第二話 ゴブリンズ スケルツォ ⑤
◆◇◆
奴隷狩り。
それは文字通り奴隷を収獲する。
流石に自領や自国でやってしまうと、生産力が低下してしまうので、当然ながら行うのは敵国などである。
収獲方法は様々で、戦争捕虜、敗戦国の市民、賊、他国の村人などを奴隷とするのだ。
その用途は幅広く、東ラウィニウム帝国で言えば鉱山労働や船の漕ぎ手、戦奴、小間使いなど多岐に渡る。男であれば去勢して宮中に仕える宦官とする場合もある。
だが、これだけ奴隷の担う仕事が多いと言う事は常に奴隷に対する需要が存在すると言う事であり、慢性的な人手不足であるとも言えた。
勿論、東帝国内で奴隷の確保が喫緊の課題となっている訳ではないが、奴隷があれば出来る事が広がるのだ。
それは戦争であったり、商売であったり、生活であったり、とにかく幅が広い。
だから東帝国は奴隷の確保を必要としていたが、ここ暫くは周辺各国と大規模な紛争が起こっておらず、戦争奴隷を大々的に仕入れる事が出来なかったのである。
なら今すぐ宣戦布告して戦いを引き起こせば良いと言う者も居るが、戦には準備が要る。即決即日で起こせる程に軽いものでは無いのだ。
何より、大きな戦いはこれから起こる。東帝国が起こす。今はその為に準備をしている段階なのだ。
しかし準備をするにも人手は要る訳で、やはり奴隷は必要になる。戦費を稼ぐ上でも、奴隷狩りは丁度良かったのである。
特に靈儿、剛儿、化儿はその価値が高い。庸儿とは違い魔力や体力などにおいて優れており、使役する上で非常に使い勝手が良いのだ。
そして彼らを使役し、奴隷として扱う事に東帝国人は何一つとして躊躇する心は持ち合わせていなかった。
何故なら、それが彼らにとっての常識だから。
天神教の教典では庸儿を中心に世界は創られ、廻っているとされているのだ。だから庸儿は自分を中心として考える事に問題を見出さない。見出せない。見出す必要が無い。
自分達が絶対的に優位である。それ以外は従属下に置いて当然である。
生活していく上でこれ以上都合の良い事は無いだろう。
だから否定しないし、そもそも疑問を持たない。異を唱える者は異端者の烙印を押して排斥し、廃絶する。その方が都合も良いから。
そうであるから東帝国は、奴隷狩りを止めない。人身売買も止まらない。寧ろ推奨される。勿論、他国も奴隷制度が無い訳ではないが、ビュザンティオンに天神教の総本山がある東帝国では特に強固な思想だった。
そして当然、そこに住む者であれば小耳に良い教義へ従い、その恩恵を受ける。他者を、他種族を使い潰し、踏み潰す事に何の躊躇を感じる事は無く、当たり前だと思う。
男――セオフィロスもまた、その例に漏れず東帝国の人間として育ち、また貴族として親からの地位を受け継いでいた。
だから今回、隣接するアレマニア連邦国境を越え、周辺の化儿村落を襲って奴隷とする事に何も感じる事は無かった。それどころか、寧ろ好ましいとすら思っていた。
こうした手柄を立てる事で、自分は更に出世できる事に繋がるのだから。大した事でなくとも、少しずつでも功績を積み上げれば、進みが遅い分だけ危険も少ない。
化儿の身体能力は驚異的だが、庸儿でも少数相手なら武装し連携して奇襲を仕掛ければ問題はない。何より相手は所詮農民。身体能力が高かろうが、碌な武装も持たない彼らが奇襲まで受けて真面に反撃できる筈も無かった。
故にセオフィロスもこの奴隷狩りが失敗するとは思っていなかったし、そう思えるだけの準備もした。
満を持して越境し、アレマニア連邦や各領主に気付かれない内に手頃な村を襲撃したのである。事実、思い通りに事は運び、順調に村の制圧と奴隷の収獲は行われていた。
「首尾はどうか?」
「は、あともう少しで完了するかと。やはり呆気ないものですな、化儿は。力ばかりが取柄で脳味噌が空っぽです」
