かせるより、実際に見せながら説明した方が分かり易いだろ。それに、連中だって全くこの辺に居ない訳じゃ無いんだ。あちこちの街に寄ればその内に見かけるだろうよ」
ミヌキウスの場合は職業柄、稼ぎの源泉である討伐対象を探して彼方此方を巡り、時には呼びつけられる事もあったらしい。だからなのだろう、知り合いだと推察できる何人かの名前を上げながら声を弾ませていた。
「――カルムとオークレールっていう愉快な連中がいてな。アイツらなら裏切りはしない筈だ」
「だな。あの義理堅い剛儿と靈儿が、一時の金で関係を壊す真似をする訳がねえ」
どうやら彼らの明るい話し方から考えるに、その二人は非常に信頼のおける人物らしい。
勝手に盛り上がる三人の会話に何となく疎外感を覚えつつ、一方で何処か楽になっている気分になっている自分が居た。
だが談笑している彼らは気を抜いては居らず、日の位置と背後のピュレナエイ山脈を目印に進むべき方角を導き出していく。
この世界に生まれ落ちてから外の世界を知らなかった身からすれば、彼らは心強い事この上なく、時には会話へ加わりながら先導に従っていると、不意にミヌキウスが話題を転換していた。
「本当なら信頼の大切さ教えるのが良いんだろうが……ラウレウスも、今の状況下じゃ余り他人を信用するなよ。良いか、俺らを含め信用するな」
「ミヌキウスさん達も?」
「当たり前だ。どこまで行っても俺らは他人なんだぞ。信用のし過ぎは毒になると思え」
短くそれだけ言い、それから正面に視線を戻すと、この件について話す事は無いと言わんばかりにその話題を蒸し返す気配は無かった。
でも、ここで何も言わないのは果たしてどうなのだろうか。こうして助けて貰っている恩人に、何も言わないのは不義理と言うものでは無いだろうか。
受けた恩は返すべしだと言う前世の風潮は勿論、俺自身がそれであるべきだと強く主張してくる。
だから、せめて彼らに何かを言わなくては。彼らに、掛ける言葉を見つけなければ。
その思いに駆られ、何度か空しく口を開閉させた俺は、それからようやく言いたい事を纏め、息を吸うと改めて口を開いた、が。
「あの……」
「全員、伏せろ!」
何かを感じ取ったのか、先頭を行っていたユニウスの声に言葉を遮られ、それと同時に地面へと仰向けに押し倒されていた。
何だ、何だ、何だ? 急に何が――?
倒れた俺を庇う様にして倒れているミヌキウスの体温を感じながら、俺は困惑の目で木々の枝葉を見つめ、呆然としていた。
「き、急になんです、か?」
「話してる暇はねえ、走るぞ!」
「えっ!? は、はいっ!」
切迫した雰囲気を纏っているミヌキウスの剣幕に押され、俺は未だに状況の整理も覚束ないまま起き上がると、ユニウスの後を追って走り出す。
だが、丁度走った方向に存在した、細長の物体を目にして、俺はその目を見開くと共に状況を察した。
何故ならば、そこに在ったのは木の幹に突き刺さった一本の矢を認めたのだから。
しかもその威力は相当なもので、矢尻だけでなく更にそのもう少し根元までもがそこに埋まっていたのだ。
「まさかアレって……」
「そのまさかだ! 奴ら俺達の後をしっかり追跡して来たらしい!」
「中々良い弓の腕だ。プブリウスとタメを張るかもな」
「マルクス、感心してんじゃねえ!」
余り状況が芳しくないのだろう。そちらを見ずにそれだけ叱ると、ミヌキウスは自身に再び風を纏わせ始める。
それが風切り音とも異なる音として俺の鼓膜を揺らし、微かに体を浮遊感を覚えた。
「こんな所で終われねえな! 意地でも逃げるし、最悪お前だけでもここから逃がす!」
「そんな!?」
「あくまで最悪の場合だ! もしそうなったら、何とかしてピュレナエイ山脈を背にして西へ向かえ! ちょっと歩けば完全に他人の領土、他人の王国だ。おいそれと追手はこないし、噂の広まりもまだ遅い。いいな!?」
一際強い声で念を押すミヌキウスに、俺は自然とそれにつられて頷く。それをチラリと視線だけで確認した彼は納得した様に頷いた……直後。
