クソッタレな貴様らへ ③
この人物は、一体何者だ?
リュウと名乗った旅人を前にして、天神教の司祭であるアッピウス・パピリウスは警戒の目を向けていた。
だが、現れた張本人はそれを特に気にした様子もなく、尚も話を続けていく。
「それで、さっきも言ったけれど訊ねたい事があるんだよ。今は込み入っているみたいだし、そんなに時間は取らせないからさ」
自己紹介を終えて再度頼みごとがある旨を口にするリュウに、村人たちは警戒心と好奇心がごちゃ混ぜになった目でそれを見、彼らの意思をパピリウスにも伝えていた。
元より彼自身も村人たちと同様であった為、それについて特に嫌な感情を持つ事無く、彼に話の先を促した。
「訊ねたい事、ですか。いいでしょう、何が知りたいのです?」
「三日前の夜、この辺で発生した白い光について」
「……はて、それは一体何の事でしょうかね?」
「いやいや、そんな嘘は通じないよ。僕はしっかりこの目で見たんだからさ」
例の発光……恐らくラウレウスの仕業と思われるものについて問うて来たリュウは、あっさりとパピリウスの嘘を指摘する。
流石に無理はあったかと思いつつ、彼はそれでも情報の秘匿を目指していた。
「何の事やら分かりませんな。お力になれず申し訳ありません」
「そんな事で謝らなくても大丈夫だよ。他の人にも訊いてみれば良いだけの話だしね」
「いえ、実際その様な事がないのですから、恐らく誰に聞いても無駄でしょう」
旅人に“白儿”についての情報を与える訳には行かない。何故なら彼らはフットワークが軽く、噂話がすぐにあちこちで広まってしまう恐れがあるのだ。
そうなれば巨万の富を生む“資源”を狙って他領や他国との泥沼の争奪戦にも発展しかねない。
それを防ぐためには最悪抹殺すれば良いだろうが、それにしたって相当に手間が掛かる。
知らせない方が余程効率的だろう。
そう思ってパピリウスは、村人にこの件について秘匿するよう厳命もしていた。
そしてリュウが村人に訊ねても誰一人として知っているとは言わず、「ここまで来たのに」とリュウは困った様に溜息を吐いていた。
「どうです、やはりお力になれませんでしょう?」
「うん、確かに。これじゃあしょうがないかなぁ」
敬語を崩さないパピリウスと、普通に聖職者と話すリュウ。本来なら聖職者の方が身分も上である筈なので逆であるのが普通だが、リュウは一向に丁寧な口調を使う事は無かった。
善き聖職者を演じる為に相手が貧者であれ丁寧な姿勢を崩さない事を目指すパピリウスは、リュウの態度に苛つきつつも表面上は穏やかなままであった。
一方、彼の視線の先に居るリュウは困った様に首を傾げていると思ったら、おもむろにパピリウスの横に居るレメディアに視線を向けた。
「じゃあ、最後にそこの女の子に聞いてみるか。君はあの光が何処で起こったのか、分かる?」
「ええ、知ってます。方角は南東で、あの森の中です」
「なっ――!」
――何て事をしてくれるのだ。
先程まで浮かべていた笑みは掻き消え、パピリウスは余裕を無くした表情でレメディアを見て居た。
無論、彼女たちにもラウレウスの件は部外者に口外無用と三日前に伝えていたし、家族があちこちから追われる身となるのを防ぐためにも黙っているだろうと踏んでいたのに、躊躇なくレメディアは白状したのだ。
「レメディアさん!? 貴女は一体何を考えているのです!?」
「何を? それは勿論ラウ君の安全ですよ。これで騒ぎが大きくなれば、逃げ延びられる隙があるかもしれないじゃないですか」
「こっ……この小娘が!」
気付けば、パピリウスはレメディアの頬を張っていた。もはや自制も加減も利かず、強い力で頬を叩かれた彼女は悲鳴と共に地面へと転倒する。
だが、その目にはパピリウスの鼻を明かした事に対する喜びの色が含まれていた。
その姿が、顔が気に入らない。美しい少女であるお前は、司祭である自分に唯諾々と従えば良いのだ。自分のモノとして一生放さず手元に置き、従順なる女として飼い続けられれば、農奴よりも遥かに良い生活もさせられる。