「全くだな。薄汚い下賤な種族は我らに従属してのみ生きる事が許されるのだ。だと言うのに、アレマニアの連中と来たらゲルマニアまで我が物顔で支配しおって、不遜極まりないな。いずれ神からの裁きが下る時が来るであろう」
奴隷狩りは退屈なものだ。配下へ指示を出し作戦通りに行動させればそれで終わり。戦場とは違って想定外は起こり難く、素人の考え程度なら予想しておくのも簡単だ。
だから彼は部下と呑気に談笑し、悦に浸っていた。
「申し上げます、村から逃走した化儿について捕縛が完了致しました。女子供が主ですが……セオフィロス様の仰る通りに兵を配置しておかねば逃げられた事でしょう。流石に御座います」
「ふん、当たり前だ。だから言っておるであろう、化儿など脳味噌が空っぽな種族であると。戦の時もバラバラに動くものだから陣形を組ませれば怖くも何ともない。馬鹿なものよ」
伝令や側近と共に笑い声を上げ、彼らがこの任務の成功を確信していた時だった。
「…………?」
村の奥、入り口付近からは離れた場所で、爆発が巻き起こる。その音は凄まじく、衝撃がセオフィロスの内臓すらもびりびりと震わせる程だった。
流石にこれでも談笑して居られるほど能天気な性格ではない彼は、想定外の事態が起こったと見て即座に部下へと指示を出す。
「何が起きた? 分からぬなら伝令を走らせろ。警戒を固めろ、気を緩めるな!」
「はっ!」
「畏まりました」
情報を収集すべく手を打ち、また周囲に居る兵士達の心を引き締める。もしかすると途方も無く強い化儿が居たとも限らないのだ。
そうなれば連携して生け捕るか、大体は殺す事になるが、場合によっては撤退も視野に入れなくてはならない。
下手に手古摺って領兵が差し向けられないとも限らないのだ。一時的に領域侵犯している以上、無駄に食って良い時間など在りはしなかった。
それこそ伏兵の線も捨てがたく、もしもその場合は確保した奴隷も放棄して逃走を図る事になる。相手は鼻が利く上に身体能力も高いので、そうなると多くの将兵が脱落する事だろう。
おまけに東帝国として散々に化儿を蔑視し奴隷として酷使している手前、捕まれば命は無い。その緊張感のせいか、セオフィロスの背中を冷たい汗が流れた。
だが、続々とこの場に連行され馬車の折に押し込まれる化儿の村人達には不安そうな色が滲むばかりで、期待を見せる様子はない。
そうであるとすれば伏兵の線は消える。誰から見ても今の轟音は予想外の出来事なのだろう。
奴隷の収獲も捨てて一目散に逃げる必要が無い事に安堵し、彼が側近と顔を見合わせて脱力した……が。
再度大きな爆発が巻き起こり、また兵士のものと思しき悲鳴が夜空に響いていた。
しかも、その音は先程のものよりも少し近い。セオフィロスの周りの弛緩しかけた空気は再び緊張状態に包まれていたのだった。
「……何が起きているのだ?」
「も、申し上げます!」
思わず誰へともなく呟きが漏れていたが、それと時を同じくして顔面を蒼白とした伝令兵が駆け戻って来る。
それに対し、セオフィロスは待ち侘びたという気持ちを表す様に、食い気味で問い掛ける。
「来たか! して、何が起きている!?」
「はい、仮面を着けた者が一人、こちらへ向かっています! その後ろからは四人の子供が続いていて」
「たった五人? ……しかも四人は子供!? 適当な事を抜かすな! その程度なら囲んで数の力で圧殺すれば良いだろう!?」
一体何をして居るのだ、と呆れた様にセオフィロスが言うが、伝令兵は言いにくそうに報告を続ける。だがそれは、俄かには信じられないもので。
「いえ、それが……ほぼ全員、魔法を使うのです!我々では対処できません! このままでは迎撃に当たっている兵が全滅してしまう恐れも……」
「馬鹿な!? だとすれば其奴等は化儿ではないと言う事か!?」
「はい、恐らく庸儿かと。一名だけ、靈儿が混ざっておりますが」
