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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第六章 ユルガヌモノハ
135/239

第四話 ミステイル⑥

◆◇◆



 人相書きというものは、実を言うと余り似ていない場合が多い。だから貴族などが領内で指名手配をするにしても、筆記用紙自体が高価な事もあって余り配られないし、よって集められる情報も少ない。


 だから相当の出来事が無い限りは人相書きと言うものは配布する事も無いのだが、指名手配犯の特徴が明確に記されている場合、少数且つ粗末な人相書きでも十分な効果を発揮する。


 例えばそう、分かりやすく仮面を着けているとか。紅髪紅眼で短槍を持っている少年とか。


 それだけ特徴的なら、見つけるのもそれほど難しくは無かった。


「……閣下、奴らと思しき者達を確認致しました。ここより北に言ったところの街道です。距離も大した事はありません」


「ふん、本当に我らの網に引っ掛かるとはな。悔しいが神饗(デウス)どもの事を少しは褒めねばならんらしい」


 左様ですなと(おもね)る様に頷いた部下に一瞥をくれた後、男は伝令の言った方角へと顔を向けた。


「リュウ、だったか。あの仮面を着けた気に食わん奴だけはこの手で殺してやる。貴様らはそれ以外を捕えるか殺すか好きにしろ。それと、四半数をここに残して“奴隷”共の監視を怠るな」


「は」


 閣下と呼ばれた騎乗した男や、歩兵が居るのはとある村の敷地内。


 だが村人と思われる化儿(アニマリア)達は皆一様に力無く斃れ、或いは小間使いの様に使われていた。彼らの顔にあるのは、絶望。もう自分達には自由など戻ってこないという暗い気持ちを表す様に、顔は俯きがちになっていた。


