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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第一章 コノヨニウマレ
12/239

クソッタレな貴様らへ ②



 薄暗い小屋の様な家の中で、一人の少女はまんじりともせず一夜を明かし、上体を起こしていた。

 彼女のその緑色の眼が周囲に走れば、そこには藁の上で寝ている六人の姿が映りこむ。だが、そこには在る筈のもう一つの人影はない。

 時として一年歳上である彼女よりも大人びて見える、水色の髪と眼を持っていた少年は、もうここには居ないのだ。


「ラウ君……」


 ラウレウス。

 最後に会ったのは一昨日の早朝だったか。

 あの時の彼は、一瞬見ただけでは誰だか分からなく程に変わり果てた姿をしていた。

 日焼けなど無かったかのような純白の肌。完全に脱色した髪と、紅く変色した眼。

 変わっていなかったのは顔つきと背丈だけであり、後ろ姿を見ただけでは到底識別できない程の違いを持っていたのだ。

 そんな彼がルキウスに重傷を負わせて姿を消し、残された彼女は仕方なしにルキウスの怪我を他の人に伝えると、手当のされた彼はラウの事を周囲に触れて回った。

 村での今後の立場を考えてやむを得ず手当の人を呼んだわけだが、彼女の後悔も時すでに遅し。

 あれよあれよという間に追手の派遣が決定し、ラウは多くの人から追われる身となってしまったのだ。

 そして、その日の夜にはラウレウスの逃げ込んだ森の中が白く発光。

 その強烈な光に、家で眠れずにいたレメディアも飛び上がってそれを見たが、あれを見て以降は彼が無事で居るのか非常に不安で仕方なかった。

 パピリウスはその光を見て、これこそが悪魔たる“白儿(エトルスキ)”の仕業だと騒ぎ立てていたが、果たしてどこまでが本当なのだろうか。

 “白儿(エトルスキ)”というものは、本当にそこまでの事が出来るのだろうか?

 だとすれば、ちょっと怖いかも知れない。

 気付けば、そんな気持ちが彼女の頭を過り、慌ててその考えを振り払っていた。

 彼は、自分達の家族である。血が繋がっていなくとも、彼は五年前から一緒に暮らして来た家族なのだ。

 謝罪をする時に、何故か頭を何度も下げてしまう変な癖。年齢に見合わない賢さを持っているけれど、確実に守れない事は中々頷けない、真っ直ぐで不器用な性格。そしてつい最近知った、冷たいようでいて実は家族思いな彼の一面。


