第三話 around ザ world 少年 ⑦
◆◇◆
「――吹っ飛べ」
「あァ?」
普通、奇襲をするのに声は発さない。
それでも思わず、口を衝いて出ていたのは、怒りのせいか。
何にしろ、言葉を発した時には相手がいつ気付いてもおかしくない間合いだったのだ。聞こえたところで大した問題は無かった。
その証拠を示すみたく、間を置かずに豹顔の男へと無数の白弾が殺到する。
「がっ――――!?」
白弾の猛攻に、咄嗟に反応したらしい男は腕を交差させて一撃一撃を凌いでいたが、結果として足が止まる。
こちらからすれば良い的だった。
「受け取れぇッ!!」
その隙に短槍を長く持って振るい、穂先を撓らせる程の勢いをつけて、頭上から叩き付ける。勿論そこに手加減の類など無い。殺す気だった。
殺しを好む訳では無いが、相手は神饗。実力的にも、彼らがやって来た事を鑑みても、手加減してやる理由が無いのだから。
だから十分な殺意を乗せた槍の穂先が男の、アゲノルの脳天に直撃した時、必殺を確信した。
しかしそれでも攻撃の手は緩めない。化儿は頑丈なのだ。普通なら殺せる一撃でも、その堅い骨格が致命傷を拒む。
それが絶対にあり得ないと言えない訳では無いのだから、追撃をするのは当然の事であった。
再び白弾を幾つも生成し、アゲノルの下へ殺到させる。一発に威力が然程でなくとも、纏めて食らえばその威力は大技と変わりはしない。
男はあえなく吹き飛ばされ、木の向こうへと姿を消した。
普通ならここから更に追撃及び生死の確認、トドメまで行いたいところだが、状況はそこまで悠長な事を言って居られなかった。
「シグ……おい、生きてんのか!?」
「…………」
シャリクシュらを追い、戦って撃破している間に何があったのか。天色の髪も、四肢も無造作に投げ出して仰向けに倒れている少女の姿があったのだから。
両掌には痛々しい穴がぽっかりと開き、そこから血が流れ、全身見える箇所だけでも多くの打撲の跡がみられる。
吐血した痕跡が見える口元も相俟って、明らかに衰弱しているその姿は、どうしようもなく焦燥感を掻き立てていた。
特に彼女に思い入れがある訳でも何でも無いが、共に旅をして来た仲ではある。余り信用も信頼もして居なかった筈の彼女に、いつの間にか仲間としての情を掛けてしまっている自分が居たのだ。
そしてそこに、自分と親しくなってしまったばかりに死んでしまった、サルティヌスの顔が重なる。彼は前世の記憶を持つ“同郷”の者だったけれど、自分と関わったばかりに殺された。
それが、今のシグルティアと重なる。
多少なりとも気の許せる人が無くなる事の喪失感を、孤独感を、もう二度と味わいたくなかった。
「息は、あるみたいだな」
「…………」
だが返事は無い。顔色も良いとは言えず、ぐったりとしたまま一分も動き出す気配は見られなかった。
この場で応急処置を施してやりたいところだが、生憎自分の魔法ではそれが難しい。一応手当てがして見るが、手持ちの癒傷薬でもこの傷相手にどこまで効果があるのかも分からないのだ。
可及的速やかにレメディアかリュウの許まで運んで、診せる必要があった。
「待ってろ、すぐに……」
「――すぐに殺してやるよ」
「!?」
直後。
背面に展開した魔力の盾が、途轍もなく重い一撃を受け止めた。
辛うじて破られはしなかったものの、咄嗟の判断で展開した盾であった事もあり、それを受け止めただけで瓦解した。
しかし負けじと瞬時に白弾による反撃を見舞い、その襲撃者を後退させる。
「お前……!」
「あー……まさかテメエが来るとはなぁ? って事はアレか? 視殺は敗けたってのか? それとも逃げたか?」
「……今もあっちで寝っ転がってるだろうよ。それともあの首輪で殺すか?」
「いいや、その顔を見れば分かる。戦って来たんだろ? なら無理に殺す理由にはならねえ。流石に俺が怒られちまうからな」