だというのに、折角聖職者の自分が目を掛けたというのに、何故この農奴の娘は抵抗するのだろうか。
この代償は大きい。考えていたよりも厳しくしつける必要がありそうだ。
怒りの余り歯噛みをしながら、歪んだ欲望を膨らませるパピリウスだったが、そこでリュウの呟きが耳に入った。
「なるほど、そこの森ね。いやぁ、ある程度の場所は絞れていたのだけれど、詳しい場所までは分からなかったから助かるよ」
「待ってください、本当に森の中へと行くつもりですか? 森の中には妖魎が居ますし、何よりそこに立ち入るのは領主の許可が必要ですよ」
「許可ねえ、面倒臭いなぁ。それじゃあ訊くけれど、領主さんは何処に?」
「今は王都にいらっしゃいますよ。少し外せない用事がありましてね、当分帰って来ないので諦めた方が良いかと」
レメディアに嘘を暴かれて尚、パピリウスは制止の中に嘘を織り交ぜてこの厄介な旅人を追い返そうとするのだが、しかし考える素振りを見せた彼はそれでも引き下がる事は無かった。
寧ろ妙案を思いついたという様に手を叩いてこう言ったのだ。
「そうだ、森の中に入って領主さんから事後承諾貰えば良いよね。お嬢さんも司祭さんも情報ありがとう、お陰で助かったよ」
「本気で言っているのですか!? 勝手に入れば死罪かもしれませんよ!?」
これから掟を破ろうというのに平然としているリュウに、パピリウスは目を剥いて念を押すのだが、彼の返答は変わらず首肯する。
「うん、本気だよ。そうじゃ無いと色々手遅れになりそうだしね。現に今、君が情報を誤魔化そうとしたようにさ」
「……分かっているのならどうして私の話を無視したのです? 私に領主の権限はありませんが、それでも森の中へ部外者が無断で入るのは防がねばならないのですよ。例えば、こんな風に」
然も何でもないかのような口調で右手を胸の高さに挙げたパピリウスは、掌の上に拳ほどの水の球を造り出していた。
それを見てサッと顔が青褪めたレメディアとクィントゥスだったが、二人が何かを言うよりも先にその水球が撃ち出されていた。
その速度はレメディアも目で追うことは出来ず、その凄まじい勢いの水球はリュウへと直撃の軌道を描き……そして、叩き落とされていた。
紅い煌めきが見えたと思えたら、リュウの足元で大きな水音と飛沫が舞って居たのだ。
『……は?』
誰も想像し得なかった、余りに呆気ない光景に、レメディアとクィントゥスだけでなく、パピリウスすらも唖然とそれを見て居た。
叩きつけられ、水溜まりを作った水球の成れ果てに目を向け、次いでそれをやってのけた旅装の人物――リュウを見ても尚、誰もが眼前で起きた出来事を信じられなかった。
しかし、その視線を一身に受けるリュウはそんな事など全く気にした様子もなく、詰まらなそうにパピリウスを見据える。
「いきなり何だ君は? 随分危ない事をしてくれるじゃあないか」
「……あ、貴方は一体何者なのです? 先程いきなり現れた事と言い、只者では無さそうかと思っていましたが、今の芸当は……!」
装飾の少ない、白地の仮面から覗く紅い眼。彼が右に持つ片刃の剣は紅く光を反射し、明らかに普通のそれとは一線を画して居る様だった。
それを前にして僅かに後退るパピリウスは、リュウの全身を見ながら微かに声が震えていた。
「僕が何者か? それについてはさっき名乗ったと思うのだけれど……それよりも、いきなり僕を攻撃した事の償いは、どうする気なのかな?」
「償い、ですか?」
「そうだよ、償い。さっきの攻撃も、僕が叩き落とさなかったら間違いなく後ろの村人さんに当たっていたかもしれないんだよ? 過失にしろ故意にしろ、責任は取るべきじゃあないかな」
例えば命とかで、とリュウはその剣の切っ先をパピリウスに向ける。
それを見て微かながら小さな悲鳴を上げた彼は更に二歩三歩と後退り、その場にレメディアを置き去りにしてしまう。