「旅人か何かか……だとしてもそれほどの実力、一体何者だと言うのだ?」
化儿は先天的に“転装”が使える代わりに、魔法を使えない。これは誰もの共通認識であり、絶対的な事実である。
だから戦争において兵士が庸儿中心である東帝国が、身体能力で勝る化儿相手でも魔法と兵力の多さで戦える。それどころか有利も取れる。
故に魔法を使えるものと言う事は絶対に化儿ではあり得ない事なのだ。
「魔導士……となれば私が出ない訳にはいくまい。続け、私直々に仕留めてやる!」
「はっ!」
セオフィロスは東帝国の貴族である。つまり特権階級であり、世襲でその地位を得た。勿論それは血筋によるものであるが、つまり彼には魔法が扱える。
そうでなければ真の貴族と言われず、魔法の使えない貴族は肩身の狭い思いをする程である。その場合、蔑まれるだけでなく戦争における義務も果たしづらく、戦死してしまう事も珍しくない。
即ち、貴族としての責務を果たす上で魔法が使えない事は重大な能力不足に繋がる訳である。
だがセオフィロスは違う。東帝国に数いる若い宮廷貴族の中でも有望株の一人であり、自負もしている。魔法の実力もまた然りで、早々後れを取る様な人物では無かった。
「……私が正面を担当する。貴殿らは両翼を頼む。そう気負った顔をするな、我らは帝国貴族だ。愚かな者に我らの格と言うものを見せねばなるまい?」
「はい」
尚も断続的に続く爆発音は向こう側からも段々と近付いて来ており、セオフィロスは馬を宥めかしながら進んでいく。
今や夜空を舞う土や兵士の姿はしっかりと肉眼で確認でき、怯えて腰の引けている兵の様子もまたよく見るまでもなく感じ取れる距離に来た。
「者共、奮起せよ! 勇気を持て! この私、セオフィロスが来たからにはこの場から一歩たりとも引く事は許さん!」
「セオフィロス様、いらしてくれましたか!」
「助かった……これで勝てる!」
「あのバケモノどもを早く倒して、神の……神の天罰を!」
声を張り上げながら尚も前に進めば、兵士達の混乱や動揺も和らいだらしい。寧ろ士気が上がり始めており、そこに一軍の将に対する兵士の信頼と言うものが見て取れる。
そして。
「我ら帝国に仇為す不届き者共が! この私が貴様らを成敗してくれる!」
「成敗? 何を言っているのさ? 成敗されるのは、賠償するのは君達の方じゃあないか」
対峙するのは、報告通り仮面を着けた性別不明の人物。表情は窺い知れないが、明らかに不機嫌で何かに怒っているらしかった。
そしてその後ろに続く、四人の子供。その内の三人が氷、植物、土の魔法を使い、近付いて行く兵士達を手当たり次第に蹴散らしていた。
残る一人の少年も槍を片手に兵士達を次々戦闘不能に追い込み、戦意を喪失させるのに一役買っていた。
だが、だからこそセオフィロスはここで下がる訳にはいかない。自分が気合で負けてしまったら、それだけで部隊が総崩れとなってしまいかねなかったのだ。
「貴様、何を訳の分からない事を! 庸儿でありながら化儿に与したその罰、しっかりと受けて貰うぞ! この部隊を預かる、このセオフィロスとしてな!」
「煩いなあ。神様ごっこがしたいなら他所でやって欲しいのだけれど……まあ君達に言っても無駄なんだろうね」
「何だと!? 神を侮辱する気か! ……この不信心者が、いよいよ以ってその罪は度し難い! 私の魔法で欠片も無く消し飛ばしてくれる!」
まるで神を馬鹿にする様な態度に、腹を立てたのはセオフィロスだけでは無かった。話を傍観していた兵士も親指を下にして野次を飛ばし、彼の側近も怒りも露わに相手を睨み付けていたのである。
そして、もう語る事は無いと言わんばかりに、セオフィロスを始めとした部隊の魔導士から魔法が放たれる。
合計で十を超える魔法攻撃だ。たった五人しかいない不届き者では避け切れもしなければ耐え切れもしない。
