第五話 When My Devil Raise②
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暗い、夜の森。月はまだ満月とまでは行かず、中途半端な明るさでは枝葉の隙間を通り抜けられたとしても、不十分極まりなかった。
しかしそれでも、闇を好む者が居ない訳では無い。
「……見つけたぞ、聖女クラウディア・セルトリオス」
「あの煙だ、悟られない様に囲えよ。目標は奴一人だし、まあそれくらいなら余裕だろ」
夜目の利く者であれば、位置を把握するのは容易かった。常人であれば目を凝らしてようやく、夜空に昇る煙を見る事が出来るだろうか。いや、下手をすれば目を凝らしても見えないかも知れない。
「流石は狼人族。目の良さは伊達じゃ無いな。ついでに鼻も利く」
「もっと褒めてくれて良いんだぜ? 何せ、お前には絶対無理な芸当だもんな?」
「……そうだな。御褒美は骨が良いか?」
「わーいやったー……じゃねえよ。犬扱いすんな。俺は狼だ」
「安心しろ、投げてやる。取って来い」
「だから犬じゃねえって言ってんだろ」
どこか間の抜けた遣り取りをしているのは、ペイラスとエクバソス。彼らの周囲に居る者達は少し呆れた視線を向けていたが、しかしそれもすぐに引き締まったものへと変わっていた。
「冗談はこのくらいにして、良いかエクバソス。上手く攪乱しろよ」
「任せろ。夜は俺達の世界だからな」
「そうだな。では精々期待するとしよう。健闘を祈る」
ペイラスのその言葉を最後に、その場に居た誰もが動き出す。
エクバソスら十余名が目指すのは、夜の闇に紛れた焚火の煙。あの場所に今回の標的が居るのは間違いないのである。
「アゲノルの死体はあったが、それ以外の姿は無かった。視殺もあの場に居ると思って、各員警戒しろ」
『はっ!』
出来る事なら、気に食わない白儿の少年もこの手で叩きのめしてやりたい気分だったが、今回は残念ながらそうもいかない。
異能である少女をまず最優先で確保する必要があったのだ。
「しかし、あの皇太子の横暴さにも困ったものですな。聖女があの連中の中に居ると知れたら、間違いなく手籠めにするでしょう」
「ああ、全くだ。聖女と言うだけあって見てくれが良いのは認めるが、それ以外の活用法を見出せない無能だからな。東帝国には渡せねえ」
「ふふ、とても協力関係にあるとは思えない言葉ですな。もしも聞かれたら亀裂が生じかねません」
「構わねえよ、どうせ聞かれねえし。馬鹿は馬鹿らしく俺達に利用されてば良いんだ」
己の部下の一人と極めて小さい声で私語を交わしつつ、エクバソスは森の中を駆け抜ける。その中に一人として足取りの覚束ない者はおらず、皆がこの暗い森の中に生える木々の隙間を見事に縫っていたのである。
そして。
「――行くぞ」
エクバソスが己自身に言い聞かせるようにそう呟きながら、焚火の場所へと飛び出した瞬間。
鼓膜を破りかねない程に大きな乾いた音が、夜空に響き渡った。
「ぐっ!?」
出し抜けに鼓膜を襲ったその音に思わず顔を顰めていたが、それも瞬き程度の時間だけ。すぐに自分のすぐ横を走っていた部下の一人が殺された事を察知し、脚を止めずに木々の影へ隠れた。
だが対応の追い付かない彼の部下は、その間にまた一人、乾いた音の後に地面へと斃れ伏していた。頭から血を流しているところを見るに、即死だろう。
「待ち伏せ……!」
「正解。奇襲されたのはお前らの方だって事さ」
「このクソガキが!」
軽薄な、嘲るような笑みを浮かべた靈儿の少年を睨み据え、エクバソスは悪態を吐く。腹立たしい事この上なかったのである。