それに比例してリュウも前へと歩き出し、両者一定の距離が保たれたまま、気付けばレメディアの真正面にはリュウ立っていた。
だが、彼女を一瞥したリュウは特に何をする訳でもなくパピリウスに目を向けるとこう言った。
「司祭さん、さっきこの女の子を殴っていたけれど、そもそもどうしてこの娘と他に数人の子が捕らえられているのかな?」
「それは彼らが“白儿”――悪魔の協力者だからです! 私は天神教の教義に従ったまで、貴方が口を出す権利はありませんし、教会を敵に回す気ですか?」
紅い眼光にきつく見据えられて一瞬肩を跳ねさせたパピリウスだったが、しかし己の背後に教会権力がある事を思い出した事で強気に出ていた。
しかし、リュウはそれを聞いて詰まらなそうに鼻を鳴らし、嘲るようにこう言った。
「天神教、か。教義を盾にするのは良いけれど、“白儿”については元の教典に一切載ってないんじゃあ無かったかな? 全く、都合の良いように宗教を作り変えるなんて、弊害しか生まないよ?」
「何と!? 我らを、神を侮辱すると言うのですか!?」
「それは自業自得って言うんだよ。勝手に教義をいじくりまわしたりしているから、もはや訳の分からない何かに形を変えちゃっているじゃあないか」
馬鹿だよねと、呆れた様に肩を竦めるリュウ。それを前にしてパピリウスは堪忍袋の緒が切れたのか、頭を真っ赤にして自身の背後に控える従者へ指示を出した。
「もう許せませんっ! この異端者を殺してしまいなさい!」
「……出たよ、“異端者”。便利だねえ、その言葉を使えば相手の主張なんか簡単に潰せちゃうからさ」
パピリウスの指示を受けて左右から、短剣をそれぞれ二本逆手に持った従者が襲い掛かってきているというのに、リュウは呑気にそう呟くとレメディアを庇う様に体を前に出した。
それから、その直後には従者二人の攻撃がリュウの体に突き刺さる……事は無かった。
「「ッ!?」」
「指示があってから動いてるんじゃあ、遅いんだよ」
突如として掻き消えた姿に目を剥いた二人は、しかし頭上から聞こえて来た声に、ハッと顔を上げてそちらを見て居た。
パピリウスもつられてそちらに目を向ければ、そこには紅く光る片刃の刀身を煌めかせ、跳躍したリュウの姿があったのだった。
だが、その姿を視認してから何かをする暇があったかと言えば、そんな事は無く。
片刃である剣を利用して、リュウは自由落下の勢いでその峰を以て二人の従者の意識を刈り取っていたのだ。
「............」
肉を叩く、鈍い音が二つ。次いで誰かが倒れる音が二つ。
最後に、着地する足音が一つ。
その場に居た皆がポカンとしている中で、それを苦もなくやってのけたリュウは周囲を見回して、相変わらず落ち着いた声で言葉を発していた。
「次に僕と戦いたいっていう人、居る?」
「……っ、この役立たずが!」
地面に沈んだ二人の人物に罵詈雑言を繰り返すパピリウスの表情にはもはや余裕などなく、彼が纏っていた丁寧語と言うメッキもはがれてしまっているようだった。
怯えを余すところなく表情に映し出した彼は、へっぴり腰になりながらそれでもなお立っていたものの、よく見れば脚は震えている。
一方それをリュウの背後から見て居たレメディアは、その余りに急展開に何の言葉を発する事も出来ずに呆然としている事しか出来なかった。
「ここでの遣り取り、最初の方は見て居なかったけれど、それでも貴方は随分好き放題やっていたよね。剰え手錠を掛けられた女の子に手を上げるし……そこに転がされている小さな子供達も、酷い傷じゃあないか」
リュウが言いながらある方向に目を向ければ、そこに居た複数人の村人は視線から逃れるように下がり、後には家から引き摺りだされて力無く横たわっている子供達の姿があった。
その中には泣いている子も居れば、ピクリとも動かない子もいる。それを見ながら発せられるリュウの言葉には、どうやら余り良い感情が籠って無いようだった。