 だが、彼らを奴隷のように酷使する武装した兵士達は、それが当然の顔をして嘲笑し、時には暴行している。それを咎める者は誰一人として居ない。


「行くぞ貴様ら。帝国の意地に掛けて、俺の面子に掛けて、大罪人共に悉く然るべき罰を与えようぞ!」


 フラウィオス・ニケフォラス・ダウィド。


 東ラウィニウム帝国最強の一角の将軍(ストラテゴス)である彼は、獰猛な笑みを浮かべて号令を下していたのだった。






◆◇◆





「変な話だが、ナガサキ・ケイジと言う名前を夢で聞いた。それって、お前の事か?」


 その名前が彼女から飛び出したと言う事に、スヴェンだけでなく俺もまた咄嗟に言葉が出なかった。


 何故ならその名を知っていると言う事はつまり。


「正解だけど……その名前は、“誰か”の記憶の中で聞いたわけ?」


「そうだ。最初は何の事だか分からなかったが、何度も色々な夢を見る内に、それが人の名前だと気付いた」


「なるほど。そりゃ結構重要な手掛かりだな」


 これはつまり、彼女が夢で見る記憶の持ち主が、前世で俺と何かしらの繋がりがあった事に間違いないという訳である。


 もしかしなくても、俺が知っていてもおかしくない。


 心臓がまた再び激しく拍動し、身も心も緊張して行くのが良く分かる。けれど今度こそ先程のような失態を避けるべく、努めて冷静にシグへ訊ねていた。


「で、記憶の持ち主である“誰か”の名前は分かる?」


「ああ、分かる。……知りたいか?」


「当たり前だ。俺の前世の名前が分かるって言うんなら、お前の前世が誰かも分かったっておかしくないだろ」


 スヴェンも「俺の前世の名前を聞いた事は!?」と興奮した様に彼女へ訊ねていたが、夢自体が時間経過と共に朧げな物になってしまったのか、曖昧な返事しかなかった。


 少し残念そうに落胆する彼を見て気まずさがあったのだろう。空気を入れ替える様にシグは咳払いをして、話を再開していたのだった。


「まあ、何はともあれ、この記憶の持ち主であろう人物の名は――」


「ごめん、待って」


「……え?」


 不意に短い言葉でシグの話を遮ったのは、リュウだった。余りにも空気の読めない、ある種失礼とも言える彼の行動に、呆然とした視線を向けた直後。


 彼は一瞬で魔力盾を展開し、凄まじい衝撃を受け止めていた。





『――――――――ッ!?』





 一体何が起こったというのだろう。


 リュウ以外の誰もが唐突に起こった出来事に目を白黒させ、そして尚も魔力盾を削る激しい音の正体を確かめる様に顔を見合わせていた。


「リュウさん!?」


「話は一旦ここでお終いだ! 来るよ!」


「来るって何が……?」


「正確な正体は分からないけれど、敵だね」


 間違いない、と彼は背を向け魔法を展開したまま強く言い切っていた。その言葉を耳にして誰もが目を剥く中、魔力盾の向こうから押し寄せる武装した兵士達の姿が露わになる。


 距離にして数百M(メトレ)。やや開けた場所に通っているこの街道目掛けて、森の木々の隙間から溢れ出す様に飛び出して来ていた。


「おいおい何だありゃあ……?」


「帝国兵だ! 間違いない、どうにかして私達を捕捉したのか……!?」


「だとすればこの前の神饗(デウス)の連中が手引きした可能性が高い。それにしても動きが速すぎる……!」


 声を上げるでもなく、ぞろぞろと群がって来る兵士達の姿は不気味そのものだったが、話はそれだけでは終わらない。


 彼らの姿が増すに伴って、飛んで来る魔法攻撃も数を増していたのである。


「不味いね、後退だ! 殿(しんがり)は僕が引き受ける、君達はあっちの森の中へ逃げて!」


 彼に指示されたのは、兵士達が姿を現したのとは反対側の森。人の気配はなく、それでも伏兵の油断は出来ないが、多数の襲撃を撒くにはそれ以外の手段は残されていなかった。


「殲滅や撃退は!?」


「無理。数が多過ぎる。僕単身ならともかく、君らを連れては危険も多過ぎるんだ。さ、早く!」


「……分かりました」


 仕方ないのは分かるが、こうハッキリ足手纏い宣言をされるのは心にムッとしたものが募らないでもない。


 だが一々抗議している暇も無いので、仕方なくリュウを残して一目散に森の中へ遁走(とんそう)するのだった。


「結構強くなれた自信、あったんだけどな」


「まあ、あの人が比較対象じゃ仕方ねえって。それに一世紀以上生きてるって言ってたし」


 先頭を走りながら愚痴を溢せば、スヴェンが苦笑する気配を見せながら窘めて来る。


 そのお陰で多少は気が楽になるけれど、不満が解消されたかと言えばそう言う訳では無かった。


 だがそんな時、不意に背後から聞こえる野太い男の声が一つ。