「上手く行ったとか言いたいんだろうが……テメエら如き、俺の相手になるかよ!?」
「うおっ!?」
転装。瞬時にエクバソスの全身は毛を生やし、口がせり出て、歯も爪も尖って行く。そのまま一気に靈儿へと襲い掛かれば、彼は土の壁でそれを遮っていた。
それでも無視して攻撃を行えば、恐らく腕が土壁に減り込んで無用な隙を生んでいた事だろう。しかし彼は攻撃を途中で中断し、跳躍。
こちらを見上げて唖然とした顔を浮かべる少年の顔は印象的だったが、置き去りにして駆け出す。
「靈儿……お前に用はねえ!」
「逃がすかよ!」
「あらよっと!?」
背後から少年による土魔法が飛んで来るものの、素早く動くエクバソスを捉える能わず。
あっさりと少年の追撃を振り切り、焚火の前に居る少女の姿を認めて、獰猛に笑った。
「見つけたぞ――」
その言葉と共に手を伸ばし掛けた彼は、けれども正直に標的の少女を掴む事はせずにまた跳躍した。
直後に乾いた音がして思わず顔を顰めたが、彼は己の読みが的中した事に笑みを深くしていたのだった。
「……そこに居たか、視殺!」
「…………」
宣言する様に叫んでやれば、返事をしたように飛んで来る目視不可能な攻撃。
だが直線的にしか襲ってこないそれを見切るのは、化儿の身体能力からすればそれほど難しい事では無くて。
「厄介なお前には、黙って貰うぜ!? 大事な研究材料を、渡す訳にはいかねえんだよ!」
「厄介なのは貴様らだ」
長い、筒のような者を両手で持つ剛儿の少年は、エクバソスに比べて夜目が優れていないのだろう。素早い動きを前にして、完全に置いて行かれていた。
完璧に殺せる――そう確信した時、エクバソスは飛び込んだ。やはりその確信の通り、至近距離にまで入られた少年は対応も出来ずに目を見開いていて。
「血祭りにあげてやるッ!」
「そう言うのは実際にやってから言えってんだよ!」
振り下ろされた彼の鋭爪は、しかし対象を切り裂く前に剣が受け止めてしまっていた。
紅髪紅眼で、色白の少年。右手に剣を、左手に短槍を持ち、生意気にも真っ直ぐにエクバソスを睨み返していたのだった。
「この間ぶりだな、エクバソス!」
「よお、クソガキィ! どういう訳か知らねえが、テメエが持ってるその剣、返して貰うぞ!」
「嫌だと言ったら!?」
「愚問言ってんじゃねえよ!」
エクバソスから見れば、少年が握るその剣は友人の物。クリアソスと名乗っていた靈儿の彼は、メーラル王国にて死亡した。
つまりその彼の剣を持っていると言う事は、間違いなく彼の死に関わっていた訳で。
「奴の墓前に、その剣を捧げると俺は誓った!」
「テメエの誓いなんざ知った事か! 毎度毎度俺の事情なんか目もくれないで襲ってきた分際で!」
直後、またあの乾いた音が夜空に響き渡る。しかしエクバソスはその目で、銃口が彼自身に向けられているのに気付いた為、間一髪直撃を免れるのだった。
ただ、怪我を負わずに済んだかと言えばそう言う訳でも無かったらしい。
銃弾は左肩の肉を抉り、深くはなくとも確実に彼から血を流させていたのだった。
だと言うのに、エクバソスからは余裕の表情は失われない。普段であればここで多少怒りを覚えてもいい筈なのに、不自然なくらいに落ち着いていた。
「上手くやれよ、ペイラス……!」
「……なるほど、中々良い手を使うと思ったけれど、ちょっと僕を見くびり過ぎだよ。この結果だけ見れば君達は大失敗も良いところだろう。違う?」
「人外の化け物がそんな事を言っても、大して挑発にはならんぞ。腹立たしいのは事実だがな……どうして私がここに居ると見破れた?」
少し離れた場所で間断なく発生する、戦闘音。その中でも乾いた大きな音が一段と耳の鼓膜を揺らしていたが、そんなものに注意を向ける者はこの場に一人として居なかった。
