第四話 ミステイル③
◆◇◆
「……賑わっているねえ。元気なのは良い事だよ。二人は覗きに行かないの?」
「「逝きません」」
木々の生い茂る、更に向こうから聞こえてくる二人の少女の声。
きっとその先には一糸纏わぬ美少女がじゃれ合っている事だろう。滅多に相好を崩さないシグまでもが笑っている気配からして、相当幸せな世界が繰り広げられている事は請け合いだ。
だがそれを見る事は叶わない。勿論無理をすれば見る事も出来るだろうが、まず間違いなくその後に待ち受けるのは死。
氷漬けか、或いは植物による絞め殺しかは分からないが、出歯亀行為は漏れなく処刑されると見て良い。
「そう言うリュウさんは見に行かないんですか?」
「僕は良いよ。そこまで本気になれる程、青臭い感情は無くなっちゃったし」
「ま、見た目も女性みたいですしね」
「それの何が関係あるのかな?」
「いいえ別に」
仮面を被っていても分かる、良い笑顔のリュウ。だが明らかに目が笑っていない。何とも名状し難い威圧感に押される様に、視線を逸らしていた。
「そ、それよりも本題に戻りましょうよ! なあスヴェン!?」
「ん? ああ、そうだな。どうですかリュウさん、そいつについて何か分かりました?」
「……露骨に誤魔化したね。まあいいけれど」
一々追及するだけ時間の無駄と判断したのか、それ以上俺の失言に言及する事は無く、さらっと話題を変えていた。
この場に居るのは俺とリュウ、そしてスヴェンの三人だけ。そしてリュウの手には二種類の物が握られていた。
一つは何かの鍵。そしてもう一つがチーズのような色と柔らかさの食べ物と思われる物体で、ただし色が毒々しい。
どちらも俺が三日前にアゲノルを斃した際に手早く剥ぎ取った物だった。それ以外にも気になるものはあったし探りたかったが、シグの容態との兼ね合いで早々に切り上げたのでこれしか手に入らなかった。
「取り敢えずまずこっちなんだけど」
そう言ってリュウが見せるのは鍵。
これがあるのだから何かを開ける道具であるが、何の鍵かは皆目見当のつかない代物だった。何故なら色々な可能性があり過ぎるのだ。素人が推理をしたところで分かる訳が無かった。
「これについては僕も色々調べてみたけれど、魔力を持つ特殊な物で、尚且つ拘束具の鍵だと言う事以外は分からないね」
「拘束具……あ」
「何か心当たりでも?」
「はい。俺が戦った狙撃手と観測手の首に、首輪が掛けられてたんです。何かその首輪にも仕掛けがあるらしくて」
「うん、多分それだね。正確な効果は分からないけれど、その仕掛けとやらが魔術的に付与されているんだと思う」
下手に弄ると何が起こるか分からないから、それ以上は調べていないらしい。賢明な判断だともう一方でもう少し調べても問題無いのではないかとも思うが、調べて貰っている立場で流石に言えず。
大人しく返却された鍵を受け取るのだった。
「それでこっちの食べ物みたいな奴だけど」
続いてリュウが見せて来る物。これもまたアゲノルの死体から剥ぎ取った物で、柔らかさからしても食べる事はそんなに難しくないだろう。
味は分からないが、取り敢えず只の食べ物では無さそうだ。もしかすれば見た目通り毒かもしれない。
そんな事を思いながらリュウの説明を待っていると。
「これ、滅茶苦茶不味かったよ」
「……何で食べたんですか?」
「いやあ、見るだけじゃあ分からない事も多いからね。食べ物っぽいし、パクっと一口頂いちゃった」
「毒あるかもしれないのに!? アンタ馬鹿か!?」
「馬鹿とは心外な。君に頼まれて調べてあげたんだよ? その態度は無いんじゃあないかな?」
「別に食べてまで調べろとは言ってねえよ!?」
危険極まりない事である。流石に信じられない気持ちだったのはスヴェンも同じだったらしく、彼もまた呆れた様に溜息を吐いていた。
「……それで、食べた結果どうなりました?」
「特に毒でも無かったね。ただ、ちょっと変な効果があったらしい。すぐに効果が切れたから具体的にそれが何かは試せなかったけれど、多分ラウ君が言っていた敵の打たれ強さの正体じゃない?」
「じゃあ、これがアイツの絡繰りだった訳か」
大きさは掌にも届かない。ほんの少し、リュウが摘まみ食いした形跡があるが、それは本当に微量なもの。