 全て、彼のすぐ近くに居たからこそ分かった事だ。


 これから先も彼と一緒に暮らして、また新しい発見をしていくのかと思った矢先の出来事は、彼女に実感と言うものを感じさせ難くしていた。

 しかし、それでも彼は居ない。実感は無くとも、現実は残酷に彼の不在を視界に示す。

 今から玄関の戸を開けて帰ってくるんじゃないかと思ったこともあった。でも、それは無い。

 実感が無くとも彼が居ないのは、そして帰ってこないのは、知っているから。


「……レメディア、大丈夫かよ?」


「ク、クィントゥス君、起きてたの?」


 ハッとしてそちらに目を向ければ、茶色い髪を乱暴に掻きながら、欠伸をしている少年の姿があった。


「眠れないのは俺も一緒だからな。それよりも、涙」


「え?」


 彼に言われて目尻に手を当てれば、そこには熱い水が溜まり、彼女の睫毛を濡らしていた。

 いつの間にこうなっていたのだろう、とそれらを腕で拭いながら思い出したように鼻も啜る。

 だが、そうやって拭っても、拭っても、涙は止まらず、目頭が熱くなって行く。

 駄目だ、どうしても、止まらない。

 ぽろぽろと、彼女の下に敷かれた藁を湿らせて行き、両手で顔を覆った彼女は途切れがちの声で呟く。


「ラウ……君、何で…なのっ?」


「……何で、か。その理由はアイツも知りたいんだろうな。全く、ラウが居ないせいで仕事量も激増だ」


 沢山の意味を含んだ、彼女の『何で』。

 それを汲み取ったクィントゥスは悪態を吐き、再度ごろりと藁の上に寝転がりながら、緩慢な動作で己の頭を撫でていた。

 そんな中、レメディアの嗚咽が耳についたのか、子供達の一人が呻きながら大きく一度寝返りをうつ。


「んむぅ……だれか、ないてるの?」


「トリウス、大丈夫だから。寝とけ」


 半目で誰にともなく問いかけるその男の子に、クィントゥスの湿った声が答える。

 それで興味を無くしたトリウスは小さな返事を返したかと思えば、再び深い眠りの中へと潜って行った。

 それを確認したクィントゥスは、寝っ転がった体勢そのままに口を開く。


「レメディア、ここじゃ皆起きちまう。悪いんだが声を押さえるか、もしくは違う所に行ってくれないか?」


「うん……っ、ごめん」


 微かに震えているクィントゥスの声に、更に震えた声で返したレメディアは、ふらつきながら立ち上がるとそのまま玄関から家を出ようとしていた。

 彼女もまた、背後から聞こえる鼻を啜る音から遠ざかる為にも、丁度良いと思ったのだ。

 だが、そうして家の外を出た彼女は、玄関を開けた先に広がっていた光景に目を見開く。




「……えっ?」




 何故ならば、そこに居たのはその目に強い殺意を持った、数多の村人たちだったのだから。

 そのぎらついた目は真っ直ぐにレメディアへと向けられ、彼らの手には凶器となり得る農具が握られているらしかった。

 それを認めた瞬間、熱くなっていた目頭からさあっと熱が引き、全身の肌が粟立つ。

 しかし、動揺して取り乱しそうになるその一歩手前で踏み止まると、内心を押し隠す様にして彼らを見渡す。


「何ですか、それ? 私に……私達に何か用でも?」


 普通なら大人でも縮み上がりそうな殺気と敵意を前にしても、彼女は堂々たる態度で村人たちへ訊ねていたのだ、が。


「うるせぇ、悪魔の一家が人間に口利くな!」


「神の敵が!」


 そんな彼女へ返って来たのは、彼らからの罵倒の声。次いで幾らかの投石が彼女へと行われ、幸いにして直撃は免れたものの、拳大の石が家の壁を鳴らしていた。

 それに思わず首を竦ませた彼女は、しかしそれどころじゃ無いとすぐに村人を睨み返す。

 よく見れば、そこには老若男女様々な年齢、性別の村人達が包囲を形成しているらしく、ざっと見たところでも五十人は下らないと言えそうであった。


「お、おいレメディア? 何だ、今の声と音は?」


「クィントゥス君……っ、危ない!」


「はぁ、何だ急に――(いて)っ!?」


 やはり騒がしいと思ったのだろう、後ろから顔を出した茶髪の少年の額に、偶々投石が直撃した。

 本人からすれば急に襲い掛かって来たそれを避ける術など在る訳もなく、クィントゥスは額を押さえながら仰け反っていた。


「てっ……てめえら!? いきなり何の真似だっ!?」


 右手で押さえた額から赤い液体がゆっくりと流れを作り、右頬をつたって顎から滴り落ちる。

 途端に風の中へと微かに混じり込む生臭い匂いは、レメディアの顔を顰めさせると同時に、殺気立った村人たちの興奮に油を注ぐ。


「これは天誅だ! 悪魔は罰せられ、滅せられて当然なんだからな!」


「悪魔の家族を、赦すな! 殺せ! 縛り首だ!」


「いいや火刑だ!」


 口々に騒ぎ立て、時折石がレメディア達へと投げ付けられる。それを玄関の内側へと引っ込んでやり過ごす二人は、困惑したような表情で外を窺っていた。


「これ、どういう事なんだ?」


「分かんない。家を出ようと思ったら、もうこんな事になってて……誰も答えてくれない」


 とは言え、別に一から説明を受けなくともある程度は想像がつくくらいには、二人は聡かった。

 魔力が発現した事で髪や眼、肌の色が変色し、悪魔伝承に名高い“白儿(エトルスキ)”であると発覚したラウレウス。そんな彼と家族であった自分達も、同様であると見做そうという事なのだろう、と。