あれには色々と利用価値がある、とアゲノルは肩を竦め、そして残念そうに溜息を吐いていた。
そこには先程散々攻撃を受けた筈だと言うのに、何の痛痒を感じている気配も見られない。勢いをつけた槍の穂先が直撃した筈の頭部すら、血の一滴も流れて居なかったのである。
「どういう原理だ、それは?」
「具体的に知りてえか? 教えねえけどな。ウチには中々優秀な薬師が居るんだよ」
その口振りから察するに、何かを摂取しているのだろう。それが一体何であるのかは全く見当もつかないが、このせいでシグも戦闘不能になったと見て良かった。
だとしなければ、序盤の別れ際に見た戦闘では彼女が有利であった理由に説明が付かないのだから。
頑丈さによるものなのか、再生能力によるものなのかは分からないが、厄介な何かの手札を持っている事は間違いなかった。
「教えて貰おうが何だろうがどっちでも良い。手札を見せないのは当たり前だし、とっととお前を倒してコイツを運ばなくちゃいけないんでね」
「とっとと倒されるのはテメエだクソガキ。この場には俺しか居ねえんだ、生け捕り命令無視して殺したって文句言う奴も居ねえんだぜ?」
「訳分かんねえ薬に手を出さなきゃ、小娘一人も足蹴に出来ねえ奴に言われたくはねえよ。どうせ、元々お前は大した実力も無いんだろ?」
「抜かせ、道具に頼る事の何が悪い? テメエだって今その手に武器を持ってるじゃねえか。馬鹿だな」
一応両者の間合いは開いているが、魔法であれば届く距離であり、そして化儿なら一足跳びもの距離である。
無いよりは良いが、あってもそこまで変わらないものだった。
「俺の為にも、主人様の為にも、テメエには必ず礎になって貰う。栄誉な事だぞ? 誇れよ、なあ?」
「別にこっちは頼んでも居ねえよ。何がしたいのか知らねえけど……俺まで巻き込むな」
いい迷惑だと露骨に表情でも示し、うんざりした態度を取る。やるなら勝手にやっていて欲しい。関係ない人を巻き込まずに、好きなように野望を語って居れば良いのだ。
「大体、化儿なら訳も無く差別される境遇の俺に同情する様な事はあっても、一緒になって迫害するってのはどういう事だ? 神饗の構成員なら、俺が白儿だって事は良く知ってるんだろ?」
「勿論そうだとも。良く知ってるぜ。だがテメエに同情した所で、庸儿の連中に復讐は出来ねえんだよぉ!?」
「ッ――!!」
憎悪と憤怒の混じった目。それが牙と爪を伴って、驀進する。
白弾と短槍とでそれを迎撃するが、やはり相当な硬さを持つのかアゲノルの足は止まらない。やむを得ず、槍一本で彼を迎撃するのだった。
「お前のその腹の刻印……奴隷だったのか?」
「ああ、そうだとも。そして奴隷主を殺して神饗に入った! 主人様もルクス様も、この俺に庸儿どもへの復讐の機会を与えて下さったんだ! そんな有難いお方に、従わねえ訳ねえやなぁ!?」
「……復讐については否定しねえけど、それに俺を巻き込むなってんだ! その主人やルクスってのも庸儿に対する復讐を望んでんのか!?」
「そんなものはあの御方達からすれば通過点だ! この世を統べるのが目的なのだからな!」
ギリギリと、爪を受け止めた槍の柄が軋む。アゲノルが大柄だとは言え、基本的に素手を使う事もあって間合いが近く、槍が上手く振るえないのだ。
そのもどかしさに苛立ちを覚えていた中で返って来たアゲノルの答えに、そして余りの陳腐さに、思わず笑いが零れた。
「何を笑ってやがる!?」
「いや……世界征服でもするつもりかなと思っただけだ。あっちの世界だとありきたりな話だからな」
世界征服云々。
それは戦隊ものだったりで、何度も使い古されて来た設定である。使い古され過ぎて、そして単純すぎて、子供向けに使われる設定と言う認識がどうしても強いのだ。
勿論、全部が全部子供向けという訳では無いのは知っているが、突拍子も無い野望に失笑を禁じ得なかった。
