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キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第六章 ユルガヌモノハ
114/239

第一話 Smash Out!! ①



 アレマニア連邦、東端に位置する都市・ズボリェルツ。季節はとうに冬を迎え、都市一面に濃い雪化粧を施していた。


 ここは東帝国と隣接する領邦の都市であるが、今の季節は基本的に軍が動かず、戦争が起こる事は無い。雪が深くなるため、兵站どころか進軍すらままならないのである。


「……寒い」


「エアコンやストーブが恋しい……」


 厚着に厚着を重ね、その上更に粗末ながらも掛布を纏っていると言うのに、一向に体の末端は温まらない。芯ですらもぽかぽかには程遠かった。


 今、俺達が宿泊しているこの部屋には暖炉が無く、戸の隙間からは際限なく冷たい風が流れ込んで来る。少し身を捩っただけで袖口に冷気が侵入し、より一層体を丸めるのだった。


「二人共、寒そうだね」


「貴方何で平気なんですか?」


「いや、僕も寒いよ。けど慣れた。この辺は年季の差かな」


「へー……年季、ですか」


 今起きたところなのだろう。上体を起こして大きな伸びをするのは、リュウ。仮面を取って寝ていたようで、その中性的な顔に綺麗な笑みを浮かべていた。


 だが、そんな彼の纏う衣服の端々から見える、何かの毛皮。それは非常にフサフサしていて、モフモフしているように見えた。


「リュウさん、その服の下に着けてるのは何です?」


「んー、何だろうね? 気のせいじゃない?」


「いや嘘吐かないで下さいよ! 明らかにめっちゃ(あった)かそうじゃないですか!」


「そうですよ! 卑怯です! 絶対俺らの毛皮より上質ですよね!?」


 惚けるように肩を竦める彼に、俺もスヴェンも首だけ巡らせて抗議する。こんなに俺達が寒い思いをしていると言うのに、いつの間にか彼はかなり性能の良さそうな防寒具を着ていたのだから当たり前だろう。


