第五話 When My Devil Raise④
◆◇◆
夜が、明ける。
木の枝葉の隙間から微弱な光が漏れ始め、薄暗い地面をほんの少しだけ照らし、温め始めていたのである。
「さて、そろそろ出発準備に入ろう。皆、起きて」
昨夜は途中で月が雲に隠れ、視界が真っ暗闇に包まれた事もあり、途中で止む無く野営した。今日も、一応太陽が顔を出してはいるものの、分厚い雲が垂れこめていて、少し不安な空模様となっていた。
「……リュウさん、本当に不寝番を任せて良かったんですか?」
「だって、この場に僕以上に夜目が効く人は居ないでしょ? まあ、光がほぼ無いから夜目も何も無かったけど、事前に気配を察知するには僕が起きていた方が都合も良いから」
「それはそうなんでしょうけどね……」
以前、彼は睡眠の途中で起こされる事に激怒していた。その剣幕の凄まじさは当時を見た誰もが震え上がったものだが、今日寝不足の筈のリュウは至って平常運転だった。
いや、もしかすると表面上取り繕っているだけかもしれない。そうだとすれば、今日は下手に刺激をするのは止めて置くべきだと心に決めていると、心情を読んだのか彼は苦笑していた。
「一日程度寝ないくらいなら別に不機嫌にはならないよ。僕は只、至福の時を邪魔されるのが嫌いなだけ」
「すいません、それがどう違うのか説明して貰って良いですか?」
寝ずに周囲の警戒に当たったのだから、至福の時間を奪われたには変わりない筈なのだ。いまいち彼の怒りのツボが要領を得ず、理解に苦しむ。
他の面子が段々と寝かせていた体を起こし、欠伸や伸びをしている間にその辺の基準について解説してもらうのだった。
「ま、早い話、今日の睡眠については最初から諦めてたから腹も立たなかったってだけだよ。そんな事を訊いてどうするつもりだい?」
「嫌がらせが出来る最大限のラインを知ろうと思いまして」
「嫌な質問だなあ」
お手柔らかに頼むよ、と彼は笑っていた。どうやら本当に今のリュウは不機嫌ではないらしい。その事実に安堵していると、リュウはイシュタパリヤに目を向けていた。
「どう? 今、千里眼を使って周囲は見える?」
「……見えない。光が少なすぎ。けど松明の光が見当たら無い、だから多分敵も居ない」
「そっか。それなら問題なさそうだね。行こうか」
火はそもそも焚いていない。昨日遭遇した神饗や東帝国軍に発見されてしまう危険があるからだ。
恐らくイシュタパリヤの千里眼の有効範囲外に居るのだろうが、捜索の手が差し向けられているのは間違いない。
悠長な事をしていれば、知らぬ間に包囲されている危険すらあった。
だからリュウを先頭に歩く俺達はいずれも、警戒を厳にして周囲を見渡し、何があっても即応出来る様に身構えていた。
「君達、肩に力入れ過ぎだよ。もう少し楽にしたら? この調子じゃ本当に集中が必要な時に持たないよ?」
「逆にリュウさんは余裕を持ち過ぎでは?」
「さあ掛かって来いって言うくらいの心持じゃあないと、何かあった時に臨機応変に対応できないからね。これ、普段戦う時の精神面でも非常に重要だよ」
迷いのない足取りで、リュウは先頭を歩きながら笑っていた。しかし、そんな説明をされた所で理解出来るかと言えばそうでもない。
余り実感が沸くような話でも無いので、皆揃って顔を見合わせているのだった。
すると、彼は愉快そうに笑う。
「まだ早かったかな? けれど、とにかく気を張り過ぎない様に。いざって時の為に温存しておきな。周囲の警戒については僕と、時々イシュタパリヤ君に任せておけばいい」
「リュウ、何度も言うがイッシュの力を何度も酷使させるなよ。異能だって魔力自体は消耗するんだからな」
普通の魔法と違い、異能の能力は種類が豊富な上に効果も様々なもので、常時発動型もあれば突発型、任意型も存在する。
数自体が希少なので実際に目にした例は然程多くないが、少なくともイシュタパリヤの場合は任意型だ。