恐らくアゲノルはこれを丸々一つ服用して戦ったのだろう。そしてシグを制し、そのまま薬を補給する間もなく俺と交戦した。
「ちょっとした依存性と反動がある。これは見方によっては毒物かも知れないし、他にどんな副作用があるかも分からないから、これについては僕の方で処分しておくね」
「だからどうして自分自身で食べたんですかね……」
ここは森の中。街道から少し外れた場所で、程近くに川が流れている。人手が碌に入っていないのか、皮も非常に綺麗で、自然が豊かな中でも一等豊かである。
だから妖魎を含め生物は豊富で、襲ってきた獣を返り討ちにして実験台にでもすれば良かったものを、何故わざわざ自分で試すのか。
実体験した方が確実とは言うが、だとしても多少は様子見するのが普通であろう。
リュウの白弾によって跡形も無く毒々しい色をした薬物は消滅していくのを、呆れ半分に見送っていると、彼がまた新たな話題を持ち出す。
「ところで、具体的に聞きそびれていたけれど、狙撃手たちに止めは刺さなかったんだね?」
「ええ。どうにも殺す気になれませんでしたね。武器については壊して置きましたけど」
「そんな事じゃあまた襲撃されるかも知れないと言いたい所だけれど、ラウ君がちゃんと彼らを制御できる“鍵”と思しき物をを持って来たからね。結果的とは言え、その辺は御咎めなしとさせて貰うよ」
その言葉で、手に持つ鍵に目を落とした。リュウの話と、自分自身が見聞きした事を合わせれば、シャリクシュらの命を握ったも同然であるのは確かにその通りである。
下手をすれば奪還に来るかも知れないが、彼らの首輪は鍵と連動して特殊なギミックがあるらしい。それをチラつかせれば襲撃に来る事はまずないと見て良いだろう。
銃を使うシャリクシュは恐らく俺達と“同郷”であるのだから、それをこの手で殺めたいなどとは微塵も思わなかった。
それに幾ら記憶が戻って居ないとは言え、いずれ戻らないとも限らない。彼の前世について興味が無い訳でも無いので、機会があれば聞いてみたかった。
「にしても、シャリクシュ……視殺だっけ? 俺も名前は聞いた事あるぜ。姿の見えない殺し屋だってな。銃なんて使えばそりゃあ見えねえわ」
「しかも恐ろしく正確だ。射線の通り難い森の中で狙われたから良かったものの、街中だったらどうなってたか……」
「怖い想像すんなよ。アイツの前世、一体何なんだろうな。ヤクザとか?」
スヴェンの推測また一理ある。だが今のところであった転生者は軒並み、あのショッピングモールで殺された者達である。全員を調べられた訳でも無いので確証はないが、それ以外の可能性は今のところ低い。
「ヤクザでも銃は早々自作出来ねえだろ。そもそも、日本で銃の構造を正確に把握して製作できる奴がどれくらい居ると思ってんだ」
「それもそうか……分かんねえな」
「君達で分からないんじゃあ、僕も尚更分からないね。まあ、縁があったらまた僕達の前に姿を現すでしょ。その時になったら聞けばいい」
リュウの言う通り、それ以上は議論しても詮の無い事だった。
結果、そこで必要な議題と議論は終わり、後は水浴びから女性陣が戻って来るのを待つだけとなるのだった。
「……ラウ、やっぱ覗き行かね?」
「嫌だよ。俺、今世こそは天寿を全うするって決めてんだ」
「何か途中で死にそうな奴の言葉だな」
「うるせえ。とっとと一人で行ってこい」
いい加減相手をするのも面倒臭かったので、グイとスヴェン背中を押し出してやるが、彼も冗談のつもりだったのだろう。
本気で覗きに行くことはせず、踵を返して言うのだ。
「じゃあリュウさん、二人が戻ってくるまで好みの女の子について語りません? どうです?」
「僕? 別に構わないけれど、ラウ君は?」
「あー、コイツは良いんですよ。どうせ内心では麗奈が云々で未練タラタラなんですから。好みの女も絶対そっちに引っ張られてますし」
「……麗奈? ああ、ラウ君が前世で好きだったらしい女の子だっけ」
スヴェンだけでなく、リュウもまた同様に面白がっている気配を肌で感じ、堪らず二人を睨み付ける。特にスヴェン。言い出しっぺの罪は重いのである。
「……黙れ。マジでぶちのめすぞ?」
「何だよ、恥ずかしがるなよー?」
「お前いい加減にしろ」
木々の向こうから明るい少女の声が二つ聞こえてくるが、それには目も耳もくれず。