 こんなのは不平等も極まりなかった。


「寒い朝から元気だね、君達。しかもこれ、ずっと前から僕が使っている奴だし、君達から抗議を受ける筋合いはないと思うのだけれど」


「そんな良い防寒具あるなら教えてくれるだけでも良いじゃないですか!」


 何故苦労して何枚も重ね着して、それでも貫通してくる冷気と格闘しなくてはならないのか。この地域も南側に位置するだけに、その寒さは非常に厳しいものだった。


 だから、それだけに防寒具と言うものの重要性は非常に高い。知っていたのならどうして教えてくれなかったのかと思ってしまうくらいには高いのだ。


「そんな事を言われても……簡単に手に入る物じゃあ無いし、いざ買うってなったら王侯貴族御用達だと思うよ。まぁ、僕のは狩猟して剥ぎ取ったんだけど」


「何処で狩るんですか、それ!?」


「必死だね。けど残念、この辺じゃあ狩れないから、大人しくその辺の毛皮で我慢しなよ。これも修行だ」


 それだけ言うと、もう話は終わったと言わんばかりにリュウが立ち上がる。そんな彼に対して俺とスヴェンは尚も抗議を続けるが、のらりくらりと躱されてしまうのだった。


「僕は下へ降りて朝食を食べて来るけれど、君達はどうする?」


「も、もう少しだけここに居ます……」


「俺も……」


 一向に体が温まらない。寝ていても余りの寒さに目が覚めてしまった程だ。結局寝る事は出来たが、その内体を冷やして体調を崩してしまいそうだった。


 達磨のように丸まっている俺達の姿がそんなに面白いのか、リュウは面白そうに、そして煽るように言っていた。


「そっか。寒さに弱いって大変だね?」


「ゴテゴテの防寒具着てるアンタに言われたくはないんですがね」


「おやおや、これは手厳しい。それじゃあ、僕はお先に失礼するよ」


 その言葉を残し、彼は今度こそ部屋を後にするのだが、部屋の扉を開く際により一層冷気が流れ込み、俺達は一拍置いて首を竦めるのだった。


「寒い……ってかスヴェン、お前はスカーディナウィアの出身だろ。何でそんな寒がりなんだ?」


「ここ数年はラティウム半島に居たんでな。そっちの方の気温にすっかり慣れちまったから……」


「メーラル王国に着いた時の余裕そうな表情は何だったんだよ」


「あれはほら、俺の地元だし良い恰好したいじゃん? まだ秋だったし耐えられない事も無かったからさ」


「その内バレるような見栄を張るんじゃねえよ……」


 惨めだなと笑ってやりたかったが、俺自身も人の事は言えない。現にこうして、彼の隣で同じように丸まっているのだから。


 果たしていつになったらこの毛布から抜け出し、そして下に降りて朝食を摂れるのか。スヴェンよりは早く下に向かおうと謎の対抗心を燃やしながら、ひたすら体を温めるのだった。







 結局、下に降りたのはあれから十分後。靈儿(アルヴ)のスヴェンも俺と同じ様な対抗心を燃やしていたのか、互いに腹の虫を鳴らし、そして足音を鳴らしながら階段を降りていた。


 既にカウンターには先客がおり、リュウとその横には二人の少女――シグとレメディアの姿もある。


 どうやら旅の面子の中で俺達が一番遅かったらしい。足音に気付いたリュウが仮面の下から覗く紅い眼をこちらに向け、そして笑っていた。


「おや、思っていたよりも早かったね。御主人、この二人にも朝食を」


「ああ、分かった。しっかし毛皮の無い種族ってのは不便だな。俺達みたいに“転装(トランスフィグロ)”で毛皮を纏うって事も出来ない訳だし」


「そうは言っても常に“転装(トランスフィグロ)”をする訳にはいかないでしょ? 化儿(アニマリア)だって魔力自体は消費する訳なんだから」


「ま、それはそうなんだがな」


 そう言って笑い声を上げているのは、厨房に立っている熊だった。しかも結構大きい。


 森の中で遭遇したら間違いなく食うか食われるかの大自然が展開される事は間違いなし。


 しかしその二足歩行の熊は人語を解し、挙句器用に料理を熟し――というか、その手は熊ではなく人間のものだった。


 化儿(アニマリア)の中でも、熊人族(ウルソルム)と呼ばれる種族だ。


 転装(トランスフィグロ)の扱い方が非常に器用なのか、彼は手以外を熊のそれへと変え、それによって上手く寒さを凌いでいるらしい。


「この恰好をしていれば、例え少し油が跳ねたくらいでもどうってこと無いのが素晴らしいよな。おまけに寒さにも強い」


「初めて来たお客さんならびっくりしちゃうと思うけどね」


化儿(アニマリア)に馴染みのない客が来ればそれはそうだろうな。けど、大体客として来るのは同じ化儿(アニマリア)だ。そもそも、俺達みたいな種族を敵視してる奴がここまで来られるとは思わねえし」


 アレマニア連邦。その名の通り連邦国家であり、メーラル王国以上に各領邦の自立度合いが高い。言わば領主一人一人が国王であり、独立国家であり、それらが寄り集まって出来た互助的組織と言っても良かった。


 名目上王もいるが、最初から有名無実。盟主や議長と言った程度の権限しか持たず、それすらも各領主の権限によって覆される事もあると言う。


 そして現在、東側で隣接している東ラウィニウム帝国とは(すこぶ)る仲が悪い。


 理由は、元々アレマニア連邦西側地域の土地はラウィニウム帝国の版図に組み込まれていた為、かつての版図回復を目指す東帝国から言いがかりをつけられているからである。


 曰く、かつて西ゲルマニア地域は帝国版図であったのだから東帝国に服するべきであり、そして東側地域も同様である、らしい。


 百歩譲って前半の主張は置いておくとしても、後半部については全く筋が通って居なかった。もとより東帝国では庸儿(フマナ)以外の種族の扱いが極めて悪い。天神教の影響で、その他種族を全て下等と見做し、隷下に置く事を当然とする風潮があるのだ。