それを見ていた誰もがそう思ったのだが、突如展開された盾の様なものによって、完全に受け止め切られてしまうのだった。
「……効かないなあ。魔力の練り具合がイマイチなんよ。その程度の練度で、実力で、僕に勝てると思ったのかな?」
「何を言うか。この程度は小手調べだ……む、待て。貴様、もしや皇太子殿下が指名手配した犯罪者の一人ではないか?」
僅かな月明かりと、周囲を囲うように兵士達が手に持つ松明の明かりの中、セオフィロスの頭を過ったのは帝国全土に配られた手配書だった。
そしてそれと見比べれば見比べる程、今も相対する人物は手配書の記述と一致する。
「そうか、その仮面……貴様がリュウだな? ビュザンティオンの大宮殿と大聖堂を荒らし回った大罪人……帝国の、いや神の敵!」
「いや、別に大聖堂は僕に関係ないんだけどね。どうして僕がやった事になっているのやら」
「知らばっくれるな! 先の教皇猊下まで殺しておいて良く言う! そんな嘘を信じると思うか!」
「まあ、別に信じて貰わなくても構わないのだけれどね」
ともすれば鼻を穿っていそうな調子のリュウの態度がセオフィロスらの精神をより一層逆撫でする。
兵士達からリュウへ向けられる罵詈雑言はより一層勢いを増し、また囲みも狭まりつつあった。
「貴様の他に居る者も手配書に載っていたか? 夜の暗さで分からんが……まあいい。全て討ち果たしてから確かめれば済む事!」
「君がこの部隊の隊長さんなんだってね? じゃあ、僕の安眠を妨げた責任、キッチリキッカリ取って貰うから宜しく」
「減らず口を叩くか。だが構わんよ。貴様を討ち取ったとあれば私の功績はより一層高みへと到達する。思わぬ遭遇であったが……これを天啓と呼ばず何と言おうか!」
その言葉と共に、セオフィロスの正面で段々と生成されていく人の頭ほどはあろうかと言う石。それは鏃のように先端が尖って居り、直径は人の胴体ほどはありそうな物だった。
そんな彼の左右に立つ側近達も各々魔法を行使し、セオフィロスに及ばずとも相応の威力を持った魔法を撃つ準備を整えていた。
そして、それから間を置かず。
「死ぬがいい! 貴様ら纏めて、我が手柄となれ!!」
冗談ではない、本気の魔法攻撃。
仮にこれを躱されたとしても第二波、第三波で対応は出来る。もはや彼は己の勝ちを信じて疑わなかったのである。
放たれた数々の魔法は過たずリュウの許へと到達し、炸裂。背後に居た少年少女諸共吹き飛ばす――様に見たのだが。
「……良い腕だ。でもまだ僕を倒すには実力不足だね。顔を洗って出直しておいでよ。ま、そんな機会があれば、だけどね」
「――どういう事だ!?」
そこには、先程までと全く変わらない姿勢で立っているリュウの姿があった。勿論、その後ろに居る少年少女も無傷である。
幻覚かと思ったが、違う。現実だった。
彼の側近や兵士達もまた信じられないと言った様子であり、ともすれば後退っている様にも見える。それだけ今の光景が衝撃的で、信じられなくて、セオフィロスが不利だと思っているのだろう。
その事が、堪らなく彼の自尊心を傷つけ、そして苛立たせた。
「馬鹿にするなと言っている! 幾ら強がったところで……!」
「強がっているのは君の方だろう?」
「黙れ、黙れ! 大罪人の異端者が! 神の怒り思い知れッ!」
「残念、狙いが甘い。少し熱くなり過ぎだ」
目の前の現実が認められなくて、部隊を総崩れにさせる訳にも行かなくて、滅茶苦茶に魔法を放つセオフィロスだが、どういう訳かリュウには一撃たりとも当たらない。
それどころか、直撃の軌道を辿った石弾を彼は片刃の湾曲した紅い剣で両断までしていたのである。セオフィロスからすれば余りにも非現実的で、馬鹿げている光景だった。
「認めない! 俺は認めない! こんな所で……!」