だがこの世界では決して使い古されたものでは無くて、だから本人は大真面目で。
「馬鹿にするんじゃねよ!?」
「……おっと、悪い悪い」
尚も漏れ出るのは、呆れ笑いか。
ある種幼稚にも見える世界征服などと言った野望で自分達は殺されたのかという、呆れ。いの一番に怒りの感情が湧いて来るものかと思ったが、案外そうでは無い事に自分でも意外さを覚えていた。
だがそれでも当然、遅れながらも怒りの感情は湧いて来る訳で。
「そんな下らない理由で、良くもまあ俺を殺してくれたな?」
「はぁ……?」
怪訝そうに目を眇めたアゲノルだが、それに答えてやる事も無く、無言で短槍を手放し抜剣。
肩透かしを食らって蹈鞴を踏んでいる彼の首筋目掛けて、斜め上に切り上げていた。
「チィッ!?」
「お、手応えあり?」
流石に化儿と言うべきか持ち前の反射神経で薄皮一枚を斬るに止められてしまったが、この一撃で彼は僅かに血を流していた。
魔法や、槍の一撃ですら血が流れて居なかったにもかかわらず、である。
「その剣……見た事があると思っていたが、もしやクリアソスのか?」
「クリアソス……ああ、あの時の。確かにあの人から貰ったもんだ」
思い出すのは、メーラル王国での一幕。撃破した彼から、息絶える前に上等な剣を譲られたのだ。直前に彼のせいでミヌキウスから貰った剣を折られていた事もあり、喜んで受け取った。
かなり上等であるのは見ただけでも分かる代物で、あれ以来手入れだけして碌に使って来なかったが、こうして切れ味を目の当たりにすると凄さが分かると言うもの。
リュウ曰く、特殊且つ希少な金属――堅玄鋼を混ぜ合わせた合金で出来た剣だと言う。その鋭さと硬さはもはや語るに及ばず。
「クリアソスから貰った……? 奪ったの間違じゃねえのか!? アイツは、アイツはどうした!?」
「死んだよ。あの時あの場所で。そう言えばお前、あの時途中まで居たよな?」
段々と思い出して来た。この男もエピダウロスと呼ばれた小柄な者と共にあの場に居て、戦っていたのだ。
妖魎と人を継ぎ接ぎにした、惨たらしい怪物をクリアソスの命で解き放つと彼らは退避して行ったから、その後の行方は知らなかったが、ここで再会していたのである。
「そうか……テメエがクリアソスを!」
「直接やったのは俺じゃねえけどな」
クリアソス――アスビョルン・イェルドスソンは、彼自身の友の手によって葬られた。あの時点で死ぬ気だったのだろう。
その決心をする直接の引き金となったのは、彼の両手首を深く斬りつけた俺自身なので、原因とも言えなくはない。
見ようによっては仇と言えなくも無かっただろう、が。
「クリアソスを殺した責任、取りやがれ!」
「お前らに仇云々言われる筋合いはねえよ。あんな無んな糞悪いモン造りやがって……他人の命を踏み躙ったお前らが、ご立派な事ほざいてんじゃねえ!」
「うっせえんだよ、白儿風情がぁぁぁぁあッ!」
向かって来るアゲノルを振り払う様に右手で剣を薙げば、それをするりと躱して来る。エクバソス程ではないにしてもキレのある動きは、流石に化儿と言ったところだろう。
少しヒヤリとしたが、すぐに腰に下げていた短剣を逆手に引き抜いて迎撃。
迫って来る鋭爪を往なし、その上で右の剣を振るう。
更に、魔法の行使も忘れず、ダメージが入らなくともその行動を制限して行くのだ。
「俺は……テメエみたいな奴が一番嫌いだ! 然も自由に生き抜いて来ました見たいな顔をして、しかも周りには人が居て助けられて来たんだろ、ええ!?」
「だったら何だ!? こうしなくちゃ俺は生き残れなかっただけだ!」
「それが気に食わねえってんだよ! 何でお前だけ……ずっと自由な身で居られる!? 俺はいきなり奴隷に落とされて、今でもこんなにも庸儿が、世界が憎くて仕方ねえってのに……どうしてテメエは濁ってねえんだよぉ!?」