「ご主人も東帝国の戦いに従軍した事がおありかな?」


「そりゃあ勿論。こうして都市の中で宿を営めているのも、任期まで従軍して市民権が手に入ったからなんだぜ?」


 東帝国の侵攻軍とは何度も交戦したと、彼は語る。


 しかし結局大軍で攻め寄せる東帝国は、森の多い領邦に侵入するや統制を取るのが難しくなり、地の利も無い為に撃退されていると言う。


「まぁ、元々帝国の連中も威嚇程度のつもりで、後は奴隷狩りくらいが目的なんだろうな。腹立たしい事に。けど、最近はどうも連中の動きがきな臭い」


「現皇帝が領土拡張に本腰を入れつつある、って話は僕も聞いたね。後の世代に誇れる功績が余り無いのを焦っているとか何とか」


「らしいな。そうなるとうちの領主様もうかうかはしてらんねえ。恐らく俺みたいな予備役にも召集が掛かる筈だ。周辺の諸侯とも連携して戦う事になるだろう」


 極めて深刻な話を語っている筈なのだか、しかし主人の声の調子は明るいものだった。楽観的と言うのか、もしも戦争になっても大丈夫と言う自信が溢れていたのである。


「俺達からすれば、その辺の雑兵なんざ大した事は無いからな。幾ら束で来ようが軽く捻り潰してやるよ」


「その意気は良いね。結構な自信をお持ちらしい。どうかな? もしも手隙があれば僕の連れに稽古をつけてくれない?」


「稽古? アンタの連れって……そこのひ弱そうなガキ共のことか?」


 表情は熊面のせいで分かりづらいが、多分眉を顰めているのだろう。何処か心配そうな、悪く言えば舐めているとも取れる視線が俺達に向けられる。


 だがその疑問も尤もだと思ったのか、リュウはその上で新たな条件を付け加え、提示した。


「勿論タダでとは言わないさ。この子達を打ち負かせばこの七日間、扱き使ってやってくれて良い」


「ほう? 本当に良いのか? 俺に冗談は通じねえぞ?」


「冗談を言ったつもりは無いよ。僕は本気だ。ただで労働力が手に入るのだから、御主人にとっても悪い話では無いよね?」


「当たり前だ。乗った、乗ってやるよ、その話」


 宿の主人の熊面は、僅かに口が開いていた。人の顔であるならば笑っているのだろう。それと共に彼から渡される、朝食の入った皿。


 湯気を立てるスープと、やや硬めのパンに塩漬け肉まで添え得られていた。


「豪勢な食事だね。懐は大丈夫なの?」


「問題ない。この人数をただ働きさせられると言うのなら、安いモンだ」


「待て。百歩譲ってリュウさんが私達のことを勝手に決めるのは良いとしよう。だが、何故主人はもう勝った気でいる? 舐めて貰っては困るぞ」


 リュウと主人が互いに笑い合う中、そこへ割って入る少女――シグの声。彼女の(あま)色の瞳は、自分達が戦う前から格下に見られている事が堪らなく屈辱であると告げていた。