こっ恥ずかしいこの気持ちを誤魔化す様に、スヴェンを追いかけ回していたのだった。
◆◇◆
貴人の私室。窓には当然のようにガラスが嵌め込まれ、外からの自然な光を室内へ透過させていた。
天然の照明に照らされた部屋は、その各所の装飾も非常に豪華なもので、広さも人一人が居るには十分過ぎるもの。
華美な調度品などがあちこちに置かれているものの、それでも尚スペースは有り余っていた。
だがその部屋の主は対照的に、心のゆとりが無いらしい。椅子に腰掛け、握り拳を机に叩き付けていた。
「……逃がした、だと?」
「はい。面目次第も御座いません」
「全くだ! 私はお前らに任せると言ったんだぞ!? 信用した故の事だ! なのに捕縛し損ねるとは一体どういう了見だ!?」
再び、拳が机に叩き付けられる。その振動に負けて机の上に乗っていた書類などが幾らか落下するものの、激怒する青年はそんなものに目もくれない。
ただ、目の前で恭しく跪いている人物に憤怒の視線を向けるだけだ。
「挙句、奴隷狩りも失敗? 化儿共に良いようにやられてくれたな……?」
「恐れながら殿下。その原因の殆どはリュウの存在故に御座います。我ら神饗も相応の精鋭を取り揃えては居りますが、如何せん手広くやっているので奴一人に回せる人数も限られてしまうのです」
慇懃ながらも全く慄いた様子もない報告者に、殿下と呼ばれた青年――マルコス・ユリオス・アナスタシオス・ポルフュロゲネトスは不愉快そうに眉を動かした。
「言い訳は見苦しいぞ、ルクス。失敗してから文句を言うなど、無能の象徴だ」
「それは幾ら何でも理不尽過ぎまする。私共は殿下の指示を受けた時点で厳しいと報告していた筈です。少なくとも人手が足りないと」
「だから奴隷狩りの部隊を編成してエクバソスらに付けただろう!? それでも足りないと申すか!?」
自分は東ラウィニウム帝国の皇太子である。その権力を背景にチラつかせながら凄んでみるが、しかしルクスは微動だにしない。
跪きながらも余裕すら感じさせる態度で居る姿勢に、マルコスの不機嫌度は鰻登りであった。
だが、それでもルクスの態度に変化はない。淡々と事実を並べ、反論してくるのである。
「彼らは奴隷狩りの任務を主として拝命していました。そしてそのために編成された部隊ではリュウを相手にするのも力不足ですし、何より我々に非協力的だったとペイラスから聞き及んでおります。これでは失敗するのは必定でしょう」
「私を愚弄するか? 指示された者は与えられた条件下でも解決するのが仕事の筈だが」
「限度があります。ですがもし、まだこの非才の身に機会を頂けるようでしたら、提案だけでもさせて頂ければ幸いです」
「……言ってみろ。どうせ今は暇だ。語るだけ、聞くだけなら寧ろ時間の有効活用になる」
「殿下の温情痛み入りまする」
では、と言ってルクスは下げていた頭を上げて提案を始める。
「近々、周辺各国へ攻勢に出るのでしょう?」
「ああ。奇襲で一気に叩く。帝国に服わぬ不遜な者達に天罰を下すからな。流石は神饗、その辺りの耳は早い。私の課した任務もそれくらい有能にこなして貰えれば嬉しいのだが」
「……話を進めます。それらの侵攻について、第一にゲルマニアへ行うべきなのです」
あっさりと嫌味を躱された事に、マルコスの不快度は更に上昇したが、それよりも気になる発言に注意を取られて口に出す事はしない。
ここで一々口論していては話が進まないから、自分の事は棚に上げて話の続きを促したのである。
「ゲルマニア……アレマニア連邦へ駒を進める?」
「ええ。他領への侵攻は一旦見送り、且つ緊張緩和もしくは牽制のみに舵を切るべきです。多方面で戦端を開くのは、勝つ内は良いですが一度勢いが止まると非常に危険で賭けの度合いが強い」
「アレマニア連邦に侵攻してどうするというのだ?」
化儿国家である彼の国は、峻厳な土地や手付かずな土地が多い。故に東帝国からすれば未開かつ野蛮な民族の代名詞として、種族的な差別の一助となっている。
だがその峻厳な土地と厳しい自然は、化儿にとってはこの上なく有利な土地であり、両国間で戦争になれば数的不利に置かれた筈のアレマニア連邦が暴れ回る。
その勇猛さは各国に知れ渡って居り、統一ラウィニウム帝国時代――つまり帝国が東西に分裂する以前から傭兵や奴隷の供給地として有名であった。