「「――ッ!?」」
視線の先にある進路上に矢が幾つも射かけられ、それによってミヌキウス達は急制動を掛けさせられる。
そして、矢の飛んで来た方向と向かい合う様に木の幹へと隠れる羽目になっていたのだ。
「さっきからの鬱陶しい射撃……傭兵の精鋭部隊?」
「だろうよ! ま、仮に精鋭だとしても、これだけ木の多い場所で当てられるモンなら当てて見ろってな」
「仮に直撃の軌道でも、俺らだったら避けられるし」
余裕を見せる三人の近くで、盾にした木の幹へ矢が刺さり、その音に俺は思わず首を竦めてしまう。
他方、尚も飛んで来る射撃の飛んでくる方を憎々し気に見遣り、ミヌキウスは毒づいていた。
「数は……おおよそ十人。魔導士も確認できる。あんのクソッタレどもが!」
「そりゃ、何ともまぁ……」
「かなり悪い状況だ。まだ活路はあるが……悠長にしてたら最悪の状況になりかねない」
段々と騒がしい足音が近づき始め、それと比例して聞き覚えのある声が俺の鼓膜を揺らす。それは、追手の兵士たちの声で。
「お前はそっちから回り込め!」
「分かった、半分はこちらに続け!」
挟撃される――。瞬時にそれを悟ったのはミヌキウス達も同じで、苦虫を嚙み潰したような顔を見せた彼は俺を抱えると走り出して居た。
魔力の消費を考えた配分などは無視し、ミヌキウスは己の体に纏わせた風で一気にその場からの離脱を図ったのだ。
「逃がすな! 追え!」
「っ!」
飛来する矢が俺達の横を掠めて飛んでいく。
しかもその数は一本や二本では利かず、どうやら多くの射手がミヌキウスの脚を止める為に斉射をしてきているらしい。
だが、横抱きにされた状態で彼の顔を見ても、そこには恐怖の感情は出ておらず、焦りつつも矢の直撃については懸念していないようだった。
「当たらねーよ!」
「す、凄い......」
そのまま、順調にこの場から離脱できそうだ。
視界を流れていく木々を見ながら心臓の早鐘を感じていた俺は、安堵の溜息を吐きかけた、その瞬間。
「!?」
気付けばミヌキウスが血相を変え、俺を抱えた体勢のまま横っ飛びになっていた。
訳も分からず一瞬だけ感じた浮遊感の後、間髪入れずに訪れた轟音と衝撃によってミヌキウス共々吹き飛ばされてしまう。
「……あぶねぇ! 無事か?」
「ま、まぁ。けど今のは一体?」
「見りゃ分かる、魔法攻撃だ!」
彼が風魔法の使い手であった事が幸いして、不安定な姿勢からもしっかり足から着地してくれたために無傷である。
だがそれよりも目に付くのは、先程まで居た場所に叩きつけられた巨大な鉄の棒。
その長さは辺りに並ぶ木々を越え、太さもまた同様に巨大であった。
「腕が立つ奴だな、これは」
「よし、奴らの動きを止めた、逃がすな!」
その声と共に長大な鉄の棒は収縮し、一人の男の右肩へと戻って行き、そのまま右腕となる。
つまり先程の鉄は、その男の巨大化した右腕だったのだ。
余りにも非現実的で実感の湧かない光景に思わず呆然とさせられてしまうが、走り寄って来る無数の気配にハッとする。
「早く逃げないと……!? ってか何ですかアレ!? 鉄の棒が腕になるって……どうなってんの!?」
「落ち着け。さっき魔導士が居るって言っただろ。まぁ確かに驚いたけどな」
緊急回避で地面に飛び込んでいたのも束の間、すぐに走り出したミヌキウスは、俺を抱えた状態のまま再び走る。
正面に回り込もうとしていた兵士にはユニウスが牽制の矢を射かけ、視界と足場が不安定な森の中で木々を縫うようにして駆け抜ける、が。
「逃がさんッ!!」
「うおっ!?」
背後からの鋭い声と共に、先頭を走るユニウスの足元へ先が鋭利な氷柱が着弾する。
そしてそれと呼応するようにして、頭上へ被さった細長い影。
「クソッ――!!」
それが何であるかを視認し確認したミヌキウス達は、悔しそうに顔を歪めながら再度の急制動を余儀なくされる。それも、立て続けの攻撃によって今度は完全に足と勢いを止めさせられてしまったのだ。