 しかし、宿屋の主人は相変わらずその態度を崩そうとせず、寧ろ煽る様に言うのだ。


「嬢ちゃん、大口は良くないぜ。俺は何度も死線を潜り抜けて来たんだ、十五そこいらのガキ共に負ける訳にはいかねえんだよ。しかもアンタ、庸儿(フマナ)だろ?」


「そんな態度で……果たして本当にそうか、試してみる?」


「おうおう、気合は十分らしいな。ま、話は取り敢えず飯食ってからだな。完食して少し時間を置いたら始めようか」


「別に私は、今この場でも構わないぞ?」


「それだと飯が冷めちまうだろ。折角出来立てを出してやったんだ、四の五の言わずにとっとと食え」


 ほらほら、と作ってくれた本人から言われては無視する訳にも行かず、シグだけでなく皆が視線を落とし、湯気を立てる料理を見遣った。


 ここの主人が作る料理は値段の割に中々良く、それこそ旅の最中に摂る粗末な食事よりも尚更美味い。しかも今日は塩漬け肉まで出されているのだ。その豪華さは言うに及ばず。


 ふと思い立ち、俺は視線を上げて再び宿屋の主人に目を向けた。


「なあ、もしこれで俺が勝ったら、次からは料理に肉を毎回入れてくれよ?」


「このガキ、生意気言うじゃねえか。良いぜ。あくまで勝ったらの話だけどな。他のガキ共もそれで良いか?」


 確認するような主人の言葉に、シグもレメディアもスヴェンも、皆同じく頷いていた。そしてその目に闘志を燃やし、食事に手をつけるのだ。


「君達、随分と強欲だね」


「負けたらここの主人に扱き使われるって言うんなら、これくらい言っても罰は当たらないでしょ。これから肉が毎食並ぶと思うと、楽しみで仕方無いですよ」


「大きく出たねえ」


 呆れた様にリュウが笑っていたが、そもそもこの状況を作り出した張本人は彼である。さりとて、こうして豪華な食事を手に入れられる機会を提示してくれたのも彼であるので、手柄としては帳消しだろうか。