嫉妬も甚だしい、とは思っても言えなかった。
確かに自分は、運が良かった。何度も危機に見舞われども助けられ、こうして生きて居るのだから。旅の仲間を見て、失いたくないとすら思う様になってきているのだから。
勿論、神饗に対する憎しみはある。前世で親友共々殺された恨みは簡単に晴れるものでは無いから。
でも、それがこれから生きて行く上で第一の事では無くなっていた。
一方でアゲノルはその瞳に憎悪と瞋恚がこびりついて離れない。ここまで幾ら言葉を交わそうとも、彼の感情がぶれる気配は一向に見られなかった。
「狡いよなぁ……本当に狡いぜ。ふざけやがって!」
「俺だって、運次第でお前みたいにならないとは限らなかったけどな。自分と違う考えを持つ奴と一緒に旅をしたのが良かったのかもしれねえ」
「自慢かぁ!? 俺はこんなにも周りに恵まれていますってェ!? こりゃあ虫唾が走るなんてモンじゃねえや……!」
既にアゲノルは、左右に逃げる道を完全に魔法攻撃で塞がれている。残されたのは俺を突破するか、或いは下がるか。
だが魔法が使える俺に対して手数が全く追い付かない彼は突破する手立てを見出せない様子で、切創をつくりながら徐々に後退していた。
それに、攻撃を受けて苦悶の声を漏らす数や、明らかに怪我の数も増えてきている。彼の中で何かが、変化していたらしい。
「どうした? お薬の効果でも切れたかよ?」
「ふん、どうだか?」
そうは言うが、どう見てもその通りだった。動きも少し鈍り、隙を晒す機会も多くなった。
だがそれでも、彼の瞳に映る憎悪は変わらなくて。
「殺す……テメエも、何もかも! 俺が無理でも、主人様が……!」
「やらせねえよ。今度殺すのは俺の番なんだからな」
王手。
それは、遂にアゲノルの逃げ場が無くなった事を示す。
木を背にした事に気付かなかった彼が、とうとう背中から激突したのである。背中から想定外の衝撃があった事で一瞬生まれた隙を、ここで見逃す筈も無く。
躊躇も無く、肋骨の隙間に対して水平にした剣を彼の胸に突き立てていた。
すると当然のように彼の口から段々と血が溢れ出し、体を伝って地面へ血だまりをつくっていく。
「お、俺……はっ」
「あばよ、哀れな化儿。最期に何か言いたい事は?」
同情のような感情は、無い訳では無い。敵であるが、クリアソスのように彼もまた理由があって今の状況となっているのだから。
即死しなかったので、どうせなら聞いてやるのも悪くは無かった。
すると彼は、弱々しい呼吸の中で豹顔を歪め、そして呟いた。
「……死に晒せ、お前ら……全員」
「他に言う事はねえのかよ」
余力があれば親指を下に向けそうな気配に、思わず苦笑が漏れた。
すると彼は、僅かに笑って言葉を付け足していた。
「ねえよ。俺の全てを生んで、全てを奪ったこんな、世界……糞食らえ、だ」
もう何も残してやるものかと虚無的に笑った彼は、それから全く動かなくなった。
傷口から止めどなく溢れていた生温かい鮮血も急速に勢いを失って行き、瞳にあれだけ滲んでいた感情すら全部が抜け落ちて行く。
後には血腥い抜け殻が、転がっていただけだった。
「……お前にも来世があるなら、全部がリセットされてると良いな。憎しみも何もかも、振出しに戻れれば違った生き方も出来るだろ」
輪廻転生と呼ばれるものは、それが本当に実在するかはともかくとして、生まれ変わる際に記憶も何もかもが抜け落ちると聞く。
偶に抜けきらなかった者が思い出して、過去を語り出すというが、それは少数。自分自身もその少数の括りに入るだろう。
何はともあれ、生まれてくる多くの者が真っ新な状態となっているのは、ある意味では温情なのかもしれない。
何もかもを洗い流し、取り去り、全く別の新しい生き方をして行く。
それが出来るのは幸せな事なのかもしれないと、己の体を見下ろして考えずにはいられなかった。