「……クソッタレが」


 本当に狂ってやがるとでも言いたげな目で、クィントゥスは呟きを漏らすと村人たちへと目を向ける。

 先程まで散発的だった投石は更に数と勢いを増し、先程から粗末な家の壁は嫌な音を立てていた。

 レメディアもまた顔を強張らせながら村人たちへ目を向ければ、そこには見知った顔が幾つも見え、豹変した顔から聞くに堪えない呪詛を吐きだしている。

 確かにラウの件があって以降は村人が余所余所しかったものの、それにしてもどうして今なのか。

 どうして、今この時になって自分達は激しく糾弾されているのか。

 どうして、ラウレウスが迫害されるのか。

 どうして、ラウレウスが“白儿(エトルスキ)”であったという理由だけで、自分達も彼も追い詰められなければならないのか。

 自分達に怨みでもあるのか。いいや、在る訳ない。なのに何故こんな事をされなければならいのだ。




「いい加減にして下さいっ!」




 気付けば、彼らの喧騒を掻き消すように、レメディアは力の限りで叫んでいた。

 女声であったこともあってその言葉はよく通り、たったそれだけで周囲から投石を含めた騒音が途切れる。

 だが、そんな事は別に狙っても居なかったのか、拳を握り締めた彼女は若干俯きながら腹の丈をぶちまけていた。


「何なんですか貴方たちは!? 私達はただここで暮らせれば良いのに……どうしてそれすらも許してくれないんですか!? ラウ君だってどうして“白儿(エトルスキ)”であるだけで悪魔とか言われるんです!? 何もしてないに!!」


 俯いた彼女は、そこまで言い切っても顔を上げる事は無い。それは、こみ上げてくる熱い何かを見られたくないからか。それとも、再び熱を帯びて来た目頭を隠す為か。


「言いたい放題、やりたい放題出来てそんなに気持ちいいですか!? スッキリしました!? 身寄りのない、反撃の出来ない私達を袋叩きにするのが、そんなに楽しいですか!? 五年前の疫病で助けてくれなかったのは仕方ないとしてもっ、それでも貴方たちが助けらてくれなかった私達に、親は居ないんですよ!? そんな私達から、今度は居場所まで奪おうって言うんですか!?」