「往生際が悪いよ、見っとも無い」
既に、間合いは近接戦のそれとなっていた。騎乗したセオフィロスは腰の剣を抜き放ち、近付いたリュウを馬上から斬り捨てようと振るう。
だがこれもまた何かの悪い冗談のように当たらず、挙句の果てにはリュウによる剣の一閃で剣が根元から両断されていた。
更には無造作に手を引っ張られ、動揺していた事もあって呆気なく馬上から引き摺り落とされる。それでもどうにか頭から落ちる事は避けたが、結果として無様に体を打ち付ける事となる。
「な、何だ、何なのだ、その剣は、貴様自身も……!」
「僕はリュウだ。そして君が僕の快眠を妨げた。その罪は非常に重いよ。分かるかな?」
「ふ、ふざけるな! 何が快眠だ! そんな馬鹿馬鹿しい理由で私の邪魔を――――」
「馬鹿馬鹿しいのは君だ」
セオフィロスがそれから先の言葉を言う前に、リュウの手が彼の顔面を鷲掴みにし、後頭部が地面に減り込みかねない程の勢いで叩きつけていた。
上等な金属の兜を被っていた為か、辺り一帯には金属が叩き付けられる何とも間抜けな音がしたが、それを笑う者は誰一人として居なかった。
寧ろ恐怖以外の感情を持たずに、気絶したセオフィロスを見下ろす人物――リュウに視線を向けていた。
そんな彼らに対し、今や悪魔そのものとすら見做されている本人は視線を向け返して問う。
「さて、彼の次は誰が賠償してくれるのかな?」
「う、うわああああああああっ!?」
「セオフィロス様がやられた!」
「勝てっこねえよ、こんな奴に!」
「逃げろ、逃げろぉぉぉぉぉぉっ!」
リュウによるたった一言の問い掛けで、残っていた部隊の兵士は潰走状態へと陥った。
そこには身分の貴賎、階級を問わず、誰もが職務を投げ捨てて一目散にこの場から逃走を図っていたのである。
「ねえねえ、待ってよ。まだ僕の怒りは晴れていないのだけれど?」
「ぎゃああああああああああ!?」
追い討ちを掛けるようにリュウが動く様子はまるでB級ホラー映画みたいで。
その一部始終を見ていたラウレウス達は、今後絶対にリュウの睡眠を妨げないように努める事を、心に固く誓うのであった。
◆◇◆
死者は、それなりの数に上った。東帝国による奴隷狩りに遭った事で、撃退したとはいえ抵抗者や老人が多く殺されたのである。
売り物にする為に壮年以下の男女は多くが捕縛されていたが、若い男で生きて居る者は非常に少なかった。
血気盛んな者が多いから、抵抗の末に殺されたのだ。
「…………」
今も、村の中心に集められ並べられた無数の死体に縋りつき、泣いている者の姿がある。肉親か、或いは愛する者か。
まだまだ夜は深まるばかりだが、そんな時刻であってもお構いなしに化儿の村人達は泣いていた。
結果的にとは言え、リュウが怒った事もあって東帝国の兵士らは戦闘不能になるか、もしくは逃げるかして危機は去ったが、それを喜ぶ者は碌にいなかった。
寧ろ怨む者すら居た始末だった。
「何でもっと早く助けてくれなかったんだ!? そんなに強いなら……!」
「そうだぞ! お前らがもっと早く動いてくれれば、助かった命もあったかもしれないのに!」
「……無茶言わないでよ。僕だって寝て居たんだから。流石に襲われる前に気付くとかは無理だって」
その主張は、余りにも理不尽なものだった。だがそれを指摘した所で、納得する村人は誰一人として居なくて。
親しいものを亡くした怒りを、誰かにぶつけたくて仕方が無いのだろう。そこに理屈は無いし、説得や説明をしても聞く耳を持ってはくれなかった。
「お前ら、もしかして知ってて見物してたんじゃないのか!? 同じ庸儿だから、俺ら化儿が殺されるのをいい気味だって見物してたんだろ!?」
「いやそこまで悪趣味な事はしていないよ。僕は只、反撃しただけだし……」
「嘘を吐くな! お前ら、どうせ東帝国の連中をつるんでたんだろ!? それでこの村へ偵察に来た! だから俺達は襲われたんだ!」