「絵に描いた餅にならないと良いけど」


「それは宿の主人に言ってやって下さいよ。俺らだって強くなってるのは、リュウさんが一番よく知ってるでしょ?」


「それはまあ勿論。君達は着実に強くなっているよ。どの程度まで強くなっているのかだって、十分に見極めているつもりだ」


 何処か含みを持たせた物言いに引っ掛かりを覚えない訳では無かったが、反駁(はんばく)したくなる気持ちを食材諸共呑み込んで行く。


 彼のその何もかもを見透かした感じが気に食わなくて、絶対にこの熊人族(ウルソルム)を叩きのめして、驚かしてやろうと心に決めるのであった。






 宿屋の裏口から()でれば、そこには少し開けた場所があった。しかし雪は深く、普通に歩くだけなら一々足を引き抜くだけでも一苦労である。


 身体強化術(フォルティオル)が使えなければ、移動すらも儘ならない事は間違いなかった。


「作業場だ。冬でなければここで色々な作業や食材の仕込みをやる。今の季節は使い物にならない場所だがな」


「へえ、こりゃ凄いな。けどリュウさん、手合わせする前にまずは雪掻きが必要じゃないですか?」


 冬は使い物にならない空き地と宿屋の主人が言うだけあって、実際にその通りだった。


 こんな場所では出来るもの出来ないし、だからスヴェンがリュウに同意を求めていたのだが。


「いいや、除雪は要らないよ」


「そうは言いますけど、これじゃ碌に戦えないですよ? 多少面倒でも、雪掻きしとかないと」


「スヴェン君。君は危機が迫った時でも、そう言えば敵が一緒に雪掻きを手伝ってくれると思うかい?」


「え!? それとこれとはまた話が別と言うか……」


 今も雪は深々(しんしん)と降り注ぎ、積雪を増やしていく。


 スヴェンの抗議に続くように、俺達もリュウに声を上げようとしたのだが、機先を制すように彼は言っていた。


「それとこれとは別、じゃあないんだよ。今の戦場はここだ。そして相手は宿屋のエッカルトさん。君達はここで彼と戦うんだ」


「こんな所で……? 事前の情報も何も無いのに、そんなの卑怯ですよ!?」


「いざ敵を前にしてそんな事を言ったとして、引き下がってはくれないよ。ここは別に命の遣り取りをする訳じゃあ無いんだから、寧ろその分だけ良心的だと思うけれどね」


 その言葉で、スヴェンの反論は封殺されてしまった。だが、それでも何か言って食い下がろうとする気配は見せるものの、丁度良い言葉が出て来ないらしい。


 俺達も同様で、結局それ以上リュウに反対の声を上げる者は誰一人として居なかった。


「話は終わったか?」


「ああ、終わったよ。それじゃあスヴェン君、頑張ってね。審判は僕がやるからさ」


「え!? 先頭打者なの俺!?」


 今度こそ聞いてないと抗議の声を上げるスヴェンだったが、もはやリュウは聞く耳を持たない。雪の中を踏み進み、スヴェンとエッカルトが相対しているのを横から安全に見られる距離で立ち止まる。


「まず俺の相手は靈儿(アルヴ)の坊主かい。お前、見るからに貧弱そうだな?」


「うっせえ! 種族的かつ遺伝的な問題で筋肉が付きにくいんだよ! 悪かったな!」


 完全無欠の熊の姿で仁王立ちするエッカルトからすれば、誰が前に立とうとも貧弱だろうが、確かにスヴェンの体躯は細い。引き締まっているとも言えるが、身長の割に体重が軽いのは確かだった。


 本人もそれを気にしてかエッカルトに対して怒鳴り散らしているが、彼は呑気に笑っていた。


「別に悪いとは言ってねえよ。どうせ魔法が得意なんだろ? 精々俺を追い詰めてみるが良いさ」


「……言ったな? 今に見てろ、絶対食事に肉をゲットしてやる」


「はいはい、無駄話はその辺にして両者構え――」


 このままではいつまで経っても始められないと思ったのだろう。会話の流れを切断する様にリュウの声が割って入っていた。伴ってスヴェンもエッカルトも黙り込み、互いに見合う。


 その表情は真剣そのもので、審判であるリュウによる合図を、今か今かと待ち侘びていた。


 そして。




「――始めッ!」




 その言葉を合図に、エッカルトが雪を蹴る。降り積もった雪の上を駆け、時には吹き飛ばして巻き上げて、一直線にスヴェンへと突っ込んでいたのだった。


 それに対して彼は、好機と言わんばかりに笑みを作り、そして魔法を行使した。


「態々(わざわざ)突っ込んでくれるとはね! これで肉は貰ったも同然――……あれ?」


「何してんだスヴェン!? 早く魔法で応戦しろよ!」


「やってるよ! けど、雪が邪魔で土が!」


 いつもの様に土人形を造り出そうとしたのだろう。だが、厚く堆積した雪が地面に圧し掛かり、魔法の発動を妨害してどうにもならないらしい。


 その間にも両者の距離はみるみる縮まって行き、もうあと少しでエッカルトの体が届きそうだった。


「クソッ!!」


「おっと! 甘いな!」


 慌ててスヴェンが魔法を切り替えた時にはもう遅く、雪中から飛び出した無数の土杭はあっさりと躱されてしまう。


 強靭な熊の肉体は、例え雪中であってもその機動性を著しく低下させることが無かったのである。


「これで終いだ!」


「え、ちょっ、待って速過ぎ――」


 あっという間に側面へ回り込まれ、振るわれたエッカルトの剛腕によって、スヴェンがふっ飛ばされていた。


 勿論、模擬戦であるため爪は立てず、腕で空に掬い上げたと言った方が正しいだろう。何にせよ、実戦であればこれでスヴェンは致命傷を負い、或いは即死していたことは間違いない。