「……!」


 普段は、温厚な気質だけども強かな少女。

 今はそれを引っ繰り返すほどの、烈火の怒りをその身から噴出させ、取り囲む多くの村人達を慄かせていた。

 隣でクィントゥスすら目を剥いているのも構わず、全てを吐き出した少女は僅かに顔を上げ、取り囲む彼らを強い意志を宿した緑眼で睨み付ける。

 たった十五歳の少女の眼力に怯んだ彼らは、しかし不意に聞こえて来た声で怖気を打ち消されていた。


「おやおや、随分と騒がしいですね」


「こっ、これはパピリウス司祭様!」


「それに村長も!」


 鷹揚な声と共に人垣を割って姿を現したのは、グラヌム村における天神教の聖職者――アッピウス・パピリウスと村長のトリクス・クラウディウス。

 灰色を基調とした法衣を纏った前者の背後に従者二人とトリクスが続いている格好となっており、それだけを見ても両者の力関係と言うものを如実に表している様であった。


「レメディアさん、そんな怖い顔を為さらないで下さいよ」


「誰のせいだと……!」


「誰? そんなの簡単でしょう、それは“白儿(エトルスキ)”であるラウレウスのせいに他なりませんよ」


 平然と、臆面もなく、さらりと言ってのけるパピリウスに、レメディアも横のクィントゥスも絶句する。

 果たしてそれを本気で思って言っているのかと、言葉も出なかったのだ。

 そんな二人の心情を知ってか知らずか、パピリウスは絶句している二人を前にして尚も語りを続ける。


「実はですね、つい先程グラヌム子爵(ウィケコメス・グラニ)であるプブリコラ殿から伝令が参ったのですよ。大変興奮しながら伝えられたその内容、何だと思います?」


「「……?」」


 急に変わる話題、そして二人への問いかけ。

 それに付いて行けず、意図も図れずで怪訝な顔をする二人は無言である事で話の続きを促す。

 すると、彼は己の手柄でも無いというのに自慢するようにこう言ったのだ。




 ――“白儿(エトルスキ)”の疑いがあるラウレウスを捕捉した、と。




「この報告が届いたのはつい先程ですが……恐らくそう遠くない内に捕縛の報が入る事でしょうね。いや、報告が届いていないだけで、今頃捕まっているでしょうか」


 垂れ目で柔和な顔にいつも通りの笑みを浮かべ、そう告げた彼に、しかしレメディアは即座に噛み付いた。


「あり得ません! 嘘ですっ、ラウ君が捕まるなんて!」


「嘘、ですか。おかしいですね、どうして嘘だと言えるのでしょう?」


「でしたら証拠を出して下さい! 本当にラウ君が白儿(エトルスキ)であったという証拠を!」


 信じられない。違う。間違いだ。信じたくない。違ってくれ。間違いであって欲しい。

 半ば、というか完全に感情で反論していたレメディア。それに、パピリウスは目を更に細めながら反論で返した。


「私の話が嘘か真か、伝令の話が嘘か真か。そんな事は少し待って居れば分かる事でしょう。寧ろ、レメディアさんはどうして私の話が嘘だと思うのです? 宜しければ理由を聞かせて貰ってもよろしいでしょうか?」


「っ……」


 微笑みながら問い返してくるパピリウスに、彼女は言葉に詰まっていた。それもその筈、彼女の反論が感情、つまり気持ちに根差したものであった以上、相手に納得の行く説明が出来る事など無かったのだ。

 俯き沈黙する彼女に、満足の行った様に頷いたパピリウスはそこから更に話を続けていく。


「さて、それで悪魔が捕捉され、そしてそれがラウレウスであると確認された事で、私と村長は一つの結論に達したのですよ」


「結論? ……それが、今のこれだと?」


「ご名答。悪魔の家族である以上、血が繋がって居なくとも縄に繋いでおくべきではないかという結論に至った訳ですね」


 良くできましたね、と答えを口にしたクィントゥスに、パピリウスは馬鹿にしたような拍手をする。

 当然、それをされてクィントゥスが黙って居られる筈も無く、今にも飛び掛かりそうになるところを堪えながら彼は反論する。


「それにしたって馬鹿な話だな。魔力は親から子へ遺伝するモンじゃないか。どうしてあいつと血の繋がりの無い俺達が悪魔と見做されんだ? アンタだって常識知ってんだよな?」


「ええ、勿論知っていますとも。ですので、別に貴方がたを悪魔としている訳ではありませんよ。ただ、悪魔の協力者と見做しているだけで」


 見え透いたクィントゥスの挑発に、しかしパピリウスは柔和な笑みを崩さず落ち着いた声で返して見せる。

 おまけにその反論について言えば、全く筋が通っていないとは指摘しづらい所を突いてきており、寧ろクィントゥスが顔を顰める結果となってしまう。


「悪魔に協力していないという証拠を、私に提示できますか?」


「証拠? んなもんある訳無いだろ。アイツはこの前いきなり姿を消して、後になって“白儿(エトルスキ)”だって聞かされたんだぞ? どうしろってんだ?」


 中々にえげつない所を突いてくる、と眼前の聖職者に内心で舌打ちをしながら、同時にクィントゥスは己に向けて殴りたい気持ちで一杯であった。

 今の自分は家族であるラウを自分達とは無関係だと切り捨て、そうする事で自分を含め他の家族を守ろうとしているのだ。

 しかも、今のこの状況だとラウを切り捨てた上でも結局は連座して何らかの罰を受け兼ねない。

 何と情けないことだろうか。レメディアも今、横で必死にパピリウスに反論しているものの、向こうは相当こんな類の遣り取りに慣れているのか、あっという間に不利な状況へと追い込まれて行ってしまう。