それだと何故途中で邪魔をしたのかについての辻褄が全く合わない。もしそれが事実だとしたら複雑怪奇もここに極まれりと言った相関図が出来上がるだろうが、気付く程の冷静さは彼らから失われているらしい。
「畜生、だから俺はこの村に庸儿を泊めるのは反対したんだ! 何が起こるか分かったもんじゃねえから!」
「そうよ! 庸儿のせいでどれだけの同胞が酷い目に遭って来たか……許さない、そいつらも敵よ!」
「……滅茶苦茶じゃねえか」
気付けば、瞳に怒りを乗せた村人たちが多く集い、俺達を包囲していた。誰もが皆復讐に燃えている様だが、筋違いも良いところだった。
そんな殺意は、周囲で気絶し戦闘不能になっている東帝国の兵士やその指揮官に向けて然るべきだが、彼らは平然とした顔で余所者がここに居る事が許せないらしい。
良く分からないが、敵は全員叩きのめさなくては気が済まないと言いたいのだろう。敵では無いし、寧ろ結果的には助けられた立場であろうに、大した言い草だった。
因みに、気絶した兵士については俺達へ恨み言を言わなかった村人が、農具や奪った武器を片手に止めを刺して回っていた。
時折助命を求める悲鳴が上がっていたが、誰もそれに耳を貸す事はしない。完全に自業自得だからだ。
「俺らに構ってないで、その辺に転がってる指揮官の相手でもしてろよ。貴族らしいから、この辺の領主に突き出せば金になるぞ」
「金を貰ったってどうにもならねえよ! 若い男手の殆どは殺されたんだ! 多くが女子供じゃあこの先どうにもならねえじゃねえか!」
「知った事じゃねえよ。俺らは只の旅人で、偶然この場に居合わせたに過ぎない。八つ当たりは勘弁してくれ」
リュウに代わってそう言ってやると、村人たちは睨み付けて来るばかりでそれ以上の事をして来る気配を見せなかった。元々若い男の数が少なく、女子供が多い事も理由だろうが、奴隷狩り部隊をたった五人で撃退したと言う事実が、迂闊に手を出せなくしている様だ。
その気配を察知して、灸を据える意味でも俺が言葉を続けていた。
「余り自分勝手な事を言って、しかも手を出そうものなら……お前らだってこうならないとは限らねえんだぞ」
「……脅しのつもりかよ!?」
「恩を仇で返す様な真似をしてるのはお前らだろうが。別に恩に着せようとして動いた訳じゃねえけど」
ここだけは完全に偶然である。特にリュウが勝手に激怒した事が大きい。あの怒りようは凄まじいものがあった。激し難い性格だと思っていただけに、あそこまで激しく感情を発露させる姿は一部始終を見ていた俺達の誰もが衝撃を受けた程だ。
「誰が庸儿なんぞに恩を感じるものか! 今すぐ俺達の村か出ていけ!」
「一泊分空家を借りる宿泊費は払ってるんだ。その契約も反故にする気か?」
「まあ空家は僕がふっ飛ばしちゃったけどね」
「アンタは黙っててください。とにかく今、村から出て行くのは無理だ。夜明けと共に出て行くからそれで勘弁してくれないか?」
碌な明かりも無いのに村の外に出るなど自殺行為も良いところだ。ここまで闇が深いと、野営準備すら碌に出来ない。妖魎に遭遇しても問題無く撃破できるだろうが、道に迷ってしまう確率が高かったのである。
だからその様に提案するが。
「黙れ! お前らみたいな敵性種族をもうこれ以上村に置けるものか! 図々しい庸儿どもが……!」
「そうは言われてもな……」
難しいものは難しい。別に化儿のように夜目が利く訳でも無いのだ。満月の下で街道を歩く程度ならまだしも、今日はその半分ほどしかない。何度も言うが無理だった。
そう考えると東帝国の奴隷狩り部隊はこんな夜中に良く襲撃出来たものだと思うが、恐らく村人を全員殺すか捕縛した後は夜明けまで駐屯するつもりだったのだろう。
家屋にも火が放たれていなかった事を鑑みれば、それが一番自然であった。