立って居るのは仮面を着けた人物と、長身の男だけ。
他に四人ほど、長身の男と似た装いの者が地面に倒れていた。
「何故気付いたかって? それは簡単、あのイシュタパリヤ君の首輪からだよ。君達がノコノコ近付いて来たお陰で、首輪を介しての大まかな位置も把握出来たからね」
「……そんな離れ業で、私達を待ち伏せしたのか?」
「それだけじゃあない。君達の狙いであるイシュタパリヤ君の能力も存分に使わせて貰ったよ。お陰でより正確な位置が割れた。この辺に居るって分かれば、後は網張るだけで掛かるでしょ?」
一歩、二歩、とリュウが歩み寄って来る。それに対して、近付かれる事を嫌う様にペイラスは同じ歩幅で後退していた。
それと同時に集中して体内の魔力を巡らせ、発動。
一瞬で、リュウの足元の地面を削り取っていたのだが、その時にはリュウはそこに立って居なかった。
「危ないなあ。随分と過激な事をしてくれるじゃあないか」
「貴様相手に過激もクソもありはしまい。何としてでも私の任務を遂行させて貰う!」
「させる訳ないじゃあないか。ペイラス君とは何度か戦っていい加減飽きたし、そろそろ僕の前から退場してくれると嬉しいんだけれど」
すらりと、リュウは紅い剣を抜く。片刃のそれは光源の少ない夜の闇の中でも、僅かな光を反射して妖しく煌めいていた。
「……貴様に用はない! 主人様の為にも、邪魔をするな!」
「邪魔なのは君達だ! 勝手な都合で人の命を好きに弄ぼうなどと……そんな奴らに、僕が非難される謂れは無いんだよ!」
先程までの会話である程度の時間を稼いでいたのだろう。しかしこれ以上、リュウを相手に時間は引き延ばせないと判断したらしいペイラスは、一気に魔法を行使しようとして――。
その左腕を斬り飛ばされた。
「ぐ……あぁあっ!?」
「寸前で身を躱したんだ? やるね。けれどこれで、僕の目的は達成された。そうだろうペイラス君?」
止めどなく血が流れだす傷口を右手で押さえながら後退したペイラスに対し、リュウはこの上なく上機嫌だった。
それもその筈で、彼は地面に落ちたペイラスの腕――その手から、鍵を一本取り出したのである。
「これでしょ、イシュタパリヤ君の首輪の鍵。まあ、聞くまでもないんだけれど」
「……!」
「馬鹿だねえ。神饗と東帝国で、協力関係にありながら相互に出し抜こうとしているんでしょ? だから今回の襲撃は小規模で、神饗だけで仕掛けて来た。違う?」
「…………」
得意気に、リュウは語る。
段々と神饗と言う組織や東帝国との関係性について分かりつつあることが、彼をやや上機嫌にさせているらしい。
シャリクシュが見た神饗の情報と、元々持っていた情報を照らし合わせた上での推理でしかなかったが、リュウ自身相当の確信を持っていた。
それこそ、無言のまま段々と俯き始めたペイラスの様子を前にして、警戒しつつもそう思わずにはいられないのは当然だろう。
「先程までの威勢の良さはどうしたんだい? 片腕を斬り飛ばされた事がそんなに衝撃的だったかな?」
「…………」
「勿論、僕は君の命まで斬るよ。これまで散々他者の命を踏み躙って来たんだ、生きて帰れると思わない方が良い」
「…………」
ペイラスは確かに腕利きの魔導士である。空間魔法と言う厄介な魔法の使い手で、練度も経験も高い。赤子の手を捻る様に倒せる人物ではない。
しかし片腕を失い、しかも間合い的にはリュウにとって極めて有利ともなれば、勝利を確信して当たり前だった。
「何か遺す言葉は?」
「……遺言を聞いてくれるつもりか? 甘い奴だな、お前は」