「リュウ! テメエから受けた屈辱、今ここで晴らすぞ!?」


「君は……ああ、ビュザンティオンで僕とちょっとだけ戦った人かな? 久し振りだね、今日は雷のお友達は居ないのかい?」


「友人……? は、笑わせんな! アイツが友人な訳ねえだろが! 下らねえ事を言ってねえでとっとと死にさらせぇ!」


 一際激しい音が聞こえ、その衝撃波が体にビリビリと響き渡って居た。


 例えるなら、至近距離で吹奏楽を聴いている時の感覚に近い。体の表面だけでなく、内臓にまで振動が伝わってくるような感覚である。


「あれは……!?」


「ダウィドだ! ビュザンティオンの大宮殿(メガ・パラティオン)でも遭遇しただろ!? 帝国最強の一人!」


 シグの言葉で掘り起こされるのは、いつぞや聖都でこの身柄が拘束された時の出来事だ。逃走時に皇太子マルコスと共に遭遇したが、やはり相当な強者であるらしい。


 帝国最強の一人と言われる事実を誇示する様に、植物で出来た巨人の拳がリュウへと叩き付けられていた。


「凄い……もしかして、私と同じ魔法?」


「植物造成魔法だ。勿論戦闘能力も高いが、彼の厄介さはそれ以外にもある」


 ちらちらと背後を振り返りながらレメディアが驚愕していたが、彼女に対してシグは更に話を続ける。


「植物を操れることを活かして、多少の傷なら自分で癒せてしまうし、植物の成長を促成して身体能力を補助する植物まで生み出してしまえるんだ」


「何だそりゃ、反則じゃねえか」


 もしもそれが事実だとするなら、興味本位で目にしたい気もするけれど今は状況が状況。


 リュウはダウィドやその他魔導士の相手で手一杯となり、そこを抜けた兵士達が尚も押し寄せてきているのだから。


「あいつら、どこまで追って来る気だ……?」


「さあな。けど、間違いなく俺達を捕まえる為に派遣されて来た連中だろうよ」


「しかし、私達を捕える為だけにここまでの兵士を動員するなど……下手をしなくてもアレマニア連邦と戦争になるぞ?」


 シグの疑問も(もっと)もだった。碌に住人が居ない、未開拓な土地や手付かずの雄大な自然が残っているとは言え、ここはアレマニア連邦を構成する領邦内である。


 二百を優に超え、しかも帝国最強の将まで動いているとなれば嫌でも目立つ。特に今の時刻は夕暮れからも程遠い。


 まるで自分達の姿を隠そうともしていないような、そんな気がした。


「……そう言えば、東帝国はあちこちで攻勢に出るみたいな話を耳にした事があるんだが」


「まさか、これがその攻勢なのか!?」


「冗談じゃねえ、何てタイミングだよ」


 スヴェンとシグの会話に、思わず顔を(しか)めずにはいられない。もしも彼らの推測の通りだとすれば、大規模侵攻ついでに俺達を捕えに来たと言う事になる。


 目的の一つに設定されているのだとしたら、ここから逃げ切るのは相当の緊張を要する事だろう。


 出来ないとは思わないが、逃げ切っても相当疲弊するのは間違い無いし、下手な失敗をすれば一瞬で危地に陥らないとも限らない。


 薄氷の上を歩くような逃避行など、経験してみたいと思う物好きは相当の少数派である。少なくとも自分は、絶対に御免蒙(ごめんこうむ)りたかった。


「居たぞ、回り込め!」


「絶対に逃がすな! 捕えれば値千金、貴族位も手に入る事が約束されているんだぞ!」


「……鬱陶(うっとう)しい!」


 背後から飛んで来るのは、矢玉。


 木の枝や幹に遮られて碌に届きはしないが、それでも隙間を抜けて飛んで来る。それを万が一にもあたってしまわない様にとシグが氷盾を生成し、受け止めていた。


 しかし、矢が止まる気配はなく、また追い掛けて来る影も見る見るうちに増えて行く。森と言う足場と視界の悪い環境下にあって、数の不利がじわじわと俺達を追い詰めていたのである。


 それでも街道を一直線に逃げるよりは遥かに良い結果だと言えるが、ジリ貧なのは間違いなかった。


 いずれ何かの拍子に足を止めてしまえば、幾重にも包囲されてしまうのは疑いようがないのだから。


「シグ、お前の魔法で何とか出来ねえ!?」


「無理だ。レメディアは?」


「……任せて、ここは私の戦場だし!」


 植物造成魔法を扱えるのは、ダウィドだけではない。ここに居るレメディアもまた同様なのである。


 走りながら幾本かの木の幹に彼女は手を触れ、駆け抜けていく。すると当然の様に兵士達はその進路を通って俺達を追跡してくる、のだが。


「うおっ!?」


「何だ、木が……!?」


 途端に意思を持ったかのように木がその枝葉を動かし、彼らの進路を妨害する。細い枝ならまだ良いが、太い枝に妨害された者は走っていた勢いそのままに体を叩き付けられ、悶絶していた。