しかし連続して何度も、或いは長時間に亘って能力を行使すれば体に負荷が掛かってしまう。だから彼女の能力を使うのは基本的に最低限。
そうでなければ、本当に必要な時に使えなくなってしまったり、イシュタパリヤの体調が崩れてしまう可能性もあった。
「勿論、この子の体調については僕も十分に考慮するつもりだよ。便利だからって頼りすぎる程、僕の実力も不足していない自覚があるからね」
「さり気なく自慢を織り交ぜるな。……だが信じよう、お前の能力の馬鹿らしさについては実際目の当たりにした訳だし」
自信満々に言い切ったリュウに、シャリクシュは少し呆れた顔をしていたが、もう一方で納得もしていた。
彼自身、俺達と交戦した際にリュウの化け物具合を目撃していれば当然だろう。本来、目視を許さない筈の銃による狙撃を、どうしてか避けているのだから。
それこそ、前世の世界での銃の普及具合、活躍ぶりを知る俺とスヴェンからすれば、尚更信じられない気持ちである。
「ああ、そうだシャリクシュ、お前も前世の記憶があるんだろ?」
「前世の記憶? ……ああ、この前戦った時にもお前が言ってた事か。確かに心当たりがない訳じゃ無いな」
「そんじゃそれについて、事態が落ち着いたら話せるだけ話して貰うぞ。シグもな。結局話が途中のままだし」
「別に構わないが……そう言えばそうだったな」
少し白々しい素振りを見せるシグ。内心、掘り起こされた事に動揺しているのかもしれない。何せ、話し始めるまでかなり躊躇を見せていたのだ。
再度話すとなれば、もう一度それを取り払わなければならない事に、彼女の気が乗らないのは無理も無かった。
「ま、話したくないって言っても話して貰うぞ。俺の前世の名前を知ってたんだ、嫌でも聞かざるを得ないからな」
「分かっている。あそこで終わったままなのは私としてもスッキリしないからな。そうすれば……」
「そうすれば、何? まだ何か隠してんの?」
「い、いや、隠している訳じゃない。私自身の話だ。気にしないでくれ」
不審に思って話の続きを訊いてみるのだが、彼女は即座に顔を逸らしてそれ以上教えてくれない。何度訊いても頑なであるのだから、余程言いたくないのだろう。
これ以上は無為だと悟り、無理に聞き出す真似はしなかった。
「君達、仲良くするのも気を張り過ぎないのも良いけれど、お喋りに夢中になり過ぎないようにね」
「分かってますよ、そんくらい。けど、空模様がまた一段と不穏ですね」
「ああ、全くだ。雨とか降らないと良いのだけれど」
先程よりも更に厚く、暗く。
一応、まだ陽が顔を出している辺りは雲が届いていないものの、このまま行けば空全体が灰一色になってしまう事だろう。
雨が降るとなれば最悪だ。防寒具はともかく、雨具なんて物はこの世界では非常に限られる。外套はそれも考慮して撥水性がある程度は備わっているものの、長時間晒されれば体の末端から冷えて行く。
無理に移動を続ければ、手や足などと言った部位から血の巡りが悪くなるのだ。特に今はまだ春も始まったばかり。
気温は勿論のこと雨も冷たいのである。
夏場ならともかく、この時期は余程の事でもない限り雨が降った際に旅を強行する事は無かった。
「今の内に、ある程度手頃な所に目星は付けた方が良いかもね。若しくはスヴェン君かレメディア君の魔法で雨除けを造って貰うか」
「ですね。その時は頼むぞ、二人共」
手付かずな森の中と言うだけあって、彼ら二人からすればここは極めて環境が良い。緑に覆われた柔らかな地面はどこもかしこも剥き出しで、所狭しと木々が立つ。
ここで戦うとなれば、彼らの魔法は極めて有利に働いてくれる事だろう。
「スヴェンの魔法については、何処でも役に立つけどな」
「アスファルトとかで舗装されてなければ、俺は土を操り放題だから当然だろ。何も無い原っぱでも俺の魔法は役に立つぜ」
勿論、レメディアの魔法も何も無い場所であったとしても使えない事は無い。魔法で、魔力で、植物を無理矢理生み出す事は出来ない訳では無いのだ。