「どわぁぁぁぁぁぁあっ!?」


「これでまずは一人、だな」


「勝負あり!」


 空中に投げ出され、為すすべなく降り積もった雪の中へ落下していくスヴェンと、勝ち誇るエッカルト。リュウは左手を上げて勝者を告げ、ここに勝敗は決した。


 スヴェンは綺麗な人型を残して雪の中へ埋没していたが、苦労の末どうにか救助に成功する。


「負けた……俺が……」


「雪ってのは俺も想定外だったな。お前の魔法じゃ確かに相性も悪かった。仕方ないって諦めとけ」


「他人事だと思って! もう良い! お前らも負けちまえ!」


「とんだ八つ当たりだな!?」


 畜生、と罵声を飛ばしてくる彼に、思わず呆れ笑いが出て来る。下手な怪我を負っているかもしれないと思ったが、これだけ元気そうなら問題はなさそうだ。


「さて、次は……そうだね、レメディア君」


「私!? 待って下さい、まだ対策だって練れてないのに!」


「準備は良いかーい? よし、始めッ!!」


「ちょっとーーっ!!?」


 そこに彼女の意志が介入する余地は無かった。無情にも第二幕が上がり、再びエッカルトの驀進(ばくしん)が始まる。


 慌ててレメディアも応戦の為に魔法を発動させるのだが、彼女もまた地面に厚く積もった雪のせいで満足に魔法の効果を発揮できないらしい。


「ぎゃーーーーーーッ!?」


「一丁上がり!」


「はいはい、勝負あり!」


 スヴェンと全く同じような道を辿り、レメディアもまた雪の中へと沈んで行った。


 これで残るは俺とシグだけとなるが、三番手に選ばれたのはシグ。この状況下では流石に油断できる相手ではないと判断したのか、(あま)色の髪を後頭部で縛って纏めていた。


「今度はあの嬢ちゃんかい? さっきの女の子もそうだったが……怪我しないように手加減するのは結構楽じゃないんだぜ?」


「それは私の台詞だ。精々怪我しないように気を付けろよ?」


 両者の視線が交錯し、まるで火花が散っている様であった。そこには互いに価値を絶対に譲らないと言う明確な意思が見え隠れし、そして鬩ぎ合っているようにも見える。


 そもそも、レメディアの魔法は氷造成魔法である。この環境下であるのなら、例え足元が不利であっても状況が不利であるとは限らなかった。


「それでは両者構えて――始めッ!」


「「――――ッ!!」」


 三戦目が始まった。エッカルトからすれば三戦連続であるが、特に疲れは見られない。先の二人がかなり呆気なくやられた事も影響しているのだろう。雪の上を駆けるその速さは、衰えるどころか増していた。


 だが、その程度で驚くシグではない。


()て付かせてしまえばッ!!」


 彼女が叫んだ瞬間、そこを中心に雪の凍結が始まり、まるでスケートリンクのような光景が広がって行く。


 だが、エッカルトもまたそれで驚く事も、足を止める事もせず、剛腕で前方の雪を掻き上げていた。


 巻き上げられた大量の雪が両者の視界を遮り、そしてシグ目掛けて降り注ぐ。もっとも、目晦まし以上の効果を持たないそれを彼女が防ぐことはなく、尚も足元の雪を凍結させ続けていたのだった。


 だがそんな時、凍った足場が大きな音と共に揺れた。


「……え?」


 巻き上げられた雪はほぼ落ち、開けた視界に露わとなったのは、凍った雪面に(てのひら)を突き立てる熊だった。


 その衝撃の凄まじさを物語るように手の減り込んだ場所を中心に亀裂が広がり、それは現在進行形で拡大を続けていた。


 しかも更に駄目押しのように、エッカルトはもう一度掌を叩き込む。


 これによってさらに亀裂の度合いは深まり、そして。


 地割れを起こしたように凍った雪面は独りでに動き出すのだった。


「そんな……!?」


「凍らせればいいってもんじゃないって事だ。勉強になっただろ?」


 幾ら氷属性魔法の使い手だとしても、摩擦がゼロとなる氷上では立っているのは難しい。魔法を行使すれば問題無いだろうが、シグとて咄嗟のことで反応が追い付かなかったのだろう。