 後続の兵も遠回りをして追うしかなく、彼らとの距離は開く。けれど、流石に追手の全員をレメディアの魔法で妨害できる訳では無く、すり抜けた者達が未だに追い縋って来る。


 それをまたレメディアが魔法で妨害するが、大体後方全体で追手が津波の様に押し寄せている状況だ。魔法で一部を妨害しようとも焼け石に水だし、彼女の魔力も限界値と言うものがある。


 全部をレメディアの魔法で撃退出来る筈も無かった。


「これ、森の中で隠れる場所見つけられんのか?」


「街道沿いに逃げたら騎兵に追われてたらって考えれば楽なモンだろ!」


「しかし、隠れ場所が見つからない、隠れても人海戦術で探されてはどうしようもないぞ。いつまでもレメディアに妨害魔法を使わせる訳にも行かない」


「い、一応まだ私に余裕はあるけど」


 そうは言うが、頼る訳にはいかない。各々も牽制の魔法を背後に向かって放っているが、やはり焼け石に水。木が邪魔でこちらの命中率も(すこぶ)る低下していた。


 生い茂った木々が、双方にとって利点にも欠点にもなっていたのである。


「参ったな……いっそ俺の魔力で全部吹っ飛ばすか」


「待て。そんな事をしたら俺らまで吹っ飛ぶんだが?」


 白魔法(アルバ・マギア)でこの辺一帯を更地に出来たらどれだけ楽な事か。常人よりも魔力量の多い白儿(エトルスキ)だから可能である芸当だが、スヴェンの言う通り全員吹き飛ばしてしまう。