「僕は君達の様に、命を蹂躙なんてしない。君達と同等にはなりたくないからね。下手な抵抗をする様なら四肢を斬り落とすくらいはするけれど、無意味に苦痛を与えたり、侮辱するような真似は絶対にしない。だから安心して最期の言葉を言ってくれていいよ」
膝をつき、出血もあって碌に動ける様子もないペイラスへ、リュウは再び距離を詰める。今度はペイラスも、後ずさりする様子は見られなかった。
ただ、荒い呼吸と震えた声で呟くのだ。
「……甘い、本当に甘いな、貴様は!」
「何と言ってくれても結構。重々承知の上だよ。君の最期の言葉は、それで良いのかい?」
「くく……馬鹿を言え! 殺す? 私を? 片腹痛いぞ! そんな機会などもう、とっくに消失した! 四の五の言わずにとっとと斬らない貴様が悪い!」
「ああ、そう。じゃあ、さようなら」
心底馬鹿にした様な、嘲笑。
それを見て、もはや語る言葉はないと判断したリュウは、振り上げた剣をペイラスの首筋へ落とそうとして――不意に動きを止めた。
「……?」
不穏な空気を、そこはかとなく感じ取ったのである。
そして今こうしている瞬間にも、只ならぬ事態が差し迫っていると、経験が警鐘を鳴らしていたのである。
目の前で片腕を失いながら哄笑する男の気が狂っただけだと斬り捨てたかったが、彼の今まで培ったものが嘘である事を認めない。
「感じるか……感じるか、リュウ? そうか、そうだよなぁ? 分からない訳ないよな?」
「何を、やろうって言うんだい、君達は……?」
「決まっている、そんなものは主人様の為に。この世の理を、全て我らが主の手中に収める為に!」
遂には、出血が増えるのも厭わずにペイラスは呵々大笑し、それが夜空に響き渡って行く。余りにも異常な光景に、そして背中を粟立たせる感覚に、リュウは彼を殺さずに後退していた。
同時に視線を走らせ、周囲を警戒し。
「今更怯えるか? 遅い。実に遅いぞ。貴様は自分で得意気に推理して置きながら気付かないのか? 馬鹿な奴が」
「何を……?」
「我々と東帝国は常に協力関係にありながら、互いに出し抜こうとしている。そう言ったのは、貴様だろ?」
その言葉で、リュウは驚愕した。
同時に、薄ら寒いものが全身の皮膚をより一層粟立たせる。
「……百年以上生きて居るとは聞いていたが、所詮はなりかけだな。我が主に比べたら遥かに隙が大きい。案外貴様は、私が思っていたよりも大した事が無いのかもしれんな」
「……言ってくれるね!」
「そんな事より良いのか、ここで油を売っていて? 我らは確かに聖女クラウディアの確保が任務だが……別にこれは別にこれは本当に必要という訳でも無いのだぞ?」
出血多量のせいか、呼吸は更に荒く苦しそうなものになっていたが、相変わらず余裕のある態度に変化はない。
寧ろリュウの方こそ、明らかに余裕を失っていた。
「精々足掻け。結果が出るのを楽しみにしているぞ?」
「このッ……!」
踵を返し、彼の仲間がいるであろう所へと戻って行くリュウを、ペイラスは嘲笑する。
それに苛立ちを覚えたのか、リュウは置き土産とでも言わんばかりに三発ほどの白弾を撃ち込んでいた。
だが、直撃する寸前になってペイラスは自身の魔法を行使したらしい。耳障りな嘲笑は一瞬で途切れ、その姿は何処にも見当たらなかった。
「迂闊……不覚! 僕はまた……いや、あんな事はもう絶対にさせないッ!」
普段、中々行わない全力の身体強化術。
地面に痕が残る程の力で跳躍した彼は、空中に生成した魔力の足場を飛び石のようにして、味方の居る場所へと急行していたのだった。
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