 このままでは不味い。どうにか打開しなければ。

 額から口の端を伝ってきた血を舐めとり、普段はラウやレメディアほど使わない脳味噌をクィントゥスが働かせようとした、その時。

 自分達の背後で、何かが大きく崩落する音を耳にして、ハッと振り返っていた。


「おい、何の音……っ!?」


 視線を巡らせた先には、我が家の壁を突き破って乱入して来た複数の男たちの姿があった。

 彼らの血走った眼が向けられた先には、怯えて固まっている五人の子供達。まだ八歳そこからの彼ら彼女らは恐怖で声も出ず、ただ視線だけでクィントゥスに助けを求めていた。


「何してやがる! ここは俺達の家だぞ!?」


「黙れ悪魔が! これは神の御意思なんだ!」


 玄関にパピリウスが居る事を無視して、強引に我が家へ侵入を果たした狼藉者に詰め寄るクィントゥスは、しかし次の瞬間に村人の起こした行動に目を剥いた。

 何と、村人の内の一人が手に持っていた木の棒で子供の一人――グナエウスの体を叩いていたのだ。

 神の意志、という言葉と共に他の男達もそれに続き、各々痛みで悲鳴を上げる子供達を農具の柄などで叩き始め、その悲鳴は更に強さを増していく。


「ふざけんなクソがぁっ!」


「おっと動くなよお前? 動けばこのガキが死ぬぜ?」


 激昂するクィントゥスに、しかし男の一人がナイフを取り出して子供を盾にして見せる。

 その上でその切れ味の悪そうな刃で子供の肌をなぞり、薄っすらと血を滲ませ、その痛みと恐怖でその子は声を上げて泣いていた。


「司祭様……これも貴方の差し金ですか!?」


「いいえ、神の思し召しを効率的に実行したまでです。レメディアさんとクィントゥス君は押さえ込むのに少々手間が掛かるので、こうする方が楽でしょう?」


 片や魔法の使える少女、片や常人だがそれでも頑丈で喧嘩がめっぽう強い少年。

 彼ら二人を押さえる為に、まずは幼い子らを押さえる事はとても合理的で、実際彼らはそれのせいで碌な手が打てなくなっていた。


「大人しくこちらに従って貰えるのであれば、これ以上の真似はしないかも(・・・・・)しれません(・・・・・)よ?」


「従って欲しかったら、しない(・・・)と言えよ」


「貴方たちにそれを主張する権利があるとでも?」


 交渉は対等な土俵で行うものです、と勝ち誇った様な口調で言うパピリウスは「どうぞ」と言って村人の一人に視線を向けた。

 すると彼は子供の一人を一際強く殴打し、殴られた子は泣き声も止んで床の上に倒れ伏す。


「ユルス!? 大丈夫か、おい!?」


「大人しく従わないからこうなるのですよ。さて、どうしますか?」


「……」


 小さいながらも露骨に舌打ちをして見せたクィントゥスは、それでもこれ以上の抵抗は危険と判断したのかレメディア共々両手を上げて投降の意思を示す。

 それを見て満足そうに頷いたパピリウスは自分の従者二人に目配せをして、それぞれに錠を掛けさせた。


「魔力の流れを阻害する特殊な陣の掘り込まれた手錠です。どうですレメディアさん、魔法が使えないでしょう?」


「それよりもグナエウス君達の手当てを……!」


「はて、悪魔に手を貸した者にどうして温情を与えねばならないのでしょうかね? 全く、理解に苦しむ事を言ってくれる事で」


「っ!?」


 手出し()めと伝えつつも、殴った子供達に一切の手当てをしないと宣言するパピリウスに、レメディアは絶句してしまう。


「馬鹿にしてんのか!? よくもまぁそんな汚い真似を……」


「汚い? それは悪魔と家族であった貴様らの方でしょう。 それにしても、悪魔の協力者の治療を頼むなどとはレメディアさん、貴女も随分なモノ好きですね」


 遂には汚物でも見るかのような目をクィントゥスに向けたのも一瞬、パピリウスはその視線を今度はレメディアに向けた。

 細められた眼にはまだ何かをしようとしている気配が窺え、それを感じ取った彼女は己にどのような手を打つつもりかと心の覚悟を決め、尚も睨み返す。


「その言い方だと、私だけは悪魔ではないとでも言うように聞こえるのですが?」


「ええ、どうですとも。そのように私は言っているのです」


 ニコリと微笑まれ、意図の読めないその肯定にレメディアは眉を寄せて困惑する。全くもって、何が狙いなのか分からないのだから当然だろう。


「……じゃあ、レメディア以外の俺達は全員悪魔だとでも言うつもりなのかよ?」


「そうだと言っているでしょう」


 先程から横柄な態度と口調を崩さないクィントゥスに、パピリウスは遂に冷たい声音でそれに答え始めていた。どうやら、彼が完全に敵と選定し、自分の方が立場は上だと判断した者には、温和な声音が適用される事が無いらしい。