 おまけに有りっ丈の魔力の一気に膨らませて爆発させれば、自分自身も魔力が枯渇して身体機能にも重大な支障が生じる事だろう。


 なのに全部吹っ飛ばしてしまったら、自分を介助してくれる人が居なくなってしまい、この場は凌げても後続の兵士によって捕まってしまう。


 それでは本末転倒だった。


「魔力の暴走についてはリュウさんからも絶対やるなって厳命されてるし……」


「そうじゃなくても俺らが止めろって言うけどな。仲間に吹き飛ばされるとか勘弁だぜ」


「分かってるっての」


 それ以外に何か適当な手段は無いか。


 木々の隙間を縫うように駆け抜けながら思考を巡らせていた――その時。





 怒号の飛び交う森の中で乾いた音が、一つ木霊した。





「……この音は!?」


「銃声!? ふざけんな、こんな時に!?」


「不味いな……レメディア、絶対に足を止めるな!」


「分かってる!」


 聞き違える筈がない。間違いない。


 その音は、この場に居る四人ともが聞き慣れた恐怖の音だった。


 たった引き金一つで、腕も刃物も使わず、圧倒的な遠距離から指一本で人の命を奪ってしまえる武器。


 特にこんな森の中では、位置を把握する事は極めて困難で、しかも追われていて周囲を探す余裕もない。


 このままではいずれ全員が狙撃されてしまう事は間違いなかった。


「ラウ、お前……!」


「すまん、俺のミスだ。やっぱ殺しとけば良かった」


 シグが恨めしそうな声を漏らし、俺自身もまた強い後悔の念が押し寄せる。剛儿(ドウェルグ)の少年の顔を思い浮かべ、だが悔いたところでその現実が変わる筈もなく。


 再び、銃声が轟いた。


 けれど森の中を駆ける四人の誰一人として欠けた者は無く、付近に着弾音もしなかった。


「外れた?」


「運が良いのか悪いのか、俺達が森の中を走ってるから、的が絞れねえのかもな」


「何にしろ安心するのはまだ早い……」


 三度(みたび)、銃声が響き渡る。


 この頃には追い縋る兵士達の中にも怪訝そうな顔をする者が増えており、その事が不思議で俺は何度も背後を振り返っていた――が。


 糸が切れた人形の様に(たお)れたのは、偶々目に付いた兵士の一人。


 鎧兜に穴を穿たれ、何が起こったかも分からない顔をして四肢を投げ出していたのだった。


 その上、更に四度、五度と銃声が連続し、また二人三人と兵士が出し抜けに斃れて行く。


「な、何が起きてる!?」


「あ、悪魔……悪魔の音だ!」


 先程までは何度妨害を受けても追い縋っていた追手たちだったが、明らかに動揺と怯えの見える表情を浮かべていた。


 けれどそれも無理はない。


 変な音がしたと思ったら、間を置かずに一人、また一人と死んでいくのだ。攻撃は見えず、何処から飛んで来るかも分からない。


 銃を知らなければ、まるで視認不可能な死神がこの場に降臨したと考えても無理はなかった。


 そしてその死神は、とても無情で。


「た、助け……!?」


「馬鹿な、死んだのか? ……ひぃぃぃぃいっ!?」


 人は、正体不明のものを非常に恐れる。いっそ過剰なまでに恐れるのだ。ただの強者よりも、そちらの方が恐ろしいと本能的に思ってしまう。


 何故なら、正体が分からないから。気味が悪いから。


 だからその恐怖に()され、指示が飛んだ訳でも無いのに追手の兵士は徐々にその数を減らしていた。怖気(おじけ)づいて、脚が竦んで、寧ろ後退し始める者まで出て来たのである。