 いきなり足場が揺れた事で、尻餅をついていた。


「この、やってくれる!」


「甘い甘い! その程度で俺が止まるかよ!」


 転倒した彼女を見て好機と見たか、再び距離を詰めるエッカルトに、シグは近寄らせまいと牽制の氷弾(テルム)を放つ。だが、それらは殆どが当たらず、当たっても熊の毛皮と分厚い皮膚を破る事は叶わなかった。


「……勝負あり」


 結局リュウによる判定が宣言された時、シグの首元には鋭爪が突き付けられていたのだった。


 後ほんの少し動かせば、爪はその肌を裂き彼女を絶命至らしめる事だろう。シグもそれを分かっているからか、エッカルトやリュウに文句を言う事も無く、悔しそうに視線を逸らしていた。


「これで残りは一人、だな。ラウレウスだったか? 来いよ。相手してやる」


「上等。相手してやるのはこっちの台詞だっての」


 シグによって出来上がった凍結した雪面。そしてエッカルトによって破壊されたそれは、しかし元に戻される事は無かった。


 戦場は常に変わり、絶対はないとするリュウが元に戻す事を良しとしなかったのである。


 ただ、足場が不安定になると困るのはこちらも相手も同じである為、特に反対の声が上がる事も無く、定位置について睨み合う。


「坊主、これまで三戦を見て来て、俺に対する対策はばっちりか?」


「ばっちりかどうかは知らねえよ。アンタが何か隠し玉持ってればそれだけひっくり返るかもしれないだろ」


「ま、それもそうか。何にせよ、このままお前も下して一挙に四人のただ働き従業員を獲得させて貰うぜ」


「……出来るもんならな」


 互いに睨み合い、読み合い、身構える。


 肌がひりつくような真剣勝負の空気が漂う中で、試合は始まった。


「始めッ!」


 その言葉と共に、俺もエッカルトも慎重に動き出す。


 全面凍結している訳ではないにしても、俺の開始地点の周囲はシグの魔法によって凍り付き、そして罅が入ってぐちゃぐちゃになっている。要するに足場が最悪なのだ。


 凍結した雪を破壊したエッカルト自身も、幾ら鋭い爪を持つとはいえ摩擦の全く無い不安定な場所に突撃を掛けられないらしい。


 互いにじりじりと距離を詰め、睨み合っていた。


 だが、既にリュウが開始の合図を掛けた通り、試合は始まっている。直接戦って居なくても、位置取りと言う戦いが始まっていた。


 こちらは一刻も早く足場の不安定な場所から抜け出し、まだ凍結していない所へ行きたい。


 他方、エッカルトはそれをさせじと回り込む様に動く。


 正直なところ、足場が凍結して居ようと、積雪して居ようと俺からすれば面倒な場所である事は変わらないのだが、滑って転倒して無様に隙を晒すくらいなら積雪した場所に向かおうとするのは当然の事だった。


「あ、ラウ君。言い忘れていたけれど、君の魔弾(テルム)の使用は禁止するよ。身体強化術(フォルティオル)のみで戦う様に」


「……始める前に言って下さいよ。まあ、最初から使う気ありませんでしたけど」


 幾ら髪を赤く染めているからといって、白魔法(アルバ・マギア)を使う訳にはいかない。この場に居る部外者はエッカルトしか居ないとは言え、何処にどんな目があるかも分からないのだ。