ただ、元からある方が物質や物体を一々生成する手間が無い分、負担も少ないし手早く出来る。
だから特にこれからの季節は、シグにとってすれば環境そのものが不利だった。
「けど、氷魔法って夏場涼しそうだな。気温のせいで戦い辛くても補って余りある利点だと思うぞ」
「私の魔法についてはもう仕方ない。相性の問題だと割り切るしかないからな。それより、レメディアは何を?」
ふと、何かに気付いたシグが視線を向ける先には、手頃な場所にある果実などを可食の有無を問わず手に取る彼女の姿があった。
「私? その辺の植物の種とかをね、集めてるんだ。その方が、私の魔法を使う上で便利だし」
「……ああ、そう言う事ね。確か、東帝国の将軍であるダウィドとか言う奴がその手段を使ってるんだっけ」
「そう。シグちゃんとリュウさんからその話を聞いて、同じ植物造成魔法だし真似する価値はあるって思ったんだ」
それと言うのも、植物造成魔法は、植物そのものを魔力で生成する事も可能だが、同時に成長などを促進させる事も可能なのである。
だからあらかじめ種を持って、必要な時に魔力を込めて撒けば、その分だけ素早く魔法を発動させられる。隙が少なくて済むという訳だ。
「……使いよう次第で奇襲にも使えるな。便利なもんだ」
「白魔法の場合、属性が無いからどんな場所でも変わらねえもんな。必要なのは本人の実力だけ。安定して戦える分、環境の恩恵は受けにくいって訳だ」
少し、レメディアの魔法属性を羨ましく思わずにはいられない。俺の魔法の場合、スヴェンが言う通り色々な恩恵が得られないのである。不利になる環境、状況が無いというのは良い事であるが、無いもの強請りだとは分かっていても属性による恩恵を羨ましく思う。
「どんな魔法であっても奥が深いのは変わらないよ。僕だってまだ、魔道の神髄には片足も浸かれている気がしないし」
最後に、話を纏める様にリュウが自嘲気味に笑った、その時だった。
――――――――。
打ち上げ花火のような物が一つ、空へと昇って行くのが目に付いた。偶々視界に入ったそれは、枝葉の隙間からでも視認出来て、鳥にしては不自然な軌道故に嫌でも目立っていた。
「ラウ君、アレが何か分かるかい?」
「花火っぽい気がしますけど……いやでも、この世界には存在しない筈ですよ」
先頭のリュウが立ち止まって空を見上げた事で誰もが足を止め、上空に目を凝らす。木々が邪魔で若干見にくいが、やがてそれは徐々に失速し。
出し抜けに、爆発四散した。
本物の花火の様な大きな音を立てたそれは、しかし花火と違って空に絵は描かず、赤っぽい煙を上空に残していたのだった。
「何だ、あれ……?」
「さあ?」
「ラウ君とスヴェン君も分からないんじゃあ、僕もお手上げだね。君達の世界で類似の物は無かった?」
どうやらリュウも初めて目にしたものらしく、全員がそろって首を傾げる。だが首を捻りながら繰り出された彼の質問に答えようとして、思い出したものがあった。
「類似? まぁでも、信号弾とか……狼煙みたいな感じですかね?」
「狼煙……って、まさか!」
途端、リュウが血相を変えた。仮面の上からでも分かる程に酷く慌てた様子でシャリクシュとイシュタパリヤに目を向けたのである。
「すぐに千里眼を! あの煙の昇った方角だ!」
「……分かった。イッシュ、視てやってくれ」
「うん」
見方によっては乱暴とも言える物言いに、やや不快そうな顔を見せたシャリクシュだったが、文句も言ってはいられないと判断したのだろう。煙の方角を指してイシュタパリヤに指示を出していた。
そして彼女が千里眼を行使した、結果。
「……居た。六人。全員小柄。既に近い、一気に接近して来る」
「見つかったのか、いつからこの距離に!? さっき、イッシュの千里眼には何も映ってなかったって言ってた筈だろ!?」