「正直、こういう理不尽な出来事は彼方此方であるから、無視しても良かったんだ。でも、これだけ酷いのを見せられて、しかもそれが“白儿”に関係する事だとしたら、僕はこれに介入せずには居られない」
「ひぃぃ……!」
明確な敵意と害意、そして軽蔑を含んだ紅い眼に見据えられたパピリウスはその体を硬直させ、その間にリュウは距離を詰めて行く。
「貴方の敵意ある口振りから察するに、恐らく光を放った人は今や追われる身なんでしょ? “白儿”だから、悪魔だから、神敵だから、そして有用で貴重な資源だから、ここに居る子供達の家族であった人が、その身を追われている」
「だっ、だから何だと言うのですっ!? 悪魔と、それに連なる者を処罰して何が悪いと……」
「装飾品が欲しいからと簡単に人を殺せるそっちの方が、余程悪魔らしいと思うよ」
剣の峰を己の肩に当ててパピリウスを見下ろすリュウの姿は、背後から見てもその恐怖心を掻き立てるには十分な迫力を備えていた。
それを真正面からただ一人だけで受け取った哀れな男は、情けない悲鳴を上げるとその場で腰を抜かしてしまう。
しかし体の向きはリュウに向けたまま、足と手で土を掻き、少しずつ後退って行く。その姿は何とも無様で、冷然とそれを見下すリュウは無言で更に距離を詰めて行くのだった。
「くっ、来るな……来るなと言っているのだッ!」
苦し紛れに撃ち出される、水の球。
それを何てこと無いように避け、捌き、撃ち落とすリュウに、パピリウスの顔はいよいよ青白くなって行った。
グラヌム子爵の本拠地、グラヌム村にある教会堂の主として、聖職者として君臨してきた彼の威厳は、もはや跡形も無かった。
数々の信者を高額の治療費を得る事で癒し、時には凶悪な妖魎をも屠ったとされるパピリウスの魔法は、そもそも当たる事すらない。
それどころか彼の水魔法は児戯のように軽くあしらわれ、今や目と鼻の先――正確には腰を抜かしている己の爪の先に、リュウの接近を許していた。
「けっ、敬虔なる信徒達、聖職者たる私を助けよ! さすれば必ずや神の御許に召されるであろう!」
血眼になって自分の活路を探し、そうして思いついたのは、都合の良い言葉で他者に頼る事。何故なら彼は聖職者で、神との仲を取り持つとされている存在だから。
本当にそれが出来るかはさて置き、この村においてパピリウスの信用は尚も高かったのだ。
これまでコツコツと丁寧な姿勢で支持を獲得していたこともあったのか、村人たちもそれに応じて農具を構えたり、もしくは人質を取ろうと倒れている子供の元に駆け寄ったりしていた。
だがそれを、リュウは嘲笑う。
「この期に及んで見苦しいなぁ。言っておくけど、その辺の子たちを人質にしても無駄だし、だからと言って束になって掛かって来ても、僕に勝つ事は出来ないよ」
「虚勢を張るのですか……?」
「いいや別に。実のところ、この子たちが全員殺されても僕が困る事は特に無いんだ。さっき会ったばかりだし、偶々ここで出会って事情も特殊だったから、気分が向いて助けようかなと思っただけで」
死んだら死んだで興味はないんだよと、リュウはレメディアをチラリと見遣りながらそう言っていた。
それを聞いたパピリウスは困惑の表情を見せながらも問いを口にする。
「だったら、何故私達に介入するのです?」
「それは最初に君が攻撃したからじゃあないか。攻撃して置きながら、何故反撃するのかって訊くのはかなりおかしいと思うのだけれど?」
「違うッ、その点については謝ろう! そうでは無くだったらどうしてその娘を背に庇う!? 攻撃されたからと言ってそれを庇う必要は無いでしょう!?」
もう既に、パピリウスの口調はバラバラなものとなっていたのだが、当人はそれを気にすることなく、ただ助かる為に口を動かし続けていた。
しかし、それに対するリュウの答えはあっさりとしたものだった。