何はともあれ、東帝国はこれまでもアレマニア連邦と交戦し、碌な勝利も土地を得られた経験は無かった。
だからマルコスは、ルクスの提案に胡散臭いものを見る目を向けていたのだが。
「軍や将軍も投入し、数に任せてリュウらも分断、標的の確保を狙います。幾ら強者だとしても所詮体は一つしかないのですから、確実に手が回らなくなるでしょう」
「だがそのためだけに軍を大規模に動かすと言うのか? 確かに白儿やシグルティアを捕縛するにはこの上ない作戦だが、流石に過剰だと思うが?」
「いえ。折角侵攻するのです。ついでにアレマニア連邦も蹂躙してしまえばいい。帝国に仇為す者と国が一度に手に入るのは、非常に喜ばしいことかと」
「なら他方面はどうする? それ程に多くの兵を割いては、逆に侵攻されるぞ?」
「そのための牽制です。また、流言飛語を飛ばし周辺各国を互いに反目させれば足並みも揃わないでしょう。その辺りの情報操作は我ら神饗にお任せあれ」
彼らが最も得意とする分野の一つだとするのは、マルコスも知っていた。それ故に文句が出て来る事は無く、熟考するように暫く黙り込む。
そして。
「……分かった。父上――皇帝陛下に私が提案してみよう。詳しい話についてはまた後程、煮詰める。だがこれで貴様らの失態が帳消しになったと思うな」
「ええ、勿論です。ビュザンティオンでもバルカ派の台頭が目障りですからな」
カドモス・バルカ・アナスタシオス。東ラウィニウム帝国第二の都市ビュザンティオンの総督で、帝国最強の一角である将軍。
マルコスのお目付け役でもあり、腕が立つだけでなく頭も切れる曲者である。
事実、彼は去年ビュザンティオンで起こった白儿やシグルティアらの起こした騒動のどさくさに紛れて、腐敗した総主教座を糾弾。神饗にも捜査の手が及び、やむを得ずビュザンティオンから撤退をさせられていた。
基本的に彼は非戦派であり、今回の侵攻計画にも批判的。今はマルコスと共に首都のウィンドボナに召還されているが、貴族の大多数は彼を煙たがっている。
「あのような者をこれ以上図に乗らせる訳にはいかん。ルクス……そして神饗。精々私の為に尽くせ」
「有難き幸せ」
下がれと言われれば、ルクスにもこれ以上この部屋に留まる理由も無く、一礼して退出して行く。
そして最後に扉が閉め切られ、皇太子の姿が見えなくなったところで、微かな笑い声を漏らす。
だがその顔は仮面をつけている様にも見えるが、どちらにしろ不自然なものに覆われたのっぺりとした顔は表情も分からない。
彼は部屋の外で待機していたペイラスを連れ、廊下を歩いて行く。
東ラウィニウム帝国首都・ウィンドボナ。その宮廷は古都ビュザンティオンに負けず劣らず壮麗で大規模なものだった。
寧ろ建てられた年代が新しい分、こちらの方が綺麗さでは勝って居るかもしれない。
「首尾はどうでしたか?」
「上々だ。やや自己中心的で周りの心情を把握する能力は未熟だが、情勢を客観視出来るだけの脳味噌は持ち合わせているからな」
「流石に未来の皇帝は馬鹿では務まりませんからね。もっとも、皇帝になれるとは限りませんが」
「ペイラス、口を慎め。何処に耳があるのか分からんのだぞ」
「は、これは失礼を」
「冗談だ。私もこの場でマルコスを評論している以上、他人の事は言えんよ」
だがもしも聞かれて居たら自分も不敬罪で処罰されてもおかしくないと、ルクスはのっぺらぼうな顔で笑い声を上げていた。
傍から見ればそれは極めて気味の悪い光景であったが、ペイラスはとうに見慣れたからか特に表情に変化はない。
それよりもと、新たな話題を振っていた。
「アゲノルの死亡は確認しましたが、視殺と聖女クラウディアの消息が不明な事については、知らせたのですか?」
「まさか、そもそもあの皇太子には存在すら教えてなどいない。知れば確実に聖女を欲して邪魔だっただろう」
「やはりそうでしたか」
「当たり前だ。あの阿呆も、この国そのものも、利用されているとも知らずに呑気なものだよ」
彼ら以外誰も居ない、延々と続く廊下。
各所に装飾が施されたその廊下の中を、彼ら二人は嘲笑を噛み殺しながら進んでいたのだった。
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