「さあね。理由が何かは知らないけれど、僕らを発見出来て、かつ悟られない手段を持ち合わせているんだろう。ただ、間違いなくさっきの爆発は本隊や後続に対する狼煙みたいなものだと思う」
接近してくる者の数は少数で、イシュタパリヤ曰く小柄らしいが、この場に居る誰もが油断などして居なかった。
誰にも気づかれずに接近し、こちらを発見してくるような相手ともなれば、一筋縄で行くとは思えなくて当然であろう。
「一先ず逃げよう。進行方向の伏兵配置の有無を確認したいから、前方にも今一度千里眼を頼めるかい?」
「……何度も使うなと言ったばかりだが、この状況じゃ仕方ないな。イッシュ、頼んだ」
「うん」
少しでも接敵を遅らせ、あわよくば逃げて撒こうと考えているらしいリュウは、少し駆け足で動き出す。それに俺達もまた追従するのだった。
しかし、森の中とは思えないほど急速に接近してくる敵に対し、こちらはそこまで速く逃れられない。
俺とリュウ以外は、そこまで高度な身体強化術を使いこなせない、或いは習得出来ていなかったのである。
だから、折角進行方向に伏兵が居ないと分かった所で、そこまで大した意味は無かった。既に、背後を振り返れば少し離れた場所で不自然に木の枝が揺れ、それが段々と近付いて来る。
不気味と形容しても差し支えない光景に、思わず顔の皺を深くしていた。
「思っていたよりも追い付くのが早い……相当な手練れか、身体能力が冗談染みていると見て良いだろうね」
「……どうします?」
「迎撃するしかない。例え足止めが狙いだとしても、これだけ足の速い敵を放置なんて出来ないさ」
もうじき、急接近してくる敵は姿を現すだろう。
誰もがもはや足を止めて振り返り、真剣な表情で敵の出現を今か今かと待ち受けた。
そして――。
「見つけたよ、ラウレウス?」
「お前ッ――――!」
目にも留まらぬ速さで、小柄な影が一つだけ真っ直ぐ俺に飛び込んで来る。瞬きほどの間に煌めいた鈍い輝きを目にして、本能的に槍を翳したのは正解だった。
ほんの僅かなところで短剣による刺突を往なし、俺は襲撃者の顔を認め、そして凝視した。
時間にすれば一秒にも満たないだろう。だけれど、凝視したと言っても過言では無かった。
何故ならそれが見知った顔で、だからこそ驚愕したから。
死んではいないから、殺してはいないから、また会わないとは限らないと分かっていたけれど、それでも再会するとは思っていなかった。
もっと言えば、会いたくない相手でもあった。
「久し振り。今度こそ、お前を終わらせてやる」
「タリア……!」
紺色の髪を持ち、憎悪に染まった眼が俺を捉えて離さない。以前にも増して体の継ぎ接ぎ人形のような縫い痕は増え、また力を増したようにも感じられる。
彼女との出会いは忘れもしない、レモウィケヌム村で、当時は彼女の母親も一緒だった。偶々知り合って、そして身勝手な事を言われて、俺は彼女達に失望した。
二度目はビュザンティオンで、彼女は奴隷身分に堕ちて母親も死んで、俺を憎悪していた。
そして三度目が、今。かつてないほどに燃え滾る瞋恚の炎は今にも俺を焼き尽くさんとしている様だった。
「この子達は、ラウ君の知り合いかな?」
「いいえ、俺の知り合いはコイツだけですッ!」
タリアを先頭に、続々と仕掛けてくる小柄な影は、同様に刃物を煌めかせている。その攻撃を、各々の武器や魔法で受け止め、そして鬩ぎ合うのだった。
「いい加減しつこいんだよ、お前……!」
「そっちこそ、いい加減しぶといんだよ。とっとと終わってしまえ」
「勝手な事を!」
身体強化術を行使した腕で槍を振るい、強引に彼女を弾き飛ばす。だがその行動を読んでいたらしいタリアは、地面を蹴って後退していた。
周囲に一瞬だけ目を向ければ、タリアの仲間であろう小柄な影は、皆いずれも十代前半の少年少女。おまけに肌が露出している箇所だけでも相当の縫い痕が見受けられる。
「見かけによらず、結構力強いね……ラウ君、この子達について何か知っている事は?」