「だから、気分が向いただけだよ。子供相手に暴力振って良い気になっている君を見て、元々良い感情は抱いて居なかったんだ。それでも気にせず質問してみれば今度はいきなり攻撃され、その上で“白儿”について言いたい放題に言ってくれた。それら諸々が積み重なって、僕は子供達を守りつつ君を無性に叩きのめしたくなった。ただそれだけ」
ただの嫌がらせ、謝られたところで赦すつもりも無いよと、リュウは最後にそう付け足していた。
だが、そのように言われて言葉に詰まったパピリウスは、それでも尚諦めてなどいなかった。
「ただ、気が向いたから……それで、私に――天神教に歯向かうと言うのですか?」
負け惜しみの、苦し紛れの、それでも一縷の望みを乗せて、彼はここに来て『教会』と言うものの権力をチラつかせたのだ。
しかしながら、さきほどもそうであったように、リュウは教会権力と言うものを一笑に付した上で、あっさりと切り捨てた。
「歯向かう? 当然じゃあないか。どうして僕がそんな独善的なモノに従わないといけないのさ?」
「……!?」
容赦なく、この地方における大多数派たる天神教をモノ呼ばわりしたリュウは、絶句しているパピリウスを無視して手に持った剣を納めていた。
それを目にして意図を推測しかねたパピリウスは、様々な感情が複雑に混ざった眼でリュウの方を窺っていたのだが、次の瞬間にそれは驚き一色に染め上げられていたのだった。
「……き、貴様! その光は、魔力はっ!?」
慌て過ぎてそれ以上の言葉が紡げないのか、口を開閉させながらパピリウスはリュウの背後を指差していた。
その驚きようはレメディアを始め誰もが初めて見る程であり、皆が何事かと彼の指差した先に目を向けてみれば。
『……?』
「皆、揃いも揃って驚いているみたいだけど、この魔法を見るのは初めてかな?」
そこには、己の背後――その斜め上に幾つもの白い発光球を浮かべた、リュウの姿がった。
あれは、あの淡く白い光を放っているあの物体は何なのか。だが、そもそも碌に魔力と言うものを感じる機会もなければ、魔法を見る機会もない村人たちは、意味も分からずただ困惑していた。
一方でこの場の極僅かな人間――魔法を扱えるパピリウスやレメディア、そして時折魔法を見る機会のあるクィントゥス、村長のトリクスなどは、それを前にして目を剥かざるを得なかった。
「おっ、おい、何だよこの魔力の濃さは!? レメディア、分かる?」
「わ、分かるって何が!? こんな魔力量、私だって初めてだよ!」
段々と細分化され、一つ一つが拳大の大きさに落ち着いて行く中、その光景を目にしながらクィントゥスとレメディアが叫び合う。
距離があったのと、取り囲んでいる村人たちが騒ぎ出したので、普通の声量では聞こえないが故だったが、どうやら要領を得ない質問に彼女は困惑して居るらしい。
「この魔力は、魔法は、一体何なんだよ!?」
「分からないってば! でも、あれはただの魔力の塊みたいなんだけど……!」
風に乗り、大気に広がる微小なそれらを肌で感じ取り、レメディアはハッとして白い発光体を指差した。
そして、それを聞いていち早く表情を変えた――つまり理解したのは、リュウを前にしたパピリウスその人であった。
彼女の言葉を聞いて狂乱状態から引き戻された彼は、しかし今度は混乱状態になっていた。
それと言うのも、純粋な魔力の塊を大気中に顕現させるのは本来あり得ないとされている。
例えばパピリウス自身の扱う水造成魔法は、魔力によって水を造り出し、もしくは元からある水に魔力を通して、統制する。
レメディアの植物造成魔法であれば、魔力で植物を造り出すなり、あるいは成長を促進させ、統制する。
つまり、魔力そのものは対象の物質に通す事で効果を発揮するようになっているのであって、魔力そのものには何かを操る・生み出す効果しかない。
だというのに、魔力そのものを体外に放出した上で魔力だけで形作られた物体が今、自分の目の前にある。
非常識な目の前の出来事に、意味が分からなかった。
あり得ない。どうしてそんな事が出来る。いや、それでも魔力だけの塊であるなら攻撃力は無いのではないか。そうだ、魔力を直接操る様な魔法などある訳が……。