「まっ、待って下さい、じゃあ司祭様は一体この後私達をどうなさる御積りで!?」


「この後ですか? それは勿論、悪魔の一派を殲滅しなくては。ああ、既に植物魔法の発現しているレメディアさんは“白儿(エトルスキ)”ではないと分かり切っているので、拷問も火刑の心配も御座いませんよ。ただ、ちょっとお祓いが必要ですが」


「それって……私以外の皆はそうなるって、事ですか?」


 パピリウスがサラリと言い放った(おぞ)ましい単語を耳にし、レメディアの声は自然と震える。

 まさか、自分を除くという事はまさか――彼が言外に放った意味を、彼女は確認せずには居られなかったのだ。


「それはそうですとも。悪魔の協力者は処分しなくてはなりませんから」


「で、では、ラウ君もそうなると!?」


「ラウ君、ですか。悪魔を今でもその名で呼ぶんですね。……まぁ良いでしょう、アレについては色々と用途(・・)がありますから、ここで処刑されると言う様な事は無いかと」


 鮮度が落ちてしまうし長持ちしないと、まるで家畜について話すようにパピリウスは語りを続ける。


「そこの背教者クィントゥス含め六名については私が尋問して後、有罪であれば処刑します」


「背教者、尋問って……拷問でもして無理矢理言わせるつもりでしょ!?」


「無理矢理とはこれ如何に。拷問は有罪が確定してから行うものですよ。私は(・・)そんなこと、する気など在りませんよ」


 そもそも、貴女は無罪だし悪魔の行く末など関係無いですよと、パピリウスはレメディアの肩に優しく手を掛ける。

 だが、自分に対して全く企みがないと言うのであれば、どうしてこの手に魔力封じの手枷を嵌めていると言うのだろうか。尚も何か意図がありそうなパピリウスに、レメディアは警戒の色を尚も失ってなどいなかった。


「幾ら私だけが無罪と言われても納得いきません。どうしてクィントゥス君達が……!」


「まだ確定したわけでは無いですよ。これから私が尋問して、嘘か真か確かめますから」


「グナエウス君達をあれだけ殴らせておいて、そんな言葉に信用が持てると思っているんですか!?」


 無理だ。信じられる訳が無い。どう見ても、さっきの暴行をパピリウスは容認どころか指示にしていたし、尋問と称しての拷問も確実に行われるであろう事は目に見えていた。

 何より、パピリウスの言動がもはやクィントゥスらを悪魔の仲間と決めつけているのだから。

 故に、彼女はパピリウスを見上げて詰め寄るのだが。


「落ち着いて下さい。貴女は教会の方で預かりますから、居場所がなくなるなんて事はありませんよ。悪魔の穢れを払う事や魔法の扱いも含め、私が責任を持って色々と(・・・)教えて差し上げます」


「……ッ!?」


 その言葉の前半は、詰め寄っているレメディアを宥める様に両肩を掴み。後半は、寧ろそれを引き寄せて彼女の耳元で囁くように。

 欲望が滲んだ後半のねっとりした口調に、彼女は思わず目を見開いた上で更に声まで上げそうになっていた。

 それを必死に押し隠し、それでも震えてしまう己の体をパピリウスは面白そうに見下ろしていた。


「おいエロジジイ! テメェ、レメディアに何する気だ!?」


「喧しいぞ悪魔がっ。司祭様に向かってこれ以上汚らわしい口を開くな!」


「ぐぁっ!?」


 先程の遣り取りが聞こえていたのか、荒っぽい声でパピリウスを罵倒しながら詰問するクィントゥスだが、彼はパピリウスの従者に殴られ、受け身も取れずに地面へ転がる。

 それを見て取り囲む村人は趣味の悪い嗤い声を上げ、その邪悪さを前にしてレメディアは嫌悪感がこみ上げていた。

 だが、馴れ馴れしく彼女の肩に置かれた手は一向に離れる気配など無く、パピリウスはがっしりと一方の肩を掴んだまま、右手を上げると宣言する。


「ご協力ありがとうございます。以上で異端者の捕縛作戦は終了しました。では、彼らはその辺の小屋にでも閉じ込めて置いてください」


「なっ、オイこら待ちやがれ! まだ話は終わってねえぞ!? クソ、放しやがれ!」


「ク、クィントゥス君! 皆! 司祭様っ、これはあんまりです!」


 ぐったりとしている子供達はともかく、殴られた程度ではものともしないクィントゥスが尚も抵抗し、レメディアもパピリウスに目を向けて懇願する。


「駄目ですよ。ここで彼らを生かしてしまっては、私に“身寄りの(・・・・)ない(・・)”貴女の身柄を預かるという大義が無くなってしまうでは無いですか。それでは、色々(・・)出来ませんから」