「俺も良く知ってる訳じゃないですけど、こいつ――タリアは以前東帝国で会った時、プブリコラって貴族の指示を受けていました」
「ということは、やはり東帝国の差し金……!」
リュウはそう呟きながら二本の短剣を持った少年を蹴り飛ばし、その上で追撃を掛ける。タイミングから見て非常に隙の無い攻撃だった筈だが、先読みでもしていた彼の様に少年はリュウの攻撃を躱す。
その事実に、流石のリュウですら驚きの表情を露わにしていた。
「本当に、見かけによらないと言うか……どうなって居るんだ、この子達は?」
「あの縫い目からして、何か肉体改造でも受けてるんじゃないですかね。なあ、タリア?」
「……そんなの、聞くまでもないだろ? 見て分からないのか、お前は」
こちらの質問を呆れた様子で一笑に付す彼女は、次の瞬間自身の体に信じられない変化を生み出していた。
それと言うのも、何の前触れもなく彼女の姿が消えて行くのだ。勿論比喩では無い。透明人間みたく徐々に風景と同化し、見えなくなっていくのである。
そして同様の変化は、彼女以外の五人の襲撃者である少年少女にも起きていて、流石のシャリクシュも彼らを見て渋い表情を浮かべていた。
「……イッシュが千里眼で警戒しても見えない訳だ」
「スヴェン、レメディア、聞け。イシュタパリヤを守るぞ。奴に戦闘力が無いのは見え見えだしな」
「了解。しっかし目を凝らせば見えない程じゃねえけど、確かにこりゃ難しいな」
「了解。私も頑張るよ」
シグの指示にスヴェン、レメディアの両名が承知の意を表すのを背後で耳にする。出来れば彼らと合流したいところだが、正面に居るであろうタリアを警戒して下手動きは出来ない。
姿が見えない上に、相当な速さで接近できるだけの身体能力を持つ相手に、気は抜けなかった。
「テメエら、一体何をしたら姿を消せる様になるんだよ……?」
「好きでこんな体にはなっていない。お前さえ居なければ……!」
「俺が居なくとも、お前はどの道奴隷になってたのは変わりねえだろ。関係無い人に責任転嫁すんな」
一々そんな対象にされる側の身にもなって欲しい。いい加減うんざりしない方がおかしいと言うものだろう。
ありありとこちらの思考が透けて見える呟きだったようで、タリアの表情はより一層険しいものへと変わっていた。
「……ある意味、私はお前に感謝してる」
「感謝? そりゃどうも。一体どんな風の吹き回しで?」
「お前に対する憎しみが無ければ、私はとうに体を切り刻まれる恐怖と痛みで、自我を喪失していただろう。事実、他の五人は感情も抜け落ちて碌に残っていない」
ぼんやりとした影が動いた事を視認して、見切って、斬撃を躱し、往なし、受け止める。見え辛さと速さが相まって相当な戦いにくさであるが、リュウとの稽古に比べれば大した事は無い。
動いていると分かれば反応出来ない筈が無かったのである。
「感情が抜け落ちる……? 何をしたらそんな事になるってんだ?」
「お前には分かるまい。体を押さえつけられ、目の前で腕の皮膚が切り裂かれる光景を目にする事の恐怖が。体の中を触られて、作り変えられていくという恐怖が、痛みが……分かって堪るか!」
「人造……いや、改造人間って奴? 誰だ、そんな頭のおかしい事をしでかしたのは?」
前世世界ではお馴染みの用語である。とは言ってもまだまだフィクションの側面が強く、且つあまり良い印象を持たれるものではない。
倫理的な側面から、体を必要以上に弄る事に対する忌避感が非常に強いのである。だから今ここが地球では無いにしろ、前世の記憶を引き継いでいるこの身からすれば忌避感を持つのは当然だった。
「ひょっとしてお前、神饗の関係者とか言わねえよな?」
「いいや、ひょっともしない。私は関係者。ただし、構成員で無く被験者」
タリアの攻撃は鋭く、速く、捉え辛い。
姿が見えにくいのだから当然だが、故に致命や重傷に届かずとも浅い切傷が幾つか体に付けられてしまっていた。