「――っ!」
いいや、そう言えばそれが出来るとされる魔法は、確かに存在しているではないか。
次々と様々な考えがパピリウスの頭を過っては消えていく中で、導き出された一つの答えが彼の脳裏に固定され、思わず目を見開いていた。
そして同時に、ある事に気付く。
それは現在パピリウス自身の前に立っている、リュウの仮面。もっと言えばそこから覗く、紅い双眸。
今更になってリュウの全身を良く見てみれば、外套の袖から出ている彼の手も驚く程に白く、それはまた不健康ゆえの青白さとは違って見えたのだ。
髪の色はフードのせいで窺えないが、それでも紅い眼と白い肌を持った彼を前にして、パピリウスは己の喉が急速に渇いて行くのが分かった。
これは、まさか、そんな。
恐怖とはまた違った理由で更に呼吸が荒くなり、彼の心臓が早鐘を打つ。
絶体絶命な状況であるにもかかわらず、それでもパピリウスは己の推測を確かめた。いや、確かめたくて仕方なかった。
覗き込む様に金眼を巡らせ、それから僅かながらでも彼の頭髪を視認し、そして確信を得たパピリウスは緊張で喉が完全に干上がっていたものの、それでも無理して口を開けていた。
「貴様の魔力、もしや……」
「その口振りだと、僕が天神教に従わないと言った理由を、分かってくれたかな?」
乾燥のせいで張り付く喉と、それによって咳き込みたくなるのを堪え、苦労しながらそうして折角言葉を発したパピリウスを、無情にもリュウは遮った。
そして、相変わらず感情の籠っていない紅い双眸でパピリウスを見下ろしていた彼は、これで最後だと言う様に仮面の下から短く告げた。
「袋叩きは、楽しかったかい?」
「ま、待ってくれ――」
パピリウスの嘆願も空しく、その瞬間には五十に届こうかという発光体が、彼の元に殺到していたのだった――。
◆◇◆
魔法が使えない、という事は魔法を扱える人よりも数段劣る事なのだと、思っていた。
何故なら「世界の理」に干渉する力を持たない訳だし、例えば風魔法を使うミヌキウスと普通の人間では喧嘩の結果は目に見えている。
凡人が殴る前に、ミヌキウスが風魔法で遠距離攻撃をして終わってしまうから。
丁度、為す術もなく首を飛ばされた二人の盗賊のように、だ。
剣であれ、槍であれ、下手をすれば弓であれ、それら武器を持っていたとしても攻撃の届かない場所、つまりアウトレンジから攻撃できる手段を持った相手と、どう戦えと言うのか。
近寄れればいいが、彼ほどの手練れであっては恐らく殆どの者が寄る前にやられることは想像に難くないのだ。
それ程にまで、魔法を持つ者と持たざる者の間には理不尽で絶望的な差があると思っていた。
だから貴族も魔法を操れる者が殆ど居ない平民相手に大きい顔が出来ているのだと思っていた。
しかし、現実は違った。
何故なら、仮に魔法が使えないからと言って魔力が使えない訳では無かったから。
習熟度は、熟練度は、才能という隔絶を埋め尽くす事を可能としたから。
「――ガイウスでなければ、簡単に倒せるとでも思ったのか?」
「――残念だったな。魔法が使えない俺らでも、充分強いんだぜ? 伊達で上級狩猟者になった訳じゃ無いんでね」
力無く斃れる兵士が、二人。
それらを冷徹に見下ろしながらアウレリウスとユニウスは、余裕を滲ませる。
いつの間に敵を仕留めたのか、今も尚大きく見開かれた俺の目は遂にそれを捉える事が出来なかった。
前者は槍を、後者は剣を持ち、気付けばその得物を血に染める。
まさに目にも留まらぬ早業。
「だからってこの数相手じゃ魔法が使えたって、お前らに勝ち目がある訳ねえだろ……っ!?」
「それを決めるのはそっちじゃねえ。俺達だ」
小隊長らしい人物が声を上げるが、その間に一瞬で肉薄したユニウスが敵の喉を掻き切る。
神速と表現して差し支えないような出来事に、斬られた本人すらも驚きで目を見開き、絶命した。
それを目にした事で周囲では一気に動揺が広がり、一部崩れ掛かる陣形へ、今度はアウレリウスが追い打ちをかける。