そして、完全に逃げ道を封殺するみたいに、鉄の柱の一撃が土を巻き上げていた。
「あらら、参ったなこりゃ」
ユニウスが弓を番えながら苦笑した時には、こちらの足が止まった事により先回りを許してしまい、十人ほどの兵士が横一列となって立ち塞がる。
背後からも魔導士らしい二人を含んだ少数の影が距離を詰めており、完全に前後から挟まれてしまっていた。
「ようやく止まったか、下手人共が」
「さあ、大人しく投降しろ。貴族様も御怒りだ」
背後からの人影の内、二人が口々に言葉を発する。
だが、その言葉を聞いても尚、ミヌキウス達は怯えを見せず不敵に笑うだけだった。
「お前ら、良く追って来たな。ご苦労なこった。けど俺達が簡単に如何こう出来る雑魚だとでも思ってのかよ? 追い付いたからってまだ勝負が決まった訳じゃねえんだぜ?」
「いいや、既に勝敗は決した。子爵様の家臣たるこのフロンティヌスがこの場に来た時点で貴様らの負けだ!!」
「……フロンティヌス? ああ、そういや村で討伐隊として参加した時に挨拶したな。けど、アンタで俺らの相手が務まんのかよ?」
そう言うミヌキウスは既に抱えていた俺を降ろし、抗戦の構えを見せるが、相手を見据える目には明らかな嘲りが浮かんでいた。
それと言うのも目の前に居るフロンティヌスなる人物の肌は青白く、軽装鎧を纏った痩せた長身である様子が、まるでもやしの様であったのだから。
果たしてこの世界にもやしがあるのかは知らないけれど、それでもミヌキウスが彼を馬鹿にしている理由はまずそれで間違いないだろう。
つまり文化系の人間が、最前線で獣と命の遣り取りをする狩猟者相手に何が出来るのかと、考えているのだ。
「寧ろ、アンタの横に居る奴の方がよっぽど強そうだぜ。なぁ、傭兵隊長のアルギュロスだったか?」
「覚えてくれてたのかよ? そいつぁ有難い。ってかお前、見る目あるじゃねえか。折角だ、ウチの傭兵団に来ねえ? 俺の攻撃を易々と避けられる人材なんて、戦場じゃ引く手数多だぜ」
好戦的なギラギラした笑みを浮かべ、左の握り拳を鉄に変える男の名は、どうやらアルギュロスと言うらしい。
その体格は身につけている鎧の上からでも分かる程度には筋肉が発達しており、均整の取れた体になっていた。
ミヌキウスが強そうだと言うのも納得の迫力を持つ彼は、歴戦の余裕と取れる態度を崩さずに尚も話を続ける。
「正直、俺に言わせりゃお前らを殺すのは惜しいんだよ。上級狩猟者が三人ともなればウチとしては相当な戦力上昇が見込める。それこそ、今日お前らに殺された雑魚共が比較にならねえくらいだ。もし今降伏するなら俺の方からも助命を頼んでやるぜ」
「降伏? アホ抜かせ、それじゃラウレウスを引き渡さなきゃいけねえだろうが。それじゃ駄目なんだよ、依頼が達成できねえ。俺らにも上級狩猟者としての面子があるんだよ」
何処か楽しんでいる様な気配を見せるアルギュロスの提案だが、それは素気無く断れる。
すると間髪入れずに拒絶された事に驚いた様な顔をした彼は、しかしすぐに再び好戦的な笑みを浮かべ、二度三度頷く。
「……残念だ。んじゃあ、精々この場で足掻いて藻掻いて、俺を楽しませてくれよ!」
「ほざけ、そんなんすぐに終わらしてやるぜ! 掛かって来……っ!?」
互いに不敵な笑みを浮かべるアルギュロスとミヌキウスだが、出し抜けに飛来する物体を察知し、後者が体を捻った。
その直後、無数の氷の礫が空を切って弾道上に存在した木の幹に殺到する。
すると喧しい音と一緒に、ガラス玉が砕け散るみたく氷の破片がキラキラと飛び散っていく。
ミヌキウス、アウレリウス、ユニウスの三人は流石と言うべきか一人の被弾者も居らず、俺を木陰に隠すと一息に散開していた。
「無礼者が! 貴様ら、貴族の私を差し置いて何をしているッ!?」
ピンと張り詰めた空気の中に響き渡る癇癪を起した様な甲高い声。それが聞こえる方へこっそりと目を遣れば、そこには顔を真っ赤にしたフロンティヌスが尚も叫び続けていた。