「あ、貴方は……!」


 聖職者でありながら、その皮を被って何と醜い顔をしているのだろう。何と醜い心をしているのだろう。

 最低だ。クズだ。こんなヤツに従うなんて真っ平御免だ。

 パピリウスの返答が囁き声であったせいもあって周囲の村人には聞こえていないらしいが、これがこの男――アッピウス・パピリウスの本性なのだろう。

 その醜悪さにひたすら嫌悪感だけが募って行くが、しかしレメディアも体と魔力の自由が制限されている今はどうする事も出来やしない。

 ましてや、“白儿(エトルスキ)”の騒動を利用してレメディア自身を手中にしようとしている輩なのだ。恐らく、それなりに準備を重ねていた事だろうし、実際パピリウスの従者の一人はレメディアから一切目を離さず、隙を見せない。


「そんな……こんなのって、酷いよ!」


 どうやっても、どう足掻いたとしても、無理。自分達の“家族”と言う纏まりは、今や絶体絶命。

 これが天災などのように人間ではどうしようもないものであったのなら、悲しくともまだ前を向けただろう。悲しくは思っても、それでもと生きてはいけたのだ。


 だが、今はそれとは違う。


 人の手によって、家族が引き裂かれようとしているのだ。それも、目の前で自分だけを残して、死の確定したところへ家族が連れていかれる。

 そんな理不尽なんて、あって良い筈がない。


「どうして、私達の家族を引き裂くの!?」


「引き裂くとはとんでもない。貴女には相応しい場所があるのですよ。さぁ、私と共に教会堂へ行きましょう」


 そんな物は要らない。早くその汚らしい手を退けて欲しい。皆を、ラウを含めて元の生活の戻して欲しい。

 頬を流れる熱い液体を知覚しながら、レメディアはパピリウスを始め、皆へと懇願する。

 だが、それに耳を傾ける者など皆無であり、少しずつ、少しずつクィントゥス達との距離が開いていく。

 このまま、自分達は全てを引き裂かれてしまうのか――涙で歪んだ視界に映る、遠退いて行く家族の姿を見ながら、レメディアは両の拳を握り締めたその時。






「盛り上がっているところ悪いのだけれど、少し訊ねても良いかな? 知りたい事があるんだ」





 突如としてその場に割って入った、中性的で穏やかな声が、その場の喧騒を全て掻き消した。

 その声は大して大きくも無いというのに、誰もがその言葉の乱入で口をつぐんでいたのだ。

 何故ならば声の主が立っていたのは、丁度レメディアとクィントゥスの中間地点。先程までそこには誰も居なかった筈の場所に、人が立っていたのだから。


『……?』


 誰もこの人物が人垣を割っているところを見て居ないし、さっきまでどこに居たのかも分からない。

 一体どうやって、どうしてここに居るのか。

 まるで、瞬間移動でもしてきたかのような登場の仕方に、誰もがそこへ注目していたのであった。

 そしてその人物は薄鈍色の外套に全身を包み、隙間からは異国風の衣服を覗かせ、フードを被っている上に装飾の少ない仮面まで身に着けているこの者が、誰なのか。

 それを答える者は、答えられる者は、その場には当人以外誰も居なかった。

 故に、その場に居た人々は不気味さが理由で少しずつ後退り、そしてそれはパピリウスすら例外では無かった。

 だがそれでも、この場で最も見っとも無い姿勢は見せられない立場なのだと思い直すと、パピリウスは極力落ち着いた声で訊ねていた。


「旅の人と見受けますが……貴方は一体何者ですかね?」


「ん? ああ失礼、僕の名はリュウ。見ての通り旅人だよ、自己紹介はこれで良いかな?」


 仮面などを一切取る事は無く、リュウと名乗った人物は相変わらず優しい声でそう言っていたのだった。






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