「何度言われようと、俺達は泊まらせてもうぞ。ああ、空家は一軒吹き飛ばしたから、代わりに別の近くにある空家で寝かせて貰う」
「お前……話を聞いていたのか!?」
「それはこっちの台詞だ。不満なら腕っぷしで俺らに勝負を挑むつもりかよ?」
「このっ……!」
我ながら言い回しが小物の悪役染みていて、少し何とも言えない気持ちになる自分が居た。しかしそれでも押し黙った若い男の様子を見遣り、異論がそれ以上出ない事を確認する。
「それじゃあ、俺らも明日は早いんで空家一軒借りるぞ。お休み」
「…………」
本当ならリュウが空家を吹き飛ばした件と、新たに空家を借りるのとで別途金を払うべきなのかもしれないが、あれだけの態度を取られては誠意を見せる気など微塵も無くなっていた。
結局、種族が違えど考える事は皆同じで、自己中心なのだ。庸儿だけではない。結局互いを良く知らず、知ろうともせず、だからこんな事が起きる。
互いが不愉快になって、溝が深まるばかりなのだ。
「皆が皆こうって訳じゃあ無いし、少数だけれどエッカルトみたいなのもいる。いずれは彼みたいなのが多数派になって来る日が来れば良いけれど……」
「そうですね。ま、いつになるかは知りませんが」
冬ごもりの間、世話になった熊人族の宿屋主人を思い出す。確かに彼はリュウの言う通り、過去に暗さがあったとしても分け隔てなく接する事の出来る人物だった。
村の奥、外れにある空家の一件に向かう道すがら、いきなりそれを言い出したリュウの意図は何なのだろう。
気休めか、慰めのつもりか。別にそんなものは望んではいなかった。
「差別とか断絶って俺が元居た世界でも解決されてなかった問題ですんで、多分ずっと無くならないんじゃないですか?」
「夢が無いねえ、ラウ君は」
「現実を散々見てるから夢見る余裕がないんですよ」
自分でそれを口にして、思っていた以上にその言葉が胸に落ちた。しっくり来たのだ。
だがそれに対し、リュウは何か思い入れがあるかのように言っていた。
「けどそれって、つまらないよね」
「…………」
反論の言葉は、出て来なかった。何と返せば良いか分からなかったのである。
結局それっきり、誰もが最低限の言葉だけを交わし眠りにつくのだった。
◆◇◆
「見ろ、セオフィロスの隊が壊滅している」
「助けに言ってやったらどうだ?」
「いいや、無駄だろうな。数が多い上にリュウまで居やがる。乗り込んだ所で撃退されるのがオチだ」
夜の闇の中、交わされるその言葉。
彼らの視線の先では村落から悲鳴が上がり、そして間を置かず途切れて行く。奴隷狩りに失敗した兵士達が順次殺されているのだろう。
そうであるならば、助けに行くべきだと少年は男達に問うが、返答は極めて無乾燥なものだった。
「アイツらは運が無かった、それだけだ。我々は我々で任務を果たすまで。そもそも、我らは別に東帝国の人間でも無ければ、東帝国の為に動いている訳でも無いのだからな」
「……そうか。ここまで一緒に同道して来た仲だと言うのに、随分と冷たいな」
「我らは東帝国の人間ではないと言った筈だ。所詮利害が一致して共に行動していたに過ぎん。寧ろこんな所で連中を助けたら、我らの任務に支障が出る」
そうだろう? と言う様に男の一人に問われ、少年は袋に包まれた棒状の物を担ぎながら肩を竦めた。
「お前ら、神饗とか言ったか? 怖い組織だな」
「視殺の綽名を持つ君に言われても、世辞にしか聞こえんぞ。それで? 我らからすれば偶然にも対象は見つかった訳だ。いつ決行する?」
「明日の昼。連中が休憩に入った所を狙う。お前らも俺を監視するだけじゃなくて、手伝ってくれるんだろうな?」
「勿論だとも。その為に私も同行しているのだ」
夜の闇。それも森の中で火も焚かずに言葉を交わす彼らは、誰にも悟られずに尚も息を殺していた――。