「私は貴い身分なのだぞ!? アルギュロス、お前を含めた下賤な者は本来なら真面に話す事すら認められんのだ! だというのに何だ、子爵様の命令を無視して反逆者を勧誘するなどっ……いい加減にしろ!」
「……おいおい、別に命令は無視しちゃいねえよ。あくまで助命を頼んでみるって言ったんだ。頭大丈夫か、お前」
「傭兵などという平民以下とも言える賤民が、私に何を言うっ!? 少し魔法が使えるからと言って調子に乗るな!! 本来魔法とは選ばれし血に連なる者が、つまりは神に権利を与えられし者の子孫だけが得られるものなのだぞ!?」
「はいはいそうですね。じゃあその御貴族ちゃまの魔法だけでその三人を取り押さえたら如何です、領主様の命令なんでしょ?」
今までにもこのように絡まれた事があったのか、いい加減飽きたと言わんばかりの不遜な態度を見せるアルギュロスは、そう言ってこちらを指差す。
するとそれだけで簡単に口車へ乗せられてしまったらしいフロンティヌスが、血走った目で睨み据えて来たのだった。
「うわ、目ん玉血走りまくってんじゃねえか」
気味が悪いという感情が若干どころかかなり露わになったユニウスが苦笑交じりに呟くが、果たしてその言葉は本人に聞こえているのだろうか。
恐らく聞こえて居ようと居まいと変わらないと思えるが、それもその筈で次の瞬間には無造作に三本の氷柱を放って来たのだ。
「「「!?」」」
いつの間にそれを形成したのかと思えるほど一瞬で造り出された氷柱は、それぞれ十CMほど。
しかし三人ともしっかりと臨戦態勢が取っていた事で回避し、めいめいに避けるなり叩き落とすなりしていく。
「このっ、平民のくせに!!」
「平民とか一々うるせぇんだよ。黙って死ね」
完全に頭へ血が昇っているのか、いきり立って地団駄を踏むフロンティヌスに木の影から矢を射返すのは、ユニウス。
攻撃を回避してから間髪入れず射られた矢は過たず彼の左胸を目指すものの、フロンティヌスが反撃された事を認識して縮こまった事で狙いがズレてしまう。
「あ――あああああっ!?」
その結果、矢は即死からは程遠いフロンティヌスの左肩を射抜く事となっていた。
それでも攻撃が命中した事実は変わらず、フロンティヌスは見っとも無く肩を射抜かれた痛みに悶える。
隙だらけで、間抜けで、見るに堪えない無様な光景にユニウス達は追撃すらも忘れて傍観し、味方である筈のアルギュロスからも噛み殺した笑いが漏れる程だった。
「お、おい、アルギュロス! 私を助けろ!」
「良いんですかい? 俺は平民で卑しい傭兵ですよ? そんな奴の手を借りるってんですか?」
「煩いっ! 貴族である私が助けろと言っているのだ! とっとと助けんか馬鹿者!!」
貴いと言うのであれば、一門の人物が持っている筈の高尚な志は何処へ行ったのかと思える程の、見苦しいフロンティヌスの言動。
もはやアルギュロスは慇懃無礼な態度という取り繕いすらも払って、嘲笑を浮かべている有様だ。
「んじゃ、俺は突撃するんでアンタは後ろからチクチク氷柱でも撃っててくれ。無能でも死なれると俺の立場に傷が付くんでね」
「……は!? 何を……」
「別に死にたけりゃ前に出ても良いぜ。俺は止めないし助けないからな」
形だけであれ丁寧な口調すらも無くなったアルギュロスの言葉に、阿呆面を晒すフロンティヌス。
残りの精兵らしい者達はいずれも前者の直属兵らしく、彼に従って同様に後者を置き去りにしていく有様だった。
彼らもまた、フロンティヌスへの軽蔑と侮蔑を隠さずに、だ。
「……さて、始めようぜ。出来る事なら雇い主が来る前に終わらせたいモンだ」
「そりゃこっちとしても望むところだ。ちゃっちゃと終わらせよう」
アルギュロス以下、後方にフロンティヌスを含んだ総勢十五名と、対するは俺を含めたミヌキウス一味の四名。
数的不利は相変わらずだけれど、先程の百余を相手にしていた時に比べれば、数としては有利かもしれない。
しかし、その質はあの時より遥かに高く、この場を切り抜けるうえでの最大の障壁となっている様に、俺には感じられた。