「……つまりお前は、手加減して俺とやろうって事か?」


「別にそう言う訳じゃ無くて、こっちにも事情が……」


「おもしれえ……絶対に叩き潰してやるッ!」


「おい聞けよ」


 その瞬間、エッカルトは雪を蹴る。


 強靭な脚力はその巨体に見合わぬ推力を(もたら)し、一足跳びに突っ込んで来たのであった。


 つい先程、リュウから魔弾(テルム)の使用を禁止する通達があったのを聞いて、遠距離攻撃は無いと踏んだのだろう。


 こんな事で手の内を晒されるのは理不尽な気もしたが、抗議するだけ無駄なのは今までの彼の発言を振り返れば分かるものだった。


 何よりも、今は戦いに集中しなければならない。


 あっという間に両者の間にあった距離は食い尽くされ、視界一杯に映る巨熊が一体。


 慌てて凍結した雪を蹴って退避するのだが、滑ってしまって少しの余裕を持つ事も出来なかった。


「シグ、お前余計な事しやがって!」


「煩い! 私のせいにするな!」


 どうにか転倒を免れはしたものの、これをしでかした張本人には思わず文句を言わずには居られなかった。


 けれど、外野に向きかけた意識を引き戻す様に、エッカルトが言う。


「ギリギリで避けられた……だが、碌な爪も持たないお前らに、氷の上で動き回る事が出来るかな!?」


「反則だろそれ……!」


 彼の四肢、その先端から伸びる鋭い爪が、何条もの線を氷の上に刻んでいた。その深さから察するに、爪の長さは明らかに普通の熊とは一線を画す。


 そもそも、地球の熊とはモデルが別種だから仕方ないのかもしれないが、モンスターを狩るゲームに出て来そうと思ってしまうくらいだった。


 取り敢えず素手で狩るのは無理な気がする。


「リュウさん、ホントに素手じゃないと駄目!? せめて槍くらい欲しいんですけど!?」


「模擬戦だからね。危ないのは駄目だよ」


「目の前に居る熊の方が遥かに危なくない!?」


 ギラギラと目を光らせ、口からはまるで蒸気機関のように大量の白い息を吐き出す。他方俺は素手で、熊に比べて遥かに小柄で。


 どちらが危険であるかなどそれ以上説明するまでもなかった。


「ゴチャゴチャ言ってないで掛かって来い!」


「掛れねえよ!」


 鋭い爪を氷に突き立て、そして蹴る。再び一足跳びに距離を詰めて来られ、慌てて回避するのだった。反撃してやりたいところなのだが、あの巨体であの速さ、何より足場が滑るので踏ん張れない。


 一撃でも貰ってしまったら、戦闘不能にならなくても簡単に吹っ飛ばされてしまうだろう。


 そして事実、二段構えだったらしい彼の攻撃を避け切れず、遅れてやって来た蹴りの直撃を受けてしまう。


 身体強化術(フォルティオル)を施した上で受け止めた為、ダメージ自体は大して入らなかったものの、そのまま氷上を滑り、凍結していない積雪箇所へと突っ込む。


 しかも、氷上からいきなり摩擦の加わる場所へと突入した事で慣性の乗った上体のバランスが崩れ、背中から思い切り雪の中へと沈む羽目になっていた。


「……やられた」


 勢いが勢いだけに雪への減り込み具合も酷く、脱出の為に藻掻こうとすれば周囲の雪が崩れて覆い被さって来る始末で、もはや手に負えない。


 魔法を使って良いのならどうとでもなるが、禁止されていては早急な脱出など望むべくも無かった。


「俺の勝ちだな」


「こっちはハンデありまくりだったけどな」


 黒い影が、雪の隙間から見える。恐らく爪を突き付けられているのだろうが、雪の中に倒れ込んでいるせいで碌な視界も確保できていなかった。


 ただそれでも、エッカルトの言う通り勝負が着いたのは分かる。完敗も完敗であった。


「お前がどう言い訳しようが、これから一週間扱き使わせて貰うぜ」


「……好きにしろ」


 不本意だが仕方ない。互いに賭けるものを賭けて勝敗が決したのだ。文句のつけようなど在りはしなかった。


 幾ら制限が設けられていたとは言え、今の一戦は余りにも自分が見っとも無い。それを自覚しているからこそ、思わず自嘲が漏れていた。


 一方、視界の外では決着した事を告げるリュウの声が聞こえる。


 ()くして俺たち全員は仲良く一週間、エッカルトの経営する宿屋で馬車馬の如く働かされる事が確定したのであった。







◆◇◆



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