「次、串刺しにされたいのは誰だ?」
ユニウスへと注目が集まる間に動いていたのだろう、別の一人の左胸を槍で刺して鋭利な笑みを浮かべていた。
それが止めとなって、交戦開始早々に隊列の一角が崩れて行き、ここから離脱が狙える――そう考えた直後。
「隊列より動くな! 下がれば斬る!!」
傭兵隊長らしき人物が素早く、鋭い声でそう告げた事により、乱れかけた隊列が瞬く間に修復されてしまう。
「……指示が早い。あの男、実際に戦場へ出た事があるな。明らかに場慣れしてやがる」
暴風を周囲に展開する事で両翼の敵を牽制するミヌキウスが、舌を打つ。その彼の様子は明らかに、面倒な状況になったとの考えを物語っていた。
「……ミヌキウスさん、背後を守る為とは言え、それだけの魔法を展開して大丈夫なんですか?」
砂や落ち葉を巻き上げる竜巻が二つ、左右の敵を牽制するように展開されており、相対している場所はただ正面のみ。
背後はプブリコラが退路を断つ目的で展開した炎の壁が燃え盛り、未だに退路を塞いでいた。
俺と言う御荷物を抱えた状態で、たった三人の身で四方からの敵を相手するよりは良いだろうが、これでは袋の鼠では無かろうか。
だが、そんな心配は他所にミヌキウスは不敵に笑っていた。
「別に竜巻は常時展開する訳じゃ無い。あくまでこの場を切り抜けるまでで、大した負担でもねえよ。それに、背後は豚が火の壁を造ってくれた。ホントに楽なもんだ」
それよりもと、彼は顎をしゃくって前衛の二人を示して言う。
「どうせお前、魔法が使えないアイツらが強い事にびっくりしたんだろ? 折角の機会だ、後学の為にも見取り稽古しとけ」
「後学って……この場切り抜けられなかったら意味無いでしょ。そもそも後になってここの三人の誰かが教えてくれるって言うんですか?」
「……さぁな。けど、身体強化術は出来るようになっといて損は無い筈だぜ。お前の場合、魔法が使える訳だし」
使えると便利だぞ、と彼が自慢そうに仲間二人を見た。その目には本当に心の底から尊敬するような、そんな色を感じ取って感心するような声が漏れてしまう。
ミヌキウスがそんな目をするほどなんて、一体何があるのか。気になって彼の顔をじっと覗き込んでみれば、少し照れ臭そうに笑いながら説明をしてくれた。
「アイツら、俺の幼馴染なんだけどよ、しがない一般市民だったから大抵の奴が魔法なんて使えないんだ」
だから、同様にただの市民の子たるミヌキウスの魔法が発現した時には、多くの人が怖がったりして離れていってしまった。
けれどあの二人は違った。他にも変わらない態度の人は居たけど、自分自身を高めて彼の隣にずっといてくれたそうだ。
最初こそはやはり魔法と言う隔絶した才能に追い付けなかったが、それでも血の滲む様な努力を繰り返して、意地になって三人で下級狩猟者として登録して。
二人は独学で、体内の魔力を巧く循環させて肉体を部分強化する強化術を身につけ、何が何でもしがみ付いてくれた。
魔法が使えなくても、人間誰しもが体内に魔力を持って居るから、それを強化したい箇所のみへ瞬時に、瞬間的に、流す。
「二人が居たお陰で俺は腐らずに済んで、こうして今もあちこちを回れてるんだ。面白い事ばかりじゃねえけど、三人だからこそここまでやって来て、これからもやっていくつもりだ。お前も生きていれば、この先絶対にそんな連中と出会える筈だ。腐るなよ」
そう言い切った彼は尚更照れ臭くなったのか、乱暴に俺の頭を撫でると前衛の二人へ視線を向けて頑なに放さない。
それにつられて目を向けてみれば、なるほど瞬間的な身体強化と言うものが良く分かる。
緩急と言うのだろう、突如として速度が上がったり下がったりする事は相手する側としては混乱するし、出方が読めなくなって有効な防御や攻撃が出来ない。
一般的な速さで地面を駆けていると思ったら何の前触れもなく加速し、気付いた時には至近距離へ肉薄されていたとあらば、やはり相当な脅威である。