もっとも、その程度で怯むほど修羅場の経験がない訳では無い。
「……道理でビュザンティオンで会った時から縫い痕が更に増えてる訳だ。現在進行形で実験体って、お前はそれで良いのかよ!?」
「構わない! 私はお前に復讐すると決めた! 私から母を、兄を……全てを奪ったお前に……だから、私もまたお前の全てを奪う!」
不意に、彼女の透明化が解けた。制限時間があるのだろう、他の五人も同様に解けていたが、他所の事などどうでも良かった。
ただ、至近距離で睨みつけて来るタリアの表情に、視線が釘付けとなっていたのである。
彼女は泣いていた。当たり前だが悲しみによるものではない。怒りや憎悪や、その他言葉にも出来ない負の感情が発露したようなもので。
「……何で抗う? 不愉快だッ!」
「抗って何が悪い!? お前も奴隷に落ちるのが嫌だったんなら、逃散なり何なりすれば良かっただろ!?」
「そんな知識も、能力も無いのに!? 勝手を言ってくれる!」
「この……出来ねえ理由ばっか探してんじゃねえよ!」
透明化が解け、姿が見えればこちらのものだった。
日が出ている時間帯なので、雲っているとは言え彼女の姿はハッキリ見えるし、だから反撃もやりやすい。
攻撃の隙を衝いてタリアの腹を槍の柄で打ち据え、叩き飛ばしていた。
それが中々良い具合に効いたらしい。腹を押さえたまま大きく後退し、俺を睨み据えていた。
だがその後瞬時に動き出す気配もなく、俺は生じた余裕でリュウの方を見遣れば、二人の少年少女を斬り捨てているところだった。
呆気なく血を流しながら崩れ落ちる姿を見て、タリアは憎々し気に表情を歪めていた。
「一度に二人も……けどまだ!」
「諦めが悪いね。でも生憎、僕は手加減が出来そうにも無い。ちょっと胸糞が悪くてさ。幼い命だとは思うけれど、奪わせて貰うよ」
「化け物ッ!」
「何とでも言えばいい」
地面に斃れ伏す、襲撃者の少年少女。元々人間らしい表情のなかった二人の顔からは生命すら抜け落ちて、完全な抜け殻と化していた。
二人共、一刀の下に斬り捨てられて即死したようで、苦痛を感じる暇など無かっただろう。今もじわりと血を流しているそれを見下ろして、リュウは言っていた。
「……無理な肉体改造を、こんな子供に施せばどうなるかなんて分かるだろうに。タリア君と言ったかな? 君も、それだけ体を弄られては長く生きられないと分かって居るんじゃあないか?」
「それがどうした? 私はもう、生き永らえる事に興味はない。ただコイツから何もかもを奪えれば、それで……」
「なるほど、強いね。君一人だけ自我が残っている理由も嘘では無さそうだ。けれどそれも、今この場で終わらせてあげる。その方が、楽だろう?」
「勝手に……勝手に決めるな!」
タリアとの会話の最中、また一人の少女がリュウの振るった紅刀によって斬られ、絶命した。年の頃は多分、俺よりも一つか二つは下だろうか。
それが状況は違えど前世のあの景色を思い出させて、何とも言えない気分にさせる。
「世の中って言うのはいつも勝手だ。個人個人の意思なんて関係無いよ。殺したくなくても殺さざるを得ないみたいに、僕らは誰しも選ばされる立場にあるんだから」
「選ばされる……? 私は自分の意志でラウレウスを憎み、この体で!」
「それもまた選ばされていると言えるんだよ。ある種の縁にね。少なくとも僕は、今まで生きて来てそう感じたよ」
四人目、五人目も、遂にリュウの手によって斬り捨てられる。残ったのは、タリア只一人。
途中まで襲撃者の少年少女と戦っていたシグらも、今はポカンとしてリュウを眺めて居る。自分達の交戦相手を横取りして難なく次々撃破して行った事に、横槍を入れられたと思うよりも驚いたのだろう。
「後は君だけだね。ラウ君、何やら因縁があるみたいだし、代わりにやるかい?」
「……何ですか、それ。まぁ良いですけど」