「何をしている! 追え! 貴様ら、ここで命令違反を犯すつもりか!?」


「で、ですが……!」


「ですが、では無い! 良いから追わぬか! 斬り捨てるぞ――ッ!?」


「……た、隊長!?」


 この場を支配し始めた死神の鎌に、貴賎など存在しなかった。雑兵も、下士官も、誰もが皆平等に一つの穴を穿たれて絶命して行く。


 伝染し始めた恐怖によって、賞金などと言った褒賞に対する物欲は呆気なく上書きされ、塗り潰され、追手の部隊は徐々に規律を乱しつつあった。


 俺達はそんな彼らの背中を、姿勢を低くしながら見送る。


「……どうなってんだ?」


「さあ? もしかして、また違う奴だったりするのではないか?」


「その可能性も無くはねえけど……でもこの前シャリクシュと遭遇したばかりだし、アイツだと考えるのが一番自然なんだがな」


 だとしても、何故こちらを攻撃せずに東帝国兵だけを次々狙撃し、助けるような真似をして来るのか。


 兵士達の悲鳴がする中で、一定間隔を置いて森の中では銃声が轟き続けていたが、謎は深まるばかりだった。





◆◇◆





「……もう、充分」


 その少女の声が聞こえた時、少年は(ようや)く引き金から人差し指を放した。


 寝そべっていた地面には中身が空洞となった(ごみ)が幾つも転がっている。だがそれに注目を向ける筈もなく、少年は細長く深い息を吐き出していた。


「奴らは無事か?」


「問題ない、完全に無傷。リックが助けてあげたお陰」


「それはそれで何か癪に障るな。……まあ良い」


 まさか彼らを狙撃する訳にも行かないと、溜息交じりに銃身に手をやり、調子を確認する。


 そして幾らかの銃弾を補充するとそれを肩に担ぎ、立ち上がるのだった。


「行くぞ、イッシュ。連中の場所まで案内してくれ」


「本当に行くの?」


「安心しろ。奴等が俺を見た瞬間に殺しに掛かって来る可能性は低い。そうじゃ無きゃ、あの時あの場所で俺達は死んでいた」


「……そう、分かった」


 リックと呼ばれた少年が服に付いた土を払いながら立ち上がれば、少女も変化に乏しい表情で小さく一度頷いていた。


「それに、俺は奴に色々と聞きたい事がある。だからこうして探して、見つけて、わざわざ救ったんだ。今更何も言わずに立ち去ってやる訳ないだろ」


「探して見つけたのは、私……」


「分かってる、感謝してるから今は黙って案内してくれ」


 普段は碌に感情を表に出さない少女が、何処か不満そうに呟いた事に苦笑しながら、少年は彼女の先導を受けて歩き出していた。





◆◇◆





 荒らし尽くされ、血痕が点々と散らばる地面。


 だがそれに目をくれる者は誰一人としておらず、ある者は物資を運び、ある者は守衛に立ち、各々与えられた職務を全うしていた。


 その場所は、村一つを占拠して建設された陣地だった。


 中でも中心部にある大きな天幕には、豪奢な椅子に腰掛けた青年が尊大な態度で腰掛けている。


 青年の名は、マルコス・ユリオス・アナスタシオス・ポルフュロゲネトス。東ラウィニウム帝国の皇太子という位置に居る人物だ。


 そんな彼は、椅子の肘掛けに頬杖をつき、跪いて報告する兵士を見下ろしていた。


「……その報告、嘘偽りは無いか?」


「はい、間違いございませぬ」


「そうか。でかしたとダウィドには伝えよ。沙汰については追って出す、下がるが良い」


「畏まりました、失礼致します」


 非常に慇懃(いんぎん)な動作で退出して行く伝令の兵を見送った後、マルコスはその笑みを深くし、そして声に出して笑い出していた。


 そんな彼へ、くすんだ黄色の髪をした将が声を掛ける。


「ご機嫌ですな。ま、無理も御座いませぬが」


「そうだろう、そうだろう? 私を祝ってくれるか、カドモス?」


「ええ、臣下として当然の事かと」


「……白々しい事を言ってくれる。ビュザンティオンの一件を誰かが()(ざま)に報告したせいで、私は父である皇帝陛下に召還されたと言うのにな」


 恨みがましく向けられる、(あま)色の眼。だがカドモスと呼ばれた男性は特に怯んだ様子もなく、直立不動のままであった。


 それが気に食わないのか、マルコスは少しばかり顔に皺を刻みながら話を続けた。


「まあ、良い。どこの誰かは知らぬが、そんな“親切”のお陰でこうして私はこの場に居る事が出来るのだ。そう思うだろ?」


「勿論でございますとも。私としても、殿下の益々のご栄達を心から願っております故」


「……そうか。そうかそうか。貴様のような者にそこまで言われて悪い気分はしないな。早速だが私の栄達の為に働いて貰うぞ、カドモス?」


 カドモス・バルカ・アナスタシオス。東ラウィニウム帝国の将軍(ストラテゴス)の一人であり、軍才だけでなく政治の腕も卓越したものがある人物である。


 皇太子直々の皮肉にも全く動じる気配がなく、(むし)ろ同じ天幕に居る他の諸将が震えあがるという、何とも頓珍漢な状況を生み出していた。


「ではカドモスよ、貴様には私と共に来てもらう。そして、私に楯突く愚か者共を全て捕らえて引っ立てよ。良いな、失敗は許さんぞ?」


「……承知致しました。非才の身ではございますが、身命を賭して殿下より任じられし務めを必ずや(まっと)ういたします」


 堂々とした動作でマルコスの前に立ち、そして跪いたカドモスは、(よど)みない口調でそう言い切っていた。


 (こうべ)を垂れるその姿に彼は満足したのか、鷹揚に頷くと、今一度大きく笑い声を上げていたのだった。


「……これよりアレマニア連邦などと御大層(ごたいそう)な名前の看板を掲げた、蛮族共を討伐する! 支隊に至るまでの各地の全軍に伝えろ。侵攻を開始せよとな」


 |新暦(C・N)673年、三月(マイウス)の二十三日目。


 この日を境に、東ラウィニウム帝国とアレマニア連邦の間では、互いに宣戦布告をしないまま大規模な戦闘が開かれる――。





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