特に斬り合いと言うものはコンマ一秒単位で勝負が決する。
中学時代に剣道をやっていたからこそ分かるが、仮に見えていたとしても反応が出来ないものなのだ。
そこへ更に緩慢な動作や急加速が加われば、尚更反応など出来やしない。
それが斬り合い、命の遣り取り。
ほんのちょっとの差が生死を別つのだから。
まるで敵兵を赤子のように、容易く屠り続ける二人が、合計で二十人も倒したくらいだろうか。
不意にミヌキウスが声を上げた。
「――お前ら、下がれ!」
その言葉にすぐさま反応したユニウスとアウレリウスは一瞬で後退し、ミヌキウスの背後を警戒する。
それと同時に左右を牽制し守っていた二つの竜巻が霧散し、一八〇度の全てが敵に晒された。
「……馬鹿が、血迷ったか?」
怪訝そうな顔を見せた傭兵隊長の呟きが意表を衝かれて鎮まりかえった一体に響いたが、ミヌキウスは確信に満ちた笑みを浮かべ、自身の正面だけを見据える。
「準備万端。……突破する!」
次の瞬間、彼の視線の先に居る兵士達に猛烈な爆風が襲い掛かっていた。
その勢いたるや凄まじく、彼らは踏ん張る暇もないまま為すすべなく木々諸共吹き飛ばされてしまう。
『~~~~っ!!?』
兵士だけでなく、暴風の範囲内にあった木ですらも根こそぎ吹き飛ばしてしまうという事態に、巻き込まれなかった者達も呆然として声も出ない。
そしてそんな人も木も無く、禿げた土地となった包囲の一角を見て、ミヌキウスは言うのだ。
「さ、道は拓けた。逃げるぜ!」
にっかりと笑う彼は、同時に仲間の体へ風を纏わせると俺を抱きかかえる。
「全部吹っ飛ばすとか……相変わらず規格外な技を使いやがる」
「それでこそガイウスだな。俺ら二人で魔力を溜める時間を稼いだ甲斐がある」
満足そうに笑う二人と共に、俺達は纏った風の補助を受けて一気に駆け出していた。
一方で吹き飛ばされた兵士達が慌てて起き上がって体勢を立て直し、元の場所へ戻ろうとしても最早遅い。
ミヌキウスの風魔法による補助を受けた者達と、何の補助も受けていないただの傭兵では、身体能力にどうしようもない明確な差が生じてしまうのだから。
「逃がすなっ!」
「追え!」
「矢を……!」
ここで逃がす訳には行かないと、慌てた様子で多くの兵士の声が聞こえていたが、当然有効な手立てを打つ事など出来る筈も無く。
「じゃ、失礼するぜ」
「きっ……貴様らっ! 精々平民の狩猟者風情がぁぁぁぁあっ!!」
背後から聞こえて来た憤怒の声に聞こえないふりをして、その場から逃亡していたのだった――。
◆◇◆
「……何か森が騒がしいな」
森の中に、たった一人だけで居る人影。
それは特に当てもなさそうに、徒然とした様子で森の中を歩いていた。
時折何かに反応し、頻りに一つの方向へと目を向けるが、しかし周囲は鬱蒼と茂る木々があるのみで何も見えない。
「そろそろ十分な成果も得られたし、ここから撤退でも……とか考えていたんだがなぁ。結構な大人数がいるみたいじゃねえか。ま、静かになった頃に様子を見に行ってみるか」
そう誰に向けたものでも無く呟いたその人物は、先程までの漫然とした足取りとは打って変わり、ある場所に向かってしっかりとした足取りで寄って行く。
その場所からは穏やかならぬ音――具体的には液体の滴る音と何かを咀嚼するような音が聞こえ、だというのに一切警戒した様子が無い。
木々の隙間から見える、音の源は巨大な獣のシルエットであり、力無く横たわる何かを見る限り捕食でもしているらしかった。
「ほら、ちょっと散歩するぞ。ついて来い」
言葉など通じる筈が無い――そう思える程に凶悪な姿をした「それ」に、外套を纏った人物は平然と声を掛ける。
すると、獣は予想に反して短く唸り声を返すと、先程まで貪り食っていたものを容易に放り出していた。
「今はまだ、特にお前の姿を他の人間に見られる訳にゃいかねえからな」
獣に対して目を眇める彼は、獰猛な笑みを浮かべていた――。