正直、気は乗らない。人殺しを好き好んでしたい訳では無いのだから当然だ。殺さずに済むならその方が良い。
けれどタリアとの間にある因縁は俺と彼女の問題であって、理由はどうあれ自分で決着させるべきだと思う。
だから、彼女に対する引導はこの手で渡してやろうと考えて、リュウからの申し出を辞退しなかった。
「ほら、来いよ。相手してやる」
「……望むところ、と言いたいが」
「あ?」
歪に、不自然に、彼女は笑った。唐突にくつくつと堪えるような笑い声に、一体どういう事かと彼女に注目していた時だった。
「――来る! 沢山来てる!」
タリアの背後、更にその遥か後方を指差して、イシュタパリヤがそう警告したのである。
彼女のその言葉が意味するところを理解するのに、それ程の時間は掛からなかった。
つまりは、追手が差し迫っていると言う事だ。それも、イシュタパリヤが「沢山」と言うのだから、少数では無い。
確実に十、二十で利く数では無い事は確かだった。
「早い……まさかここまで早いなんて!」
「リュウさん!」
「撤退だ! その子に構っている暇もない!」
誰もが、焦燥に駆られていた。
慌ただしく踵を返し、リュウを最後尾に先へ先へと進んでいく。だがタリアの哄笑は付かず離れず、常について回っていた。
「おい遅いぞ、急げ!」
「無茶を言うな、イッシュを置いて行けと言うのか!?」
「まあまあ、喧嘩すんな。俺の魔法で運んどいてやる」
思っていたよりも進みが遅い事に焦って俺が前方へ文句を飛ばせば、シャリクシュから反駁される。
すると、このままでは空気が悪くなるだけだと判断したらしいスヴェンが仲裁に入る事で事無きを得たが、果たしてこのまま逃げたとして敵を撒けるのか。
「この土人形、顔がのっぺりしてて怖い」
「……悪かったな。生憎俺に美的センスは無いんでね。お前を運んでやってるだけ感謝しろ」
スヴェンが生み出した土人形の逃走速度については納得のいくものに届いたが、今度はイシュタパリヤとスヴェンの間で何とも気の抜ける会話が為されていた。
俺のすぐ前を走っているシグもレメディアも、何処か呆れた雰囲気を纏っている始末で、自分もまた苦笑が漏れてしまうのだった。
「君達、気の緩め過ぎは禁物だって言った筈だよ?」
「分かってます。でも、それより今は状況の把握を優先しましょう」
「……それもそうだね。イシュタパリヤ君、具体的な敵の数は!?」
「分からない。沢山とだけ。でも全員、動きの速い手練れ。気を付けた方が良い」
こちらに向かって来ているのは、やはり只の兵士では無いらしい。だとすれば、やはり今回の襲撃は俺達の殺害もしくは確保が主要な目的の一つに据えられているのだろう。
「手練れ、ねえ。さっきみたいなのが来る感じかな?」
「さっきとは違う、普通の精鋭。危ない気がする。それにこのままだと追い付かれる」
「面倒な事になったなあ。これ以上速度を上げたら、皆すぐにバテちゃいそうだし……仕方ない」
そう呟いた彼は、唐突に立ち止まり、踵を返していた。思っても見ない彼の行動に、驚愕したのは当然の事だろう。
「リュウさん!?」
「ここは僕が受け持つ。君達はとにかく逃げろ! 場所は……そうだね、タルクイニ市で落ち合おう!」
「……分かりました! ヘマしないで下さいね!?」
「勿論! まあ、僕に任せておきな!」
朗々として、また自信に溢れた彼の言葉は、何と心強いだろう。不安がないとは言えないが、彼の実力は頂上が知れない程に高い。
彼の態度も相俟って、自然と俺達に安心感を齎してくれていた。
彼ならばと、そう思わせてくれるのだ。
「急ぐぞお前ら! 下手すれば俺達が捕まって、あの人だけが逃げ切るなんていう、阿呆らしい事態になる可能性だってあるんだからな!」
「……否定出来ないな」
先頭へと檄を飛ばせば、いつの間にやら並走していたシグが苦笑しながら同意している。
他の面子も似たような事は思ったのだろう、走る速さは確実に上昇していた。
◆◇◆




